エウスカディ、1982年夏のレビュー・感想・評価
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巨匠イオセリアーニが共感をもって遺したバスク地方の生活と祝祭を描くドキュメンタリー
イオセリアーニ映画祭にて視聴。
まあ、こういう機会でもないと観ることは絶対ないであろう作品だが、イオセリアーニを理解するという意味では、きわめて有用な作品だった。
1時間弱程度の中編ドキュメンタリーで、短編2本と併映。
内容は、バスク地方の結婚式から始まり(ごく一般的なキリスト教の挙式だが、言語「だけ」が聴いたこともないものというのがドキッとする)、農村部での羊飼いの仕事ぶりや乳しぼり、チーズづくりの作業姿などを描いたのち、土着的だが壮麗な祝祭のようすをじっくりとフィルムに残している。
監督の意図は、冒頭に流れる字幕の言葉に集約される。
「羊飼い、農民、誠実な男たち、威厳ある女たち、静かなる子供たちへの敬意の証し」
「(バスク人は)誇り高く勇敢で、自立と独自性、そしてヨーロッパ最古の言語を守り続けてきた」
巨大な鎌を薙ぎ払う牧草の刈り方。
いきなりの大雨をやり過ごす農民。
男性たちのちょっとホモソーシャルな多声合唱(ポリフォニー)。
とにかく、撮り方、描き方が、『田園詩』や『ジョージアの古い歌』で描かれた「ジョージアの農民の生活や祝祭」とそっくりであることに驚かされる。
国や言語や人種が違っても、「欧州の片隅で長い独自の歴史を育んできた民族」には、いろいろと共通の部分が多いのだろうし、イオセリアーニもそれをわざと「強調するように」撮っているのだろう。
とくに、他民族の干渉と圧政を受けてなお、民族の誇りとして、きわめて古い「言葉」と「文字」と「歌」を現代まで保持してきたバスク民族に、イオセリアーニはジョージア人として深く共感・共鳴している。
その意味で、イオセリアーニがバスクの民族と文化に人一倍の愛着をいだき、ついにはドキュメンタリーまで撮るに至ったのは、むしろ必然だったようにも思う。
彼は、映画という「永遠」のなかに、バスク人の継承してきた伝統と矜持をとどめたかったのだ。
本作は、イオセリアーニが『田園詩』や『ジョージアの古い歌』でジョージアの農民文化に対して行った「記録行為」の延長上に位置すると同時に、彼の意識が「自らの出自であるジョージア」を超えて、「世界の喪われてゆく文化」にまで向けられるようになったきっかけともいえる。
このあと彼は、『トスカーナの古い修道院』でイタリアの古い農村と宗教の文化をフィルムに収め、さらには『そして光ありき』で、非西欧圏(アフリカ)にまで同じ「共感の眼差し」を差し向けながら映画を撮ることになる。
ドキュメンタリーとしては、特段刺激的な内容があるわけでもないが、
●羊の餌やり(頭に枠をはめて固定)が、なんかブロイラーの養殖みたいでえぐ味がある。
●バスクの「足だけでやる」カップルの踊りが、バレエのパのブリゼ(飛び上がって足で拍手するみたいなやつ)に似ているのは、いったいどういうルーツなのか?
●神父が出てきて「牧歌劇」を村総出でやらなければ、と言い出したときは、『ファニーとアレクサンデル』に出てきた降誕劇みたいなのを想像したが、まさかこんなファンキーなミュージカルだとは!
●厳しい農村の生活で絞り込まれているからか、毎年こんな激しいダンスや歌を人前で披露しているからか、出てくる素人俳優&素人歌手たちが、みんなイケメン&美人で、身体も引き締まり、舞台映えしていることに驚く。やっぱり人って、ステージあがって「見られてる」と綺麗になるのね。
●イオセリアーニのキャメラが「抜く」子供はみんな可愛いし、女性はみんな足が長くて美しい。
といったことを考えながら観てました。
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