君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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宮崎駿渾身の魂の叫び❗
これはもう「1986年のマリリン」ならぬГ2023年のハヤオ」の熱いメッセージ!
文句がある人は早く忘れてトランスフォーマーかミッションインポッシブルでもみたらいい!
まずもって80才も過ぎてよく頑張られましたよ。並の老人じゃないですよやはり。わしはわしの思い通りにやったった!お前らも思い通りに好きにせい!
的な熱いメッセージを受け取りましたよ私は。高畑ももういないしやりたいようにやったる!鈴木のことなんかしらん!富野も押井も庵野もしらん!めっちゃやったるど的な!!!
とはいえ転生物やマルチバースや天国や地獄や輪廻やようわからんけど後々また観たくなる観た人と話したくなる風にちゃんと作ってますよね❤
「私の後継者になれ」「断る」でお馴染みのワイズマンとキリコ(by装甲騎兵ボトムズ!!!❤)的シークエンスもありです!!
宮崎さんは作品毎に仮想視聴者を想定してらしたとお聞きしました。ハイジやコナンは実の子に。ボニョはスタッフの子供さんに。今回はどうだったのかなぁと思います聞いてみたいです。
今後もしTVのインタビューで出演されることがあるならNHKとかニュース23とかではなく金スマとかさんまのまんまとかバラエティ番組のハヤオさんを拝見したいですね徹子の部屋も可❤
まあしかし世知辛い世の中で文句言いたい人の多いこと!それが悪目立ちすること!
もっと寛大になれないものか?
もっと優しくなれないものか?
もっと許してあげられないものか?
許しや赦しがこれからのキーワードだと思っています❤
私はそう生きようと思っていますよ
ミヤザキハヤオさん!!!❤
ジブリの印象が変化した
公開後すぐの評価が別れていたことが気になり見に行きました。
今生きる人間はゼロから積み木を増やしていく訳ではなく、先人たちの失敗や愚かさを受け入れた上で積み木を増やし、安定させていくことが使命であるのだけれど、君たちはどういうふうに積み木を増やしていくんだい?
という問いかけだと受け取りました。
今までのジブリを彷彿とさせる表現が散りばめられていて、本当に最期の作品にするつもりなのだろうかと感じさせました。
特別ジブリが好きなわけでも、今までのシリーズを全て見たわけでもありませんが、自分の中にあったジブリのイメージが変わった気がします。
天才である宮崎駿の頭の中を、ジブリという作品を通してもっと見てみたいなと思いました。
ものすごい直球
一度だけ鑑賞。
謎の鳥や謎ワールドに行くなど細かな設定はわからない。
しかし終盤で主人公が大叔父に言うセリフこそがこの
「君たちはどう生きるか」という問いの答えなのだとしたら、これほどわかりやすくストレートな表現はないと思った。
そのクライマックスの場面でちょっと感動してしまった私にとっては、それまでの謎ワールドでのよく分からない事もよく分からないなりに積み重ねになっていたのだと思う。
そういう意味では現実の社会でも同じなのかもしれない。
また、小さなお子さんを連れた家族も多かったが、絶対に理解できなかったと思う。しかし、そんなちびっ子が大きくなった時に宮崎駿の新作映画を劇場で観たことがあるというのは大きな経験になるかも知れない。
見る者を選ぶ映画だが名作
端的に言うと見る者を選ぶ映画。
映画に単純なエンタメだけを求める人には向かないかも知れない。また子供向きでもない。
壮大なファンタジーの世界観で魅了するナウシカやラピュタ、可愛い子供向けのキャラで魅了するトトロやポニョとは全く異なる。
勿論そう言った要素もない訳ではないのだが、例えば、クリストファー・ノーランやデヴィッド・リンチの作風が面白いと思うタイプの人には名作だと思う。個人的にはツボの作品であった。
つまり、時間軸を行ったり来たりできる設定、抽象的なセリフ・描写を鑑賞中に自分の脳内で組み立てて1つのストーリーやイメージを作り出せる人にはこの上なく面白い作品で、何回も見返したくなる作品なのだと思う。
物語の展開やメタファーの散りばめ方は、千と千尋やもののけ姫に最も近いものを感じるが、あちらは本作よりもよりストレートな展開の作品である。
ここからは、本作のテーマやストーリーについての個人的な解釈ですが、ずばり本作のテーマは文明対自然というジブリ作品の一貫したテーマに加え、輪廻転生、死生観を感じさせる作品であった。文明という言葉の中には戦争や争いと言ったことを当然含む。
まず、文明対自然についてだが自然保護のテーマ、自然に生命が宿るアニミズム的な発想はジブリ作品が一貫して描いてきたものだ。トトロあたり迄は単純な自然保護であったのに対し、複雑性を帯びてきた最初の作品がもののけ姫で、あの作品では最後にアシタカはタタラ場でサンは森で別々に生活するが共に生きようということになった。初めて文明の存在を肯定しないまでも認可し共生するとした作品であった。
本作では、石が文明の象徴(人類の象徴)で 、木が自然の象徴として描かれています。石が悪意があり、木には無いと話していた。そして、最後は悪意のない石を並べることも拒否し、自分の世界へ戻るという結末となっている。
また、文明の象徴としては、戦争や争いが含まれる。冒頭太平洋戦争下を舞台とした場面と母の死から始まる点や大叔父の争いのない世界を作れというセリフからも表現されている。
