君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全741件中、161~180件目を表示
これからも心に残り続ける作品です
たくさんのメッセージが込められていましたが、
自分が感じたのは輪廻の世界観です。
生命になぜ魂が宿るのか、なぜこの世界が存在するのか?
それらすべてが奇跡であり尊いこと、
そしてこの作品を観た人がこれからどう生きるかを
考えさせられる作品です。
他の宮崎アニメと比較するとつまらない
一言でいうなら、
不思議な国のアリス的なストーリー。
よかったところ:
宮崎監督特有の躍動感あふれるキャラクター
の動きや、クリエイティブな世界観。
奥行きと高さを感じさせる建物描写。
雲の合間の日差しや海岸線模様は
中世ヨーロッパで書かれた絵画に
よくあるシーンで、それを彷彿とさせる。
つまんないところ:
起承転結の起承のみで、転結が薄い。
監督ネタ切れにつき、盛り上げてからの
怒涛の感動クライマックスが描けなかった
といったところか。ジブリも、
プロフェッショナルマインドがあるなら、
もっとストーリー
をねってから公開すべきだったよね。
ナウシカ、ラピュタ、魔女宅あたりと比べる
はるかに話がつまらないが、
過去と比べないなら面白い映画だと思う。
面白かった!感想を伝えるのは難しい
公開初日の夜に観に行きました!
なんの予告もなかったので、どんな話か気になりながら日々を過ごしていました
10年の構想だけあって、注目するべきところが盛りだくさん。今までジブリに出てきたおばあちゃんが
10人くらい出てきました。
ワラワラも可愛かったですけど、あそこはいわゆる地獄と天国なのかなと思いました。直感的な感じだと。
鳥がたくさん出てきたのも嬉しかった
ペリカン、アオサギ、インコ
最近の、インコがたくさん発生した意味を映画で現してるかも…
不思議な話でした。
君たちはどういきるか
とりあえず考えて生きる
真理と心理
theジブリ
始まりは火垂るの墓
上の世界
森はトトロ
家はマーニー
雰囲気コクリコ坂
おばば達は千と千尋
上と下の狭間はハウル、ポニョ
下の世界の
森はナウシカ、もののけ姫
海の人達は千と千尋
家具はアリエッティ
時折ラピュタ
今までの作品を感じさせる世界観
話の内容は真理の世界
青い鳥の話に似てるって思った
良く考えれば青い鳥とアオサギと繋がってる?
色んな環境の変化に
生きる意味を無くしかけた眞人
自分の見ているものなんてちっぽけな世界で
色んな世界の生き方、辛さ、信念があって
見えないとこで色んなものに支えられて生きている
実は色んな人に愛されていた事に気づく旅
自分の力で乗り越えて見つけたもの気付いたものは
忘れたと思っても心の奥底にずっとあるもの
終始アオサギにツボって笑いが止まらなかった
なぜ?
初めてレビューを書きますが、本映画は伏線回収などもないので観客に投げやりタイプの映画だと思いました。
(この手の作品は、私は好きなタイプではないです。)
なぜ?と思ったのは、宮崎駿さんがこの手に行き着いたのなら、正直興行収入などは気にしないのかと思ったのです。
ただ、宣伝をしないと決めた時に、鈴木さんに大丈夫かな〜と述べていたらしいですが、これは興行的に成功するか?それとも意図したいことが伝わるかどうか?はたまたその他の不安があったのか?ここが疑問に思いました。
なぜ?でしょうか〜
興行的なら物語として、駿さんの意図を汲み込んで欲しかったな〜と。
これはこれで面白い
賛否両論あって観るのは悩みましたが個人的には映画館で観て良かったです。
そんなに難しく考えなくても観れる。
昔の作品のような感動はないもののハウルよりは面白かったと思います。
テーマは少年とサギと言うよりは母と子の絆かと。
映像美、ワラワラを観るだけでもお金を払う価値はある。声優陣はとても上手。
主人公の気持ちのスイッチが変わったキッカケと言われている君たちはどう生きるかの原作(コペルとかの話)を読んでみたくなりました。
読んでからもう一回観に行ったら主人公の気持ちも少しはわかるかな。
小2の息子には受けはしない思うが中2と小6の娘を連れて2回目観に行きます。2人共原作の漫画購読済。面白いよと勧められてます。
まだよくわからないです。
鑑賞後2日目。
特に思い出すわけでもない。
みんなザワついているけれど、伏線?隠された意味?考えなくちゃいけないのかなあって。
とりあえずキャラクターはかわいいし、ストーリーはすっきりしているし、ジブリ全開だし、満足でした!
