「時間は誰にでも平等に流れている筈なのに」パスト ライブス 再会 La Stradaさんの映画レビュー(感想・評価)
時間は誰にでも平等に流れている筈なのに
12歳の時ソウルで淡い恋心を抱き合ったまま別れた二人が36歳になってニューヨークで再会するお話です。それだけを聴くと在り来たりのメロドラマの様ですが、誰もが心の何処かに抱いている「もしあの時、違った決断をしていたら」を静かに見つめる非常に上質な物語でした。
女性のノラは既に心優しいアメリカ人男性と結婚しており、夫も妻が幼馴染と会う事に理解を示しています・・いや、もしかしたら理解を示す振りをしています。そうした微妙な緊張感が漲る三人の間には、特別劇的な事は起きないのですが、言葉のないまま交わされる表情や無言の間(ま)に溢れる様な思いが語られ尽くします。
タイトル「パスト・ライブス」は「過去の人生」の事ではなく東洋的な「前世」の事で、本作中では「縁」を意味する「イニョン」という韓国語(朝鮮語)が度々登場します。しかし、この映画は「前世の縁」ではなく、僕には「時間」の物語である様に映りました。
僕はしばしば感じます。時間は誰にでも平等に流れている筈なのに、自分の周りだけゆっくり、又は足早に、はたまた歪んで流れていると感じるのは何故なのでしょう。時間はいつも素知らぬ顔で僕の傍を歩き去り、気づいた時には遠い後ろ姿です。本作中の三人の心の中に流れる時間もそれぞれに熱くうねっています。その熱量は、マンハッタン計画の爆発より僕には強く感じられました。
終盤、男女二人がタクシーを待つ間の静かな映像は、「何かしゃべるのか、何か起きるのか、何か行動を起こすのか」の観る者のドキドキを喚起する濃密な時間でした。これこそ、「作中の人物と同じ時間を体験する」という、映画の「時間芸術性」を遺憾なく発揮した瞬間です。
わたくし、絶賛の一作であります。
韓国からカナダ留学を経てアメリカで作家になる。監督の実話らしいがいかにも設定が安っぽい。それより監督自身がこの映画の下敷きになっていると打ち明けたピーターチャンの『ラブソング』と比較する人も多いはず。香港で暮らす恋人同士が別れてからどうしてアメリカに渡ったのか、どこで働き何を食べ何に喜び何に悲しんだのかが実にいきいきと躍動感を持って描かれている。何よりアメリカ行きの“必然性”がある。パスト…は生活感が全く無い気取ったカップルの心模様が舞台劇のように進行するだけだ。まぁしかしそれが良いという向きもあってのアカデミー賞脚本賞ノミネートなのだろう。