君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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未来はまぶしい
どんな時代に生まれようとその時代を精一杯生きるしかない。
世界がどんなに荒れていても今一番の問題は雨が降っているのに傘がない事。昔そんな歌があった。
眞人は幸運にも死ななかった。
そして二年ぶりに東京に帰るところで物語は終わる。
戦後二年の東京はどうだろう。
昔から何百回となく聞かされた戦後の悲惨さを何百回も想像しても経験した人にしかわからないその惨状を
眞人は今から知る事になるんだな。
それとも人々のたくましさを知るのか。
2時間以上も観た映画が物語のプロローグだったと知って胸がギュッとなった。
あのあと眞人はどう生きたのだろう。
まだ眞人が生きているなら眞人を知っている人がいるなら教えて欲しい。
問いの答えは
君たちはどう生きるか。
便利なものに囲まれすぎた今。
時間の過ごし方が受動的で、
思考が安直になりがちだ。
この映画の世界はとても不思議で、
混沌としていた。
次から次に展開し、新たな世界が生まれ、
さっきまでの世界が突然消えて、
次の世界に切り替わる。
でも宮﨑駿の脳内はこんな世界なのだ、
と不思議と腑に落ちる。
日本の話であったはずがいつのまにか、
国籍のわからない塔の中の世界へ。
その下に広がる世界には、
ベルサイユ宮殿のような門が登場し、
その門には日本語が彫られていたり。
年代のわからない古びた木製の船の上に、
誰かの生活があったり。
監督が長い人生で見てきたものや感じた事、
表現したいと思って来たもの。
それらを全て注ぎ込んだ映画だった。
齢82歳のほと走る情熱が詰まっていた。
現実には一般的な物語のように
起承転結がまとまった人生なんて、ない。
そういう意味ではこの物語は、
物語というより、現実的な世界だった。
私たちは何か事が起こった時、
どう受け止め、どうする?
選択するのは自分なのだ。
映画の人物たちはこう生きたけれど、
君たちはどう生きるか?
そういう映画だと私は思う。
作品として見るか、メッセージとして受け取るか
作品としては、全然面白くなかった。
戦時中の意味はないし、自分で頭に傷をつけた理由がわからないし、あの世界で出産する意味も不明で、ナゾポイントを上げればキリがない。
世界観はいい感じなのに、やりがいことが雑に詰め込まれていて、作品としては低評価。
しかし、宮崎駿からのメッセージとして受け取ろうとすると、まったく視点が変わる。
自分が生きてきた世界、出会った人々、起こった現象、生み出した作品を映画の世界観やキャラクターに比喩しているならば、深みが変わってくる。
観る人によって、いや、もっと言えばジブリの歴史を知る人こそが受け取れるメッセージのような気がする。
宮崎駿のジブリ映画総決算
宮崎駿のジブリ映画オマージュ集のような作品。
塔の中の世界はほぼほぼ旧作のオマージュ。
以下稚拙な考察。
大叔父は宮崎駿
マヒトは宮崎吾朗
インコ大王は鈴木敏夫
落ちてきた石はジブリ(もしくはアニメ映画?)
石の中はジブリの中で作り上げた宮崎映画の世界
大叔父が石を塔にしたのは駿がジブリを盛り上げてきたという暗喩
積木は宮崎駿の映画人生におけるノウハウや信念
大叔父(駿)はこれで世界(映画)を作れと言うがマヒト(吾郎)は拒否。
インコ大王(敏夫)がそんなもの下らないと破壊して大叔父の世界(宮崎駿イズムを継承した世界観)は崩壊。
石が壊れる(今までのジブリではなくなる)。
吾郎の手には積み木が一つ(駿の意志の欠片)残るがそれもいつか忘れられる。
駿の居ない世界で君たち(ジブリと視聴者)はどう生きるのか?
