君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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グッズ…グッズを早くください
宣伝、前情報全くなかったから、不安しか無かったけど、めちゃくちゃ良かった。
私の好きな宮崎駿だった。
どうせ金曜ロードショーでそのうちやるとか思ってる人たちもとりあえず見て欲しい。
(集合体恐怖症の人は気をつけて欲しい)
もののけ姫とかハウルとか千と千尋が好きな人はハマると思う。
ただ、自分の中で1番のもののけ姫が星5だとした時はそことは並ばないかなってことで-0.5にした。
最初の入りからして風立ちぬ的なリアルな感じで行くのかと思ったら、四等身のジジババがたくさん出てきて流れが変わった。
やっぱり宮崎はファンタジーもの書いた方が良い。
意識したかは分からないけど、所々過去作の要素があって宮崎ジブリの集大成って感じがした。
そして、塔の世界のキャラ達が良すぎた。
公開までにグッズがほとんど出せなかったのが悔やまれるけど、ワラワラとインコ、使用人ズは是非ともグッズ化して頂きたい。
多分、ぬいぐるみとか若いキリコが作った人形とか出したらバカ売れすると思う。
声優は菅田将暉は気づいたけど、他の方々マジで分からなかった…
パンフレットも早く見てとのキャラの声やってたか知りたい。
個人的に1番興奮したのはエンドロール。スタッフと協力会社が強すぎて、このメンバーが揃うことなんてあるんだって思った。宮崎駿の最後の作品(だと思う)ってことで集まったんだと思ったらエモすぎてエンドロールだけで泣けた。
創作を志す人への応援もあるかも?
鑑賞後、いくつかのレビューを見た上での感想です。
宮崎駿監督の自伝、ジブリの終焉を表してるなど。
なるほどそうか、そうなんだろうなと私も思いました。
とは言え、個人的には映画を観た直後は、そこまで深く考えませんでした。
宮崎監督の好きなもの、こだわりを自由に制約なく詰め込んだ作品という意見に賛同です。
キャラクターや表現など、過去のジブリ作品の色んなシーンを連想する人も多いでしょう。
癖は強いけど、個人的に全体的にはふわっとした印象の映画だと思いました。
イメージを優先するために、ストーリーはとりあえず王道の行きて帰りし物語でいいだろうという感じだからでしょうか。
そういう部分はむしろ、ストーリーの辻褄とか、メッセージ性とかまでは込められないけど、こういうキャラが描きたい、こういう表現がしたいという情熱を持った、創作初心者に重なる部分があります。
今は素人の勝手な感想や批評をSNSなどで自由に発表できるので(私の感想もその一つ)、クリエイターを目指す人は、こういう有象無象の勝手な意見に影響されて萎縮したり、頭でっかちに考えすぎてしまうのかもしれません。
宮崎監督が成功した時代は、そういうのは無かったので、もっと自由だったはずです(創作して発表できるのは今の方が気軽そうですが)。
そんな現代のクリエイターへの、エールとも言えるかなと思ったりしました。
単純なストーリーでもいいし、メッセージ性なんて観た人が勝手に解釈するんだから、自由な発想で創作していいんだって。
それと同時に映画内で言われていたのが「悪意」でした。
好き勝手に自由に発想しても、その中に悪意があってはならない。しかも、その悪意に自分が気がついていない場合もある。
以前見たNHKの宮崎監督のドキュメント番組を、思い出しました。
面白い表現を考えついたとして、その中に、誰かを傷つけ不快にさせる要素が含まれていないかどうか、それを自分に問えるかどうか。
過去には許容されていた表現も、未来ではNGになっているかもしれません。宮崎監督の作品にだって不快感を感じる人はいるでしょう。人種だとか性別だとかで、色んな人がお気持ちを表現する中、全てに配慮して尚且つ面白い作品なんて難しいけれど、批判に怯え過ぎてもいけないが、無神経であってはならない。その上で、それでもその表現は必要なのか、批判されても発表する覚悟はあるのか。
これからも新しい表現や価値観やクリエイターが、生まれては消えていき、宮崎監督だっていつかは過去の人になります。
かつて大人気だった宮崎アニメの一つではなく、未来のアニメに関わる人やクリエイターにも問い続ける作品を作りたかったのではないか、と思いました。
タイトルなし(ネタバレ)
ジブリ流タミフルかと…なんかようわからんままエンディング来た……
前情報なしのワクワク感が味わいたくて公開2日目に来たけど、感想としては「いやこれはある程度頭に入れてからじゃないとわからねーぞ」でした。
すべてを理解する頃には物語も終盤。
2回目を観ることを前提にしているのか…?
他の人も言ってたけど、たしかにジブリ過去作欲張りセットではある。
というか日本のアニメ欲張りセットって感じ。
でもなんというか、目新しさというより何もかもをごった煮にした二番煎じのような気がしてしまいました。
でも美術は綺麗だし、キャラデザは脇役が優勝でした。
ワラワラちゃんと大量のインコちゃんはグッズが欲しくなっちゃったゾ。
グッズ造られないのかな〜
出だしはよかったが中盤で退屈であったので最後分からなかった。
母が火事で亡くなる場面から映画が始まる。
母を失った少年。出だしとしては魅力的である。
また、あのアオサキという奇妙な鳥が出てきて「母親は生きている、着いてこい」という場面、言わばはじまりの予感を感じさせる場面など高揚感があってよかった。
ただ、その後がどうもダラダラと展開が遅く退屈であった。
テーマは、映画のタイトルにもあり、作中にも母が残した本の題名にある通り、「君たちはどう生きるか」であるのだろうけど、ファイナルで随分抽象的に、そのテーマへの回答を仄めかしているように思えた。
善意でできた積み木を積むよう老爺さんに言われるが、周囲を欺くために付けた悪意の傷を見せ、「私は悪意があるからその積み木を積むことができない」と言い、その後ペリカンみたいなのが出てきて、老爺さんの創った世界が崩壊し....