次に輪廻転生や死生観という点では、天国と地獄の行ききの表現や、ワラワラが人間として生まれる過程などに加え、メタファーという点で、実母の妹であり継母である夏子との仲を取り持ち眞人を救ったのが"火"術を操るヒミであり"火"事で死亡した若き日の実母であったことにも表現されている。
このメタファーの手法や救出劇の展開は、千尋を救ったハクが擬人化した過去にも千尋を救った川であった千と千尋に類似している。
本作が素晴らしいと感じるのは、千と千尋同様に、霊が愛をもって助けてくれたこと、眞人や夏子に対する愛、母の愛を感じるので感動するのではないかと思う。
そして、最後の場面、眞人を産む為に火事で死ぬとわかっていながら、ヒミは元の世界に戻っていくのである。
そして、眞人の母が大きくなった眞人に向け残した本が吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」だったのであり、この本が夏子の捜索や塔と塔の中の時空世界に誘い、名前の通りまっすぐに生きることを教えてくれるのである。
本作は要約するとそういう作品である。
結局楽しみました
娘と観に行った。
宮崎駿が新作やっているの全く知らなかっし、タイトル見て、本屋に並んでた漫画のアニメ化なのかと思ったら全然違った。で、面白いか面白くないか、というのもなかなか言えない映画だったよ。
冒頭の火事のシーン、子供の記憶のなかの風景がそのまま映像になったようで、アニメーションの作り手として、やっぱり宮崎駿は凄いと思った。しかし逆に中盤以降、舞台が非現実的になると幻想味は薄らいで、いつものジブリになっていたけど。それと全編、いつもよりダークな雰囲気があったので、今回は久石譲以外で音楽でやって欲しかったとも思った。
で、今作はわりと冒頭からリアルな路線でキャラクターたちも描かれていたので、今回は遂に萌え少女が登場しないのかと思っていたら、やっぱり登場した。しかも、萌え少女でありながら母親でもあるという二重に中年の幻想の気持ち悪さが投影されたキャラクターになっていて、良くも悪くも宮崎駿らしくてヤバいと思った。
それと今作で1番引っかかるのはストーリーで、神隠しや魔法的設定、少年(少女)の成長譚などこれまでの宮崎駿作品と同様のモチーフが散りばめられているのだけど、結局それらがまとまることなく、感情の着地点もよくわからないまま終わってしまった。直接目に触れない場所での死に支えられた軍需産業の恩恵で裕福に暮らす主人公という構図も、主人公がヒロイックに見えるので、子供には伝わりにくそうだし。それで「君たちはどう生きるの?」って問われても…という気分になるんだけど。しかし引退宣言したけど、やっぱり好きな素材、ファンタジーも美少女も戦闘機も全部詰めて物語が破綻していようが構わず好きな物作るのが俺の生き方で、あんたたちはどう生きるのかよ、ということなのかと思えば、タイトル通りだな、とも思えるが。
それにしても、宮崎駿新作なのに、教えてもらうまで公開されていることすら知らなくてびっくりしたけど、ネットでも情報あまりないし、またもや鈴木敏夫の戦略なのかと考えると滅入る。宮崎駿は追うけどやっぱりジブリはイヤだな。結局楽しんだのだけど。
戦前生まれの方特有のノスタルジーと負の遺産
監督と同年代の父から聞かされていた昭和初期の様子にそっくりでした
父もお屋敷に住んでいて侍女が複数いる環境で育ち戦争で疎開しました。
晩年は煌びやかなその頃の話ばかりしていました
年齢を重ねるとそうなるのでしょうか
1度目の視聴での私の解釈です
・大維新の前に落ちて居座った隕石⇨アメリカ
・石⇨フリーメイソン
・石をカモフラージュする一族⇨アメリカ擁護する一族が日本にいるのかな?
・インコ⇨ナチ
解釈できなかったところ
・なつこは石の中で子供をうみたがり、インコが規律にうるさかった⇨選民思想を表していた?
・ひみが火事で事故死したように現世で偽装されていたこと⇨眞人を産むために成長し、役目を終えたので石に戻った?
フリーメイソンは海外で地方議員をしている知人も所属していたり
本当にあるんですよね。
グループのヒエラルキーに差はあれど。
欧米のように古くから隣国との争いがある地域では
利権を守るために上層部の結託は必須なのでしょう。
国内の問題だけで済んでいた時代に戻りたくなる理由もわかります
原作があるようですので読んでみたいです
子供も分かる楽しさの裏で問題提起して欲しかった
宮崎駿のブランドと、この声誰だろうとワクワクで成り立った楽しさ、でした。
まず私見としては、職業声優を起用しない宮崎駿のスタンスを支持しています。
風立ちぬも批判を浴びましたが、庵野氏の辿々しさが後半になるにつれ抜けていくのは表現の一つになっていたと考えています。
話を戻すと、今作も多数の著名人が起用されていました。
「この声聞いたことあるけど、誰なんだろうか」
「なんかすごい豪華なキャストな気がするな」
と想像しながら見るのはとても新鮮で楽しかったです。
そう言う意味では、初日に情報を遮断してこその楽しみ方ですね。
対して、物語の内容はどうか、というと
難解な話だったと思います。
構図としては非常に旧劇のエヴァに似てるという印象です。
主要登場人物たちが世界のゲームチェンジャーで、
有象無象の人々が知らない所で世界が危機に瀕している。
現代の枠組みの社会への警鐘を鳴らしたいのだと思いますが、流石に今作は説教くさかったです。
もののけ姫や千と千尋〜は、もちろん複雑な描写や問題提起を含んでいますが、
大前提としてなんとなく見ているだけでもワクワクできる、という点が魅力だったと思います。
