aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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想像の余地があり、定期的に見返したい映画
永遠に続いてほしい旅。最低限の情報だけが提示され、想像するからこそこちらの感情も混ざっていく。今の自分には苦しかったけど、それでも鑑賞後の余韻が胸を打つ。
最後、ある名曲が流れてきて、そのなんとなしに何度も聞いていたメロディーや歌詞が今後の人生で流れてきた時には全く印象が変わってしまうんだろうなと思うほど素晴らしい選曲でした。
ただ、苦しくなってしまう人は今の自分のようにかなり苦しくなってしまう映画なので、ぼんやり眺めてから少しずつ反芻する楽しみ方もおすすめです。
宇多丸さん、ありがとう、アフターサン、おすすめです!
見終わって、せつない気持ちになったが、良い作品を見た感がした。
自分の家族との別れの悲しみ、寂しさなど甦る。
良い映画は自分の人生の思い出と重なるのか?
スコットランド、トルコ、自身には馴染みのない場所や国の話なのに身近に感じ共感する。
思春期の甘酸っぱい感じ、後悔など。それぞれの人がどう感じるかは、この映画がすべてをはっきりとは描いていない感じの余韻から余白から広がる。
父にも娘にも幸せを心から願っている自分がいた。
アフターサン、勧めてくれた宇多丸さんとその番組の皆様ありがとうございます!
娘たちとの記憶と重ね涙した
31歳の父親と11歳の娘。
2人で過ごしたトルコのリゾート地での夏休み。
当時の父親と同じ齢になった娘が20年前にビデオカメラで撮った映像を見て振り返るスタイル。
両親は若くして子供ができたが結婚しなかったようだ。離れて暮らすも父娘の距離はさほどでもなさそう。
てか、娘は父親のことが好きなのだろう、きっと。
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二人の娘との記憶と重ね涙した。彼女たちはダメダメだった父親のことを今どう思っているのだろう。
余白に家族への思いを巡らす
私は「近くにいない」家族を思う映画を好んでしまう。「近くにいない」とは物理的な距離のことでもあるが、死別しているとか蟠りを抱えているとか、そういう複雑さを持った関係性のことでもある。
また同時に、ホームビデオやフェイクドキュメンタリーのような「キャラクターが映画内でカメラを回している」映像も好んでしまう。ジョス・ウェドン版ジャスティスリーグの、冒頭のスーパーマンのシーンのような演出などである
アフターサンは、そんな私が心惹かれてしまう要素を入れ込んだ映画な気がして、とても気になっていた。
しかしこの映画はそんな私の期待を良い意味で裏切ってくれた。
ホームビデオのような映像を軸に、大人になった主人公が今は亡き父の記憶に思いを馳せていく映画なのかと思っていたら、大人の主人公はほとんど出てこず、父とのとある夏休みの旅行についてひたすら語られていく映画だった。
だがその「ある時間」を非常に丁寧に描くことで、父と娘、この家族が一体何を抱え生きているのかということがとてもありありと映し出されていた。大人になった主人公の恋人の女性が一瞬映ることで、夏休みの間に主人公が何を思って周りのカップルを見ていたのか、何を思って少年とキスをしたのかなどについて、良い広さの余白で考え巡ることが出来た。
実際にその夏休みの間に起きた出来事しか映していないにも関わらず、その出来事一つひとつに、キャラクターの葛藤が結びついて効果を発揮しており、よく練られた演出だと唸ってしまう。
「ある時間」だけを使って、こんなにも深い家族の物語を仕上げることが出来てしまうのかと思った。私はこの映画を見ている最中、自分の家族のことを思ったし、この映画がエンドロールに入ったあとは、この映画にでてきた家族のその後についてとても気になった。そうやって感情移入したり、キャラクターや物語のその後を思える映画は良い映画なんだと思う。
父親の誕生日を祝うシーン、あれは本当に良いシーンだ。
うすいスープを飲まされた気分…
「ター」と並んでめっちゃ評判だったので、ようやく見に行きましたが…。
期待値が高すぎて、うすいスープを飲まされた気分です。
何ごともなく、さ〜〜〜〜っと終わった感じ。さざ波のように。
宣伝で「最後の夏休み」「あの時、あなたの心を知ることができたなら」
とか思わせぶりなフレーズが入っていたから、
・お父さん、死ぬね?え?いつ?
・お父さん、悩んでるね?え?どの辺?
