ザ・キラーのレビュー・感想・評価
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仕事をミスった凄腕ではない(?)殺し屋の顛末。これはこれで有りと思う。冒頭、サッサと撃てよと思った。
映画で元CIAや元傭兵とかプロの訓練を受けた無敵で強すぎる暗殺者ばかり見てるから、なんてヘッポコなんだと思ったが、実際はこんなものかもしれない。とはいえ暗殺者の知り合いもいないからホントの実状は不明だ。
まあ、これはこれで、実録・ザ暗殺者みたいで有りだと思う。
きっと主人公も綿棒みたいな女も射撃の腕ががいいだけで、金ほしさに仕事をやってるだけなんだろう思う。格闘技も弱いし。
ホームセンターやレストランにいる普通のオジサンやオバハンの中に暗殺者がいる。
しかし、イコライザーだのジョンウィックだのオペレーション・フォーチュンだの有り得ん強さの主人公の映画のほうが見終わってスッキリストレス解消する。
◆冒頭でサッサと撃てよと思った
やっと現れたターゲットが何度も照準器に入って絶好のチャンスなのになかなか撃たない。見ていてイライラする。なんか自分の仕事に対する心構えみたいのをずっとブツブツ言ってる。しかも同じことを何度も繰り返していて、聞いてるほうはいい加減飽きてくる。能書きはいいからサッサと撃てよと思うが、なんか心拍数が下がるまで撃たないとかいうマイルールが有るらしくてなかなか撃たない。心拍数高くてもワンチャンで決めるのが一流だろとか思うが、仕事さえキチンとこなせば文句はない。
だが、そうこうするうちにターゲットの前にレオタードの子がウロチョロしだして射線を遮ぎりだした。ターゲットがレオタール嬢で見え隠れしてよくても半分ぐらいしか見えない。ちょっと狭すぎないかと思っていたら、案の定引き金を引いた瞬間にレオタール嬢が横に動いて暗殺失敗。早く撃たないからこうなるんだよ。すぐに2発目でターゲットを 仕留めるのかと思ったらあわてて逃げ出した。逃走ルートもあらかじめ決めてあって余裕で逃走するのかと思ったらパトカーに追われる始末。失敗したことを依頼人に報告するとき事故が起きたとか言ってたが、これは事故で失敗したのではない。お前がヘボで腕が悪くて失敗したのだと思った。
・裏窓的な引用からの、闇と光の恍惚なバランス。計算され尽くした映像...
・裏窓的な引用からの、闇と光の恍惚なバランス。計算され尽くした映像美で色気すらある。
・最初の銃撃シーン、標的→自分→標的→自分の、カットの切り替えあまりに多く、散漫になる。モノローグもうるさい。
・モノローグも同じセリフの繰り返し。極端に状況や背景説明削ぎ落とされているので、イマイチ感情が乗らない。
・せっかくのアクションシーンも暗くてようわからん
・せっかくのティルダがあっさり退場で、もっと贅沢に使って欲しかった。世界観すごい良かったのに。
アンドロイドのようなファスベンダー
リドリー・スコットの「プロメテウス」のイメージが強過ぎるマイケル・ファスベンダーには打って付けの作品だと感じた。無表情で冷徹なイメージが何故かしっくりくるのだ。冒頭からモノローグが凄い上にうんちくも多く、自らに架せた行動倫理というか、経験による教訓とでもいうか、とにかく語り過ぎる殺し屋だが、しくじりを切っ掛けに寡黙になり、自らのしくじりに対するペナルティーが逆ギレとなって、きっちりとケジメ付けて行く何だか都合が良過ぎるマヌケでもあり、緻密でもあるヘンテコな殺し屋の静かなる復讐譚である。ストーリー的には強引な展開だが、面白く上手くまとめてある。自分勝手だが、怒らすと半端ではないスキルを駆使して、相手を追い詰めて行くのが中々の見ものであった。ある意味ハードボイルドなコメディ作品だとも言えるマイケル・ファスベンダーの魅力を全面に出した作品である。
フィンチャーの仕事の流儀
男は、プロの殺し屋。
完璧主義。“仕事”の後は全ての痕跡を消す。自分の匂いさえも。
冷静沈着。人との接触も最低限ナシ。
自分に課したルールは、計画通りにやれ。予測しろ。即興はよせ。誰も信じるな。対価に見合う戦いだけに挑め。やるべき事をやる。確実にこなす。
絶好のタイミングまで何日だって待つ。退屈に耐えられない人には、この仕事は向いていない。
そして遂に、“その時”が来た。
が…
まさかの失敗。おそらくこの男にとっては初めて。
すぐさま撤収。が、裏の世界のルールは厳しい。
ドミニカにある隠れ家が急襲。恋人が重体に。
男は、雇い主や依頼人に報復を誓う…。
プロット的にはありふれた犯罪劇。B級チックでもある。
『ジョン・ウィック』のような激しいアクションを期待しない方がいい。
唯一のアクション・シーンは中盤の報復相手一人の急襲。それもたかだか数分くらい。
非常に淡々と静か。開幕暫くは男の俺哲学的なナレーションが延々続く。
まさかの仕事失敗でようやく話が動くも、やはり大きな見せ場はナシ。ハラハラドキドキのスリルもいまいち盛り上がらない。
本当に人によっては退屈なだけ。もっとエンタメ性を!