と、確かこんな感じのファイナルであったと思うが、中盤で退屈をして疲れていたので、細かに覚えていない。
これは芸術作品なのか。
よく分からないが、エンタメとしては、楽しいとは思わなかった。
芸術作品としても、感銘や感服するところは、個人的になかった。
期待していただけに残念だった。
壮大なテーマと思いきやそうでもないのか
主人公=吾朗
じっちゃん=駿
積んだ石=ジブリ
…ではないでしょうね、もちろん
細かすぎて伝わらないどころか、壮大すぎて何も伝わらんかったです
マジでこれを遺作にするつもりなのか、パヤオよ
駿作品では珍しく、男子が主人公でいろんな女性達から護られるお話でしたが
(アシタカさんは強いのでカウントしません)
なんかのメタファーかもしれんですが、2回観ても3回観ても多分、想像力の欠如しきった私には理解出来ないと思います
キムタクお疲れっした
ufotableもお疲れっした
話はわからん
結局どういう話だったのかと言われたら何も説明できる気がしないぐらい何も分からなかった。
でも合間合間の世界観などはわくわくした。
自分は解説なり考察なりがないと理解するには無理だなと思った。
恐らくこれが最後の作品になるのかもしれないけどドキュメンタリー番組などで宮崎駿自身に解説してほしい。
自分自身の後継者を作ることが出来なかったこととかの話でもあるんだろうか…
何の情報もないまま見たけど父親キムタクは一瞬で分かってしまった。どこまでいってもキムタク。
そして抜群にヘタクソな声あててる奴おるなと思ったらあいみょんでした。ありがとうございました。
いまだ枯れぬ泉なのか
観客の忍耐力が試される作品なのは間違いない。
ストーリーの意味不明ぶりと急展開ぶりに何回「???」となったか分からないし、振り落とされた観客も多かっただろう。
間違えても子供に勧められる作品では無いし(分かりやすさの点で)、観終わった後も「タイトルとストーリー関係あるの?」と多くの疑問が残ったのは事実。
※追記:よくよく考えたら、「分かりやすさ」を求めているのは圧倒的に大人なので、子供の方がこの作品は楽しめるのではないかと思うようになった。
ただそれでも、宮崎駿の熱量溢れる発想と表現にはどうしても感動してしまった。
ナウシカやラピュタのような作品では決してないけど、異世界での経験を経ての主人公の成長という点は「千と千尋〜」に通じるものがあってワクワクしたし、躍動感溢れる絵の表現力にはストーリーの疑問点を忘れさせるほどに見入ってしまった。
きっと進めていくうちにやりたいことやアイディアがたくさん出てきて、それを無理やり全部詰め込んだんだろう。
庵野作品と比較したコメントも多かったのはこれが理由だと思うけど、これが最後の作品となるとそうなってしまうのも仕方ないのかなと思う。
そういう部分でも、本当に「宮崎駿の長編」はこれで終わりなんだなぁという寂しさを感じさせる作品でもあった。
作品単体ではどうしても高評価はつけられないけど、本当に宮崎監督には感謝感謝。
ジブリワールド
評価を見ると意味わかんないってコメントが多くて 観る前から少し複雑な気持ちで見ましたがいざ見てみると圧巻されました。 というのもなにか 千と千尋 ハウル もののけやその他色んな作品を融合させたような世界観 現実の話から急にファンタジックになる感じ 確かに 最初は ??? と思いましたが観てると少しづつ理解出来てきて ほんとに見る人によって感想 感じ方は違うんでしょうが 個人的にはかなり感動しました 伏線もあり ラストシーン かなり刺さるものがありました。
世界観と言い、鳥たちと言い あのおばあちゃん達の既視感 もう一度みたくなる作品でした
やっぱりジブリは大好きです。
意味わからないけど、これが通常通り
なのかな?すっきりはしなかったです。
これがジブリだと言われたらそれまでですけど...
まひとの思考がよくわからないから共感しにくいし、
そもそもなぜナツコさんはあの世界へ行って、戻りたがらなかったのかな?
あの黄金の門の先にある墓の主って誰だったの?
唯一の情報であったアオサギ、最初は恐怖心が強かったが段々とキャラ転換していき最後には愛らしいとまでに思えた。声優さんも良かった。トモダチ!
現代と戦前では結婚のカタチは全然違うけれど、お父さんの手が早くてびっくり。
食事シーンや料理描写は相変わらず素敵です。
原作読んでみようかな?
私が観たい宮崎アニメと宮崎さんが作りたいと思う作品が大きくかけ離れてしまっているんですね...
千と千尋と基本的な構造は同じに思えました。表現的にも新しい物は無く、既視感を感じました。 内容を徹底的に隠したのも、このせいなのでは?と勘繰ってしまいます。(内容に対してタイトルのインパクトが大き過ぎる?)原作の何に魅せられて、この映画が作られたのか理解したいので、原作を読んでみます。
宮崎さん!次は爽快な冒険活劇をお願いします!