…回収されずに終わりました…。
深読みできなかっただけなんでしょうが。
でも、もっと知りたい!と思わせないところがこの映画でした。
でも、最後まで退屈せずには見れました。
隣の人は爆睡してましたが。
鑑賞動機:あらすじ5割、評判5割
いや、これはなかなか手強い。裏の意図はあまり考えずに、画的な工夫を追っかける事に専念した。バカンスの記録ということだが、逆さになってみたり、鏡越しに撮ったり、あるいは普通のシーンでも誰もいない場所を映して終わるカットがやたら多かったりと、現在シーンも含めてシンプルに撮られたところはあまりなく、「次は何してくるかな」みたいな意味では楽しんだ。
時間が経つほどに心を抉るビターな作品
31歳の誕生日を迎えた主人公が、11歳の夏休みに父親と旅行した時の記憶を、ホームビデオの映像とともに蘇らせていくストーリー。ビデオに映る父は、現在の娘と同じ31歳だった。
四つ折りにして持っていた古い写真を広げたかのような質感のポスタービジュアルに"良作の予感"しかなかった本作。どこにでもいるような父親を、こんなにも繊細で弱い存在として描いた作品はこれまで無かったように思う。観終わった瞬間は、ほろ苦い、という表現がしっくりきたが、時間が経つにつれ心が抉られるような感覚だ。
この父にとって、日に日に成長していく娘は生きる糧でもあったが、それと同時に目を逸らしたい「未来」の象徴であり、自己嫌悪に陥れる存在でもあったのだろう。どうにか父親然と振舞おうとする姿が脆くて切なかった。
そんな父との旅を思い返す主人公の表情は暗い。8ミリフィルムの映像の外で、父が独りで過ごしているシーンは、あくまで娘の想像でしかないのだが、ようやく当時の父の苦しみや焦りを理解できる立場になったからこそ、もっと違う風に接していたら…あんな言葉を発しなければ…と、後悔しているように見えた。
親と子は、どうしたって、心からの相互理解なんて不可能だ。この映画の父と娘もそうであるように。そんな二人が、旅先のホテルの一室で、コットンに含ませたアフターサンをお互いの顔に塗り合うシーンは、切なくて涙がこぼれた。
とても静かで美しい作品だけど、もう一度観るにはビターすぎる。
やっぱり正面から向き合いたくない幼少期の記憶なんて、うっかり掘り起こさないほうがいい。
とりわけ、父親との関係が複雑な人は閲覧注意かもしれません…
余白
新宿ピカデリーで鑑賞
水曜日なので結構人入ってました
予告編を見てソフィアコッポラ「somewhere」的な話なのかなと想像してたけどそうでもなくて
何か起きそうで起きない(すでに起きている?)
めっきり分かりやすいエンタメ映画ばかり見るようになったので、余白が多いお話は解説読まないと難しいなと
オチとか伏線とか求めすぎ?
着ている服、流れる音楽
登場人物達の着ている服、流れる音楽や、ゲームセンターのゲーム機の雰囲気で
あ、この子と私は同じ世代だ…って気づいたら、
後はただただ、この映画に乗って
時間に身を任せるだけで、切なくて懐かしい気持ちで
胸がいっぱいでした。思ったよりも更に何も語らない映画スタイルだったけど、それがまたよかった。
私にもあったかもしれないとも
思わせる、天国の様な時間
それはもう手に入らないからこそ、そう感じるのだろうな。
良い映画だった。ちゃんと夏の季節に観れてよかった。
映画館で鑑賞
どっしりと重い映画らしい作品
余白のある映画でみなまで語らないので好きに考えることが出来て思い思いの重さを感じて映画館から帰れる。
あと数日で31歳を迎える父親と11歳の娘の夏休みの思い出フィルムを31歳になった娘が観ている映画
お父さんとお母さんが一緒に暮らしてくれたらいいのにと思う娘
父親の不安定さと娘の不安定さが衝突したり、仲直りしたり、愛しい家族のかたち。
幸せな瞬間や切ない瞬間、初めてのキスや、バカンスに来てる17~18歳くらいのカップル達への憧れ
11歳の複雑で幸せな記憶のプールを泳ぐような、そんな映画
自分の人生と娘の人生
20代30代なんて、本当は自分個人の問題でもたいへんな時期なんですよ。
しかし多くの人はそんな時期に子供の親になる。
見る前は父の愛情を大人なった娘の視点からなぞり返し、お父さんありがとうみたいな結末に至る話だった嫌だな……と思っていたのですが、そこは非常にドライで、彼女もまた子供を持った地点にいることだけが示され、ベタベタした愛情物語にはなっていませんでした。
むしろ、自分の人生と娘の人生との間に置かれる父親を(彼自身の子供時代のトラウマも示唆されながら)、言葉で説明せずに、滲み出る情感を通じて描こうとする手法はたいへん素晴らしいと思いました。
「父娘はこうあるべき」ではなく、父も娘もそれぞれに個人であるという視点がしっかりあるんですね。
隠されたメインテーマについての解説!
