夜明けのすべてのレビュー・感想・評価
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温かく、強い
松村北斗さんの演技に震えました。
素晴らしかったです。
さて、作中、いわゆる「大事件」が起きるわけではありません。
それでも彼や彼女、周りにいる人たちの日常においては大切な出来事が描かれていきます。
そしてその日常は、私たちの生きている世界と地続きだと思うのです。
つまり今日、この瞬間、どこかで起きていること。
誰もが大なり小なり、悩みであったり弱さであったりを抱えていて、人と人との関係の中で支え合い、絶妙なバランスを取りながら生きている。
きっと社会はそうあるべきなんだ。
そんなことを考えながら、鑑賞後、ちょっと気持ちが重くなりました。
自分自身が苦しいとき、悩みを明かせるような人が、心の支えになってくれる存在が、周りにいるだろうか──と考えたためです。
きっと世界は残酷で、私たちは物語で描かれるよりもずっと孤独です。
でも、だからこそ、まずは私自身が今よりも少しだけ人に優しく、日陰に日に他人を支えてあげたい。
そして誰かにとっての「夜明け」を待ってあげたい。そんな温かくも強い気持ちを抱かせてくれました。
長く愛される作品であって欲しいです。
日常の、現状を知る映画
正直、上白石さんを拝見するために鑑賞しました。以前からカバーソングとかよく聴いてて、なんとなくファンです。
映画の内容はタイトル通り、日常で苦しんだりヒステリーやパニックになったりする事情を知ったような気分になる勉強になる映画だったと思います。色気も格好良さもありませんので、休日の娯楽とするのは辛いかも知れません。
上白石さんが演ずるところの主人公がPMSという症候群をお持ちと云うことで、突然にキレだしてしまう人の日常を描いた作品ということですが、「ああ、そういう人いるなあ」と感じました。ただ、この映画ほど重くは無いのかもしれないけど、やっぱり声を張り上げて切れる人や、依存症、症候群、恐怖症等々、みんな何らかの病的な問題を抱えていて、生き辛さを感じているのだろうなと思う。それでもお互い理解しながら生きていく。エンディングのスタッフロールで和やかな会社の日常を写す締めくくりはそういうことかと想いました。ちょっとキャッチボールはやり過ぎかなw でも、松村北斗さんの演ずるところの人物が、最初はぶっきらぼうだったのが、お菓子のやり取りにも慣れて、現在の仕事を続けていくことを決意し馴染んでいく姿は、良い成り行きだったと思います。でも移動式プラネタリウムの会社だったら素敵だし誰でもやりたくなっちゃいますね。
病症については色々議論が生まれそうな話だと思います。「蓋を開ける音を立てるな。水ばっか飲んでないで仕事しろ」ってキレるのも、ヒステリックなキレ方は問題だとしても、よく考えてみれば、非常に真っ当な意見ですよね。モヤモヤしたまま、みんな腹の底で思っていても口に出せない。中には溜め込まずにポイポイと周囲にツッコミ入れるような人も居ますが。そういう人、口やかましいけど、案外良い人だったり。
漫画「銃夢」の登場人物、ノヴァ博士の「この世に正気と狂気など無い。あるのは一千の貌(かお)の狂気だけです」というセリフ。この映画に例えて云うなら、「この世に健康な人なんて居ない。居るのは一千の病人だけ」なんでしょう。病病看護ということでしょうか。上白石さんが仕事の斡旋を受けるときにも、相手が子供の電話に出ているところも印象的でした。誰もが何か問題を抱えている。松村北斗さんがパニックしている上白石さんを上手く誘導していましたが、私達だって病人なんです。「みんな病人なんだからお互い理解し合おう」と言われたって、みんな病気で弱気だからやっぱり怖い。パニックの相手を責めるつもりは無いけど、距離を置きたくなるのも仕方ない、というのが、こういう場合の私の意見です。
映画として、内容はごく普通の日常を描いているようで、「上白石さんがいつキレ出すのか」、それがハラハラドキドキでした。ああ、ここで来るのか、おいおい、プラネタリウムの途中でキレたらどうするんだ、などと心配でたまらない。ちょっとしたホラー感も感じました。それほどに上白石さんのキレ芸のキレ味が凄まじい。
