ザ・キラーのレビュー・感想・評価
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おマヌケコメディ?シリアス映画?
冒頭のパリのシーンは「裏窓」のオマージュだったり、デヴィッド・フィンチャー監督が手掛けるヒッチコック風のスリラー映画。
かと思いきや、冒頭のシーンから殺し屋としては爪の甘い主人公。ルーティンなのか自分の仕事哲学を唱え始めるが、iPodで音楽を聴き始める。「オレは音楽を聴きながらが好きだ」と言っているが、それだと誰か近付いて来た時に気付けないんじゃないかと思うし、肝心のターゲットの暗殺も何回もチャンスがあったのにセクシーなコールガールに気を取られ失敗(笑)
急いで階段で逃げる際も心臓バクバクで、なんか可愛い奴なんですよね主人公。
後でちゃんと殺し屋エージェント会社の社長に怒られますが、第二幕となる主人公は殺し屋のセオリーに従わず、隠れ家という名の家に帰ります。そこで現地の妻が自分のせいで襲われたことを知り、今後の安心の生活の為、殺し屋のエージェント会社や妻を襲った別の殺し屋を消しに向かうという話。
「お前なんで家に帰ったんだよ。普通ミスったら消えるだろ?(バカなの?)」と案の定エージェント会社の社長には言われるわ、秘書を階段からの転落死に見せかけて殺したにも関わらず、そういえば手を縛った時の跡が残ってたかもな(まぁ、いいか)とここでも詰めの甘さが出ています笑
犬を飼っている厳つい殺し屋を、消しに行く際も犬に食べさせる毒を作って食べさせたはずが全然効いてなかったり、厳つい殺し屋が強すぎてめっちゃギリギリで勝ってたり、他にもやり方(殺り方)あったんじゃないかと思うが、ここでも例の仕事哲学を反復し、自分では上手く出来ていると言い聞かせている。
要するにこの人は自分に嘘を付いているんです。
続いてティルダ・スウィントン様が演じる貴婦人風のスタイリッシュな殺し屋との対面。
彼女はプロだったが、目の前にいるのはヘッポコ殺し屋ということに気付かず、レストランで「何でわざわざこの場所に来たの?まぁ、この場で私が叫んでもあなたなら逃げられるんでしょうけど。後始末は大変そうね。」
と、内心ドキッ!としたのかな主人公(しまった!そうだった!)、しかし主人公はすでに自らの死を受け入れたプロの彼女にノリを合わせていきます。
そして今回も運良く返り討ちに合わず殺せてしまいました。
そして最後の依頼主。ここで主人公は決定的なミスを犯します。防犯カメラにバッチリ写ってしまうんです。
依頼主は大金持ちで殺し屋へのツテも多そうだ。
主人公が犯したミスやその後処理など下請け会社任せで本人は全く気にしていなかった。もはやリスクを冒してここに来た意味がない主人公。「オレがこうやってここに簡単に来れたんだってことを覚えておけよ」と捨て台詞をはいて去っていきます。
そして帰宅。
ここで、主人公の締めの仕事哲学。
締めの一言。
Maybe you are just like me.
one of the many.
ボーッとNetflixを観ているこちら側へ投げかけてくる皮肉のこもったラストは如何にもデヴィッド・フィンチャー監督らしい。
配信で十分🤣
10月、地元では劇場公開がなかった本作が
(たぶんw)
11月10日からNetflixで配信されるありがたさ🙏
凄腕の殺し屋、受けた依頼を失敗した事から
罰(報い)をうけるはめに。
そもそも身から出た錆なのに、復讐をするところに
最初は「恋人想いの熱い男だわぁ😍」とか思ったけど
なんか違う🤣
まあまあ関係ない人もサクッとやっちゃうし
呪文のように繰り返されるマイルール
覚えてしまいそうだったわ🤣(もう忘れたけど𐤔)
それにしても、殺し屋の報酬ってそんなに凄いの?ってくらい
ドミニカの隠れ家は素敵だった🏡⋆*(笑)
てか、そんな豪邸じゃ隠れ家になってなくない?🤣
サヨナラ、アメリカ
殺し屋の男がある殺害に失敗。その報復に雇い主から大切な人に手を出されたりして、関与者に復讐を…といった物語。
終始、静かでスローな展開。
自身の掟を言い聞かせるかのように繰り返す主人公。常に冷静に、感情移入せず非情に任務を遂行しようと動く彼だが…。
所々緊迫したシーンはあるものの、とにかくスローテンションが続くので、スパイアクションみたいなものを期待すると肩透かしかも。
もう少し盛り上がりが欲しいものの、何故か飽きずに見ていられる不思議な魅力はありましたかね。と思ったら唐突に目の覚めるようなアクションw!!見応えあります!!