それも分かるが、本作はそういう系統とは違う。
言うなれば、自分のスタイル、流儀。ちとニヒルさやナルシズムさがちらつくが、それがこの主人公、そして監督の体現。
ありふれた題材を、スタイリッシュでクールな映像、カメラワークや編集、音楽やザ・スミスの楽曲を用いたセンス。
犯罪サスペンスやフィルム・ノワールと言うより、ネオ・ノワールに。この鬼才の手に掛かれば。
デヴィッド・フィンチャー。
『Mank/マンク』に続いて再びNetflixと組んだ新作。
フィンチャー常連組の中、脚本を『セブン』以来となるアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが担当しているのも注目。
シリアスでクールに徹しているが、客観的に見ればコメディみたいな設定でもある。
あんなに完璧主義を謳ってたのに、失敗すんのかよ! 言わばこれは、“前フリ”だ。
で、ヤッベーどうする…?
失敗した自分が悪いんだけど、否を認めようとしない。だけど内心動揺。
男だけ始末すればいいものを、恋人に手を出してしまった“組織”も外道。そりゃ怒るわな。
徹底的に調べ上げて一人一人始末していく。淡々と静かだけど、報復相手に近付いていく様はなかなか面白味あり。さすがプロフェッショナル!…に見えて、実は意外と行き当たりばったりも多し。
何だか完璧と危ない橋の境をギリギリの所で渡っているかのよう。
それがフリーランスの殺し屋の生きる世界を表している。冷酷さも。
恋人を襲撃した男女殺し屋を乗せたタクシー運転手から情報を聞き出し、射殺。仕事を回す雇い主のオフィスに現れ、情報を聞き出して殺す。秘書からも情報を聞き出して殺す。雇い主はどうだか分からんが、タクシー運転手や秘書は善人。それを情けも容赦も慈悲もなく、無情に。
直接恋人を痛め付けた男女殺し屋に報復した後、やり残しが無いよう依頼人の前にも現れる…。
徹底的に、完璧に。それが自分に課したルール。
だけど報復の動機は恋人の為でもある。根は彼もまた感情のある人間…?
とにかくひたすらのクールさ、渋さ、焦燥感も滲ませ、最近目立った活躍ぶりが無かったマイケル・ファスベンダーにとって久々とも言える大きな“仕事”。
2時間ほぼ出ずっぱりのファスベンダー。キャストも少なく、ティルダ・スウィントンなんていい意味で贅沢な無駄遣い。
でも見てれば分かる。本作の本当の主役は、殺し屋の男でもファスベンダーでもない。
徹底した完璧主義。
自分に課したルール。
これはもうフィンチャー自身なのだ。
フィンチャーの毎度毎度のクオリティーの高い仕事ぶり。
その根底にあるのは普遍的なものでもある。
開幕の主人公のナレーションがすでに物語っている。
退屈に耐えられない人には、この映画は向いていない。
エンタメ性がどうのとか、芸術性がどうのとか、そんな事はどうでもいい。
自分の作りたいものを作る。挑戦的であっても。
フィンチャーの仕事の流儀。
ネトフリでみました
オススメで出てきたので前情報なしで視聴
え?!失敗するの?
