君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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わたしはラピュタが好きだ
まず基本感想としては、
物語を作る側の人間として私はこれを肯定できない。
わかりやすくできたのにわかりやすくせず、
やりたいことやいろんな要素を好きに詰め込んで
バーンとぶちまけて涼しい顔してあさってのほう向いてそうな感じがなんかいや。
届いても届かなくてもいいんだ!っていうのは同人作品の考え方であって、商業作品でお客さまに楽しんでもらいたいっていう気持ちをなくしたこれは培ってきた評価と何やってもついていくファンを悪用した自己満、よくないアーティストの行き着く未来。と感じてしまう。
真心をこめたエンターテイメントでたくさんの人の心を揺らして感動させて人生に残る物語を生んできた宮崎駿はもう帰ってこないのかという寂しさをまずは覚えてしまった。
見つめているのに目が合わない感じ。観客として望まれていないんだという疎外感。
一方で、こうやって観た人に作品について綴る気持ちを持たせるパワーはすごいと思う。
わーすごかった、おもしろかったねーで終わらせず、フィクションについて真剣に考える時間を人々にもたらす。
わかりやすいを重視しすぎてこじらせつつある風潮と逆行する。一過性のものではなくちゃんと心に何かを残す。さざなみを立てる。
宮崎駿がやるからこそ効果は高いし若手にはできないことをやってあげて一石を投じているんだとすると、前述したこととは反するけれどそれは評価できることでもある、のかもしれない。
君たちはどう生きるか。フィクションづくりに関わる人々、これから関わるかもしれない人々に向けて限定的に問うているんだろうか。
もちろん限定的じゃないようにも受け取ることはできる。
だれだってつらい現実から逃避したくなることはある。架空の正しく美しい世界と、現実のいびつで汚い世界。正しさ美しさに依存して架空世界から戻れなくなった大叔父と、すべて呑み込んで現実世界で誰かと生きようと決めた主人公。どちらかといえば大叔父の方が後悔していて、主人公の方がきらきらしく見える。大叔父にはない成長が主人公にはあるから。
主人公のように勇気を持ってサバイブしてほしい、友だちがいれば汚い世界でも生きていけるはずだよ、と子どもたちはじめ誰しもの背中を押す作品でもあると思う。
それでもやっぱりそれに繋がる過程があまりに個人的で抽象的で私小説的だよー!!!!
でもなぜだか読後感は悪くないんだよなぁと思っていて、とりいそぎふたつの理由を見つけた。
①わからないことがたのしい
多くのクリエイターがわかりやすさを研究しているいま、こんなに潔くさまざまなことを「わからない」ままで済ませられて、だからこそかっこつけず心置きなく「わからん!!!」と言える気持ちよさ
それでもわかりたくて他人の考察にふれてみたりすることで、知的好奇心を刺激するひとときを得る
②懐かしいかつての児童小説の雰囲気
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、ミヒャエルエンデの「モモ」など、迂遠的、芸術的な表現で子どもの心を養おうとする作品たちは過去にもあった。(例に出したものたちのほうがもうちょいシンプルで親切だったとは思うが)
そうしたやさしいものたちと似た温度で包まれて、子どもの頃に戻れるような錯覚は心地よい。
……
なので私はこの作品を手放しで肯定はしないけど、悪い作品だとも、時間が無駄になるとも思いません。
けどクリエイターでありながら
・この作品を手放しで褒める人
・「わからなかった」と言う人や酷評する人を否定する人
については、どんだけ考察たれてらしても、クソ浅しゃらくさ自己満エセクリエイターだなと見てしまいそうです。
宮崎駿監督の新しい作品が映画館で観られることは本当に嬉しい
多くの方が書いているように、娯楽作品としての完成度は高いと感じられず、最後まで期待を大きく超えるような瞬間がなかった。絵もアニメーションも美しいものの、かつてのジブリアニメ、宮崎アニメのスペシャルな何かが欠落しているように思えて。何か寂しい物足りない気持ちが残ってしまった。
私の知性と感受性の無さも多分にあるんだろうけど、そうであれば求められるものが高すぎるし、2回3回と観て少しずつ解釈を上書きしていくマニア的楽しみ前提のようなものも正直辛い。そのような楽しみ方もあって当然だけど、映画は初見1回でも十分楽しめるものであってほしい。なのでこの点数が限界。
全然正しくない気もするけど、私の1回見た限りでの考察は、
