君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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異世界ファンタジーなのに心が踊らない
ところどころに、ハッとさせられるような美しさや、躍動感のある動きがあり、さすがに、アニメーションとしての完成度は高いと思う。
しかし、その割には、展開がモタついているし、疑問に感じることが多すぎて、なかなか物語に入り込むことができなかった。
まず、主人公が、何を考えているのかがよく分からない。
自分の頭を傷つけたのは、単に学校に行きたくなかったからなのか、それとも、何か他に理由があったのだろうか?
特に危害を加えられた訳でもないのに、どうして、始めからアオサギを敵視して、木刀や弓矢で傷つけようとしたのだろうか?
例え実の母親に似ていたとしても、会ったばかりの義理の母親になる女性に、どうして、それほど執着するのだろうか?
主人公が追い求めているのが、義理の母親なのか、本当の母親なのかが曖昧だし、実際、物語の途中で、助け出そうとする対象も入れ替わるため、なかなか感情移入ができないのである。
その義理の母親にしても、どうして、あの世界に行って、その上、元の世界に帰りたがらないのかが分からないし、ラストの手のひらを返したかのような行動にも違和感がある。
あの世界で出会う少女が、神隠しにあっていた時の主人公の母親であるということは、早い時期から察しがつくのだが、どうして火を操れるのかについての説明はないし、いつ、主人公が自分の息子だと気付いたのかも不明である。
極めつけは、主人公の御先祖様が管理しているあの世界で、あれは、隕石(宇宙人?)によって作り出された異次元の世界という解釈で合っているのだろうか?
それにしても、13個の悪意のない石を積み重ねることによって美しく平和な世界が作られるというのもよく分からないし、それこそ、悪意の塊のようなオウムやペリカンだらけのあの世界が、理想的な世界ということなのだろうか?
あの世界には、人間の生まれる前の姿であるワラワラもいたが、あの世界がなくなったら、人間はもう生まれてこないということなのだろうか?
何よりも、御先祖様の跡を継いであの世界の「主」となることよりも、殺し合いや奪い合いが蔓延する現実の世界(戦時中という時代設定はそのためか?)に戻ることを選んだ、主人公の決断の理由が今一つ納得できず、心にも響かない。
ある意味、悪意のある「人間という存在」を受け入れたのだと解釈することもできるのだが、その先の、悪意を乗り越えて理想的な世界を作っていこうという決意が感じられないのは、物足りないとしか言いようがない。
タイトルと、それと同じ題名の書物も、この映画に活かされているとは思えない。
冒険活劇としても、オウムに囚われた少女を、主人公とアオサギが追跡するくだりなどは、面白くなりそうな気配があったのだが、どこか不完全燃焼のまま終わってしまった感がある。
老齢の監督に、「カリオストロの城」や「ラピュタ」の再現を期待してはいけないのかもしれないが、もう少し「ワクワク」や「ドキドキ」があってもよかったのではないかと、残念に思ってしまった。
あなたは何故生きるのか
君たちはどう生きるか
裏庭の異世界は、単純な原風景の描写(書き写し)ではなく、作中の人々がその中で自分の時間、空間を持ちながら世界を生きるための礎に見える
生き急がなくてはいけない時代が来て、自分の中に培ったものを手にして時代と向き合う。積み重ねたものが崩れ去ったときにも、ありきたりでも、お互いを思う気持ちがあり、眼は未来を見ている
創造の世界と僕
非情に抽象的な映画だと思うし、個別の要素だけ追っているととっちらかっていると言えてしまうのかもしれない。
賛否あるレビューを呼んでいて、「自分と他者の世界に折り合いをきちんとつけられている人には、もしかしたらあまり響かない映画なのかもな」と思った。
本来、レビューというのは作品の魅力を伝えるために書くものだと思う。けれど、僕は誰かがこの映画から何を受け取ったのか知りたいと思ってレビューを探していたし、僕がこの映画に参っているのは簡単には言語化できない熱量と感情をぶつけらたからだと思うので、以下には個人として「感じて想ったこと」を書いていきたいと思う。
映画の内容に触れているので、観ていない人にはお勧めしない。是非大人は内容を調べずに映画館に行って、殴られてくらくらしたり、怒ったりしてほしいと思う。
前提として、僕は特にジブリの熱心なファンというわけではない。
子どもの頃から宮﨑駿作品に触れてきて、漫画版のナウシカもジブリ映画も幾度となく見てきたし、好きだったけれど、年を重ねるにつれてなんとなく徐々に遠のいてしまった。最後に見た作品はゲド戦記か、ハウルだっただろうか、といった程度だ。
今回見に行こうと思ったのも、SNSで「宮﨑駿監督の作品が公開される」という話が流れてきて、「監督お幾つだっけ」と検索して、なんとなく気が向いたからという以外に理由もない。
結果、素晴らしかったし、映画館で観ることができて良かったと思う。
けれど、レビューするのは本当に難しい。
キャラクターが良かったのか、と問われると首を捻らざるを得ない。僕にとっては登場人物たちはあまりにも生生しすぎて、おいそれと愛しづらい。掛け合いは楽しかったが、入れ込んだ人物は特にいない。
ではストーリーか、と問われるとこれも素直に頷けない。2時間という時間で繰り広げられる世界はあまりにも濃厚で、唐突で、ストーリーラインだけを追っていては主人公の気持ちの変化についていくのも大変だ。
