世界の終わりからのレビュー・感想・評価
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世界には救う価値があるのか
主人公(伊東蒼)は女子高生、親を事故で亡くし、祖母の介護をしていたが、死去。
貧乏と人間関係で絶望の毎日を過ごしていた、あるとき胡散臭い男から、君の見ている夢を教えてほしい、と頼まれる。
このままでは世界はもうじき終わるが、自分の夢が世界を救う鍵になっているらしい。
こんな世界、救う価値があるのか、と悩む主人公だが、私も・・・。
期待通りの残念な作品
ファンタジーとして描きつつ終末を描くには異端な作品
終わって振り返ってみると、すごい作品だったなと…。夢と現実の交錯を地獄の淵で観ながら、思わぬところに連れて行ってくれる。ブルブル心を震わせてくれる良作。
前評判の良さとキャスティングに惹かれて鑑賞。相変わらず幸せになれない伊東蒼さん、今作も凄いです。ダイナミックに見える世界観を確立しつつ、同時に彼女が生きる最小半径が息苦しくも描かれていて、トーンがズッシリと響いてくる。それでいながら、彼女が世界を救うことになると言わんばかりに大人が振り回すのだから面白い。「いやいやそんな…」と考える間も無く話が進んでいくので飽きが来ないし、何より次第にそのファンタジーに惹かれていく自分がいた。
若干踏み込んだレビューになるが、名を連ねている人たちの使い方もまた妙で不思議な感覚がある。夢と現実の中、過去と今、未来を繋いでいくことに無謀さを感じさせない多彩なギミックが引き込まれる。高橋克典さんも政治家似合うし、あの顔もたまらない。一貫して、人間の在り方を突くように切り込む作風は、万人に理解されにくい側面を持つものの、多くの事を考えさせる本質にぶつけ、揺るぎない作品のバランスを生み出している。良くも悪くも。その行き過ぎた感覚こそ研ぎ澄まされていて美しい。
主演は先述の通り伊東蒼さん。脇を固めるキャストも豪華で、夏木マリさん無くしてファンタジーなし。そう言わしめるほど完璧。また、チョイ役で宮﨑優さんに中村守里さんが出ていたり、細かな点も嬉しかったり。
結構最後は泣かされた。「変わらないことがあるとすれば、皆変わっていくってことじゃないかな」Mr.Childrenの『進化論』を思い出す。愚かで過ちを繰り返す。自分だけが良い世界で、彼女が世界の終わりから伝えるもの、それが何より生きる希望に私は感じた。
桐谷監督の美意識が徹底して貫かれた作品
荒唐無稽な話の中に
リアルをみる。感じざるを得ない。
こんなふうにファンタジー風にしてしまわざるを得ない人、作風なのかなとも思う。(監督のことは名前と評判くらいしか知らない)
この作品、ストーリーはぶっちゃけどうでもいいと思う。
実際には大なり小なりこの世界はこのようになっていて、日々そのために命を削り落とし神経をすり減らし、カツカツでやってくしかない人らがたくさんいて、多くの勘違いした傍観者や同調野郎がいて、本当のことを見よう知ろう変えようとと思う人はとても少なくて、バカにされるか絶望する。世界の終わりまで行けたらいいのにね、とか思ったり。そこまで行き希望が見えたらよい。そこまで行かなくても希望が見えたらなお良い。
なんで私?!と戸惑いながらときにへたれな、ときに力強い選択肢をして前に進む(進まされる)主人公がよい。
女子どもだからバカにされる世の中。
今の終わってる世界を下世話に象徴する官房長官。
全てのパーツがほんとのことよね、て思うから、ファンタジー必要。
ザ・セカイ系! まどマギのごとく追い詰められてゆく伊東蒼の天才的演技を御覧じろ!