内向的で鬱屈した頭の良い少年が、母からの「君たちはどう生きるか」を読んで、世界や周囲の人間に対する新しい自己のありかたや価値観を獲得し、神曲をモチーフにした創作世界(塔)に挑む。
塔の原理を司る石は西洋からやってきた価値観や文化、資本主義や商業主義、消費主義的な、なんというかアメリカンゴッズ的な神だろうか。高畑監督ではなくこっちかなあと私は思った。このままでは崩壊を免れない創作世界(塔)の中で、これまで石の元で仕事をしてきた宮崎監督と宮崎少年が対話し決別した結果、現実と向き合い新しい創造の道を歩む。そんな意志表明のような作品。
もう一つの軸は、やはり母、母性、女性に対する価値観。ここも正直もっと強烈な独特の見せ方をしてくれるはずみたいな。
これらは全く間違っていたり、もっと難しい色々複層的なテーマもあるのだろうけど、すぐに2回目3回目を観に行こうとは今は思えていない。
ファンとして宮崎駿監督の新しい作品が映画館で観られることは本当に嬉しいし、引退を撤回し82歳になった監督がここまで芸術的でパーソナルな作品を出してくることにも戸惑いもありつつ、感動している部分ももちろんあり。
でもくどいけど、娯楽作品としても見られる完成度がもう少し欲しかった。
蛇足だけど、最後のシーンで宮崎少年が積木を一つ持ち帰ってたけど、これって積木は風の谷のナウシカでシン・ナウシカやるよー!的な伏線かなって思いました。
まさかのベックリン❗️
始まってすぐは、動画の動きに違和感を感じてしまいました。
過剰な人物や物の線の動きが、気になってしまった。
もう少しケレン味?省略の快感の様なものが、以前のジブリには、あった筈だと。
動きの過剰さに比べて、背景の密度の無さも気になってしまいました。
もっと緻密さや、世界観を脳内に想起する様な背景だった気がして、薄っぺらい感じがしてしまいました。
大邸宅も、離れの洋館や森、キーポイントの塔も、位置関係がぼんやりしていて、距離感が掴めなかったです。
良作の映画は、何と無くそういう舞台構造が、イメージしやすいモノだと思ってます。
自動車と人物の等身等も、以前の心地よいディフォルメから、微妙にズレてきている気がしてしまい、気になってノイズになってました。
そういう粗を感じてしまって、序盤に宮﨑駿氏の老いからかと思い、少し悲しく見てました。
話に非日常が増え始め、
彼岸?下の国?に入り込んですぐ、まさかの死の島!ベックリンの死の島のオマージュ?で、
びっくり‼️まさかジブリ映画に?
リドリースコットが、エイリアン・コヴェナントで引用した時は、苦笑いしましたが、まさか宮﨑駿が!っとビックリしてしまいました。
そこから先は、なんだか素直に見てしまいました。何も考えず唯々イメージを飲み込む感じで。
私は、千と千尋より本作が好きです。
宮﨑氏の説教臭さを感じる事なく、本作は見れました。
トトロの時の、私の心の琴線に触れるまででは無いですが、とてもシンプルな咀嚼することないイメージの羅列に、ある種の清さを感じました。
巨匠の終末作、黒澤明の「夢」の様な感じもありますが、それよりももっと腹を割った感じがしました。
宮﨑駿自主映画として、好きです。
なんかまとまらない文章、失礼しました。
勢いで、書いてしまいました。
後、宣伝しないとかの仕掛けは、プロデューサーの思いつきなので、どうでも良いですわ。
これで引退せずに、最後に超絶娯楽大作作ってくれたら、カッコイイかな。
パンダコパンダみたいな。
新作を受け取った喜び
印象 3つまで の中では怖い しか選べなかった。
村上春樹さんの新作も時期が近く、並べて何か書く人が多い。
私も並べたくなった。それは、ご両人とも、もしかして最後の長編かもと考え、自然と集大成のような内容になったかなということ。既視感とても多め。でも批判じゃありません。どの歴代の作品も好きだから確認作業は幸せです。
ただ、最後のつもりかもしれない創造主に反し、次も待ってますから!と思うのは欲しがりな受け止め手の性。
作中のゆるキャラ?ワレワレのように我々も作品を滋養としてふゎーとまた飛びたいです。
無秩序に、宮﨑駿の夢と愛が詰め込まれる
宮﨑駿作品はメディア用の表のテーマと自身が描きたい裏テーマがあるように思うけど、本作は「表のテーマ」が見つけられないほど作品が個人的。ジブリの集大成、スタジオの終幕を示唆するとともに、描かれていたのは現役を支えた仲間家族への感謝と愛と感じました。
半生をなぞったアート色が強い作品でありながら、エンタメとして成り立ってしまうこと自体が宮﨑駿がたどり着いた境地と思う。馴染みのアニメーション、聴き慣れた心地よい音楽、これらを“馴染みの”と思える豊かさにも気付かされながら、冒頭から書き込みの細かさやエネルギーに圧倒されて、この時代にまたスクリーンで宮﨑駿作品を見れること自体が胸にくる。これで育ってるからね!!!
