君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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1回じゃ理解不能
時間たってるからレビューとか見ればなんとなく物語を心して見れたけど、何も入れないでみると途中から訳がわからなくて世界に入りきれない💦。
声優さんとかは見たからつい探してたら木村拓哉さんは直ぐにわかったけど菅田将暉さんは後半であれっ?って気づいた(笑)。
他もなんとなくわかったけど滝沢カレンさんはわからなかった。
あとシーンの所々で過去のジブリ作品のオマージュシーンっぽいなって見てたらやっぱりそうだったみたい。
なんか名前が出てる所で「ドーラ」とかあったり、ハウルの婆さんの顔した婆さんいるし(笑)、その辺探すのも込みで2、3回見ないとわからないかもなー(笑)。
君が、誰か他者ではなく、君自身を生きるヒントにと
作られた映画、届けられた映画。
そういう感想を持った。
この映画のタイトルは『君たちはどう生きるか』だけれど、1937年出版の吉野源三郎の著書とは別物だ。
敢えて、『君たちはどう生きるか』としたのは、「この本は今、若い人たちに再び手に取られて、読まれなければならない」と宮崎監督が強く感じたからではないか。
かつて「君たち」の一人に過ぎなかった宮崎駿少年と、少年眞人が、この本から受け取ったことはあまりに大きいのだろう、もしかするとこの現実世界を生きていく「よすが」となるほどに。
大きいからこそ、具体的には描かれなかった。そこは描いてしまいたくなかったのだ。
この映画をキッカケに実際に読んで、受け取る体験をするよう願っているのではないか。
大叔父の塔が崩れたのは、「誰かが作り上げた虚構の世界」、もしかするとアニメーションの創作群、それらよりも「君と一冊の本」との結びつきのほうが素晴らしいんだよ、人生にはよっぽど大事なんだよ?と諭す寓意があるのではないか。
本当に素晴らしい一冊との出会いがあれば、(眞)人は生きていける。
大人たちが性欲のまま動き淡い想いを踏みにじり、かと思えば独善だったり人生のレールを敷いてくるような醜い世界であっても。
他者の悪意や冷笑も、自身に渦巻く悪意も、どちらも制御不能であっても。
それが一番言いたいことなんじゃないかと受け止めた。
その他思いつくままに書き留めると…
・思いもかけず関わってくる他者も、なんだかんだと行動や時間を共有し交流することで情が湧き、もはや無関係ではいられないし、友情や絆のようなものだって生まれてくるだろうこと。
・自分の手を動かして、ナイフで削ることで武器を作れること。だがコツを掴むまで練習しないことには、その物は道具や武器として用をなさないこと(アオサギを射抜こうと弓矢をこしらえる場面)。
・人と、自然という「異界」との親しさは、里山的、田園風景的な(自然)環境の中でしか育まれないこと。
・男性にとって、母親は永遠に「はじまりの女性」なのだということ。
・威圧的な他者(インコ王)、神のような存在(大叔父)がruleする世界は、所詮は他人の「世界」であってそれは「君自身」がゼロから関わった世界ではない。 それを譲り受けるのではなく(それは例えば「とても流布した他者の見方」をそのまま信じることにもあてはまる。そうするのではなく)、未熟でも不完全でもとにかく君の実感、思うままに重きを置くこと、信じてみること。
君自身オリジナルの内的世界(観)を少しずつ築いていくことのほうがよっぽど価値があること。
この荒々しい、悪意に満ちた世界にあって、それは簡単ではないとしても。
私が勝手にそんなメッセージ、思いを宮崎監督から受け取った。
なので、この映画に関するいくつかの考察を検索やTwitterで読んでからも
「いやいや、自分はこう思うね」
とどこかに書いてみたくなりました。
眞人は部屋を出た。
私も「君たち」の一人として、「どう生きるんだい」、その監督からの問いかけに、まずは書くことで答えてみたくなった。
この先も、この映画を見たから出力された行動、動いてみようという衝動が、湧いてくるかもしれない。
私にとってはそんな映画。
美しい日本式アニメだけど
無広告戦略にダマサレタ。思索的な映画、もちろん有っていい作家映画なれど、たしかにこの内容を広告していたらここまでの集客は無かっただろう。悪い映画とは思わなかったがやられた感を引きずる。
宮崎駿の集大成
まず映画が始まってすぐその映像美に圧倒させられます。オープニングとしては最高の始まり方だったのではないでしょうか。あのシーンでまず私は涙してしまいました。あれほど切なく切羽詰まる描き方は今までなかったと思います。
さて、本編ですがテーマはやはり生と死なのでしょうか。生まれること、母親とは、命とは、死とは、あの世とは…そんな色々な命に纏わるテーマを扱ってるように思えました。ただもっと他にもメッセージ性が込められていて、受け止め方が違うのがこの映画の醍醐味だと思います。
その上で最後、さぁ君たちはどう生きるのか、この苦しい世界でどう生きるのかと問いかけてくる映画でした。
たくさんの生き物が世界にはいて、その中でたった1つの自分。
一度見ただけでは分からないところも何度も見直したいと思える作品です。やはり宮崎駿は唯一無二で、代わりになる人は誰も居ないとそう感じさせる素晴らしい作品でした。
ただこの映画には今までのジブリ作品を彷彿とさせるシーンがそこかしこにあります。それを見つけるだけでもとても楽しめる映画でした。
手書きの素晴らしさを再認識させられる見事な映画です。
ただ、最後の曲だけは今までのジブリらしくなくて好きにはなれませんでした。
好き嫌いがはっきりわかれる映画ですが、私はとても好きでした。また何度も見に行くつもりです。
私にとってはこの程度もネタバレ。
1回じゃ分からない部分あるけど、問題なし。私は好き。風立ちぬが好きな人には難しくないかと。いや難しいんだけども。もう1回は観たいかなぁ。「君たちはどう生きるか」より「失われたものたちの本」という小説の影響があるそうですね(薄い)。どんな小説か興味を持ったのですが、レビューに怖い、というワードがよく出てくるので読むのは止めました。でも考えさせられる内容とのこと。この映画は怖くはないけど少し暗い?いやちょーっと何となーく怖い雰囲気もあるか?期待したファンタジーとは種類が違うけど、難しいけど、分かりにくいけど!深すぎて好き!