という映画だと考察しました。
考察以前の破綻映画
事前情報なしということでタイトルから「パヤオの説教映画か~」と思いつつも楽しみに見に行きました。結果、見せられたのはチャチな児童向け映画でした。
あらすじからメタファーだ自伝だと言っている人がいますが、そういう人はあらすじだけ読んで感想書けばいいんじゃないでしょうか。映画はあらすじだけではなく、作画・演技・脚本など細部に神が宿ると思いますが、この映画は人物描写からストーリー展開から整合性までクソです。誰とどのキャラを重ねていようが、そのキャラそのものや周辺の描写、ストーリーが駄目ならそれは評価するポイントには全くならないでしょう。
主人公は空襲で失った母を忘れられず、度々そのことを夢に見るなどの描写が序盤繰り返されます。そして、父は母の妹、ナツコと再婚することになるのですが、主人公は新しい母に微妙な感情を抱いています。
そして、失踪したナツコを探して異世界に飛び込みます。そこで主人公は少女の姿をした亡き母に出会います。特に正体が隠されているでもなく、初対面でナツコを「妹」と呼んだことで主人公にも母であることは分かっています。本人も空襲で死ぬ記憶もある様子。が、かなりの間行動をともにするにも関わらず、この2人の間の掘り下げは全くありません。別れのシーンになってようやく多少それっぽい話をする程度。序盤の描写は何だったんだよ。というか、少女の姿をした亡き母と出会ってほぼノーリアクションはないだろ…
そしてジブリお馴染みのいい感じの姉御枠ですが、お屋敷のお手伝いをしているオバアの若い頃が当てられています。…が、こちらも特に若い頃の描写があるとか2つの世界の繋がりを伝えるとかでもなく、特に脈絡のない繋がりで特に意味無し。
ナツコですが、異世界では産屋でちょっと会っただけです。が、異世界から帰ってくるときには手を繋いで仲良しになっています。「ナツコ母さん!」って言ったから仲良しになったのかな?雑すぎます。
そして、ストーリーですが、主人公の行った世界は人間の命が生まれる場所で赤ん坊はこの世界からやってきます。そこを統べているのが主人公のご先祖ですが、世界は崩壊の危機を迎えており、主人公への継承を望んでいます。そして、終盤にご先祖と主人公が対面し、継承するか否かの決断のその時…乱入したインコ大王(強キャラだけどモブ)が癇癪を起こして世界を破壊します。結果、なし崩し的に主人公は元の世界に帰還して終わりです。なんだこれ?
というかこの世界崩壊したら赤ん坊生まれないんじゃないの?なくなっても何も困らない世界だったのかよ。メチャクチャな幕引きでした。
最も印象に残ったのは、序盤の空襲シーンでの群衆と炎の描写の素晴らしさでした。音楽は悪くはなかったですが、「この曲といえばこの作品!」というような印象的な曲もBGMも特にありませんでした。
謎めいた雰囲気の少女、姉御肌の強い女性、ちょっとキモいけどコミカルなキャラ、美味しそうな食事などガワはジブリですが、内容は歴代と比べるべくもありません。
宮崎駿監督の遺作になるかもしれないこの作品があまりにも酷い出来でとても残念で悲しいです。(内容は酷いけど)セルフオマージュあるから素晴らしい!はもはや監督への愚弄でしょう…
宮崎駿渾身の魂の叫び❗
これはもう「1986年のマリリン」ならぬГ2023年のハヤオ」の熱いメッセージ!
文句がある人は早く忘れてトランスフォーマーかミッションインポッシブルでもみたらいい!
まずもって80才も過ぎてよく頑張られましたよ。並の老人じゃないですよやはり。わしはわしの思い通りにやったった!お前らも思い通りに好きにせい!
的な熱いメッセージを受け取りましたよ私は。高畑ももういないしやりたいようにやったる!鈴木のことなんかしらん!富野も押井も庵野もしらん!めっちゃやったるど的な!!!
とはいえ転生物やマルチバースや天国や地獄や輪廻やようわからんけど後々また観たくなる観た人と話したくなる風にちゃんと作ってますよね❤
「私の後継者になれ」「断る」でお馴染みのワイズマンとキリコ(by装甲騎兵ボトムズ!!!❤)的シークエンスもありです!!
宮崎さんは作品毎に仮想視聴者を想定してらしたとお聞きしました。ハイジやコナンは実の子に。ボニョはスタッフの子供さんに。今回はどうだったのかなぁと思います聞いてみたいです。
今後もしTVのインタビューで出演されることがあるならNHKとかニュース23とかではなく金スマとかさんまのまんまとかバラエティ番組のハヤオさんを拝見したいですね徹子の部屋も可❤
まあしかし世知辛い世の中で文句言いたい人の多いこと!それが悪目立ちすること!