では、美術や音楽が良かったのか、と問われると唸ってしまう。間違いなくそれらは素晴らしかったと思うし、感情や息遣いが感じられる動画は凄まじかった。けれど、それはこの感動の直接的な理由じゃない。
どうして自分がこの映画を素晴らしいと感じたのか、と振り返ってみると、いくつか思うことがあるが、一つは映画を見る前の下地として、これまで子どもの頃から当たり前のようにそこにあった、「ジブリ作品という想像の世界」と僕との関係があったからなのだと思う。
物語の前半や下の世界の幻想的な光景は、奇妙な冒険譚だ。美しく不可思議で、子どもの頃いつかどこかで触れた物語や映画を思い出しては、懐かしくなった。「あぁ、こんな気持ちでページをめくっていたことがあるな」と童心を思い出しては、くすりとし、純粋に宮﨑駿ワールドツアーを楽しんでいた。この物語は何処に転がっていくのだろうと思いながら。
そんな観光気分で観ていたから、後半の展開には正直面食らった。
母を探して訪れた場所で、いきなり現れた老人に「お前がこの世界の継承者になれ」だなんて唐突に言われて頷く奴がいるだろうか? 確かにこの世界は美しい。素晴らしく美しいが、眞人は来訪者に過ぎない。眞人には眞人の世界がある。当然断る。当たり前だ。
けれど、一方で「あぁ、それではこの夢のように美しい世界はなくなってしまうのか」と惜しむ僕がいて、同時に監督のお年を思い出して猛烈に寂しくて堪らなくなってしまった。監督が創り上げた、この想像を絶する魅力的な世界も、多分同じだ。
そう思った瞬間に、物語と現実の境界がたわんだようになって、ダイレクトに感情をぶん殴られてしまった。幼いころから監督が手掛けた作品に慣れ親しんで、積み上げてきた思い出や感情があったからこそ、失われて行こうとしているものを突き付けられ、直面させられた時の動揺が激しかった。
「この美しい幻想の世界を継いで欲しい」「引き継げる者はいない」「あるいは理解されない」といった悲痛な絶望と、それに対する理解か受容、或いは諦念を経ての「小石一つ分位は継いでもらえるだろう」があまりにも美しすぎた。小石を持ち返った眞人が家族たちの元に帰り、有り触れた幸せとあたたかな希望に包まれているのが残酷で、悲しくて、そしてやっぱり美しいと思った。
どんなに美しい創造の世界も、永遠はない。創造主がいなくなれば必ず終わりが来る。作品は終わることはなくても、宇宙の膨張はそこで止まる。人は永遠を生きることはできないし、誰かの心を生きることもできないから、似たような世界を作っても、きっとこの監督が作るのと同じものにはならないし、同じものには出会えないんだろう。これは創り上げた人によって見せてもらっていた夢だから、観客は物語の中に飛び込んで続きを見ることは決してできない。
あまりにもあっさりと、ふつりと物語を終えられてしまったことで、その寂しさが余計に強化されてダメだった。
正直、終わった瞬間はあまりに唐突に物語から放り出され、置き去りにされて、感想が「は?」という怒りに近い感情になってしまっていた。けれど、これが眞人ひとりの物語として綺麗に緩やかに閉じられていたら、僕は観客席とスクリーンの距離を超えるほどに心を揺さぶられて、スタッフロールで寂しさと美しさに往復ビンタされながら呆然と泣くようなことはなかっただろうとも思う。
この映画は生きていくことと死にゆくことそのものでもあったと思うし、いろんな哀しみや絶望や醜さを内包しつつも、世界は生きるに値する。そしてそんな素晴らしい世界にもどれだけ名残惜しくても別れの時が来る、出会いと別れを重ねて色んな影響を受け合いながら人の営みは続いていく、という普遍的なことが描かれていたように思う。
当たり前のこと、と言ってしまえばそうかもしれないが、全力でそれを駆け抜けてきた人間にそれを2時間に濃縮して、あんなやりかたでぶん殴られたら、当たるところに当たった人は泣くと思う。漬物石を胸に落とされたようなえげつない衝撃だった。「大して力のない小石」の殺傷性を些か軽視しすぎだと思う。あんなもん全部引き受けようとしたら、受け手の個が死滅して廃人になるだろう。
話がそれたが、僕がこの映画が素晴らしいと思った理由は大体上記のような理由からだと思う。僕は故あって人の生と死に立ち会う機会が多いのだが、この映画は生命としても、人と人との関係性としても、物語が創りあげる世界としても、生と死とそれに纏わる人の心がこれでもかという程詰め込まれ、生生しく、力強く描かれていると思った。物語が閉じられた直後の、「ちょっと待て」「戻って来い」と理不尽に吠えたくなるようなあの感情までもが、既知の人との突然の別れに遭遇した時のそれに酷似していたように思う。
けれど、この映画が僕の心に嵌った理由は、もうちょっと別の個人的な特性によるものだ。
僕は現実の世界で常々生きづらさを感じている人間だ。別に困窮しているわけじゃなし、災禍に遭っているわけでもない。人間関係にも困っていない。けれど、どれだけ仕事で充実を感じても、家族や友人と笑い合っていても、子どもの頃からずっと息苦しかった。誰と居ても寂しくなるばかりで、ひとりになりたかった。一番心が解放されて生きていると感じられるのは、想像の世界に触れているときだった。人間生きるのに向いてないなぁと思ったことは数知れない。現実の余暇に想像の世界の空気を吸うのではなく、現実を生きるために想像の世界での息継ぎを必要とする僕は、果たして現実を生きていると言えるんだろうか、なんて思春期のような自己問答が頭を過ったこともある。そういう意味では僕は、創造の世界を『呼吸のできる場所』にすると同時に『死の世界』として位置付けていたのだと思う。