この作品わからないから面白くないで終わらせるのがめちゃくちゃ勿体無いと思うのでこれから色々説明していきます、アフターサンは映画祭で賞を71も獲得してますが完全同意ですね!
静かで何も起こらず単にバカンスに行ったホームビデオを見るだけの映画だから つまらなくて面白く無くて低評価を付ける人がかなり多いのもめちゃくちゃ理解出来ます!(低評価になる理由は激しい出来事ゼロで色々な説明が全く無いから考察しないと何も無く終わるだけだし普通入れて来るであろう説明的なシーンや具体的な会話をワザと無くしてるので観る人によって解釈が相当変わるように計算されていてワザと大事な場面を抜きつつ考察で理解して二度目の鑑賞で完璧に辻褄が合うのでそこで驚くような構造になってます)
この映画実は1番重要な部分を隠しながら物語が進行して行きますから!
見ていて最初は何も起こらないし仕掛けに気づく訳もないし静かで眠いなあとか思ってたら途中から父親の様子がおかしい事に気づきバカンスの途中から大丈夫か?となって不穏な空気が立ち込めていき どういう事だ?ってなってからが面白いですね(実は伏線というか暗示するような場面は初めから色々仕掛けられているけど一回目の鑑賞ではわかるはずがないから2回目の鑑賞で発覚するように作られています)しかも2回目に見たら絶句するんですが最初の2分くらいでラスト付近の重要な部分をほぼ見せてます!
更に言うと初めて見た時は最初静かで眠いなくらいの感じでしたが 2回目に見て気づくんですが娘はそもそも母親に父の様子がオカシイから見ておいてって言われているとか いちいち全ての行動や言葉に意味があって(前半退屈だと思ってたシーンがマジで完璧に言葉一つ一つ全て意味があって暗示になっていて驚愕しました!)
2回目の鑑賞で全く見える部分があまりにも違いすぎて父は最初から不安定だったというのもわかります。
そもそも何故腕を怪我してるのか?(腕にケガをした記憶が無いみたいな話をしていて海に行った後も肩にケガをしていて記憶に無いと言ってたので情緒不安定な時に何かやらかしてるのがわかる)
何故太極拳をしてるのか(精神の安定を図るためとバカンスの間は何回か死のうとしているがソフィの為に死なないように頑張ってた) あと娘にお金無いんでしょって言われて沈黙したりしてるのに 何故高級な絨毯をお金が無いのに必死に買ってあげようとするのかとか(形見)
ベランダで手すりの上に何故居たのか(これも普通にベランダで景色の眺める為に上に乗るはずが無いし死のうとしてるけどそれを普通にスルーする確率が高いシーン)何故いきなり鏡にツバを吐いたのか(ソフィが楽しい事の後に落ち込むよねぇって話を聞いたあとに自分が正にその状態だから自分が許せなくて自分が写ってる鏡にツバをはいた)別れた妻に何故愛してると言ったのか?(ソフィもなんで別れたのに愛してるって言うのって質問しているが最後の会話になると自分で思っていて言っている)何故夜に海に行ったのか?(あれが自殺未遂だったって気づかない人も多いと思うし度々死のうとしていて最初のほうでバスが走って来てるのに普通に歩いて行ってそのせいで惹かれかけていてここの時点で惹かれて死んでもいいと思っているのがわかるしその直後にバイクのゲームでゲームオーバーという文字を写して暗示している)更にはバカンスが終わりそうになるほど父親が娘には普通にしてるけどかなりおかしいぞ!ってなっていきますし娘もまだ幼いしよくわからんからなんか父が変だけど・・・くらいなのも絶妙なんですよね(だからこそ31歳になったソフィが自殺した父親との最後のバカンスの時の映像を見ながら気づくという内容に上手くなっている)
カラオケのシーンもソフィが歌う歌の歌詞(父親の心情を言っている)もかなり重要で二回目の鑑賞でやっと気づきました!