十分満足です。…それで終わりじゃダメ?
感じたことは…
母になった自分が見られたことが嬉しかった。
子どもをもっていなければ、こんなに心は揺れなかったと思う。
母は強い。無償の愛をもっている。
自分が死ぬってわかっていても、あなたの母になれるなんて幸せよ!本当にその通りです。
どんなにクソ旦那でも我が子に出会えた幸せは何事にも変えられないです。
あとまた妊婦になりてええええ!と思いました笑
プリティなコダマみたいなホワホワたちが空に昇るシーンにも涙。
インコがキモカワでたまらなかった。
ジブリの歴代ばあちゃんたちも最高。
眞人くんは真面目でキチンとしていて、アシタカに似ていて、なんでこんなクソ親父の子なのに立派なの!
と思ったけど、アシタカに似てるからクソ男の素質があるってことか。と勝手に納得しました。
別に今急ぎで映画館で見なくてもいいかな?と思うけど、見ていて楽しい作品でした!
確かに分かりにくいところはありますが…。
久しぶりの宮崎監督作品ということで、期待して観てきました。これまでのジブリ作品のように、分かりやすく、子供ももちろん楽しめるというものではなく、タイトルの「君たちはどう生きるか」に象徴されるように、幾分哲学的な雰囲気が漂う内容でした。実写映画にはよくあることだと思いますが、急に場面が変わると、なにか起こったのか分からず「?」となってしまうこと。後になって、あれはこういうことだったのかなと造り手の意図を想像して、再び感慨に浸るような映画だと思いました。映像の行間を読まないと、監督の認識を理解することができないのです。小さな子供達には難しいのかなと思います。
なつこが一人で塔の世界に行き、出産しようとしたのは、真人の前で自分の子供を堂々と産むことがはばかられたからではないでしょうか。新しい生活に馴染めず、怪我をして閉じこもり、自分のことを新しい母親とは認めてくれない真人に対して、どこか後ろめたいような気持ちになって、姉の住む世界に助けを求めたのだと思います。最後に真人が「なつこ母さん」と呼んでくれたことで、元の世界に戻る決心がついたのでしょう。感じ方は人それぞれ色々だとは思いますが、そんなふうに間を埋めながら味わうには、見終わったあとも長く楽しめる良い映画だと思います。
生きて、自分の役目を果たすべき。より良く生きるべき
最後まで見て、タイトルに「生きる」という言葉が入っている意味が少しわかったような気がする。自分も含めた生き物は「命を頂いて」生きている面があって、だからこそより良く生きなければならないのだと感じた。この世に生を受けるということは、そういう使命を背負うことでもあるし、生きて果たす役目を受け継ぐことでもある、というようなことがテーマなのかもしれない。
不思議な世界に引き込まれて、キリコやヒミにピンチを助けてもらったりする因果も、「だからこそよりよく生きなければならない」という命の尊さを表しているような気がする。
引き込まれた不思議な世界での体験は、展開として面白く、楽しめた。ここで戦う相手にも事情があるというところが複雑で、単純な悪ではないのが、この映画の見どころなのだと思う。
ラストでヒミと別れるところは泣けた。ヒミは眞人のために、継ぐ人を生むためにつらい運命に戻るわけで、深い愛に涙が出た。
なぜ久子が塔に向かったのかとか、ペリカンに押されて入った墓が何なのかとか、回収できないところもあるが、不思議な世界とは、そういうものなのかもしれない。
好きに生きたらいいし好きに解釈したらいい
人生で初めて何の事前情報も一切ない状態で映画を観るという経験をしました。もちろん、宮崎駿作品であるということと、あの鳥(青鷺ではなく敢えて鳥と書いています。だって最初はただの鳥としか認識できなかったし)の顔は事前に接していたので厳密には一切ないわけではないのですが、それでも映画館で映画を観ようと思ったら少なくともこれ以上の情報に触れてから観るかどうかを決めて映画館に行くわけで、これはかなり新鮮な体験でした。スラムダンクも事前の宣伝殆どなかったとよく言われますけど、あっちはもうスラムダンクってわかってますからね。
タイトルとなった「君たちは〜」はかなり以前に読了済だったのでこれが「原作」だとすると説教臭い話になるのかなという警戒は少しありました。序盤の時代感も近かったのでもしかしてそのまま映画化したのか?とかも思いましたがその思いはすぐに払拭されました。結果的には原作自体は宮崎駿でタイトルの借用と劇中に本が出てきた程度でしたね。