だから眞人を通じて見た映画に、勝手ながら想像の世界と自分の関係を投影してしまった。まならない現実世界に辟易し、能面のような顔で硬い声をしていた眞人が、死の世界に潜って冒険することで活力を取り戻していく。幻想的な死の世界での冒険を通じて、初めて自分の気持ちとの折り合い方や、他者への優しさを見せるようになっていく。その姿に、創造の世界に何度も救われてきた僕のこれまでを思い出した。
現実でない場所で眞人が掴んだものは決して幻想じゃないだろう。
僕にとっても、想像の世界への訪問は、感情の柔らかさや、誰かに優しくすることとや、人間として大事なものを忘れずにいるために、思い出させてもらうために必要なことだった。だったら僕と創造の世界との関係も、そんなに悪いものじゃないんじゃないか、後ろめたく思わなくてもいいんじゃないかと、そんな風に思った。
僕は人の心を理解するのが苦手だし、宮﨑監督やスタジオジブリのことも良く知らないから、きっと監督が表現したかったことは僕が感じたのとは全然別の事なんだろうと思っている。この映画が監督とジブリの栄枯の話だと説く論を見て、成程なとも思っている。
だとすれば、あまりにも剥き出し過ぎて受け付けない人もいるんだろう。
けれど、僕個人は人が生まれてから死ぬまでの心を明暗すべてぶち込んだようなこの映画が美しいと感じたし、宝物のような小石をたくさん握りしめて生き続けていく人生は結構上等なんじゃないかと、そう思えた。そう思わせてくれたこの映画と、幼いころ僕を手招いて心から自由になれる世界に連れていってくれた人たちに、心から感謝したいと思う。
できることなら、もっとずっと、この監督の生み出す世界の続きが見たい。
ひとまずは、昔見てきた作品や、これまで見逃して来た作品を改めて観てみようと思っている。
あの世とこの世の概念を信じているかで理解できる世界観
塔の世界はあの世(天国と地獄)
現世がこの世
塔の先にある河を渡っていたのが三途の川と考えると合点がいく点が多い。
ここの者たちはほとんど死んでいると言う話からも指し示していると思われる(今までの作品でここまではっきり世界観を明言したことがないのでびっくり)
既にこの段階であの世の概念が頭にない人、信じていない人は置いてけぼりかもですね。
今いる所を下と表現したり、ペリカンがここは地獄と表現し、インコ大王が上に行き部下が、「ここは極楽」と言うことから、インコやペリカンは地獄の者達、ヒミはその番人的な立場?そして大叔父は神の存在と思われる。
地獄から昇天?していく可愛いキャラ(名前を覚えてないが、グッズが売れそうな可愛いキャラ)が生まれると言う表現から、この世界観においては輪廻転生は一度地獄(したから)登る世界観なのだなと勝手に憶測。
それでも全員が転生できない(ペリカンに食べられる)や、腹一杯食べさせてあげてよかった言うあたりは、あの世はあの世、この世はこの世で大変な世界という暗示に思える。
塔の中は時間の概念を超越。だから死んだはずの少女時代のヒミ(自分の母親)に会って、最後別れる時に扉を選んで時間を選んでいる。
塔が崩壊してもこの世界が崩壊していないことを考えるとあの世の何番地区程度の存在か?
何故、主人公は塔の中に誘われたのか?
ストーリーでは目的としては主人公を新たな塔の主=あの世の何番地の責任者にならないか?と打診している。そこは自分の好きな世界が作れるという甘い?打診がある。
しかしそれを主人公は断る。そして友達を作ると。
そして大叔父はそれに対して、火の海になる世界なのに=戦時中なのでその名の通り(監督としてはこの世の未来を予見している?)になるのにと、現世では良いことが起きないことを指摘して、それなら理想の世界を作ってほうが良いと言う。
それを主人公は断る。それがタイトル「君たちはどう生きるか?」への宮崎監督なりの答えなのだと思うし、これこそが監督が我々に問いたい部分ではないか?と考える。
この世はろくな事は起きない、しかし理想の世界に閉じこもっているのではなく、リアルな世界(宮崎監督的には友達)で生きていこうと。
ネット、ゲーム、アニメなどで自分の世界に閉じこもっている感じがする世代へのメッセージなのかもしれないと受け取った。勝手に。
そう考えると理想の世界=あの世=ネットやゲームや、アニメとすると割と強烈な意味になってくる。
そして友達=リアルな繋がりとすると、叔母さんと最初仲違いしているが、お互い本音をぶつけて、最後和解すると言うのは、メッセージと合う部分がある。
リアルは嫌なことあるけど、ぶつかり合いながらも前に進んでいくと。
どちらにしても、個人的にはここ最近のファンタジー世界観の宮崎監督作品の中で最も丁寧な説明があり、飽きさせない演出、さらに綺麗な作画と初期とは違う最高傑作と個人的には感じる。
監督もご自身で意味がわからないと言うのは、(私も観ていてわからない部分もありますが、)世代として死後の世界などを意識していると、理屈ではない概念もあると思うので、そういう意味ではその通り、理解できない部分があって当然かと。
控えめに言っても私は最高でした。
誤字が多かったので修正。7月15日 10時56分
マーケティングの勝利
