君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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宮崎駿の出がらし レクイエムは米津玄師
「創造的人生の持ち時間は10年だ」
今思えば紅の豚以降すでに出がらしだったのかもしれない。
内容的には宮崎駿の後継者いない問題を物語にした感じかな。
メッセージ性が強くても難解でもいいんだよ…でもせめて面白くしてほしかった。
全体的にジメッとしていて、ゲド戦記や思い出のマーニーの陰気な感じを醸し出している。
登場人物たちは掘り下げが浅く魅力なく感じた。
主人公含む登場人物たちは今で言う上級国民。
子供らしからぬ利発さだが、戦時中なのにのんきに妄想冒険するブルジョワジー。
火垂るの墓と平行世界だとはとうてい思えない。
まぁそれは風立ちぬと同じで宮崎駿の出生と関係があるのだろう。
これは高畑勲と宮崎駿の描く人々の視点に決定的な違いを出しているように思える。
ジブリ初期のスカッとする話が見たかった人にはがっかりな内容。
小学生のお子さんは連れて行かない方が吉。
コアな宮崎駿ファン以外にはおすすめできない。
劇場は満席だったがエンドロールで米津玄師の曲が流れてもお通夜状態。
本当にこれで終わり?といった雰囲気。
ジブリ異例の宣伝なし。
ひょっとしてこれって鈴木敏夫のペテン師級の手腕をもってしても上手く宣伝しようがない作品だからなのかも。
コケるんだったらせめて宣伝費は浮かせたいのかと邪推してしまう。
輪廻転生や子宮を思わせる表現、数々のメタファー、あげく流行りのマルチバース。
衰退していく創造的人生のなかで必死に紡いだ宮崎駿最後の物語。
宮崎駿の生んだ13個の積み木、存分に楽しませてもらいました。
本当にありがとうございました。
P.S.
もし…もしもう1作描く余力があるのなら、ジブリ初期の血沸き肉躍る冒険活劇をお願いします!!
少年の心の旅。
どう捉えるべきか、この作品。なにせストーリーが解りづらく、観客が場面ごとにここはこういうことかな?あのキャラは何を象徴しているのかな?と考える必要が出てきます。よって、人それぞれの解釈が出来ると思います。
私はとても前向きなメッセージが込められていたと受け止めました。エンディングへ向かうにつれてそれまで「?」だった部分が繋がっていって面白かったです。まぁ「?」なまま終わった部分の方が多いですが(笑)
抽象的な表現が多く、ストーリーもフワフワした感じ。天国?地獄?この世ではない、どこか寂しい雰囲気の世界観。そこがすごく好き。でっかいインコやワラワラは可愛かったです。
そして、ジブリといえば久石譲。強い。あのピアノが流れた瞬間、あぁ、ジブリ映画だ。と思えるほど安定の久石譲でした。
最後に、エンドロールに「スタジオポノック」の名が載っているのを見て「屋根裏のラジャー」を思い出しました。私はラジャー推しなのですが、ジブリの良さ、ポノックの良さを再確認出来た映画でもありました。
やはり私はジブリが苦手だ
全く広告をしないことが逆に広告になっていた本作。予告編や他の方のレビューも観てないので内容について事前知識は無く、「賛否両論らしい」というのは風の噂に聞いている状態でした。多少覚悟を持っての鑑賞になります。
結論ですが、私の感想は「否」です。
ジブリらしい圧倒的な作画と幻想的な世界観には引き込まれるものがありましたが、逆に言えばそれ以外の部分は微妙に感じましたね。
ストーリー構成が支離滅裂だったり、取ってつけたような設定や展開があったり、声優の演技が下手過ぎて耳障りだったりして、正直全然楽しめませんでした。私はこの映画が苦手です。
自分の理解力がないから楽しめなかったのかと思い、色んな方のレビューを漁ってみました。「主人公の眞人は若き日の宮崎駿である」みたいな考察が主流のようですが、私は全然ピンときません。
私は、作り手の顔が透けて見えるような描写が嫌いです。だから最近の映画によく見かける、作り手の歪んだポリコレ思想が透けて見える描写には嫌悪感を抱きます。作者とは切り離して作品は作品として楽しみたい。本作を絶賛しているレビュアーは宮崎駿の半生や過去作にまで話を広げて賞賛する方ばかりで、「この映画単体で観てどこが面白かったのか」について言及している人は極めて少ない。映画に描かれてなければ一般教養でもない、裏にある作者の生い立ちやら思想信条やらを慮って観ないと楽しめない作品は、面白い映画とは私は思えません。
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第二次世界大戦中の物語。空襲によって母親を喪い、母親の生家がある田舎に引っ越してきた牧眞人。父親は母の妹であるナツコと再婚し、ナツコのお腹には赤ちゃんを宿していた。母を亡くした喪失感から抜け出せず、新しい家庭での生活になかなか馴染めずにいた眞人の前に、喋るアオサギが現れる。アオサギは屋敷の近くに立つ塔に眞人を誘うのだった。
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最初はまだ良かったんですが、塔の世界に入ってからが分かり辛く、ストーリーについていけずに置いていかれた感じがありました。私が頭悪いだけかと思いましたが、他の方のレビューを見ても「分からなかった」という方が多いように感じます。
どうにか分からなかった部分を補完しようと、映画レビュアーの方の考察などを拝見し、何となく本作への理解は深めることができました。しかしだからといって本作の評価が高くなるかと言えばそんなことは無く、「難解でつまらない映画」という印象だったのが、「単につまらない映画」という印象に変わっただけでした。
私は別に考察が嫌いなわけじゃないんです。でもそれは、考察しなくても面白いのが前提で、考察することでより楽しめるのが良いんです。本作のように難解でつまらなくて、楽しむために考察が前提となっている作品は苦手です。しかも考察したところで出てくるのが「宮崎駿の半自伝的映画だった」なんですよ。宮崎駿のファンでも何でもない私からすれば、オッサンの半生なんて興味ありませんし、それを描きたいなら分かり辛い比喩的なファンタジー描写じゃなくて直接的に描いてくれた方が面白かった気がします。あと、一部のファンが「この作品を楽しめなかった人には読解力がない(意訳)」というレビューをしているのも気に食わないです。