意味が分かれば意味分かる
おそらく宮崎駿の最終作品
100年200年たっても名前が上がるような監督と同じ時代に生きてた事や
子供の時から大人になった後も充分アニメ映画を楽しませてくれた事に感謝。
今回は分かりやすいラピュタとは違って一般人に向けて作られていないという印象
では誰に向けて作ったのだろうか?
おそらくは本当のアニメ関係者や業界人へ向けて作った遺言じゃないだろうかと思えた。
エンドロールに総務部や財務部の名前まで出しているのもそういう事だろう 関係者や業界の人の為に向けて作られているのが強い。
・不思議な世界を産み出した大叔父は宮崎駿または高畑勲だろう
世界を作り続けて来たが業界自体に限界を感じ
次の担い手に自分の世界を次いで貰いたかったが
次の世代に全てを任せる事に決めた 完全引退宣言
不思議な世界に繋がる塔の声が聞こえるのは『血筋を引いた人』だけ
・血筋を引くのは少年 つまり宮崎駿や高畑勲の弟子筋
少年は戦闘機を見て美しいと言ったりしているので、宮崎駿本人も投影されている気もするが
自傷したりしていたり言葉数の少なさも庵野秀明を色濃く連想させるが
ジブリを引き継ぐ事はせず 自分の世界を進む事を選んだ
・アオサギは鈴木俊夫そのものだろう
人を誘い込んで 騙して 嘘ばかりつく冷酷なプロデューサーだが
そういう人間も綺麗事だけじゃない業界では必要であり、友人だと言うこと
近年 鈴木俊夫は 庵野秀明にべったりでなんとか取り込もうと必死だった所も共通している
・不思議な世界の中で浮かび上がる事を夢を見てるが実際は地獄を見せられているペリカンは堕ちたアニメーターやアニメ製作関係者だろう
(彼らも本来はまっとうな事をしたかったが、純真無垢なホワホワ?を食い物にしないと生きていけない)
ペリカン達は【俺たちは作られた】と嘆いているが
『我を学ぶ者は死ぬ』という代物に殺到していた
宮崎駿のインタビューでも言っているが
『アニメ製作は自分や他人を傷つけ、磨り減らす。
私も若い才能を何人も潰してきた』と言っている
ペリカン達はアニメ制作をしたい!と望んでしまった人達の成功を掴めなかった多くの人達だろう
アニメの世界に縛られながら 本望でも無いことをさせられ続けている
・インコはアニオタやその界隈か
不思議な世界(アニメの世界)にインコをたくさん連れてきたのは大叔父だが増えすぎてしまったという。
増えすぎたインコは 世界を製作者から奪って自分達の都合の良いものに変えようとしており これは2次創作作家やアニメ全体の業界も含んでいると思う。
『インコは子供を食べられない』というのは
いわゆる萌え豚と呼ばれる界隈でも唯一 手を出していけない物は法に触れる児童ポルノなので、インコがそういう界隈のメタファーなのはほぼ間違いないかとは思う。
正しく言えばアニメという【技法】を愛している訳ではなく、自分の性処理や疑似恋愛の欲求を満たすための創作、キャラクターや作品をポルノや都合の良い話に改変し消費する界隈の人達。
・キリコさんはおそらく宮崎駿と二人三脚だったジブリの名物女性スタッフだった人だろうと思うが
分からなかったのは母親とナツコ母が どういう事のメタファーだったのか良く分からなかった
少し話がそれるが【京アニ事件とペリカンの死因】が酷似している。
純真なホワホワ(少年少女)を食い物としているペリカン(アニメ製作者)は火に焼かれて死ぬ。
これだけでは、かなり辛辣なメッセージに見えるが
病院で新しい命(作品)を身ごもっていたであろう母親も火に焼かれて死んでいる。
火で巻かれて死ぬことより産み出せることが素敵だと別れ際に母親は言う
宮崎駿はいわゆる商業アニメを毛嫌いしているものの、当事者達の物を作りたいという気持ちや気概は否定しきれなかったのではないかと見えた。
京アニ事件の犠牲者にはアニメ会のベテラン、ジブリに縁深いアニメーターも亡くなっているのだ。
●この映画はストーリーラインがグニャグニャしており どこが本筋なのか不明。
明確なメッセージがあるわけじゃなく
今のアニメ業界を投影・比喩・描写した パッチワーク的なポエム作品なんじゃないかと思う
業界関係者達に
僕達が好きだった業界はこんなになっちゃったけど、どうすんの?
殺しあいながら犠牲を出してやってくの?
やってくんだね? 頑張ってね!