その後はこの映画がどう転ぶのか全くわからないまま話が進んでいき、それは主人公が巻き込まれていくのとシンクロする様に、不安や期待感、様々な予想や予感といったものがないまぜになって没入感を高めて行く様な錯覚を覚えました。それに加えて宮崎駿だからファンタジーなのだろうか、それとも風立ちぬみたいな戦争をテーマにしたものなのだろう、といった主人公には感じ得ないメタ的な視点の想いも絡み合いそれが没入感ある錯覚に対して一握りの現実みのある制限を加えている様な、そんな不思議な感覚を味わいました。
途中から話はファンタジーな方向に転がっていきなんとなく安堵するわけですが、ある意味で宮崎駿監督への信頼みたいなものがないとこういう映画の見方や体験というのは出来ないよなとも思いました。三池崇史監督とか園子音監督とかがこのスタイルで映画やるって言われても警戒するでしょ。
そこから先の展開はなんというか正直宮崎監督が何を言いたかったのかよくわからなかった部分もあるのですが、個人的には好きに解釈したらいいんじゃないかなと思いました。あえてどうとでも受け取れる様にしてあるんじゃないかなと。
自分自身の解釈に自信はありませんが、なんとなく今までの宮崎映画のアニメ表現の総集編かつ集大成の様な印象も受けたのでもしかしたら遺作というか遺書のつもりで作った面もあるのかなと思ったりもしました。
宮崎アニメの好きな人は観て損はないしできればなるべく情報を入れずに一切の先入観なしに観て欲しいとは思いますが、こういったレビュー読んでる人はそういう体験は出来ないのでここに書いても余り意味がないのかもしれません。
すべての人にお勧めしたい。本当に見事な芸術作品
全く宣伝もなく上映されていることをネットで知り「君たちはどう生きるか」を観てきた。観終わって「本当に見事な芸術作品」だという感慨が残った。母親を亡くした少年が自身の置かれた家族や生活・社会環境の中、不思議で様々な体験をしながら生き抜いていく物語り。観る者は人生経験の多寡にかかわらず問われることだろう。「君は(過去)どう生きてきたか」「君は(現在)どう生きているか」「君は(未来)どう生きていくか」と……。
もちろん作者がテーマやシーンの意味を言葉で伝えているわけではない。しかし次元が異なる世界と融合しながら、迷いながらもダイナミックに人生を生きているのが人間であるということを知らせている。善も悪も、光も闇も、賢さも愚かさも混然一体となって「境地の物語」を奏でている。私はこれまで様々な芸術作品に出会ってきて、楽しや美しさや驚きや怪しさなどで満足させてもらったことはあった。しかし鑑賞後にこれほど自身の人生に眼を向けさせ、体験の意味を想い、幸せを感じることのできた作品に出会ったことがない。
この作品は宮崎駿監督の愛と創造力につつまれている。ありがとう宮崎駿さん。ありがとうスタッフのみなさん。すべての人々にお勧めしたい!
宮崎駿監督が粉骨砕身して本気で遊ぶフルアニメ!
原作、脚本、監督は宮崎駿。
ゴールデングローブ賞アニメーション作品賞受賞。
アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞。
【ストーリー】
時は太平洋戦争末期、空襲で母が亡くなり、田舎に疎開した少年眞人は、そこで奇妙な屋敷に住むことになる。
屋敷には、好奇心を隠しもしない妖怪のような老婆が8人、使用人として住み込んでいた。
家では新たな継母となった叔母・夏子とギクシャクし、学校へゆけば皆と毛色の違うと集団で乱暴を受ける。
苛立つ眞人は、大きな石を拾い、それで自分のコメカミを傷つける。
学校へねじ込むと息巻く父親にも、それをやめさせようとする継母に何も話さず、眞人はただベッドで寝込む。
何よりも眞人を苛立たせたのは、まるでこちらを監視するかのように姿を現しては嫌な鳴き声を聴かせる、一羽のアオサギだった。
夢うつつに眞人はそのアオサギと対決するが、そいつはまるで人間のように言葉を巧みに話し、眞人を誘い込んで手の木刀を粉々にしてしまう。
眞人にまとわりつく手強いアオサギを、手製の弓と矢でどうにか追い払うも、夏子が森に姿を消してしまう。
眞人は夏子を追いかけて、大叔父が遺したという塔に入ってゆくが、そこは魔術のような世界だった。
監督自身の記憶、思い出、心象風景、トラウマをごった煮にした塔の世界を、主人公・眞人が次々と冒険します。
時に乗り越えられないような大きな危険も、そこは宮崎主人公、苦痛を顧みずに突破をはかる益荒男ぶりは皆の知るところ。
クライマックスに提示された選択にも、悩むそぶりなど見せず、自分の弱さ愚かしさを受け入れます。
……というような見れば誰でも分かる内容は置いといて、出色なのはアニメーションです。
動画のモーションがツボを押さえていてまたいいのなんの。
流石です、宮崎監督。
しかもフルアニメ!
