「これからでもどうぞ。」丘の上の本屋さん 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
これからでもどうぞ。
イタリアの最も美しい村(300以上ある)の一つチヴィテッラ・デル・トロントを背景にしている。フランスでもそうだが、海岸沿いのこうした村は丘の上というよりも、山の上にある(標高は600メートル前後か)。景色は素晴らしい、しかし暮らすのは大変で、それを維持できているのは、住民のとてつもない意志と努力に依るのだろう。村の広場に面した古書店が舞台。70歳くらいと思われる書店主のリベロの家族や経歴が明かにされることはなく、古書店での人々の交流が主題であることが判る。中心は、アフリカ移民の少年エシエンとのやりとり。様々な本を無料で貸し与えるうちに、最初はすぐ読んでくるだけの賢い少年(医師を志望しているようだ)であったものが、本の内容を受容し、成長してゆく姿が見て取れ、それをリベロが楽しみにしている。他にも、本を探しにきた若い女性と隣のカフェの給仕との出会い、ネオナチらしい青年、稀覯本や発禁本を探す学者、サドマゾ、それも最近の本を探す女性、本を拾って持ち込むことを生業とし、一獲千金を夢見ている男、なぞなぞが好きな男(監督自身)、などが次々に現れ、リベロは何にも誠実に対応する。それらのエピソードをつないでいるのが、拾ってきた本の中に入っていた、リベロが生まれた頃20代であった女性が書いた日記(50年以上は経っている)。リベロがそれを読むときには、必ず卓上のライトが灯されてオルゴールが流れ、これがいわば「展覧会の絵」の「プロムナード」であると知れる。次第に、リベロがエシエンに伝えたかったことが、本以外にもあったことを思い知らされることになる、ただそれには様々な伏線が用意されていた。最後にエシエンに渡す本は、もう少し何とかならなかったのかとは思うが、イタリアは移民の国だ。平日の午後のロングランとなっていることを歓びたい。