考察要素や難解な内容や宮崎駿の自伝的描写について、そういう要素を入れるなとは言うつもりはありません。しかしそれでもその要素を入れたいなら、映画としてしっかり楽しめる内容にした上で入れてほしかったというのが本音です。本作は製作委員会方式を取らずに宮崎駿が自由に製作した映画とのことだったので、彼の作家性が悪い方向に出てしまったのではないかと邪推します。
あとこれはジブリ作品の多くに共通する不満点なんですが、プロ声優はほとんど起用せず、タレント声優を使っているため、キャラクターによっては演技が壊滅的に酷いです。特にヒミを演じるあいみょんの演技は聞くに堪えないレベルの棒読み演技で、映画鑑賞のノイズになっていました。宮崎駿監督は声優のわざとらしい演技が嫌いだからプロ声優を起用しないというのは有名ですが、その結果がこの耳障りな棒読み演技なら本末転倒です。
普通の人にはオススメしにくい映画でした。宮崎駿の妄信的ファンの方、考察ジャンキーの方には超オススメです。
母と子の愛と絆の物語
これは母と眞人との愛と絆と成長の物語に感じた。
母が亡くなり(兄は戦争に?)、知らない土地に引っ越し、新しい家族とも学校でも上手く馴染めず、自暴自棄になっていた眞人がふと見つけた亡き母が贈った「君たちはどう生きるか」
この本を読んで眞人は自分本位の考えから周りの世界に目を向けるきっかけになったように思う。
それからの眞人は夏子を助ける為(本を読む前の眞人では考えられない覚悟が感じられる)、様々な冒険をし、そこで生命の神秘、世界の在り方、青サギ、キリコ、ヒミとの出会い、最後は大叔父の作った歪んだ平和の独りよがりの世界ではなく、例え醜い争いがあっても、誰もが生命に満ち溢れた世界を選んだ。
そして自分も母を亡くし人生に絶望しこの世界に逃避してきたヒミもまた眞人に出会い、自分がこんな素敵な子を産むことを知り、生きることに前向きになっていく。(眞人とのことは大叔父に聞いたっぽい) この2人が時空と時を超えて、若い頃のヒミが眞人に影響され、死ぬと分かっていても眞人を産むために生きる。眞人もまたヒミ(母)から生命と愛と本(知恵)を贈られ生きる力をもらう。この不思議な繋がりがとても素敵で泣いた。
そしてエンディングの米津玄師の地球儀を聴いてまた泣いた。
見渡すと泣いていたのは私だけ。でも間違いなく集大成。
嫌いになりたいけれど嫌いになりきれない。
受け入れられないけれど受け入れないといけない。
自分だっていつも正しいわけじゃない。
弱いまま清濁飲み込んで生きていく、絶望の中の希望が描かれていると思いました。
大叔父様は宮崎駿自身で、自身が作ったアニメの世界を無理に後継させず、別れることを受け入れ、若い世代に汚く理不尽な世界の中で自分自身の物語を紡ぐことを期待する…そんな遺書のようなメッセージを感じ、終演後は寂しさに浸ってしまいました。
残された私たちは目の前の積み木を積み上げていくしかない。
明日から頑張ろうと思える作品です。
最近流行りの過剰に綺麗なorグロい表現はありません。また、おとぎの世界で繰り広げられる事象については時系列の繋がりや物体の意味はほとんど説明されず、考察中は考察しがいのない演出となっています。ジブリ飯もほとんどでてきません。事前にCMを出さなかったことや声優が分からないこととも合わせて商業主義からの脱却を図ったのかなと思ってます。
メッセージ一本で通そうとする、監督とプロデューサーの本気を感じました。
『生きろ』という宮崎駿からのメッセージ
映画を鑑賞してから一晩が経ち、自分なりの考えが少しまとまったためレビューします。
ここでのレビューを見ると様々な意見がありますね。これこそがまさに『君たちはどう生きるか』なんだと思います。
宣伝無し、あらすじなどの前情報無しで大衆に作品を見せる戦略はとても面白い試みだと思いました。
私が鑑賞した上で感じたポイントは以下の2点です。
・眞人少年の成長と、大叔父は宮崎駿
・作中登場する鳥は現代社会の暗喩と隠されたメッセージ
まず、眞人少年は冒頭で母を火災でなくすことで、現実逃避します。
東京という現実から田舎に疎開することになり、東京育ちの眞人少年はその中で古い塔やアオサギという幻想を発見します。
次第に幻想に惹かれていく眞人は、学校という現実から逃避するため、あるいは塔の中へ入るために喧嘩で怪我をしたように見せかけ石で頭を打ち、転んだだけだと嘘をつきます。
父親からすると喧嘩で怪我をしたと思うのは当然。そんな学校(現実)は行かなくていいと父親に言わせるための行動だったのでしょう。
大叔父が作った幻想の世界に入った後、新しい生き物が登場します。
一つは白い体に黒い点で構成された生き物で、幻想から現実へ登っていく、紙とペンを暗喩。
ペリカンはそれを食べる(物語を消費している)人々を暗喩。昔は食べ物を食べていたのに今は消費することしかできない。
眞人はここで自然界の食物連鎖を学ぶ。
パンのシーンでの母の子を思う愛情。
幻想世界でのナツコの言葉の裏に隠された家族を思う気持ち。
など冒険を通じて生きることの意味を見出し、
現実世界で生きたいと思うようなった眞人。
終盤登場する大叔父は、この幻想の世界を継がないかと眞人を誘います。
家族を守りたい、現実で生きたい眞人はこの誘いを断ります。幻想との訣別、現実と向き合う、もう現実から逃げないという強い意志が感じられます。
これは、自分のように幻想に取り憑かれないで現実を『生きろ』という宮崎駿監督からのメッセージなのではないでしょうか。
この作品はまさに少年の成長物語であり、今まで宮崎駿監督が制作してきた『少年少女の冒険活劇』です。
また、13個の積み木を3年に一回積みなさいと言うセリフがあるが、この前のシーンで大叔父は全ての積み木を積んでいました。
(つまり39年、ジブリは今年創立39年目です)
また、13という数字は宮崎駿が監督した映画作品とも重なります。
幻想の世界で今までの作品のオマージュが出てくることから、大叔父は宮崎駿やジブリであると言えます。
もう一点は、作中に登場する鳥には、それぞれ現代社会に存在するあるものを象徴しているということです。
アオサギは悪意や嘘の象徴
ペリカンは必死に生きる家族の姿(生物としての本来の姿)
セキセイインコは扇動される一般大衆
言い換えると、
フェイクニュースを伝えるメディアや悪意のある人たち
信念を持ち自分らしく生きる人たち
思考停止で何も考えずに騙される人たちあるいは、何も考えず頭ごなしに否定する人
あなたはこの中のどれですか?と宮崎駿監督は投げかけています。
アオサギは生物である青鷺そのものの姿と人のような姿を持つが、これは嘘偽りのないものに擬態した悪意が内包されていることの比喩。
ペリカンは、嘘偽りのない真の姿。
セキセイインコは人間のように振る舞っているが、思考停止しているその姿は醜い。(みんな目がイっちゃってるのは思考停止の比喩?)