追記
タイトルに関しては、神?のいなくなった世界で、『君たちはどう生きるか?』なのかな?コントロールする者がいなくなっても、戦争は終わり世界は続く…
見えてくる世界 瓦解崩壊
米津玄師さんの地球儀に惚れ込んでいながら、今作は未鑑賞というたいへん失礼な状況!すぐさま地上波で観ました。
実はリアタイで観たんですが、すぐにレビューできなかったのは理由があります。
鑑賞後すぐの感想を書くならば
「?」で完結してしまうからです。
いろいろ考えさせられ…そうになり
うわぁ!と感動し…そうになり、頭の中で蠢くなにかはあるものの、極論言えば「?」に行き着いてしまう感覚に襲われたからです。
数日間様々な方のレビューや、ブログで考察している方、さらには岡田斗司夫さん(禁忌)にも手を出し、
ようやく世界が見えてきました。
宮崎先生本人の物語であること。
異世界での出来事は先生の人生を体現していること。
他諸々めんどうなので書きませんが自分なりの答えは見えてきました。
見えてきましたが、やはり所々の、他の方のレビューに言わせるなら脚本の矛盾点や乱れた筋書きが、ぶつかってくる。
よって、
さいごのインコの城の崩壊のように、
思考が瓦解崩壊したので今レビューしてます。
結局求めてるものがちがったのかも。
幻想的な映像とか、怪我をしたペリカンの描写とか、もうすごいな、としか言えない部分もたしかにあります。
が、異世界に落ちたマヒトに僕が求めていたのはきっとラピュタのような活劇だったのかもしれません。
でも、たぶん、きっと、また大人になってから観ると変わってくるかも。
いっぱい人生経験を積んで、あらゆるモノの表と裏を知ってから観るそのときを、今から楽しみにしておきたいですね!!
なので今の評価は3.5です。次観るときどう感じるか?
次観るときのために、今からどう生きるか?
今作の評価が5になるくらいの人生、どどんと生きていきたいですね。
団塊の世代♥
7人しか入っていない。
ややサカリを過ぎたスタジオジブリ作品を新宿の早朝で鑑賞する。さて、
真人の異母兄弟は団塊の世代。
一切、ネタバレされずに見た。
その方が良いと思う。そんな作品だ。
題名通りの作品だが、いっその事ファンタジーはもうおしまいにしてみるのも一つの手かなあ。この作品では、ジブリパークにはテーマ館は出来ないだろうな。ナウシカ、ラピュタと大きく違うのは、子供が見ても『ワクワクする』のかなぁ?って所だ。僕は『ワクワクした』けどね。
ネタバレ
もうすぐいなくなる団塊の世代と宮崎先生の話。
つまり、プロデューサーと演出家の話だ。
老害作品、全く魅力が感じられない!
朝から蝉の音の勢いが 何時もと違う、
そう ソレは梅雨が明けた知らせだった。
気温40度をも感ずる熱気に推されて 避暑地の劇場へ
今日も涼みに参りました (≧◇≦)
今日の作品は「君たちはどう生きるか」の鑑賞ですね。
この作品はジブリ作品で 宮崎駿氏の最後の作品だそうです。
この前の2013年「風立ちぬ」公開から早10年過ぎ。
あの時ももう引退と言ってたけど、また筆を執るとは・・・
もはやWindowsの変遷みたいなもんかな。10そして11みたいな。
最後でも まだやるでも それは何方でも私的にはOKです。
(歴代邦画興収記録)
1位 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編
2位 千と千尋の神隠し
3位 君の名は。
4位 もののけ姫
てな事になってるんで、多分 監督としては心が燃えたのかな~とは察します。
問題は ヤルのならちゃんとやって欲しい思いが有ります。
宣伝担う企業に金を1円も回したくない?
前作時にソコと揉めたの?
少しでもケチって赤字を防ぎたい?
何で今作製作しようと思ったの?
何を伝えたかったの?
事前宣伝しなきゃヒットするとでも?
世間から公開前に叩かれるのを恐れた?
次世代のクリエ-タが高収益作品を生み出すのが憎い?
ジブリ作品は誰にも影響させていないと思ってらっしゃる?
・・・・
疑問を上げたらキリがないですわ。
様は少なくとも コノ業界の色んなクリエ-タへ影響を与えた巨匠が
こんな ヘボイ作品で 満足なのかと言う思いで一杯です。
1937年の吉野源三郎の小説に端を発してるようですが、それは言い訳ですかね。
私なら、「となりのトトロ」の その後の続編で
最後を飾りたいかな。そう言う心意気が欲しかったですよ。
今作の話。
前半展開は そこそこ 良かったでしょうか。
まだ 話は着いてはイケますけども
後半の 継母の失踪を追いかけて 森の木々を潜り抜けて行く辺りから
なんやらオカシな展開事に・・・。
千尋風な、ゲド戦風な、マーニー風な、会話はポニョ風な。
また 洋画の「インセプション」も所々引用してる?
