君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全763件中、281~300件目を表示
素晴らしい。君たちはどう生きるか?問われた作品でした。
観ている最中、涙が自然と流れてきて、懐かしさや愛おしさや、魂に触れるような。非常にメッセージ性があり、何回も観たくなる映画でした。
難しいというお声もたくさんあります。その理由もわかります。が、しかし何回も観て
あなたは自分の世界をどう生きる?と常に考える時間をもち、生きたいと思います。
またあの世界のことは忘れてしまうとのことですが
強力なお守りがあるから、覚えている。
わたしたちにとってこの映画こそがお守りになるのかなと思います。
たくさんの方に観ていただき、観た方たちで深く観察を語りたいです。
焼き鳥を食った
『君たちはどう生きるか』を観た。
「この映画を見て 君たちはどう感じるか?
其々各々が自由に感じてくれたまえ。(笑)
正解も不正解もない。不正解も正解。正解も不正解。
さぁ君たちはどう生きる」と言われた。気がした。
映画監督 宮崎駿 を 宮﨑駿 を通して振りかえさせられた。させてもらった。
映画の内容はあっちとこっちの世界の話。
1から10まで説明する事はない。1と13を与えられて2〜12までとそれ以降は自分で考えろと言う映画。
へい!わかりました!(笑)
・主人公があっちの国で血を理由に跡を継げと言われて辞退する話。
生みの母へ子供ながらの甘えは(とても人間らしい)ありつつも時代的にも男という事であまり表に出さず奮闘するもやはり、、という印象だったが終盤はかなり成長が見える。わぁまるで誰かのお話だぁ。
・主人公の継母がこっちの世界を捨てる話。(主人公(姉の子)をあっちの世界の世継ぎ問題から守る、(血筋の子を自分も産める)、家や旦那から離れる)等の理由があっちに行った理由として考えられそう。墓石と産屋、、石、、ふむふむ。
考察なんて個人の自由だからサ!
なんてったって至る所に過去作だぁ!
あっちを死後の天国か、魂のみが生まれる場所(この世で肉体を得た時以外いる場所)と仮定。
この世ではない世界とするなら千と千尋の湯屋がある世界が思いつくのだけど、千と千尋のトンネルの先にある駅のようなポツンとした場所。ふむふむ。
それに銭婆に会いに行った時に車窓から見える、同乗者が降りて行ったあの世界。ふむふむ。
ゴッホの星月夜の糸杉に似た大きな木が墓石のところやあっちの世界で描かれていたけれど、糸杉はヨーロッパでは天と地を結びつける死の架け橋だと聞いたことがあるぜよ。
こっちの世界が現世(戦時中の日本)とするならば風立ちぬが連想されやすいけれど、今回の登場人物がお金持ちだからか、、なにか少し違った雰囲気にも感じる。裏山はまるでトトロの世界。
山を見るたびトトロトトロと喚いていた6歳の私の中の何かが!あぁ!心が、左腕が疼く!笑
お父さんはどうやら主人公とは違うタイプの人間で主人公の感覚とどこかズレていそうだけれど、家族への愛はあるのかもしれない。あれ、どこかで見たことのある父親のようだぁ。
.
.
.
ところであの石の国、我が祖国に置き換えて考えるとどうだろう……、、、インコは増えすぎて良くないかあ、、、、、さぁさぁここからの考察は焼き鳥でも食べながら朝まで語り合おう。
.
.
朝ごはんはパンにバターとジャム死ぬほど塗って食べたいなぁ。
.
.
.
.
.
.
追記
ネタバレを恐れて事前知識無しに鑑賞しましたが、改めてたくさんの考察に触れると多種多様でとても興味深い。ジブリ一族のお話。ジブリからアニメ界、世界のお話。なるほどなるほど。宮崎駿の人生とは思いつつどちらかと言うと日本と日本人、世界のお話として受け取っていたのでとてもわかりやすく、また合点がいった点もたくさんありました。是も非も受け取りての数だけ解釈があって、それがまた面白い。
今の世界がどの様な形であれ、「 今 がある 」事は多くの祖先達が生きてきた過去の結晶で奇跡だ、世界はアンバランスで紙一重とどこかで読んだことがある。
積み木はその様なことか?と思っていたけれど監督が積み上げてきたジブリ史としてみるのも面白い。
皆さんの知識、知恵を拝借し考察を見れば見るほど面白い。また映画をみる必要がありますね!