作中鍛冶屋の家に入る前のシーン、アオサギがセキセイインコを誘導する姿はまさに嘘が大衆を煽動している現代への暗喩なのだと感じました。
また、セキセイインコについては様々な考察ができると思う。
ジブリや宮崎駿作品を思考停止で崇めるファンの暗喩ではないか。
自分たちの意見以外は認めない。自分が崇めるものは崇高なんだという考えは愚かで醜い。
お前たちは何もわかっちゃいないんだという皮肉のようにもみえる。
作中登場するセキセイインコのなんでも群がって食べて無くしてしまうその習性はまさに、『自分たち以外』にマウントをとったり誹謗中傷で排除する現代人(SNS)そのものだと思います。
細かいところの考察はまだできていませんが、
様々な考察ができる本作を、ただ説明不足やつまらないで終わらせないでほしい。
この映画は、自分で考え、自分で『生きろ』という宮崎駿監督からのメッセージなのです。
未整理感と、不快表現の多さ
タイトルの感じからして、エンタメでないことは覚悟して公開初日に一人で観に行った。
純文学的で救いが無くても、まあ最後の作品になるだろうし…という心構え。
だが、出てきたのはエンタメでもなく純文でもなく観念的・観想的な作品。
ハウルをさらに観念的に研ぎ澄ましたスーパーハウルだと感じた。
テーマは、ジブリ作品『ゲド戦記』のように「唐突に言葉で説明してくれる」ので、むしろわかりやすい。
演出として、いちいち目を塞ぎたくなるような、鑑賞者を不快にさせる「汚い表現」がくどいほど定期的に挿入されるのも、「(新世界の神になるより)こういった生と死の臭気や腐気、そして無神経さや嘘がまみれる現実を大事にします」という、『君たちはどう生きるか』へのアンサーであるとわかる。
テーマはシンプルなのだが、「繋ぎが雑だから状況的にわかりにくくなっている」だけで、テーマ自体に複雑さや深度があるわけではない。
好意的に深読みすれば、シビアなバランスの積み木を組み上げて自世界を作り、たった数日を持たせるのに必死な創造主(クリエイター、アニメーター)になるよりも、現実を大事に生きます(旧ジブリ作品のような作り物の理想世界には憧れず、現実世界の物語を大事にします)ぐらいのものか。作中で主人公がそう決意する説得力、観客に共感が及ぶ要素は無かったと思うので、甘えた姿勢だと感じるが。
本作を構成する
・終始暗い
・主要人物たちが棒読み
・テンポが悪く間延びを感じる
・生理的に汚いと感じるものを強制的に何度も見せられる
・それがテーマ性だと強弁される
・その内容で、とにかく長い
という要素は、『実写版デビルマン』を実写版デビルマンたらしめる核である。
しかも本作は実写版デビルマンより各シーンの
・わけがわからない
度が高いので、実写版デビルマンの方がストーリーを追いやすくシーン解釈が容易なぶん、まだ易しいと言えなくもない。
なぜか、往年のクリエイターや晩年のクリエイターはこういう作品を作りがち。
「はっきりくっきりした作品なんて飽きた、つまらないじゃないですか」と言っては、毒にも薬にもならない抽象画のような作品を作る。
「大事なのはテーマでありコンセプトであり、新たな表現の可能性であり、枠組みを超えることであり、わかりやすさではない」――とまるで「老境の教科書」に書いてあるかのように画一的に言うものの、当然だがテーマやコンセプトなどはエンタメや純文的なものに乗せても「十分に伝わる」。それどころか、「むしろ伝導率はその方が高い」のは、「入門者の教科書」にも書いてある大前提である。
十分すぎるエンタメをしながら、深く厚いテーマを恐ろしい説得力をもって追体験・共感させてくれる傑作はメディアを問わず存在している。昨年の映画なら『トップガン・マーヴェリック』『RRR』と言えば、見た人の100%近くがわかってくれるだろう。アニメ映画の土俵でやっても、『スラムダンク』と言えば十分だ。
つまり、テーマやコンセプトに全振りするためにはっきりくっきりした作品であることを目指さなかった――という言は、達人の境地や至言ではない。後付けの、言い訳に近いものである。
結果、本作はリアルなのかファンタジーなのか、シリアスなのかコメディなのか不明瞭で、結局どの分野も及第点に届いていないゆえの鬱憤がある。こういった言に対して「カテゴリ分けして観られるような『安逸な』作品を作りたくなかった」と、芸術家を気取り出した“達人”たちは言って返すわけだが、だから老人は新人たちに駆逐され続ける。
また、リアル志向の問題をファンタジーで解決する気持ちの乗らなさは、作り手だけでなくユーザーにも答えが出ている内容だ。『竜とそばかすの姫』の評判を決定づけたあのラストの流れを、本作は全編級の長い尺でやったに近い。
本作は「失神や気絶→目覚め の場面転換」が非常に多く、テンポが悪い。
人間はそんなに都合良く失神できるとは思えないのだが、それは置いといて。
一番の問題はそれに伴う映画館内の静寂で、序盤過ぎには「(悪意ですらない)寝息がいっぱい聞こえてしまうこと」である。ずっと置いてきぼりで、共感できる人物や状況が無いのだから体験としては仕方ないのだが、「あ、やっぱりつまらないよね? これ」という空気が上映中に伝播する構造になってしまっている点が、誰にとっても得が無い。
私が観た初日の夜、スタッフロール終了後には3人ほどが勇んで拍手したが、満席である他全員は頑なにその拍手に乗らなかった。「よかった体験」にしようというムードに抗う迫力があった。「やっと終わった」「誰が拍手するものか」という無言の一体感は久しぶりだった。
また、私はツキがある方で、映画館の一番左端の席で観た。
壁にもたれかかって観ることができたのは、正直頻繁にため息をつきたくなる本作の鑑賞において、けっこうなコツだったと思う。あと、一人で来たことも。
もし若輩の頃にデートで来ていたら、身に降りかかった不幸に泣いていたかもしれない。情報秘匿からの生理的嫌悪感を催す映像をいっぱい見せられて、この後どうすんだよ、と。
以上、私の感想としては、
・本作は「十分にわかった」
・その上で、「エンタメとしても純文としても打点が低い」と感じた=つまらなかった
・内容は「深くはなく、シンプル」に思った
・ただ「未整理状況のとっちらかりで、複雑に見えているだけ」に思った
というもの。
「わからなかったから、つまらなかったと言っている」とか、「まったく理解できないシーンがあったから、深いに違いないと思っている」とかではない。
複雑で奥深いというのは、一つの困難な目的を達するために合理的に各種装置が詰め込まれ、有機的な関係をもって稼働している秘密基地のようなものだろう。
対して本作は、自堕落な生活が堆積して足の踏み場もなくなった汚部屋のようなものだ。「現実で食って寝て折り合いつけて生活する」…というシンプルな目的が中心に在るのだが、洗濯や掃除やゴミ捨てをサボっても暮らせる、むしろこれがいいんだと居直ったせいで、足の踏み場や寝床を見つけることすら一苦労という状態。深くはない。ただ乱雑で、とっちらかって、見えにくくなっているだけだ。