とか
少し前に言ってたことと違う事やっちゃってる〜
とか
ツッコミ入れて笑いながら見たので、シュール系のコメディ映画だと思っていたのですが、後で宣伝用の煽り文句を見てみたらサスペンススリラーらしいです
しかも制作陣がそうそうたる面々で、こんなノリで見てよかったのか不安になってしまっているところ
殺風景な部屋でストイックにターゲットを待つ主人公
始まり方からして絶対に凄腕のレオンみたいな暗殺プロフェッショナルだな
と思ったら、さらっと任務失敗、、
ヤバいよヤバいよと言いながら(言ってない)原付で逃走する姿が実に滑稽だが証拠隠滅の手際はプロ
空港で犬や雰囲気ある一般人にビビりまくりつつも隠れ家に帰宅するが、そこでは恋人が組織の者に制裁なのか拷問なのかを受けた後で逃走者であった主人公キラーは一転して復讐の鬼に変貌
組織に対して報復をはじめる
ここから一流暗殺者のお手並みが見られるのかと思いきや、そうはいかない
ターゲットに向かう道中での台詞はいっちょまえなのだが実際のところその通りにはいかない
そんなドジっ子?なところに終始笑わされてしまった
具体的には、
・釘刺した弁護士が思ってたよりぜんぜん早く死ぬ
・その秘書のお願いをちゃんと聞いてあげちゃう人情派
・不測の事態続きの筋肉バカ暗殺者とは格闘戦になってしまって最後にはワンちゃんまで起きて来てしまう
・綿棒さんとは普通に会話し相手のペースで最後の晩餐に付き合わされウイスキーもいただいてしまう
などなど
最終的には相手を殺して目標を達成している訳だけど、冷徹なはずのキラーが人情味あり過ぎてほんと無理wって感じでした。面白すぎる
怖いけど何故か笑い要素を感じてしまって宣伝文句にあるような身も凍りつく恐怖は私は感じなかった
ただ、その前情報を知らない私はシュールなコメディだと思ってみているので問題なく楽しめたのでした
画面のスタイリッシュな感じと音楽の緊迫感、俳優さんのガチな感じ、特に格闘時のガチ感は本気で殺し合ってる感じがあって素晴らしかったです
とにかく、他のみなさんがどのジャンルの映画として観賞したのかが今は気になっています
私個人としては、サスペンスやスリラー、サイコよりもコメディ映画としてのジャンル分けがしっくりきました
There Is A Light That Never Goes Out. ちょうど良い午後ロー感、過度な期待は禁物。
任務に失敗した代償として恋人を暴行された殺し屋が、それに関わった者たちへ復讐する様を描いたサスペンス・ノワール。
監督は『セブン』『ゴーン・ガール』の、巨匠デヴィッド・フィンチャー。
主人公の殺し屋”ザ・キラー”を演じるのは『X-MEN』シリーズや『それでも夜は明ける』の、名優マイケル・ファスベンダー。
女アサシン”ザ・エキスパート”を演じるのは『ナルニア国物語』シリーズや「MCU」シリーズの、レジェンド女優ティルダ・スウィントン。
鑑賞後、脚本家について調べてみて驚いた。アンドリュー・ケビン・ウォーカーって、これ『セブン』(1995)の脚本家が書いてるのかよ!?なんで『セブン』ほどの大作を書いた人がこんなショボい作品を…。
なんて思ったんだけど、よく考えてみるとこの人、フィンチャーのフィルモグラフィーの中でおそらく最も人気のない、あの『パニック・ルーム』(2002)の脚本家でもあるんですよね。あー、それなら納得。
(追記:勘違いしてました!!💦『パニック・ルーム』の脚本家はウォーカーじゃなくてデヴィッド・コープ。ウォーカーはカメオ出演のみのようです。失礼いたしました🙇)
ちょっと悪態をついたけど、この映画全然嫌いじゃないです。殺し屋を主人公にしておきながら、こんなにちんまりした映画も今どき珍しい。半端ない午後ロー臭っ!
派手なアクションに頼らない正統派なノワール映画って感じが懐かしくもあり心地よい♪
本作の主人公、ザ・キラーはとっても無口。…なんだけど、とにかく心の声がうるさいっ!
冒頭から「待つのが嫌なら殺し屋には向いていない…」とか「俺は成功率10割だ…」とか一流ぶったことを脳内で呟いておきながら、おい失敗するのかよお前っ!?