またそれが宮崎駿作品全般の強みと理解しています。
そうした点では、今作は説教が全面に出過ぎていた、と感じます。
1週間仕事した後に金曜のレイトショーで見たら、もっと感動できるかもしれなかったですね。
子を宿す女性を通じて生命への畏敬を描く
失った母の美化された記憶…対して突然日常に現れ、父親との間で出来た子供を宿す女の生き様を、理解出来ないまま汚らわしく思う少年
潜在意識を形成する"地獄"と呼ぶその世界は、少年が自ら作り出した生命を司る、バランスの崩れた世界。しかしそこでは強くたくましい大人の女が生きる姿や、少女期の母の凄まじい力を目の当たりにする
石と木の対比は鉱物と生命というバランスを、アオサギやセキセイインコ、コウノトリは性という抗えない命の営みを描いている
少女から女に成長する異性を受け入れ、男として成長しながら生きていく少年
ナウシカからポニョに至るまで、一貫して命を描いてきた宮崎駿、渾身の作品
単調な音楽や描画は成熟したジブリの保守的な一面…星半分マイナス
せんちひを彷彿
ファンタジーでした。
子供の頃ついた嘘や、そんな切なさを彷彿させられました。
ヘルマンヘッセの蛾をポケットに入れるシーンみたいな気持ちになりました。
夏休みの子ども向けかもしれません。
一瞬映画、少年時代を思い出しましたが
あの映画とは全然違いました。
転校生しか被らなかったです。
未整理感と、不快表現の多さ
タイトルの感じからして、エンタメでないことは覚悟して公開初日に一人で観に行った。
純文学的で救いが無くても、まあ最後の作品になるだろうし…という心構え。
だが、出てきたのはエンタメでもなく純文でもなく観念的・観想的な作品。
ハウルをさらに観念的に研ぎ澄ましたスーパーハウルだと感じた。
テーマは、ジブリ作品『ゲド戦記』のように「唐突に言葉で説明してくれる」ので、むしろわかりやすい。
演出として、いちいち目を塞ぎたくなるような、鑑賞者を不快にさせる「汚い表現」がくどいほど定期的に挿入されるのも、「(新世界の神になるより)こういった生と死の臭気や腐気、そして無神経さや嘘がまみれる現実を大事にします」という、『君たちはどう生きるか』へのアンサーであるとわかる。
テーマはシンプルなのだが、「繋ぎが雑だから状況的にわかりにくくなっている」だけで、テーマ自体に複雑さや深度があるわけではない。
好意的に深読みすれば、シビアなバランスの積み木を組み上げて自世界を作り、たった数日を持たせるのに必死な創造主(クリエイター、アニメーター)になるよりも、現実を大事に生きます(旧ジブリ作品のような作り物の理想世界には憧れず、現実世界の物語を大事にします)ぐらいのものか。作中で主人公がそう決意する説得力、観客に共感が及ぶ要素は無かったと思うので、甘えた姿勢だと感じるが。
本作を構成する
・終始暗い
・主要人物たちが棒読み
・テンポが悪く間延びを感じる
・生理的に汚いと感じるものを強制的に何度も見せられる
・それがテーマ性だと強弁される
・その内容で、とにかく長い
という要素は、『実写版デビルマン』を実写版デビルマンたらしめる核である。
しかも本作は実写版デビルマンより各シーンの
・わけがわからない
度が高いので、実写版デビルマンの方がストーリーを追いやすくシーン解釈が容易なぶん、まだ易しいと言えなくもない。
なぜか、往年のクリエイターや晩年のクリエイターはこういう作品を作りがち。
「はっきりくっきりした作品なんて飽きた、つまらないじゃないですか」と言っては、毒にも薬にもならない抽象画のような作品を作る。
「大事なのはテーマでありコンセプトであり、新たな表現の可能性であり、枠組みを超えることであり、わかりやすさではない」――とまるで「老境の教科書」に書いてあるかのように画一的に言うものの、当然だがテーマやコンセプトなどはエンタメや純文的なものに乗せても「十分に伝わる」。それどころか、「むしろ伝導率はその方が高い」のは、「入門者の教科書」にも書いてある大前提である。
十分すぎるエンタメをしながら、深く厚いテーマを恐ろしい説得力をもって追体験・共感させてくれる傑作はメディアを問わず存在している。昨年の映画なら『トップガン・マーヴェリック』『RRR』と言えば、見た人の100%近くがわかってくれるだろう。アニメ映画の土俵でやっても、『スラムダンク』と言えば十分だ。
つまり、テーマやコンセプトに全振りするためにはっきりくっきりした作品であることを目指さなかった――という言は、達人の境地や至言ではない。後付けの、言い訳に近いものである。
結果、本作はリアルなのかファンタジーなのか、シリアスなのかコメディなのか不明瞭で、結局どの分野も及第点に届いていないゆえの鬱憤がある。こういった言に対して「カテゴリ分けして観られるような『安逸な』作品を作りたくなかった」と、芸術家を気取り出した“達人”たちは言って返すわけだが、だから老人は新人たちに駆逐され続ける。
また、リアル志向の問題をファンタジーで解決する気持ちの乗らなさは、作り手だけでなくユーザーにも答えが出ている内容だ。『竜とそばかすの姫』の評判を決定づけたあのラストの流れを、本作は全編級の長い尺でやったに近い。
本作は「失神や気絶→目覚め の場面転換」が非常に多く、テンポが悪い。
人間はそんなに都合良く失神できるとは思えないのだが、それは置いといて。
一番の問題はそれに伴う映画館内の静寂で、序盤過ぎには「(悪意ですらない)寝息がいっぱい聞こえてしまうこと」である。ずっと置いてきぼりで、共感できる人物や状況が無いのだから体験としては仕方ないのだが、「あ、やっぱりつまらないよね? これ」という空気が上映中に伝播する構造になってしまっている点が、誰にとっても得が無い。
