夜明けのすべてのレビュー・感想・評価
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一人で抱え込まないでほしい
障がいを抱える方の辛さが
垣間見られた映画でした
今後、もっとオープンにしてもらえれば
この会社のようにみんなで助けあっていける社会ができるのではないかと感じました
三宅唱監督は「ケイコ〜」同様とっても良い
主演のお二方もとてもナチュラルでステキでした
精神的
男性の自分にとって衝撃。でもそれだけではない暖かい作品
女性特有の問題、なんとなく把握はしてたけれど、そこまでだろうと思っていた。
男性の自分にとってはわからないけれど、上白石萌音の急変する演技で、衝撃を受けてしまった。自分の理解のなさとそのような環境に出会ったらどうするだろう、と。苦しんでいる姿をみるとこちらまで辛くなってきた。
パニック障害の山添とあいまり、作中、いつ発作が起こるのだろうと、ハラハラしながら魅入っていた。
ただ、病気(と言っていいのだろうか)はきっかけであり、作品としては日々の豊かさであったり、助け合いだったり、優しく暖かい日常が描かれる。
辛さが誇張されることもなく、三宅監督特有の暖かさからくる、音楽と映像、周りの人物全体が見守ることで、とても良いバランスになっていた。
大きめなスクリーンで観たが、フィルムで作られているので、中小のスクリーンでみるのが味があってよいかも。
松村北斗の演技の新味を評す。
こんな会社が理想
2024年劇場鑑賞30本目。
本編後舞台挨拶中継付上映なのでとりあえず最初のハードルはクリア。まぁ取材陣を入れていたので結局ネタバレができませんでしたが、その中でも本編の裏話をなんとか入れてくれていたので良かったです。
内容知らずに観に来たのですが、とにかく女性の観客しかいなくて、自分の視界は全員女性なくらいでなんか大丈夫かな、とファンになりましたが、生理の時に攻撃的になる病気の女性と、パニック障害がある男性が同じ職場で働いているという話。社長や、男性の元上司が優しいのですがそれぞれ事情があり、その事情のために上司同士でつながっていて、困っている人を暖かく見守ってくれています。
自分も障害者の施設で働いていて、職員の方にもなんらかの障害があるのではないかと思える人がいたことがあります。妄想がすごくて、明らかにそんな話をしていないのは自分もそこにいて知っているのに、あの人がこんな事を言ったと自分に言ってくるようなことを繰り返して、結局退職しなくてはいけなくなりました。その人の親も含めてその人に障害があることを認めておらず、そうなるとこちらも表立ってフォローできなくなるので本当に残念でした。
主人公たちの働いている会社は社員一同何かあったときに支えてくれるのが本当にすごくて、自分の時はそうはならなかった。早くあの人をやめさせてくれという意見を抑えられなかったのが残念でした。
まぁはっきり言って恋愛映画ではなく、だったらいっそルックス的にもっと地味な人をキャスティングしたほうがわかりやすかった気もしますが、是非みんなに観て欲しいから満点です。こういう病気はだれでも突然起こります。
プラネタリウム(天文)の分野が雑に過ぎる
今年60本目(合計1,152本目/今月(2024年2月度)13本目)。
(ひとつ前の作品「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」、次の作品「風よ あらしよ 劇場版」)
この映画自体は原作があるので、それを無視することはできない状況です。
一方、この映画の「主軸となる見方」では、PMSやパニック障害の当事者に対する接し方などが論点になってくると思うのですが、もう一つこの映画では主人公が務めている科学系おもちゃ等の製造の中小企業という前提から、いきなりプラネタリウムや天文の話に飛ぶという「飛びよう」がすごく、そこは一定知識があると???という部分は否めません。
一応にも趣味が天文観測であるのでこの部分はかなり気になったところです。映画の感想自体は多くの方があげられているので、感想というより上記気になった点をメインに書いていきたいと思います(あらすじ自体は多くの方が書かれている通り)。