本当にこいつが凄腕なの?と首を傾げたくなるようなスタートに、誰もがこの映画大丈夫なのかと不安になったことでしょう。
バキバキの映像美にダークかつアイロニカルな物語。尖った作風のせいで誤解されているが、実はフィンチャー監督作品にはコメディ要素が多い。
『ファイト・クラブ』(1999)の終盤では主演のエドワード・ノートンがずっとパンイチだし、『ドラゴン・タトゥーの女』(2011)では拷問シーンのBGMが何故かエンヤだし、『ゴーン・ガール』(2014)ではロザムンド・パイクが見事な顔芸を披露していた。
事程左様に、フィンチャーという監督はそのギャグセンスが尖りすぎているせいであまり気づいて貰えないが、緊張感のある映画でも必ずどこかにお笑いの要素を忍ばせる。
シリアスとコメディのギリギリを攻める監督であり、私は彼のそんな作家性が大好きなんですが、今回の冒頭シークエンスもまさにそれ。あのお間抜けでお粗末な展開は意図的に仕組んだギャグなんです。
それが確信に変わるのは中盤、”ザ・ブルート”という筋トレアサシンの根城に殴り込みに行った時。
ここでも主人公は「感情移入はするな…」とか「予測しろ、即興はするな…」とか、カッコいいことを脳内で独りごつんだけど、それにも拘らず敵に先制攻撃を許してしまう。おい、お前またミスるのかよっ!∑(゚Д゚)
まさかの天丼という高等お笑い技術を見せてくれるザ・キラー。これはもう確実にギャグとして描いているとしか思えない。
今回のフィンチャー監督は「ハードボイルド殺し屋映画」というジャンルを周到に描いているふりをして、実はそれを滑稽なものとしてパロディ化しているのです!
主人公が無口なのに対して敵はみんなおしゃべりだというのもこういうジャンルにありがちな描写。そのパターンを何度も繰り返すのも、彼流の戯れなのでしょう。ネタなのかマジなのかわかりづらっ!
だから「パリにはマクドナルドが1500店舗あって云々…」とか「死後には無辺の世界があるというが云々…」とか、そういう哲学的な独り言も衒学的なだけで意味はない。ただカッコいいことを喋る殺し屋というギャグやってるだけなんでしょう。
私も初めのうちは「この主人公は数字に拘る癖がある。つまりこれは彼が世界との繋がりを目に見えないアバウトなものではなく、数値という絶対的な物差しによって捉えているということに他ならない訳で…」なんて考えていましたが、観ていくうちにアホらしくなってそんなことは考えなくなりました。
難しいようで実は空っぽ。シリアスなようで実はコメディ。しかし、シリアスなところはちゃんとシリアスで殺し屋映画本来の怖さは損なわれていない。そういう変な、そして絶妙なバランス感覚がこの作品の魅力なのだと思います。
『ジョン・ウィック』シリーズや『ベイビーわるきゅーれ』など、昨今の殺し屋映画はアクション重視。そういうものを求めて本作を鑑賞すると、多分めちゃくちゃガッカリしてしまう事でしょう。アクションシーン一箇所しかないからね。しかも微妙に早送りしてスピード感を高めるというインチキをしてるし💦
でもまぁこういう殺し屋映画もね、たまにはいいじゃないですか。フィンチャーらしいクールでアーバンな映像美も堪能出来たし、個人的には満足です。100点満点中65点くらいな感じで、ちょうど良いぬるま湯加減でしたっ😆
ノーランやトム・クルーズが「映画は映画館で観るものですっ!」という姿勢を固辞しているのに対し、フィンチャーは「いや、別に配信でいいじゃん?何か問題ですか?」とでも言うかのようにNetflixと組んで仕事をしまくっている。
鬼のようにリテイクを繰り返す完璧主義者として知られているのに、上映方法に関しては無頓着。最近はドラマやアニメの方に興味が向いているっぽいし、この人ってどれだけキャリアを積み上げても、映画監督というよりも映像クリエイターって感じの位置に立ち続けているような気がする。
そういう変人かつ唯一無二なところも、フィンチャー監督の魅力なのです✨
ヘマした殺し屋の哲学
Netflixで鑑賞(Netflixオリジナル映画,吹替)。
ストーリー的には淡々としているし、アクションもほぼ無いから、観る人を選ぶかもしれません。個人的には、好き。
モノローグで披露する殺し屋哲学はカッコいいけれどヘマばかりしている印象で、「実はコメディー?」と思いました。
フィンチャー節が冴え渡る映像センスは見事でそれだけで充分見る価値があるし、不思議と引き込まれる映画でした。
期待したんやけど!
フィンチャー監督とファースベンダー
面白いと思った!
悪くはない!
謎解きの様な1人舞台。
しかし、あのミスは、凄腕?
アジトもバレてるし
タクシーの運ちゃんは、仕方ないかな?
弁護士の事務のおばちゃんも?
ほなら、ブルは?
焼くから?
ラストは、自己満足かな?
この作品をどう観るか?