サスペンス的な要素よりも、殺し屋でありながら人間味を捨てきれない主人公の心情や、冷静を装いつつ戸惑いを垣間見せる登場人物たちの揺れ動く姿を感じるのが醍醐味でしょうか。
好きな人には凄くハマるのではないかと思います。
俺流モノローグ…
仕事をミスした殺し屋が、雇い主の粛清に身内を狙われたため、その殺し屋、雇い主に復讐するまでを描く。映画に出てくるような伝説の殺し屋という程の腕前があるわけではないが、ある意味リアリティがある。それはモノローグで、仕事の心構えを何度も復唱するなど、派手さはないが仕事に実直に動く様から、そう感じる。着実に復讐を遂げて行くのが淡々とし過ぎて、エンタメ要素がもう少し欲しかった。
忍者走りに惚れ
最初の語りが長くて集中力のないうちの父親は爆睡してましたが、主人公の鉄人っぷりがカッコよかったです
銃じゃなくて拳のがやっぱ確実なんですね笑
バトルシーンの映像がとにかく凄くて没頭でした。リズミカルに標的を狩っていく様が見ものです。
ピットブルに対する警戒心がリアルでいい味出してましたね。
殺し屋の逆ギレがダサいなんて思いません。当たり前でしょう。殺し屋なんだから笑
淡々とした殺し屋を淡々と描く
もし神経質な殺し屋がいたらどんな実態だろうか、という話を静かに丁寧に描いている感じ
緊張すれば心拍は上がるし
うとうともしちゃうし
できる限りの集中を試みるけれど失敗もするし
殺し屋に返り討ちにあってボコボコにされるし(アクションすごい
眠らせたはずの番犬に追いかけられるし
美人殺し屋には何故か不必要に近づいてしまう
あとは証拠品の捨て方には合理的な大胆さがある
船から捨てたり
道具はアマゾンで買う
殺したらすぐに飛行機で出国
ただ全体としては緊張感があり、所々に洗練されたスタイリッシュな日常もあり魅了もされてしまう(デスノートを見たときのワクワクに似ている)
集中のためのヨガのようなストレッチ
ホテルの部屋のドアノブにコップを置いたり
釘を打って死ぬまでに猶予を作ったり
犬の餌に薬を入れたり
悪くはない、悪くはないんだけれど、、、どうしても少し物足りない感じがあるのはもう仕方がないのかもしれない
マヌケな殺し屋の逆ギレ物語
冒頭から、殺し屋とは斯くあるべき…なポリシー▪︎格言的な文言とともに描かれるが、あまりにしつこく言いつづけるこれは、裏を返せば自己暗示を入念にかけないとできないからではないだろうか?と感じた。
心拍数を下げるのも時間を要したし、ミスをした瞬間の狼狽ぶりも一流とは思えない。
最後のクライアントを見逃す件もしっくりこない、殺しの請負、仲介の
弁護士が指示した…とかだが、殺しを依頼するような人間が依頼をミスしたあげく逆ギレで自分を殺しに来る人間を放っておくものだろうか?という疑問も残る。
綺麗にまとめようとしたことが仇になった映画かもしれない。
もう少し振り切ったほうが良かったかも。
これぞデヴィット・フィンチャー。殺し屋映画に派手な殺しを求める層も...