実はジブリ作品は、ここぞという場面以外の日常シーンはコマ落とし、つまりリミテッドアニメであることが多いのですが、この映画は全編フルアニメーションを実現しています。
手描きにこだわる宮崎駿監督ですから、人物のアニメは中割りソフト(という物があるんです)を使っていないのではないかと思われます。
これはもう非常に手間と時間とお金のかかる制作方法で、かつて大友克洋が監督したAKIRAが、それで11億円もかかったという恐ろしい前例も。
背景の精緻なる美しさも目を見張りますが、塔の世界が崩壊するシーンは背景動画ではなくCGを使っていて、これまた猛烈に手間のかかるクオリティ。
ラピュタもここまでやりたかったんだろうなあ、と過去作の無念や妄念をこれでもかと手をかけて鎮魂しています。
ジブリでCGといえば『もののけ姫』のイノシシ、乙事主の身体を侵したもの凄い数のワーム形タタリ神が有名ですけれど、あれを専属でやっていたアニメーターさんは、2年間もあの冒頭シーンに費やしたとか。
監督ほんと無茶苦茶させるよなあ……。
タイトルの説教くささと「宮崎さん本物の左◯だから」と某アニメ監督から言われるような、私生活における思想的言動の多さ、パワハラぶりも伝えられる宮崎駿。
これはもう人生最後に言いたい事全部行ってやる系の、全力かつ渾身かつ粉骨砕身の老骨滅却の大パノラマお説教作品に違いない、自分のような田夫野人(でんぶやじん)は、心砕けるまで説教タイムされるのだろうか……ああ、今から自分はお金を出して説教されにゆくのか……と悲しい気持で劇場に向かいましたが、ご安心ください、上級のエンタメです。
よかった。
隣に座った母子も楽しんでいる様子でしたので、お子様を連れていっても、きっと大丈夫ですよ。
スタッフロールにはなかよしこよし庵野秀明のいるカラーなどの制作スタジオの中に、しれっとスタジオ地図も混ざっていました。
宮崎監督、細田守監督に、ちゃんとごめんなさいしましたか?
ちゃんとしないと、没後に非道が伝えられて、ジャニー宮崎とか言われちゃいますよ(言いすぎ!)。
いやあ、面白かったですよ。
尻込みしましたが、見てよかった。
二の足を踏んでいる方はぜひぜひどうぞ。
宮崎駿の終活ノート
映画というの大前提として面白くなければなりません。
楽しいのか、興奮するのか、泣けるのか、恐怖するのか。
ジャンルは何でもいいですけど、各々のジャンルに応じた映画としての面白さを担保されていなければ、それは駄作です。
監督からのメッセージや考察することの面白さというのは、あくまで映画を楽しく観るオマケの存在でなければなりません。
決してそちらがメインになって出張ってはいけません。
普通に鑑賞して面白く、何度も観るうちに隠された監督からのメッセージに気づき、さらに作品を考察して作品に深みを感じて、楽しむ。
それこそが素晴らしい映画なのです。
かつての宮崎駿作品はメッセージや考察なんか抜きに鑑賞しても楽しく、考察するとより楽しく観賞できる素晴らしい作品ばかりでした。
ナウシカも、ラピュタも、魔女の宅急便も、もののけ姫も……。
その観点からすれば、「君たちはどう生きるか」は紛うことなき駄作と言えます。
この映画の面白いところ、宮崎駿のメッセージ性とか考察とか抜きにして語れます?
純粋に物語として面白いですか?
絶対にそんな人はいません。
今この映画を絶賛している人は「宮崎駿」の最終作だからとやたら考察し、評価している人たちばかりです。
考察ありきの作品は駄作です。
物語中に出てくるオブジェクトは、ほとんどが意味を成していません。
考察すれば意味があるのはわかりますよ?
ただストーリー上意味がない「異物」でしかないのです。
船の墓は? 墓の主は? 迷うと出られなくなる庭の設定は必要か? わざわざ積み木の数を13個とした意味は? 住民が鳥ばかりで、尚且つまんま鳥なのとファンシーな鳥と分けた意味は?