伝説的な殺し屋ある依頼の失敗をした事により、どんどん人生の歯車が狂っていく。
全てが完璧で、自分の哲学に全うする男。
ただ、なぜそこで失敗したのか?
準備も万端にしてあった。
その後のフォローも抜かりない。
これは、失敗は、誰にでも起こりうる。
これだけの準備を重ねて、
これだけの地位や名声を持った達人でも起こりうる。
そいうメタファーのメッセージの作品だと解釈しました。
前半の凡ミスから殺し屋に家族をめちゃくちゃにされてからの反撃は、完璧なのにと思ってしまった。笑
ひとつひとつ丁寧にやるだけ。
他には、ない。
ただ、目の前の仕事をひとつひとつこなす事。
作品のバイオレンスやアクションシーンは、見応えがあります。
頭の中では、口数の多い殺し屋
何よりも《プライド》を傷つけられて、
自分の【実力】を見せつける殺し屋を描く。
上級顧客から依頼された暗殺に失敗した殺し屋
(マイケル・ファスベンダー)が、その結果として命の危険が及ぶ。
その相手を先回りして殺して行くストーリーです。
ファスベンダーは一匹狼の孤高の殺し屋。
過去に失敗は殆どなかった。
その自分がしくじった。
男にとって非常にプライドの傷付いた案件で、
そのプライドを取り戻すためにも、
また自分の身の安全のためにも、男は命懸けの戦いに挑む。
映画は殺し屋のモノローグをナレーションのようにして進みます。
殺し屋は哲学的な思考の持ち主。
第1章【暗殺】
《パリの高級アパルトマン》
ターゲットは年寄りの金持ち。
かなりの距離からスコープ付きライフルで照準を合わせる。
部屋には娼婦が呼ばれていて、引き金を弾いたその時、
女が動く・・・そして失敗。
第2章【隠れ家=ドミニカ共和国】
殺し屋が隠れ家に近付くとただならぬ様子。
鏡は割られ家が荒らされている。
男は病院へ向かう。
男の恋人が瀕死の重症で横たわる。
《命懸けで秘密を守った》
《クチを割らなかった》
恋人は告げる。
犯人を乗せたタクシーを見つけて、
殺し屋が男女2人組で、
女は金髪の綿棒のようなスタイル・・・と聞き出して、
罪もないタクシー・ドライバーを殺す。
第3章【ニューオリンズ】=元締めのホッジス弁護士。
この場面の殺しは熾烈で残酷。
ドミニカで恋人を酷い目に合わせた実行犯2名と、
パリの暗殺を依頼したクライアントの身元を知るため。
ホッジスの秘書の家に資料はあった。
またしても罪もない秘書が殺される。
《彼女の名言》
「身元不明の死体はイヤ・・・生命保険が家族に下りないから》
第4章【フロリダ】=実行犯1の男
この章は過激な殺しとアクションシーン。
第5章【ニューヨークの①】実行犯2=綿棒の女
綿棒の女を演じるのはティルダ・スウィントン。
高級バー&レストランで飲食中。
殺し屋のファスベンダーの殺意に気付いた
《綿棒の女の名言》
「こんなことなら毎食ハーゲンダッツを食べとくんだったわ」
第6章【ニューヨークの②】クライアント
いよいよ最終章
パリの殺人を依頼したクライアントはかなりのVIP
この映画最大のセキュリティ。
このクライアントの部屋にファスベンダーは侵入に成功。
顔を晒す危険を承知で会話する。
それは脅すため。
どんなに厳重なセキュリティでも
「俺は殺せるのだ!!」と見せつける為だった。
男の名言。
「金持ちを殺すと警察が騒ぐ」
モノローグの多い映画でした。
孤高の殺し屋のルーティンや、自分に暗示をかける数々の言葉。
スタイリッシュな映像と音楽。
ファスベンダーも渋くて良かったです。
一歩間違えばシュールコメディだが、ギリギリのところでスリラーになっていた
2023.10.31 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ映画(113分、PG12)
原作はアレクシス・ノレントの『Le tueur(1998年)』
ある殺し屋のミッションとその顛末を描くスリラー映画
監督はデヴィッド・フィンチャー
脚本はアンドリュー・ケビン・ウォーカー
物語の舞台は、フランスのパリ
THE KILLER(以下「殺し屋」、演:マイケル・ファスベンダー)は、依頼人のホッジス弁護士(チャールズ・パーネル)からある殺人を請け負っていた