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(減点0.4/天文に関する描写が不用意だったり、配慮が足りない(個別につき下記)
・ 後述しますが、2023~2024年の映画で、「サブ筋として」プラネタリウムや天文(星座ほか)の話が出る映画としては極端にマニアックな話題が出るかと思いきや、ちゃんと拾っていると???な部分が多々あり、ここは配慮ができなかったのか、と思います。
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(減点なし/参考/ベテルギウスまでの距離)
・ 映画内では「500光年」としてストーリーが進みますが、日本の科学館(博物館、プラネタリウムを併設する施設ほか)では、450~700光年と資料がバラバラです(どの観測結果を引用したかによって異なる)。この点、「一説によれば」の一言がほしかったです。
(※) 似た事例に、NHKアニメの「ふたつのスピカ」において、アニメ版は「スピカまでの距離は約350光年先」とあったのに対し、のちのコミック版ほかでは「当時の知見であり、現在では250~300光年とされる」と書かれたものがあります(同アニメの公開時期と現在とでは、こうした配慮の有無については当然差はあるもので、ここに触れていないのがかなり厳しい)。
(減点なし/参考/「なくなって(墓場ではなく)天に上る星座」)
・ 映画の中では冬の星座の一環として、オリオン座とふたご座が示されていますが、そうであれば「ぎょしゃ座」もそうであるはずです。
(減点なし/参考/移動式プラネタリウムの描写が不十分)
・ 移動式プラネタリウムなのである程度色の表現に限界がある点理解はしますが、オリオン座のリゲルが真っ赤に表示されていたり、そのすぐ近くに比較的明るい星が描写されていたり(この星は、エリダヌス座の「クルサ」で3等星)、やや変な部分が多々あります(かつ、この映画はエンディングロールで示される通り、科学館等がクレジットにあがっているので、そこが何か言わなかったのかという気もする)
(減点なし/参考/うみへび座のアルファルドの扱いについて)
・ うみへび座は全天で最も広い星座で、そこに2等星のアルファルドがあるため「孤独なもの」として描かれているのですが、星空を見上げても星座境界線等が実際に見えるのではなく(描かれているのではなく)、星座を問わなければ近くにレグルス(1.4等星)などがあります。
※ なお、うみへび座は一般に春の星座とされますが、ある地点から一周ぐるりと見渡したときの360度のうち220度を占めるほど「横に長い」星座なので、実際には「どの季節でも見える」星座です。
※ また、「うみへび座」と「みずへび座」の混同が多いので注意です(後者は日本では沖縄でしか見えない。
この先もずっと観続ける作品
泣くことで映画の良さ、評価とはしたくないけれど、終始涙が止まらなかった。
日々感じてしまう生き辛さに優しく穏やかに自然に、寄り添って希望をそっとみせてくれる作品。
山添さんは元々上昇志向が強く、知らず知らずのうちに自分を苦しめていた。しかし心身を壊してもなお上昇志向は残っているが、上昇志向とはまた違ったベクトをみつける。いまの環境に愛着をもつ、言葉にするとありふれているが、わたしにとってすごく理想的な仕事の仕方をみせてもらった。
どうしても抗えないこと、生き辛さはあるけれど、それでも、そのままでいられる場所がある。きっとその人にとって生きていける場所がある。人と人がそっと支え合う温かい場所で生きていきたいと思った。職場の人たちがみんな過剰に仲良いわけでもなく、でもお互いに思いやりがあり、社長や【おばちゃん】的な雰囲気を放つあの2人のような大人に、自分もゆくゆくはなっていきたいと思った。
日常の中で苦しくなったとき、なにかに迷ったとき、この映画をまた観たい。
そんな私にとってのお守りの映画がまたひとつ増えた。
これで、またきっと生きていける、無理なくそう思わせてくれるずっと大切にしたい作品でした。
本当に素敵な作品をありがとうございます。
温かなまちの住人たち
じんわり優しくなれる映画
待望の三池監督作品。淡々と流れる普通の会社の日常と少し特性のある若手の社員2人の物語。登場人物全てが優しくて刺激が強い映画が多いこの頃、久しぶりにほっとする映画を見たなぁと言う感じだった。