私が観た初日の夜、スタッフロール終了後には3人ほどが勇んで拍手したが、満席である他全員は頑なにその拍手に乗らなかった。「よかった体験」にしようというムードに抗う迫力があった。「やっと終わった」「誰が拍手するものか」という無言の一体感は久しぶりだった。
また、私はツキがある方で、映画館の一番左端の席で観た。
壁にもたれかかって観ることができたのは、正直頻繁にため息をつきたくなる本作の鑑賞において、けっこうなコツだったと思う。あと、一人で来たことも。
もし若輩の頃にデートで来ていたら、身に降りかかった不幸に泣いていたかもしれない。情報秘匿からの生理的嫌悪感を催す映像をいっぱい見せられて、この後どうすんだよ、と。
以上、私の感想としては、
・本作は「十分にわかった」
・その上で、「エンタメとしても純文としても打点が低い」と感じた=つまらなかった
・内容は「深くはなく、シンプル」に思った
・ただ「未整理状況のとっちらかりで、複雑に見えているだけ」に思った
というもの。
「わからなかったから、つまらなかったと言っている」とか、「まったく理解できないシーンがあったから、深いに違いないと思っている」とかではない。
複雑で奥深いというのは、一つの困難な目的を達するために合理的に各種装置が詰め込まれ、有機的な関係をもって稼働している秘密基地のようなものだろう。
対して本作は、自堕落な生活が堆積して足の踏み場もなくなった汚部屋のようなものだ。「現実で食って寝て折り合いつけて生活する」…というシンプルな目的が中心に在るのだが、洗濯や掃除やゴミ捨てをサボっても暮らせる、むしろこれがいいんだと居直ったせいで、足の踏み場や寝床を見つけることすら一苦労という状態。深くはない。ただ乱雑で、とっちらかって、見えにくくなっているだけだ。
宮崎監督の生い立ちを知った上で当てはめたり、登場キャラにメタ的に現実のジブリ関係者を当てはめないと「本当の意味はわからない」と言われるなら、私は「本当の意味はわからなかった人」で結構だ。
むしろ、前情報無しでニュートラルな映画勝負を仕掛けてきて、後出しでそういう「見方の注意」が出るなら、言い訳めいているというか邪道に感じる。そういう擁護・弁護が出る時点で、そういう「見方の注意(作り手からの見方のお願い)」が不要な凡百の作品に劣っている。そういう「見方の注意」がなくとも、人々を楽しませて深いものを訴えて涙させる作品はいくらでもある。
まさに、晩節を汚してしまった作品に思う。
ここまで鳥の糞好きで来られると、逆に最近は鳥の糞に触っていないのだろうなと思う。車のボンネットやウインドウ、オートバイのカバーにこびりついたアレを落とすときの、あの感触と臭い、手を洗わずにはいられない嫌な感じ、もう忘れてしまっていないか。
汚いという形而上のラベルを貼られただけの、思い出の中で綺麗にされている、実態を離れたイデア界の鳥の糞で話を構築してしまっていないか。「醜い外見のアオサギ、川辺の生物、臓腑、鳥の糞等々」を、頭の名で生み出した「汚いものという概念」にして、映像に入れ込んでしまっていないか。鳥の糞は、労働でにじみ出た匂い立つ汗や、人生の苦労が滲んだ醜い顔の皺とは違う。それら(千と千尋での次元)と違って鳥の糞は一周回っても美しくはならず、汚いのである。鳥は本能のまま無遠慮に糞を散らしているだけなので。
よって、「心理的物理的に腐臭あふれるこの世界で生きる」というアンサーは、そこまで共感を得られるものではない。
下水処理場や屠殺場の側で生きる覚悟を持つ自由もあれば、下水処理場や屠殺場を生活圏から隔離して見えなく・臭わなくして生活する自由もあるのだ。
産革期、ロンドンのテムズ川の大悪臭をロンドンの人々は「耐えられない」と下水を建設して生活圏を確保した。汚いもの、臭うものを生活圏から隔離することは貴賤問わず大勢の願いであり、その成果たる現代の暮らしを欺瞞かのように語る事こそ、独特の尖った思想だろう。
エンタメをかなぐり捨て、純文的にあってほしい繊細な積み重ねもファンタジーで放り投げ、極端な思想だけが見えてくる作品なので、情報を秘匿して公開するものではなかったと思う。
本作を基準にすれば、映像的にもテーマ的にも面白く深い映画はいくらでもあってしまうと感じた。
メタファーの洪水みたいな作品を見慣れてるかどうかも、楽しめるかの分かれ目かも
ふんわりとネタバレを踏んでる状態だったのと、もっとカオスな作品を見慣れてるので、ストーリーはシンプルだなと感じました。
葛藤を抱えた少年が心の隙を突かれて試練を受けることになり、冒険する中で己と向き合い成長して元の居場所に戻っていく物語。
同時に、真人の母となる少女にとってもまた、試練を受けて元の居場所に戻る決心をする物語。それらに付随するメタファーは、宮崎駿なりに込めているものもあるのでしょうが、鑑賞者の数だけ受け取り方は自由。
ジブリのような大衆を幅広く集客できるクリエイターから、いわゆる「訳が分からない」ような作品が生み出されるのは珍しいなと思います。
一見脈絡なく進む物語を見慣れてる人ならば、そこまで混乱しないのではないかと思います。最近の映画ならエブエブ、舞台ならNODAMAPあたりとか。
主人公はよくいるジブリキャラの男の子(パズーとかね)ほどネアカではないけれど、よく知らない間に父親が亡き母そっくりの叔母と再婚してたらそりゃああなるでしょうね。当時はどうか知らないけど、現代人の感覚からしたら素直に歓迎しろだなんて言えないよ。