もっと寛大になれないものか?
もっと優しくなれないものか?
もっと許してあげられないものか?
許しや赦しがこれからのキーワードだと思っています❤
私はそう生きようと思っていますよ
ミヤザキハヤオさん!!!❤
ジブリの印象が変化した
公開後すぐの評価が別れていたことが気になり見に行きました。
今生きる人間はゼロから積み木を増やしていく訳ではなく、先人たちの失敗や愚かさを受け入れた上で積み木を増やし、安定させていくことが使命であるのだけれど、君たちはどういうふうに積み木を増やしていくんだい?
という問いかけだと受け取りました。
今までのジブリを彷彿とさせる表現が散りばめられていて、本当に最期の作品にするつもりなのだろうかと感じさせました。
特別ジブリが好きなわけでも、今までのシリーズを全て見たわけでもありませんが、自分の中にあったジブリのイメージが変わった気がします。
天才である宮崎駿の頭の中を、ジブリという作品を通してもっと見てみたいなと思いました。
ものすごい直球
一度だけ鑑賞。
謎の鳥や謎ワールドに行くなど細かな設定はわからない。
しかし終盤で主人公が大叔父に言うセリフこそがこの
「君たちはどう生きるか」という問いの答えなのだとしたら、これほどわかりやすくストレートな表現はないと思った。
そのクライマックスの場面でちょっと感動してしまった私にとっては、それまでの謎ワールドでのよく分からない事もよく分からないなりに積み重ねになっていたのだと思う。
そういう意味では現実の社会でも同じなのかもしれない。
また、小さなお子さんを連れた家族も多かったが、絶対に理解できなかったと思う。しかし、そんなちびっ子が大きくなった時に宮崎駿の新作映画を劇場で観たことがあるというのは大きな経験になるかも知れない。
見る者を選ぶ映画だが名作
端的に言うと見る者を選ぶ映画。
映画に単純なエンタメだけを求める人には向かないかも知れない。また子供向きでもない。
壮大なファンタジーの世界観で魅了するナウシカやラピュタ、可愛い子供向けのキャラで魅了するトトロやポニョとは全く異なる。
勿論そう言った要素もない訳ではないのだが、例えば、クリストファー・ノーランやデヴィッド・リンチの作風が面白いと思うタイプの人には名作だと思う。個人的にはツボの作品であった。
つまり、時間軸を行ったり来たりできる設定、抽象的なセリフ・描写を鑑賞中に自分の脳内で組み立てて1つのストーリーやイメージを作り出せる人にはこの上なく面白い作品で、何回も見返したくなる作品なのだと思う。
物語の展開やメタファーの散りばめ方は、千と千尋やもののけ姫に最も近いものを感じるが、あちらは本作よりもよりストレートな展開の作品である。
ここからは、本作のテーマやストーリーについての個人的な解釈ですが、ずばり本作のテーマは文明対自然というジブリ作品の一貫したテーマに加え、輪廻転生、死生観を感じさせる作品であった。文明という言葉の中には戦争や争いと言ったことを当然含む。
まず、文明対自然についてだが自然保護のテーマ、自然に生命が宿るアニミズム的な発想はジブリ作品が一貫して描いてきたものだ。トトロあたり迄は単純な自然保護であったのに対し、複雑性を帯びてきた最初の作品がもののけ姫で、あの作品では最後にアシタカはタタラ場でサンは森で別々に生活するが共に生きようということになった。初めて文明の存在を肯定しないまでも認可し共生するとした作品であった。
本作では、石が文明の象徴(人類の象徴)で 、木が自然の象徴として描かれています。石が悪意があり、木には無いと話していた。そして、最後は悪意のない石を並べることも拒否し、自分の世界へ戻るという結末となっている。
また、文明の象徴としては、戦争や争いが含まれる。冒頭太平洋戦争下を舞台とした場面と母の死から始まる点や大叔父の争いのない世界を作れというセリフからも表現されている。