最後に、これはまったくの余談ですが、私が見た2024年2月15日の10時8分。京都河原町で鑑賞していたのですが、劇中で地震が起こって停電になるまったく同じタイミングに、震度3マグニチュード3.7の地震が現実に起こりました。一瞬、映画館の演出装置なのかと思い込んだぐらい、奇跡的な同じタイミングです。これはニュースにでもして良いくらいです。でもこんな奇跡、先の災害があっただけに、起こってほしくないですね。
(追記)
時間をおいて少し考えて見たのですが、上白石さんがプラネタリウムのナレーションをしていたシーンは、松村北斗さんが職場に馴染んだ変化と同様に、PMSという症候群を抱えながらも成長した成果を現すシーンではないかと考えます。そういう症候群を抱えていることを知りながらも、会社の同僚達は上白石さんに任せてみようと見守っていたのかと。勿論、これは私個人の解釈に過ぎません。
それにしても、やっぱり上白石さんのナレーションは素晴らしかったですね。町工場のようなところで、あれほど上手にナレーションができる人はそうそう居ないでしょう。そこだけは非現実的でしたw
女性はホルモンバランスと常に闘っている
若い頃はPMSで、歳を取っても更年期でと、遅かれ早かれ、どんな女性も常に己のホルモンバランスと闘っています。この映画を通して世の中の殿方にもっともっとその事実を知ってほしいと思いました。それは、パニック障害よりもランクの低い?本当に病気なの?と周囲の理解を得にくいつらい病気です。同じ女性である私ですら、PMSってそんなに?!なんてビックリしたのですから、もちろん男性が観たらそれはきっと異次元でしょう。PMSの辛さは想像はできても、パニック障害の辛さはやはり想像できません。
思いやりとは、相手のことを慮る事です。分からない相手のことを一生懸命理解しようとする事です。本作品の中では、思いやりあふれる同僚や上司に恵まれて、病気を抱えた2人が微笑ましく支え合う姿が描かれています。とても優しい気持ちになれる温かい映画です。それと同時に、この映画に登場する会社みたいに、いろんな病気や事情を抱えた人が少しでも働きやすい社会になればいいなぁと思いました。
現実社会の世知辛さに少しお疲れ気味のあなたに、ホルモンバランスを崩してイライラしがちなあなたに是非おすすめの映画です♪
今週末映画館でゆっくりと癒されてみては?
人は痛みを知っている分、他者に優しくなれる
年末、遅ればせながら配信で鑑賞。
PMS(月経前症候群)とパニック障害に苦しむ藤沢さんと山添くんが元いた会社を辞め、逃げ込んだ先の移動式プラネタリウム制作会社には、弟を自死で亡くした社長をはじめ、2人の変調を普通に受け入れる社員たちがいる。そんな中、藤沢さんと山添くんは同じ痛みを共有し合うでもない、もちろん、恋人でもない、不思議な気持ちで繋がった同志みたいな関係をゆっくり紡いでいく。2人が交わすコミカルなやり取りに笑い、救われる人もいるだろう。
人は痛みを知っている分、他者に優しくなれる。社会の片隅で誰かと誰かが互いを探り合いながら接近し、触れ合い、そしてまた、離れていく。藤沢さんと山添くんはどうか?
この映画が描くのは、どんなに暗い夜にも必ず夜明けは訪れ、希望と勇気の第一歩を祝福してくれる、ということ。だから見終わって、心がリセットされ、とても清々しくなるのだ。
胸の中が柔らかな大切な光で少しずつ満たされていく
鑑賞前、私の頭にはどこか闘病ものというイメージがあった。それゆえ、観た後に引きずるものがあるのではと躊躇する気持ちがあったのも事実。しかし本作はそんな先入観を序盤から拭い去り、じっくりと主人公たちの日常に寄り添っていく。切々と語られる上白石の声のトーン。ふりしきる雨。どうしようもない、逃げ出したくなる会社での一幕。その雨がやんだ時、彼女はとある教育玩具を製造する小さなメーカーにいる。変わらず苦しみはやってくる。だが隣の席の同僚もまた別の理由で苦しんでいることを知る。また観客は彼らのみならず、誰もが何かしらの事情を抱えて生きていることを垣間見る。そういった部分を内に秘めているからこそ、人は誰かの苦しみを察し、さりげなく共に寄り添い合うことができるのではないか。ゆっくりと一歩ずつ。地球の自転を感じるかのように時を刻むペースが心地よく暖かい。夜が明ける。胸の中に柔らかな光が差し込んでくる一作だ。
素晴らしい!