紀里谷和明監督のラスト作らしいし。
『さがす』での伊東蒼の演技にはマジでシビれたし。
映画の世評自体も、なかなか高いみたいだし。
あと個人的に、紀里谷監督のような「いけ好かないイケメンなのになぜか不器用な」「いきがって理想を語っては一部の反撥を食らってしまう」タイプの人間は、なんだか無性に応援したくなるので、まだ上映している間に観に行ってきた。
うーん、どうなんだろう。
褒める気まんまんで観に行ったので、あまり悪口は言いたくない(笑)。
こういう個性あふれるオリジナルを、監督個人の力で頑張ってまとめあげたのは立派だし、「セカイ系」ジャンルの映画としても、ふつうに愉しめる映画だった。
2時間以上あるのにダレずに最後まで観られたということは、娯楽作としては「旧作より」面白く出来ていたということだ。
ただ、出来が良かったかと言われると、なんか困るね……。
ヴィジュアルセンスに関しては、間違いなく才能豊かだし、自分の色がある。
冒頭、鉄さびめいたモノクロで草原が映し出された瞬間に「ああこれ紀里谷監督の映画だ!」と分かるくらいに「彼の好み」が画面全体に行き届いている。
女性を魅力的に撮り、いい演技を引き出す能力も結構高いと思う。
ただいつも脚本が、もう一押しなんだよな。
セカイ系であること自体は構わないし、それを『エヴァ』っぽいとか揶揄するのはさすがに狭量に過ぎる。セカイ系はすでに「ジャンル」だ。
ただ対抗馬の多い人気ジャンルだけに、そのぶん新しさやセンスの良さが評価対象になるのも確かだ。
本作の場合、やっていることはよく言えば王道。
悪く言えばあまりに通り一遍だ。
女子高生の貧困ヒロイン。「夢見」の能力。
国家を操る呪術機関。対抗する不死の勢力。
いじめっこ。隣室の幼馴染。信頼できる警察官。
タイムリープ。いやボーン。地球滅亡の危機。
実は●●は○○でした……。
おおむねどこかで見たことのあるような、ギミックとガジェット。
たとえば、これが「ラノベ」だったら、所詮「ラノベ」だということで許されるんだろう。
「アニメ」であっても、お約束の範疇でたいして気にならないはずだ。
雨宮慶太が同じことを「特撮」の枠内でやっても、そういうもんだと思って、喜んで観ると思う。
でも、そういった「ジャンル感」補正を抜きで観るとなると、やはりオチまでふくめて若干陳腐な感じは否めない。
逆に紀里谷監督サイドからすれば、「王道」で何が悪い、といったところかもしれない。
彼はいつも「王道」エンタメを、自分色に染め変えて作品をつくってきたからだ。
『CASSHERN』では昔の懐かしアニメ。
『GOEMON』では懐かしの伝奇時代劇。
彼は、それらを「とんがったMVやCM風の洒落た映像とスピーディなアクション」の枠組みに流し込む形で「変容」させてきた。『ラスト・ナイツ』は未見だが、わざわざ日本が舞台の『忠臣蔵』のオファーを受諾後、監督本人の意志で西洋の騎士道世界に話を移し替えたらしい。
要するに、「昔からある王道のエンタメ」に、紀里谷監督独自の映像センスをまぶしたうえで、今風の映画に「換骨奪胎する」というのが、彼の創作術なのだろうと思う。
既存のエンタメを少し別の文脈にずらして再投入することで、新たな価値を生み出そうとする創作方法としては、意外と村上隆とかと似たタイプなのかもしれない(べつにけなしてない)。
で、今回の題材は、アニメやラノベの枠内で長く醸成された結果、既にある種の「型」が組成されている「セカイ系」だったということだ。
まあ王道なら王道で、細部まで考え抜かれた内容であればべつに良いと思う。
だが、微妙にかみ合わない部分が多いんだよなあ。あちこち。
以下、悪口っぽいので、読みたくない人は次の破線まで飛ばしてください。
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何よりひっかかるのは、ヒロイン・ハナの女系家族が歴代「夢見の巫女」だったというのに、なんで組織は彼女を貧困生活に甘んじさせてきたのか、ということだ。