次に輪廻転生や死生観という点では、天国と地獄の行ききの表現や、ワラワラが人間として生まれる過程などに加え、メタファーという点で、実母の妹であり継母である夏子との仲を取り持ち眞人を救ったのが"火"術を操るヒミであり"火"事で死亡した若き日の実母であったことにも表現されている。
このメタファーの手法や救出劇の展開は、千尋を救ったハクが擬人化した過去にも千尋を救った川であった千と千尋に類似している。
本作が素晴らしいと感じるのは、千と千尋同様に、霊が愛をもって助けてくれたこと、眞人や夏子に対する愛、母の愛を感じるので感動するのではないかと思う。
そして、最後の場面、眞人を産む為に火事で死ぬとわかっていながら、ヒミは元の世界に戻っていくのである。
そして、眞人の母が大きくなった眞人に向け残した本が吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」だったのであり、この本が夏子の捜索や塔と塔の中の時空世界に誘い、名前の通りまっすぐに生きることを教えてくれるのである。
本作は要約するとそういう作品である。
結局楽しみました
娘と観に行った。
宮崎駿が新作やっているの全く知らなかっし、タイトル見て、本屋に並んでた漫画のアニメ化なのかと思ったら全然違った。で、面白いか面白くないか、というのもなかなか言えない映画だったよ。
冒頭の火事のシーン、子供の記憶のなかの風景がそのまま映像になったようで、アニメーションの作り手として、やっぱり宮崎駿は凄いと思った。しかし逆に中盤以降、舞台が非現実的になると幻想味は薄らいで、いつものジブリになっていたけど。それと全編、いつもよりダークな雰囲気があったので、今回は久石譲以外で音楽でやって欲しかったとも思った。
で、今作はわりと冒頭からリアルな路線でキャラクターたちも描かれていたので、今回は遂に萌え少女が登場しないのかと思っていたら、やっぱり登場した。しかも、萌え少女でありながら母親でもあるという二重に中年の幻想の気持ち悪さが投影されたキャラクターになっていて、良くも悪くも宮崎駿らしくてヤバいと思った。
それと今作で1番引っかかるのはストーリーで、神隠しや魔法的設定、少年(少女)の成長譚などこれまでの宮崎駿作品と同様のモチーフが散りばめられているのだけど、結局それらがまとまることなく、感情の着地点もよくわからないまま終わってしまった。直接目に触れない場所での死に支えられた軍需産業の恩恵で裕福に暮らす主人公という構図も、主人公がヒロイックに見えるので、子供には伝わりにくそうだし。それで「君たちはどう生きるの?」って問われても…という気分になるんだけど。しかし引退宣言したけど、やっぱり好きな素材、ファンタジーも美少女も戦闘機も全部詰めて物語が破綻していようが構わず好きな物作るのが俺の生き方で、あんたたちはどう生きるのかよ、ということなのかと思えば、タイトル通りだな、とも思えるが。
それにしても、宮崎駿新作なのに、教えてもらうまで公開されていることすら知らなくてびっくりしたけど、ネットでも情報あまりないし、またもや鈴木敏夫の戦略なのかと考えると滅入る。宮崎駿は追うけどやっぱりジブリはイヤだな。結局楽しんだのだけど。
戦前生まれの方特有のノスタルジーと負の遺産
監督と同年代の父から聞かされていた昭和初期の様子にそっくりでした
父もお屋敷に住んでいて侍女が複数いる環境で育ち戦争で疎開しました。
晩年は煌びやかなその頃の話ばかりしていました
年齢を重ねるとそうなるのでしょうか
1度目の視聴での私の解釈です
・大維新の前に落ちて居座った隕石⇨アメリカ
・石⇨フリーメイソン
・石をカモフラージュする一族⇨アメリカ擁護する一族が日本にいるのかな?
・インコ⇨ナチ
解釈できなかったところ
・なつこは石の中で子供をうみたがり、インコが規律にうるさかった⇨選民思想を表していた?
・ひみが火事で事故死したように現世で偽装されていたこと⇨眞人を産むために成長し、役目を終えたので石に戻った?
