君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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みんなの祖父の想いのアトリエ
小学生の頃、渋谷パンテオンに同級生たちと
「魔女の宅急便」を観に行った日のことを覚えている。
シネコンの無い時代、立ち見の出る満員の劇場で
壁にもたれるように背伸びをしながら。
キキの一挙手一投足を沢山の人たちが見つめる様子が印象的だった。
深く濃い緑が描写する日本の風景。
眞人がまぶたを開く様子、走る姿、眠る姿。
ひとつ一つに見覚えがあって、懐かしい生命感が宿っている。
そこにアシタカやナウシカ、キキやメイが息づいているのを感じた。
前半は「失う予感」に満ち、今までに無い
ホラー映画的な緊張感と死の臭いがする。
後半からは、日本ながらの風景に加え、
色鮮やかな「動く西洋絵画」の世界が広がる。
走馬灯のような物語りに
人ひとりが生きてきた時代、思い描いた理想、
現実を生きる上で助けとなる想像の世界、
そして、後悔とバトンが映し出される。
小津監督のようでもあり、黒澤監督のようでもあり、
そのどれとも異なる宮崎監督の私小説を観る映画。
美しくザラザラとしていて、禍々しく儚い。
夏休み。
たくさんの絵が並び、画材と古い木材の臭いがする
祖父のアトリエを訪れたような映画だった。
背景知識があれば(ネタバレ含む)
オカルト好きで背景にオカルト的な知識がある私は、割とすんなり理解できる世界観でした。
少なくとも、この映画には監督の死生観を垣間見たような気がします。
主人公が、奇異な世界に入り込んだ時に最初に見た風景を見た時に、私は「天橋立」の風景にそっくりだなと感じました。
天橋立は言わずと知れた日本三景の一つですが、丹後風土記によるとイザナギノミコトが天界と下界を結ぶために、梯子を作って立てておいたが、寝ている間に海上に倒れ、そのまま一本の細長い陸地になったのが天橋立だと記されています。
つまり、あのシーンは死後の世界を意味する常世(永久に変わらない世界)と現世(生者の世界)を結ぶ世界観を反映する象徴的なシーンであったと感じます。
その他、日本神話を背景としたオブジェやモチーフ、ノアの方舟を感じるオブジェや世界中の神話や死生観に関する集合的無意識的な世界観であったと感じます。
また、登場人物のセリフからも「この世界には死人も多くいる」との発言があることから、この世界観が天橋立的な世界観であると解釈するのが自然です。
その上で、この世界観には過去・現在・未来が並列に存在します。
このような考えの世界観は、量子力学的な考えでは受け入れられている考え方ですし、オカルト的にもそのような世界は多く見られます。
監督の年齢を考慮すると、死生観が反映されていても何ら不思議ではありません。
ただ、映画というエンターテイメントの中で監督の死生観だけを観せられても、背景知識がなければ抽象的な世界観の中で途方に暮れてしまうのではないでしょうか?
そういった意味、観る人をある意味で選ぶ際どい作品に感じました。
オカルト好きの個人的には、世界観は好きでしたが。
惜しいなという印象が残ってしまいます。
私、個人としてタイトルからは
過去(後悔、自信)、現在、未来(不安、希望) あなたたちはどう生きる?