もっと自伝自伝した内容かと思ったが違った
全体的にいつものジブリ映画。
最初のお墓と産屋の奥は別物なんですね。最初のは邪悪な者、産屋のは大叔父さんと契約している石。あれは紛らわしいと思います。
最初のお墓のところの墓の主が起きるっていうのはナウシカの怒り狂った王蟲とかもののけ姫のタタリ神みたいなのが出てくるってことなのかなとしばらくたってから思ったりしました。
最初の火事のところの作画だけでも観に行けてよかった。
失われた物語の中で
吉野源三郎の同作にインスピレーションを受け,オリジナルストーリーとして制作された宮﨑駿の最新作である今作の評価は真っ二つに分かれることになった。これまでのジブリにあるような「物語」としての側面は大きく後退し,アニメーターとしてのパーソナルな表現が前面に押し出されている結果だろう。『風立ちぬ』で引退を宣言した宮﨑がそれを撤回して監督した今作はあまりに自由で伸び伸びと作られている。次世代へのメッセージを含んだ「遺書」とすら呼べそうである。アニメーター宮﨑の自己開示,それは物語というよりイマジネーションに満ちた混沌だった。フェデリコ・フェリーニが『8 1/2』で撮りたかったものを,宮﨑はアニメーションで表現したように思える。
冒頭では東京が燃えている。ジブリが自家薬籠中の物としている「火」の描写は『風立ちぬ』から地続きである。そしてそれはたとえ空襲による火災であったとしても,「偉大な破壊」(坂口安吾)であるがゆえに美しい。病院にいる母のもとへ走る主人公・眞人はもちろん宮崎駿その人である。履き物を慌てて脱ぐ仕草や階段を駆け上がる動きなど,アニメーションのお手本のようなシークエンスには誰もが目を奪われただろう。しかし,病院の火災により眞人の母は命を落としてしまい,彼は疎開することになる。眞人が東京から離れると画面から戦争の影が消える。まとめると,前半が現実パート,後半が虚構パートというふうに切り分けることができるだろう。そして現実と虚構の往還,すなわち児童文学によく用いられる「行きて帰りし物語」の形式によって物語が展開する。「行きて帰りし物語」では「向こう」へ行くために「通路」が必要である。それらは『となりのトトロ』では「小径」,『千と千尋の神隠し』では「トンネル」として表現されてきた。今作においては「塔」が「通路」であるのと同時に宮﨑にとっての重要なメタファーとなっている。塔は疎開先の森の中にひっそりと建っているがこれは人が作ったものでなく,空から降ってきたものだという。人智を超えた存在である塔はおそらく「物語」の暗喩だ。そしてそれを人が建造物すなわち言語や法体系でコーティングしている。神の言語で書かれた物語を私たちが読むためには,低次元の言語や体系を必要とするからである。眞人が義母を探して通る道はまるで『となりのトトロ』に出てきた場面と酷似している。これだけでなく,『ハウルの動く城』の扉,『崖の上のポニョ』の船の墓場など,過去作品からの引用が多く見られる。それらは「ジブリらしさ」というサービス的な目配せではなく,明らかにコンシャスな反復である。特徴的なのは,眞人が異世界へ進んでいく際,そこに「老女」が同伴する点だ。『となりのトトロ』も『千と千尋の神隠し』も少女の成長譚という性格を持っているため,「大人」は彼岸へは行くことができない(サツキとメイの父親にトトロは見えないし,千尋が冒険している間,両親は意識を喪失している)。しかし,今作で宮﨑は屋敷に侍女として仕える老女を登場させた。もちろん彼女はキーパーソンであり「観測者」あるいは「守護者」としての役割を果たすことになる。眞人を映す「カメラ」であり,物語を受容する「観客」でもある。彼女は塔の奥へ進む眞人に「罠」という言葉を使うが,このワーディングはやや奇妙である。罠というのは,それを仕掛ける主体なしに存在しないためである。老女は「大人」でありながら,異世界への分水嶺で「罠」を仕掛けた何者かの存在を嗅ぎ取っている。