また、ここからは私の解釈ですが、ナツコは塔のこと、幼い頃に姉から話を聞いていたのではないでしょうか。
過去とも未来とも現在とも等しく繋がっている不思議な塔に行ったことがある、とがなんとか。
だとしたら身重なのにわざわざ塔に出向いていく理由もわかります。彼女なりに真人との関係に悩んでいたのだから。
そしてキリコは、塔に2回も入っている唯一?の人間でしたね。奉公先のお嬢さま/ご子息が危ない目に遭わないよう付いていく面倒見が良い女性なんだなと印象的でした。
(彼女は1回目の時点で大人だったので、塔の中での記憶も覚えてなかったんでしょうね)
ジブリの総決算的なもの
今までのジブリの総決算というような感じがした。
今度こそ、宮崎駿は、引退するのか?そう思えてしまう内容で、様々な場面で、過去作を思い出してしまう感じだった。
今回の映画に関しては、賛否分かれるのは、観る側に、様々な考えを委ねられているからだと思う。
受け手によって、感じ方が真っ二つにわかれても、しかたないだろう。
私としては、始まりから最後まで集中して観た映画で、終わった後も、色々試行をめぐらした感じだった。それが映画の楽しみだと思う自分もいる私は、嫌いではないが、観る側は、結構疲れるかもしれない。私は、それなりに面白かったと思っている。
なお、大人向けか、子ども向けかということで、とても心配になったが、結論から言うと、子どもを連れて行っても、かわいいキャラクターもでてきたりするので、そこそこ楽しめるだろう。
事実、私の子ども、小学1年生の双子と、幼稚園年長の末っ子は、
観終わった後、おもしろかった、過去作のジブリにキャラみたいなのが出てきたなどとの感想を述べていた。
その為、深い意味が分からない子どもでも、それなりに楽しめる作品だったと思う。
なお、私としては、宮崎駿監督には、いつものように引退を撤回して、新作を作って欲しい。いつも、これが最後との思いで、その時の最高、ベストを尽くしているからこそ、常に引退作品ということなのだろうと思う。
1回じゃ理解不能
時間たってるからレビューとか見ればなんとなく物語を心して見れたけど、何も入れないでみると途中から訳がわからなくて世界に入りきれない💦。
声優さんとかは見たからつい探してたら木村拓哉さんは直ぐにわかったけど菅田将暉さんは後半であれっ?って気づいた(笑)。
他もなんとなくわかったけど滝沢カレンさんはわからなかった。
あとシーンの所々で過去のジブリ作品のオマージュシーンっぽいなって見てたらやっぱりそうだったみたい。
なんか名前が出てる所で「ドーラ」とかあったり、ハウルの婆さんの顔した婆さんいるし(笑)、その辺探すのも込みで2、3回見ないとわからないかもなー(笑)。
素晴らしい。君たちはどう生きるか?問われた作品でした。
観ている最中、涙が自然と流れてきて、懐かしさや愛おしさや、魂に触れるような。非常にメッセージ性があり、何回も観たくなる映画でした。
難しいというお声もたくさんあります。その理由もわかります。が、しかし何回も観て
あなたは自分の世界をどう生きる?と常に考える時間をもち、生きたいと思います。
またあの世界のことは忘れてしまうとのことですが
強力なお守りがあるから、覚えている。
わたしたちにとってこの映画こそがお守りになるのかなと思います。
たくさんの方に観ていただき、観た方たちで深く観察を語りたいです。
ジブリファンは楽しめます。推定(妄想)を含んだコメントも書いてみました。
感想としては、「宮崎監督の集大成作品」「日本のアニメ界の大御所集合」が大きな見所!!と思っています。
まずは、「集大成=自分オマージュがすごい!!」。宮崎アニメで育った人間としては、映画館いるにもかかわらず、隣の人に話しかけたくなる衝動を抑えるのにかなりの力がいる映画です。
こんな経験は初めてで、やはり偉大な監督の作品を追い続けるのは、大きな楽しみがあるなと実感しました。
覚えている限りで、
キリコと船での出航=未来少年コナン
大叔父の服=ナウシカの王蟲
異次元世界での壁登り=ラピュタ
亡霊船群=紅の豚
呪われた塔=五月とメイの家
冒頭の火事=火垂るの墓(高畑監督作品ですね)
一緒に観に行った者からは、「ポニョとハウルのシーンがあった」と言っていたので、多量の「オマージュ成分」ふくまれています。
本当に、宮崎監督やジブリ作品が好きな方にはたまらない魅力のある映画です。
ポスターの周りに貼られた作品群はすべてオマージュされているのかなと思っています。
エンドロールで、スタジオカラーやスタジオ地図などの大御所スタジオのクレジットがあり、オマージュに気をとられていたことを自覚され、すぐさま、映画の内容を思い返すという仕掛けもアニメファンに向けて用意されています。
ここからは根拠の全くない完全妄想ですが、
ゼロ戦の風防(キャノピー)は、「無駄に時間をとったシーンであり、滅茶苦茶クオリティーが高い」「他の場面とのバランスをギリギリ崩すことを狙った兵器愛あふれる写実表現」から、根拠はないですが、庵野監督のお仕事だと勝手に確信しています。
細田監督部分は、「急に躍動感が上がって,その後元に戻った」ところを考えて「なつこを探して塔の中に入ってからのシーン」がそうなかなと、消去法的に推定しています。
妄想を含む感想部分ですので、後で情報が出たら、間違っていると笑ってください。
こういう妄想を書いてしまうことも含めて,鑑賞後も楽しんでいます。
こんな映画は、滅多に出会えないと思います。
まだ、他の方の感想を観ていないので、これから観ます。それも楽しみです!!
