「へたをするとカルトを肯定することになりかねない」ノック 終末の訪問者 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
へたをするとカルトを肯定することになりかねない
突然押し入ってきた4人の男女によって拘束されてしまう3人の家族。
最初の頃は、いったい彼らがどうなるのかと、グイグイと話に引き込まれる。
3人の家族の方は、まず、4人の言うことを信じるのかどうか、そして、それを信じた上で、人類を救うために家族の1人を犠牲にするのかどうかという2つの選択を迫られることになる。
当然のことながら、第1の選択より第2の選択の方が、大きな苦悩や葛藤を要求されるはずなのだが、どうしたことか、物語は、4人の話を信じるかどうかということばかりに終始して、なかなか前に進まない。
それはそうだろう。誰だって、あんなことを突然言われても、にわかには信じられないだろうし、いきなり無理な選択を迫られても、それを拒絶するのは、当たり前の反応であるに違いない。
だからこそ、3人の家族が、比較的早い時期に4人の言うことを信じられるような「仕掛け」が必要だったと思うし、その上で、第2の選択に思い悩むような描写が、もっとあっても良かったのではないかとも思う。
映画は、終盤に向かうにつれて、宗教色が強くなっていき、最後は、父親の1人が見た「光」のおかげで決着が付くのだが、すべては「神様の思し召し」ということなのだろうか?
しかし、本当は、何もしなくても人類は滅びなかったのに、「それは、犠牲を払ったから」だと、後から説明することもできるのである。
だとしたら、あたかもカルト宗教を肯定するかのような不気味さが感じられ、そこが、この映画の最も「恐ろしい」ところなのかもしれないと思ってしまった。
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