というただの遺言だと思う
結局高畑宮崎が目指した 創作物によって人間を成長させる という生涯のテーマは果たしきれなかったと考えると少し切ないが
消費娯楽ではなく創作の道を志す 君達に託したとも言える
後は制作時期がコロナだったのも大きいと思われる。
コロナは戦争そのものだと良く言われるが ガラリと変わった価値観や社会の先で、これからの人達はどう生きていくのだろうという宮崎駿の単純な疑問がタイトルになっている。
戦争が終わり現実に返されて映画は終わる
※アニメ視聴者を現実に帰らせて終わらせる という終わり方は高畑勲イズムだが、庵野秀明も最後のエヴァで継承していた。宮崎駿もそれに倣ったのだと思える
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作品の感想
◆私的な考えを言うならば 宮崎駿 本人の総括は風立ちぬで完成していたにも関わらず
今作を作った理由は やり残したこと=先輩が認めてくれる作品を作りきれてなかった点にあると感じる。
表の話に裏の設定をつけるのではなく
裏に話のラインを引いて、それを隠すように表にストーリーを乗せる、この形は高畑勲の傑作【かぐや姫】を強く意識している。
かぐや姫は水彩画のような手法が凄いと言われることが多いが、全くもってソコではない。
それは綺麗な包み紙を見て【凄い綺麗な作品だね】と中身を見ていないに等しい。
かぐや姫のアイデアは並の作家では指の先すら届かないウルトラCのアイデアだった。
(高畑監督がかぐや姫で何をやろうとしていたかは、別のレビューを読んでいただきたい)
後輩の宮崎駿は高畑の遺作となった かぐや姫で作家としての文学的力量とアーティストとしての姿勢にコンプレックスを植え付けられたはずだ。
魔女の宅急便で高畑から叱責を受けた後は明らかに作風は変わり、かぐや姫の後 高畑が亡くなってからは更に文学やアートとして深みを持たせたアニメに傾倒していっているのも明らかだった。
宮崎駿も見た目だけの作品を作る人間ではないのだが、高畑にはとうとう認めてもらえないままお別れすることになってしまった。
そんな彼が最後にやりたかったのが亡くなった先輩が喜びそうな作品、先輩にまたあーだこーだ言われそうな文学的・芸術的なアプローチに挑戦したという事が実に泣ける師弟愛なのである。
大人であれば好き嫌いは別に楽しむことは出きる
子供は大人になった時に見返して楽しめれば良い
見る人によって受け取り方が変わるもの
宮﨑駿監督作品・ジブリという枠組みを一度頭から追い出して、なんの事前情報も入れず、なんの偏見ももたずスクリーンに映し出される絵、音、メッセージをそのまま受け取る…そのような姿勢で観てほしい作品です。楽しいおもしろいだけが"愉しむ"ことではありません。本作は口を開けていれば楽しませてくれるエンタメ的な映画ではなく、観る側の感性や経験によって受け取り方が変わる抽象画に近い作品だと思いました。
舞台は戦時中、主人公は裕福な家に生まれ育った少年・眞人(マヒト)。戦火で入院中の母親を亡くしますが、まもなく母と顔が瓜二つ・すでに父の子を身ごもった「母の妹」が新しい母親として現れます。たった1人の母を失った悲しみに向き合う暇もなく周りの親切な大人たちによってみるみるうちに環境が整えられていき、不自由など何もない生活が与えられます。まずこのような立場に置かれた時、あなたならどうしますか?何も気にせず与えられるものを享受する、非行に走る、親に反抗する…人によって違うでしょうが、眞人はとても物分かりのいい少年です。周りの親切な大人たちが自分のためを思って環境を整えてくれたことを知っているし、戦中ではわがままを言えないことを理解している。自分自身の気持ちは「あの日」に置いてきたまま、淡々と毎日を過ごします。まだ幼い少年でありながら、そのような"大人の"振る舞いができる子なのです。
表面上は問題ないように見えても、アオサギを執拗に追いかけ回したり、転校先の同級生とうまくいかなかった帰りに自分の頭を石で傷つけて流血しながら帰るなど、彼なりの世界への反抗・感情の発露がとても生々しく、息を飲みました。
眞人の本当の心を置いてきぼりにしたまま、物語は進みます。義理の母を探して迷い込んだ不思議な世界に翻弄され、時に誰かの手を借りながらついに義理の母を見つけますが「出ていけ、あなたなんて大嫌い」と突き放されてしまいます。あなたならどうしますか?必死にここまできたのに、と怒りますか?じゃあいいよ、と引き返しますか?眞人はこれまで自分の『お母さんへの気持ち』をずっと仕舞い込んできました。突き放されたことで、仕舞い込んでいた本当の気持ちが涙とともに溢れ出します。その瞬間に自我が息を吹き返し、現実を受け入れるための一歩を踏み出すことができたのです。
宮﨑駿監督は、母君とご自身の関係でしばしば苦しんだというようなことを語っているようですね。私自身にもそのような経験があり、眞人の抱える感情がとても他人事と思えず鑑賞後になぜか涙が止まりませんでした。眞人がした不思議な世界での旅は、自分の気持ちを探す旅、自身と向き合うために必要な経験だったのではと思いました。理解できない世界を受け入れ、その上で自分がどうしたいか考えることで、自身を閉じ込めていた堅い殻をやぶり自由になるということなのではないかと。
したがって、本作から私が受け取ったメッセージは『君たちはどう生きるか』、まさにそれでした。
楽しいおもしろい作品が"神" "最高"と称される世の中に、どのカテゴリーにも属さない作品を投じることができるのは、これまで"神"と称される作品群を世に送り出してきた宮﨑監督にしかできないことなんじゃないかと思います。
本作は、いいか悪いか、おもしろいかおもしろくないか、傑作か駄作か。二元的な捉え方では捉えきれないと感じます。物事に正解などありません。判断する人・時・場面によって異なる最適解があるだけです。宮﨑監督が生きてこられた80余年の間に何度も"常識"が塗り替えられ、正しさなんてどこにもない、すべては自分と向き合うことから始まる。と悟ったからこその作品なのではないでしょうか。これまで成し遂げてきた宮﨑監督にしかできない"仕事"、そして共に歩まれたスタッフの皆さますべてに、心からの敬意を表します。
(追記)
はじめに何の偏見もなしに〜と書きましたが、私は宮﨑さんの「決して人間の思い通りにならない自然」の描き方がとても好きで、幼い頃から宮﨑アニメを観て育った自分にとっては今作でもその部分が変わらず感じられたことがとても嬉しかったです。ジブリが好きだったのに今作は面白くなかったと感じた方は、ご自分がなぜジブリアニメが好きだったのか、幼い頃を思い出したり、あるいは自分の心に問いかけたりして理由を探してみると、どうして楽しめなかったのか・好きな部分はあったかなど、新たな発見があって『こんな作品があってもいいかな』と思えるかもしれません。
面白かったです
塔の向こうの世界にはいくつもの扉があって、扉ごとに違う時間や別の世界に繋がっている。
その扉の向こうに、主人公の眞人君やお母さんや大叔父さんなどと、時代の違うさまざまな人が集まっている。
まるで、近年でアメリカンコミックなどを中心に流行りの、世界が絡まり合ったマルチバースですよね?
