エウスカディ、1982年夏

劇場公開日:2023年3月1日

エウスカディ、1982年夏

解説・あらすじ

フランスを拠点に活動する旧ソ連ジョージア出身のオタール・イオセリアーニ監督が、バスク地方の文化を捉えた中編作品。

1982年の夏にバスク地方を訪れたイオセリアーニ監督は、その文化に祖国ジョージアと通じるものを感じ、エレットの神の祭りとパゴル村の人々が演じる牧歌劇の模様をカメラに収める。さらに祭りの準備や歌・踊りの練習風景、村人たちの日常も映し出していく。

日本では2023年2月開催の特集上映「オタール・イオセリアーニ映画祭 ジョージア、そしてパリ」にて劇場初公開。

1983年製作/54分/フランス
原題または英題:Euzkadi ete 1982
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2023年3月1日

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映画レビュー

3.0 【今作は、ジョージア出身の、オタール・イオセリアーニ監督が、伝統文化を大切にしながら生きるバスク地方の羊飼い、農民たちに敬意を示し、彼らの姿を捉えたドキュメンタリー作品である。】

2025年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

幸せ

癒される

ー 他のオタール・イオセリアーニ監督作品のレビューにも記したが、監督作品に嵌っている。
  今作は、「ジョージアの古い歌」と作品のトーンが似ている気がする。ノンテロップ・ノンナレーションの姿勢は貫かれているし、監督の視線はバスク地方に生きる民に注がれているからである。
  バスク地方の伝統的と思われる色彩豊かな民族衣装を身に付けながら、祭りで出し物をする民の姿。
  オタール・イオセリアーニ監督のドキュメンタリー作品が、ノンテロップ・ノンナレーションであるのは、今作もそうだが、人々の生活の音、牛の啼き声、乳しぼりの音、人々の会話、祭りの際の歌声で十分だろう?という監督の姿勢だと思う。
  今作は、タイトルに遭うように監督が、1982年の夏にバスク地方を訪れた際に、人々が伝統文化を大切にしながら生きる姿に感銘を受けたと、序盤に唯一、テロップで流れるが、40年経った今でもあまり変わっていないそうである。但し、観光地化は進んでいるようだが。
  あと、10数年、働いたら行きたい場所が又一つ増えてしまったなあ。ー

<今作は、オタール・イオセリアーニ監督が、伝統文化を大切にしながら生きるバスク地方の羊飼い、農民たちに敬意を示したドキュメンタリーである。>

■オタール・イオセリアーニ監督の「ジョージアの古い歌」「鋳鉄」と今作を観て、ふと思い出したのが、旅する民俗学者と言われた宮本常一氏の数々の著作である。
 ご存じのように、氏は日本中を自らの足で歩き、民の声を聞き、数々の著作を残して来た方であるからである。オタール・イオセリアーニ監督も、宮本常一氏も、私が入社以来叩き込まれて来た”現地現物で、自分の目で見る大切さ”を知る人であったと思うのである。

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NOBU

3.0 一瞬の魔法

2023年6月23日
iPhoneアプリから投稿

イオセリアーニの映画って映像に魔法がかかる瞬間があるように感じるので好きなのですが
ドキュメンタリーでも一瞬の魔法を感じて、観れてよかったなと思った。

フランスで映画を撮ってもジョージア映画にしてしまうと言われるイオセリアーニはスペインバスク地方でもジョージアで撮ってるのかと錯覚してしまう。(親和性を感じてドキュメンタリー撮影場所に選んだことは分かっていますが)

イオセリアーニ映画祭/シネマクレールで鑑賞

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madu

3.0 巨匠イオセリアーニが共感をもって遺したバスク地方の生活と祝祭を描くドキュメンタリー

2023年3月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

イオセリアーニ映画祭にて視聴。
まあ、こういう機会でもないと観ることは絶対ないであろう作品だが、イオセリアーニを理解するという意味では、きわめて有用な作品だった。

1時間弱程度の中編ドキュメンタリーで、短編2本と併映。
内容は、バスク地方の結婚式から始まり(ごく一般的なキリスト教の挙式だが、言語「だけ」が聴いたこともないものというのがドキッとする)、農村部での羊飼いの仕事ぶりや乳しぼり、チーズづくりの作業姿などを描いたのち、土着的だが壮麗な祝祭のようすをじっくりとフィルムに残している。

監督の意図は、冒頭に流れる字幕の言葉に集約される。
「羊飼い、農民、誠実な男たち、威厳ある女たち、静かなる子供たちへの敬意の証し」
「(バスク人は)誇り高く勇敢で、自立と独自性、そしてヨーロッパ最古の言語を守り続けてきた」

巨大な鎌を薙ぎ払う牧草の刈り方。
いきなりの大雨をやり過ごす農民。
男性たちのちょっとホモソーシャルな多声合唱(ポリフォニー)。
とにかく、撮り方、描き方が、『田園詩』や『ジョージアの古い歌』で描かれた「ジョージアの農民の生活や祝祭」とそっくりであることに驚かされる。
国や言語や人種が違っても、「欧州の片隅で長い独自の歴史を育んできた民族」には、いろいろと共通の部分が多いのだろうし、イオセリアーニもそれをわざと「強調するように」撮っているのだろう。
とくに、他民族の干渉と圧政を受けてなお、民族の誇りとして、きわめて古い「言葉」と「文字」と「歌」を現代まで保持してきたバスク民族に、イオセリアーニはジョージア人として深く共感・共鳴している。
その意味で、イオセリアーニがバスクの民族と文化に人一倍の愛着をいだき、ついにはドキュメンタリーまで撮るに至ったのは、むしろ必然だったようにも思う。
彼は、映画という「永遠」のなかに、バスク人の継承してきた伝統と矜持をとどめたかったのだ。

本作は、イオセリアーニが『田園詩』や『ジョージアの古い歌』でジョージアの農民文化に対して行った「記録行為」の延長上に位置すると同時に、彼の意識が「自らの出自であるジョージア」を超えて、「世界の喪われてゆく文化」にまで向けられるようになったきっかけともいえる。
このあと彼は、『トスカーナの古い修道院』でイタリアの古い農村と宗教の文化をフィルムに収め、さらには『そして光ありき』で、非西欧圏(アフリカ)にまで同じ「共感の眼差し」を差し向けながら映画を撮ることになる。

ドキュメンタリーとしては、特段刺激的な内容があるわけでもないが、
●羊の餌やり(頭に枠をはめて固定)が、なんかブロイラーの養殖みたいでえぐ味がある。
●バスクの「足だけでやる」カップルの踊りが、バレエのパのブリゼ(飛び上がって足で拍手するみたいなやつ)に似ているのは、いったいどういうルーツなのか?
●神父が出てきて「牧歌劇」を村総出でやらなければ、と言い出したときは、『ファニーとアレクサンデル』に出てきた降誕劇みたいなのを想像したが、まさかこんなファンキーなミュージカルだとは!
●厳しい農村の生活で絞り込まれているからか、毎年こんな激しいダンスや歌を人前で披露しているからか、出てくる素人俳優&素人歌手たちが、みんなイケメン&美人で、身体も引き締まり、舞台映えしていることに驚く。やっぱり人って、ステージあがって「見られてる」と綺麗になるのね。
●イオセリアーニのキャメラが「抜く」子供はみんな可愛いし、女性はみんな足が長くて美しい。
といったことを考えながら観てました。

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じゃい