バカンスの最終日の夜に向かって進行していきながらのクライマックスのダンスで途中途中に散りばめていたフラッシュバックしてる映像と繋がるダンスフロアのシーン(映画の最初から途中途中で入り込むダンスフロアの映像は最初は小さい頃のソフィだがすぐに成長した今のソフィの映像になるんですが実際のクライマックスのダンスフロアのシーンは11歳の時です!父親と大きくなったソフィがダンスフロアで抱き合える訳が無いので、あれはソフィが大人になって父の事を理解してきているのを表していて最後は完全に理解できたのを抱き合う場面で表していると読み取れます!しかもダンスフロアの31歳のソフィは楽しい場所のはずなのに真顔でめちゃくちゃ険しい顔をしていて瞬きしながら観てる時点でフラッシュしてる映像なので見逃す可能性が高いですよ!最後空港のドアの向こうがダンスフロアなのを考えても現実世界では無いし確実に父親が死んだ事を暗示していてますがドアの向こうがフラッシュしているのを気づいて居ない人がかなり居まして超重要な部分なのに見逃しがちなポイント!)名シーンですね!(しかもラストダンスのシーンの涙腺崩壊させる瞬発力の異常な高さは驚異的!)
更に言うと 父親が娘に将来の事を聞くんだけど父親は死ぬつもりだからあの会話での未来の娘を見る可能性が無いと思うとめちゃくちゃキツイシーンなのに自殺しそうな父親って事に気づいて居ないと単なる会話なので
2回目見た時のほうがダメージ受けます!
結局父親が鬱病で自殺に追い込まれる寸前の状態でバカンスを娘と行ってるっていうテーマを隠しているので 実際それに気づかないで終わる人もかなりいるとはおもいますがそれがわかるとこれは遺言だとか護身術を真剣に教えたりしてる意味を考えるといちいち悲しいんだよなあ!
娘の年齢の設定が絶妙であれより年齢が低いと単に父親が世話するだけの作品になるし娘が15歳とかだったら思春期に突入していて父親と旅行行くどころか父親と一緒なんて恥ずかしいし気持ち悪いからあっち行ってって年齢だしよく考えられてると思いました。
更にいうと娘もビデオの映像は今まで一切見てなくて
父親の誕生日の日に父親と同じ年になってやっと意を決して見たというのも語られて居ないけどわかりますね、
最後に父親が形見として買ってくれた絨毯をさりげなく娘が使っていたり 細かいところが良く出来ている繊細な映画ではあります。
ただ色々と深掘りするとめちゃくちゃ切なくて悲しい作品で、父親が死ぬ寸前の状態で最後の時間を娘と過ごしたっていう部分がセリフで全く言わないのに映像だけで語る手法って相当難しい事をやっていてますね、病んでる時に見るとかなり危険で相当ダメージ喰らいますよこれ。
最後のほうで 高いところに魅入られて遺跡かなんかの上に居たらソフィのサプライズでそこに居る人みんなにハッピーバースデーって祝われて そのあとのシーンで号泣してる背中を見せつつ ソフィ愛してるよ忘れないでって旅先から送る手紙が映るんですが ソフィに手紙が届く時には父はこの世に居ないので あのシーンはマジで泣けます(普通の映画だと父が死ぬシーンの後に娘がその事を知ってあの手紙が届いて読んで泣く場面いれてきます)
あと最期に娘を空港で見送ってドアの向こうに行くシーンですがこのシーンに行く前はビデオを見終わる、次に見終わって呆然としてるソフィがうつりながらカメラがゆっくりスクロールして空港のラストシーンになる流れが見事です。
この作品父が自殺するシーンも無いから病んでた事に気づかないどころか自殺してソフィと2度と会って無いの想像するしか無いからそれも分かった人には余韻になるような構造なので 理解出来るとベスト級作品になる確率高いと思います。
オチがわかってからの2回目の鑑賞で最初から父親の事がわかってる状態で映画を見れるので父親の心情がより深く読み取れますし脚本の作り込みが異常というか全て計算された演出なのが一回目で気づかないように仕組まれてるのが天才的です!
まあ監督の実体験と言う事で自分の過去の辛い体験を映像化している訳で 雇われ監督がそつなく作った作品とかでは無いのは納得ではありますね。
あと悪い言い方をさせてもらうと父が死ぬ直前の娘との最後の旅行に行く感動モノって部分を全面に押し出した予告にしてさあさあ泣いて下さいってやるのが定番の手口だと思うしタイトルもソフィ最後の旅行とか間抜けな日本タイトルにされなくて良かったです!
アフターサンて原題も日焼けみたいな言葉でヒリヒリするような感覚を味わう作品なのでナイスタイトルだと思います。
しかもその事を隠しつつ映像で表現するとか めちゃくちゃとんでもない事を成し遂げてる作品なのは間違いないですね。
一回見た時にわからないと言うのはこの作品は当然なのでここを見て色々わかった上でもう一回鑑賞するだけで全く違う部分が見えてくるので わからないからつまらないので低評価!終わりじゃなくて 2回目チャレンジしてほしいものです!
2回目の鑑賞でここまで印象の変わる作品も珍しいってのが他に類を見ない内容で パンフレットもめちゃくちゃ凝っていて思い出のアルバムみたいな作りでパンフレット見ただけで泣きそうになりますよ!