上白石萌音の演技が最高でした。
あと、最後の、夜に関するメモの内容は、もう一度観てメモしたい!と思いました。
光石研の演技も素晴らしい!希望や、身近な人に対する親切ってホントに美しくていいものだと改めて感じさせてくれた映画でした!
見た後に心がホッコリと穏やかで優しい気持ちになりました(^-^)
優しい映画でした。
PMS(月経前症候群)とパニック障害を抱えた若い男女が主人公の映画。
出てくる人達みんな心根が優しい。。
良い映画でした。
見た後に、なんか少し癒されたと思う。
病気を理解し受け入れてくれる周りの人達。
その周りの人達も心に傷を負っている。
この主人公達の会社で働きたいと思った。
ただ、現実には給料は安いだろうげと。。
昔、同業他社の営業の友達が課長昇進後に心を病んでしまって物流に配置転換となり、その後に会社を辞めた。
そいつの上司だった人は、その後も一緒に野球を見に行ったりしてそいつをフォローしていた。
(その上司も含めてゴルフや飲んでいたので知っていました)
その会社は厳しい会社だったけど、結局は人なんだよねと思ったのを覚えている。
面倒見が良くて優しく出来る人は、所属している会社とか関係なく優しく出来るんだよね。。
この映画には、そういった優しい人達がたくさん出てきていた。
私自身の周りに、こういう障害を持つ人がいたとして私が優しく接する事ができるかどうか考えてしまった。
たぶん、めんどくせぇ奴だなと思ってしまうだろう。。
他人を思いやるって難しいですよね。
私が働いている会社では障害を持つ人を受け入れるのは無理でしょう。
見ている最中に、BGMの感じとかから昔の映画の森田芳光監督の『ハル』を思い出した。
(内容はまったく違いますが。。)
この監督良いなと思ってwikiで調べてみると『ケイコ 目を澄ませて』の監督だった。
見た後に心がホッコリと穏やかで優しい気持ちになりました。
母国語でみる日本映画だからこそ感じられる感覚だと思う。
恋愛要素は無いです。
こういう日本映画をみると嬉しくなりますね。
優しい世界
同名小説の映画化。
嫌な人が一人も出てこない。パニック障害とPMSと精神的な病気を抱えている人が二人もいる職場。会社の人たちは嫌な顔一つせず、症状が表に出ても大袈裟に問題にすることなく、そっと見守って対応してくれる。なんて優しい世界。こんな職場日本に存在するのか。
現実から離れ、心が温かい気持ちになった。
二人が恋愛関係に発展しないところも、またリアルでよい。友達でもなく同志といった感じの関係だった。
山添君の髪の毛を切ってあげるシーンが印象的。
最後に二人で考えたプラネタリウムの発表も素晴らしかった。
二人とも優秀な社員ではないか。
物語に没入できたのは、16ミリフィルムで撮影しているため、なんでもない街の風景でさえ、温かい世界に映っていた。
感じたことメモ
多くを望まないこと
PMS(月経前症候群)に苦しむ女性(上白石萌音)とパニック障害に苦しむ男性(松村北斗)の日常を描いたお話。
お互い病気に悩むからこそ、お互いを理解しようと気持ちが働いたことから距離が近づくがラブストーリーという訳でもなく
淡々と日々を描く。
感想は「すごく面白かったよ!見てみて!」と
誰かにオススメしたくなるような作品ではないけれど、
エンディングでは良い涙でも、悪い涙でもない、
分からない涙が溢れた。
誰かに優しくしたり、優しくされたり
思いやりのある世界で暮らせる幸せを思う。
それを願いながらも満足できない日々、
人生は何を取って何を捨てるか
そんなことを考えながら流れた涙だったように思う。
病気を抱えながら生きていくのは大変なこと。
それでも、ちゃんと働けて、ちゃんとお金を稼げて、
自分で自分の暮らしを支えていけることのすごさ。
誰かに理解してもらえるありがたさ
どうか、社交不安症やパニック症、その他
普通に働けるのに上手く適応できずに苦しむ人々が
安心して働き暮らせる世の中へと変わっていきますように🙏
心の闇
2024年の作品
この作品は物語というジャンルだが、非常に象徴的に「人の心の揺らぎ」を紡ぎだしている。
そのために物語という構図が当てはめられたのだろう。
この心の揺らぎの振れ幅が一定の範囲を超えると、身体に現れてしまう。
それに病名がつけられることになる。
PMSとパニック障害
そしてこの物語のテーマは「失ったと、思っていた」ことなのかもしれない。
この「青い鳥」にも似た型は、人間が考える不条理や理不尽などを通して、人々が求めている「それ」を見つけ出しに歩かせるきっかけを作り出しているのだろうか。
藤沢が失ったのは職場
高校時代に顕著になってきたPMS
自分自身を消去法で探しても答えは見つからないままで、1か月に数日間起きるPMSの所為で苦しんでいる。
しかし、その苦しみは連鎖したのだろう。
母がなぜリハビリ施設に通わなければならないようになったのか?