永遠に続く 一貫性のない話展開は 飽きますよ、観ている側は。
駄作とまでは言いませんが、観客は完全に置いてけぼり食らってますね。
波に乗れてませんわ。
主人公の男の子。あれは 監督自身の投影じゃないのですかね。
話の中の母は太平洋戦争の開戦直後に病院で亡くなられた。父は戦闘機工場の社長。裕福な暮らしで後妻が居り(妊娠中)自分の弟が出来る予定。
所謂複雑な思いに陥った少年の心を描きたかった訳なのかな。
戦争と、母の死、都会を離れ田舎の立派な屋敷での生活。
新天地(疎開先)の学校で仲間外れされる彼。心の友が居ない。
綺麗な継母。生まれてくる弟・・・・
多分 母の死に目に逢いたかったが それが叶わなかったのであろう。だからその思いが強い。新しい母への思い(接し方)をどうして良いのか、その不安を描いていると感じる。
自分の母にきっと、新しい母(継母)へ甘えても良いんだよって、新しい弟を大事にするんだよって言って貰いたかったんだと 思うんだよね。
そして 新しい田舎での生活に、父の仕事と そして何れ長男として継いで行く家系と言う 大事な託された流れを示しているんだと思う。
※監督自身にもきっと4人兄弟の二男として家系を期待された大切な役目があったのではと感じます。
直球で言うとソレだけの展開なのだが、いかんせん 途中からヘンテコ極まりない暗めのイメ-ジファンタジ-となっており、そこが残念ですかね。
感動して行け無いのは、展開波にこっちが心を乗せようとすると 直ぐ落とす描写。コレの繰り返しが続いてしまい、すっかり何やねんコレ・・・に成っちゃってるんですよね。そこが味気ないんですよ~。
観た後の爽やかさとか、心がスク~とかが湧き起らないので 鈍より感しか残ってないかな。
後半に 各キャラの色合いと背景をもうちょい明るめにするか、水・土・泥・壁・閉じられた空間のイメ-ジを、空への展開(空撮)を挟み込み、変えて 終盤 白か黄金色投入で心を短時間解放描写させた方が スッキリしたと思うのだが。羽ばたくインコ色は良かったが、糞とかに まみれるのがダメかもです。
何だカンだ言っても お客さんは来てたかなと思う。
ジブリファンなら見に行きましょうネ。
劇場内では 取り合えず2時間は涼めますよ。
私たちはどう生きていけばいいのか
わたくし、34歳主婦。
初めてひとりで映画館を訪れ「もののけ姫」のかっこよさに痺れて2回足を運んだのは小学校2年生。
アシタカの生きる美学に惚れ、アシタカのように生きたいと願い、早26年が経った。
30も半ばに差し掛かると、アシタカや他のジブリの主人公のように真っ直ぐに生きることがいかに難しいことかを痛感。
人を傷つけ、自分を傷つけ、長いものに巻かれて、先を読めてもいないのに読んだ気になり、自分を納得させて埃まみれになって生きてきた34年。
ジブリ作品を観るたびに「あぁ、人はこう生きるとかっこいいのか」と人生の美学を突きつけられ、自分の中の軸を再確認した気持ちになり、清々しい気持ちになる。
そんな数々の名作を生み出した宮崎駿監督も御年82歳。
引退の文字をチラつかせつつもここまできてくれた。
しかし、監督の年齢を考えると、これが本当に最期の作品になってもおかしくない。
ファンも監督本人もその事を重々承知の上、監督はこの作品を世に送り出してくれた。
作品を通じて宮崎駿監督とどんな対話ができるのか。
何の前情報もない作品という新鮮さもあり、上映前には期待と不安が膨らむ。
「私たちは一体どう生きていけばいいのか」
これから新しいジブリ作品が生み出されない世界が来るとしたら、私達は何を美学に、哲学にして生きていけばいいのだろう。
不安に満ちた世界で、生きていくことができるのだろうか。
34歳になり、母になった私は、この可愛い2人の子供を、この過酷な世界の中で育てていくことができるのだろうか。
そんな漠然とした不安に監督は答えを導き出してくれるのだろうか。
「穢れのない心で美しい世界を創りなさい」
まるで、イエス・キリストが迷える民衆に説いたような、真っ直ぐなメッセージ。
でも、どうしてだろう、とても身体に染み渡る。
世の中は「墓石でバランスを取っている」かのように、沢山の犠牲の上に成り立ち、とてもシンプルで脆くて壊れやすい。
それでも次の世代を生きる私たちに、より良い世界を築くように努力してほしいという、
とても普遍的で単純なようで、とてつもなく重いメッセージ。
眞人のように石で自分の頭を殴り、人を欺き、穢れてしまったと感じる大人も沢山いるのだろう。
それでもいい。そんな自分を認めつつも、また良い世界を創る歩みを辞めないで欲しい。
ジブリの人生哲学に背き、酸いも甘いも嚙み分けながらここまで来てしまった自分を恥じている私は、
宮崎駿監督の優しさで包み込まれ、背中を押された気持ちになった。
きっとこれから生きていく中でも、
日々の生活や邪心、欲で前が見えなくなって、
目の前のことで精一杯な私たちは、
自分の命が生かされている存在であるという事を忘れてしまう。
愛が欲しい、モノが欲しい、お金が欲しい。
欲しいものばかりで、世の中を、目の前の人を、よりよくすることよりも、「自分の欲」を優先させることしか見えなくなってしまう。
何事も便利になり、自分の手を汚して食べ物を手に入れる事はしなくなり、人が手に入れたものに群がりおこぼれを貰う。