最近見つかったというのならわかるんだけど、親も同じ仕事してて知ってたって言うなら、泣きながらバイトしてるんだから陰からでも助けてやれよ、と。
だいたい、日本の法律では未成年者はまちがいなく「単身で」生活保護を受けられるし、在宅で受けられる奨学金だってあるんだし。
まして「真相」から逆算すれば、それこそハナを不幸の臨界点まで追い込んだら組織としては「絶対にダメ」だったと思うんだけど。
未来が書かれた本があって、それによって2週間後に世界が滅ぶってわかってるんなら、もっと早くから動けよともみんな思うよね。ハナが夢を観始めないと動き出せない、という理由もあるのかもしれないが、なんで彼女が夢を観始めたかもイマイチわからないし、それをどうやって組織が察知したかもよくわからない。
それと「夢に見た内容を伝えたら良い」という「任務」が、あまりに簡単すぎて大仰に騒ぐほどのことなのかって気になるし(報告くらいすればいいじゃん)、夢のなかの任務(手紙を祠に届ける)にしても、最後まで観ても「誰の書いたどういう内容の手紙をなんの目的で届けたか」が今一つよくわからない。少なくともユキちゃんが書いたわけではさすがにないと思うし、手紙の内容が「ユキちゃんの願い」だったとすれば、無限の連中が妨害しようとしている理由も、湯婆婆が必死で届けさせようとした理由も、曖昧になってしまう。だって届けさせたほうが無限の民の思惑に明らかにプラスじゃん。
あと、世界の滅亡にまつわる話で、総理や官房長官まで出てくるのに、他の世界各国との連携とかが全然出てこないのもなんだかなあと思う(たとえば同じような終末論をめぐる『ノック』だと、べつだん国家機関の人間は山小屋のメンツにはいないのであれでいいんだが)。
国家機関の扱いについては総じてかなり雑で、高橋克典みたいな悪役はもちろんいていいのだが、それは官房長官の仕事じゃあないだろうと(あとキャラ設定がかなりダサいし、立ちションとか含めて「やりすぎ」てる結果が映画のプラスにちっともなっていない)。毎熊克哉と朝比奈彩はとても良いキャラだと思うが、もう少し日常でのハナとのやりとりがあったほうが、あとでこちらも感情移入できたのでは。
そのほか細かいところだと、「夢見をこれから依頼するつもりの少女を学校から連れ去るときに、絶対あんな連れ去り方はしない」(それで協力してくれなくなったらどうする?)とか、「閉まっていた引き戸を開けて遅刻してきたハナが扉を閉めずに着席する」(ハナのイメージを悪くしてどうする?)とか、誰か監督に「おかしい」って横で一緒にスクリプトチェックをしてくれる盟友はいなかったのかなあ、と。
なかでも一番ひっかかるのは、「いきなり暴徒化して襲ってくるSNS民」。
これ、最近他の映画かアニメでも全く同じシチュエーションを見た記憶があるけど、
いくら正体がリークされたからって「世界を滅亡から救うために占いしてる少女」を全員で殺しにかかるって、やっぱり一足飛びすぎて無理あるんだよなあ。組織ももっと早くハナを装甲車で連れ出せよ。てか、SNS民やテレビキャスターや暴徒化したねらーの描き方に品がなさすぎる。すなわち、紀里谷監督の「私怨」が入りすぎてる。
僕だって最近の文春砲やらセブンやら新潮やらが火付けして、「正義」のSNS民やヤフコメ民が炎上させて、それをまたマッチポンプでマスコミが延焼させて、狙った芸能人やタレントを文字通り「焼き殺す」ようなカルチャーには心底うんざりしている。
そもそも、役者だとか作家だとかスポーツ選手に「道徳」を求め「聖人君子たれ」と強要する近年のファン心理自体にまったく共感できない。普通に生きられないから、芸能界や文壇やスポーツの世界に居るロクデナシはゴマンといる。あいつらは「あぶれもん」だからああいう仕事をやっているのだ。ほんのひと昔前までは、遺棄児童や被差別者や性的マイノリティが「実力だけで」夢をつかめる世界は、そこにしかなかったのだ。あるいは「くるっている」からこそ、只事ではない異常な何かは生み出せるものなのだ。