事前情報をシャットアウトしての公開は、宮﨑駿の復帰作だからこそ成立するマーケティング手法ですね。じゃあ映画の中身がそれに伴っているかと言うと、正直言ってあんまり関係なく、単純にファンタジーものとして楽しめました。じゃあ、ファンタジーものとしてどうかと言うと、正直言って過去の宮﨑作品の既視感たっぷりの内容でした。しかし、後半の異世界篇から段々と世界観や誰が何をしたいのかの方向性が分かりにくくなって迷走気味なのが残念。この体験が主人公の少年にどのような影響を与えたのかもよくわからず、パッツンと切ったような幕切れも唐突です。宮﨑駿ファンには悪いけど、監督の心境とか、なんかのメタファーがあるかもしれないけど、ピンときませんでした。役者では、菅田将暉がビックリのキャスティング、全然気がつきませんでした。
まだ、わからない
かつて、ナウシカがマスクの世界を予見したように、
ポニョが津波の押し寄せる様を予見したように、
この映画が、この先の世界にいったいなにが、起こる事を予言しているのかは、まだわからない。
他の人のレビューを読むと、よくわからないと言う意見と、なにやら物凄い傑作だと言う意見に別れているし、
10代の自分だったら、友達とこの鳥は何の比喩か?とか考察に激論を戦わせる映画である事は間違いないが、
50代の今はわからない事は分からずとも、言いたい事はわかるくらいで楽しめた。
ただいい加減、気楽に見れるエンタメ映画を作ってもらえないだろうか^_^
今回は引退作でないらしいので、また次を楽しみにしよう
何度でも見たい作品
宮崎駿監督の精神性はますます高まっている。
感受性も更に研ぎ澄まされてきている。
随所でそう感じさせてくれる作品。
好みは色々あると思うが、私にはとても刺さった。
世界は危ういギリギリのところで持ち堪えているが、
この素晴らしくも醜い世界のために、
わしたち一人ひとりがどう責任を果たしていくことができるのか。
そう問いかけてくる作品でもあった。
宮崎作品の総決算として、今までの多くの作品のオマージュも盛り込んで楽しませてくれるサービス精神旺盛な作品でもありました。
この作品を届けてくださった宮崎駿監督や鈴木Pはじめ作品に関わった全ての皆様に、感謝申し上げます。
僕なりの解釈。何か読み解く材料になれば。
評価は賛否両論で意味がわからないという感想が多いですが、それほど意味不明という印象はなく、不思議の国のアリス的ファンタジーな世界の面白さは多分にありました。確かに冒険活劇というほどのエンタメではないけど、不思議な世界と現実の世界のゆるい繋がりの中で、冒険するアニメとしてはかなり完成されてて面白かった。
ただ自分なりの解釈も含めてなのでその辺りを少し書こうと思う。
まずは起きた出来事。
主人公があの世界に呼ばれた理由。それは後継の問題。世界が崩壊する前に主人公に跡を継がせたかったから。
またその世界は石が構築していた世界。叔父さんはその中に理想を作り出そうとしていた。
夏子さんがあの世界に行くのははっきりとはわからないが、主人公が跡を継ぐことと関係はあると思う。人質だったりお腹の子を後継にしたいとかで連れてこられたのかも。夏子の意思では無さそう。石の意思か?
またあの世界は時間がずれており、ヒミは主人公の母親の子供の頃のもの。母親も1度神隠しに会っているのでその時期の母親と会っているということ。
またメタ的な読み方から。叔父さんはおそらく宮崎駿のメタファー。13個の石というのは宮崎駿監督作品のことだろう。同じ13作品ある。あそこの石は鈴木敏夫プロデューサーの暗喩か、世間そのものの圧力かも。血を分けたものに後継を譲れというのは、宮崎吾朗へ譲れという宮崎駿が抱く圧力のことを言ってるかもしれない。
途中の金のゲートのある墓に、我を学ぶものは死す、という言葉が書かれている。ここは宮崎駿を下手に真似するのはクリエイターとしては死ぬ、だから自分たちで自分たちのものを作り上げるしかない、という宮崎駿の考えを表していると思われる。
ペリカンはジブリのアニメーターのメタファか?宮崎駿の意思以外反映されないアニメーターの不自由さの象徴か。あるいは、ジブリだけではない全アニメーター、クリエイターへ向けた不自由さへの投げかけかもしれない。ペリカンは島から抜け出せない、自由に飛び立てないものの象徴になる。
宮崎駿作品の総まとめ。アニメーター宮崎駿が後世のクリエイターのために残した作品であると思える。
自分がしてきた事、アニメ作品を作り上げてきた事、それを受け継いでほしいか否かに対するアンサー。
そして、ストーリーを丁寧に描きながら全体としてまとめていく演出と場面転換の技術も併せて見せつけられた。クリエイターとしてのメッセージを見せつけられたというのが自分の印象。
また、純粋に物語としてもかなり面白い。
特にあの母親、ヒミの存在はかなり面白い。
最後に印象的だったのは、自分が死ぬ事を予言されつつも、あなたを産めるならとても素晴らしいと笑顔であっけらかんと言えるところ。どんなに悲劇が起ころうと産むことの素晴らしさを伝える場面に思える。純粋に子どもを産むという意味でもそうだし、作品を産むということにもつながるかもしれない。とても印象的なセリフでした。
そして母の死を受け入れていく主人公。受け入れる先にきっと自由がある。母親に縛られて生きていくか、自分の世界を自由に作っていくか。まさに、どう生きるかの問題。
面白かった。
酷い。
冒頭30分くらいまでは何とか頑張ってみようと思うけど、それ以降は苦痛。
冒頭は、すごくきれいな戦時中の日本の絵に引き込まれて、「なるほどね。今回は、アオサギは出てくるから、現実寄りのファンタジーで行くのね!」
「コクリコとか、風立ちぬみたいな明るい感じではなく、ダークな感じで行くのね!」と思ったら、
ナツコがいなくなった時からだんだんおかしくなり、
作品が変わったのかと思うくらいに、
ハウルと、千と千尋と、マーニーと、風立ちぬ....