先月封切られたばかりのザ・フラッシュなどは時間を超えられるヒーローでした。
よくもまぁ、宮崎駿監督の年齢で、こんな最近の流行を取り入れたような若い世界観を作れますよね。
しかも、物語の元になる主人公の生まれ育った元の世界は戦時中の日本。
若い人にはなかなか描けない世界だと思います。
若さを持った80過ぎの老人って、最強ですね。
最初に戦争の場面から始まったときには、普通に戦争のアニメかと思いました。
それに、屋敷で働くお婆さんがまたたくさん。
千と千尋の神隠しに出てきた湯婆婆とか、ハウルの動く城なんか主人公がお婆さんになっちゃうでしょ?
ジブリ作品って、皺くちゃでどこかちょっと不気味な、お婆さんのキャラクターが結構存在感があると思うんです。
今回はお婆さんがたくさん出てくるのに、顔の大きさやおできがあったり、「皺くちゃで個性がある外見」がひとりひとりに個性的で、存在感があったように思います。
不思議なお話で、理解できない部分もあったけど、なかなかに面白かったと思います。
というか、ネットニュースの記事ではスラダン方式で爆死して、観客が少ないって情報だったと思うのですけれど。
劇場内はほぼ満席でしたよ?
凄いもの見た。
面白いかと言われれば微妙だけど、ともかく物凄い作品だと思った。
ずっと宮崎駿が見ている夢を見せられている気分というか。
作中、水と火がとても対照的に表現されていて、印象的だった。
水は、優しく、幻想的で、でも所詮は嘘で作られた紛い物を。
火は、厳しく、恐ろしいけれど、真実を、
それぞれ象徴していたように思う。
同時に、真実=死でもあることががっつり明言されていて、
とんでもないテーマだなと思った。(全然的外れな意見かもしれないけど。)
一番印象的だったのは、ラスト近くでアオサギが言った、
異世界での出来事を覚えている眞人に対して驚いたあと、
「でもいずれは忘れちまう。だけどそれでいいんだ」的な台詞。
それって、まんま私たち観客に向けた台詞だよね……。
いずれ忘れてもいい。全部理解してくれなくていい。
今だけでも感動してくれれば、
ちょっとだけでも考えてくれれば、それで充分だってことなんだろうか……。
宮崎駿版「フェイブルマン」
「風立ちぬ」からまたさらに自身の話を掘り下げてくるとは思っていなかった。
事前情報が一切ないという上映形態は、公開当時の劇場に独特な雰囲気をもたらし、満席の客席全員が固唾を呑んで見守るという貴重な体験をすることができた。こんなことができるアニメ監督というのは今の日本では宮崎駿監督か庵野秀明監督くらいだろう。
低予算、小規模だから事前情報がなかったのか?という私の心配は冒頭数秒で吹き飛んだ。
絵が動いている!!!(当たり前だけど笑)
吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を幼少期に読んで感銘を受けた宮崎駿の自叙伝的な話になるという事前情報そのまんまの話になっていて驚いた。
本作の主人公 牧眞人は宮崎駿本人であり、戦時中に戦闘機部品の製造会社役員である父親と共に移った宇都宮での話がベースとなっている。
まずは自分のこと美少年に描き過ぎだろ!!笑という突っ込みはさておき、父親を木村拓哉にやらせるか〜といったところや、主人公を不思議な世界にいざなうサギ男を菅田将暉にやらせるか〜といったキャスティングも興味深かった。
また、やたらと色っぽい義理母は所作含めて渾身の作画、演技で凄まじいこだわりを感じた。「風立ちぬ」での教養ある人間の自然な所作をアニメーションで描き切るということをやっていたので、本作でも炸裂。
自分の父親をめぐる実母とその妹である義理母の関係性はハッキリとは描かれないのですが、考えようによってはいくらでもドロドロとしたドラマを生み出させる要素満載。本作は「風立ちぬ」に続いて完全に大人向けですよね。
(妹と父親の大人の関係は結構前からあって、終盤の義理母から主人公への拒絶反応は自分の恋人を姉に取られたと思っていたからとも受け取れる。)
2時間に収めるために尋常じゃないくらい早いペースでところどころ端折りながら進んでいくので着いていくのがやっと(私はそう感じました。)、ですが絵的な遊びも満載でハッキリとコメディに振り切ってるところもあっていいなと思ったのと、ここぞというドラマ的なキメ(久石譲のピアノサウンドでビシッとみせてくる)もちゃんとあったので最後まで飽きずに観れました。
終盤の展開は宮崎駿監督も自分で言ってるくらいわけわかんないのですが、やはり母親との再会、そして母親が死ぬということを知らされても主人公を産んで、そしてその時まで生きる為に帰っていくという選択をしたこと、火事で亡くなる母親はあの世界では火を操る存在であり、火事では苦しまないということがわかり、主人公へ救いがもたらされるということ。
そしてサギ男(青サギ)が最後に主人公に問いかける「その石のことはそのうち忘れると思うけど、そのまま持っておきな」というセリフ。
石とは主人公の罪であり、世界を構築する(バランスをとる)ためのパーツでもある。
新たな世界を構築することはなくなったが、その石をお守りとして持って、主人公は去っていきます。
庵野秀明にとって"それ"は槍であった。
宮崎駿監督にとっての"それ"は石だった。
という話だったのかなと思う。
タイトル「君たちはどう生きるか」じゃなくて良かったんじゃないかと思うんだけど笑
また、鈴木敏夫プロデューサーのラジオ「ジブリ汗まみれ」で本作に登場すらキャラクターにはモデルがいるようで、覗き屋のアオサギは鈴木敏夫プロデューサー(宮さんは否定しているそうですが)のようで、宮崎駿と鈴木敏夫の会話がそっくりそのまま再現されたかのようだということ(だとしたら主人公が何回も殺そうとしてるの怖くない?笑)
そしてそんな主人公とアオサギの喧嘩を止めるキリコはジブリで色彩監督を努めていた故・保田道代さん、そして高畑勲も登場したとのこと。("頭の良い人"ととして登場した有名な大叔父さんかな)
