「法手続きへの等閑」ヤジと民主主義 劇場拡大版 LSさんの映画レビュー(感想・評価)
法手続きへの等閑
与党総裁の街頭演説の場でヤジを叫んで警察に排除され、司法に訴えた(刑事は不起訴、民事は裁判継続中)2人の青年に焦点をあてるドキュメンタリー。
「リアリティ」の直後に観たので(レビュー参照)、ことさらに道警のアンプロフェッショナルさが際立って感じられ、とても残念だった。
警察は、声援や応援プラカードの主はそのままに、ヤジの発声者や政策批判的なプラカードを掲げる者だけを強制的に移動させる。その法的根拠を問われても警官たちは答えない(根拠がないからはぐらかそうとしているように見えた)。それでいて、その行動は多くの市民やメディアのカメラの前で公然と行われており(その映像のおかげで裁判やこの映画が成り立っている)、警察がそれを問題だと思っていなかったのは明らかだろう。
そこからは、法に基づく表現や行動の自由といった国民の権利を擁護しながら職務を執行しなければならないという考え方の欠如、逆に職務遂行に必要な範囲で法を都合よく解釈・運用する姿勢が強くうかがえる。それで法治国家といえるのだろうか。
作中でも述べられているが、原告の2人が裁判に訴えた理由の本質は、自分の意見が聞き入れられないことへの不満ではなく、公権力が恣意的に意見表明の機会を奪えることへの異議申し立てである。自由で民主的な社会のために、社会の構成員たる私たちを代表して闘ってくれている(あるいは、その役割を背負わされている)のだといえる。ヤジの内容に共感するかとは関係なく、そのことに深く感謝したい。
映画の立ち位置は明確に原告寄り。制作者のHBC(北海道放送)は地元の主要マスコミとして、言論の自由(と権力による抑圧)の観点を重視しつつ、原告の2人がそれぞれ社会的セーフティネットに関わっていることから、生活の現場と中央政治とのギャップにも光を当てている。
いつもはドキュメンタリーの意図とバイアスを気にしているが、本作においては実際の記録映像があまりにもアレで(ついつい「はぁ?」とか口に出ていた)、どう頑張っても警察側を擁護はできなかった。
付記:道警本部長が現場の判断だと言い続ける一方で、同様の排除事案が他県警管下でも起こっていたことから、中央(警察庁)からの警備指示について情報公開請求されたが、開示結果は全て黒塗りだった。元首相秘書官が警察庁長官となり、政権批判を遠ざけるような警備指示を出していたのではないかという劇中での仮説は証明されていない。