フリーメイソンは海外で地方議員をしている知人も所属していたり
本当にあるんですよね。
グループのヒエラルキーに差はあれど。
欧米のように古くから隣国との争いがある地域では
利権を守るために上層部の結託は必須なのでしょう。
国内の問題だけで済んでいた時代に戻りたくなる理由もわかります
原作があるようですので読んでみたいです
子供も分かる楽しさの裏で問題提起して欲しかった
宮崎駿のブランドと、この声誰だろうとワクワクで成り立った楽しさ、でした。
まず私見としては、職業声優を起用しない宮崎駿のスタンスを支持しています。
風立ちぬも批判を浴びましたが、庵野氏の辿々しさが後半になるにつれ抜けていくのは表現の一つになっていたと考えています。
話を戻すと、今作も多数の著名人が起用されていました。
「この声聞いたことあるけど、誰なんだろうか」
「なんかすごい豪華なキャストな気がするな」
と想像しながら見るのはとても新鮮で楽しかったです。
そう言う意味では、初日に情報を遮断してこその楽しみ方ですね。
対して、物語の内容はどうか、というと
難解な話だったと思います。
構図としては非常に旧劇のエヴァに似てるという印象です。
主要登場人物たちが世界のゲームチェンジャーで、
有象無象の人々が知らない所で世界が危機に瀕している。
現代の枠組みの社会への警鐘を鳴らしたいのだと思いますが、流石に今作は説教くさかったです。
もののけ姫や千と千尋〜は、もちろん複雑な描写や問題提起を含んでいますが、
大前提としてなんとなく見ているだけでもワクワクできる、という点が魅力だったと思います。
またそれが宮崎駿作品全般の強みと理解しています。
そうした点では、今作は説教が全面に出過ぎていた、と感じます。
1週間仕事した後に金曜のレイトショーで見たら、もっと感動できるかもしれなかったですね。
子を宿す女性を通じて生命への畏敬を描く
失った母の美化された記憶…対して突然日常に現れ、父親との間で出来た子供を宿す女の生き様を、理解出来ないまま汚らわしく思う少年
潜在意識を形成する"地獄"と呼ぶその世界は、少年が自ら作り出した生命を司る、バランスの崩れた世界。しかしそこでは強くたくましい大人の女が生きる姿や、少女期の母の凄まじい力を目の当たりにする
石と木の対比は鉱物と生命というバランスを、アオサギやセキセイインコ、コウノトリは性という抗えない命の営みを描いている
少女から女に成長する異性を受け入れ、男として成長しながら生きていく少年
ナウシカからポニョに至るまで、一貫して命を描いてきた宮崎駿、渾身の作品
単調な音楽や描画は成熟したジブリの保守的な一面…星半分マイナス
せんちひを彷彿
ファンタジーでした。
子供の頃ついた嘘や、そんな切なさを彷彿させられました。
ヘルマンヘッセの蛾をポケットに入れるシーンみたいな気持ちになりました。
夏休みの子ども向けかもしれません。
一瞬映画、少年時代を思い出しましたが
あの映画とは全然違いました。
転校生しか被らなかったです。
未整理感と、不快表現の多さ
タイトルの感じからして、エンタメでないことは覚悟して公開初日に一人で観に行った。
純文学的で救いが無くても、まあ最後の作品になるだろうし…という心構え。
だが、出てきたのはエンタメでもなく純文でもなく観念的・観想的な作品。
ハウルをさらに観念的に研ぎ澄ましたスーパーハウルだと感じた。
テーマは、ジブリ作品『ゲド戦記』のように「唐突に言葉で説明してくれる」ので、むしろわかりやすい。
演出として、いちいち目を塞ぎたくなるような、鑑賞者を不快にさせる「汚い表現」がくどいほど定期的に挿入されるのも、「(新世界の神になるより)こういった生と死の臭気や腐気、そして無神経さや嘘がまみれる現実を大事にします」という、『君たちはどう生きるか』へのアンサーであるとわかる。
テーマはシンプルなのだが、「繋ぎが雑だから状況的にわかりにくくなっている」だけで、テーマ自体に複雑さや深度があるわけではない。