自分の足で生きている実感が持ちづらく、まるで生きているのか死んでいるのかも分からなくなるよう。
それは現代の人々の抱える病でもあり、
それをアオサギが案内した世界では、
「この世界のものは幻ばかりで、ほとんどの人が死んでいる」と。
あれは今の社会を反映しているのかもしれない。
昔は目の保養であった動物たちも、時代や場所が変われば人間を襲うようになり、外来種扱いされ、忌み嫌われる。
でも、その世界を創り出したのもまた人間の業である…
「それでも元の世界に戻るのか、じきに世界は炎に包まれるぞ」
「それでもいい。友達を作る。アオサギのような。」
この地球が、世界が、どんな方向に行くかは分からない。
それでも、強く、逞しく、前向きに進んで生きていくしかない。
そうすれば、きっとこの世の終わりだって清々しく迎えられるのではないかとすら思えてくるような、
宮崎駿監督の、温かい愛に包まれたメッセージだった。
謎に前向きな気持ちになった
勝手に自分の人生と置き換えて観ていました。
現実から避難して、見るもの触れるものを全て睨んでいた時期を思い出して。
塔を現実からの避難場所として。
現実世界は辛い。理不尽な事だらけ。
だからこそ、幻想の世界は魅力的なんですよね。
誰しもが、アオサギの誘惑に誘い導かれ、悪意で自分の心を守る可能性がある。
あの塔に惹かれる🟰逃げたい現実に直面した、というように解釈しました。
眞人も、大叔父さんも、キリコさんも、夏子さんも、そしてヒミも。
それでも自分の悪意と向き合って、前向きに生きようとするものが、塔から抜け出すんだなって。
私自身の体験だと、やっと授かった子どもが流産した時、心が壊れてしまいました。周りの妊娠報告を受けるたび、悪意で満ちて、友人との連絡を断ったりと、作品でいう塔の中に閉じこもりました。今でも、閉じこもりたくなる事があります。
この映画の話は、人間の心の中をファンタジーとして具現化したものだと思って考えます。
最後塔から抜け出せた時、多くの人は記憶がなくなる
というのをアオサギが言っていて、なんだか救われた気持ちになりました。
こんなドロドロ周りを呪って恨んで人のせいにしてる悪意に満ちた今の私でも、この辛さから気持ちの整理をつけて抜け出せたら、すっかり忘れて前向きに生きていく事ができるんじゃないか、と。
もしくは、眞人のように、自分を救ってくれた、守ってくれた人の事を忘れず、現実に向き合える事ができるんじゃないか、とも。
人生の最後を塔の中で過ごした大叔父さんもひとつ。最後立派に若者へ未来を託され事に、虚しさより清々しさを感じました。
アラサーの私。まだまだ長い人生、また歳を重ねてから見直していきたい映画だなと思いました。
きっと、その都度、自分の中の答えと向き合う事ができるツールとして、この映画が寄り添ってくれると思います。
追記のタイトルは「こじつけ」
元々のレビューのタイトルは「意味わからん」だった。
故にクソつまらないが第一声。
何かが何かを担っているのだろうけど、どおにも良くわからない。
ずっとタイトルの意味を考えてた。
「君たちはどう生きるか」
人生は選択の連続で、選択していく事が生き方の轍なのだとは思うのだけど、どうやらこの作品を受け止める感性が俺にはないらしい。
寝てた。
諦めたと言ってもいい。
インコもペリカンも鷺もキモいし…宮崎版「不思議の国のアリス」と思えなくもない。
戦時中の舞台設定は、なんとなく腑に落ちはするのだけれど、異空間になってからはもううんざりだ。
ただ一つ印象的なのは少年の目だった。
彼は明確な意思をずっとその眼差しに宿してた。
何が起ころうと、何に向かいあっても怯む事はなかったように思う。
コレこそが、メッセージなのだろうか?
なのだが。
一体、お前は何者なのだ?
その切り替えの速さは何に由来してんだ?
コイツは人っていう括りに分類していいんだろうか。
時間は前にしか進まない。
故に、後ずさる選択など無いのだと。
…原作が一時期ブームにもなってたからどんなもんかと思っていたのだけれど、どうやら個人の脳内で展開され咀嚼されていくメッセージと、見せられるモノとは別物らしい。
▪️追記
「コレは宮崎駿の自伝だ」とのレビューを数本見かける。なるほど、面白い視点だと思われる。
なんか、そんな裏知識を踏まえて作品を見るとなかなかに噛み応えも出てくるかもとフと考える。
遺書とか遺言とのレビューも興味深い。
普段はそんな視点では見ないのだけど、誰かの感想に乗っかって見てみるのも面白いかと思った。
▪️追記
主人公=宮崎駿とし、この作品が「自伝」だとして…こじつけ考察レビューをしたためようと思う。
冒頭、戦時中から作品は始まる。
ここは紛れもない現実なのであろう。ここでは彼が「物言わぬ思考する若者」だとの印象を受ける。
環境と大人達に流されるも、どこか強い意思を有する人物。それはやはり目に現れてるように思う。
全編通して「鳥」が多用される。
鳥には自由や奔放などの意味を付与するとして…最初に登場するのは「青鷺」だ。
嘘つきだと称されるが後に友達とされる。
コイツは異質なのである。
主人公の目の前で変態していき、人と鳥のキメラの如き形態を保持する。悍ましい容姿なのだ。
ではコレは誰なのか?