また,彼女はアオサギが喋る様子を目撃する。アオサギだけではない。のちにインコも登場するがこれらは現実世界の「大人」たちに「バケモノ」として「認識」されるのだ。ここに従来の作品との違いがあるように思われる。「喋るアオサギ」も「インコの兵隊」も一般人に「見えている」とすれば,彼らは現実世界に存在するなにかしらの存在の表象だと推測できるだろう。序盤のアオサギは不気味な存在だが,その「着ぐるみ」を剥がしてしまえば無能な中年男性(=サギ男)である。翼を奪われたサギ男は粗忽でコミカルな存在,すなわち道化と化す。アオサギは,眞人を異世界へと導くトリックスターなのである。彼は大きな魅力のないキャラでありながらポスターに採用される存在感を持ち,最後には眞人と「トモダチ」になる。敵でも味方でもないトリックスターは「物語」への「水先案内人」なのだ。物語を信じる宮﨑にとって欠かせない存在だろう。
眞人たちが地底世界へ潜り込むとそこにはインコ帝国が築かれている。この「帝国」はおそらく「スタジオジブリ」だろうが,同時にそこは宮﨑駿の精神世界である。そこでは生者と死者が行き交い,過去と未来が混ざり合っている。過去の作品世界が引用としてでなく,メタフォリカルに重なり合いながら存在しているのだ。「わらわら」という存在が地底から「地表」を目指して飛んでいくシーンがある。わらわらはおそらく「受精卵」あるいは「物語のインスピレーション」だ。生命や物語は,厳しい淘汰圧を耐え抜いたものだけが存在しうる。それを食べる「ペリカン」たちは,生命や作品に「カネ」の匂いを嗅ぎつけた資本家であり,批評家であり,一般大衆でもあるのだろう。ジブリ作品にしてはやや造形の書き込みが足りないような気がするが,「創作」に関するプリミティブな考え方に触れることのできる重要なシーンである。地底世界には,「塔」(=物語)の中で姿を消した白髪の「大叔父」が登場する。彼はおそらく宮﨑駿本人だろう。だとするとここで矛盾が生じることになる。観客は眞人を宮﨑本人だと思っているからだ。しかし,実母の「ヒミ」,老女の「キミコ」が若かりし頃の姿で地底世界に存在していることから,その矛盾は特に問題視しなくて良いだろう。眞人は過去の宮﨑,大叔父が現在の宮﨑であるという推論はコロラリーとして容易に成り立つ。インスピレーション源の『君たちはどう生きるか』は「叔父」と「コペル君」の対話がベースとなっているが,本作では叔父が大叔父,コペル君が眞人に翻案されている。宮﨑は脚本をツイストし,叔父とコペル君のアイデンティティをも縫合してしまったのだ。それは「過去の自分」と「未来の自分」の対話でもある。すなわち本作は徹頭徹尾,宮﨑による内面の吐露だ。それは私たちに説教をする内容の映画ではない。むしろ「自分はこう生きた」という宮﨑自身の生の証明になっている。いい画を容易に描けるようになった宮﨑が,あえて背景やパースを崩して表現したかったものは,あまりに個人的実存だったが,国民作家によるそれはあまりに普遍性を獲得している。日本アニメーションの巨匠に許された自由な自己表現は,難解でありながら観客の心奥に訴えかけるものでもあったのだ。本作は児童文学としての性質を持っているため,むしろ子どもたちのほうが純粋に冒険譚を楽しめるのかもしれない。ロジックやクリティカルシンキングに馴染んでいない子どもたちは映画の混沌を混沌そのものとして受け止めることができるだろう。そんな純粋な作品を86歳にして作ってしまう宮﨑駿はやはり天才的な作家である。
君たちはどうミるか?
漫画 [君たちはどう生きるか]
の
映画化か(まだ未読ですが)
安心して下さい
ぜんぜん違いますよ(まだ未読なので、たぶん)
とりあえず、[君たちはどう生きるか]
読んでみようかと思います。
この映画について
うわ~!
インコが〜!インコが〜!うわわわわわわわぁぁあぁ〜〜〜!!!
インコ大王だーーー!!