ちなみに1回目の鑑賞だと娘目線でよくわからんないなあって感じで見てるのが2回目だと父親目線で鑑賞するので観る目線が変わるので全く違う作品見てるくらい違いますよ!
これに関しては評価がハッキリわかれる作品ですしむしろ面白く無いって言う人の方が多いだろうし誰にでもお勧め出来ないけど父親の真意に気づいて鑑賞出来た人だと年間ベスト級の良作品だとおもいます。
類稀な作品
父親と同じ歳になった子を持つ娘が、当時のビデオテープを見て振り返る。ただそれだけの映画。
ストーリー展開なんてものも無ければ山場なんて無い。かつて父と過ごしたサマーバケーションの日々を思い出すだけ。なのにこんなにも心を揺さぶるとは…。
その多くはこの親子の演技が繊細で巧みさによって生まれている。
明確ではないものの、精神的な不安定さを感じさせる父親の言動や会話に滲み出る表情。その感情の機微を絶妙に演じているからこそ言葉の壁を超えて伝わってくる。
その消えてしまうんじゃないかと不安になるような陰が見え隠れする事で、娘とのバケーションの日々がより輝いて見えるし、尊く感じられる。
カメラワークも人物の表情に寄ったカットが多く、人物の内面に迫った見せ方もうまく心の移り変わりを引き出しているように思う。
「SOMEWHERE」にも似た登場人物の行間を読む作品。そして想像させるに最低限の情報だけが提示され、想像させる見せ方も絶妙。こういう映画は語り過ぎてはいけない。想像するからこそ感情が入る。感情が入るからこそ鑑賞後の余韻が胸を打つ。
こういう作品こそ映画の醍醐味!
分かりやすさが今まで以上に求められてそういう映画が多い現代だからこそ余計にインパクトを受けた。
この作品こそがロングランヒットを記録するような時代になってほしい。
正直、親父がキモいだけ
なんて言うと、お前は映画がわからないって言われそう。でも、まあ、あの泣いてるところは引きました。
刺さる人も多いようですが。
2回観ないとわからないって言われても、1,800円2時間2回は無理ですね。
ただ、ソフィは可愛かった。
何かしらの結末が欲しい私
11歳の思春期の娘と父が、ひなびたリゾートホテルで過ごすひと夏の物語。
二人の微妙な距離感やそれぞれの心情がリアルに描かれている。
「いい映画だった」とか書きたいけど…
何かしらの結末が欲しかったというのが正直なところ。
悲し過ぎるかも・・と思ったけど
なんでこんなに悲しい映画を・・・と、まず思って、監督の体験に基づいたものだったと知って、更に悲しくなって・・・
映画の中ではお父さんがどうなったのかは明示されないけど、楽しく過ごしているシーンでも、切な過ぎる・・
監督インタビューで、「悲しみと喜びは対極にあるが、同じコインの裏表のようなもの」(cinra net)と話していたけど、この映画の明るさは、かえって悲しみや絶望を際立たせる。生きるエネルギーを感じるような映画が、私は好みだけど、悲しみを描くものがあったって、いい、でもこの映画は弱ってる時には観れないかも。
ソフィがステージでLosing My Religion を歌うところ、お父さんが好きな歌!とリクエストして、カラオケなので歌詞が出ていてそれを見ながら、お父さんの内面を覗いてしまう、カラムもまた、思いもかけないところで、自分の内面の葛藤と対峙してしまう。ソフィはお父さんの不安を、薄々は気付いている。カラムが太極拳をしたり、必死に心の安定を求める姿が痛々しい。
カラムがこれからのことを語るシーンや、ソフィにこれからも色々なことを話して欲しいと言うシーン、未来へ希望を持とうとしていたり・・・
ソフィの無邪気な発言に、心を乱されてしまうカラム・・・それを父と同じ歳になって思い返しているソフィ・・・
ラストダンスで、レイブのシーン、ストロボの中、断片的に浮かび上がるカラムに、大人になったソフィが重なって、それは、お父さんの悲しみや葛藤を、同じように理解出来るようになったのか、それはソフィにとって、救いになるのか・・・
ダンサーインザダークを観たあとのように落ち込んでしまって、でも映画のことが頭から離れずに、監督インタビューを読んでいくうちに、「自伝ではなく、自分の父との関係のエッセンスを取り込んだ作品」(fansvoice)と話していて、そうだ、ほんとのことではなく映画なんだった、と、やっと目が覚めて、全部本当にあったことと錯覚してしまうほどリアルな悲しみだったから。