そういう連中を世間のパンピーの倫理で裁こうとか、ちゃんちゃらおかしい。
マジでそう思ってる。
でもね、「実際にやられた当事者」がここまで「いままでの積もり積もった恨みを晴らすような」映画を「ストレート」に撮ったら、やっぱりカッコ悪いし、幼稚な感じがするし、映画の説得力が弱まっちゃうと思うんですよ。
僕としてはやはり、暴徒が襲ってくる設定にするのなら、もうひと押し彼らが本当に「ハナを恐れなければならない理由」だったり、「それを煽動して操っている特定のカリスマ」だったりを出して、彼らの行動に説得力をもたせてほしかった。
あと、この話は実はこの座組なのにいったん「○○○エンド」で終わる(そのあと冨永愛のパートがある)ってのが構成上の一番の特色だと思うんだけど、そこをあまりうまく強調できていないのはとてももったいない気がした。終盤の展開をもう少しだけわかりやすく整理できて(とくに男の子の正体のあたり)、希望と絶望のあいだで揺れ動くハナの心をリアルに体感できるように描けていたら、見違えるように良い映画になったのでは?
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とまあ、いろいろ文句も書いたけど、
基本的には「2時間以上あるわりに、まったく退屈せずに最後まで観られた」のもたしか。
一番の理由は、伊東蒼の演技の素晴らしさ。それに尽きる。
てか、いくら脚本に隙があろうが、このヒロイン役を「伊東蒼にオファーして受けさせた」ってだけで、紀里谷監督の仕事としてはもう、最大限に評価していいのではないか?
よくぞこの娘にやらせてくれた。
とにかくうまい。
それは『さがす』のときにも重々思っていたが、
今回はさらにいろいろな一面を見せてくれて、本当にびっくり。
あとこういうと可哀想だけど、この娘は「不幸」な役がよく似合う。
なにせ、前の映画『さがす』のお父さんは佐藤二朗で、その前の映画『空白』のお父さんは古田新太。親運が悪すぎる(しかも『空白』の蒼ちゃんはすぐ轢き殺されてしまう)。
今回の親には、早々に死なれてるうえに理由があれだし。
極貧だわ、唯一の身よりの婆さんも亡くすわ、学校ではいじめられてるわ、○○までやらされてるわ、将来の夢は潰えるわ、いざ機関に協力しても世間からは叩かれるわ、味方は次々と○○されるわ……辛いことばかりがあって、ちょっと光明が差したと思ってもまた悪いことが強烈な反作用でぶり返してくる。
みんな『エヴァ』とか言ってるけど、これ『まどマギ』でもあるんだよな。
「魔法少女になってくれ」って依頼されて、正義と未来のために心を決めて引き受けるんだけど、意気揚々と頑張れたのは最初だけで、あとはただひたすら酷い目と怖い目に遇い続けたあげくに、元凶がなんだったかを知るっていう。
もとが不幸で、少し「頼られる」歓びを知ったあとに奈落が待っているから、よけいにきつい。しかも……結果的に紀里谷監督はいやボーンによって、蒼ちゃんに○○○までさせている。どんだけ彼女を汚せば、気が済むんだってくらいのいたぶりよう。
あげくに最後があれだから、本当に救いがない。
要するに、『世界の終わりから』という映画は、突き詰めれば、伊東蒼という天才女優を「いったんもちあげたあと突き落とし」「合法的にとことん不幸な目に遇わせて」「極限まで光り輝かせる」ための搾取装置なのだ。
やっていることはずいぶんとひどいが、結果的に女優としての魅力を最大限に引き出すことに成功している。
これは、間違いなく紀里谷監督のお手柄だ。
天才・伊東蒼の真骨頂を味わうためだけにでも、この映画は多くの人に観られるべきだ。そして(僕とちがって)紀里谷監督とうまく波長を合わせられたら、おおいに感動してもらえればと思う。
そういや岩井俊二えらく楽しそうだったな。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』に紀里谷氏が出たバーターかな?