宮崎監督の生い立ちを知った上で当てはめたり、登場キャラにメタ的に現実のジブリ関係者を当てはめないと「本当の意味はわからない」と言われるなら、私は「本当の意味はわからなかった人」で結構だ。
むしろ、前情報無しでニュートラルな映画勝負を仕掛けてきて、後出しでそういう「見方の注意」が出るなら、言い訳めいているというか邪道に感じる。そういう擁護・弁護が出る時点で、そういう「見方の注意(作り手からの見方のお願い)」が不要な凡百の作品に劣っている。そういう「見方の注意」がなくとも、人々を楽しませて深いものを訴えて涙させる作品はいくらでもある。
まさに、晩節を汚してしまった作品に思う。
ここまで鳥の糞好きで来られると、逆に最近は鳥の糞に触っていないのだろうなと思う。車のボンネットやウインドウ、オートバイのカバーにこびりついたアレを落とすときの、あの感触と臭い、手を洗わずにはいられない嫌な感じ、もう忘れてしまっていないか。
汚いという形而上のラベルを貼られただけの、思い出の中で綺麗にされている、実態を離れたイデア界の鳥の糞で話を構築してしまっていないか。「醜い外見のアオサギ、川辺の生物、臓腑、鳥の糞等々」を、頭の名で生み出した「汚いものという概念」にして、映像に入れ込んでしまっていないか。鳥の糞は、労働でにじみ出た匂い立つ汗や、人生の苦労が滲んだ醜い顔の皺とは違う。それら(千と千尋での次元)と違って鳥の糞は一周回っても美しくはならず、汚いのである。鳥は本能のまま無遠慮に糞を散らしているだけなので。
よって、「心理的物理的に腐臭あふれるこの世界で生きる」というアンサーは、そこまで共感を得られるものではない。
下水処理場や屠殺場の側で生きる覚悟を持つ自由もあれば、下水処理場や屠殺場を生活圏から隔離して見えなく・臭わなくして生活する自由もあるのだ。
産革期、ロンドンのテムズ川の大悪臭をロンドンの人々は「耐えられない」と下水を建設して生活圏を確保した。汚いもの、臭うものを生活圏から隔離することは貴賤問わず大勢の願いであり、その成果たる現代の暮らしを欺瞞かのように語る事こそ、独特の尖った思想だろう。
エンタメをかなぐり捨て、純文的にあってほしい繊細な積み重ねもファンタジーで放り投げ、極端な思想だけが見えてくる作品なので、情報を秘匿して公開するものではなかったと思う。
本作を基準にすれば、映像的にもテーマ的にも面白く深い映画はいくらでもあってしまうと感じた。
最後の宮崎作品で描かれる「悪意の主人公」と「強いヒロイン」
今作は、主人公の少年が自らに芽生えた「悪意」と向き合い、不条理な運命を受け入れるまでの物語だ。
映画冒頭、主人公の真人は火災で母を失う。そして傷ついた自分をよそに父はさっさと再婚するが、その相手・ナツコは母にそっくりな顔の女だった。そんな異物が家庭の中に紛れ込んでくるわ、おまけに転校先の小学校で酷いイジメを受けるわで、真人は逃げ場のない地獄に突き落とされたような日々をおくることになる。
真人をみていると、『もののけ姫』に登場する少年・アシタカを思い出す。映画がはじまっていきなり、アシタカは何の罪もないのに死に至る呪いを受ける。この点、真人とアシタカは似ている。一方、アシタカは呪いの元凶となる人物への憎悪を抑えることができたが、まだ幼い真人は湧き上がってくる憎悪に囚われる。
ナツコは真人の良き母となろうと懸命に振る舞うものの、真人は彼女を攻撃対象に定めてしまう。彼はナツコから何を言われても無言を突きとおし、素っ気ない態度をとりつづけた。ここまで他人へ残酷な悪意を向ける主人公というのは、宮崎監督作品では初めてではないだろうか。
だから今作は『もののけ姫』のアップデート版だと思った。再び少年に旅をさせて、遠回りをしながら自分を見つめなおす姿を描こうというのだ。ただ、その描写は『もののけ姫』のようなリアル路線ではなく、『崖の上のポニョ』や『ハウルの動く城』のようなファンタジー路線。パステルカラーの不思議生物がうじゃうじゃ出てくる愉快な世界だ。
そしてこの旅のなかでは、少年を勇気づける「強いヒロイン」も登場する。こんな抜群に可愛くて肝の据わったキャラをよく作り出せるなと毎回思う。
ちなみに今作は、宮崎監督が愛する児童文学『失われしものたちの本』(ジョン・コナリー)がベースとなっている。読めば映画の理解がさらに深まるはずだ。
「悪意」と「悪意のない13の石」 追記:タイトルについて
一回目は絵力に圧倒され時を超えた親子の物語に涙しつつもさまざまに疑問もあったので二回目の鑑賞に臨みました。
一回目で一番飲み込みづらかったのが悪意云々の件です。
積み木を差し出されマヒトが「これは木ではなく墓と同じ石で悪意がある」といい、大叔父が長い年月をかけて用意した「悪意のない13の石」を差し出し、マヒトはこめかみの傷を見
せながら「これは自分の悪意の証でその石には触れられない」といったことを言います。
「悪意のない13の石」については宮崎駿の劇場公開作品の数と同一であることは指摘されています。では悪意とは何か。
あちらの世界というのは「上」とは違い、「石」と大叔父の契約によって「創られた」世界です。
積み木として使われる石は無数に存在する中で「悪意のない石」が宮崎駿の作品群であれば、映画やあるいは創作物、「創られた」ものが石ということになるかと思います。
マヒトの「悪意」とは、行為としてはこめかみに自ら傷をつけたことで、「命を弄ぶ」ことと言えます。
他の作品によく見られるような「命を弄ぶ」作品は作らなかったという宮崎駿の自負です。
「悪意のない13の石」でより良い世界を作ってとマヒトに伝えながらも、マヒトには断られ、インコ大王が無茶苦茶にして、世界は崩壊します。
大叔父が宮崎駿であるならば、「命を弄ばなかった」という自負がありながらも、それによって若い人たちに良い影響が与えられるなどということはない、自分の作品が世界を変えるなどということはなかった、そしてそれでいい、というのが宮崎駿のたどり着いた境地なのではないでしょうか。
もう一つあちらの世界について、夏子さんの「あんたなんか大っ嫌い!」というセリフがあって、あちらの世界(宮崎駿の作品)には嘘がないのではないかという点も気になって、青鷺のセリフを確認しましたが、少なくてもあちらの世界に行ってからの彼のセリフには嘘はありませんでした。
命を弄ばず嘘をつかなかったと自分の作品を評価しつつも、最後には自分で突き放し崩壊させ「それでいい」と言えるのは、かっこいいジジイだなと思いました。
追記:「君たちはどう生きるか」について
吉野源三郎著のものは未読ですが、児童書ということでおそらくは子供達に向けて道徳的な教えのある内容だろうと推察します。映画の中では亡くなった母が「大きくなったマヒトさん(君だっけ?)に」と書き添えた本をマヒトが見つけ、これを読みふけ涙する、というように扱われています。この涙の場面から、夏子さん失踪騒動の場面に直結しますが、実はこの時点でマヒトの成長譚としては区切りがついているのではないかと思っています。