「語られない」それは、娘の心配が招いた原因不明の体調不良だろうか。
藤沢の転職先となった栗田科学
ここで出会った山添
彼から感じる閉鎖感
まずその異質な感覚に感化されたのが藤沢だった。
また始まってしまったPMS 同僚から心配されてしまう。
そして、
突然始まった山添のパニック障害 自分と同じ薬
「自分と同じ」 これはひとつの糸口になるのだろう。
それでも山添の閉鎖感は、藤沢を寄せ付けない。
藤沢に起きた気づきと、それを受け入れない山添
「髪を切ったこと」
変になってしまったことが、山添の笑いを思い出させた。
おそらく彼は、2年間笑うことを忘れていた。
大きな会社はパニック障害で退社したが、また復帰したいと思っていた。
しかし調整は難航していた。
寄り添ってくれている彼女
しかしキャリアアップと「それ」とを天秤にかけたのだろう。
山添のアパートで話さず、「外」に連れ出したのは、彼がパニックを起こさない場所ではなく、パニックになっても「外」で自分のキャリアアップの話をすることにしたからだろう。
2年という歳月は、簡単に男女の仲を破壊する。
面白いことに、山添は藤沢に対し「男女の友情」のありか、なしかについて語り始める。
その対照は間違いなく藤沢だったはずだ。
元カノと比較してキャリアもなければチビ でも、次第に回復し始めている体調の原因こそ、あの笑いにあったことに気づいている。
そして山添は言う。「藤沢のPMSを、起きる前に止めてみる」
「誰かのため」 または「何かのため」
味覚を忘れ、感覚を失い、他人と自分を完全に分けていたころとの違い。
自分の周りから消えてしまったもの 失ってしまったと、思っていたもの
これらを取り戻すように思い出し始めたこと。
アノニマス会で栗田社長が言った言葉 「弟が、突然いなくなった」
この言葉には、直接的なことを覆い、彼自身の心から何かが消えてしまったことを意味しているように聞こえた。
やがて発見された弟の声
プラネタリウムに込めた想い 大航海時代や星座の意味
弟が思いを寄せた大宇宙
そして、夜があるからこそこの世界の咲にある世界を知り得たという事実。
「夜についてのメモ」
この移動式プラネタリウムの解説を手掛けながら、山添はやりがいを掴んだ。
藤沢は、同じくこの解説に関わりながら、自分を支え続けていてくれた母のことを考え始めたのだろう。
語られない母のリハビリの理由
「自分の所為」
藤沢は、母に寄り添う人生を選んだ。
それが彼女にとっての答えだった。
2024年現代 単純に藤沢の選択を指示する人は少ないだろう。
でもそれこそ、いま彼女が出した答え。
赤い手袋に込められていた母の愛
それは今始まったことではなかったはずだ。
絶えず隣には母が見守っていてくれていた。
そして、その時間は少しずつ消えていく。
そう思った時、藤沢は母に寄り添って生きることに「意味」を見出したのだろう。
その選択に誰も何も言ってはならない。
山添と同じように、ただ見送るだけだ。
辞表を持って朝一出勤してきた藤沢に、栗田はただ辞表を受取ったが、その目に浮かぶ涙
それを見て藤沢の眼にも涙が浮かぶ。
何気ない日常で、変わってしまう瞬間
寂しさ
それでも毎日の日常は変わらないようだ。
失ったと思っていたものは、そこにあった。
それに気づいた時、人は成長するのだろう。
「夜についてのメモ」は、この世界に何故昼と夜があるのかを伝えていた。
PMS パニック障害という「夜」があったからこそ、二人はそれぞれ自分自身を再発見した。
そして、
夜になればまた朝が来るように、その間際の夜明けの直前に、気づきという「奇跡」がやってくるのだろう。
これは、物語というよりも純文学に近い。
このジャンルを使って「心の闇」から朝になる瞬間を捉えている。
なかなか知的な作品だった。
心を病む人に元気を・・