あと、いじめっ子のこと山本舞香だと思い込んでて舞香ちゃんごめん!
映画を観たという満足感
人生で1番出逢えて良かった作品かもしれない
センスだけが突っ走って他が何も追いついていない
途中何度も席を立ちたくなった。席が奥だったので周りの観客に悪いと思ってしなかったが、出入り口付近の席だったら間違いなく帰っていた。
とにかく薄っぺらい。
神は細部に宿るという言葉があるが、「世界の終わりから」はその全く逆。設定から台詞、絵作りまであらゆるディティールが雑すぎて映画の世界に入っていけない。いちいちどのシーンが~とか挙げたらきりがないほど、というかそんなシーンしかない。
まず説明台詞が多い。映画なら絵で伝える努力をしろよと。そして台詞が多いのに、監督であり脚本も書いている紀里谷の言葉に対する意識が雑なので台詞の力も弱い。空虚な言葉が上滑りしていく。
小道具やビジュアルにもこだわりを感じない。特撮のキャラクターがどっかで見たことあるようなビジュアルばっかり。都会というか東京の街並みがよく出てくるけど必然性を感じない。都内だとロケしやすいから、とかあおりでビルを撮ったらなんかオシャレじゃろ?みたいなそんなふわっとした理由しか感じられない。夏木マリの湯婆婆とかギャグでやってんの?映画じゃなくてコントだったらおもしろいね。あのピタゴラスイッチはなんなんだよ。なんで秘密基地が商店街にあんの?もう挙げたらきりがない。
ストーリーはいまさらエヴァかよって感じ。庵野監督が手掛ける作品には様々な評価があるだろうが、彼のオタク的な細部へのこだわりは誰もが認めるところだと思う。この細部というのは、つまり映画的な「はったり」のことである。フィクションははったりをかまして観客を騙さなければならない。「世界の終わりから」にはそのようなはったりが全く欠けている。超絶劣化エヴァ。紀里谷監督は怠け者だと思う。
描こうとしたテーマだけは今の時代に合致している。雰囲気もいい。まあ、この監督の作品っていつもこんな感じだが。
タイトルでセンスが突っ走ってると書いたが褒め言葉ではない。こんな黴臭いセンスを恥ずかしげもなく披露できる鈍感さが羨ましい。
伊東蒼に救われた
なんだか小難しい。
超絶怒涛のSFでした。ファンタジーです。あくまでもうひとつのこの世界の終わりの話です。めちゃめちゃ気になるとこがいっぱいで終始ごったごたしてます。
孤独で人生に絶望している女子高生が突然現れた謎の組織から君が見た夢が世界を救うヒントになる。できなければ世界は2週間後に滅ぶと言われ、よく分からないまま巻き込まれてゆくストーリー。もちろん私も何がなんだか分かっていないまま進んでゆく。とりあえずキットカットは時代を越える旨さというのだけは理解できた。
曖昧になる現実と夢の境界線。過去と現在。受け継いでいたらしい不思議な力。未来人やら輪廻師やら無限師。もう頭いっぱいです。そもそも一人の人間の一生があんな分厚い訳がない。せいぜいペラっペラの紙切れに3行でしょう。ただ人間は実は救いなんて求めてないって台詞は響いた。
伊東蒼と毎熊さんの組み合わせは良かった。そして朝比奈彩が美し過ぎてびびった。
面白い!