なんだよあれ?(笑)
このレビューだけ読んでから見に行ってよ。
途中でさ、おばあちゃん衆でてくるんだ。
かわいいおばあちゃんたち。
その中にメガネかけてるおばあちゃんいるんだけどさ、メガネかけてるのにメガネ探してる歩き方するの。おもろかわいい。
これだけ覚えて見に行って。見た時あなた笑うから。
ここからは自分の備忘なので読まなくていいですよ。
ここから下はちょびっとだけどネタバレ含みます。
まあ正直わからんかった。感じることはあったけど、それが全てじゃない気はしてる。
何回かみても感じることは全部ちがうんだろうなあ。
「君は石を1つ追加して世界を変えることが出来る」
ここは、あなたは世界のピースの一部だよ、あなたの小さな一歩が世界を変えることもあるんだよ。みたいな1種のバタフライエフェクト的なことと受け止めてなんか嬉しくなったよ。
大叔父さんは、そもそも宮崎駿本人じゃないのかな。
宮崎駿が中盤に「ピースを1つ加えて変えていい」と投げかけたところに、宮崎駿の意志を受け継ぐ今後のジブリへの期待がみえたんだけど、終盤の「悪意に染まっていない13個の石を組み立てる」てとこにはさ、全くもって新しいジブリを期待したのかなあと。
え、考えすぎ?うんそうかも。笑
食べたり飲んだりとかの描写はさすがジブリなんだけど、それ多すぎてちょっと萎えたは萎えた。
あいみょん最高。
キムタクキムタクすぎ。
ストーリー 85点
配役 88点
音楽・映像 91点
全体 87点
話しはシンプル
アニメが苦手で、ジブリ作品を1本も見た事がありません。
しかし、予告なし、賛否両論分かれる、説教じみたタイトル、に惹かれて観に行きました。
内容は複雑な場面転換のように見えて、そこはアニメの世界、自由な発想であり得ない異次元を行ったり来たりしますが、芯となるストーリーはシンプルだと感じました。
教えとか教訓とかそんな大仰なことではなく、シンプルに胸に刺ささりました。
親が子を思う気持ち、人を大切に思う気持ちと、最後はホンワカした気持ちになりました。
ジブリを1本も観た事がない、が自慢だったのですが、唯一観てしまいました(笑)
これから他の作品を観ることはないですが、これは良かったと宣伝します。
あっちとこっち
あっちは死んじゃった人がいく世界
こっちは生きてる人がいる世界
そんなどっちの世界にもある悪意
誰しもが持っている自分の中にある悪意
嫉妬や憎しみそして戦争。
そんな悪意が紡いだ
あっちとこっちの世界
火事にあったお母さん
出産のため病気になったお母さんの妹さん
そして大きな傷を負った主人公
あっちとこっちは隣り合わせ
悪意のない世界を目指して知る
家族や友達そして
生きることの大切さ
さぁ
僕たちはどう生きるか
微笑みがえし
ベースは千と千尋+ハウルです。
ところどころに今までの作品の要素が入ってるあたり
キャンディーズの微笑みがえしのような作品です。
また、これでもかこれでもかと宮崎駿が押し寄せます。
「このモブどもが!俺こそが宮崎駿だぜ!」と言わんばかりの
何も考えずに飯だけ食べるインコのような有象無象の集まり。
「こんなことも言葉にしねーとわかんねーのかよ」と叱咤激励する
おっさん、今回はアオサギでしたが若人を導く先輩。
「やっぱ女性は少女とツンデレとばばあにかぎるな!」と監督が好きなタイプの女性。
未来少年コナンからの世代なので、あーこれこれ、これこそがジブリよと思いました。
おじいさんが監督からのメッセージなのでしょうがよくわかりませんでした。
何回も観たり考察出てくれば理解できそうです。
でも、オムニバス的だったので引退作品として
今まで作品観てくれてありがとうと感謝を送ってくれたのかもとは感じました。
そんな聖人君主みたいな監督は誰も望んでおらず他の方がレビューしてるように
「俺は好きに生きた、君たちも好きに生きろ、てか知らんがな」と
投げっぱなしジャーマンするような監督であってほしいです。
ということで、さっさと引退撤回して次作期待してます。
AIが作ったかのような違和感
まず結論から、
最低最悪の駄作だと感じたけどなぜか人に勧めたくなる作品。
映像は良い。
特に開始してから数分は流石ジブリ映画だと思うような、千と千尋の神隠しを初めてみた時のような、そんな不思議な感覚が蘇る。
でもそれだけ。
後は本当に時間の無駄。
終始意味不明でストーリーは進み、「そろそろ盛り上がってきてこの世界の真実が少しでも明らかになるのか?」「父親が母親の妹と再婚するといった気持ちの悪い状況にはどんな理由や想いがあるのか?」と思ったら映画終了。
いつもは最後まで映画を楽しむが、エンドロールが流れた瞬間エレベーターが混む事を考え早々に離席。
1視聴者として採点するなら100点中15点くらいか?