というようなメッセージを受けました。
ありがとう。
観終わった直後は、既視感が凄かったです。隣の観客はイビキかいて寝落ち。娯楽作品としてはイマイチな部類と思う。
ただ、個人的には好きです。
表のストーリーについては、何となく分かります。マヒトはお母さんが死んだ後、非常に危うい状態だった。絶望に飲み込まれかけていた。更にマヒトの生きた時代は戦争があり困難多く、そういう岐路に立たされた時、それを自覚して、精神世界にこもるんじゃなくて、人とつながり、人の思いを感じ、役割を果たすためにどう生きるかがとても大切なんだよというメッセージ。
もう一つは、若いアニメーターへ向けたメッセージのようにも思いました。
以前、Cutか何かで宮崎さんのインタビュー記事を読んだのですが。若いアニメーターに炎を描く仕事を任せたんだけど、どうしても炎が描けない。画力は素晴らしく、絵は僕よりずっと上手なんですけど、と。よくよく話を聞いたら、焚き火をしたことも無いし、キャンプの経験もほとんど無いと言う。で、焚き火をして燃える様子を体感させましたと。体が経験してないと、絵が上手いだけじゃ表現できないんです、物語のどういうシーンの炎なのか?キャラクターがどんな心情でいるのか?それによっても描き方が変わるので、と。
それって、表現する仕事に携わる人間は、妄想とか想像だけじゃなくて、現実世界で五感を通じて体験したり、人の心をちゃんと感じ取れる感性や、見極められる曇りなき眼が必要ということ。産屋で苦しみながら、丸裸の正直な自分と向き合って、悪意や負の感情で揉みくちゃになって作品を生み出す、大変な仕事。それを志す若者たちに、自分はこうやって、こんな作品を作ってきたけど、君たちは?この困難の世界で君たちは何を作る?と。
火といえば、作品序盤の、火事に飛び起きてお母さんを助けに行くシーンが素晴らしかったです。凄かったなぁ…。あれくらい強烈に描かないと後々の「どう生きるか?」というのが説得力無いですもんね。
あと、音や質感の表現が今までの作品より強調されていると感じました。音をずいぶん丁寧につけてるな、という印象で、ちょっとうるさく感じるくらい。生きてる実感、みたいなことか。気のせいだろうか。久々に映画館だったから、音響が良くてそんな風に感じただけ??
あと、私はアラフィフなのですが、若い頃のキリコさんの姿を見て、若さというか、たくましさ、エネルギーに溢れている時代というのは、本当にあっという間に過ぎ去るのだ…と強く思いました。人生は短い。老いた婆々たちの姿が自分と重なりました。
若いキリコさん、抜群にカッコよかったです。海で、風や波をつかまえて、力強く船を操る彼女の描写は素晴らしい。惚れ惚れしました。漁師とか、海の民を渋くじっくり描いた作品を見てみたかったです。
未来少年コナンを幼少期からテレビで見て育ち、ナウシカを映画館で見て、それからずっと宮崎駿作品とともに(というのはおこがましいが)生きてきました。私もすっかりおばさんになりました。宮崎駿さんが本当に引退される時が近づいていると感じました。いつも夏休みが待ち遠しかった。夏にジブリの新作を毎年見るのが、もはや当たり前という子ども時代だった。本当にジブリが大好きでした。面白い漫画やアニメはたくさんありますが、宮崎駿さんは私にとって特別です。ありがとう、ジブリ。ありがとう宮崎駿。
パンフレットが出たらぜひ購入したいと思います。
追記:もう何回見たか分からない全盛期の名作を見たくなってしまい、ナウシカ、ラピュタ…と一つずつ噛み締めながら鑑賞中。涙が止まりません。どうしよう。13作品コンプリートしちゃうかも。仕事あるのに…
寝落ちした
7/15午後に視聴。大きな劇場が満席でしたが、途中席を立つ人がちらほら。ぼくは2回ほど寝落ちしました。
戦時中から戦後にかけての話で、空襲で母を亡くした主人公が、母代わりの叔母を探すうちに不思議な世界に迷い込み…
という展開。
宮崎駿さんぽい魔物がうようよ出現する世界観は好きですが、ストーリーがわけがわからない。主人公以外の脇役の登場理由や動機が説明不足で、唐突に新しい脇役が出てきて主人公と絡んで、また次の脇役との絡みへ。この繰り返しと、なぜ主人公を邪魔するのか理由が不明な魔物との戦いが繰り広げられる。物語になっていないです。
ストーリーが破綻した綺麗な映像を120分近く見続けたら、寝落ちもするし、途中退席もする。
宮崎駿さんじゃなければ、ぼくも退席していた。
間違っても小さな子ども連れでは行かない方がよい。山場もないし、退屈してぐずると思います。
期待していただけに残念。
星1つは、声優陣やスタッフさんへのねぎらいの意味。
僕たちは何を見せられたのだろう?
