「今日あなたたちの一人にちょっと死んで貰います」ノック 終末の訪問者 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
今日あなたたちの一人にちょっと死んで貰います
その昔、人間一個の命は地球より重いと何処ぞの政治家が言ったが、本作はそれとは真逆。
突然の謎の訪問者たち。おかしな事を言い出す。
我々は世界が滅ぶ“ビジョン”を見ました。世界を救えるのはあなたたちだけ。あなたたちの一人が犠牲になる事で世界を滅亡から救えます。たった一人の命か、世界全人類の命か、選択して下さい。
えー、何かの宗教の勧誘ですか…? 私はそんなヘンな宗教には引っ掛かりません。ハイハイ、帰って下さいな。
そしたら突然…
たった今裁きが下されました。大勢の人たちの命が失われました。
そう言って訪問者たちは一人一人命を絶っていき、TVを点けると、世界中で異常事態や天変地異の地獄絵図…!
一体これはどういう事…? フェイク? ヤラセ? それとも今本当に起きている滅亡の始まり…?
彼らは何者…? イカれた奴ら…? それとも何かの使者…?
そもそも何故自分たちが…? 何故こんな選択迫られる…?
何を信じたらいいのか…?
こんな謎めいた作品を作るのはあの人しかいない。
M・ナイト・シャマラン。
いつものオリジナル脚本ではなく、同名小説を元に、二人の脚本家が書いた脚本にシャマランも参加。
しかししっかりと、ハッタリか衝撃か見る人によって賛否分かれるシャマラン・ワールドになっている。
状況や説明もないまま。シャマラン作品で“何か”が起きるのはいつも突然。
謎や伏線が意味深に暗示めいて張られ、ますます見る者を混乱させる。
今回どんでん返しは無いが(と言うか、シャマラン作品で衝撃のどんでん返しがあったのは『シックス・センス』一本だけで、いつもいつもそれを期待掛けられるのは気の毒…)、見る者を引き込むストーリー・テラーの手腕は遺憾なく。
100分ほどの尺、予想の付かぬラストとシャマランからの選択に、なかなか飽きずに見れた。
誰だってこんなイカれた訪問者からの選択は信じない。
怪しい言動もある。訪問者の一人が過去トラブルあった人。TVのニュースには一瞬驚くが、事前にそれを知っていたり録画だったら幾らでも作り上げられる。
そうタカを括っていたが、説明の出来ぬ惨事も起こり…。
これは本当の事なのか…? いやいや、断じてそんな訳がある筈ない!
拘束されていたが、それを解き、反撃。
だが、さらに信じる信じないを揺さぶる惨事が…。終末の時まで時間が残り少ない。選択を早く!
当初は信じてなどいなかった。が、託された側も疑心暗鬼になってくる。
下した選択は…?
究極の選択を迫られるのは、同性愛カップルと幼い養女。
何故彼らが選ばれた…? 彼ら自身もそうだが、見る我々も疑問を持つ。
彼らのバックボーンも途中途中挿入される。出会い、養女を迎え入れた時、平穏で幸せに満ちた日々…。
平凡な我々自身の代弁…? 平凡であろうとする多様性の象徴…?(同性愛カップルとアジア人の娘)
何かヒントや意味があるのかもしれないが、う~ん、よく分からず…。
いやそもそも、理由など求めてはいけないのかもしれない。
もし本当に世界の終わりが近付き、命運懸けて選ばれた時、誰も説明してくれないだろうし、あまりにも突然それはやって来る…。
訪問者たちも単純に善悪区別出来ない。
リーダー格の巨漢の男。見かけによらず穏便に乞う。小学校教師。
事ある毎に身を案じてくる女性。看護士。
信じ易い若い女性。コック。
唯一、威圧的で挑発的な男。彼の事は何処かで見た事ある…?
彼ら自身も面識はナシ。同じビジョンに導かれて。
彼らは何故こんな選択を強いる…? ビジョンって何…?
選択迫られる家族側と同様、彼らにも理由などないのかもしれない。ある日突然ビジョンを見て、残酷とも言える使命を負って…。
訪問者たちも意味深な存在、配置。その基は黙示録から。
そこで気付く。本作は謎と衝撃のサスペンス・スリラーではなく、宗教映画の類いだったのだと…。
まあでも、シャマラン的エンタメ醍醐味はあった。
スリルはあるし、展開も飽きはしない。デイヴ・バウティスタやルパート・グリントはこれまでのイメージを覆す抑えた演技と怪演。
だがしかし、煽って煽って、ラストはちと呆気なく、拍子抜け感も…。
もうちょっとはっきりとした説明も欲しかった気も…。
こんな事言ったら元も子もないが、結局我々は何を見たのか、見せられたのか…?
それも含めて、良くも悪くもTHEシャマラン・ワールド。
原作とはラストが違うという。
原作を読んでないのもあるけど、これはこれで。
シャマランからの究極の選択であり、我々への問い掛け。
一個人か世界かだけではなく、我々の生活や人生全てに於いても。
その時その時その都度その都度、私たちはいつも選択を迫られている。
あなたなら、どうする…?
スリルや恐怖の中に、シャマランはいつも“愛”を描いていた。
にしてもやはり、こんな選択と訪問者、実際だったらヤだなぁ…というのが本音。