と、いままでのジブリ作品の名場面を、二番煎じにしてちょこちょこ、ちょこちょこ入れだして、
ストーリーが繋がらないし、「絵」や「表現」に目新しさもないしで、何だこれは...と。
ゲド戦記みたいに話が難しいという訳でも、
マーニーみたいに面白くない訳でもなく、
単純にストーリーがない。何を見せられているんだろう。
ストーリーが薄っぺらいハウルのパクリとしか思えない。
登場人物も、全員がチョイ役だし。最後に答え合わせ的に誰が誰かはわかったけどさ、深みがない。
1番いけないのが、主人公の眞人の成長が見えない。
表情が最初から最後まで変わらない。
....主人公を男の子にしたのも良くないんじゃないか。感情が見えない。
アオサギも振り切れてないよね。
年齢的に宮崎駿監督もラスト作品だから、思い残すことがないように入れたいことだけいれただけなのかなって思いました。。。
... ジブリ、宮崎駿ブランドは、決してコア向けでなく、大衆受けするブランドであると思っていたのに、ブランドイメージ壊してないか!?
金出して、時間使ってみる作品じゃなかった。
タイトルの割には、それほど重くない・・・?
遅ればせながら、テレビ地上波で放送したものを録画しての鑑賞です。
ジブリの映画も好きなんですが、何故か映画館へ足を運ぼうって気にはならないんですよね。まぁ、元々アニメを大画面で観たいって気持ちがあんまり無いかな。話題作だったら早く観たいって気持ちが優先するんだけど・・・
【ネタバレ】
本作品は公開時、徹底的な秘密主義で一切の情報が流れませんでした。そんなわけで、全く知識無しの状態で鑑賞しましたが・・・ファンタジーだったんで、ビックリ!
終戦間近の日本に、異次元空間が存在する。
新しい母親を救うために迷い込んだ別世界で、死別した母親と若かりし姿で再会したり、ヒトみたいな鳥の餌になりかかったり・・・
「千と千尋の神隠し」みたいな雰囲気を醸し出しながら、それなりに楽しめました。
アオサギとの友情っぽい繋がりも面白かったし、世界が崩壊していくクライマックスも、なかなか迫力あって良かったです。
でも、今までのジブリ作品に比べると、なんか小ぢんまりと纏められた気がしないでもない。
七人の小人ならぬ、七人のお婆ちゃんがなかなか可愛らしかったです。
別世界で御守り替わりのあの人形。商品化したら案外売れるかもって、思っちゃいました。
そして、エンディングで流れる米津玄師さんの地球儀が最高でした。作品の余韻を大いに満喫出来る壮大な主題歌ではないでしょうか。
時代の周期と共に、ジブリ隆盛に区切りをつけるような作品
戦前生まれの眞人が生きていれば御歳90以上である。
新たな混乱の時代が這い寄るような、嫌なムードが世界中にただよう現代、眞人の積み上げた時代(積み石)のバランスがあたかも崩れていきそうな、そんな事になっているのだろうか。
勝手ながらの解釈でそう考えたとたん、タイトルのそれが自分にとって意味をなすのでありました。
* * *
劇場で観るべきかどうか、迷いに迷った挙句、長期休暇だったり水曜サービスデーだったり、以前、息子が見に行って面白かったという感想に追いつかねばという気持ちだったり、自分でも可笑しなくらい言い訳ならべ、やっと観た本作品。
こんな言い訳 羅列の理由は、各方の作評は賛否割れまくっていて、どちらかというと否定的なそれも目立つのを散々知ったがゆえ。
それなので私は、本作は黒澤明の「夢」のような作品なのかしらと、ちょっとした覚悟を持って観に行きました。
結果、私の感受性にはとても良い意味で刺さったようです。(人それぞれ、ってやつですね)
まず、想像していたよりもずっと一連性のある物語と思った。平たく例えるなら、おもったより食べやすいよと。
但し、どうしてこんなに低評価があるのかは想像がつきまして、ヒーロー&ヒロインの大冒険譚、いわゆるジブリファンタジー的なもの?幾度となく金曜ロードショーで再放送されまくってきた王道のハラハラドキドキを期待してしまうと、呆気に取られてしまうのかなと。
宮崎駿氏のファンタジー作品は「アリエッティ」あたりが最後で「風立ちぬ」からはとても内省的な作風。本作はより内観が深まったものであるかと。(これは覚悟の上で鑑賞)
そして本作ははっきりと前編後編で分割されているようであり、前編はより宮崎氏の「内省風景」。後編は同氏のライフワークであった「ジブリ」。この接続はやや強引なところがあり、ここが苦手と感じる観客も多かったのではなかろうか。
私は、ここまで人の五感に迫るアニメ漫画を見たことがなかった。アニメ、二次元で得られる感動はいつだって視覚的で、大好きな鬼滅だって、推しの子だって、まずは視覚的な感動があって、だ。
本作では、視覚(風景)、音、あり得ないほど素晴らしい。その素晴らしさが私自身の心を現地に引き込んでいく。そして 匂い、香り、板張りの床から足裏に伝わる質感、手触りひとつひとつ、また味覚に至るまで(雑炊は不味そうだったし、ジャムパンは美味そう)通常音響の劇場だったが、気づけば 五感をフルに使ってしまっている。
こんな映像をCGじゃなくアニメで描ける人は、この先現れるのだろうか。色々と議論されることの多い宮崎駿氏だが、天才だと私はおもう。最早、絵画以上かと。
ぜひ海外での評価も聞いてみたい作品。
あ、そうそう。ペリカンとインコを見る目が変わっちゃったかな…
良かった
現実世界から、ファンタジー世界へ。
徐々に移行する描写が良い。
最後は現実世界に。
ラストシーンは、タイトルにもフィットする引き絵。
「君たちはどう作って行くのか」
(生きる事は作ること)
とも受け取れる。
メインテーマは冥界下り。
産屋の御幣的ガーランド、母親と火、
個人的には鳥を地下世界の住人とした事も含め日本神話的に感じた。
(神使に鳥は多い)