宮崎駿を業界に引き込んだ人物にも捉えられる。
人に非るもの…に見えたのかもしれない。
青鷺を同伴者として異空間に場面は変わる。
この異空間こそが「アニメ業界」もしくは「宮崎駿の脳内」なのかもしれない。
では、その前に紹介された義母はなんなのか。
コレは目的や目標なのではないかと思われる。
義母を探しに、森林に足を踏み入れる。
探し当てた義母は、手にした瞬間溶けていく。
そこに青鷺の台詞
「よく出来た方だと思ったんだけど、もたなかったね」とか何とか。
ゴールは到達した瞬間からスタート地点へと変貌する。
足下から飲み込まれていく主人公。
その表情から戸惑いは読み取れない。
何かの覚悟をしてるように思え…文字通り、泥沼の如き床に沈み込んでいく。
「ペリカン」は観客なのかと思う。
生まれる命とは、創作物の命とも言うべき「アイデア」なのではないかと。
産んでも産んでも、片っ端から平らげられていく。ペリカンの大きな口…無慈悲な欲望の具現化かもしれず、習性としては貪欲で節操がない。
突如現れる墓所は「アーカイブ」かもしれない。
先日達の魂が眠る場所…ココで主人公は言う。
何故墓所の扉を開けたのか?
「開けたんじゃない。ペリカンに押し切られたんだ」
物語の骨格とも呼べるものは、最早出尽くしていて、細部の変更はあるものの基幹は変わらないとの意見もある。クリエイティブである監督や脚本家は、なんとか既存の物語からの脱却を模索するのが常である。
先人達と同じ轍を踏む。
やりたくない。でも、時代のニーズに押し切られた。という意味合いなのかもしれない。
インコで思い浮かぶのは籠だ。
限定された空間の中で、忙しなく動き喧しい。
インコは製作陣や制作環境を指すのかもしれない。
インコの王が鈴木敏夫Pっていうレビューからインスパイアされた訳だけども、なるほど権力も金もあり、至極正論で、かつ横暴でもある。
途中主人公が必死の形相で階段を駆け上がっていく。
その階段は制作過程だとして、ソレを断ち切るのはインコの王だ。ご丁寧に2回も切って足掛かりさえなくなる。台詞をあてるなら「監督、もう金がないんだよ」…死刑宣告にも等しい。
実母とミサは同一人物ではあるものの、担ってるものが違うように思う。
ミサは鳥達に対し、唯一有効な攻撃手段で、守ってくれる存在だったように思う。この辺は寝てた。
コレは監督にとってはなんなのだろうか?
母…母か。
であるなら、命を産み出す者としての制作意欲なのだろうか?攻撃方法は炎。
情熱とかよりは、傲慢とかなのかもしれない。
大オジは、自分を俯瞰する自分なのかもしれない。
客観的視点なのだろうか?
主人公に連なる血脈であり、歳を経た人物。
本を読みすぎて頭がおかしくなった人。
思考の迷宮に囚われる監督本人なのかもしれない。
この異世界は、本人にとっては現実なのだが、それ以外の人には認知も認識も出来ないという優れた舞台装置でもある。
主人公だけが体感する現実なのだ。
そして、万人が共有する現実に戻る。
プロローグは一瞬だ。
だが、終戦があり2年の月日が流れている。
とてつもなくアッサリ描かれている。
ただそこに経過や経緯だけがあるかのように。
タイトルは「君たちはどう生きるか」
問いかけのようにも聞こえる。
この作品を「自伝」と仮定するなら宮崎駿の生き様を見てきた事になる。魑魅魍魎と相対し様々な決断を下してきた半生を。
主人公が対峙する魑魅魍魎は様々なものに置き換える事もできるのだろう。なればこそ「君たちは君たちの生き方において、何を選択していくのだ」という事にもなるのかもしれない。
物語としては、解釈が多岐に渡ってしまうからこそ、無形に類似するかもしれず…タチが悪い。
ひょっとして、宮崎駿を熟知する旧知の友や、スタジオジブリの関係者達には盛大なコメディにも思え、爆笑に次ぐ爆笑の本作なのかもしれない。
すべての人にお勧めしたい。本当に見事な芸術作品
全く宣伝もなく上映されていることをネットで知り「君たちはどう生きるか」を観てきた。観終わって「本当に見事な芸術作品」だという感慨が残った。母親を亡くした少年が自身の置かれた家族や生活・社会環境の中、不思議で様々な体験をしながら生き抜いていく物語り。観る者は人生経験の多寡にかかわらず問われることだろう。「君は(過去)どう生きてきたか」「君は(現在)どう生きているか」「君は(未来)どう生きていくか」と……。
もちろん作者がテーマやシーンの意味を言葉で伝えているわけではない。しかし次元が異なる世界と融合しながら、迷いながらもダイナミックに人生を生きているのが人間であるということを知らせている。善も悪も、光も闇も、賢さも愚かさも混然一体となって「境地の物語」を奏でている。私はこれまで様々な芸術作品に出会ってきて、楽しや美しさや驚きや怪しさなどで満足させてもらったことはあった。しかし鑑賞後にこれほど自身の人生に眼を向けさせ、体験の意味を想い、幸せを感じることのできた作品に出会ったことがない。
この作品は宮崎駿監督の愛と創造力につつまれている。ありがとう宮崎駿さん。ありがとうスタッフのみなさん。すべての人々にお勧めしたい!