10点は映像や音楽。
5点は異世界の不気味さや多少のワクワク感。
色々考察されているから、そういった考察を理解すれば評価は変わるのかと考え、少しネット上で考察などを確認。
結局しっくりくる考察は無く、ほとんどが無理矢理過ぎるし、だから何?って考察ばかり。
難解と言われているが違う。そもそもあの内容に解なんて無いんだと思う。
まさにAIにジブリっぽい映画を作ってくれと頼んで作られた映画のよう。
不気味の谷の様な、気持ちの悪い違和感を覚える映画でした。
でもAIが作ったのだとしたら、かなり良い出来栄えだと思う。
自分は映画ミストのような胸糞系の映画も嫌いでは無いが、この映画はまた種類の違った胸糞系。
ここまで不快というか理解不能な新しい感覚を得る事が出来たという意味では記憶に残る特別な作品なのかもしれない。
もちろんそういった感覚だけを残し、映画の内容は映画館を出てから徐々に記憶から消えていった。
宮崎駿の天邪鬼加減。
途中で登場する白いふわふわした生物の存在は個人的にまっくろくろすけやコダマに続くゆるふわキャラのつもりだったのでしょうが、僕は毎回この媚びてくるストーリーに大して重要性の無いキャラクターが苦手でそこはマイナス評価です。
それ以外、ジブリスタジオを解散して物理的に作品を作れなくして筆を折ったはずの宮崎駿の久々の復活。
映画としてはウェルメイドに仕上がっており、解散したスタッフも何人かは戻ってこられた?のかいつものジブリクオリティになっていたのは流石としかいえないと思います。
劇伴も円熟味を増す久石譲が新しい風を吹き込もうと良い音楽で呼応してくれています。
久々にジブリ作品を観たなと言う感想。
ストーリー自体は他で言われている様にスケールが小さく思えます。が、少年がトラウマを克服して新しい人生に踏み込むという主人公目線で見れば激動の一日であったのであろう事も想像できるかと思います。
この映画を観ながら、ふと思い出したのがテリー・ギリアムのバンデットQ。
11歳の少年が不思議な世界に紛れ込み…と言う流れが似ていて、描き方のタッチの差はあれど僕は2つの作品に似た何かを感じました。
どちらもその世界の創造主が出てきます。
バンデットQは最後のオチが強烈ですが。
今作、での僕なりの評価ポイントがラストの扉の選択での母親との別れ。
実にあっさり描かれていて、それだけに母親の愛情の深さを感じる事が出来、続く過ごした屋敷との別れのシーンも余韻が心地良い。
ストーリーテラーとしての宮崎駿なりの天邪鬼加減も堪能しつつ、今の日本のアニメ産業の技を集結し、これだけの作品を作り上げたと言う事実は素晴らしいと思います。
PS.この映画を一緒に鑑賞する約束をしていた女性とバレンタインデー1週間後に別れてしまい、僕はどう生きるのか今だに模索中です。
エンドクレジットの「助監督 片山一良」の文字を見て・・・
【以下、制作体制に関する公式の発表がされていない状態での憶測であることを自覚しつつ、あえて断言する】
エンドクレジットの「助監督 片山一良」の文字を見て、映画監督・宮崎駿が死んだことを確信し涙することのみが、真に宮崎駿を愛した者のとるべき唯一の振舞いである。
「君たちはどう生きるか」と題された2時間余分のアニメ映画を監督したのは、宮崎駿ではない。
実質的な監督は、助監督とクレジットされた片山一良さんである。
このアニメ映画には、宮崎駿が手をかけた痕跡が殆どない。
宮崎さんは、レイアウトをチェックしていない。
芝居の内容もチェックしていない。
色彩の設計も投げている。
撮影処理やカットのタイミングの指示も出していない。
アニメの演出家の第一の仕事である、作打ち、色打ち、撮打ち、恐らくは美打ちも、自ら行っていないということである。
部分的には絵コンテすらも人に任せている可能性がある。
宮崎さんが確実に手を下した領域は、大方の絵コンテとイメージボード、絵作りが終了した後のポストプロダクション(アフレコ、音楽、音響)である。
宮崎駿の過去作の制作体制はもちろん、一般的なアニメ制作と比較しても、このような関わり方をした人間を演出=監督とクレジットすることは、一種の詐称である。
このような体制になった経緯、及び現在の宮崎駿の状態については、いくつかの可能性が予測される。
1度目の鑑賞中、宮崎駿は制作の序盤で死んでしまったのではないか、という疑念が脳裏に浮かんだ。
2度目を観終えた今もその可能性を捨てきれず、5%ほどを占めて残っている。
宮崎駿は冒頭20分の絵コンテを切り、全体のイメージボードを描いたところで死んでしまった。
プロデューサー鈴木敏夫は未完成のその作品を、旧交のある片山一良、及び宮崎吾郎、米林宏昌らの共同演出によって制作し、宮崎駿の死を秘匿することを決意する。