心躍る映画でした。
ネタバレありますのでご容赦ください。
ジブリの映画では、今まであまり取り上げられなかった母親への恋慕と女性への目覚めを少年を通して描かれていたと思いました。
なんと言っても今までのジブリに無い艶っぽいキャラクターが今回のヒロイン?のポジションに存在感満々で描かれています。
そこにまず心躍る人は多かったかもです。
でも、少年も観客もその性的存在感に気がつかないと言う演出や構成がされている。
だから、わかりにくい。
宮崎さんは、自分の母への想いや性的な表現があからさまにバレる事を恥ずかしく思っていたと思います。だから今まで取り上げてこなかった。
今回そこに挑戦したように思います。
だから、いろいろ心ざわつくのに、心躍るのにそれがどこから来るのか見た人はよくわからない。そこが86才の巨匠の狙いだった。
人間の生きる動機は、ラブとエロなんですね。それが同化しているのが人間です。
でも自我を優先すると必ず軋轢が起きる。想いは叶わない。死別もあれば失恋もある。望まない出会いや邪な欲望も起きる。
それが国レベルになると、発展や成長にもなり、戦争や抑圧にも拡大する。
なんと、個人も人類も罪深い存在である事をジブリ映画は、破壊と再生、喪失と希望を織り交ぜて表現してきました。
でもその根源的な、欲望の中心にある、性的な自我を描く事を避けて来た。
そこを、少年にも気づかれず、観客にも気づかれず、この作品で描いてしまった宮崎駿のエネルギーはどこから来るのだろうかと驚きます。
二人の女性と少年で、恋心から世界の誕生まで描いてしまうのには恐れいりました。
さらに、欲望を昇華して、成長や生産に向かうとはどういう事なのかも、語っています。でもそこをわかりやすくすると、説教じみてしまうので、そこも選択枝で表現されているのでわかりにくい。
見て、よくわからないけど、こころざわついた方は、宮崎駿の術中にハマったと言うところです。
タイトルなし(ネタバレ)
公開から日が経っており、不評なレビューも見かけたが、ハヤオの映画は最後かもしれない、そう思うと見ずにはいられない。映像はやっぱりジブリという感じで新しさはないが、ジブリと言えばこれ、懐かしさもあるが古いと思う。
つまらなくはない。序盤から青サギが現れて、これが何か謎であり、観客の関心を惹きつけ続けるだろう。
主人公マヒトは中学生位?だろうか、少年であるが優秀である。戦争で母を失い、父の田舎の実家?に引っ越しする。母の妹が新しい母であるが心を開けないようだ。新しい母のお腹には子供を授かっている。
田舎と言っても大豪邸。家は大きく部屋は広い。10人位の高齢のお手伝いさんがいる。マヒトや母は美形であるが、お手伝いさんたちはリアリティがなく、お化けみたいな容姿だ。
青サギの中身はおっさん。マヒトの先祖である大伯父からの指示でマヒトをあっちの世界に連れて行こうとする。大伯父は昔神隠しに会っていて行方不明。実際にはあちらの世界の平和を守っている。
マヒトの新しい母、夏子と言ったか?、が山に入っていくのをマヒトは見ていた。その後、夏子が行方不明になり、マヒトは夏子の捜索にお手伝いのキリコと一緒に山に入る。その先でマヒトとキリコは青サギの狙い通りあちらの世界に行ってしまう。
あちらの世界では、キリコは若返っている。インコは人間みたいだ。
宮﨑駿の夢であり神話
宮崎駿の最後の作品かもしれないので行ってきました。自分は決してジブリのファンではないのでジブリ作品は見ていない作品がいくつかありますが、宮崎駿は全ての映画作品と未来少年コナン、風の谷のナウシカ(漫画)、宮崎駿の妄想ノート、泥の虎、などを見てきています。さらに原体験的に6歳くらいに再放送されていたパンダコパンダまで見ています。振り返りますと宮崎駿のファンであったなと思います。
他のレビューを見ていますとジブリ作品ってこういうものなの?という感想が見られます。初めて映画館でジブリ作品を見たのがこの作品なのでしょう。確かに「ラピュタ」「トトロ」「魔女の宅急便」と比べると分からない作品だと思いますが、宮崎駿の過去作を見てきた自分には「こういうのも宮崎さんだね」ということで納得をしています。ミリオタであり、児童文学作者であり、神話好きであり、SF作家でもあるのが宮﨑監督です。今回はかなり神話よりの児童文学的作品だと思います。
ストーリーが分からないというコメントがありますが、物語の主点は少年の成長です。主人公眞人は母の死という受け入れがたい喪失によって心の傷を負っています。彼は疎開先の父の実家の裏山にある塔の下の世界に降りていき、そこで下の世界創造の秘密を握る大叔父と実の母の少女時代であるヒミ、その他アオサギ、傷ついたペリカン、キリコなどに出会い成長します。主人公を導くアオサギは神話でいうところのトリックスターです。アオサギは主人公を異世界に導き成長を促します。少年の成長を中心に据えた異世界冒険譚として捉えますと分かりやすくなります。
また、古典的な物語としてオイディプス王の物語が取り入れられています。母久子を亡くした眞人は母に似ていて優しく妖艶な夏子に惹かれます。眞人が夏子に惹かれているのは後にキリコから「その人のことが好きなのか」と問われて「お父さんの奥さんだから」と答えることで分かります。眞人は自分の夏子への思いを父の後妻さんだからと抑え込んでいるのです。眞人は父と夏子のキスシーンを盗見しますが子どもの彼はどうにもできません。つわりで寝込んでいる夏子の病室に眞人は訪れ傷を優しくなでられ労りの言葉を受けますが、しかしそれは母としての労りであり自分のものにはなりません。その自分のものにならないという思いは憎しみとなりタバコを盗むという行為で代償します。