起承転結も秩序もないのに感覚的に理解できてしまう。好きポイントでした。俺の人生を一言で括られてたまるか。そんな声が聞こえる気がするのは、事前開示やプロモーションを削ぎ落とす外側の姿勢や、作中のインコの大群が世の中への皮肉と感じられたから。
きっと天国地獄と比喩されていた下の世界は監督の創作人生そのもので、大叔父は自分自身。自分をはじめ、つくり手たちを呪縛から解き放ち、僕はこの生き方を選んだよ。これからの時代を担う君たちはどう生きる?と、問いかけられるというより、自分の半生をもって未来への裾野を広げてくれた感覚に近かった。
前向きな気持ちになったことは間違いなく、描くぞ、と奮い立っている。ああできればさよならなんて聞きたくなかった。
この夏はもう来ない
物語のある時から、テンポが速くなる。ハヤオが思い出したかのように、得意で大好きなことを描き始める。アクション、異世界、そして少女。夏休みが終わることを悟ったかのように。急ぎ足で。
この映画の制作中に、恩師でありライバルの高畑さんが逝去し、自身にも死が迫っていることを初めて意識したのかもしれない。
過去作のオマージュは、オマージュではなく、締め切りや予算に追われて当時描ききれなかった後悔を総括するための、描き直しなのかもしれない。それは夏休みの宿題だったのかもしれない。
花火大会のフィナーレのように、惜しげもなく繰り出されるあの玉この玉が、公開初日の満員のスクリーンで大爆発していた。
“Animation”
絵に息を吹きこむ喜びを。アニメーションの、原体験を呼び起こさせる、純粋な動機を、好奇心を感じろ。読むのではなく、考えるのではなく、見るのだ。
そこで観客も気づく。
あれ、これはもう見れないの?
夏ってこんなに短いの?
もうこの夏は来ないの?
宮崎駿、好きに生きてくれてありがとう。
【ジブリの奥深さが詰め込まれた素敵な作品】
事前の情報が何もなくワクワクした気持ちで劇場で観させて頂きました。
先に、観終わった時の気持ちとして、胸を熱くさせてくれる作品だと感じました。
これまで観てきた様々なジブリ作品を随所で感じることができる素敵な作品でした。
映画を観終わり劇場を出るために歩いている際、周囲にいた方の話し声が聞こえてきたのですが、あまり内容が分からなかったという方も多いのかなと感じました。
私個人としては、内容もスッと入ってきて、もちろん全てではないですが、宮崎駿さんが伝えたい何かを感じることができ,最後は何故かわかりませんが涙が少し出るような胸の熱くなる作品でした。
人それぞれ捉え方は異なると思いますが、これまでのジブリ作品の中でも私は非常に良かったと感じたので、気になる方は一度劇場で観ても良いのかなと感じました。
まさかの〇〇系
よくわからなかったなどの感想が多かった印象ですが、たまたま吉野源三郎著の『君たちはどう生きるか』を、読んだことがあったのでこの映画作品との妙なつながりにハッとさせられました。
小さな子供と見に行くのは少し難ありです。序盤はほぼほぼ怖い表現しかないです。
※ここからネタバレです
まさかのタイムリープ・異次元系でとても楽しかったです。
私は、眞人のお母さんであるヒミの言った(後に焼け死ぬ運命になっても)「素晴らしいじゃないか。眞人を産めるなんて。」が聞けて本当に感動でした。
ヒミが眞人に『君たちはどう生きるか』を渡してなければ、眞人はこんな逞しい決断はしなかっただろうと思わせられました。当たり前ですが無駄なシーンは一切なく、初めから終わりまで物語に引き込まれました。
私も誰かから何かをしてもらったり、何かをしたりお互いが少し関わるだけで後の結果は、良くも悪くも大きく変わっているかもしれないと感じました。もちろんこの映画を見たことで、明日の私は、小さなことでも今までの自分とは違う選択をするかもしれないと思いました。
珍しく説教系じゃなくてジブリでは一番楽しめました。
宮崎駿監督が作りたかった映画をみられる幸せ!!!
キャラクターがとんでもなくかわいいので、あれを公開前に出さない戦略、いいと思います。あれだけを見にもう一度行きたいです(行きました)
それから画面の表現力が尋常じゃないです。
きれいなだけでなく、伝わってくる情報、感情が多すぎて、
気持ちが動きすぎて、どうしたらいいかわからなくなります。
それがなんなのか考えることも楽しいです。
ストーリーも私は大好きでした。
別の世界、新たな視点から世界を見て、今はまりこんでいた世界を抜け出すというような。
でも難しくなくて、ものすごく楽しいし、上滑りの部分は全くないです。
最後にはぼろぼろ泣いていました。
天才の宮崎駿監督とそれをリスペクトして支えるスタッフの方々。
こんな映画を作って下さって感謝したいです。
私は過去作と比べてもかなりこの映画が好きです。
以下ネタバレです。
完全に地獄めぐりとか、ダンテ神曲のイメージで見ました。下は死者の国です。大叔父はそれを司る石と契約して、その国をより良いものに作り変える権利を得、その国の王になった。親族も王族の扱いです。けれど、連れてきた鳥は増えすぎ、飢え、全く上手くいっているようにみえない。悪意の石。世界が崩壊することを恐れているのは大叔父だけで、石はそれも想定内、どうせ人間なんてできるはずないと思っているようにみえました。壊れたら、元の地獄に戻るのかな?
