「「お金がないのにそういうこというのやめて」」aftersun アフターサン いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「お金がないのにそういうこというのやめて」
娘から父親からのかなり厳しい受け答えである 今作は監督の極々私的な作品であることを想像させるのは、自身の小さい頃、又は監督の父親のその時の両写真が、俳優とソックリであることを観賞後の考察サイトで確認したからである なのでその後の父親はどうなっているのかの状況も確認出来るかも知れないが、敢えてそこまでは知らないでおくこととする
とにかくミニマルなストーリー展開であり、単に離婚で家を出て行った父親とトルコのリゾートビーチでの観光旅行に来た娘の滞在中の出来事を淡々と描く内容である そして父親や娘が撮影する家庭用minidvカメラの映像が印象深く差込まれる そしてその映像を時代を経て当時の父親と同じ年齢(と思われる)になった娘が振り返りながら観賞しているという、懐かしむというには意味が違っている印象の表現を全面を通して進む構成なのだ
実は、今作品の前に幾つか考察サイトを読んでしまった 普段は決してそんな勿体ないことをしないのだが、予告のティーザームービーだけだと、一体この作品は何がテーマなのか読み取れなかったというのが真相である
なので、父親の死の匂いや、希死念慮、鬱的症状等は、先に情報を得てしまったが為に、ミスリードかもしれないと思う程の先入観、フィルターを作り出してしまった 何も情報がなければ、自分はこの若い父親の危うさに気付けたのだろうか?、そもそも単に精神的に弱っている(仕事が無い状態は誰だって参っている)事を気付けてもそれがストーリーの推進力成り得る程の展開があるのだろうかと、不穏さを漂わせる映像をまんじりともせず観賞していたかもしれない観方が正解なのかも知れないと、今でも迷っている
若い父親と思春期に差掛かっている娘 一般的にはその思春期特有の親離れを発動すべきなのだが、どうも娘は父親にそれ程邪険に思わないばかりか、兄妹と間違われる程の若い父親ということを気に入っている様子である と同時にリゾートホテルで知り合う青年達のバカンスの恋愛模様にときめきを感じつつ自分の幼さに不満を抱くというアンバランスさも女の子特有の思春期アルアルであろう
とはいえ、メランコリックさとサッドネスが始終挟み込まれる雰囲気に、当時の娘は気付かなかった筈 親子ならではの遠慮無い言葉に、実は傷つく父親 娘も又裕福では無い事への辛さ、その全てがリゾートという経済格差社会としては勝ち組のみが訪れることを許される世界の中で、かき集めたなけなしの金をそこにベットした父親の最後の子供への養育と愛情なのだというのは、勿論情報が分っていての事だが、しかし厳しい現実に対する容赦ない描き方は、観客に一抹の寂しさを与える
カラオケの歌は歌えない しかし、ダンスは踊ろうと誘う 勿論、娘視点では父親の我儘、しかし、そこには父親の心の変遷があったことは、背中越しの嗚咽に充分確認出来る 勿論娘は知らないところで・・・
そしてラスト、撮影を終えた父親は、ストロボが光り続けるあの野外ダンス会場に消えるシーンは、今作品の一番の白眉である 今迄のリアリズムを、最後の幻想的なシーンでのクライマックスで、娘が父親の本当の置かれた立場とそれでも娘に尽くしてくれた優しさを噛みしめるのではないだろうか?
もう、この親子は再会することは叶わない、その予感を物語の全ての演出で、寂しさを表現した監督の手腕の確かさを感じた作品である
もし将来、邦画リメイクする企画が上がったら、是非追いかけたいと強く願う自分である その際は、大事な挿入歌は、日本の曲で 絶対に当てはまるピースは在る筈だ
今日2回目の鑑賞してきて分かったんですが
前半部分が恐ろしいくらい言葉に全てに意味があって死の暗示も多数ありましたね
しかも別物の作品かよって思うくらい印象かわりました
最初見た時の眠いなあとか全く無くなるくらい無駄の無い内容でした。
「アフターサン」へのレビューに関するコメント。大変ありがとうございました。
最近、「ウーマントーキング」やこの「アフターサン」など、地味なのにとても心に残る作品が続き、普段は短いレビューが多いのですが、つい饒舌に書いてしまっていました。でも、レビューで一番伝えたかったことが、きちんと伝わっていたようで、とてもうれしくなりました。ありがとうございました。
後になればなるほどじんわりと来る映画でした。
幸い、何も知らずに見れたので、その意味ではいぱねまさんより恵まれていたのかもしれません。
見終わった直後は、なんだかなあ、と思ったのですが、頭の中で反芻する「Under Pressure」を聞き(?)ながら、どんどんこの映画に囚われていっている感じです。
絨毯、そうですね^ ^
空をみあげながらの会話なども
自然な会話にそれぞれのおもいがのこり、よみがえるのでしょうね。
気がつけば、自分の昔をも少し振り返り懐かしい想いに駆られる作品でした。
返信ありがとうございました。
父は自分のできるかぎりをつくし娘との思い出をつくった。その正解を最後に決定できただろうか。
もしそれができず消滅してしまったのだとしても、ソフィがこうしてビデオを見返し、父の愛情を感じることは父への救いになる。そしてソフィは自分のそのときの過去へ正解を出せるだろう。…いぱねまさんのコメント欄を読みそんな風に感じています。
あと、今作品に性的マイノリティのテーマは落とし込んでいないと感じる
もし無理矢理こじつけるとすれば、当たり前の様に性的指向性は社会に溶け込んでいて、わざわざ題材にすべき重大な問題ではないという、これが通常運転といわんばかりの自信を映画に落とし込んでいることなのだろう 憧れのお姉さんが腕にはめている黄色いフリードリンクリンク それは経済的にもビジュアル的にも今迄生きてきた世界とは掛離れた存在であったろう 思春期の娘は否応なしに気付かされる これがリアルなのだと・・・
オープンエンディングどころか、解釈への快楽、そして物語を自分事として再構築したい願望が或る人は、この余白、行間こそが映画なのだと思うのではないだろうか?
監督がインタビューに答えている
『「よく分らないと感じる人がいてもいい」と口にするのを快く思わない人も当然います しかしこの映画はおそらくそのような人々のためではなく、「行間を読む」ことや明確な回答が用意されていない、寧ろ観る前よりも多くの疑問を抱えたまま観終わることを楽しむような人達の為にあると思っています』
今作品の行間は私なりに推測するに、経済問題と責任感がテーマなのだと思う
父親はまだまだ30代前半、幾らでも仕事をみつけることが可能だろうと勘ぐる人は、如何に自身の経験に於いて、上手く乗り切った成功者なのであろう 勿論、努力も人一倍しただろうし、才覚やギフト(天賦)、そして何よりタイミングが神がかりだったのかもしれない 要は、人というのはそのたった一つの自身の過去にしか正解を決定することができないのだ そして、ずっと不正解(不安定な家計)だった人は、何が正解なのか分らずに自分に対して自信を無くしていき、そしていつしかこの世からの消滅という悪魔に囚われる まぁ、別に消えたってそもそも経済的に産み出せない私はこの社会では不必要なのだろうけど・・・