考察すれば意味は通りますが、ストーリー上では意味が全くありません。
監督の伝えたいメッセージを表現するうえで必要なのはわかりますが、これらを出したいのなら物語上で何らかの意味を持たせるべきなのです。
ジブリ映画には必ずある、ハイライト的なシーンが無い。
内容の面白さはともかく、ジブリ映画には漏れなく印象に残るシーンというのがあります。
ナウシカやラピュタは言わずもがな、駿作品ではないゲド戦記やコクリコ坂ですらタイトルを聞けば何となくシーンが思い浮かぶかと思います。
ですがこの映画にはそんなシーンは無いです。
このシーンが印象的!ってシーンありましたか?
自分には思いつきません。
米津玄師は反則だということが今作でよくわかりました。
映画を観ているときはツマンナ過ぎてイライラしてましたが、スタッフロールが流れ出すと「あれ? なんかいい映画だったんじゃね?」と錯覚しました。
全ては米津玄師の歌が素晴らしすぎるからなのです。
この映画の価値はスタッフロールに集約されています。
というか、わざわざこんな回りくどい作品なんか作らず、ストレートに宮崎駿の人生を映画化したり、スタジオジブリの歩みを映画化した方が絶対おもしろかったでしょ。
今から作り直して?
問い:この映画は、何を問いたいのか?
考察
火で母を亡くした主人公
→父が夏子(母の妹)と再婚
=夏子のことが好きだがお母さんと言えない☆母親と言えない繊細な心のバランス
→母の屋敷へ引き取られる
→その屋敷が変!
変①しゃべるアオサギ
→やっつけるために、身の回りのものを使って応戦しようとする
=自分の力で、自分で考えて応戦する
変②変な建物
→宇宙からやってきたらしい
=変化はどこからともなく突然やってくる
変③夏子がいなくなる
→夏子を探しにいく(その前に、「君たちはどう考えるか」を読んで泣いている)
=世界はみんな繋がっていること、人には自分のことを決める力があることを知った
→変な世界に入り込む
→変な世界の変なこと
→変①殺すことを許されない人がいる
変②これを学んだら死ぬと書いてある門がある
変③おばあちゃんが若返っている
変④若返ったおばあちゃんが火を使ってかっこいい
変⑤地上に飛んでいって人間に生まれ変わる可愛い妖怪?がいる
変⑥変な少女ひみ(実の母の子の姿)が火を使う
変⑦可愛い妖怪をペリカンが食べにくる。そのペリカンをひみが焼く
=食物連鎖を表現しているのか?☆世界の繊細なバランス
→アオサギと共に夏子を探しに冒険!アオサギは嫌なやつ?
→インコが大量繁殖!大繁栄!人も食べちゃう
=可愛いインコも、進化次第で人をも食べる存在になる
→インコに襲われたけど、ひみに救われる
→ひみに連れられて、寝屋(夏子の元)へ
→石が夏子に何かしようとしている雰囲気!真人たすけようとする
→真人を助けようとする夏子、「あんた嫌い!」
→言葉の裏の愛を感じた真人「夏子、お母さん!!」
=夏子のことを初めてお母さんと言う決意をする
→大叔父から、この世界を告げと言われる
=世界は積み木遊びのようなもの
=さまざまな文化、思考、人種・・・などの組み合わせ。
=組み合わせ次第で、天国にも地獄にもなる
=だから、平和で穏やかな世界を目指しても、バランスがとても難しい。この世界 を平和にするもしないもお前次第と言ってくる。
→真人、勝手にお前次第とか言うなやって顔
→真人は、現実世界に戻って友達を作ると言う
=現実世界に友達がいなかった。友達のいる世界がほしい。
=「君たちはどう生きるか」は友達がいること前提の話。
=真人は友達が欲しくて泣いたのではないか?
→結局、大叔父が作り出した、変テコインコに石の世界は滅ぼされ、真人と夏子は現 実世界へ帰る
→アオサギと別れ際、「お前は友達だ」と告げる
=アオサギを友達だと自分で決めた。友達のいる世界が生まれた。
=だから、タイトルの絵がアオサギ
答え:どんな変な世界であっても、どんなに苦しい世界であっても、誰が友達か、誰が母親か、を決めるのは自分次第。自分で考えて、自分で決めることが幸せをつかむ。
みんな世界を作る石の一つ。でも、誰かに勝手に積み上げられたくはない。
この映画を見て何を考えたんだ?
お前は、どう考える?