夏子は眞人を守るため、後継者を産むために、自ら死者の国に行きます。眞人が迎えに来たとき、強く帰りなさいと言っていました。夏子は若いキリコや久子にも驚いていなかったので、多少事情を知っていたんじゃないでしょうか。久子と夏子には何の遺恨もないようにみえたし、久子が死んでしまい、眞人を現世に残すために後継者を産むと考えると、姉が死んですぐに義兄との子供を妊娠した理由も納得できます。ラストシーン、産まれた子供はやはり男の子でした(久子や夏子が後継者候補になっていないことを考えると、男でないといけない?)現世では勢いのある単純な(無神経な)雰囲気の眞人の父は初めから終わりまで部外者なのが、皮肉です。
もうひとつ、眞人は前半夏子を嫌い、むくれていたのに、母からの本を見つけたとたんに、ガラッと雰囲気が変わります。あれは秘密書的なものじゃなかったのかなと想像しました。夏子さんは好きで森に入ったんじゃないと思う、とまで言っていたし。
ラストシーンで眞人が石を触るシーンも良かったです。お母さんの娘時代に会えて、あなたを産めるなんて最高って言われて、火に苦しんで亡くなったんじゃないってわかって、良かったね。
全部完全に妄想です。
何の情報もなく映画を観るって、本当に新鮮な体験でした!
ジブリっちゃージブリ
冒頭の階段ダッシュ、やたらプルプル動くパンとジャム笑
あれこそがジブリ
ただ、ストーリーはありきたりで他人にオススメするほどではなかったかな。
あっちの世界に引き込まれて、海が広がってて、見えない何かぎ通り過ぎて、人型の黒い何かがいて。
デスストランディングかと思ったよ笑
宮崎駿による宮崎駿の世界の解釈を長編アニメにすること
2023年。宮崎駿監督。宮崎監督が引退を撤回して臨んだ久々の長編アニメ。「引退」とかあたかも自分の人生をコントロールできるかのようなことはやめたほうがいいってことですね。または、「引退」と言ってみたからやりたくなったかもしれないので、それも含めて、なるようになるしかない。
さて、作品はというと、これまた「宮崎駿の引退劇」を読み込みたくなる内容。物語は、第二次世界大戦中、火事で母を失った少年が主人公。軍事工場を経営しているらしい父はその後、母の妹と再婚してその実家の古い屋敷へと疎開することに。そこには不思議な塔があって、母(と新しい母となるその妹)の伯父がそこで行方不明になったとされている。少年は不思議なアオサギに導かれてその塔へと入っていく、、、というもの。この塔のなかではくだんの伯父によって不思議な「世界」の構築が行われており、少年はその世界を受け継ぐことが期待されている。これはもうどう見ても宮崎駿(伯父として表象)が築いたアニメの世界(狭く言えばスタジオジブリ)の後継という話だろう。宮崎駿がいわゆるアニメオタクを遠ざけていたのは有名な話だから、自信がつくった「世界」をそのまま受け継いでほしくはないのだ。少年が「後継」を拒否するあたりにそのあたりの「欲望」が現れていると見るのは自然だろう。
もうひとつ、重要なのはタイトルの「君たちはどう生きるか」。原作は大正から昭和にかけてヒットした小説。思春期の少年が学んでいく実践倫理学的な物語だ。この本を主人公が読むのは、父の再婚相手が母そっくりの叔母であることにもやもやを募らせ、しかも不思議なことが起こり続ける古い屋敷にフラストレーションがたまっている時だ。要するに、自身の内部の感情や道徳観では処理しきれない現実社会を生きるための、倫理的な道しるべとして外部から(死んだ母の残した本に偶然気づく形で)もたらされている。それまで新しい母となる叔母につれない素振りだった主人公の態度が変わるのはこの本を読んだ後だから、物語上の意味は明らかだ。主観的に素朴な感情をいかに克服して「人間」として生きるか。本作の場合、それが母の死を乗り越え、新しい母を救出し、異世界においても生き延びるすべを与えてくれる道しるべとなる。
つまり、片方に宮崎駿が構築してきたアニメの世界があり、片方に内的で主観的な感情の世界がある。「君たちはどう生きるか」という本はその両方を行き来しながら大人になっていく主人公にきっかけを与える重要な本なのだ。しかも、それをさらっと、ほんの一瞬だけ示すというところに、アニメーターとしての宮崎駿の矜持が見えるようだ。アニメはおもしろくなければいけないので、長々とタイトルの意味を解説すべきではないのだ。
ちなみに、細かい演出や映像の断片はどこかでみたことがあるといいたくなるものばかり。意図的な演出なのだろう。「宮崎駿の世界」を描いているのだから。
次世代へのメッセージ