パリのホテルに現れるはずの標的(Endre Hules)を待つこと5日目、殺し屋は準備を淡々とこなし、脈拍計にて日々の緊張を計測していた
5日目の朝、「今日現れなければ中止だ」と言われた殺し屋だったが、その目論見通りに標的は現れた
彼は娼婦(モニーク・ガンダートン)を部屋に招き入れ、女はSMのコスプレをして、標的の前に立ち塞がった
殺し屋は冷静に状況を分析し、標的に狙いを定めて発砲するものの、娼婦が予測外の行動を起こしたために失敗してしまう
慌てて手荷物をまとめた殺し屋は、用意してあったカブにて逃走し、ホッジズに失敗を告げてパリを去った
殺し屋は隠れ家であるドミニカ共和国に向かうものの、そこは荒らされていて、恋人マグダラ(ソフィー・シャーロット)の姿はなかった
慌ててマグダラの兄マーカス(エミリアーノ・ペルニア)に連絡を入れ、彼女が運ばれた病室で再会を果たす殺し屋
殺し屋はミッション失敗の報復と考え、ホッジズを含めた関係者の抹殺を考え始めるのである
映画は、緻密な計算と準備をする殺し屋が「ものすごく些細なことで失敗する様子」を描き、そこから「冷静になれ」を自問自答する「普通の人間であること」を描いていく
マグダラ襲撃の「The Brute(サラ・ベイカー)」とそのお友達をやっつけたあとは、「The Expert(ティルダ・スウィントン)」まで始末していく
そんな中で無関係だったタクシーの配車係(アルツゥーロ・ドゥバージェ)と運転手レオ(ガブリエル・ポランコ)はとばっちりも良いところだった
このあたりのシークエンスは完璧主義者の動揺で起こり得ることとして描かれていて、徐々に冷静になっていく殺し屋はクライアントのクレイボーン(アーリス・ハワード)は殺さずに立ち去っていく
一連の危機が去ったことを確認して通常に戻るのだが、冷酷に見える殺し屋にも人間性があると描いていくのは斬新だったように思えた
いずれにせよ、Netflixの先行公開なのであまり観客がおらず、この内容なら配信でも良い気はする
集中して観る方が良いとは思うが、空いた時間の有効活用の方が意味は大きいだろう
先行公開も一週間ほどなので、興味のある人はチェックリストに入れておくでOKではないだろうか
つぶやきヒットマンの憂鬱
主人公の一匹狼のヒットマンはドミニカの奥地に豪邸を持っていて、そこに妹と二人暮らし。ハッタリでなければ、ニューヨークには貸倉庫を5つも借りているらしい。武器や偽ナンバープレート、偽パスポートがぎっしり。今回の仕事はパリ。標的は古い立派なアパートメントの最上階にお住まいの初老の変態紳士。大柄の女王様とお泊まりだ。向かいのビルの貸オフォスには電動で上下する狙撃用のテーブルが設置されている。ぶつぶついろいろ能書き垂れながら、集中して無心になろうとしているらしいが、明らかに注意散漫なタイミングで引き金を引いて、標的の男ではなく、女王様をヒットしてしまう。集中すると視野が狭くなるなんて言ってた。言い訳にしか聞こえませんでした。ライフルをばらして、ベスパで急いで逃げる。ありふれた展開でこちらも集中が切れました。スマホ4台壊してました。最初はボスにキレて?GPS対策?って思いましたが、壊しても壊しても手品のようにまたでてくるのでした。どんぶり勘定の殺し屋。採算取れるわけありません。殺し屋向いてないです。殺しを依頼したほうも痩せこけた老紳士でした。単なる内輪揉めだったみたいです。バカみたい。
洗練されているのか間抜けなのかがよく分からない
同じ「殺し屋」の映画と言っても、「ジョン・ウィック」の対極を行くようなリアルな殺し屋の生態が描かれる。
もし、殺し屋という職業が実際にあるのなら、こんな感じなんだろうなと納得してしまうような「プロフェッショナルとしての仕事の流儀」が丹念に描かれ、興味が尽きることはない。モノローグで語られる主人公の信条や哲学にも共感できるところが多く、それを冷徹に実践していく所作やテクニックも魅力的である。
ただ、その一方で、そんな洗練された殺し屋の物語の割には、どこか間の抜けたような展開に違和感を覚えるところも多い。
まず、冒頭の暗殺の失敗が、とてもプロの所業とは思えない。素人目に見ても、あのタイミングで引き金を引くなんてあり得ないのではないか?