この場面以降マヒトは苦労することはあるものの、悩み葛藤することがありません。夏子さんを連れ帰らなくてはいけないという芯がブレることが、全くないのです。つわりで苦しんでいる夏子さんにあんなにそっけない態度をとっていたはずなのに。つまり母親の思いのこもった本を読んでマヒトは変わったのです。
おそらくは夏子さんのような人を悲しませるのは良くないことだいう風に変わったのではないかと思います。だから自分のことを「大っ嫌い」とまでいう夏子さんに精一杯に「お母さん!」と叫ぶことができた、「僕は変わったよ!」と。
だから冒険を通して成長する物語ではなく、成長した少年の冒険、というふうに自分には見えました。
宮崎駿が吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」をどう思っているのかは分かりませんが、少なくても映画内ではマヒトを成長させるものとして扱っています。いわゆる良書であり、「悪意のない石」と同義のものではないでしょうか。
映画の「君たちはどう生きるか」というタイトルは、挑戦的な意味合いではなく、宮崎駿自身が作り続け、今後もあらゆるところで生まれ続けるであろう「悪意のない石」に触れて、若い人たちはどんな大人になっていくんだろう、どんな世界になっていくんだろうと、老人が思いを馳せているような意味合いに自分は感じました。
世界を崩壊させたくだりと矛盾しているような気がしますが、創作物の可能性を信じながらも無価値さも感じているという、相反する思いが混在しているのがこの映画、というのが現段階での感想です。
様々な動画経ての感想
様々な動画を見るに、この映画は、宮﨑駿が生まれて初めて「この映画を見る子供」を意識せずに作ることができた映画なのではないかとおもいます。誰よりも褒められたかった老人である宮崎駿が、宮崎駿以上に誰よりも褒められたかった老人が、先に死んだからこそ生まれた奇跡の作品です。もう彼より褒められる必要はないのです。彼は死に宮崎駿は生きているからです。
多分に作り手の思惑に寄り添ってこそ楽しめる作品ではあります。かといって普遍性もちゃんとありますし、若く、日本で最も優秀なアニメーターとのコラボ作品でもあります。そのノイズもふくめ、「アニメーションとは」を何も知らない自分でさえワクワクさせるものがあります。
地球儀
スタジオジブリ作品を劇場で鑑賞するのは初めてです。毎年金ローでやっているので、テレビでしか見たことがないので、こうやって大スクリーンで観れることに感謝したいです。
中々にクセの強い…というかとにかくやりたい事を詰め込んだ遊び心の強い作品だなと思いました。すごい振り回されましたが、好きな感じの作風でしたし、アニメーションのクオリティはジブリ+αの進化を果たしていてとても良かったなと思いました。
物語は主人公の眞人が疎開先で不思議な塔に出くわし、そこにいた青鷺に導かれて様々な世界へ行く…というジブリらしいファンタジー作品に仕上がっていました。「風立ちぬ」に続いて戦争の色が濃く描かれる時代を舞台にしていますが、戦争が物語に強く関わってきませんでした。
戦争の是非を問う作品なのかなと思ったら、特段そういうわけではなく、生命の誕生を描くのかな?と思いきや、それもまたフリで、中盤から様々な時代の人々と出会う異世界転生みたいになっていきました。
実母、義母、青鷺にインコにモフモフ、未知の人との出会いは今までのジブリが辿ってきた道を共に歩いてる感覚になりました。
積み木が崩れると世界が崩れるというのも、現実のシリーズもののメタファーだと思いますし、アニメ作りの困難さ、苦悩や葛藤がファンタジーとして盛り込まれているように思えました。それが故に置いてけぼりにされる事も多々ありましたが、アニメの美麗さに助けられて世界観についていくことができました。ラストがあっさりだったのは惜しいですが。
アニメーションのクオリティはジブリど真ん中の素晴らしいクオリティでした。カラフルな絵柄から躍動感溢れるアクション、不思議な生き物たちのデザイン、背景の炎や水の美しさ、新海監督の描く美麗な背景とはまた違う魅力は10年のブランクがあろうと関係なしで健在でした。
ふわふわたちや、ムキムキインコたちのデザインが絶妙なラインをついてきてくれてとても好きでした。
ジブリ飯、今作ではそこまで映っていませんでしたが、外はサクッと中はふんわりの食パンに結構大きめのバターを塗りたくって、ジャムを目一杯塗り塗りして、口周りがベチャベチャになっちゃうくらいの美味い朝飯を頬張るシーン、素晴らしい飯テロでした。簡単にできそうですが、食費とカロリーが中々…💦。いつかはやってみたいやつです。
「君たちはどう生きるか」というタイトルの通り、宮崎駿監督が恐らく人生のフィナーレを飾るために今作は作られたんだろうなと思います。
ジブリ作品や、様々な名作たちの要素を混ぜながらも、宮崎駿監督の色は決して濁さず、自分自身の想いをこれでもかとアニメに詰め込み、メッセージ性を静かに残してエンドロールへと突入する流れは、巨匠が撮る最後の作品なんだな…とどこか寂しく思えてしまいました。
登場してきたキャラクターとの関係性も、自身の両親や息子の吾郎監督、ジブリのメンバーたちや、復帰のきっかけを与えた新たな日本を代表するアニメ映画の監督たちとの繋がりをモチーフに描いているかのようでした。
決してリアルタイムで観てきたわけではないのに、なぜこんなにも心がくすぐられるんだろうなと思いました。
エンドロールは米津玄師さんの「地球儀」が優しく包み込んでくれます。誰が声を当てているのか分からない状態で観るのは不思議な感覚でしたが、本職の声優さんはほとんどいないだろうなと思って流れてくる名前を見たら、この人が当ててたんだと目が大きくなるばかりでした。可もなく不可もなくって感じの声の演技でしたが、多くのジブリ作品の中でも棒読みチックなシーンはかなり少なく、全体的に聞きやすかったのが良かったです。
ジブリと共に生きてきた人の目からどう映るのかは分かりませんが、ライトファンな自分にとっては不可思議な世界を堪能できる楽しい奇怪な作品になっていたなと思います。もう少し長くても良かったかなとは思いましたが、これが集大成か、としたを唸ってしまいました。アニメの力はやはり凄いです。
鑑賞日 7/14
鑑賞時間 10:45〜13:05
座席 L-22
「君たち」は誰に向けたことば?
ジブリが映画の公開まで広告宣伝一切なしという、強気な面に1番惹かれて行きました。
公開日に行った映画はこれが初めてです。
宣伝しない意味は何か?自分の生き方を見つめ返せるのでは?と仕事終わりワクワクして行きました。
予備知識ゼロで映画館へ向かい、横の書店にて原作を初めて知りました!表紙見たことある!けど今は我慢!!
最初、戦争の映画か、、と思いましたが、観進めていくうちにあれあれあれ?めちゃくちゃファンタジーじゃん!!