大叔父様から眞人へのメッセージが、そのまま宮崎監督から視聴者へのメッセージとして読み取れた。"これまでの世界は崩れつつあるため、より善い世界を君の手で創ってほしい"という思いは第二次世界大戦下の当時に当てはめることもできるし、2023年現在に当てはめることもできる。そんなメッセージに対し、眞人は美しい世界で生きることより、悪意もあるし殺生も時にはしなければならない世界で生きていくことを決意したように感じた。過去作品よりも、よりリアルで生々しい実際の世界を映し出した綺麗事のない真っ直ぐな作品だと思う。
好きな人以外には薦められない。気になるなら観ておいたほうが。
個人的には、途中で映画館を出たくなった。
君たちはどう生きるか、私はこう生きた。
自伝「ふしぎの国の駿」
青鷺は鈴木さんだよね。
明確には言えないが色んな作品、人が出てる、ような気がする。
10年ぶりの宮﨑駿ワールドを存分に楽しませてもらった
1枚のポスターデザインからは想像がつかない展開の数々に、ワクワクが止まらなかった。
※この先はネタバレを含むため、ご注意ください。
空襲警報が鳴り響き、眞人の母のいる病院から火の手が上がる冒頭シーンから、時代設定が第二次世界大戦中ということがわかり、けっこうビックリした。
疎開先の駅に出迎えてくれた母の妹のお腹には、腹違いのきょうだいがいるというのは、当時は割とよくある話だろうけれど、素直に受け入れられない眞人の繊細な気持ちの描き方は流石の一言。
眞人が机の上に積んでいた本の山が崩れて片付けているときに偶然見つけた『君たちはどう生きるか』を開いたら、「大きくなった眞人君へ」と書かれた母の字があり、読み進めたページの上にぽたぽたと彼の涙が落ちるという一連のシーンにはグッと込み上げるものがあった。
自分がいなくなった後も大切な存在に残してあげられるものが、この小説ということも、宮﨑監督からのメッセージなのだと受け止めたし、ぼくもわが子に同じことをしてみたくなった。
本作にはいろんなキャラクターが登場するが、若き日のキリコさんは痺れるほどカッコよかった。切符のいい女性像は『天空の城ラピュタ』のドーラを想起したし、他にもこれまでの宮崎駿作品の登場キャラクターを重ねてしまう場面があった。
眞人の父親は戦闘機の部品を作る工場の経営者として儲ける人物として描かれていた。そして眞人も、望むと望まぬとに関わらずその財力の恩恵を受けていることがわかり、複雑な思いに駆られた。
眞人の「悪意の証」は、そういう自分自身を否定したい気持ちから付けられたのではないかと想像する。
「命の誕生」も重要なテーマとなっており、密接に関わるキャラクター「ワラワラ」もかわいかった。すべてのワラワラが無事に空に飛び立てるわけではないところがリアル。生命は誕生そのものが奇跡であり、神秘的なのだということを表しているように感じた。
魚、蛙、ペリカン、セキセイインコの大群に対して、唯一無二のトリックスター青鷺の存在感は抜群。擬人化されたインコたちもユーモラスだった。
お屋敷のおばあちゃんたちは「白雪姫」に出てくる7人の小人のように可愛らしかったし、冒険シーンはいかにもジブリ作品らしかった。
ラストは少し唐突な感じがしたことは否めないが、10年ぶりの宮﨑駿ワールドを存分に楽しませてもらったことは間違いない。
普通のSFファンタジーエンタテイメント映画として楽しめた。
ネットでは賛否両論あるそうですが、自分はエンタテイメント映画として楽しめましたね。
意味だのどうだの難しく考えずに、ジブリ作品を楽しみましょうよ。
気に入ったのは、若きお母さんの操る帆船。未来少年コナンのオープニングを連想してワクワクしました。
海はこっちの映画の方がずっと綺麗でしたね。なんせ半世紀のギャップがあるのですから。
若干、唐突に子ども向けのキャラが動いたりして‥まあ、ご愛嬌ですかね。
メタバースのターミナルの崩壊を防ぐため大伯父の足掻きが巻き起こした事件に巻き込まれた普通の少年の物語。
半世紀の間、宮崎駿作品を見てきた自分的には、決して好きな映画上位に位置しませんが、風立ちぬより好きな映画でした。
ザンネン
賛否両論
もちろんあります。
僕はジブリが大好き。
考えるより感じていたあのドキドキ感。
ジブリ。
それが無くなってしまった風立ちぬから
立て直せず。
自伝的に考えさせる作品となった。
考察は多々あり、また隠れた仕掛けも
これから話題になるかもしれないが
映画館で観たあの名作たちと肩を並べることは
到底遠い作品となったか。
鳥の鳴き声がモールス信号。
積み木の数が作品の数
戦争から離れられない思いの強さは
どこへ向けての発信なのか。
子供が見て、意味がわからなかった。
途中から寝てしまった。
何度も何度も観たいと思われる作品を
待っていた。
トトロ、魔女の宅急便、もののけ姫、、、
ザンネン、、、
婆さんあんなに要る?