fansvoiceのインタビューによれば、カラムが1人のシーンは、現実にあったことではなく、大人になったソフィの想像で、海に入っていくシーンも想像ととることが出来る。
映画の中で、視点がシームレスに変わっていくところが面白い。大人になったソフィの視点が主なのだろうけど、実際にあったこと・想像の部分・誰の視点かわからないところ、とあって、記憶の再構築と、映画を構築していくこと、というのもまたシームレスに繋がっているようだった。
今まで観た悲しい映画の中で1番悲しく、心に残った。語り過ぎず、観客に委ね、でも細部まで丁寧に作り込まれていた。
ラスト数秒に全てが凝縮された、忘れがたい一作。
決して楽しい気分で観終えるような映画ではないので、全ての人におすすめできるわけではないのですが、それでも間違いなく、本作は今年これまで公開された作品の中でも屈指の作品です。
かつてトルコに親子旅行に行った時の父親と同じ年齢に達した娘が、その時撮影したビデオ映像を観返しながら、その時気がつかなかった父親の想いに気がついていく、という設定だけでも、どこか懐古的な雰囲気を感じさせるものがあります。実際に物語が進んでいくと、単に楽しい子ども時代の回想ではなく、予想以上に父親の抱えていた葛藤や精神的な病みに深く食い込んでいることが分かってきます。
陽気なホテル滞在の描写と父親に兆す陰、という乖離した状態は物語が進むごとに強まっていき、しかもそれとなく悲劇を予感させるような描写が散りばめられているため、非常に気分か落ち込んでいるといった状況で鑑賞してしまうと、父親の心情に入り込み過ぎてしまう恐れがあるほどです。素晴らしい映画を観た、という鑑賞感を得ることは間違いありませんが、鑑賞に際しての心の状態には慎重にあってほしいところです。それでも映像の視点や構図で精神的な奥底まで観客に示してみせる手法は、まさに映画ならではの語り口で、忘れがたい印象を残します。
結末近くに、ある名曲が流れてくるのですが、何度も聞いたメロディーや歌詞の捉え方が全く変わってしまうほど素晴らしい使い方でした。
そして結末、説明的な台詞を極力排除しているため、時として謎に思えていた作中の描写が、わずか数秒程度で全て繋がってしまう衝撃と美しさは圧倒的です。おそらく本作を観た方の多くは、この結末を今後も決して忘れないと思います。
父と娘の幸福なバカンスの裏にひそむ不穏な影。語り尽くさない「余白」の映画。
●『アフターサン』は「記憶」の映画だ。
最初はいまひとつ様子がわからない。
でも、観ているうちになんとなくつかめてくる。
11歳の娘と31歳のパパの、ひと夏のバカンス。
それを、20年後、パパと同い年になった娘が、
そのときに撮ったホームヴィデオを見返しながら
回想しているのがこの映画というわけだ。
幼い頃の記憶というのは、得てして感覚的で、断片的で、どこかしら「皮膚感覚」や「特定の視点」の記憶と結びついているものだ。
ソフィ(監督の分身)にとって、それは「肌にアフターサンオイルを塗ってくれた父の手の感覚」であり、「父と並んで見上げた空に浮かぶパラグライダー」であり、「ふと触れ合いそうになったバイクゲームの少年の脚」である。
幼少時の断片的な記憶を呼び起こす感覚を、監督は驚くほど生々しく再現してみせる。
切り取られた視覚。ふとした部屋の薄闇。目の前のドア。車窓に流れる街の明かり。
ふと怖さを感じた父の様子。いさかいの記憶。二人で息を合わせた太極拳。
そこには、常に「目」の記憶と「肌」の記憶が絡み合っている。
そして、もうひとつ重要なのが、「耳」の記憶だ。
●『アフターサン』は「音」の映画だ。
冒頭のハンディカメラの起動音から、朝さえずる鳥の声、プール際の喧騒、水音、潮騒、流れているBGM、オイルを容器から出す音などなど、とにかくありとあらゆる環境音、生活音を拾い続ける。「記憶」と結びついた「音」への異様なこだわりは、ひとつの本作独特の味わいとなっている。
「記憶」を呼び起こすというと、ふつうは「香り」と相場が決まっているのだが、この映画で「嗅覚」を思わせる描写はあまり出てこない。かわりに、
何かをやっていて聴こえてきた「音」(聴覚)
何かに触られて感じた「皮膚感覚」(触覚)
低め(ソフィー)の視点から見た「印象的光景」(視覚)
が、偏執狂的なこだわりをもっててんこ盛りで和えられている。
●『アフターサン』は「気配」の映画だ。
この映画で描かれるのは、有り体にいえば11歳の娘と31歳(にしてはえらく若く見える)パパとのトルコでのバカンスの様子、ただそれだけである。