人の意見に惑わされんなよ?
前評判のバイアスかけて見にくるんじゃねえよ!(だから、事前告知なしだ)
誰かのレビュー見てくるんじゃねえ!
「君たちはどう生きるか」って本読んだか?
お前らどう思った?
俺は、友達がいないんだ
コペル君には友達がいて、羨ましい!ムカつく!泣けてくる!
なんだこの本、友達ありきじゃねえか!?
友達ってなんだ?
俺が、友達って言ったら友達なんだ!
一人は寂しい
だから、誰が母親ってことも誰が友達ってことも俺が決める
って声が聞こえてくる映画だった。
良かったと思います
なんだかんだジブリを映画館で観るのは初めてでこれが最初で最後かもしれないと思い事前知識ゼロで観てきました。
観終わった直後の後味は正直悪く、宮崎駿さんが自分が書きたい物を書いたって感じで新海誠さん対極の存在という印象でしたが後から振り返り考えが一転したのでまとめてみたいと思います。
〈あくまで1意見なのでその点ご留意いただければと思います〉
まず個人的に気になったのは今作は何とも言えない不快感を感じる描写がかなり多く、中々今まで見た映画でない経験だと感じました。
例)
→死んだ奥さんの妹と結婚する無神経な父親、
→甥の手を無理やり取り自分の腹に当て「子供がいるの」と宣言する新しい母親、
→主人公の荷物に群がるお婆さん達、
→その後のカエルのシーンもそうでしたが
→個人的にはアオサギが主人公の真似か「オカーサン!オカーサン!」と鳴くシーンが特に衝撃的でした。
一言でまとめると「無神経」。
そしてその不快感が途中から感じなくなったのはいつからだろうと考えるとあちら側の世界に向かってからと気づき見方が一気に変わりました。
制作した、あちら側の世界はインコやデカい生物などおじいさんが作った世界だから初見で意味などは分からないと感じます。
そして主人公に継いで自分の世界を作れと言うシーンでは「悪意で自分で自分を石で傷つけた」と断ります。石で自分を傷つけることで学校へ行かなくて済むのもそうですが新しい母親への悪意があったことを本人も自覚している。
それに気づけたなら尚更この世界に留まればいいとおじいさんに説得されるも断る。
色んな人の悪意に晒されるであろう現実に戻り、友達を作り共に生きる事を選択する主人公。
といった意味では個人的にはこの作品は良かったと思います。
制作、そして人生に対する宮崎駿さんの姿勢なども含まれてるように思いますが個人的には不快感の正体を突き止められた気がしたので以上とさせていただきます。
今までのジブリ作品の面影がある分、「こういうのが描くのが好きなのですね」と分かって面白かったです。
ジブリ作品だけど小さいお子さん連れは辞めといた方がいいと思います。私だったらトラウマになりそう。
また原作無視な所も相変わらずかと思いました。
お前いいやつだな、が響いた
男の子をもつ母として涙がこぼれました。
さすが宮崎駿の書く男の子ですねと思いました。
お母さんとの別れを受け止めきれず、
新しいそっくりのお母さんに抵抗がありつつも、
お腹を触らされてぎょっとする。
疲れて部屋で寝てしまったときの寝顔の可愛さはまだまだ子供なんだなぁと。
素朴さと生真面目さと素っ気なさがちゃんと男子。
夏子さんを助けに行くのも偉いです。
久子さんをダシにされ、罠だと分かっていても足を踏み入れて確かめに行く。そうして真実を自分で見つけていかないと進めない。と宮崎駿は言いたいのかな?なんて思いました。
産屋に入った新しいお母さんの「あなたなんか嫌い」お母さんもお母さんしようと一生懸命だったのに。ちゃんと心を砕いて新しい息子と向き合おうとしてたんですもんね……からのお母さん呼び、泣けました。
もともと私は頭の中がとっ散らかっているからか?