宮﨑駿の夢であり神話
宮崎駿の最後の作品かもしれないので行ってきました。自分は決してジブリのファンではないのでジブリ作品は見ていない作品がいくつかありますが、宮崎駿は全ての映画作品と未来少年コナン、風の谷のナウシカ(漫画)、宮崎駿の妄想ノート、泥の虎、などを見てきています。さらに原体験的に6歳くらいに再放送されていたパンダコパンダまで見ています。振り返りますと宮崎駿のファンであったなと思います。
他のレビューを見ていますとジブリ作品ってこういうものなの?という感想が見られます。初めて映画館でジブリ作品を見たのがこの作品なのでしょう。確かに「ラピュタ」「トトロ」「魔女の宅急便」と比べると分からない作品だと思いますが、宮崎駿の過去作を見てきた自分には「こういうのも宮崎さんだね」ということで納得をしています。ミリオタであり、児童文学作者であり、神話好きであり、SF作家でもあるのが宮﨑監督です。今回はかなり神話よりの児童文学的作品だと思います。
ストーリーが分からないというコメントがありますが、物語の主点は少年の成長です。主人公眞人は母の死という受け入れがたい喪失によって心の傷を負っています。彼は疎開先の父の実家の裏山にある塔の下の世界に降りていき、そこで下の世界創造の秘密を握る大叔父と実の母の少女時代であるヒミ、その他アオサギ、傷ついたペリカン、キリコなどに出会い成長します。主人公を導くアオサギは神話でいうところのトリックスターです。アオサギは主人公を異世界に導き成長を促します。少年の成長を中心に据えた異世界冒険譚として捉えますと分かりやすくなります。
また、古典的な物語としてオイディプス王の物語が取り入れられています。母久子を亡くした眞人は母に似ていて優しく妖艶な夏子に惹かれます。眞人が夏子に惹かれているのは後にキリコから「その人のことが好きなのか」と問われて「お父さんの奥さんだから」と答えることで分かります。眞人は自分の夏子への思いを父の後妻さんだからと抑え込んでいるのです。眞人は父と夏子のキスシーンを盗見しますが子どもの彼はどうにもできません。つわりで寝込んでいる夏子の病室に眞人は訪れ傷を優しくなでられ労りの言葉を受けますが、しかしそれは母としての労りであり自分のものにはなりません。その自分のものにならないという思いは憎しみとなりタバコを盗むという行為で代償します。
ここで私は驚きました。主人公が堂々と盗みを働く宮崎作品を初めて見ました。また少年の性欲を隠さず描いています(とても上品にオブラートで包みながら)このような点でこの作品が宮崎監督作品ではなく宮`﨑`監督作品であると理解ができました。有り体に言えば宮崎駿が初めてパンツを脱いで下半身を私たちに見せているのです。
眞人は夏子が塔に向かっているのを見て追いかけます。この時点で母捜しと夏子探しは重なっています。ここで細かい辻褄がおかしくなることで物語が難しくなりますが、しかし眞人の無意識化の次元では母久子と夏子は重なって認識されているので物語上ではあまり問題にはなりません。下の世界で実母の少女時代であるヒミと出会い、夏子が向かった産室までたどり着きますがそこで夏子から拒絶されます。このあたりはイザナギに桃を投げつける黄泉に降るイザナミのようです。黄泉下りと桃による神々の誕生が重なるように生と死がこの世界では両立します。そしてイザナミが姿をイザナギに隠したように、出産の場所は他者に見られてはいけないのです。女ではない母としての夏子を見てしまった眞人は「夏子お母さん」と呼びかけます。ここで父を殺して母を娶るという無意識下の眞人の思いは頓挫します。
眞人の現実の父は善い人ですが現実に生きる企業人でかつ眞人のことを理解していません。塔の向こうの世界も分からず入ることもできません。話はあくまで少年と母たち(キリコ、婆やたちを含む)だけで進みます。少年と母と動物しかいない下の世界にいるもう一人の男性は大叔父です。大叔父は13個の石を3日に一個積むことでこの下の世界を絶妙なバランスで維持しています。一つの解釈ではこの13個の石はジブリの過去作、13×3でジブリが続いた39年、そして大叔父は宮﨑監督、という解釈も成り立ちますが、そこは神話的物語として寓意が開かれています。つまり、解釈はいくらでも可能なのでこれという答えがあるわけではありません。大叔父は自分の血族の中から誰かが下の世界を継ぐことを待ち望んでいました。眞人に善意だけでできたこの石で積み木を続けて世界を維持してくれと頼みます。しかし、善意だけでできた石など嘘だと眞人は傷ついたペリカンとの出会いで知ってます。理想郷を作ろうとした大叔父の善意は多くの人を傷つける偽善的な世界を作りだし、この世界は人を食べる獰猛で扇動されやすいインコの大群に占拠されつつあったのです。大叔父は塔の最上部で下層の苦しみを何も理解しないまま積み木をつみ続けていたのです。眞人は傷を見せて自分が無垢ではないと示します。この傷の意味も多様だと思います、継母に欲情する汚い性欲、友達を作れない傲慢さ、金持ちとして生まれたことの負い目、いろいろあるでしょうが物語的に意味は開かれています。そして眞人は汚さと苦しみのある現実世界に戻りアオサギのように善悪美醜両方を持つ多くの人々と「友達」となることを宣言します。男が一人しかいない理想の美しい世界に閉じこもることを拒絶して美醜が混在する現実に欲望と痛みを持った一人となって戻るのです。異世界冒険譚は主人公が死などによって異世界に降りて、そこで敵と戦うなどの困難を経て元の世界になかった宝を持って戻ることが主要テーマになっています。ここで眞人は、下の世界の王になる、あるいは塔の宝を持って帰るのではなく、「現実で友達を作る」という決意持って現実世界に戻るのです。友情を作るという決意、これが主人公が現実に戻ることに対して宮﨑監督が持って帰って欲しいと思った宝でした。これは現代における神話として監督が少年少女に示す一つの解でした。