意欲は応援したいが・・・
1か月前に『SSSS.GRIDMAN』を見た身からすれば、
「これは新条アカネを主人公にした、暗黒版グリッドマンだ!」
と思わずにはいられない。
映画のほとんどが彼女の主観によって語られることから、
ほぼこれは彼女の心の中で行われている話と解釈できる。
17歳の彼女にはあまりにもむごすぎる運命。
やっと自分の味方を見つけても、一人また一人と奪われていく。
紀里谷監督が世間から受けてきた批判が投影されているであろうことは、想像に難くない。
そのような心情で作られた作品だと理解はするが、やはり手放しに称賛することはできない。
まず、説明台詞が多すぎる。
夏木マリの老婆はいくら何でも喋りすぎだし、伊東蒼も「つまり〇〇ってことですか?」と毎回重ねて確認するため非常にくどい。おそらくここをもっとタイトにすれば120分以内に収まったのではないだろうか。
演出や撮影も上手いとは言えない。
例えば冒頭、女の子が茂みの中で侍をやり過ごすシーン。侍と女の子を一度も同じカット内に入れていないので、彼女がどれくらいの距離感で侍をやり過ごしたのかがわからず、緊迫感がない。この冒頭から一事が万事、このような惜しい画が続く。
結果として技術的な部分には苦言を呈する形となったが、紀里谷監督が非常に稀有な人材であることは疑いようがない。独特なルックを持っているだけでも日本では珍しいのに、しっかり作家性も持ち合わせている。あとはその作家性を一緒に実現してくれる優秀なスタッフが十分に存在すれば、まだまだクリエイティブな作品を生み出す余地はあると感じた作品だった。
今回で引退とは、非常に残念である。
ザ・平成味
公開前、伊東蒼さんが主演ということで興味をもったものの、いざ「監督・原作・脚本・編集(その他諸々)、紀里谷和明」というのを知り、「あ、これは配信かな」と後回しにしていました。断っておきますが、私、『CASSHERN』、『GOEMON』そして『ラスト・ナイツ』はちゃんと劇場で観ています。ただ正直言えば、『ラスト・ナイツ』は紀里谷作品と知らずに観たのと、また3作ともその後観直してはいないため、内容はほぼ覚えておりません。ま、改めてまで観ようと思わないからなのですが。
で、公開から1週、2週と経ち、特にこちらから調べにいくまでもなく意外に「良い評判」が聞こえてきます。そして、紀里谷監督自身も本作の制作(製作)に「今回は覚悟をもって臨んだ」とまで。ということで私も、3週目のシネスイッチ銀座、木曜のサービスデイに来てみると混むとまではいかないものの、それなりにお客さん入ってます。
で、今回は鑑賞前トレーラーも一切観ておりませんでしたが、始まって早々、冒頭からもう紛れもなく「紀里谷作品」感がひしひしな雰囲気。さらに序盤の様子で、(本作が)どういう作品かを把握しながら思ったのは、「紀里谷さんって人はやっぱり、こういう作品しか作らない(作りたくない)んだな」と感じるほどの既視感。敢えての一言で言えば「ザ・平成味」ですかね。アート感強めのロマネスクな設定、展開、オチと、ある意味裏切りません。なんなら、(私としては)なぜこれを実写にする必要があるのかとすら思いつつも、反して、敢えて思うことは、実は紀里谷監督は役者の演出は秀でているのか?或いはこういうフォーマットが俳優を光らせるのか?役者たちの演技は良く見える気がします。
元々、子役の頃から定評のあった伊東蒼さんですが、本作、主演として堂々とした演技で高橋克典さん、北村一輝さん、そして夏木マリさんとのタイマンも全くひけを取っていません。素晴らしい。
また、役割としては取って付けたような「今風設定」を演じる冨永愛さんは「Win-Win」でしたね。なんなら、彼女じゃなきゃ鼻で笑ってしまっていたかもしれないオチが、ちゃんと「作品」として成立されています。
とまぁ、終始「くさしている」ように聞こえてしまっているかもしれませんが、けしてつまらなくはありません。全然飽きずに観られます。でも、迷っている方は配信でもいいかな、と思いますよ。紀里谷さん、ファンの皆さん、ごめんなさい。
この世界を救うには