暗殺の元締めが、失敗した主人公を抹殺しようとする理由もよく分からない。証拠を消すためであるならば、暗殺に成功しても同じことをしたのだろうか?あるいは、あんなふうに失敗する度に暗殺者を殺していたら、優秀な暗殺者がいなくなってしまうのではないか?
主人公が、人目につかないようにひっそりと暮らしているのならいざ知らず、誰にでも分かるような豪邸に堂々と暮らしているところも不自然だし、主人公を殺しに来たはずの暗殺者たちが、主人公の恋人を痛めつけただけで、とっとと帰ってしまうところにも疑問が残る。それが、単なる警告だったのだとしても、主人公に復讐される危険性があるとは思い至らなかったのだろうか?
主人公が、レストランで暗殺のターゲットに同席するという行為も、目撃者や監視カメラによるリスクを高めるだけの暴挙だし、結局、クライアントの命を助けてしまうのも、将来に禍根を残す判断ミスとしか考えられない。
もし、クライアントの富豪が強い自尊心や猜疑心の持ち主ならば、どんな大金を払ってでも、自分を殺す可能性がある者をこの世から排除しようとするのではないか?この後、世界中の腕利きの殺し屋が主人公の命をつけ狙うようになるという、それこそ「ジョン・ウィック」のような展開が容易に想像できるのである。
それとも、このエンディングも、そんな続編を作るための伏線なのだろうか?
どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかが分からない、そんな観客を幻惑させるような作りが、まさにデビット・フィンチャー的であるとも言えるのだが・・・
素晴らしかった
これまでの実績は暮らしぶりや各地の基地でうかがえるのだけど、いきなり暗殺に失敗して成功しているところを見ていない。描かれるのは内ゲバだ。犯人や実行犯を探り当てる展開がミステリーの構成ですごく面白い。各地の基地にある銃器や札束、何枚もあるパスポートを見るとワクワクする。
殺し屋たちが個性的だ。またそれぞれの殺害方法も違っていて面白い。あんな連中から奥さんはよく逃げ延びたものだ。主人公は殺し屋なのに結婚しているのも個性的だ。
今一つ評判がよくなかったので見るかどうか迷ったけど、間違いなく今年のベスト級だ。
【今作は、自分自身を様々なルールで律しながら、”THE SMITHS”の数々の名曲を聞きながら冷酷に仕事をこなす殺人者の姿を、ヒリつく緊張感を漂わせながら、スタイリッシュに描いた作品である。】
ー 冒頭から、”THE SMITHS”のヒット曲を聴きながら、殺人者(マイケル・ファスペンダー)は、孤独感を漂わせつつ、仕事を熟そうとする。
仏蘭西で、ターゲットの帰宅を対面の無人の事務所の中で只管に待つ殺人者の姿。モノローグで彼が自身に律している事が語られる。
そして、漸くターゲットが帰宅した時に、彼は落ち着いた素振りでライフルを組み立て、”THE SMITHS”の”How Soon Is Now?"をチョイスし、ターゲットを撃つがターゲットの前に現れたレザー服に身を固めた娼婦に当たってしまう・・。-
◆感想
・殺人者は仕事にしくじった後に、ドミニカの隠れ家に戻るが、異変を察知し室内に入ると割れたガラスが散乱している。
ー 殺人者は同居の女性が収容された病院に行き、彼女を見舞う。
”THE SMITHS”の”Girlfriend In A Coma"が流れる・・。ー
・その後、彼は隠れ家を襲った男女を乗せたタクシー運転手を突き止め、情報を聞き出し躊躇なく、射殺。
・そして、飛行機に乗り”仕事”の斡旋人”のホッジス弁護士の事務所に清掃員に紛争し、入り込み、ホッジス弁護士から男女の情報を得ようとするが拒否され、殺害。秘書の中年女性が情報を知っていると言い出し、彼女から情報を仕入れコレマタ、殺害。
ー ホッジス弁護士の事務所に入り込むときの、運送屋の後について行き事務所の扉が閉まる時間を数え、運送屋が帰る際にカウントしながら、ドアが閉まる直前に足を入れ込むシーン等は、ナカナカである。
そして、彼が律している事の一つ”情に流されるな・・。”を忠実に実行する姿。-
・得た情報を基にコレマタ飛行機で男が住む国に飛び、壮絶な格闘で倒し、更に飛行機でエキスパートの女(ティルダ・スィントン)が住む寒き国に行き、彼女がレストランに入った際に、彼女の前の席に座る殺人者。