未完の映画を託された演出家たちは、宮崎駿になりきろうと宮崎の監督した過去作、更にはアニメーター時代の宮崎が担当したパートを律儀に勉強し直し、宮崎駿が思い描いたであろう映像を考えて絵コンテを描き、演出する。
しかし、残されたイメージボードの断片を繋げてはみるが、シーンとシーンの間に説話的持続が生まれない。
「長靴をはいた猫」や「どうぶつ宝島」の宮崎パートを引用しても、真似事の虚しさが漂うばかりだ。
凡才の物真似が帰結するのは、宮崎駿の抜け殻のような映像でしかなかった。
しかし公開前後に宮崎駿の直近のコメントがサイン入りで公表されているのをみると、どうやら宮崎さんは死んではいないらしい。
次点で思いつくのは、製作途中で宮崎さんは大病を患い、絵コンテを描くことすら不可能な状態に陥った可能性である。これが15%ほどを占める。
小説「君たちはどう生きるか」の著者・吉野源三郎の孫にあたるライターが、自身の招待された関係者試写に宮崎駿が欠席していたことを記事に記していることも、宮崎さんが病床に伏せている可能性を想起させる。
或いは、病気ではないが体力面の問題で、以前のように作画の修正を乗せることが不可能であることを自覚したために、自ら描いた絵コンテを後身の演出に丸投げするスタイルに振り切った可能性もある。
レイアウトを見ると自分で手を入れたくなってしまうので、作画を本田雄に一任するに止まらず、それをチェックする演出家を別に立ててしまったわけだ。
鈴木敏夫は、宮崎さんが既に次回作を構想していると公表しており、それを敷衍した岡田斗司夫は、このスタイルを次回以降も採用することで、ジブリは今後量産体制に入るとの予測を立てている。この可能性が最も現実的で60%ほど。
逆に、後進に演出を任せた今作の出来に怒り狂った宮崎さんが、やはり自身で全てをコントロールするしかないと、従来のスタイルに戻して次回作を手掛けようとしている可能性、これが案外しっくり来て、一縷の望みも相俟って、一番イメージしやすい想定である。
これが残り20%。
というわけで、上記の予測で行くと、80%の確率で映画監督としての宮崎駿の寿命は尽きているわけである。
本作を褒めている人はもちろん、貶している人すらも、本作を宮崎駿が監督していると想定している時点で大いに間違っている。
宮崎さんを真に愛した者であれば、「君たちはどう生きるか」の中に映画監督・宮崎駿の死を直感し、追悼の念を込めて涙しなければならない。
夢
千と千尋の神隠しのクライマックスとその感動を今でも覚えている。
その川の名はコハク川・・・
コハクがわたしを浅瀬に運んでくれたのね・・・
もし千と千尋~を見ていない人にそのクライマックス部分だけを見せてもなんのことか解らないだろう。
千尋とハクがスカイダイビング状態でかわす会話に感動できたのはそこに至るまでのストーリーを見てきたからだ。
あたりまえである。
君たちはどう生きるかを見た印象は「知らないアニメ映画の感動的なシーン集」だった。
観客には何がおこっているのかわからないのに眞人とヒミは突如としてクライマックスをやっている。
いきなり感動的なシーンを見せられると案外いらいらするものだ──ということがこれを見てわかった。なんならすこしむかつく。
このむかつきは映画ぜんたいがセルフパロディに見えることにも起因している。
どのキャラクターにも既視感がある。男勝りの鉄火女キリコはエボシやりんやクシャナの路線である。眞人はアシタカでヒミはソフィーである。ワンパターンとは言わないがいずれも宮崎駿が今まで扱ってきたヒーロー像・ヒロイン像を踏襲している。それが悪いと言いたいのではなくセルフパロディに見えるという話である。なぜセルフパロディに見えるのかというとストーリーが見えないからだ。
したがってもっと言えば「宮崎駿の熱烈なファンがつくった超精巧な宮崎アニメあるあるシチュエーション集クライマックス編」。
眞人は『ひみは生きてなくちゃだめだ』と言うんだがその劇的な台詞に観客は追いついていない。追いついていないのに眞人とヒミは千尋とハクのスカイダイビング状態時のような会話を繰り広げている。
わらわらが空へ登っていくときペリカンの群れに襲撃され「みんな食われちまう」とキリコが叫ぶんだが、こちらとしてはまだその白いのにシンパシーをもつには至っておらず、タイミング悪すぎんだろ。もっと上手に昇天しろや。と感じても罪はない。
ものすごく巧いあるあるを見るのと同様に眞人は過去の宮崎駿のキャラクターを想起させるセリフまわしやしぐさを数え切れないほどやる。ただしそれらはみんなハイライトシーンでの劇的な台詞まわしやしぐさなのだ。が、観客の気分はハイライトではない──わけである。