筋が通っているか否かは気になりませんでした。
夢の中、ファンタジー。どなたかが不思議の国のアリスと書いてましたが次々と美しい絵が出てきて楽しかったです。青鷺といい老婆といい、気味悪いという印象からちゃんと愛らしく感じられました。
観終わった後はぽーっとしてました。
時間があれば2回目も観にいきたいです。
老人の妄想か、はたまた 僕らの世界が間違っていて、本当の世界の姿はこうなのか
この映画を、事前の先入観一切ナシに鑑賞することができて、こんなに幸せな事はないと思っています。
晩年の談志落語のイリュージョンや、黒沢映画の果て
最盛期を過ぎて、下手になった、晩節を汚したと謳われるようなこれらの作品群を
退化と捉えるか
進化と捉えるか
それによって、作品の評価が180°変わるのですね。
この作品は、正にそんな作品でした。
事前情報も作品のリードラインも一切ないなか
観客は、主人公が自傷するあたりで動揺しますよね。
理解できない、これまで語られたことのなかった物語に対して
自分自身の価値観を、判断を迫られるのです。
それこそが正に「君たちはどう生きるのか」という事でしょう。
このよく出来た、主人公たり得るに相応しい
母を失い、被害者と正義感の同居する
お行儀の良い、しかしひとりになった途端に涙をこぼすような
完全無欠な観客の感情移入のお手本のような少年が
まったく正義なだけでも完全無欠の主人公でもなく、むしろ悪とエゴにも満ちあふれた
ひとりの人間であることに混乱するのですね。
大衆は、桃太郎は鬼も退治しましたがバイクを盗んでガラスも割りましたでは、物語の主人公としては困るのです。
大衆が勝手に求める完全無欠の虚像として、物語の主人公も、政治家も、テレビのタレントも
そうあって貰わなくては困るのですね。困るから、たかが女優が不倫しただけです炎上したりするのですよね。
しかし、桃太郎にだって女優にだってそんな一面があるのです。だって、人間ですから。
この時点で、この物語は、そんな子供向けの単純な作品ではなく
大人向けの、善悪も矛盾も孕んだ、人間を描いた作品であることがわかります。
わからない人は、ここで置いてゆかれます。
こここそが、これまで宮崎駿氏が超えられなかった、アニメーション故の境界線なのですね。
これまでの作品で、例えば、父親像でいえば
優しいだけのダメな父親、社会的に力を持つも人格的に難ある父親、
家族の前に居られない存在感のない父親、
それらがすべて、観客に理解されなかった果ての、今回の父親像こそが
ようやく、人間なのだと感じられました。
社会的に力を持ち、成功者でもある反面、子供からしたら気持ちが理解されることのない
しかし愛すべき愛情に満ちあふれた、このエゴの塊のような父親像こそが、まさに人間であり、
僕の貴方の身近にいそうなリアルな父親、、この境地なのだと思われます。
アニメーションの絵柄に守られた境界線を越えて
ダメで立派なひとりの人間としての
父親像をようやく、宮崎駿氏は描いたのだと思いました。
世界は矛盾に満ちている。
あんたなんか大嫌いということは、大好きという事ですし
友達でも仲間でもないという事は、互いに対等な立場と言うことなのですね。
これらの、一見、矛盾ともとれる感情が入り混じり、境界線なく、裏返り、一体化したものこそが
人間そのものですよね。
立川談志は弟子に「一人前になる修行とは、矛盾に耐える事だ」(=矛盾を受け容れられるようになることだ)と説いたそうですね。
そう、途中までは、宮崎映画に期待する自分の過去の先入観が邪魔をするのですよ
ああ、手描きに似たこの表現は良いなぁ、このキャラクターはまるで※※のようだ、
このシーンはまるで未来少年のようだ、ルパンのようだ、いや、アリエッティだって入っている
ハウルだって、ポニョだって、千尋だって入っている。いやこれは駿流のゲド戦記か? エヴァンゲリオンなのか?? OnYourMarkのセルフカバーか?
高畑勲という師匠を指針を失って初めて、宮崎駿氏の見失った羅針盤は、内面に向かうのか、弟子筋に向かうのか、外側に向かうのか?
それとも、未だに悪魔のようなプロデューサーの庇護下から出られないでいるのか?
遠い昔に読んだ、ナルニア国物語や色々な児童文学も入っているのか。アリエッティもマーニーも入っているのか?