行って戻ってくるUターン物語における安心感を改めて再確認した。
(Iターンも勿論魅力的ではあるけれども)
個人的に好きと思った表現は、
伊邪那美伊邪那岐神話内冥界下りにおける"千人殺す、千五百人産む"は、"二柱における繋がり続ける約束"と解釈しているので、
ふわふわの白いのが生まれに行く表現はとても好きだと思った。
主人公が、学校に行くのが嫌で(嫌な理由は諸々あろう)自傷した件のくだりは、原作のコペルくんの後悔を彷彿とさせる。
感情に任せて間違った行いをする事はある。
人間とはそうである。
そうした僕らの手に石の積み木がある。
「君たちはどう生きるか」
世界を良くする作品を、僕達は作れるのだろうか。
(世界を良くする行動を、僕達は選びとっていけるだろうか)
鑑賞者への問い掛けを感じた。
今を生きる人への「生きていけ」というメッセージを感じた
暗いニュースが流れ、世の中の流れが不穏になっている今こそ作りたくなった作品なのかなと。
個人的には「悪意」がキーワードなのかなと思いました。
主人公の人生は、生まれた時代が戦時中、親は太くお金持ちであるが母は他界、父親の再婚相手は叔母でなんだか思うところがある様子。
それゆえに、初めは叔母のことを無視してしまっているのかなと思います。(異性として意識しているように見えたけど、やはり初めは馴染めなかったのかなと)
その上疎開先ではうまくいかず、学校の誰かのせいにしたかったからか石で自らを傷つけてしまいます。
主人公にとっては辛い環境であったのだろうなと思います。
私も友人を亡くしたことがあり、その喪失感や続けて自分にとって良くない環境も続く経験があったため主人公に感情移入してしまいました。
母親になる叔母を無視し拒んだこと、自分を傷つけ自演のようなことをしてしまったこと。
これが主人公の「悪意」であると解釈します。
そんな主人公が、大叔父(創造主?)と出会い、元の世界に戻らずに豊かな世界を作る創造主にならないかと持ちかけるが、自らの「悪意」を理由に断ります。
「悪意」は誰もが持っているものだと思います。
大叔父は創造主であったが完璧な世界は作れなかったし、主人公がもし作ったとしても完璧な世界は作れなかったのだと思います。
完璧な世界を作れる人は、世界のどこにもいなくて自分の「悪意」を受け入れて生きていけというメッセージだと私は受け取りました。
辛い環境だけど、叔母を母と受け入れる、友達を作る、そうすることで自分で生き方を変えていくと主人公は決心したのかなと解釈しました。
これからも強く生きていきたいと感じられた作品です。
今、見られて本当によかった。
ありがとうございました!
映画としてつまらない
アニメは大好きで、昔のジブリ作品も大好きです。年間30本以上は映画を見ていますが、ここ数十年で1番つまらなかったです。
映像はジブリという感じで良かったのですが、全体的に話が意味不明でした。
まず、異世界に行くまでが長すぎました。
昔の映像とかいっぱい出したいんだろうが、途中で笑いとかがあるわけでもなく退屈でした。異世界に行くぐらいが面白さのピークで、行った後の話はつまらない。異世界に行ってからの緊張感が全くない。扉出れば帰れるし、あの流れで新しいお母さんそんなに助けたいと思うかな?異世界では何が起きているのか説明が基本的に全くありません。色々な人に促されるまま付いていく感じで話が進み、最後まで盛り上がる所もなく、いつの間にか終わってました。
えっ?これで終わりなの?という感じです。
こんな説明不足の作品を作ってよく発表したと関心します。
それでも熱心なファンは勝手に色々なことをこじつけて考察し、メッセージを感じ取るのでしょうが、この映画から私には全くメッセージは伝わってきませんでした。
1番の感想としては、「気持ち悪い」というもので、これを絶賛している人も含めて気持ち悪いです。また、つまらないと言っている人を想像力がないなどと批判して、対して理解もしていないのにありがたがっているのも見ていて滑稽です。
ちゃんとした映画で、2、3の情報から10想像して楽しめる映画は沢山あり、私はそういう映画は好きです。
しかし、この映画の全く説明しない姿勢には、見ていて怒りを覚えました。
エンターテイメントとして全く楽しめませんでした。
絶対に子供と行っちゃいけない駄作
事前情報一切なし。でもジブリなら、宮崎駿なら絶対大丈夫。と言う今までの信頼をぶち壊す衝撃の作品。映像は安定のジブリ感だけど、話がとにかくつまらない。異世界に行ってしまった義理の母をアオサギに導かれて探しに行く…と言う大枠のストーリーは一応わかるものの、全体的に暗いテンションで盛り上がりも薄く、ドキドキワクワクもなければ感動もなく、バタバタしながら戻ってきて終了。1時間たった辺りから退屈で仕方なく、早く終わらないかなぁと思うと同時に子供と一緒に来たら耐えられなかっただろうなぁと心底思う。アオサギのビジュアルも見苦しく、インコも中途半端で可愛くなく、たまに若干笑い所なのか?と言うポイントもあるもののたいして面白くもなく、ホントにもうジブリどうしちゃったの!?と言う思いだけが頭を巡る。これが宮崎駿が作りたかったもので、ジブリがこれからもその方向を続けて行くならもう映画館に見に行きたいようなものではないな、とまで思えるほどつまらなかった。残念すぎる。
数々の名場面オマージュ⭐でも新しい物語
宮崎監督が子どもの時に感動した小説『君たちはどう生きるか』は私も数年前に読んだ。小説の内容とは全然違う。子どもの時に受けた感動を、大人になってから、こんなに大きく想像の翼を広げて形にしたのですね。
見る前の予想として、主人公は『風立ちぬ』の少年時代みたいな昭和初期の雰囲気かな、てとこだけ当たって、物語は先の読めない冒険ファンタジーへと展開してゆき、面白かった!