物語的に父の代わりである大叔父の願いを拒絶することで王殺しを達成した眞人は下の世界から現実へと戻ります、その現実へと戻る際に実母の少女時代であるヒミと別れます。火に焼かれて死ぬ世界に戻るのかと眞人は母ヒミに問いかけます。この問いに「眞人に出会いたいから戻る」と答えます。父から母を奪い娶るという形での性の解消ではなく、母が父と結ばれることで自分が生まれ、自分が母から強く望まれて生まれるという生殖の営みが示されたことで別の形での性の解消となり宮﨑版オイディプス王物語は終わります。ここで私は奇妙な爽快感を覚えました。大叔父に代わり下の世界の王となることで自己を自己が肯定するのではなく、母からありのままのあなたを愛している、と言われることで他者からの肯定を眞人は得たのです。眞人は母を救えなかったという負い目から解消され、うじうじしていた自分を含めた存在そのものを亡き母から全肯定されました。ここが物語の終結点だと私には思えます。このような聖母的な母かつ少女から全肯定されたいという宮﨑監督の思いを「気持ち悪い」と突き放したいという思いも私にはあります。ですが火事で死ぬことが決まっている世界に戻る母から「あなたに会いたいから」と言われることの感動が上回りました。
正直、この映画は細かいつじつまを追って行くと疲れるだけです。設定や登場人物の動きは主人公が体験する主観のためにあるものでつじつまが合わない部分も多いです。ですが、主人公の主観的な物語はちゃんと追えていますので眞人の主観を中心で見ていけば物語は理解できます。また、最近の漫画やアニメのように主人公が感情を吐露したり、脇役が状況を台詞で詳しく説明もしてくれません。ですので、見ている方に絵や行動から物語を解釈する力が求められます。そういう点で万人向けでありませんし、また近代の小説(物語)というより昔話や神話の方に近く作られているため主人公が内心を吐露することはあまりしません。ですので、最近の物語(小説、漫画、アニメ)に慣れている人は面食らうと思いますが、動きや表情をよく観察し、台詞の裏の思いを推し量っていけばなんとなく感情は想像できて流れを追うことができます。
私個人は最近の映画やドラマにある、オーバーで分かりやすい演技、なぜか状況説明を台詞でしだす登場人物、色分けや容姿でハッキリと分かる敵味方、などに食傷気味でしたので、分かりやすさに全く媚びなかった宮﨑駿に共感しています。また、これだけの作品を作った宮﨑監督に次の作品がないとは思えません。一つ言えるのはこれ作ったら漫画版ナウシカのアニメ化は必要ないなということです。それは、大叔父と眞人、インコ大王、アオサギのラストが漫画版ナウシカまんまだったので。
テーマはわかりやすい。でも傑作ではないと思う。
置いていかれるとか、理解できないとか、聞いていたので身構えましたが、テーマはわかりやすいと思いました。本の『君たちはどう生きるか』を読んだことがあって、テーマがリンクしているだろうと推測しながら観たからかもしれませんが。
読み返したわけではないので曖昧ですが、本では「人は成長過程で自分中心のものの見方を離れ、社会を俯瞰して見れるようになる」とされていたと思います。
私が映画で気になったのは「義母が眞人を『大嫌いだ』と言った後、眞人が急に『お母さん』と呼ぶようになった」シーンです。
眞人はここで[義理の親子になったことに義母も苦しんでいる]ことに初めて気がつき、[だからこそ自分のいない異世界に来て出産しようとしている]と理解したのではないでしょうか。そして[義理の親子という関係を築く]覚悟をしたのだと思います。
(なんで妹と再婚?というレビューを散見するのですが、この頃は結婚は家同士でするもので、配偶者が死んだ時に兄弟姉妹と再婚することはよくあったと聞きます)
本でいうと冒頭なので、映画では自分中心の子供時代をゆっくり描いている感じです。
他にもいろいろあると思うのですが、本では最後に「自分で考えて生きること」を訴えていました。
映画でも眞人は「与えられた無垢の石で新しい世界を築く」という用意された道を拒否し「戦時中の混乱した世界に戻って友達と協力して生きていく」ことを自分で決めます。
そしてラストシーンでは、戦争が終わり東京に帰るという変化の時に本を持っていたことから、その後も眞人が自分で考えて生きていこうとしていることが示されました。
テーマが好きだし、全体として嫌いではないけど、傑作という印象ではありませんでした。
その時代がそうだったと言っても男尊女卑を無批判に描くのはどうなのか?と思いますし。眞人がタバコを渡したりクチバシを治したりと男性(らしきもの)には報酬を払うのに、女性には無報酬で助けてもらう、という描き方も気になります。
監督がジブリや自分や後継者を重ねて作ったかはわかりませんが、もしそうだとしたら、プライベートフィルムとして身内で見ればよいものです。
映像もセルフオマージュなのかもしれませんが、過去作を上手く織り込んであるというより、見覚えのあるもののツギハギという印象で、懐かしくて感動するより先に飽きてしまいました。
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