アオサギってかっこいいキャラだと思ってたよ!?
なぜ夏子さん森に行ったの?
キリコさんは海で何をしてるの??
ちいかわみたいなのたくさん出てきた!
ペリカン、、?ペリカンが死んでいくシーンの意味は、、?
セキセイインコの国?めちゃくちゃ食べられそう?
大叔父様は何をしてるの、、?
ヒミ、火が好きってそんな感じで戻っちゃうの?
あれ、キリコさんはそっちに戻るんだ?
2年後東京に戻る、、?おわり?!!
とにかくハテナハテナで、、
映画を観ながら、
もののけ姫のカタカタいうコダマのシーン、千と千尋のひよこたち、ハウルの動く城のハウルの部屋、ポニョの古生代の生き物が出てくるシーン、火垂るの墓、いろんな過去作品を思い返していました。
どなたかのレビューにも見ましたが、TENETを見た時と同じ感覚でした、、😇
まとめると、難しい!!!ゆっくりこれから考察を見ていきたいです。
自分の人生とは共感できるところありませんでした!
タイトルの、君たちはって誰から誰に向けられた言葉なのでしょう。
大叔父様?原作を見たら分かるのかな、、
ここが考察のポイントなのでしょう。
誰かの生き方、考え方が表れた映画ではなく、いろいろな概念の元冒険していくストーリーでした。
ジブリの液体はとろみがある、昔知り合いが言ってた言葉をすごく思い出して、なるほどなあと思いながら観ていました🧐
主題歌米津さんんん!ジブリすごーーーーー
しかも4年前からオファーしてただとか、、
菅田さんは全く気づかなくて本当にすごいなあと改めて思いました。
映画内の音楽は、綺麗なメロディーでしたが不穏なシーンはゾワゾワする感覚で、すずめの戸締りを思い出しました。
ジブリが本気でホラー作ったらめっちゃ怖いんじゃないかな、、、。
そして私初のIMAX
ジブリが私の初IMAXになるとは、、笑
炎はループし飛びつづける
未来少年コナンに夢中になって以来、なんだかんだずーっと見続けてきた宮崎監督作品。「もののけ」以降は好き嫌い半々位、という程度のオタクですが、宮崎さん高畑さん(大塚康生さんも)の映像群はもうほぼ原風景というか。
開始1分で「あぁ、馴染んだやつを見ている」という沁み入るような感覚をおぼえ、前半のテンポも音も抑えた静かな展開、後半の「ハヤオてんこ盛り」スペクタクルも楽しみました。
面白かったという以上に、自分の内部に何か沸々と湧くものがありました。
鑑賞してから1年以上たち、レビューもいっぱい読んだのですが、特にマヒトの父母と叔母ナツコの関係性について言及してるものに当たらなかったので、今更ですが記しておきたいと思います。あくまで私見です。
亡くなった妻(夫)のきょうだいとの再婚は、現代の感覚からするとトンデモでも昔の日本にはよくあった風習、というのは色んな方が書かれてましたが、あと1つ、「姉妹なら姉のほうが先に結婚しなければならない」という暗黙のルールみたいなものも、昭和には普通にあったんですよね。
ヒサコとナツコ姉妹の場合も、縁談は当然先に長女にきて、しかしマヒトの父に「恋していた」のは妹のナツコのほうだったのでは、と推測しました。
ループする炎の少女であるヒサコは、「マヒトを産む」ために結婚、夫に対してさほど気持ちは無かったんじゃないかなぁ、となんとなく思いました。
清々しい炎のヒミちゃんが作中最も魅力的で、あまりにアッケラカンと晴れ晴れしてて、作中の時制がどうあれ、現世には拘りや未練が全く無さそうなんですよね。
マヒト父、別に悪い奴じゃないけど家父長野郎パパガイバーという感じがあんまり…だったので、少女のヒミちゃんがマヒト父を全く気にかけてない感じがむしろヨカッタ(笑)ですし、「子供に対する母親の愛情に、父親はあんま関係ない」と言い切られたようでもあります。(父と子にはまた全然別の関係性がある)
普段、1番見ないジャンルが「恋愛もの」でラブの機微には疎いほうですが、この映画に限っては、宮崎作品には割と珍しいエロスのある「父と後妻」と、思春期以前の姿で縦横無尽に飛び回る「母」があまりに対照的?で、そんなことを考えてみました。
わかりたいタイプの人には不親切な作品だったかと思いますが、全体通しての隙間やいびつさを私は楽しみました。クライマックスから着地が尻すぼみ気味なのもハヤオ通常運行と思いましたし まだ作りそう、とも。
RRRを超えてしまった(≧◇≦)
色々、賛否両論ですね~♫
『君たちはどう生きるか』
まったく、予備知識や人の情報無しで~観てきました♫
個人的に・・・RRRを超えて今年ナンバーワン映画です✨
というか・・・観てきた映画の中で最も好きかも。
ほんとに素晴らしかった。
人のありのままを肯定して欲しいという『祈りの映画』であったような気がしています。
メインテーマは『正しい?』『間違っている?』『混沌』と『規律』・・・その先にある。
やっぱりそれでも、たとえ汚い世界かもしれないが・・・。
今を偶々一緒に生きている人たちと『生きる・・・』『生きないか!?』
という問いかけだったと感じています。そこに理由はないんです。
やっぱり宮﨑監督は人に絶望はせずに何かしらの期待をしているんだなぁ~♫
って素朴で単純なhiroは感じた訳です。
その場合、僕達世代の責任を少し感じはします。
どうやって、今後、止めるのか・・・。そして、後世に託すのか。
それはアオサギの嘴部分を修理している真人の感じでしょうか。
理屈ではなく助ける。
それをしない自分が自分で気持ち悪いから。だから笑顔で真剣なんですよね。
後でどうされても良いわけです。※本当は良くないけど。
刃を向けられれば闘いますしね。それまでは助けますわよ。
そして、裏切られても又、助けるんでざますわよ。
そういう強さを持った赦しでしょうか。
なんとなく、それを考えさせる、理屈で納得させる事ではなくて、
如何に『感じる』に働きかけて、観た人に種を蒔く事ができるかという事を
考えぬいて創られた作品の様に感じています。
※あくまで個人の妄想です。
ここから↓更に乱文・・・ご容赦ください(*- -)(*_ _)ペコリ
それに~♫
ナウシカの漫画版の問いかけに似たものを感じて~♫
あぁぁぁ~。宮﨑監督の軸は変化してないんだな~って。
嬉しくもありました♫
※『もののけ姫』の時も感じたんですけど(^^♪
そして、恐らく、それを理屈ではなく感じさせるために、
ストーリーは散文的にしてあって、故に説得力を持たせる為の、
絵に対する細部への執念が『凄い!!』って思わされました。
最後に勝手な妄想ですが、
大林監督や同世代を生きた哲学を持ったクリエイター、
いわば戦友達に手向けた作品であったのかもしれないと勝手に夢想している。