近日中に2回目絶対見る!
随所にこれまでの宮崎作品の名場面を彷彿とさせ、これが集大成として最後となるかもしれないんだな…と郷愁のような切なさを感じながらも、物語は先の読めない展開で、新しい作品になってる。
数々の名場面を思い出す…
冒頭は風立ちぬ、
裕福で「ある所にはある」火垂るの墓、
幼少時に母を亡くす悲しみ(実際は病気回復し生き延びたけど)はずっと宮崎監督のトラウマになってるんだな。トトロのサツキ…。
引越先で不思議な建物に惹かれ冒険が始まるのは思い出のマーニー、森を歩く風景も。
塔の中、トンネルをくぐり羽根を拾い辿ってゆくのは、どんぐり拾いトトロを探すメイ。夕暮れに捜索されてる。
アオサギはもののけ姫のジコ坊。
ばあや達はポニョのひまわりの家のおばあちゃん達。
読書して泣く姿、虹色に光る洞窟は耳をすませば。
弓矢がひとりでに強力に射抜く、アシタカ。
ワラワラは可愛くなったコダマ。
いちごジャムいっぱいの顔は、ポニョみたいに無邪気だけど、口が血まみれのサンかもしれない。
ドロドロになる母の姿はハウルもシシ神も。
離れのトイレに行くのは キキ。
キリコに抱きつく姿は「家族」と慕うマルクル。
たくさんの船は 紅の豚の飛行機の墓場。
扉で異世界につながる ハウルの扉。
星降る夜は ハウルの魔法の夜。
木の根を伝い壁を登る パズー。
火の中の母はナウシカのようだけど後半は明るいカルシファー。
大伯父がいたあづま屋はジーナの秘密の場所。
爪に火を灯すヒミは 湯婆の魔法
(でも、ナウシカでは水と風に敵対して描いた火を、今回は魅力的に描き、監督が火に対し謝り 火も含めた森羅万象の大切さを描き直したように思う。)
敵もいつの間にか妙な味方になっちゃうのが、千と千尋などジブリ作品の味。
今回は飛行機は無く、鳥がたくさん。主人公は飛ばない。これにはどんな意味があるのかな?
前半、新海誠監督の『星を追う子ども』の「それは、さよならを言うための旅」の雰囲気を感じた。隕石は『君の名は。』を思い出し…。
かつて新海監督が、宮崎監督への憧れと尊敬と超えたい想いを込めた作品『星を…』から12年後、宮崎監督が「あの時は手紙をありがとう、返事が遅れたけれど、君の作品も素敵だよ、君は君の道を行け」と返事を送ったように感じた。言葉でそんなことは言わないけど。エンドロールでスタッフにコミックスウェーブフィルムの名を見つけて、やっぱり!と感激。すずめも、ジブリオマージュ場面がたくさんあったから、宮崎監督なりのおちゃめな返事かな。
スタジオポノックの名もあり、ジブリを巣立った米林監督も協力したのね。マーニーを思い出す場面が多かったのは、宮崎監督からマロ監督への感謝の手紙かも。
スタジオ地図も協力。落ちて崩れた赤いバラは、竜とそばかす姫かな。地図作品は時かけが好きだけど他は私はあまり好きじゃなくてちゃんと見てない。細田守好きな人から見たら、オマージュ場面が色々見つかるのかもしれない。
スタジオカラーは庵野秀明。エヴァっぽいシーンは思い当たらないけど、父への複雑な感情、エディプスコンプレックス的なシンジとも共通点あるかな。
ジブリは後継者問題が話題になるけど、直接の後継者でなくとも、宮崎監督の想いは、新海誠や庵野秀明、近藤嘉宏や米林昌宏や百瀬義行のほか、細田守、ディズニーやピクサーなど世界中のアニメ監督を育ててきたんだなと実感して胸が熱くなった。
「世界を君に託したい。美しい世界を作るのだ」これまで宮崎監督にリスペクトオマージュを捧げてきた後輩達に、宮崎監督からの感謝や期待を込めた、茶目っ気ある返事の仕方がこの映画なのだなと思う。
鑑賞前には読まない方がいいと思います
何の情報も無く映画を観るのは、映画館に向かう前からドキドキ感が始まる。はたして、面白いのか、面白くないのか
鑑賞中も出来る限り聴き漏らさないように、メッセージを感じるために集中
これだけでも、この映画は価値がある。
だからこそ、私は何の答えもないままに感じたままに感想を書きたいので、私の感想は、正しいわけではないので、参考にしないでくださいね。
宮崎駿監督は、いつも子供の無限の想像力、可能性を信じて大切にしてくれているかと思います。
それは世の中に取って大切なんだと伝えると同時に、大人への成長を応援してくれていると感じます。
この作品も同じく、母親を亡くし、父の再婚に葛藤する主人公眞人の成長のストーリーだと思います。
親の元で守られていれば、汚い現実を見ることなく、世の中は綺麗なものに囲まれているように感じます。
夢は人を救う事もあれば、人を閉じ込めてしまう事あります。
綺麗な夢を忘れてはいけないけど、現実に立ち向かう勇気もいる。監督は、さあ、君たちどうやって生きる?どうやってこの世の中を生きていく?と問い、応援してくれていると感じました。
経済の不安定さ、戦争、自然環境の変化、様々な不安の中、それでも生きていかなくてはいけない。
そんななかでも、子供の夢を無くさせてはいけないと、大人へのメッセージも感じます。もしかしたら物語の作り手へのメッセージなのかもしれません。
細かい疑問はたくさんあります。
ペリカンは、子供を運ぶ鳥なのに、あの世界では悪者
子供を現実の世界に連れていくから?