ただしストーリーがまったくわからないわけではない。
あまりにも大きな悲しみを負ったとき人は防御本能がはたらいて観念へ入り込む。そこからは不思議の国のアリス構造になっていてうさぎの案内人をここではアオサギがやる。壮大な夢おちといってもいい。ようするに眞人が母の死を克服する──だいたいそんな感じの話であろうことはつかめる。
が、チュートリアルしないでゲームをしている感じ。それもわりと難しいゲームでじぶんが何してんのかわかんなかったりする。
にもかかわらずヒミは「石がおこってる」とか「ドアの取っ手を離したらだめ」とかいろいろとその世界の特長的構造のことを言うし、なんならドアに近づきすぎて倒れるが、つうかヒミさんて言ったっけね、夏子さんの関係者なんだっけ。いや、おれらなんでふたりでがんばっているんだっけ。・・・。
──という感じでこっちは相関性も話も生煮えなのに、ぐいぐいと「あるあるシチュエーション集クライマックス編」を食わされる。
難解なのではなくもともと漠然としたものを漠然としていることを知った上で出している。なぜそうするのかというと、そうしたかったからでもあるし、漠然としたものを投げてみることができる作家だから──でもある。みんなだって、なんなのか解んないのに、ただ宮崎駿がつくったというだけで、これを買ったんだ。
そうはいっても絵やアニメはいい。
個人的には冒頭がよかった。火事だといって跳ね起きてだだだだと階段をかけおりて、その躍動がすごかった。もののけ姫のドキュメンタリーで宮崎駿がポーズを考えているところを見たことがある。アシタカがすべり落ちるところで腕を十字にするところがあったでしょ。草木が生い茂っているところをあるていどスピードでずざざざと落ちていくから腕を十字にして頭を防御するんだ。それを宮崎駿が自分でやってみてこんな感じだろとか言っているんだ。そういうアニメキャラへの魂入れはやっぱすげえなって思った。君たちはどう生きるかの冒頭見てあのじぶんでポーズしてみている宮崎駿を思い出した。
特長は蝟集と鳥。うじゃうじゃ恐怖症と鳥恐怖症にはつらいだろう。アオサギは醜悪を隠さないし狙ったようなグロテスク描写もあった。まったく子供向けではないと思う。が絵やアニメはよかった。
黒澤明が夢をつくったときに似ている。黒澤明が夢をつくったとき多くの映画ファンが「おれたちは用心棒とか椿三十郎みたいなのを望んでいるんだ」と言って受け容れなかった。しかし用心棒とか椿三十郎みたいなのが見たいって、そんなん当たり前でしょ。黒澤明は枯淡へ入って軸足のちがう映画をつくったんだよ。夢自体は悪い映画じゃなかった。八月の狂詩曲もまあだだよも悪くなかった。
これも単体でみたらすごい技術が集約されている。たしかに「おれたちはもののけ姫やナウシカや千と千尋の神隠しみたいなのを望んでいるんだ」と言いたいかもしれないが宮崎駿も枯淡へ入ってざっくりした夢を披露した──ってことなんじゃなかろうか。
この映画をどうみるべきか
一切の宣伝もせず情報封鎖されていたのは、とても良かったと思う。
果たしてどんな映画なのか。導入で、リアリズムのある空襲の激しいシーンから始まり、果たしてこの映画は、高畑勲監督の火垂るの墓よろしく、戦時中のリアリズムのあるリアルなドラマへ展開するのか、宮崎駿監督ならではのファンタジーへと突入するのか。
ファンタジーかと思いきや、「はい、夢でした」と目覚める主人公。でも、現実であったというサインをチラチラ。映画「コンタクト」にあったような幻覚とも言い切れないような顛末にするのだろうか。そんな微妙なラインを歩いて行くかのような展開だからこそ、どこぞの解説者のコメントを聞かずに鑑賞出来たのはとても良かったと思う。
ファンタジーといっても色々あるのですが、作中に同じタイトル「君たちはどう生きるべきか」という本を読むシーンがあっただけに、子供の頃に読んだ本に出てきたような、なんだか懐かしさを感じるファンタジーでした。
実の母親と死に別れ、新しい継母と出会い、妊婦のお腹を通して新しい兄弟と出会い、新しい生活空間、新しい学校で新しい級友からイジメにあい、それでも頑なに表情を崩さない主人公。
いやいや、その心中は千々に乱れているはず。その鬱屈が爆発したのが自ら作った眉間の傷。そんな主人公の思いを解きほぐしたのが母の残した本から広がるファンタジーの世界。そんな理解で良いのでしょうか。現実か夢の世界かは判らないけど、ラストで大人びた主人公へと繋がる冒険譚であったのかと解釈します。