ここで私は驚きました。主人公が堂々と盗みを働く宮崎作品を初めて見ました。また少年の性欲を隠さず描いています(とても上品にオブラートで包みながら)このような点でこの作品が宮崎監督作品ではなく宮`﨑`監督作品であると理解ができました。有り体に言えば宮崎駿が初めてパンツを脱いで下半身を私たちに見せているのです。
眞人は夏子が塔に向かっているのを見て追いかけます。この時点で母捜しと夏子探しは重なっています。ここで細かい辻褄がおかしくなることで物語が難しくなりますが、しかし眞人の無意識化の次元では母久子と夏子は重なって認識されているので物語上ではあまり問題にはなりません。下の世界で実母の少女時代であるヒミと出会い、夏子が向かった産室までたどり着きますがそこで夏子から拒絶されます。このあたりはイザナギに桃を投げつける黄泉に降るイザナミのようです。黄泉下りと桃による神々の誕生が重なるように生と死がこの世界では両立します。そしてイザナミが姿をイザナギに隠したように、出産の場所は他者に見られてはいけないのです。女ではない母としての夏子を見てしまった眞人は「夏子お母さん」と呼びかけます。ここで父を殺して母を娶るという無意識下の眞人の思いは頓挫します。
眞人の現実の父は善い人ですが現実に生きる企業人でかつ眞人のことを理解していません。塔の向こうの世界も分からず入ることもできません。話はあくまで少年と母たち(キリコ、婆やたちを含む)だけで進みます。少年と母と動物しかいない下の世界にいるもう一人の男性は大叔父です。大叔父は13個の石を3日に一個積むことでこの下の世界を絶妙なバランスで維持しています。一つの解釈ではこの13個の石はジブリの過去作、13×3でジブリが続いた39年、そして大叔父は宮﨑監督、という解釈も成り立ちますが、そこは神話的物語として寓意が開かれています。つまり、解釈はいくらでも可能なのでこれという答えがあるわけではありません。大叔父は自分の血族の中から誰かが下の世界を継ぐことを待ち望んでいました。眞人に善意だけでできたこの石で積み木を続けて世界を維持してくれと頼みます。しかし、善意だけでできた石など嘘だと眞人は傷ついたペリカンとの出会いで知ってます。理想郷を作ろうとした大叔父の善意は多くの人を傷つける偽善的な世界を作りだし、この世界は人を食べる獰猛で扇動されやすいインコの大群に占拠されつつあったのです。大叔父は塔の最上部で下層の苦しみを何も理解しないまま積み木をつみ続けていたのです。眞人は傷を見せて自分が無垢ではないと示します。この傷の意味も多様だと思います、継母に欲情する汚い性欲、友達を作れない傲慢さ、金持ちとして生まれたことの負い目、いろいろあるでしょうが物語的に意味は開かれています。そして眞人は汚さと苦しみのある現実世界に戻りアオサギのように善悪美醜両方を持つ多くの人々と「友達」となることを宣言します。男が一人しかいない理想の美しい世界に閉じこもることを拒絶して美醜が混在する現実に欲望と痛みを持った一人となって戻るのです。異世界冒険譚は主人公が死などによって異世界に降りて、そこで敵と戦うなどの困難を経て元の世界になかった宝を持って戻ることが主要テーマになっています。ここで眞人は、下の世界の王になる、あるいは塔の宝を持って帰るのではなく、「現実で友達を作る」という決意持って現実世界に戻るのです。友情を作るという決意、これが主人公が現実に戻ることに対して宮﨑監督が持って帰って欲しいと思った宝でした。これは現代における神話として監督が少年少女に示す一つの解でした。
物語的に父の代わりである大叔父の願いを拒絶することで王殺しを達成した眞人は下の世界から現実へと戻ります、その現実へと戻る際に実母の少女時代であるヒミと別れます。火に焼かれて死ぬ世界に戻るのかと眞人は母ヒミに問いかけます。この問いに「眞人に出会いたいから戻る」と答えます。父から母を奪い娶るという形での性の解消ではなく、母が父と結ばれることで自分が生まれ、自分が母から強く望まれて生まれるという生殖の営みが示されたことで別の形での性の解消となり宮﨑版オイディプス王物語は終わります。ここで私は奇妙な爽快感を覚えました。大叔父に代わり下の世界の王となることで自己を自己が肯定するのではなく、母からありのままのあなたを愛している、と言われることで他者からの肯定を眞人は得たのです。眞人は母を救えなかったという負い目から解消され、うじうじしていた自分を含めた存在そのものを亡き母から全肯定されました。ここが物語の終結点だと私には思えます。このような聖母的な母かつ少女から全肯定されたいという宮﨑監督の思いを「気持ち悪い」と突き放したいという思いも私にはあります。ですが火事で死ぬことが決まっている世界に戻る母から「あなたに会いたいから」と言われることの感動が上回りました。
正直、この映画は細かいつじつまを追って行くと疲れるだけです。設定や登場人物の動きは主人公が体験する主観のためにあるものでつじつまが合わない部分も多いです。ですが、主人公の主観的な物語はちゃんと追えていますので眞人の主観を中心で見ていけば物語は理解できます。また、最近の漫画やアニメのように主人公が感情を吐露したり、脇役が状況を台詞で詳しく説明もしてくれません。ですので、見ている方に絵や行動から物語を解釈する力が求められます。そういう点で万人向けでありませんし、また近代の小説(物語)というより昔話や神話の方に近く作られているため主人公が内心を吐露することはあまりしません。ですので、最近の物語(小説、漫画、アニメ)に慣れている人は面食らうと思いますが、動きや表情をよく観察し、台詞の裏の思いを推し量っていけばなんとなく感情は想像できて流れを追うことができます。