好意的に深読みすれば、シビアなバランスの積み木を組み上げて自世界を作り、たった数日を持たせるのに必死な創造主(クリエイター、アニメーター)になるよりも、現実を大事に生きます(旧ジブリ作品のような作り物の理想世界には憧れず、現実世界の物語を大事にします)ぐらいのものか。作中で主人公がそう決意する説得力、観客に共感が及ぶ要素は無かったと思うので、甘えた姿勢だと感じるが。
本作を構成する
・終始暗い
・主要人物たちが棒読み
・テンポが悪く間延びを感じる
・生理的に汚いと感じるものを強制的に何度も見せられる
・それがテーマ性だと強弁される
・その内容で、とにかく長い
という要素は、『実写版デビルマン』を実写版デビルマンたらしめる核である。
しかも本作は実写版デビルマンより各シーンの
・わけがわからない
度が高いので、実写版デビルマンの方がストーリーを追いやすくシーン解釈が容易なぶん、まだ易しいと言えなくもない。
なぜか、往年のクリエイターや晩年のクリエイターはこういう作品を作りがち。
「はっきりくっきりした作品なんて飽きた、つまらないじゃないですか」と言っては、毒にも薬にもならない抽象画のような作品を作る。
「大事なのはテーマでありコンセプトであり、新たな表現の可能性であり、枠組みを超えることであり、わかりやすさではない」――とまるで「老境の教科書」に書いてあるかのように画一的に言うものの、当然だがテーマやコンセプトなどはエンタメや純文的なものに乗せても「十分に伝わる」。それどころか、「むしろ伝導率はその方が高い」のは、「入門者の教科書」にも書いてある大前提である。
十分すぎるエンタメをしながら、深く厚いテーマを恐ろしい説得力をもって追体験・共感させてくれる傑作はメディアを問わず存在している。昨年の映画なら『トップガン・マーヴェリック』『RRR』と言えば、見た人の100%近くがわかってくれるだろう。アニメ映画の土俵でやっても、『スラムダンク』と言えば十分だ。
つまり、テーマやコンセプトに全振りするためにはっきりくっきりした作品であることを目指さなかった――という言は、達人の境地や至言ではない。後付けの、言い訳に近いものである。
結果、本作はリアルなのかファンタジーなのか、シリアスなのかコメディなのか不明瞭で、結局どの分野も及第点に届いていないゆえの鬱憤がある。こういった言に対して「カテゴリ分けして観られるような『安逸な』作品を作りたくなかった」と、芸術家を気取り出した“達人”たちは言って返すわけだが、だから老人は新人たちに駆逐され続ける。
また、リアル志向の問題をファンタジーで解決する気持ちの乗らなさは、作り手だけでなくユーザーにも答えが出ている内容だ。『竜とそばかすの姫』の評判を決定づけたあのラストの流れを、本作は全編級の長い尺でやったに近い。
本作は「失神や気絶→目覚め の場面転換」が非常に多く、テンポが悪い。
人間はそんなに都合良く失神できるとは思えないのだが、それは置いといて。
一番の問題はそれに伴う映画館内の静寂で、序盤過ぎには「(悪意ですらない)寝息がいっぱい聞こえてしまうこと」である。ずっと置いてきぼりで、共感できる人物や状況が無いのだから体験としては仕方ないのだが、「あ、やっぱりつまらないよね? これ」という空気が上映中に伝播する構造になってしまっている点が、誰にとっても得が無い。
私が観た初日の夜、スタッフロール終了後には3人ほどが勇んで拍手したが、満席である他全員は頑なにその拍手に乗らなかった。「よかった体験」にしようというムードに抗う迫力があった。「やっと終わった」「誰が拍手するものか」という無言の一体感は久しぶりだった。
また、私はツキがある方で、映画館の一番左端の席で観た。
壁にもたれかかって観ることができたのは、正直頻繁にため息をつきたくなる本作の鑑賞において、けっこうなコツだったと思う。あと、一人で来たことも。
もし若輩の頃にデートで来ていたら、身に降りかかった不幸に泣いていたかもしれない。情報秘匿からの生理的嫌悪感を催す映像をいっぱい見せられて、この後どうすんだよ、と。
以上、私の感想としては、
・本作は「十分にわかった」
