劇場公開日 2024年2月9日

「厳しい環境の中で、二人の男性の生き様が胸に滲みる」Firebird ファイアバード talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0厳しい環境の中で、二人の男性の生き様が胸に滲みる

2024年12月10日
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鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
「役者なら演じろ。遊びに来ただけだと。」
「ドアを出た瞬間から、いつも演じている。」

邦題は、作中に登場するバレエの劇名に由来するようです。
(マトヴィエフ大尉の立場が(大空を飛ぶ)空軍パイロットだったことから…という意味合いも、重層的に含まれていたのかも知れません。)

あるいは、バレエ劇「Firebird」の華やかさの裏に伏在するかのような、セルゲイとマトヴィエフ大尉との人知れぬ苦悩も、浮き彫りにしているのかも知れません。

単に同性愛を禁忌していた当時の世相だけでなく、いわゆる「男所帯」の軍隊では、綱紀(軍規)保持の観点からも、よりいっそう当局の厳しい取締りの対象にされたことは、疑いようもありません。

そんな環境であるだけに、セルゲイとマトヴィエフ大尉との関係性は、いっそう胸に迫るものがあったと、評論子は思います。

そして、作品の全編を通じて、セルゲイとマトヴィエフ大尉との「立場の違い」ということも浮き彫りになってきては、いなかったでしょうか。

セルゲイにとって軍隊は、兵役期間を過ごすだけの、言ってみれば「仮の宿」に過ぎなかったはず(彼は、除隊後は演劇学校に入学して俳優になりたいという夢を持ち、実際にその夢を果たしてもいる)。

一方のマトヴィエフ大尉は、空軍の戦闘機パイロット=職業軍人という立場に誇りを持っている-私生活でも戦闘機のクレイモデルを大切にしているだけでなく、職業軍人=軍隊から給料をもらって生活している者として、これからも軍隊とともに、軍隊の中で生きていかなければならない立場-。
(同じ軍人でも、一時的な兵役で軍人になっていたセルゲイとの立場の違い)

ずっと軍隊の中で生活を築かなければならなかったマトヴィエフ大尉にしてみれば、セルゲイとの同性愛の関係は(単に社会的な禁忌や、法律上の厳罰を回避するためだけでなく)、生活上の必要性からも、絶対に守り通さなければならない、固い固い、固い秘密であったことは、疑いようもありません。

セルゲイに対する思いを固く封印し、あたかも異性愛者であることを装うかのようにルイーザとの結婚生活を営み、子供まで持った(持たなければならなかった?)マトヴィエフ大尉の内心は、果たして、いかばかりのものだったことでしょうか。

しかも、セルゲイも密かには思いを寄せていた-否、二人は実は思いを寄せ合っていたとも受け取れる、そのルイーザとの結婚生活を。

上掲の映画のことばは、妻となっているルイーザがマトヴィエフ大尉の居室を訪ねるというほんの些細なシーンに際して語られるセリフなのですけれども。

しかし、セルゲイとマトヴィエフ大尉との心情を考えると、本作の中では、その意味合いが決して軽いものではないと、評論子は思います。

ときに、本作では、最後の最後に、マトヴィエフ大尉が本作のような末路を辿ってしまいますけれども。

そのことは、マトヴィエフ大尉にとっては、天職と考えていたに違いない空軍パイロットとして最期を迎えることができたという、単純な意味だけではなく、別の意味では、彼には「救い=心にずっと秘め続けてきた苦悩からの解放」でもあったのではないかと、評論子には思われてなりません。

そのことにも思いが至ると、本当に締めつけられるような胸の痛みを禁じ得ません。

いわゆるLGBTQ映画としてだけでなく、セルゲイとマトヴィエフ大尉という二人の男性の生き様をも描き切った一本という意味でも、本作は、充分に秀作の評価が与えられて余りのある一本だったと、評論子は思います。

(追記)
GoogleのAI要約によると、本作の邦題にもある「火の鳥」Firebird)は、永遠の命を象徴するもののようです。
(日本語版の予告編にも、そんなフレーズの字幕があったようです。)

いわく「生命はしばしば火に喩えられ、また火も生命にたとえられる。 炎が動く様や燃料を消費しつつ燃えるのが、生命体が栄養をとりつつ活動するのに類似している。 反対に生命体の死は、火が消えることに譬えられる。」

本作では、セルゲイとマトヴィエフ大尉との「永遠の愛」というような意味合いだったでしょうか。

愛憎のジレンマもありましたけれども。
評論子としては、セルゲイとルイーザとの(軍隊時代に培った、心の底での)友情の永遠性の象徴としても受け取りたいところです。

(追記)
もともと、軍用機というのは、墜落しやすいもののようです。
設計重量の制約が厳しい中で、「着陸誘導装置などの安全装置を積むくらいなら、その分も、より多くの兵装(武器弾薬)を積んだ方が良い」という設計思想にもよるようですけれども。

ひところ話題になったオスプレイ機のように、沖縄県の米軍基地で、米軍機の墜落事故が跡を絶たなかったのも(新型機に対するパイロットの完熟不足もあったことでしょうけれども、その一方では)そんな理由もあってのことと思います。

本作中でも、国籍不明機(?)の任務に出撃したマトヴィエフ大尉のミグ戦闘機(?)が、エンジントラブルから、任務離脱を余儀なくされるシーンがありました。

評論子には、マトヴィエフ大尉の最期を暗示するシーンだったと思えてなりません。
(曲技飛行団=航空自衛隊に例えればブルーインパルスなど、一見では華やかな空軍パイロットという職業は、実は、そういう危険と隣り合わせの職業でもあるようです。)

talkie