これぞデヴィット・フィンチャー。殺し屋映画に派手な殺しを求める層もわかるけど、殺し屋だって暇な時間がほとんどだし、こじらせてるし、自意識過剰だし、失敗することだってある。矢継ぎ早なモノローグと静寂の使い分けで観客をとことん休ませない。
殺し屋の冷徹さとユーモア
この映画は、ある任務の失敗により雇い主と対峙することになった暗殺者の物語を描き、彼が個人的感情を排除し目的を果たすために戦う様子を追います。殺し屋のストイックな一面と同時に、彼のドジな側面や独自のルールが魅力的に描かれています。
映画は殺し屋の日常を中心に、1人語りで進行し、彼の独白によって観客を引き込みます。特に興味深いのは、テッド・ウィリアムスは4割だが俺は10割という独り言とか、朝マックの独特な食べ方などおもしろさを加えています。
ティルダ・スウィントンとの晩餐からのアクションシーンは緊迫感とユーモアが交差し、引き込まれました。
暗殺を失敗した上の逆ギレなのは全く感心しませんでしたが、描写は大変...
暗殺を失敗した上の逆ギレなのは全く感心しませんでしたが、描写は大変フィンチャーっぽくて好感持ちました。美しい景色カットが多かったなー。
誰しも持つかもしれない側面
孔子の言葉に「過ちて改めざる、これを過ちという」というものがある。
過ちを改めないことこそが過ちである、という意味である。
デビット・フィンチャー新作「ザ ・キラー」は、ひとりの殺し屋の、過ちを改めない映画である。
冒頭、殺しの仕事に失敗してしまった主人公(殺し屋)は、その代償として自らの代わりに恋人が何者かに襲われる。
殺し屋はそうした報復そのものを許さないこととし、復讐としてそれを行なった者たちを次々と殺めてゆく。
それだけの映画とも言っていい。
深い内容があるのか、メッセージ性は、というテーマを言葉でまとめるよりも、
この男を介して、こんな復讐者に狙われたら嫌だな、という感じを体現したような映画だと思う。
こんな奴いるの?とちょっと思うのは、自らの失敗を反省しないという点である。
そして黙々と次の作業に取り掛かる。それは概ね暴力性を伴っている。
ぼくは、この映画が表したかったことは、ラストの殺し屋の言葉である、「ぼくも(あなたも)多数のひとりである」に集約されていると感じる。
言いたかったことは、自分は特別ではない、という意味で あり、
そして過去そのものを受け入れない、その意志を、
ラストに意図的に言葉にしたように思う。
これは何か。
ひとつとして、資本主義社会はそういうものである、という皮肉にも感じる。
この映画はヒッチコックの「裏窓」のようなオープニングで始まり、途中フリードキンの「恐怖の報酬」のようにジャングルに入ったかと思うと、最終的にはブレッソンの「ラルジャン」のような雰囲気を携えた作品にも思う。
行動から起因したものがどのような事柄を引き起こし、それがどのような結末を迎えるのか、という流れはロベール・ブレッソンの作風に近いと感じる。
だが、ブレッソンと異なるのは、ラストに救済か地獄かといった、まるで天の裁きのような視点が入ることも無く、フィンチャー作品においてのそれは、
まあなんとかなるかもしれないし、ならないかもしれない、のような、キャラクター目線で終わることにある。
フィンチャー作品のそうした「後戻りできない」感じは、何処となく爽快感さえ感じさせてしまうのは不思議だ。
最後の標的となった資産家の男には、まだ〝死への畏れ〟が見出せなかったのだろうか、その標的を殺めないまま幕は閉じられる。
つまりこの殺人鬼(殺し屋)は、相手の恐怖心を求めて殺しにもかかっていた、という、一種の愉快犯だったとしても受け取れてしまう。
他者から命じられた事柄への感情は持ち込まないものの、自ら命じた事柄への感情はガラ空きのように持ち込んでいる。
この、理屈の変なところも、まるで人間味のように伝わってくるから厄介だ。
全体として、〝怖い〟作品であると、ぼくは受け取った。
「過ちて改めざる、これを過ちという」、
そうした意味合いのことを、本当に他者へ伝えられるのは、自らにそれを課し続ける者のみだ。
そうした意味では、誰しもこの作品の殺し屋の側面はもっているのかもしれない。