それにしても、木村拓哉さんのお声がハウルに比べて重みを増しましたね。好演でした。米津玄師さんのエンディングテーマも素晴らしかった。いつもながら、宮崎駿監督の歌選びも楽しみの一つです。
まさかの〇〇系
よくわからなかったなどの感想が多かった印象ですが、たまたま吉野源三郎著の『君たちはどう生きるか』を、読んだことがあったのでこの映画作品との妙なつながりにハッとさせられました。
小さな子供と見に行くのは少し難ありです。序盤はほぼほぼ怖い表現しかないです。
※ここからネタバレです
まさかのタイムリープ・異次元系でとても楽しかったです。
私は、眞人のお母さんであるヒミの言った(後に焼け死ぬ運命になっても)「素晴らしいじゃないか。眞人を産めるなんて。」が聞けて本当に感動でした。
ヒミが眞人に『君たちはどう生きるか』を渡してなければ、眞人はこんな逞しい決断はしなかっただろうと思わせられました。当たり前ですが無駄なシーンは一切なく、初めから終わりまで物語に引き込まれました。
私も誰かから何かをしてもらったり、何かをしたりお互いが少し関わるだけで後の結果は、良くも悪くも大きく変わっているかもしれないと感じました。もちろんこの映画を見たことで、明日の私は、小さなことでも今までの自分とは違う選択をするかもしれないと思いました。
珍しく説教系じゃなくてジブリでは一番楽しめました。
オジイチャン、ご飯はもう食べましたよ
本当に大切なものを守ったり、手に入れることもない。だから、それを阻む巨悪や巨大な壁も存在しない。
それは、何より、主人公の設定で表現されている。
一時代を築いた巨匠の最期を観に行くべき
良かったー
ジブリっぽい感じはしなかった。
低評価つけてる人はジブリに期待すぎだと思った。
内容が全く公開されていないのであらすじを書いてみます。興味のある人どうぞ
僕牧眞人 戦争3年目で母を亡くし4年目で父のふるさとに疎開してきた。
新しいお母さんも出来た。ある日妊娠中の継母が忽然と姿を消してしまう。
人の言葉を話す不気味なアオサギに導かれ塔の中へと誘われ継母を探す旅は始まった。
そこは時空のねじれがあったり不思議な生き物達がいたり現実世界とは少し違う世界。
そんな世界で継母を探す眞人。
果たして眞人は継母を連れて帰ることができるのでしょうか。
ジブリっぽい感じはしないけど私は好きでした!
なぜか星評価つけられなかったのですが星4.5で!
星評価治ったため修正します。
親子で楽しみました
ここのレビューでも様々な御意見、感想がありますが自分は小さい頃から一緒に映画を観に行っている息子(もう19歳ですが)と初日に鑑賞してきました。
観終わった後の帰りの車の中のお互いの感想は観れて良かったね!でした。
どういう映画だったか他の人に説明するのは難しいけど今までの作品のオマージュが感じられるシーン等をお互いにこうだったよね!あのシーンはあの作品からかな?とか何を伝えたかったのか?タイトルの意味は?等話し合いながら盛り上がれました。
どんな作品も受け取り方、感じ方は人それぞれで良いと思います。
自分と息子にとっては観れて良かったね。また観て色々確認したいね!と言う内容の映画だと感じました。
ややネタバレ。なるべく本筋には触れず
概ねここで多くレビューされている方々と同じ様にあまり理解出来ませんでした。 しかし作画はこれまで見てきたジブリ映画そのものでした。
この令和の時代に、これまでの作品と同じ様に一コマづつ手間暇かけて作画したのかと思うだけでも目頭が熱くなりました。
見てる途中で深く考察して見るべきなのか、頭を空っぽにして見るべきなのか、思えば映画を深く考えながら見る様になったのはいつからだろうかと様々な思いが巡りました。
幼少期に見たトトロ、ラピュタ、もののけ姫、千と千尋の神隠しなど、コアなジブリファンとは言えませんが当時は何も考えずともただその世界観や作画、キャラクターに夢中になって何度も何度も同じ作品を見たものでした。
当時と同じ見かたが出来ていればまた違った楽しみ方が出来たのかなと思うと少し寂しい気もします。
内容的には火垂るの墓や風立ちぬの様な戦時中の日本を舞台にしたのかなと思いきや、トトロや千と千尋の様なファンタジー世界に迷い込む王道のジブリワールドの要素もたっぷり詰め込まれていました。
なんとなくですがこれまでのジブリ作品のオマージュも随所に散り込まれていると思います。(千と千尋、ハウル、アリエッティが強め?)
ただ内容が難解だったので自分は作品自体はあまり好きになれませんでしたが、機会があれば作品のタイトルの元になっている著書を読み、ある程度考察が出揃った所で再視聴してみたいと思います。
何はともあれ宮崎駿さんお疲れ様でした!
全763件中、281~300件目を表示