父娘のたわいのない一日が繰り返される。
父は娘を優しく気遣い、娘も自然体で父親になつく。
自然すぎるほどに。仲良すぎるくらいに。
多少つくりものめいた、極端なまでの「関係の良好さ」。
そのうち観客は、彼らはただのんべんだらりと夏休みを過ごしているわけではないらしいことに、なんとなく気づく。
仲良し親娘の楽しいバカンスには、どこかしら「張り詰めた」気配があり、「差し迫った」何かに追い立てられるような空気がまとわりついているのだ。
最初はそれは単純に、離婚家庭の、普段は会わない父と娘で、それぞれがお互いに気を遣いあって、殊更陽気にふるまっているからそう感じるのかとも思う。
要するに、滅多に会えない二人はなんとかこのひと夏をかけがえのない思い出にするべく、必死で「最高のバカンス」を「演出」しようとしているのだ。
ところが、何度か挿入される現在の31歳になったソフィの陰鬱な様子や、父親の示すちょっとドキっとするような衝動的な行動や、「ほのめかし」を秘めた謎のショットを観ているうちに、この映画には、それだけではとどまらない「不穏さの原因」がどこかに用意されているらしいことが、うすうす感じられてくる。
この監督は、こういったあるかないかのような「気配」を漂わせるのが、本当にうまい。
●『アフターサン』は「予感」の映画だ。
明るく楽しい父娘のバカンス描写に、うっすらと差す「影」。
今に何かが起こる、今にカタストロフが来る、という「負の予感」。
この映画の「サスペンス」は、その瞬間を待ち構える観客の心の持ちようそのものに由来する。
通常の映画なら、この「不穏さの原因」には「種明かし」が用意される。
ところが、本作ではいつまでたってもその瞬間が訪れない。
「今に幸せを覆す何かが起きるぞ」「そのうち何らかの秘密の暴露があるぞ」
観客は宙ぶらりんの不安な気持ちのまま、陽光降り注ぐトルコの、喧噪にあふれたリゾートホテルでの、愛情豊かな父親と物分かりのよい娘の「仲良しごっこ」を見続けることになる。
で、結局どうなるのか。
じつは、どうもならないのだ。
二人のバカンスは、多少の行き違いはあっても翌日にはすぐに歩み寄りと和解があって、無事に最終日を迎え、二人は「愛してる」と言葉を交わし、娘はスコットランドに住む母のもとに帰っていく。
それだけだ。それだけなのだ。
父と娘の「最高のバカンス」を演出するというひと夏の冒険は「成功裡に終わる」。
二人はなんと、「不穏な予感」から、映画内時間においては「逃げ切った」のだ。
では、一件落着なのか?
そうではない。そうではないから、観客は映画が終わって自問する。
なぜなら「不穏な予感」は間違いなくあったから。
決して報われない何かが起きないと、この映画は終われないから。
要するに、「不穏な予感」はバカンスの「外」に持ち越されたのだ。
永遠にわれわれには確認のしようのない、オフスクリーンの時空へ。
この宙ぶらりんの感覚。それこそが本作の与えようとしている真の「サスペンス」だ。
― ― ― ―
敢えて「答え合わせ」の用意されていない映画に、敢えて「答え合わせ」を試みることに、どれくらいの意味があるかはわからない。
でも人間は、基本的に「謎を謎のままでおけない」性分の生き物だ。
だからこそ人間は進化してきたし、だからこそあれだけ2サスや探偵ものが人気なのだ。
やはり、この映画のような終わり方をされると、結局「何が不穏だったのか」、観終わったあともずっと考えてしまう。
ギプスで固定されたぽっきり折れた腕。
気付かないうちに肩にできているあざ。
いらいらとベランダで煙草を喫う様子。
やけに押し付けがましい護身術指導。
ふと見せるほの暗く懊悩を秘めた表情。
突発的な衝動で夜の街を徘徊する様子。
事故寸前の飛び出し。夜の海への投身。
父親の様子がどこかおかしいのは、間違いない。
表面上とりつくろって、優しいパパを必死で演じ続けているが、彼は何か暗いものをうちに抱えてずっと苦しんでいる。
娘に金の心配をされるシーンを観ると、仕事もうまくいっていないのかもしれない。
彼の場合、ただ悩んでいるだけではない。
あせっている。
あんなに護身術を必死に伝えようとするのは「今しかそれを伝える時がない」からだ。
さらに言えば「このあと彼には娘を守ってやることができない」からだ。
だから彼は「最後のダンス」に娘を誘うのだ。
彼には、残された時間があまりないから。
父親が、現代の時点で「すでに亡くなっている」ことも、ほぼ間違いないだろう。