また、終盤のパートは鈴木敏夫が宮崎駿にもっと書けと引き伸ばした展開らしく、引退すると言ってるおじいちゃんをよくこんなに働かせるなと思うが笑 エヴァイマジナリーならぬ駿イマジナリーな世界は初号試写で宮崎駿本人が「わけがわからない」というくらい、かなりぶっ飛んだ世界笑
最後にどぎついの作ったなー。
結構ダークさ増し増しで難解
また宮崎駿監督の新作が観られるなんて!と楽しみにしていた。
情報何も入れてない状態で初日に鑑賞。
面白いか面白くないかで言うと、つまらなくはないんだけど「面白くはなかった」という感想。
私自身メッセージがうまく受け取れてないのもあるんだろうし、時代設定もあるだろうし、主人公の眞人が結構淡々としていたのもある。
宮崎駿監督作品には割とワクワク感があるんだけど、そこは控えめだったかな。
あと今回結構ところどころ怖いというか、ダークさが結構全面に出てきてゾワゾワした。
最初、青鷺も怖かったし、塔の世界で登場する鳥たちが割とホラーでグロデスク。
あらすじを振り返る。
太平洋戦争の時代、母を火事で亡くし父の再婚相手である母親の妹がいる地方に引っ越してきた少年・眞人。
新しい暮らしや新しい母に色々思うところがあったけれど、不思議な青鷺に誘われて、お屋敷の近くの塔に叔母である新しい母を探しに行き、若かりし母や祖先の男性など出会いを経て、今の生活に戻ろうとする話。
(合ってる?)
色々練られたお話で背景があるのは感じ取れるのだけど、そこが今回割と難解。
塔の中の出来事は不思議の国のアリスが落ちた穴の世界のように不条理で、不思議な生物もいて謎に満ちている。
この塔の世界のイマジネーションは今までの宮崎駿監督作品世界のエッセンスも感じられて良かったけど、ストーリーが難解なんだよな。
そして「君たちはどう生きるか」は原作ではなくて、主人公への亡くなった母の贈り物として触れられるだけで、あまりストーリーのベースにはあまり関係してこなかったなと(まあ宮崎駿監督作品は原作あっても全然別物になるのは常なのだが)。
コペルくんと叔父さんの話を想像して行ったんだけど、そんなことはなかった。笑
ただ、本作のタイトルがメッセージそのものなんだろうなとは思った。積み木を新しい時代を生きる者としてどう組み立てるのか。あるいは積み木そのものを破壊するのか。何を選ぶのか。
主題歌が米津玄師なのにも驚いた。
ジブリ作品としては主題歌にかつてないいまどき感。
1回観て1日経った状況では本作をうまく飲み込めてないのでもう少し時間をかけて消化したい。
追記:
時間経ったら飲み込めてきた!
この作品はスタジオジブリへの宮崎駿監督なりの自己風刺&檄なのだと理解。そうすると色々腑に落ちてきた。
ジブリの事情や歴史がわからない人には割と置いてけぼり作品なのだ。
クリエイターとしての大先輩(駿監督)から若手(後進)への問題提起(というかお叱り?)なのね。
純粋に楽しめました
アカウントがなぜか消えてしまったので(´;ω;`)
初レビューです。
最初見始めた時は、
こ、これはまさか私の苦手な○○映画では!?お涙頂戴的な、!?いやだぁぁぁ!!
と心の中で叫びつつ、いやいや…ファンならどんな類でも楽しまねば!と心の中で奮い立たせていた所、
あれ?なんか違うかな?
ほおぉぉぉ〜
と好きな感じでちょっと一安心
なぜかたくさんいるお婆さん達がこれまた妙に可愛い…
映像も綺麗だし草原のそよそよ感とか不思議な可愛い生き物とかやっぱりこういう世界観好きだなぁぁ
色々とよく分からない部分がありましたし、最後ももう少しここを見たかったし余韻が欲しかったなぁとか思いましたが、、
全くどんな映画か内容も分からない状態で不安なまま見に行きましたが、、
結果見て良かった〜♪と思いました
原作が読んでみたくなりました。
しかし、星が低い人に対してなぜか教養がないと返信をし続けてる人がいますが、
どう感じようと本人の自由ですし、そのためのレビューです。
脅して星を上げさせるような事はせず、
真のレビューを見せるべき。
監督からの愛に溢れたバトンと解釈しました
退屈なシーンなど、どこにもなかったです。
シンプルに感動しました。
宮崎 駿監督の人生最後に伝えたい思いみたいなものがじわじわと伝わってきて、
途中から涙してしまいました。
私は過去に何度も流産を経験し、その後大変な思いで出産もしました。
ここ数年で両親を病気で失い、死を身近に感じたこともあり、
監督が訴えている 命の尊さ が痛いほど胸に突き刺さりました。
監督のような素晴らしい人でも大叔父のように年老いて、
いつかはこの世を去らねばならない悲しい現実。
それが生きるということ。
また人間はその尊い他の命をいただかなければ生きてはいけない事も
魚を捌いたり、また時には鳥にさばかれそうになったり、というシーンの対比で表現されています。
大切なのは感謝の気持ちと、いただいた「命」の連鎖として、与えられた「命」を大切にすること。
そしてタイトル通り、その尊い命で君たちはどう生きるのか、というのが一番のテーマではないでしょうか。
主人公は最後に「与えられた無垢の石で新しい世界を築く」という用意された道を拒否し
「元の世界に戻って友達と協力して生きていく」ことを自分で決めます。
嘘や隠蔽などでいっぱいのこの世の中で「自分で考えて生きること」が大切だと訴えているように思いました。
継承したい事は沢山あるが、「自分で考えて生きること」が大事という
監督からのエールのような、願いのようなバトンを、
是非若い世代の人たちに受け取って欲しいです。
今はつまらなかったと書いている人たちに、何年か後にもう一度見て欲しいと思いました。
また悪意に満ちた世界でも、救いは友の存在であるとも教えてくれています。
小学生の息子も一緒に楽しんで見られました。
本当に素晴らしい映画でした。
なんこれ?