紀里谷和明監督の最後の監督作と謳われ、期待の新人・伊東蒼の主演映画。ということで、絶対に映画館で見なければ!と思っていたのですが、近所の映画館は朝早い時間の1本上映であったため、なかなか時間が合わず、公開終了前日にしてようやく見ることが出来ました。ギリギリになったけど、見て本当に良かった。最後の監督作、というだけあって、紀里谷監督の魂が籠っていた。あまりの衝撃に、涙が止まらない。そんな臭い謳い文句が1番にハマる、完璧な映画です。
ストーリーは同日公開の「ノック 終末の訪問者」にとても似ている。突如として現れた、終末を知らせる謎の集団。彼らは「終末を止めるには、君の力が必要なんだ」と話す。もう、そっくりですね笑 だけど、本作の方が圧倒的に見応えがあるし、何故か説得力もある。様々な要素が絡み、現実離れした物語であるにも関わらず、しっかり地に足着いていて、驚くほど綺麗にまとめられている。
環境汚染やネット社会、メディアの愚かさ、家族との絆、いじめ、陰謀論などなど、この日本という国で蔓延る多くの問題を1つの映画にまとめるという至難の業を、難なく成し遂げてみせているのが本作。先日公開された「ヴィレッジ」の成功例とも言えると思う。これらの問題は、結局解決するのだろうか。そもそも人々は、これらの問題を解決しようと思っているのか。やり尽くされたテーマを、根本から揺るがすことによって人々に訴えかけるという、この作品の斬新さがたまらなく胸に刺さる。
その上、ファンタジーのようなSFのような、摩訶不思議な要素も絡んできて、脳内はパンク寸前。日本映画でこんな体験が出来るとは思ってもみなかった。〈過去・未来を記す本〉の真実と〈主人公が鍵を握る〉その理由。かなりぶっ飛んでいて、主人公と同じように全然理解できない。作品の7割近くは付いていくのに必死。まるで、クリストファー・ノーランの映画のよう。だけど、ラスト付近になるとその理由やら、この映画が本当に伝えたかった更に奥深くのところまで、丁寧に示され、自分でも驚くくらいに涙が零れてしまう。
世界の終わりの近さを暗示させる音楽や緊張感をとぎらせないカット割り。主人公・ハナの感情を全面に出すような明暗のコントラスト、夢の世界を繊細に映し出すモノクロ映像。映画館という空間を上手く使い、〈終末の世界〉を悲しくも美しく描いている。それはまるで、絵画のような唯一無二の尊さ。ストーリーどうこうの前に、まずそこに惚れてしまう。紀里谷監督の作品は1度も見た事がなかったのだけど、こんな映像作品が作れる監督が日本には居たのかと、嬉しい気持ちと、こんな優れた監督がもう映画を作らないという寂しい気持ちが、劇中で何度も襲ってきました。
監督最後の作品ということもあってか、かなり豪華なキャストが顔を揃えている。役者の良さも存分に発揮出来ているし、役者も演技を存分に楽しんでいるように思える。高橋克典の官房長官、北村一輝の死神、夏木マリの占い師、冨永愛の未来人と、笑っちゃいそうになるほどビジュアルと個性を活かした配役に心が踊る。
そんなキャラが強すぎるキャストを脇に、主人公を務めるのは「さがす」で観客の心を鷲掴みにした伊東蒼。もう、彼女ヤバいぞ。絶望に立たされ、悲しむことも辛いという状況を顔の表情だけで表現する。苦しみ、もがきながら涙を流すシーンが何度もあるのだが、どれも印象的で、どれも同じには見えない。その時々に合った感情が涙から伝わる。鳥肌を立つような演技を彼女は体現してくれる。もはや、天才の域超えてますよ?不思議と引き込まれてしまう、魅力だらけの伊東蒼。今後の日本映画は彼女に託された!
この世界を救うには、どの選択をするべきか。
人間は、世界が救われることを願っているのか。
世界は人間だけでは無い。人間は、この世界しか無い。壮大な物語ながらに、今を生きる人々に伝えたい監督の最後の小さな思い。何度語っても語り尽くせない、素晴らしいラストでした。上映館も少なく、もう上映終了となる劇場も多いでしょうが、是非とも見て頂きたい。今年ベストはこれで決まりか?だとしたら、個人的年間1位に2年連続で伊東蒼の出演作になるんだけど笑
全87件中、21~40件目を表示