・その上で、「エンタメとしても純文としても打点が低い」と感じた=つまらなかった
・内容は「深くはなく、シンプル」に思った
・ただ「未整理状況のとっちらかりで、複雑に見えているだけ」に思った
というもの。
「わからなかったから、つまらなかったと言っている」とか、「まったく理解できないシーンがあったから、深いに違いないと思っている」とかではない。
複雑で奥深いというのは、一つの困難な目的を達するために合理的に各種装置が詰め込まれ、有機的な関係をもって稼働している秘密基地のようなものだろう。
対して本作は、自堕落な生活が体積して足の踏み場もなくなった汚部屋のようなものだ。「現実で食って寝て折り合いつけて生活する」…というシンプルな目的が中心に在るのだが、洗濯や掃除やゴミ捨てをサボっても暮らせる、むしろこれがいいんだと居直ったせいで、足の踏み場や寝床を見つけることすら一苦労という状態。深くはない。ただ乱雑で、とっちらかって、見えにくくなっているだけだ。
宮崎監督の生い立ちを知った上で当てはめたり、登場キャラにメタ的に現実のジブリ関係者を当てはめないと「本当の意味はわからない」と言われるなら、私は「本当の意味はわからなかった人」で結構。
むしろ、前情報無しでニュートラルな映画勝負を仕掛けてきて、後出しでそういう「見方の注意」が出るなら、言い訳めいているというか邪道に感じる。そういう擁護・弁護が出る時点で、そういう「見方の注意(作り手からの見方のお願い)」が不要な凡百の作品に劣っている。そういう「見方の注意」がなくとも、人々を楽しませて深いものを訴えて涙させる作品はいくらでもある。
まさに、晩節を汚してしまった作品に思う。
ここまで鳥の糞好きで来られると、逆に最近は鳥の糞に触っていないのだろうなと思う。車のボンネットやウインドウ、オートバイのカバーにこびりついたアレを落とすときの、あの感触と臭い、手を洗わずにはいられない嫌な感じ、もう忘れてしまっていないか。
汚いという形而上のラベルを貼られただけの、思い出の中で綺麗にされている、実態を離れたイデア界の鳥の糞で話を構築してしまっていないか。「醜い外見のアオサギ、川辺の生物、臓腑、鳥の糞等々」を、頭の名で生み出した「汚いものという概念」にして、映像に入れ込んでしまっていないか。鳥の糞は、労働でにじみ出た匂い立つ汗や、人生の苦労が滲んだ醜い顔の皺とは違う。それら(千と千尋での次元)と違って鳥の糞は一周回っても美しくはならず、汚いのである。鳥は本能のまま無遠慮に糞を散らしているだけなので。
よって、「心理的物理的に腐臭あふれるこの世界で生きる」というアンサーは、そこまで共感を得られるものではない。
下水処理場や屠殺場の側で生きる覚悟を持つ自由もあれば、下水処理場や屠殺場を生活圏から隔離して見えなく・臭わなくして生活する自由もあるのだ。
産革期、ロンドンのテムズ川の大悪臭をロンドンの人々は「耐えられない」と下水を建設して生活圏を確保した。汚いもの、臭うものを生活圏から隔離することは貴賤問わず大勢の願いであり、その成果たる現代の暮らしを欺瞞かのように語る事こそ、独特の尖った思想だろう。
エンタメをかなぐり捨て、純文的にあってほしい繊細な積み重ねもファンタジーで放り投げ、極端な思想だけが見えてくる作品なので、情報を秘匿して公開するものではなかったと思う。
本作を基準にすれば、映像的にもテーマ的にも面白く深い映画はいくらでもあってしまうと感じた。
メタファーの洪水みたいな作品を見慣れてるかどうかも、楽しめるかの分かれ目かも
ふんわりとネタバレを踏んでる状態だったのと、もっとカオスな作品を見慣れてるので、ストーリーはシンプルだなと感じました。
葛藤を抱えた少年が心の隙を突かれて試練を受けることになり、冒険する中で己と向き合い成長して元の居場所に戻っていく物語。
同時に、真人の母となる少女にとってもまた、試練を受けて元の居場所に戻る決心をする物語。それらに付随するメタファーは、宮崎駿なりに込めているものもあるのでしょうが、鑑賞者の数だけ受け取り方は自由。