PMS(月経前症候群)の藤沢美紗(上白石萌音)とパニック障害の山添孝俊(松村北斗)、病名は違っても心の病を抱える二人が最初はぶつかるものの次第に相互理解の心が目覚め助け合ってゆく様を描いています。
夜明けの意味については終盤のプラネタリウムの中で語っています。
「夜がやってくるから私たちは闇の向こうのとてつもない広がりを想像することができる。地球が公転する限り同じ朝や夜は存在しない、今、ここにしかない闇と光、全ては移り変わってゆく、喜びに満ちた日も悲しみに沈んだ日も必ず終わる、そして新しい夜明けがやってくる。」
原作の瀬尾まいこさんは過去にパニック障害を患っていた経験があり、その経験が代表作『夜明けのすべて』の執筆に繋がっています。ブラック企業でなくとも働くことはそう簡単ではないし職場それぞれの人間関係の難しさは避けられない、悩みを抱える若者たちに元気を授けたいと創られた映画でしょう・・。
私もPMSで、同じようにイライラして態度に出してしまいます。人が変...
静かで優しく居心地の良いところ
見た目ではわからない障がい
日常の先にある、優しい映画
U-NEXTで視聴。SixTONESの松村北斗さんが出ているので見始めたのですが、気づけば最後まで鑑賞していました。自分が軽度の発達障害や自閉症かもしれないと判断されている身なので、山添くんや藤沢さんのしんどさがリアルで胸がぎゅっと痛くなりました。そこから少しずつお互いの苦しさをわかちあい距離が近くなっていくふたり。でもそこからが、本当に日常のようで。他の映画みたいに恋人になって一波乱あることもなく、日常を切り取った様にそのままエンドロールへと向かっていきました。この映画を見た人が、しんどい人が少しでも楽になってくれればいいなと思います。原作小説も借りて読んでみようと思いました。
良い意味でとても質素で味気ない。
映像やストーリーに特別な仕掛けがある訳でもなく、ただただ誰かの日常を客観的に見ているような、正にプラネタリウムを見ているような感覚。
特に状況や環境が移り変わる場面では、直接的な描写はなく、深い意味もない。
恋人と別れたり、転職して行く場面などの何かしらの変化がある場面はいつもグラデーションのようにぼかされるような、曖昧な表し方。
でもその曖昧さが、傍観者の探究心をくすぐっていると感じた。
演技というより、ほんとに誰かの日常という感じ。
誰かの日常に、役者が当てはめられているだけのような、そんな自然な物語だった。
でも途中途中の山添くんが発する、無神経でトゲがあって無意識な嫌味も含まれるような発言が、すごく心臓をえぐってくる。
届かないとわかっていても思わず口を挟みたくなるような強い、芯のある言い方。
私が藤沢さんだったら二度とは話しかけられないな。と思うような言葉があった。
藤沢さんが初めて自身のpmsを打ち上け、山添くんのパニック障害に寄り添おうとする場面。
お互い頑張ろうね。という言葉に対して返ってきたのは、屁理屈じみている正論。
その真っ直ぐな言葉が、傍観者の私には痛かった。
そして藤沢さんが時々見せる苛立ち。
自身では落ち着かせることのできないその苛立ちにより生まれる言葉には、心から同情した。
苛立ちにより言ってしまった言葉をあとから振り返り反省する。これの繰り返し。
辛すぎて途中出てきた、藤沢さんがベランダから家の下にいる山添くんを眺めるシーンで、飛び降りてしまうのではないか。と思った。
でも映画チックなものは何一つなく、下手な人物補正もなにもない。
得られる知識はあっても、傍観者に寄り添う言葉はない。
映画としてはすごく味気ない。
しかし1種のプラネタリウムとしては忘れられないものになった。
五臓六腑に染み渡るような暖かなフィルターがかった映像が、着々と脳を溶かしていくようだった。
物語の盛り上がりこそ無いものの、今まで見たことの無い、素晴らしい映画だった。
今はこれ以上の言葉が見つからない。
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