私個人は最近の映画やドラマにある、オーバーで分かりやすい演技、なぜか状況説明を台詞でしだす登場人物、色分けや容姿でハッキリと分かる敵味方、などに食傷気味でしたので、分かりやすさに全く媚びなかった宮﨑駿に共感しています。また、これだけの作品を作った宮﨑監督に次の作品がないとは思えません。一つ言えるのはこれ作ったら漫画版ナウシカのアニメ化は必要ないなということです。それは、大叔父と眞人、インコ大王、アオサギのラストが漫画版ナウシカまんまだったので。
楽しみ方ガイド(ついでに考察と解説)
IMAXで2回、ノーマルで1回視聴後の感想。
ようやくこの映画の楽しみ方がわかりました。
コレは全12話くらいのシリーズを2時間にまとめた総集編だと思えば非常に楽しめる映画。
(ソレだけの強度と奥行がこの2時間に凝縮されてる)
登場人物の行動が突飛で意味不明、シーンの繋ぎがバラバラ、などと感じるのは、本来描くべき場面をカットして編集しているのだと考えれば納得。
「君たちはどう生きるか」というタイトルはつまり
「君たちはこの映画のカットされたシーンを、どんな風に想像(創造)して今後の人生をどう豊かに生きるか?」という問いかけなのです。
作品のテーマはズバリ「想像力を育もう。他者の心情を慮って友達を作ろう」です。
はっきり言って説明不足も甚だしい映画なので否定的な意見が多い作品ですが、想像力を駆使して自分だけの完全で納得なストーリーを脳内で補完しましょう。
(全12話設定ですと、当然キリコさん以外も全員若い姿で大集合です。例えばメガネの婆さんは「ド近眼のドジっ娘天然美少女」として登場!など)
さぁ、段々楽しくなってきましたね?
さらに言えば、宮崎駿初の本格派ダーク・ファンタジーなのでコレをリアルタイムに視聴出来る我々はラッキー。
「亡くなった奥さんの妹と再婚とか超キモいんですけど~」などの意見も聞きますが、昔はよくあった風習(順延婚)なのでキモくありません。
(私の父方の祖父母がそうでした)
特にあの家系は家柄良さそうですしね。
「アオサギは誰?」「大叔父は誰?」「下の異世界はジブリ?」「墓に眠るのは誰?」「このシーンは過去作のオマージュ?」とか、そんな作品のテーマから外れた穿った見方はYouTubeの考察動画投稿者にでも任せて、宮崎駿ファンはただこの映画体験を純粋に楽しめばよろしいのです。
(そもそも、同じモチーフの使い回しなど宮崎作品ではお馴染みなので「このシーンはあの作品からの引用~」「ジブリ映画の総決算!」とか、
「おま、、、いまさら何言ってんの?」と片腹痛くなります)
そして、筋金入りの駿ガチ勢である私の個人的な意見としては
“(映画)初監督作品の「カリ城」が評価はめちゃ高いのに公開時の興行収益はめちゃ低かった”
の真逆の”現象“を最後の最期に創り出した、監督の壮大な伏線回収(あるいは皮肉を効かせた復讐?これこそ、もうひとつのテーマである“悪意”)に愉快痛快、ゆえに私は拍手喝采。
(ちなみに、初“演出”作品の「未来少年コナン」は日本のテレビアニメ史上至高の大傑作だが、視聴率が低かったので知名度も低かった。これも今の状況とは真逆)
、、、。
さて、ココからは私なりの“穿った”考察的解説になります。
・主人公のモデルは監督のお兄さん?
駿監督なら、自身をモデルにしたキャラクターを美形には設定しないでしょう。
監督本人は最後にチラと出た幼児。
つまり宮崎駿が誕生するまでの物語と言えます。
(そう考えると、ワラワラの飛翔シーンや産屋での眞人とナツコのやり取りも違って見えてくるでしょ?)
・主人公の自傷行為とイニシエーション。
眞人は最初、礼儀正しいが世間知らずの自己中心的な少年として描かれています。
労働奉仕を拒絶してクラスメイトとケンカした挙げ句、腹いせに自傷行為で登校拒否を正当化。
ナツコさんが行方不明になった時も、
近付くことすら禁止されてた謎の塔に接触する口実が出来たとばかりに自作の竹弓矢で敵=アオサギを退治するコトの方を優先。
(この前に母が残した「君たちはどう生きるか」を読んでいますが、ソレはまだ“知識”にすぎない)
その後、下の世界で若キリコさんからの教導=労働を体験し、死と生の循環を目の当たりにするコトで、本で読んだ「人間は社会的動物で、他者との関わり無しには生きていけない」を知識と実践で真に理解します。
ココで眞人はようやく物語の主人公たる「人格」を得るのです。
アオサギと和解しようとしたり、ナツコさんを「ナツコ母さん」と呼ぶようになるのも、このイニシエーションがあったからですね。
(むしろナツコさんの方こそ本心では冷たく自己中な眞人を疎ましく思っていた。当たり前である)
最後に面白注目ポイント。
・お婆さんズが妖怪にしか見えない。
・出てくる鳥がもれなくキモい。
・「風切りの7番」優秀すぎ。
・青鷺と眞人のほのぼのDIY。
・包丁を研ぐインコで爆笑。
・インコ大王、結局何したかった?
・鳥が群れると周辺は糞だらけ、コレめっちゃリアル。
・ナツコさんが異常にエロい。
・ヒミ様の本名は久子?
・最後は結局ハッピーエンド、いつものジブリ映画。
それでは皆さん、この世紀の大傑作を心逝くまで楽しんで、ビッグウェーブに乗り遅れるな!
2回、3回と映画館にゴーだ!!
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