甘ちゃんなhiroなのでした~(*- -)(*_ _)ペコリ
さてと~♫アカデミー賞とれないかなぁ~。
この作品は凄く取れそうな気がするんですけど(^^;
※個人の勝手な妄想です。
生命大肯定モノ。作家自身の欲望の掘削作業に付き合ってみたらこれまですべての宮崎作品を一貫するテーマにたどり着いた感動がある
アート鑑賞と読書してるようなアニメ映画体験で非常に楽しかった。私にとってのアート鑑賞の意図は勉強して読み解ける自分であることを証明あるいは否定されながら次の知的好奇心のモチベーションを得ていくこと、自分が知的生命体であることを肯定するための確認作業だから、それに値する内容だったことがまずうれしく有難いと思います。
この作家が意図したものを反映させた、という意味での思い通り具合は、今回何パーセントくらいだったのだろうか。もし何割かは思い通りに作った作品なのだとすると、老いて欲が剥き出しになった状態で、言いたかったことや自分の創作人生において悔しいこと、今までは意識下に抑えてきた願望が溢れてきたものを表現された割合が高く、その意味でこれまでにないジブリ作品となったことに面食らったファンも多くいたんじゃないだろうか。
これまでのジブリ映画って、自然と生命に対する畏怖と尊敬と美しさを、わざわざわかりやすい物語の形にしてくれて、私たち凡人にもわかるように提供してきてくれていたけど、今回は少しわかりにくいと感じたのは、今回は私たちへのサービスではなく、作家自身の掘削作業、自分自身の欲望や未消化の感情を表出する場を与えてもらうという作家自身へのサービスや夏休み的な空間だった感じがして、それは老いでわがままになった、ということもできるし、わがままを言える環境に育った周りがあったからこそ得られた自由なのかもしれないけれど、日本のエンターテイメントアニメーションの大黒柱としての作家から、作家自身を切り離し自由に死んでいくための大事なプロセスのように思え、とても肯定すべきものだと思います。
そんな環境の中で、彼が作家として言いたかった(あるいはにじみ出てしまった)内容の一つで私が気に入ったのは、女性と自然。この作家は出産する性としての女性を恐れ、また霊的で面白いと感じていて、とても好きなんだろうと思う。そして創作により出産の神秘にどうにかしてたどり着きたい人なんだろうなと今回の女性の描かれ方で確信しました。出産する性としての女性・人間の大肯定。それは産む産まない、産める産めないにかかわらず、生命を継ぐものとしての人と人の関わり方やありかたの美しさの肯定で、それにかかわる老若女性や謎の一体感や老人たちのまとまり、つながり、若い女性どおしの共感にもとづく世界の足元で、右往左往するしかない男性たちだからこそのどうしようもなさカッコよさ、冒険の主人公であること、醜く老いた姿などの対比と一緒に愛すべきものとして描かれていることが、生命大肯定。すべての生き物大肯定。という内容になっていて深いところでのこれまでの作家が表現してきたものとも一致しているため、作家としての一貫性を感じました。すべての生命の深い肯定と神秘に近づこうとする作家の欲求は、とても尊くて、あり/なし、使える/使えない、持っている/持っていないを分断する社会で生きづまる今にとって必要な視点で、この作家と同じ時代を生きることができた私が語る必要のある作家だと心から思う。
走馬灯であり遺書である作品のテクスチャーは、これまでの自分の創作の総復習や振り返りだったりもするし、積み上げた石の積み木に囚われないで新しく創作しろ、っていう後継やまだこれからを生きていく人たちへ向けたメッセージのようなものも込められていて、
どのくらい作家の意識下の仕事かは不明であるが、ずっとジブリで育ってきたファンや、その意思を1割でも継ごうとしてこのアートを読んでいる読者にとっては、死ぬまでかけて読みとく価値のある映像作品として受け取ることができる素晴らしい作品だったと思います。作家自身の掘削作業だから難易度は各段に高いですがまずは前情報なくこの作品に触れられたことに感謝です。
ふつうに大傑作やろ
予備知識一切なしの鑑賞。軽く評価だけ見ました。
評価は本当に賛否両論。正直怪しみながら見ました。
他のレビューを見ると、「宮崎駿の人生が〜」とか色々書かれていますが、僕はそんなこと分からないのでこの作品だけをみてレビュー。
なんだこれ大傑作。
僕のすきなジブリが詰まってた。
好きなシーンとか、死ぬほどある。
夏子をまだおばさんと思っている真人。
その証拠に「悪意の傷」が。
でも夏子をお母さんと認めるシーンが特に大好き。
ラストシーンなんかからはもうなにかわからないけど涙が出てきてた。なんでかは自分でも分かりません。
映画に真摯に向き合ってみるとお得
ファンタジーであるものの、「君たちはどう生きるか」というタイトルからあるように、ポップコーンを頬張りながら呑気に見るような映画ではない。宮﨑駿作品の集大成ということもそうだが、「生命の尊さ」、「戦争は絶対にあってならない」という絶対的な思想をも、現代人には失われてしまっていたということを気が付かされる映画である。真摯にこの映画に向き合った人こそ、この映画の真の価値を知ることができ、そして、自分が日頃考えていたことは間違っていなかったのだ、というある種の固い信頼を得ることができるだろう。
また、よく小説を読んだりして、これはこういうことを言いたいからこういう描写をしているんだ、と謎解きのように積極的に物語に入り込める人間にとっては、この作品は非常に色彩豊かで面白いと感じるだろう。これについては保証できるので安心してほしい。
真摯に向き合わない人が悪いと言っているのではなく、もし真摯に向き合ってみれば、美しい映画と、美しい内容と、二倍お得に楽しめるということだけで。一回身を乗り出して映画の世界に飛び込んでみると変わって見えるかもしれない。
素敵じゃないか
2度の鑑賞。抽象的な部分も多いので、初見→他の方のレビューをみる→2回目、という流れを通して(自分なりに)理解できた部分も多い。
沢山の鳥→烏合の衆、大叔父様→宮崎駿監督という解釈はしっくり来るなと思った。
大叔父様が、石の世界を血縁のものに継がせようとしたこと、そしてそれを諦め(自分の世界を終わらせ)、下の世代に、その人たち自身の物語を生きなさいと願う。その姿に、監督の姿を重ねた。監督自身のアイデアではなかったようですが「君たちはどう生きるか」がタイトルになったのもすごい。わたしたちは、わたしたち自身で選択して未来を生きていく。さて、どう生きる?