正直、かなり不安があった。
「原題作の映像化ではない」ので予測は困難、『SLAM DUNK』と比べても極端に事前情報が少ない。
宮崎駿の引退撤回も、情熱故であればよいが、金や名誉、会社のためだったら…
結果、情熱はあったと思う。
しかし面白かったかというと、話は別だ。
最大の難点は、人物の感情や動機がまったく伝わらないこと。
特に主人公である眞人に人間味が皆無で、何度も死にそうになりながら取り乱すことすらない。
何のきっかけもなく夏子を「母」と認め、ヒミとの別れも「このままでは死ぬ」と言いながらアッサリ。
無表情かつジブリ的な棒演技のため、余計に読み取れませんでした。
(棒といえば、ヒミの泣き演技はヒド過ぎた)
異世界の細かな説明はなくてもいい。
しかし、例えばヒミが「この中では制限される」と言うが、能力が不明瞭なためそれがどう影響したか分からない。
大叔父が何を目指し何をしてきたのか知らないのに「道半ば」とか「継いでくれ」とか言われても…
要するに、没入させてくれる要素がなかった。
ジブリをメタ的に表しているとの解釈も見たが、だとしたらそれを仕込みつつエンタメに昇華しなければただの身内ネタ。
母から贈られた『君たちはどう生きるか』を読み涙するシーンもあるが、未読には意味不明。
ただ、作画に関してはジブリの正当進化を感じ、序盤で火の中を駆けるシーンは素晴らしかった。
「宮崎駿はこう生きた、君たちはどう生きる?」ということかな…
趣味に付き合わされた2時間
戦争に関わるのかと思いきや、ファンタジー要素が突然現れ、ただ怖いだけのシーンが続いた。その後は、お得意の三途の川を思わせるシーン。そしてよくわからない建造物と生命体。何をしているのかはわかったが、前提がよくわからず、感情移入はまったくできなかった。
オチは理解できたが、起承転結の結だけ良くて言い訳がない。時代設定に関しても、戦時中である必要性を微塵も感じなかった。1つあるとすれば、戦闘機の絵をどうしても描きたかったからとしか言わざるを得ない。
宮﨑駿監督が好きな方は、趣味丸出しだと思うので、観てみればいいんじゃないでしょうか。映像は美しかったです。
創造の世界と僕
非情に抽象的な映画だと思うし、個別の要素だけ追っているととっちらかっていると言えてしまうのかもしれない。
賛否あるレビューを呼んでいて、「自分と他者の世界に折り合いをきちんとつけられている人には、もしかしたらあまり響かない映画なのかもな」と思った。
本来、レビューというのは作品の魅力を伝えるために書くものだと思う。けれど、僕は誰かがこの映画から何を受け取ったのか知りたいと思ってレビューを探していたし、僕がこの映画に参っているのは簡単には言語化できない熱量と感情をぶつけらたからだと思うので、以下には個人として「感じて想ったこと」を書いていきたいと思う。
映画の内容に触れているので、観ていない人にはお勧めしない。是非大人は内容を調べずに映画館に行って、殴られてくらくらしたり、怒ったりしてほしいと思う。
前提として、僕は特にジブリの熱心なファンというわけではない。
子どもの頃から宮﨑駿作品に触れてきて、漫画版のナウシカもジブリ映画も幾度となく見てきたし、好きだったけれど、年を重ねるにつれてなんとなく徐々に遠のいてしまった。最後に見た作品はゲド戦記か、ハウルだっただろうか、といった程度だ。
今回見に行こうと思ったのも、SNSで「宮﨑駿監督の作品が公開される」という話が流れてきて、「監督お幾つだっけ」と検索して、なんとなく気が向いたからという以外に理由もない。
結果、素晴らしかったし、映画館で観ることができて良かったと思う。
けれど、レビューするのは本当に難しい。
キャラクターが良かったのか、と問われると首を捻らざるを得ない。僕にとっては登場人物たちはあまりにも生生しすぎて、おいそれと愛しづらい。掛け合いは楽しかったが、入れ込んだ人物は特にいない。
ではストーリーか、と問われるとこれも素直に頷けない。2時間という時間で繰り広げられる世界はあまりにも濃厚で、唐突で、ストーリーラインだけを追っていては主人公の気持ちの変化についていくのも大変だ。
では、美術や音楽が良かったのか、と問われると唸ってしまう。間違いなくそれらは素晴らしかったと思うし、感情や息遣いが感じられる動画は凄まじかった。けれど、それはこの感動の直接的な理由じゃない。
