「すれ違いの愛情。思い出に囚われる。」aftersun アフターサン コレッキャ・ナイデスさんの映画レビュー(感想・評価)
すれ違いの愛情。思い出に囚われる。
離婚によって別々に暮らす父と娘が、最後のバカンスを過ごした夏。
そして20年後、父の遺したビデオを見返しながら、娘が父の心の内を探ろうとする――そんな静かな余韻に満ちたヒューマンドラマです。
映像はほとんどホームビデオそのもので、父:カラムは親というより“兄のような距離感”でソフィに接しています。後半、娘:ソフィが男の子とデートした際にカラムが激しく動揺する場面があり、彼が抱えていた思いを示唆するようにも感じられます。
完全に憶測となるのですが、カラムの危うい精神状態からみて、恐らく自殺したのでしょう。また、その理由としては、ソフィに対する近すぎる距離感と不安定な情緒と照らし合わせると、カラムはソフィに対し、女性としての恋愛感情を抱えていたのではないかと、想像させられました。
とはいえ、ビデオの中でソフィが終始穏やかに過ごしていることから、カラムはその思いを決して表に出さず、ただ優しく寄り添う親として接していたことも分かります。
ソフィが訃報に触れたとき激しく泣くシーンからも、ソフィはカラムに確かな愛情を受けていた事が伝わりました。
直接的な説明を排し、ビデオを通して、"恋愛感情と愛情を同居させている”というカラムの複雑な感情を描写している事が、本作の最も美しい部分でした。
ラストシーンでは、ソフィが最後の縁であるビデオを眺めながら、父の想いを必死に辿ろうとします。
カメラが「ビデオ → ソフィ → カラム」とゆっくり回転して映すことで、
・ソフィの中では、父はいつまでも“ビデオの中の20年前の姿”に固定されている
・ソフィ自身もまた、その思い出に囚われ、前に進むことができずにいる
という構造が、言葉に頼らず見事に表現されていました。
Oliver Coatesの物悲しいスコアが、この痛切なラストをさらに引き立てます。
ドキュメンタリー的手法ゆえ、ビデオ映像は編集のない冗長な形で映し出され、多くの場面は淡々としています。しかし、その“冗長さ”自体が、ソフィとカラムの間にある、”すれ違っていても、お互いに想い合っている”という作品全体を貫く描写がなされています。
他では味わえない、極めて繊細で個人的な映画体験でした。
異なる形ではあれど、互いに愛があったからこそ、その思い出から解放されない――その切なさが心に深く残る作品です。