エキスパートの女は、複数のウイスキーをテイスティングしながら、落ち着き払い、男に対し”熊と猟師”の話をする。
ー 緊迫感が凄いシーンである。ティルダ・スィントンの存在感も抜群である。そして、二人は外に出て、殺人者は彼女を躊躇なく射殺する。-
・そして、彼は再びいつものように全く違う名前とパスポートを飛行場のカウンターで提示し、殺害案件を出した顧客の男の家に、難なく忍び込む。
ー ココも、緊迫感が凄い。だが、殺人者は男に対し”簡単に入れる事を示したかった。次は・・。”と男を威嚇し、その場を去るのである。-
<ラスト、彼はドミニカの隠れ家に戻り、今までに見せた事のない柔和な表情で、デッキチェアで寛ぐ怪我を癒す同居の女に飲み物を作り、自身もデッキチェアに仰向けになりながら、陽光を浴びながら寛ぐのである。
今作は、”THE SMITHS”の”Shoplifters Of The Word Unite""This Charming Man"など多数の名曲を随所で流しながら、一人の殺人者の仕事のミスにより行われた事に対し、自身を律する多数の決め事に従い、多数の名前や幾つかの隠れ家、倉庫に隠してあった武器を駆使して報復する姿をヒリつく緊張感を漂わせながら、スタイリッシュに描いた作品である。>
一般人がキラーになれてしまう現代社会への風刺?
開幕の長い語りからの任務失敗という間抜けさに違和感を覚え、そこから散りばめられた主人公のずさんさを表す描写によって、彼が暗殺者に憧れを抱く素人上がりのキラーなのだと思うようになった。
根拠となる場面をいくつか羅列したい。
開幕の配達員が扉を開けていたらそもそも任務が失敗していた点、偽装ナンバープレートを普通にゴミ箱に捨てていた点、購入履歴が残るAmazonやホームセンターで暗殺アイテムを購入していた点、出航したてで港が近いのにも関わらず証拠を海に捨てていた点、ピットブルが生きていた点、防犯カメラに撮られていた点などなど。
主人公と対比で描かれる綿棒ベテランキラーに姿を晒した心理を見透かされたことや、ベテランキラーのように住宅地に紛れずに豪邸に住んでいることなどを含めて、主人公はその道のプロ暗殺者とは異なる様子で描かれている。
また、劇中で主人公がよく聞いていたザ・スミスのバンド名の意味・理由は「スミスという英国でありふれた人名でも目立ってもいいんじゃないか」といったものらしい。(インタビュー談)
本作のタイトルである『ザ・キラー』が「ザ・スミス」、つまり「ザ・一般人」と重なって見えてくるのである。
となると、作中でしきりに描かれていたカーナビやAmazonの通販や配達システム、レンタル倉庫などの現代の便利なサービス達にも意味が生まれてくるように思う。
この作品が示す真の恐怖は、便利になった現代では、一般人ですら暗殺者として仕事をこなすことが出来てしまうという現実であり、日常ですれ違う全員がキラーになりかねない、あるいはキラーである可能性があることなのである。
ここでフィンチャーの記者会見でのインタビュー談を引用して終わりたい。
「この映画を観たら、ホームセンターで後ろに並んでいる人を怖いと思って欲しい。」
妹が襲われて復讐をきめてからは貸し倉庫に並んだたくさんのナンバープ...
妹が襲われて復讐をきめてからは貸し倉庫に並んだたくさんのナンバープレートやパスポートとかオートロックが閉まるまでの数秒をカウントするのとか獰猛なピットブル寝落ちさせるとか殺し屋っぽいグッズや所作にワクワクしたけど
どう考えても最初の失敗しょぼすぎ、自分語り長めの冒頭の待ちの時間が壮大なフリになってしまってた
いや、ダメだろ!?
想定外の事態に陥った暗殺者が抗い立て直す話。
仕事に臨む主人公が暗殺者の主張的な自分語りナレーションをタラタラ語るオープニングから、イヤ〜な予感はしたけれど、仕事もタラタラ悠長に構えて…コメディですか?
コメディにするならまだ良いけれど、予測しろだとか確実にだとか、出来ていないからこの結果だろうに、スカして語れば語るほど安っぽくみえるんですが…。
非暗殺者と痕跡残しちゃうレベルの暗殺者としか対峙せず、ザ・キラーじゃなくてザコキラーですか?
結局自分の尻を拭う訳でもなく、これでこの人にこれから仕事の依頼は来るんでしょうかね…。
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