けど、、考えてみればアタリマエなんですが
すべて逆で、これまでのそれらの要素すべてが、宮崎駿だったんですよね。
宮崎駿の感性が、其れ其れの作品に散りばめられていただけ
元はすべて、宮崎駿なのだから
この映画にも、これまでの映画にも
其れらが息づいているのは 当然なのですね。
それを僕らが勝手にジブリ映画の要素だと錯覚していただけなんですね。
繰り返しになりますが、僕はこの映画を、先入観なしに観られて、本当にありがたいと思いました。
君たちはどう生きるか? ということは、君たちは、この映画をどう見たか? ということですよね。
この映画を面白く見られた人は、面白い人生を歩むのでしょう。
私もそのひとりであり得たことを、心より感謝いたします。
ひとは物語は世界は単純な善悪では語りきれず
この矛盾に満ちた、説明できないものが
ひとであり、世界であり、宇宙なのですね。
私の好きな作家で野田秀樹氏がいますが、正にこの時期に上演された
「兎、波を走る」でも、もはや人類に新しい物語はないのかも知れないと語られていましたし
また同じく、私の好きな作家で松尾スズキ氏の言葉で
「宇宙は見えるとこまでしかない」にも代表されますが
人がヒトたり得る感知感応できる世界は、
結局、人が認知できる世界までしかないのですね。
それは庵野秀明氏が「シンヱヴァンゲリヲン」や「シン仮面ライダー」で渇望した
己の中にない、未だ見ぬ外宇宙の元素を渇望するその衝動にも似ています。
方向性が違うだけで、その境地に辿り着いた巨匠達は、その飢(カツ)エに飢えて
爪を掻きむしりながら、やがて辿り着く境地があるのですね。
それもそのはず
宇宙や世界が無限に広くとも、それを構成される
原子や素粒子といった要素は、その宇宙や世界を構成するものでしかなく
人もまた、人がヒトたり得る世界の中のもので構成されているのです。
宮崎駿が、立川談志が、黒澤明が、宮沢賢治が辿り着いた果ては
もはや狭くも無限に広い宇宙のなかで
語り尽くされた物語の数々を構成する
「人間そのもの」なのですね。
もはや多くを語りますまい。
私の敬愛する、宮沢賢治のこの一説をお借りして、この作品のレビューとしたいと思いました。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
以上、宮崎駿氏の心情を、私なりに最上級で表現をしたつもりです。ご査収ください。よろしくお願いします。
この世界観をどう受け止めるか
宮崎駿監督の中でもおそらく一番難解でグロテスクな作品ではないだろうか。
確かに心に焼き付く作品ではあるが、どのように受け止めて良いのか迷ってしまった。
決してエンターテイメント性がないわけではない。
『ナウシカ』や『ラピュタ』や『もののけ姫』などを彷彿とさせるような描写もあり、冒険ものとして、また異世界ものとしてワクワクさせられる部分もあった。
しかしどこか整合性が取れていないような違和感がずっと拭い去れない。
実はこの違和感は冒頭からずっとあった。
まるでデヴィッド・リンチの描く悪夢を観ているような感覚もあった。
日常の延長線上にある非日常的な光景。
まず主人公の眞人が口数が少なく、何を考えているのか分かりにくい。
彼は最愛の母親を空襲で亡くし、父親と共に田舎に疎開して来た。
父親が軍需産業で儲けていたこともあり、暮らしぶりは裕福なようだ。
礼儀正しく、物分かりが良さそうでもあるが、心にとても腹黒いものを抱えているようにも見える。
突然喋り出すアオサギに敵意を抱きながらも、アオサギが喋るという非日常な現象はすんなり受け入れているところや、拒絶感があるのか父親の再婚相手の夏子のことを「父親の好きな人」と言い続ける冷たさなど。
疎開先の同級生と喧嘩した後に、わざと石で頭をぶつけて大量に血を流し、父親には転んだのだと嘘をつく姿にも狂気を感じる。
感情をあまり表に出さないので忘れてしまいがちだが、眞人はまだまだ子供であり、母親の死を受け入れるには幼すぎたのかもしれない。
そう考えると、この映画にはいたるところに眞人の声にならない叫びが溢れているようにも感じた。
とにかく観ているこちら側も状況を整理出来ないまま、物語の展開に呑まれていく。
良く分からないまでも、この映画が死と密接に結び付いていることは良く分かった。
そして真に争いのない平和な世界を実現させようとすれば、大きな犠牲がつきものになってしまうことも。
この世界があり続ける限り、人はこれからも衝突し続けるだろう。
それでも人はこの世界を必要とし、苦しさの中で生きる意味を模索し続けるのだろう。
様々な考察が出来そうだし、おそらく隠されたメッセージもたくさんあるのだろう。
残念ながら理解が追い付かず、十分に楽しむことは出来なかった。
ただどれだけ難解でも本当に優れた作品は理屈抜きで凄いと思わせる何かがある。
まだ一度観ただけだが、この映画からはその凄みのようなものを感じることが出来なかった。
これが宮崎駿監督の集大成だとすれば何だかとても独りよがりに思えて寂しい気持ちになった。
亡くなった母親のダミーを見せるような悪意あるアオサギが、眞人の友達になっていく展開はとても良かったが。
全741件中、161~180件目を表示