それにしても脚本が本当に素晴らしい。近頃ドラマでも映画でも原作と意図の違う変更を問題視されてるけど、この映画は原作と違うところはあってもちゃんと根っこを理解してるから原作ファンもすんなり受け入れるだろうし、観終わった後素晴らしい感動をくれる。
特に派手な演技や音楽が無くても観てるうちにいつの間にか涙が流れてた。
俳優陣も素晴らしくてキャスティングした人に賞をあげたい。ありがとうあなたのおかげで素敵な実写の藤沢さんや山添くん栗田社長に会えました。
一つだけ言わしてもらえるならばクイーンファンの私はボヘミアンラプソディのくだりも入れてくれると嬉しかったなー
原作を読んだ上で見ましたが…
情報が解禁されてから原作を読み込み、今か今かと公開初日を待ち侘びていましたが、蓋を開けてみると意図がよく分からない謎の原作改変ばかり。私の好きなシーンもほぼ全カット。原作通りの藤沢さんと山添くんを望んでいた私にとっては、望んでいたものとかなりかけ離れている映画になりました。二人の友達でも恋人でもない関係性がじっくりと構築されていくところを描いた原作から、どうしてあんなものができあがってしまったのでしょうか。見ていてとても悲しかったです。キャストのお二方の演技はすごく自然で素晴らしかったので、それもあってとても惜しい!すべて原作通りにしろとは思っていませんが、いくらなんでも原作とかけ離れすぎていたのでこのような評価とさせて頂きました。
映像の質感と俳優が演じるリアリティが醸し出す極上のヒューマンドラマ
三宅唱監督作品とあっては観なければなるまい!というモチベーションで鑑賞。
予告を目にしたときから、確実に期待に応えてくれそうな予感がしていた。
PMS(月経前症候群)で月1でイライラを抑えられなくなる藤沢さんと
パニック障害を抱える山添くんの中心に描いているのだが、
まずもってこの二人の恋愛ドラマという単純な作品ではないことに
感銘を受けた。
というのも、お互いの病に向かい合い、「治療する」ではなく、
「助けになることがある」という山添くんのセリフが
そして実際にお互いのことを考え、行動している姿が
この作品の全てを象徴している。
藤沢さんとお母さん、友達、との関わり合いも、実にリアルだし、
友達に恵まれていることも救いだろう。
山添くんも元会社の先輩の存在も大きかったことと思う。
何より、本作の中心の舞台でもある職場の人・環境も素晴らしく、
そして優しい。
そう。なんと優しい映画なのだろうと思う。
また、映像の質感が素晴らしい。
色味。特に夜景が美しくため息が出るほどだ。
映像から感じられる空気感・雰囲気も本作に見事にマッチしている。
私としては、上白石萌音の演技が圧巻であり、
特に月1イライラ直前・最中の表情や話し方が激変することに
感動を覚えた。
数々のキャリアを打ち立てている俳優だが、本作は間違いなく彼女の代表作になるに違いない。
多くの方に観ていただきたい、まさに"今"観るべき映画だと思う。
こんな話だったっけ?
何度でも観たいあたたかさ。
共感度120%!主人公の心境と夜空の景色の対比が鮮やかだ
内容は「PERFECT DAYS」のように淡々と進んでいきます。
主人公の藤沢(上白石萌音)はPMS、山添(松村北斗)はパニック障害に苦しんでおり、現代のストレス社会では多くの人が何らかの病気や症状を抱えており、職場等でトラブルが起きやすくなります。自分自身もいろいろ思い出すことがあって大変共感できる内容でした。
このような病気や症状を持っている人は、どうしても自分の殻に閉じこもりがちになり、窮屈な小さい世界で過ごすことが多いと思います。
山添と藤沢がお互いに向き合うことで、
小さな世界から夜空やプラネタリウムの大きな世界に流れていく対比は鮮やかで、開放的な気分になりました。
「太陽は動かない」と劇中で語るように
自分中心でなく、世界を広げて物事を見
ていくことが重要だと感じました。
仄かな希望、生きるチカラを、胸の裡にそっと宿らせてくれる傑作。
生きるということは「どうにもならないこと」。どんなに頑張ってもなかなか思いどおりにならない。そんな「制御できないもの」といかに折り合い、遊ぶか。本作は、そこのところを焦らずに語っていく。