仕事をミスった凄腕ではない(?)殺し屋の顛末。これはこれで有りと思う。冒頭、サッサと撃てよと思った。
映画で元CIAや元傭兵とかプロの訓練を受けた無敵で強すぎる暗殺者ばかり見てるから、なんてヘッポコなんだと思ったが、実際はこんなものかもしれない。とはいえ暗殺者の知り合いもいないからホントの実状は不明だ。
まあ、これはこれで、実録・ザ暗殺者みたいで有りだと思う。
きっと主人公も綿棒みたいな女も射撃の腕ががいいだけで、金ほしさに仕事をやってるだけなんだろう思う。格闘技も弱いし。
ホームセンターやレストランにいる普通のオジサンやオバハンの中に暗殺者がいる。
しかし、イコライザーだのジョンウィックだのオペレーション・フォーチュンだの有り得ん強さの主人公の映画のほうが見終わってスッキリストレス解消する。
◆冒頭でサッサと撃てよと思った
やっと現れたターゲットが何度も照準器に入って絶好のチャンスなのになかなか撃たない。見ていてイライラする。なんか自分の仕事に対する心構えみたいのをずっとブツブツ言ってる。しかも同じことを何度も繰り返していて、聞いてるほうはいい加減飽きてくる。能書きはいいからサッサと撃てよと思うが、なんか心拍数が下がるまで撃たないとかいうマイルールが有るらしくてなかなか撃たない。心拍数高くてもワンチャンで決めるのが一流だろとか思うが、仕事さえキチンとこなせば文句はない。
だが、そうこうするうちにターゲットの前にレオタードの子がウロチョロしだして射線を遮ぎりだした。ターゲットがレオタール嬢で見え隠れしてよくても半分ぐらいしか見えない。ちょっと狭すぎないかと思っていたら、案の定引き金を引いた瞬間にレオタール嬢が横に動いて暗殺失敗。早く撃たないからこうなるんだよ。すぐに2発目でターゲットを 仕留めるのかと思ったらあわてて逃げ出した。逃走ルートもあらかじめ決めてあって余裕で逃走するのかと思ったらパトカーに追われる始末。失敗したことを依頼人に報告するとき事故が起きたとか言ってたが、これは事故で失敗したのではない。お前がヘボで腕が悪くて失敗したのだと思った。
・裏窓的な引用からの、闇と光の恍惚なバランス。計算され尽くした映像...
・裏窓的な引用からの、闇と光の恍惚なバランス。計算され尽くした映像美で色気すらある。
・最初の銃撃シーン、標的→自分→標的→自分の、カットの切り替えあまりに多く、散漫になる。モノローグもうるさい。
・モノローグも同じセリフの繰り返し。極端に状況や背景説明削ぎ落とされているので、イマイチ感情が乗らない。
・せっかくのアクションシーンも暗くてようわからん
・せっかくのティルダがあっさり退場で、もっと贅沢に使って欲しかった。世界観すごい良かったのに。
印象的な静と動
相変わらずオープニングが超かっこいい
殺し屋ファスベンダーをずっと堪能できるし 仕事としての殺し屋の地道な準備や待機を描くのは新鮮で かといってなぜか興味が持続し引き込まれる
場面の切り取り方や劇伴がそうさせるのかな
散々仕事人ぽいことを反芻しながら土壇場でトチッたり感情的になるのが人間味があって コメディタッチでもあった
この人近接格闘強いのかなぁとか想像したタイミングで見事に最高のアクションシーンがハマってきて大興奮
アンドロイドのようなファスベンダー
リドリー・スコットの「プロメテウス」のイメージが強過ぎるマイケル・ファスベンダーには打って付けの作品だと感じた。無表情で冷徹なイメージが何故かしっくりくるのだ。冒頭からモノローグが凄い上にうんちくも多く、自らに架せた行動倫理というか、経験による教訓とでもいうか、とにかく語り過ぎる殺し屋だが、しくじりを切っ掛けに寡黙になり、自らのしくじりに対するペナルティーが逆ギレとなって、きっちりとケジメ付けて行く何だか都合が良過ぎるマヌケでもあり、緻密でもあるヘンテコな殺し屋の静かなる復讐譚である。ストーリー的には強引な展開だが、面白く上手くまとめてある。自分勝手だが、怒らすと半端ではないスキルを駆使して、相手を追い詰めて行くのが中々の見ものであった。ある意味ハードボイルドなコメディ作品だとも言えるマイケル・ファスベンダーの魅力を全面に出した作品である。
じわじわと面白い!!