散りばめられた今までのモチーフ、わざとなのか、そうじゃないのかは不明だけど、「ジブリを観ている」という幸せがありました。
34歳未婚の身としては、出産はすごく響くキーワードで、ヒミさまのセリフがすごく胸に残った。高齢出産、満足いくような生活をさせてあげられるのかなど、心配事は尽きない。わたしはその子の為に、ボロボロになるかもしれない。でもそれでも、素敵じゃないか、と、わたしも本当に思えた。
それから、キリコさん含む7人のおばあちゃん。なんとなく七福神みたい。彼女たちは真人の家族ではないけど、間違いなく子育てに参加している。昔に比べて少なくなってしまったけれど、そうやって子供たちは育ってきたということも感じた。そういう意味では、駿監督はわたしにとって親戚のおじさんみたいなもので(鈴木さんもそう)会ったことはないけど、育ててくれた一人だと思っています。そして、わたしのような人が、日本に世界に沢山いるんだと思う。
過去のインタビューで「子供たちに、この世は生きるに値するということを伝えたくて作品を作っている」という旨のお話をされていたことを強く覚えている。
今まで、例えば千と千尋やハウルは、面白かった!楽しかった!という感想が前面に出るような作品だったと思う。今回はそういうタイプではないけど、とても強いメッセージを感じました。
この世界(駿監督が生きるに値すると信じてきてくれた世界)で、わたしたちは、どう生きるか。世界を率いる存在(ジブリ)の、そして命そのもの(駿)の、世代交代の物語。
これを作った皆さんに感謝と尊敬の意を。本当にありがとうございました。
ずっと作品を追ってきてよかった。
感想は十人十色になると思う。ジブリコアファンか否かで想いが変わる点は多数の方が抱かれる感想だと思う。自分用メモ。この作品をみるかどうかの参考にはなりません。
これは自分のためのレビューだから、記録みたいな気持ちで書こうと思う。
まず、全体的にエンターテイメントとかじゃなくて、宮崎氏&ジブリの歴史?みたいだなと思った。ジブリ作品を何度も観て、鈴木氏、高畑氏、吾郎氏あたりの人間関係を知っていると、「これはあれかな」「このシーンはあの作品からかな」「この人は高畑さんをイメージしてるのかな」とか思う場面が多いと思う。私はそう感じた。そこまで詳しいわけじゃないので、このぐらいのファンレベルで意見が分かれそう。
私は小さい頃ナウシカを観て、ラピュタ、トトロはどうだったか、魔女の宅急便からは公開されたらすぐに観に行くジブリファン。最初のトトロの画面で「ああ、ジブリの新作や…」とうるっとするくらい好き。ナウシカ、ラピュタ、魔女の宅急便、ハウルが好き。トトロも好きだけど、トトロは何度も観返すよりも、グッズが可愛い。
宮崎監督作品以外のジブリも多数見たけど、やっぱり宮崎監督監督脚本が一番好き。
荷物に群がるのが湯婆を彷彿とさせる。=千と千尋辺りから作品を売らねばならなくなってきたオマージュ?
主人公がそのお婆さんたちの人形に守られているのは、ジブリを経営していくにあたり、やはり知名度とお金は必要だったということ?過去の作品に守られているという意味もあるのかな。
「もう会えないかとおもった!」ソフィの台詞とそっくり!
森が風で揺れるのはトトロ?茂みに入っていくのもトトロかな。
鳥の足跡はハウルの足跡に似てる気がする。
お父さんが木村拓哉氏で継母が木村佳乃さん?木村苗字揃えたとかそれは偶然ですか?w
波がうねる、魚の描写=ポニョ?
色々意味を持たせて見ようとすると、ジブリ探しみたいで楽しい。カラフルなインコ。でも実際は包丁持ってクリエイターを食らいつくす。カラフルで可愛いから騙されて無数にジブリ城に取り込んでしまった?ナチスっぽい危うい描写だった気がするw
外に出たら普通の可愛いカラフルなインコ。でも糞をしていくのは頑張って生きてるクリエーター陣をああやって汚したのかな?とか。積み木=今までの作品&美術館やファンや本当に想ってくれる人たちで辛うじてバランスを保ってる?ペリカンはコウノトリかな?ジャムトースト=ラピュタから始まったジブリ飯感?キリコさんは高畑さんかな?青サギが鈴木さんかな。感想書いてる間によくわからなくなってきたので、制作していた監督はそれは意味がわからなくなるだろう、と思った
最後に積み木も崩れてハウルのごとく塔が崩れる。ジブリの終焉(良い意味で、ひとまずのピリオド)と開放?
主人公がキリコさんと作品のひとかけらを持っていたイメージから、高畑さんなのかなって思った。お婆さんの時のちょっと四角いお顔高畑さんみたいだもんねw
多数の数字が書かれたドアはジブリの歴史なのかな。作品分ドアがあったりして。
序盤の飛行機のパーツみたいなの?はメーヴェだと思った。魔女の宅急便感は見つけられず…原作者とモニョモニョあったからあまり載せてないのかな。紅の豚は…ジーナがいた場所のあのドームみたいなやつ。戦争背景なのは風立ちぬから?
こんな風に深く考えても宮崎氏は「いやいや、そんな意味ないっすよw」と言いそう。
そしてみんな忘れていく。私もジブリが大好きだけど、無くなる瞬間に思い出すとかじゃないと思う。宮崎氏がスタッフにどう説明して作業していたのかだけ真意を知りたいw普通の作品が最後の作品になるんじゃなくて、これを最後にもってきてくれたのだとしたら気持ちがいいなあ。最後という言葉は使いたくないけどね。
次見る時は一時停止しながらメモとりながらジブリが好きな人と見たいなあ
本作ほど他の方のレビューを読まない作品は初。
ナウシカの漫画買ったまま読んでないから読もうっと。あ、ユパさまに抱き着くようなシーンもあったよね。はーやめられないとまらない。
宮崎駿監督お疲れ様でした。
初日初回鑑賞してきました。
冒頭から戦時中の描写が出てきて宮崎駿監督はやっぱりこの時代に思い入れがあるのだなと改めて感じた。
冒頭の映像の展開の速さや描写は新しい試みで描かれていてスピード感やある意味生々しさも感じなるほど面白いと感じる。
ここからどう展開していくのだろうと思いながら見ていくが序盤から次の展開までの描写が長く間延びした感じも否めない。ここはもう少し短く出来なかったのかなって正直思う。
そしてどうファンタジーに展開していくのかなって思いながら時間がすぎていく感じ。
もっと説明しないといけない様な描写もあまりなくそこはもっと描かなきゃならないんじゃないって思うことも。
物語だがこれは一度見ただけではなかなか分かりづらいところも多々あるし表題にある「君たちはどう生きるか」という本を読んでない僕としてはその本から宮崎駿監督がどうこの作品のインスピレーションを受けたのかとかわからない。
総じて言えば一言では言えない映画だった。
冒険ファンタジー活劇でメチャメチャ楽しませてくれる映画を期待するとやられちゃう。
宮崎駿の考えに触れる様な内容だった。
今のこの混沌とした世の中にまだ希望を持ってみんなに向けて発信してる様な内容だった。
そして事前情報を全て排除した鈴木敏夫プロデューサーにはここまで情報絞るほどの作品なのかとも言いたくなる。
それでも宮崎駿監督お疲れ様と言いたくなります。
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