ファーストシーンは、意表をついて藤沢さん(上白石萌音)の長いナレーションから始まる。加えて、彼女のこみあげる怒りや恥じ入る謝罪のことば…。ときに深いため息までも交えたそれらの「声・音」に、いつしか耳そばだてている自分に気づかされる。
「声・音」に続いて印象的なのが、数々の「映画的記憶」とでもいうものだ。
劇中「おじいちゃんたちが宇宙に行く話」「月に向けて親指を立てる話」といった映画絡みのセリフも出てくる(『スペ●●● ●●●●●』『ア●●●』のこと?)が、そんなフレーズだけでなく、むしろここで言いたいのは16ミリフィルムで撮られた豊かな映像が喚起してくれる個人的な妄想のたぐいだ。
たとえば、室内から扉の間口越しに映し出された戸外は、思いがけずジョン・フォードの『捜索者』や小津安二郎の『晩春』を連想させる。また何度も挿入される列車の遠景シーンは侯孝賢の『珈琲時光』を思い出させてくれる。それは、いずれも純粋に映画そのものを推進する“チカラ”としてひたすら美しく、心地よい。
特に中盤の、山並みを背に画面左から右へと走り抜けていく列車のロングショットでは、大好きな『東京物語』の尾道のシーンと不意に「記憶」がダブり、泣いてしまった。このあたりから涙腺の緩みは加速してゆく…。
山添くん(松村北斗)が、早退した藤沢さんに忘れ物を届けるため、職場の制服をごく自然に羽織り、チャリをゆるゆる転がして(このシーン、山添くんの表情と自転車のスピード感が絶妙!)坂道を下るあたりで涙腺決壊。以後ラストシーンまで波状的に涙がこみ上げ…。映画でこれほど涙してしまったのは『わが谷は緑なりき』以来かも(苦笑)。
一方、藤沢さんがサンドウィッチや蜜柑をほおばりながら歩く、あるいは部屋でポテチの缶に口をあてて一気食いするといったシーンでは、彼女の人となりがさりげなくあふれ、思わずにっこりほっこりしたりもする。
このふたりの関係は、『はじまりのうた』のキーラ・ナイトレイとマーク・ラファロの結びつきに近いか。親友とも恋人とも違う。ここで三宅監督のことばを借りると、やはり「同志」と呼ぶのが一番しっくりくる。自分とは異質の人とどんなコトバを交わし、異なる生活感や価値観にどう橋を架けるか。そんなふたりの会話が実にスリリングだ。その向こうにゆるやかな連帯感が広がる。映画のラスト、ふたりの関係性は時や場所を超えて、山添くんのナレーションでゆるやかに閉じていく。
三宅監督はインタビューなどで、本作を「『特別な人』の『特別な話』にならないようにしたかった」と語っている。「主人公たちはいずれも前進しようとする人」で「相手が困っている時、何かできることがあるんじゃないかと小さなアクションを起こす。それは必ずしも正解と限らないがチャーミング」なのだと。
けっして他人事でも例外的なことでもない。日々暮らすうえで、私たちが否応なく感じさせられる無力感や幻滅。それにどう向かい合い、かすかなりとも希望を見出していくか。本作は、そこを考えるチカラを与えてくれる、私たちの心にそっと寄り添いながら。
映画終盤、「移動式プラネタリウム」に主な登場人物が一堂に会する“見せ場”があって、ここでも泣いてしまったのだが、その時ふと思い出したのが木下順二の戯曲『子午線の祀り』。壇ノ浦の戦いであえなく散った平家武将らの姿を、天空の運行と対比させつつダイナミックに描いた叙事詩だ。
そしてもう一つ。この「移動式プラネタリウム」内で“天空”を捉えたショットは、無限な宇宙の「拡がり」よりも、カメラが収める「狭さ」をむしろ感じさせた。この印象は、映画『晩春』で室内から窓越しに捉えられた裏山の景観を観た時に感じたものと同じだ。
私たちがふだん眺める光景はごく限られた狭いものに過ぎない。そこに、人の意思とは無縁の“天空からの視点”を加えることで、新たな風景・人々そして自分の立ち位置が立ち上がってくる。それは歴史的人物であろうと無名の自分だろうと変わりはない。
本作を観終わった後は、だれしも自分のキモチがちょっぴり変わったことに気づくだろう。映画に心から「ありがとう」と言いたくなった。
※監督のティーチイン付き試写会にて鑑賞(あまりにも泣いてしまったので、もう1回、劇場で観直します)。
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