殺し屋版の“孤独のグルメ”だ。
長いモノローグ。大げさなリアクションは一切無し。やけに丁寧な描写。シンプルなストーリー。
孤独のグルメの魅力は、松重さんの魅力にのせて、ウンチクなんぞ語らず、日常の食事を一個人の主観で楽しませてくれるところだ。
本作も同じ。マイケル・ファスベンダーの魅力的な殺し屋が、ルーティンを唱えながら、大義なんぞ語らず淡々と仕事をしているのが楽しい。
復讐劇という大義があるようで、結局はクライアント(我々の貨幣を牛耳るファンドマネージャー)に自分をアピールする俗っぽさには笑った。所詮ビジネス。
マクドナルド、アマゾン、スタバといったグローバル企業にしっかり絡め取られており、そういった描写にも「グローバル」「自由主義」ビジネスのダサさがにじんでいる。その点では、“ファイトクラブ”の精神的続編のようだった。
消費社会の奴隷から脱皮し真の自由を獲得しようとした“ファイトクラブ”から24年。資本主義の成れの果ての現代、これからはグローバルよりローカルな場所で愛する人と静かに暮らせばいいんじゃない?
と、ラストを勝手に解釈しました。
雰囲気ある描写はいいが、脚本が未熟。
シリアスな描写はいいが、私的に筋が通らぬと思うシーンが度々あり、本筋自体も?が多い。 高評価にはならず。
私はナレーションが多い映画は好きではない・・。
今作は同じ独り言ナレーションが終盤まで、繰り返す。
なんの意味が・・。
まず、スナイパーは現場では身を隠すのが鉄則。 窓からハッキリ顔を見られるような位置には立たず、空室と思わせてカーテンの隙間からスコープで狙うのが当然。
1発目が外れても、躊躇わず2発目を打つのもプロの常識。
が、本作では・・・。
この時点で既に違和感と、B級を醸す匂いが・・。
失敗の後、身内を○○される事も筋が通らない・・。
そういう組織なら身内を人質に取り、その命と引き換えに、再度目標を抹殺せよと命令が下るはず・・。
これからお楽しみという時にメイドがカーテンを閉めるのでなく、開ける? 兵器庫と呼べるぐらい武器を所有しているのに、路上の闇売り屋からガンを購入したり、目標の近くで車中寝をしていたりと ?を感じするシーンが多々。
BGMまでおかしい。 戦闘シーンに変なクラック音の様な効果音?
唯一、硝煙反応を体から消すシーンは、リアルを感じたが・・。
フィンチャー監督は、今作と同じ脚本家で傑作「セブン」を残しているが、どうやら当たり外れが大きいようだ。
本作をネオノワールと表している解説があったが、1967年作 アラン・ドロン主演「サムライ」を是非見てほしい。 こちらが本物のフィルム・ノワール。 不必要なナレーションもなく、台詞も極端に少ない。 が、常に冷えた空気感を醸す映像からは、もっと多くのものが伝わる・・。
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