「風立ちぬ」以来10年ぶりの宮崎駿監督最新作。正直「風立ちぬ」自体がだいぶ私に合わなかったため今回もあまり期待はしていなかったが、逆の意味で想像を超えてきた。まじで意味が分からない。
映画冒頭は作画がすごく、宮崎駿気合入ってんなーと少し期待したが、そこからは退屈な日常パートが体感1時間弱続く。意外と普通で拍子抜けだなと思っていたら後半からは怒涛のワニワニパニック。伏線をばらまきつつ整合性の取れないストーリーを展開し、最終的にほとんどの伏線を回収することなくおわり。
ぽけーっとした状態のままシアターを出てしばらくして我に返り、すぐにネットで解説を漁った。あれは宮崎駿の人生で、墓の主は宮崎駿自身で「我を学ぶものは死す」みたいなやつの意味は私を真似てアニメを作るのは失敗するぞって意味だ。13個の積み木は今まで彼が作ってきた作品で誰かに引き継いでほしいけどいない。ジブリ(石の世界?)はここで終わりって意味だ。みたいな解説を見て、なるほどあれは宮崎駿の内面を描いた映画なのか、と自分の中で何となく理解は出来た。でもそんなの映画にして観客に見せちゃいかんでしょ。そういう「このシーンにはストーリーにおける意味とは別にこういう別の意味があって~」みたいなのは元のストーリーがちゃんと成り立っているからこそ成立するのであって、元のストーリーぐちゃぐちゃにして自分の内面を映像にしてペタペタつなぎ合わせていったのを映画と呼んでいいの?なんかこの映画はアートだから感じるんだ!みたいな意見もあるけど、アートなら映画館じゃなくて美術館でやってもらわなきゃ。
映画はジャンルはなんであれその究極の目的は人を楽しませること、つまりエンタメにあるはずだ。私はそう思う。今回の映画を作るにあたって監督はそのことを少しでも考えて作ったのだろうか。なんとなく今回の映画の意味が分かったうえでも、これは監督の自己満足のために作られた映画としか思えない。肯定的な意見を述べている人も、この映画をジブリや宮崎駿監督と切り離して、単純に一つの映画として見せても(絵的に即バレだろうけど)同じ感想を抱くのだろうか。とても気になる。どんなにその映画に含意されている内容、メッセージが素晴らしいと言っても、映画自体が面白くなかったらそれは駄作だろう。少なくとも本作は映画館で大勢の人に見てもらう映画ではない。
期待していなかったと言いつつも、やはりジブリには大好きで思い入れのある作品も多い分、やはり心の底では楽しみにしている気持ちもが自分の中では強く、久しぶりにジブリ映画を映画館で見れた満足感はあった。それだけに私的には本作の出来は非常に残念だった。
いつか子供にこの映画の意味がわかる人間になって欲しい
レビューをみて心配しながら娘と鑑賞。
結果、最高に面白かった。夏休み中、もう一度家族で観る約束をした。
小説を読む子なら小学生でも理解できる映画。が、昨今の読みやすさに特化したものしか読まない子(我が子)には後妻と母親の関係など直ぐに理解できない場面もあったようだが、そこはジブリ。十分に楽しむことはできたよう。
ミレーの種をまく人や他ジブリ作品を彷彿とさせるような映像美も楽しめる。
尚、たまに絵本のよう、と下げる意味でのレビューを見るが、いやいや絵本て凄いんですよ、と声を大にして言いたい。
後ろの席の小学生男児は終わっていの一番「面白くなかった!」と大きな声で叫んでいて可愛かったw彼のご両親も「ほんと意味わかんない」などと仰っていたので、映画に求めるものが違うと、確かに星イチも有り得る映画。
小さい子は、200分座り続ける事自体が難しいかもしれない。
題名の通り「どう生きるべきか」を少しでも考えたことがある方なら年齢に関わらず楽しめるし、今はまだ理解しきれない娘にも、後々この映画や原作が糧になることを願っている。
因みに映画2本分位の言いたい事詰め込んだよ、なボリュームでお腹いっぱいにはなるので、私はcospaの面でも大満足である。
が、これも確かにゴチャゴチャしてると感じる人もいるかもしれない。
日々「生きる」を考えていないとピンとこないかもしれません。
示唆に富んだ芸術を鑑賞する時、人生レベルで下ごしらえが必要なのだと感じました。
装飾が多く、本質が見えにくい作品でしたが、物語にあったドアノブのように、タイトルに最初から最後までしがみついていると骨格がわかりやすいと思いました。宮崎駿さんが書籍のタイトルを映画化した点も珍しく、かつ今の時代に必要性を感じたのかもしれません。
結局「僕らはどういきるのか」が結論でしょう。一番単純な作品のように感じました。
誰しも置かれた環境を不遇だと感じる時期はあると思います。
旦那に不満を持つ主婦、やりたくない仕事をしている会社員、同期に虐められている学生。そんな環境で腐っていくのか、立ち向かうのか、諦めるのか、清く真っ当に生きるのか。
「真っ当に生きようとする方が難しい」京セラの稲盛和夫の言葉です。嘘をつく、言い訳をする、人のせいにする、サボる、方が簡単で、本作はそこに堕ちた人を死人と表現しているように思いました。理不尽な境遇に陥り、自分で石を額にぶつけた眞人も死と隣合わせにいのたでしょう。嘘をつくことは誰にでもある。それを白状できるか?私自身、まだ清く生きることはできておらず、道半ばです。