ジブリのような大衆を幅広く集客できるクリエイターから、いわゆる「訳が分からない」ような作品が生み出されるのは珍しいなと思います。
一見脈絡なく進む物語を見慣れてる人ならば、そこまで混乱しないのではないかと思います。最近の映画ならエブエブ、舞台ならNODAMAPあたりとか。
主人公はよくいるジブリキャラの男の子(パズーとかね)ほどネアカではないけれど、よく知らない間に父親が亡き母そっくりの叔母と再婚してたらそりゃああなるでしょうね。当時はどうか知らないけど、現代人の感覚からしたら素直に歓迎しろだなんて言えないよ。
また、ここからは私の解釈ですが、ナツコは塔のこと、幼い頃に姉から話を聞いていたのではないでしょうか。
過去とも未来とも現在とも等しく繋がっている不思議な塔に行ったことがある、とがなんとか。
だとしたら身重なのにわざわざ塔に出向いていく理由もわかります。彼女なりに真人との関係に悩んでいたのだから。
そしてキリコは、塔に2回も入っている唯一?の人間でしたね。奉公先のお嬢さま/ご子息が危ない目に遭わないよう付いていく面倒見が良い女性なんだなと印象的でした。
(彼女は1回目の時点で大人だったので、塔の中での記憶も覚えてなかったんでしょうね)
ジブリの総決算的なもの
今までのジブリの総決算というような感じがした。
今度こそ、宮崎駿は、引退するのか?そう思えてしまう内容で、様々な場面で、過去作を思い出してしまう感じだった。
今回の映画に関しては、賛否分かれるのは、観る側に、様々な考えを委ねられているからだと思う。
受け手によって、感じ方が真っ二つにわかれても、しかたないだろう。
私としては、始まりから最後まで集中して観た映画で、終わった後も、色々試行をめぐらした感じだった。それが映画の楽しみだと思う自分もいる私は、嫌いではないが、観る側は、結構疲れるかもしれない。私は、それなりに面白かったと思っている。
なお、大人向けか、子ども向けかということで、とても心配になったが、結論から言うと、子どもを連れて行っても、かわいいキャラクターもでてきたりするので、そこそこ楽しめるだろう。
事実、私の子ども、小学1年生の双子と、幼稚園年長の末っ子は、
観終わった後、おもしろかった、過去作のジブリにキャラみたいなのが出てきたなどとの感想を述べていた。
その為、深い意味が分からない子どもでも、それなりに楽しめる作品だったと思う。
なお、私としては、宮崎駿監督には、いつものように引退を撤回して、新作を作って欲しい。いつも、これが最後との思いで、その時の最高、ベストを尽くしているからこそ、常に引退作品ということなのだろうと思う。
1回じゃ理解不能
時間たってるからレビューとか見ればなんとなく物語を心して見れたけど、何も入れないでみると途中から訳がわからなくて世界に入りきれない💦。
声優さんとかは見たからつい探してたら木村拓哉さんは直ぐにわかったけど菅田将暉さんは後半であれっ?って気づいた(笑)。
他もなんとなくわかったけど滝沢カレンさんはわからなかった。
あとシーンの所々で過去のジブリ作品のオマージュシーンっぽいなって見てたらやっぱりそうだったみたい。
なんか名前が出てる所で「ドーラ」とかあったり、ハウルの婆さんの顔した婆さんいるし(笑)、その辺探すのも込みで2、3回見ないとわからないかもなー(笑)。
素晴らしい。君たちはどう生きるか?問われた作品でした。
観ている最中、涙が自然と流れてきて、懐かしさや愛おしさや、魂に触れるような。非常にメッセージ性があり、何回も観たくなる映画でした。
難しいというお声もたくさんあります。その理由もわかります。が、しかし何回も観て
あなたは自分の世界をどう生きる?と常に考える時間をもち、生きたいと思います。
またあの世界のことは忘れてしまうとのことですが
強力なお守りがあるから、覚えている。
わたしたちにとってこの映画こそがお守りになるのかなと思います。
たくさんの方に観ていただき、観た方たちで深く観察を語りたいです。
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