それとも、眞人が生まれてくる子供を望んでないから?
お母さんは、いつからあの世界にいた?
夏子は何故あの世界に行った?
私の想像力の限界です。
必ず2回目の鑑賞をしたいと思います。
人に薦めるかというと無理。理解できた人は楽しめるのかも。
今までの作品が、わかりやすく、共感できるものであったが、今回はそうではなかった。それだけ。
おまけに、鉄板の音楽も全く印象に残らず、、。
パンフレットもないし、よく分からんというのが感想。
しかし、これでいい。
理解して欲しいと思ってない。作って観せたいものを出しただけ。興行的に成功したいとかは、考えてないと思う。
関係者の皆さん、お疲れ様でした。
強いて言うなら、配役と声優さんの名前くらい見たかったな。
亡くなったお母さんのお名前くらい、エンドクレジットで知りたかったな。
青鷺がなんなのか?あんなにおばあさんを出す理由は?なぜなつこさんが、あんなにサイコな感じになったのか?帰りたく無いと言った理由は?
なんでペリカン大群出したかったのか?
いろいろ、分からなかったので、共感もできないし、人にもお薦めできる映画ではなかったです。
人に薦められるかどうかの評価では、⭐️1です。
遺言
スタジオジブリ
宮崎駿の代表作
「風の谷のナウシカ」制作のため
東映動画が作った「トップクラフト」
スタジオを徳間書店の出資で引き継ぎ
1985年に設立
「となりのトトロ」「魔女の宅急便」
などを生み出すが制作毎にスタッフを
雇用しては解散で歩合制だった業界に
「会社員の待遇で制作できる環境」
を目指したがそれも「もののけ姫」
後に独立するスタッフが増え崩壊
再び作品毎雇用となるがその後
綱渡りで作った「千と千尋の神隠し」
が大ヒット
しかし宮崎駿頼みの制作体制に
限界は明白で
その後は興行的にも振るわず
(ハウルくらいまではそれでも
黒字だったそうですが)
テーマパーク「ジブリパーク」
の開設などもあったが話題性に
乏しい現状が続いていた
そんな中公開された
「風立ちぬ」以来10年ぶりの
氏監督脚本による今作
広告宣伝一切無しで今週
公開なことも世間は気がついてない
雰囲気な中どうだったか
「君たちはどう生きるつもりだ」
と宮崎駿に120分延々説教されるのを
覚悟して映画館へ向かいましたが…
あっ?…えっ…こんなわかりやすく
作ったんだという感じでした
ややこし感ももう慣れてますし
そう言う意味では
目新しさは感じませんでした
または予想通りというか
細かな部分は色々考察が
あるでしょうがまぁ
まず物語の始まりは宮崎氏の
幼年期の年代が舞台で
あの空から落ちてきたって塔
その先に広がる生も死もない世界は
宮崎氏の創作の世界でしょう
ポイントは最初の戦時中の
世界も現実世界ではなく
あくまで創作上の世界で
あるということ
だから取って付けたように
ヒロインとして若い頃の母が
あてがわれたりします
大叔父様は氏本人
もう老いて作り上げた世界が
崩壊しかかっているところで
同じ遺伝子を持った子孫
(ジブリで育ったアニメーター達)
に引き継いで欲しかった
でもそれは拒否され
混沌とした元の世界
(現世のアニメーター達が生きる世界)
へ帰るって事なんでしょうね
最後までこだわってた
インコの王はさしずめ鈴木P
でしょうかね
「鈴木さんもう終わりにしよう」
それを作品の中でやりました
眞人や母が世界へ帰って行く
扉の番号とかなんか意味が
あるんでしょうね
まあ今流行の
マルチバースしっかり
取り入れてるようにも感じました
大叔父がいた空間もあたかも
ゼーレ本部のゲンドウがいたとこ
みたいでもあります
個人的に印象的だったのは
眞人が学校でケンカした後
父がダットサンで戻ってくる
シーンのクルマの動き
中割りが全然出来てなくて
ガッタガタなんですが
ここかつての盟友だった
大塚康生さんだったら
ヌルヌルに動いたんだろうな
って凄く感じてしまいます
そう感じさせようとしている
ようにすら受け取りました
もちろん今作にはジブリで
育った高坂希太郎氏や吉田健一氏
田中敦子女史など今更言うまでもなく
一流アニメーターの方々が
関わっていますから
もっと出来たはずなのに
そうしたと
よくアニメ業界を
食べれる環境を作らずに
アニメは後継者育成に失敗した
とかどこの誰だか知らんやつが
オワコンメディアで好き放題
言ってますが
それを観て感動した人が
その世界に飛び込んでくる
作品が人材を産む世界
でしかないと思います
ならば宮崎氏が残した作品は
永遠に残り続けそこから影響を
受けた世界中の若者がアニメの
世界に飛び込んでくる
そういう世界に思います
宣伝をしないことも
鈴木Pがついに
宮崎氏がずっと言ってた
「わかる人にしかわからなくていい」
というプロデューサーとして
考えちゃいけない事をついに
観念したんじゃないかなぁ
そんな願いを込めた「遺言」
と受け取っておくことにします
自分の感性に従えば良いと思います
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