どうして自分がこの映画を素晴らしいと感じたのか、と振り返ってみると、いくつか思うことがあるが、一つは映画を見る前の下地として、これまで子どもの頃から当たり前のようにそこにあった、「ジブリ作品という想像の世界」と僕との関係があったからなのだと思う。
物語の前半や下の世界の幻想的な光景は、奇妙な冒険譚だ。美しく不可思議で、子どもの頃いつかどこかで触れた物語や映画を思い出しては、懐かしくなった。「あぁ、こんな気持ちでページをめくっていたことがあるな」と童心を思い出しては、くすりとし、純粋に宮﨑駿ワールドツアーを楽しんでいた。この物語は何処に転がっていくのだろうと思いながら。
そんな観光気分で観ていたから、後半の展開には正直面食らった。
母を探して訪れた場所で、いきなり現れた老人に「お前がこの世界の継承者になれ」だなんて唐突に言われて頷く奴がいるだろうか? 確かにこの世界は美しい。素晴らしく美しいが、眞人は来訪者に過ぎない。眞人には眞人の世界がある。当然断る。当たり前だ。
けれど、一方で「あぁ、それではこの夢のように美しい世界はなくなってしまうのか」と惜しむ僕がいて、同時に監督のお年を思い出して猛烈に寂しくて堪らなくなってしまった。監督が創り上げた、この想像を絶する魅力的な世界も、多分同じだ。
そう思った瞬間に、物語と現実の境界がたわんだようになって、ダイレクトに感情をぶん殴られてしまった。幼いころから監督が手掛けた作品に慣れ親しんで、積み上げてきた思い出や感情があったからこそ、失われて行こうとしているものを突き付けられ、直面させられた時の動揺が激しかった。
「この美しい幻想の世界を継いで欲しい」「引き継げる者はいない」「あるいは理解されない」といった悲痛な絶望と、それに対する理解か受容、或いは諦念を経ての「小石一つ分位は継いでもらえるだろう」があまりにも美しすぎた。小石を持ち返った眞人が家族たちの元に帰り、有り触れた幸せとあたたかな希望に包まれているのが残酷で、悲しくて、そしてやっぱり美しいと思った。
どんなに美しい創造の世界も、永遠はない。創造主がいなくなれば必ず終わりが来る。作品は終わることはなくても、宇宙の膨張はそこで止まる。人は永遠を生きることはできないし、誰かの心を生きることもできないから、似たような世界を作っても、きっとこの監督が作るのと同じものにはならないし、同じものには出会えないんだろう。これは創り上げた人によって見せてもらっていた夢だから、観客は物語の中に飛び込んで続きを見ることは決してできない。
あまりにもあっさりと、ふつりと物語を終えられてしまったことで、その寂しさが余計に強化されてダメだった。
正直、終わった瞬間はあまりに唐突に物語から放り出され、置き去りにされて、感想が「は?」という怒りに近い感情になってしまっていた。けれど、これが眞人ひとりの物語として綺麗に緩やかに閉じられていたら、僕は観客席とスクリーンの距離を超えるほどに心を揺さぶられて、スタッフロールで寂しさと美しさに往復ビンタされながら呆然と泣くようなことはなかっただろうとも思う。
この映画は生きていくことと死にゆくことそのものでもあったと思うし、いろんな哀しみや絶望や醜さを内包しつつも、世界は生きるに値する。そしてそんな素晴らしい世界にもどれだけ名残惜しくても別れの時が来る、出会いと別れを重ねて色んな影響を受け合いながら人の営みは続いていく、という普遍的なことが描かれていたように思う。
当たり前のこと、と言ってしまえばそうかもしれないが、全力でそれを駆け抜けてきた人間にそれを2時間に濃縮して、あんなやりかたでぶん殴られたら、当たるところに当たった人は泣くと思う。漬物石を胸に落とされたようなえげつない衝撃だった。「大して力のない小石」の殺傷性を些か軽視しすぎだと思う。あんなもん全部引き受けようとしたら、受け手の個が死滅して廃人になるだろう。
話がそれたが、僕がこの映画が素晴らしいと思った理由は大体上記のような理由からだと思う。僕は故あって人の生と死に立ち会う機会が多いのだが、この映画は生命としても、人と人との関係性としても、物語が創りあげる世界としても、生と死とそれに纏わる人の心がこれでもかという程詰め込まれ、生生しく、力強く描かれていると思った。物語が閉じられた直後の、「ちょっと待て」「戻って来い」と理不尽に吠えたくなるようなあの感情までもが、既知の人との突然の別れに遭遇した時のそれに酷似していたように思う。