いつの世もきっとそうだった「世の中おかしい」という人々の漠然とした思い。令和も例外なく問題がたくさん横たわっています。こんなに技術が発展したのに人々の心は穏やかでありません。幸福度も決して高くないように感じます。これまで世界を築き上げた先人たちの世も均衡がとれなくなっている今、僕らはその積み木を積み上げて、未来へと紡いでいく。僕らの意志をピースとして世に影響を及ぼしていく。その意志が悪なら絶対に崩れるし、善ならきっと更に良いものが創り上げられていくでしょう。
動物、鳥のように本能だけで、欲だけで生きていくのか。社会あっての自分、と考えて人のために、社会のために、世のために生きるのか。後者はさぞかし困難な選択です。気高く、清く生きる勇気を。その先には爽やかさだけが残るきれいな世界が広がると信じましょう。
新・銀河鉄道の夜。人生は冒険だ、の集大成。
初日に観に行きました。が、整理がつかなかったので、頭の中でグツグツと煮えたぎってたものを吐き出したいがためにレビューします。
説教臭い映画との前評判。しかし、数々の名作を生み出した宮﨑駿監督、当たり前ですが、登場人物の背中で語らせるくらい朝飯前です。これからの方は、安心して観に行ってください。
ただ、行間の説明が少ないことや比喩的な表現に、頭が追いついて行かないので難しい。分かりやすくは無い映画ですが、観てよかった映画です。
さて、ここからが本題(ネタバレ)。
監督の他の作品である、千と千尋の神隠し、崖の上のポニョ、また他の作品と共通しているのが、異界への挑戦と冒険だと思います。
千と千尋の神隠しは、引越し→湯屋→銭婆、ポニョは嵐→海に侵食された世界→ひまわり園。他の作品も穿ってみれば似たような表現は見受けられます。トトロとかラピュタなど、涅槃や幻想郷とも言うべき世界への旅立ちは宮﨑監督の魅力的な所の1つ。
そこで表現されるのは、生きるための強さ。
今作もまさにそのパターン。
空襲、引越し、新しい家族、馴染めぬ新天地。その生きづらさは、現代でも共有できるものが少なからずあるのではないかと思います。
その環境の中、主人公は、行動力と知性に溢れ、自ら試行錯誤して弓矢を作成し、アオサギと対峙します。監督が求めているだろう、生きるための強さを持っているタイプです。タバコで屋敷の老人を買収する強かさもあります。
ただ際立つのは、独立独歩の精神であり、周りに馴染めぬ主人公の未熟さです。例えて比較するなら、パズーは採掘場やドーラ達大人の協力を得る必要性を理解していましたが、主人公は全部自分で解決しようとします。
そこで登場するのが、未知で不気味なアオサギ。
今作のテーマは、どう生きるかであり、人間が誰しも持つ問題である人間関係の象徴が、アオサギだと思います。物語を通じての1番の敵にしてテーマは彼。
彼は、未知なる他人です。
幼い母は、別れと産み繋ぐ喜びと、生への肯定。
新しい母は、絆を紡ぐことの難しさと、歩み寄ることの大切さ。
老婆は、見守られていることと、生きることの範。
大叔父は、問題提起と自らの失敗と継承。
それぞれ役割があるなかで、アオサギだけが直接、主人公と関わりを持っていない他人です。
見ず知らずの、どのような利害関係をもっているのかも分からない、ある種老獪な雰囲気を纏うアオサギは、現代社会の中の他人の象徴です。
異界に赴き、冒険を通じて、彼とどう向き合ったか。それが、自ら怪我を負った後に、母からの贈り物である本(タイトル)を読んだ彼の変化であり、物語の最後の答えに繋がってきているのだと思います。
そして、冒険からはいつか帰らねばならないと、ピリオドを打つように、終戦→思い出深い屋敷を後にするという新たな旅立ちがまっています。終戦後、どこも苦しい焼け野原の状態。そこで、どう生きていくか。屋敷を出た瞬間、それを問いかけられるわけです。新たな冒険です。
人生は冒険であり、生き抜く強さとは、そしてどう生きるのか、と、一貫して訴えかけてきているのでしょう。他の作品のことを思うと、まさに一貫してメッセージを送っているのだなと思います。まさに、集大成。
観てよかったなと思いました。
余談ですが、頭がグルグルしているうちに、ふと、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に似ているなと、思いました。
あの作品も死後に類似する世界からの帰還と、本当の幸いの体現(生き方の追求)で、締めくくられています。
童話、ファンタジーの違いこそあれ、人が至る、どう生きるかという問いかけを、繋げたからこそ、新だなと感じました。
宮﨑監督と宮沢賢治の意図するところが同じかは分かりませんが、生きている時に、この作品をスクリーンで観られて良かったと思います。
君たちはどう生きるか 監督から私達へのメッセージ
プロモーションがないので当初は公開されることも知らず。SNSで観た人の感想で、公開を知った。
おしなべて、解釈が分かれる映画だという。
キービジュアルだけで、絵に似つかわしくないタイトル(キャッチコピー)
どんな映画か、さっぱり分からず、
監督のエゴだけの作品でしかないなら、観たくないなと迷った。
⚠️以下は、読まずに映画を観てほしい⚠️
難解だと事前の口コミで聞いてもいたが、
非常に宮崎駿らしい映画だった。
どこかおどろおどろしいファンタジー、彼の映画は子供に向けた作品でありながら、原始的な闇があり、子供をすくませる。
現にこれまでの作品でも、子供が怖いと泣き出し映画館を出ていく姿を何度も観た。
今作で難解なのはその世界観で、世界のルールを飲み込みさえすれば、物語を楽しむことができる。