ホームビデオを眺める31歳のソフィの顔は、どこまでも沈鬱で、暗い。
それは懐かしむ顔ではない。悼む顔だ。
そもそもこのビデオが手元にあるのは、父親がもういないからだ。
おそらく、これは二人が過ごした最後のバカンスだ。
このあと、オフスクリーンで「不穏な予感」は実現される。
二人だけのバカンスのあと、きっと何かが起きた。悲しい何かが。
だからこの旅の記録は、ソフィにとってかけがえのない大切な思いでであると同時に、重くのしかかる呪いでもある。彼女は抱えきれないほどの「なぜ?」を抱えて大人になった。そうして、旅の記録でもあり心の負債でもあるホームヴィデオを見返すのだ。
なぜ、自分は父を喪うことになったのか。
あのとき自分に見せた最高のほほえみは噓だったのか。
その明確な答えは、彼女にも、われわれ観客にも用意されていない。
ただ、なんとなく推測することはできるかもしれない。
この映画には、いくつかの「ほのめかし」がある。
たとえば、成長したヒロインのソフィには「同性の恋人がいる」こと。
元妻のことも娘のことも愛しているようなのに、離婚して離れて暮らす父親。
ホテルでソフィが見かける、男どうしで貪るようにキスを交わす二人組のショット。
かかる曲がクイーン&デヴィッド・ボウイだったり、R.E.Mだったり(ヴォーカルのマイケル・スタイプもカミングアウト・ゲイである)。
夜の遠浅の海にカラムが飛び込んでいくシーンは、ロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』を強く想起させるが、あのとき同じような夜の海に入っていった作家(ヘミングウェイが元ネタ)はそのまま死んでしまった。彼は覚悟の自殺だった。で、ヘミングウェイもまたバイセクシャルであった可能性が今もって指摘されている。
父親がセクシャリティの問題を抱えていたとするのは、いたって自然な考察だと思う。
もちろん、いろいろな可能性は考えられる。
単にゲイであるだけでなく、すでに免疫系の死病を患っていて先が長くなかった可能性(折れやすい腕、身体のあざ)もある。
逆に、そこまで深刻な話ではなかった可能性だってある。
そこに明快な回答を与えないことがシャーロット・ウェルズ監督の意図であるなら、われわれもまた、そのまま受け止めるしかないだろう。
トルコの陽光のもと、若い父親と11歳の少女が過ごしたひと夏の幸せなバカンスのかけがえのない記録を至近距離から追体験し、行間から漂う不穏な予感を感じるままに受け止めているだけで、この映画はもう十分なのかもしれない。
『アフターサン』は、寸止めの映画だ。
「あわい」の映画といってもいいかもしれない。
語り尽くさないことに、積極的な意味を見出している。
かつて美術史の学生だったころ、中国・宋代の水墨を観て、描き切らないことの心の強さを知った。あと少し濃く描けば安心なところを、ぎりぎりの淡さで墨をひく勇気。
そう、それは間違いなく勇気だ。
伝わらないリスクを背負って立つ、勇気だ。
シャーロット・ウェルズ監督は、その「勇気」をもって、映画に余白と余韻を残した。
この映画にちゃんとした「オチ」(父の死、父のセクシャリティ、父の本意)が用意されていたら、それはそれで観客もだいぶとすっきりしたかもしれない。
だが、ラストの余韻やもやもやした感じ、自ら映画を反芻して咀嚼したくなるような衝動は、ずいぶんと薄まったことだろう。
比較的薄っぺらなLGBTQ映画として、印象は軽くなっただろう。
だから敢えて、ウェルズ監督はリスクを取った。
これはこれで正しい方法論だし、物語の真相にピントを合わせ過ぎず、ぼやかし過ぎもしない絶妙の「とらえにくさ」を、きちんと意図通り演出できていると思う。
僕自身は泣けたとか、感動したといった感覚は残念ながら共有できなかったが、こだわりと良識のある映画で、じゅうぶんに観た甲斐はあった。
まあ、予備知識なしで観に行って、どちらかというとセルジュ・ゲンズブールみたいな真正変態パパが実の娘に欲情しながらサンオイルを塗りまくるような映画を内心期待していたから、当てが外れたというのもある(笑)。
なお、最初20:30から有楽町で観ようと思ったら、僕の前でまさかの「満席」!
仕方なく渋谷に回って21:10からの回を観た(こちらは半分くらいの入り)。
けっこう人気あるんだなあ。さすがA24が北米配給権を取得しただけのことはある。
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