けれど、この映画が僕の心に嵌った理由は、もうちょっと別の個人的な特性によるものだ。
僕は現実の世界で常々生きづらさを感じている人間だ。別に困窮しているわけじゃなし、災禍に遭っているわけでもない。人間関係にも困っていない。けれど、どれだけ仕事で充実を感じても、家族や友人と笑い合っていても、子どもの頃からずっと息苦しかった。誰と居ても寂しくなるばかりで、ひとりになりたかった。一番心が解放されて生きていると感じられるのは、想像の世界に触れているときだった。人間生きるのに向いてないなぁと思ったことは数知れない。現実の余暇に想像の世界の空気を吸うのではなく、現実を生きるために想像の世界での息継ぎを必要とする僕は、果たして現実を生きていると言えるんだろうか、なんて思春期のような自己問答が頭を過ったこともある。そういう意味では僕は、創造の世界を『呼吸のできる場所』にすると同時に『死の世界』として位置付けていたのだと思う。
だから眞人を通じて見た映画に、勝手ながら想像の世界と自分の関係を投影してしまった。まならない現実世界に辟易し、能面のような顔で硬い声をしていた眞人が、死の世界に潜って冒険することで活力を取り戻していく。幻想的な死の世界での冒険を通じて、初めて自分の気持ちとの折り合い方や、他者への優しさを見せるようになっていく。その姿に、創造の世界に何度も救われてきた僕のこれまでを思い出した。
現実でない場所で眞人が掴んだものは決して幻想じゃないだろう。
僕にとっても、想像の世界への訪問は、感情の柔らかさや、誰かに優しくすることとや、人間として大事なものを忘れずにいるために、思い出させてもらうために必要なことだった。だったら僕と創造の世界との関係も、そんなに悪いものじゃないんじゃないか、後ろめたく思わなくてもいいんじゃないかと、そんな風に思った。
僕は人の心を理解するのが苦手だし、宮﨑監督やスタジオジブリのことも良く知らないから、きっと監督が表現したかったことは僕が感じたのとは全然別の事なんだろうと思っている。この映画が監督とジブリの栄枯の話だと説く論を見て、成程なとも思っている。
だとすれば、あまりにも剥き出し過ぎて受け付けない人もいるんだろう。
けれど、僕個人は人が生まれてから死ぬまでの心を明暗すべてぶち込んだようなこの映画が美しいと感じたし、宝物のような小石をたくさん握りしめて生き続けていく人生は結構上等なんじゃないかと、そう思えた。そう思わせてくれたこの映画と、幼いころ僕を手招いて心から自由になれる世界に連れていってくれた人たちに、心から感謝したいと思う。
できることなら、もっとずっと、この監督の生み出す世界の続きが見たい。
ひとまずは、昔見てきた作品や、これまで見逃して来た作品を改めて観てみようと思っている。
見応えあり。見終えて考察したくなる映画
※ネタバレ注意
現実世界の描写はインパクトがあり主人公の絶望が痛いほど伝わってきます。そうかと思えば中盤から後半にかけて凪のような穏やかさを持つ死の匂い漂よう異空間に誘われ、夢と現実の狭間のような感覚を見るものに与えます。ただ、主人公が大冒険する様はスピード感をもって描かれているので、鑑賞後の感じがいいです。
他の方のコメントにもありますが、ジブリの過去作品が思い出されるので、その世界観を楽しみながら見ることができます。
上映中はひたすら宮崎ワールドを楽しめますが、見終わってから考察したくなる複雑さを併せ持つストーリーであり、そこがまたいいです。
不条理な世の中を恨んで生きていくのか、それとも愛を持って生きるのか。受け入れ難い感情に向き合うことは容易ではないし、時には仮想空間に逃げ込んでしまいたくなることもあるでしょう。信じられるものもなく人を傷つけ自分もまた傷つけられ、たとえ荊のような道に感じたとしても現実から目を背けずに進めば必ず道は切り開ける。これは、真実を見極める目が養われるということでもあるのだと思います。そうすればあなたはきっと1人じゃない。信頼できる人が必ず側にいるはずだよ。
この作品を観て、こういったメッセージ性を感じ取りました。
どうやったって過去や他人は変えられないけれど、自分自身と今、そしてこれからを変えることはできますもんね。
もう一度観たいなと思わせてくれる作品でした。観てよかったです。
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