屋敷に落ちてきた力ある石。
その力を得て、大叔父は世界を創り上げた。後継者を求めて、子孫を呼び寄せる。
その世界は意図してか、無意識なのか宮崎駿のこれまでの作品風景がそこここにパッチワークのように散りばめられ、既視感を覚えた人も少なくないはずだ。
老いてなお、彼の中にはこれほど豊かなイマジネーションがあることに、改めて驚く。
そして大叔父と主人公は邂逅する。
世界はバランスの悪い積み木を重ねるように、保つことが困難で、
1日1日を迎えることが、どれほど難解かを語る。
主人公に、おまえが世界をつくるんだと諭し、平和で穏やかな未来を作ることを願う。
これこそが、宮崎駿が私達に伝えたいこと。
「君たちはどう生きるか」
政府により国民は搾取され、貧困に追い込まれ、
自ら戦争へと突き進む今の日本をみて、どれほど歯痒いだろうかと思う。
私達の明日は、私達自身がつかみとれ、きっとこのメッセージを届けたくて、この映画を作ったんだろうと、心打たれた。
ただ、物語の起承転結としては弱く、映画そのものの魅力はやや欠けたのは残念。
それでも、観て良かった。
観るべき映画だった。
子供たちには難しいかもしれないが、私は観てほしい。
もう積み上がり始めた積み木をどうするのか
今まで映画レビューというものをしたことはなかったが、この作品のレビューをしないわけにはいかないと感じた。今だからこそ考えなければならないメッセージが詰まっていた。
時代は第二次世界大戦真っ只中、主人公・眞人は特需に沸く工場長の息子で、疎開先にて不思議なアオサギに出会う。
アオサギに導かれるままにやってきた世界は、ペリカンやインコが練り歩く一種の「気味の悪い」世界だった…
この世界、千と千尋~を思わせる人外の世界と見せかけて、その実は戦争をそのまま体現した世界である。
刷り込みと教育によって均質化されたペリカンやインコは戦争を生きる大衆の象徴だ。長引く戦争の中、彼らは「敵を倒す」大義名分すら忘れ、ただ生きるために空を飛び、人を食べる。そして未来に生まれるはずの子供たち(わらわら)は人知れず殺される。この殺人を続けるペリカンに罪の意識はない。ただ今日を生きるのに必死になった結果なのだ。
彼らの中では新たに生まれる子供は新たな兵士であり、兵士が兵士を育てるループが始まってしまっていた。
こうした戦争の世界の最上階では大叔父様が石を積んでいた。最上階は緑あふれる世界。兵士のインコはこの世界を見て「ここは天国なのでしょうか」と涙を流した。そう、人々の対立の中、なんとか均衡を保って生まれた平和は、最早兵士たちには縁遠いものとなっていた。
石とは恐らく兵器、産業の象徴だ。技術を如何に平和のためを思って積みあげていっても、発展した産業はやがて不安定になり、崩れた時には大惨事が起こる。大叔父様は為政者として、何とかこの均衡を一日でも長く保てるよう、今日も石を積むのである。
だが、大叔父様の寿命ももう長くない。積み上げてきた平和ももう崩れそうだ。故に眞人にその未来を託したいと願い出る。
眞人はこの申し出を一度断っていた。理由は、彼にとって石は木のように新たな命を芽吹くものではなく、冷たい悪意の塊であったからだ。それに対して大叔父様は「それを知っている君にこそ託したい」と言った。
大叔父様の考え方は、現在、私たちの世界にて最も正しいと思える平和の築き方だ。産業や兵器は、悪意を持って発展させればすぐに崩れて戦争の種を撒いてしまう。だが一方でそれらの技術は人の生活を豊かにするためにも必要である。故にその悪性を理解した人間が、そうした種を撒かないように細心の注意を払いながら平和を築かなければならない。
だが、本当にそうだろうか?この問いかけこそが、宮崎駿がこの作品を通じて伝えたかったメッセージそのものだと感じた。一見正しいように思える為政者の在り方。だが、その結果大叔父様はバランスの悪い世界を築き、世界はいよいよ崩れそうになってしまったではないか。真なる平和を築くためには、根本的に異なる考え方で世界を作らなければならないのではないか。
眞人が大叔父様からの申し出を断った理由は、自分が石を積んでも、また同じことが繰り返されるだけだと分かっていたからだ。仮に新たに積まれる石がそれ単体では悪意のないものでも、積みあがる世界には、積み上げた人の意図が反映されてしまう。どれだけ善の気持ちを持っていたとしても、その意図に悪性が無いと誰が言えるだろうか。
映画は、積みあがった石を兵隊長が崩し、世界が崩壊することで終わりを迎える。そして、第二次世界大戦が終わった後の世界が描かれることはない。
すなわち、宮崎駿には分からなかったのである。真なる平和な世界というものがどう築かれるものなのか、ということが。だからこそ彼は「君たちはどう生きるか」という表題をつけた。自分には分からなかった「平和な世界を築く」ことを、未来ある若人に託したのである。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって久しい。米中対立は過去類を見ないほど悪化している。世界を何十回と破滅させるだけの核兵器が製造されてしまった。石はもうすでに積み上がり始めているのである。私たちはこの世界をどう生きればいいのだろうか。今一度根本的な部分から考えなければならないのではないか。
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