Twitter大喜利以外の事前情報無しに観ました。
素直に考えると、宮﨑駿さんの内なる情景、もしくは自伝的ストーリーと捉えるのが筋なんだろう。そういう意味ではこれまでのナウシカから風立ちぬまでもそうであったはず。
〜〜〜以下ストーリーの感想やら印象やら疑問〜〜〜
今時の流行りや商業ベース狙うなら、主人公は女の子かと思ったら、ストレートに男の子、それも美少年を強調してたのはどう言った意味があるのだろう?
城の大伯父さまと実母、夏子ママと、主人公の真人の血のつながりもかなり強調されていたのは、どういう伏線、もしくはテーマなんだろう?
主人公の真人の出自が地方の地主か名士の裕福な家系であるところから、パラレルワンダーランドに迷い込むところ、全てが終わって最後に東京という現実に戻るところまでが予定調和的だった。
インコの帝国は何かのパロディ(奪い奪われ合う現実の人間社会の?)かもだが、インコの王様は最後何がしたかった?
〜〜〜
何年か何十年後かにまた、この映画の内容と宮﨑さんが伝えたかった事について考えることになるかもしれないが、それまでゆっくり温めてておこう。
じゃあ自身はどう生きるの?と思ったら
まさにやりたい放題
やりたい放題やって行きやがったな、と思った
すばらしかった
彼自身の人生と作品の総まとめのようでありながらまったく読めない展開に食らいつくように情報がない分見入った
イマジネーションの世界を解放しなさいと言われているようだった
イマジネーションは無限だなと思う
夢の世界を大事にしなさいと言われているようにも思う
人間というのは斯くも意味不明であり可能性の詰め込まれた一人一人が存在であることを思い起こされた
マッドだった
彼はやはりも変人であった
群を抜いた変態だ
それが単なる酔狂でもなく圧倒的な説得力を以って迫ってくる
ただ、やりたい放題やってるのにエゴやわがままや傲慢さは感じない
あくまで普遍性の中でやっている
当然でしょ当たり前でしょ?のような顔をして。
ここまでの国家を作り抜いた人生生き抜いた人生はやはり素晴らしいとしか讃えようがない
人間愛なのだ
人間すげえぜやっぱり、と思わせてもらえた
いいエイガだった
事前に情報を一切出していなかったのもよかった
考えずにそのまま見て感じろ、という意図に感じた
考察したり深読みしたり伏線回収がどうとかという作品が近年多いと自分は感じていたから、こんななんの先入観もなくしかも巨匠の作品をいきなり見られることは贅沢だと思ったし、ただ「見て感じる」ことを久しぶりに体験できた気がする、子どもの頃見た作品は意味が分からなくてもずっと憶えているようなあの感じ
人間には感覚があるということ、それを大事にというメッセージにも思えるしもう一度思い出したい、思い出したくなったときにはまた見たい
と思った
思ってたものではなく難しかったが何回も見て少しずつ理解していこうと思った作品‼︎
•前情報は米津玄師が主題歌を歌うことのみで行った。横アリで一回聞いていて、今回も聞いてめっちゃ良かった。映画終わりは主題歌を聞きながら余韻に浸るのが好きなのだが、今回はまだ配信されてない、、
•まず、アオサギがおっさんの時点でチラシではかっこいいイメージを持っていたから驚いた!
•くちばしの穴を塞ぐシーンはめっちゃ好き!
•絵もめっちゃ好きだった。走ったり階段を上がったり火の中を走るシーンが特に好き。
•わらわらはかわいすぎ!あれが上にいって人間になる設定も好き。
•久子がわらわらをペリカンから助けるために花火?でわらわらを焼きながらもペリカンを追い払うシーン、一部を助けるために犠牲にする仕方ない、、
•羽が折れたペリカンのシーン悪い奴が1人もいないのがわかって変な感情になった。
•人形触るなと言われたのに普通に触ってたけど結局触って何が起きたのか分からなかった、、
•あと夏子が帰りたくない理由もわからなかった、、
•若き日のキリコはかっこよすぎ、あの人があのおばあちゃんになるのイメージわかない笑
•インコが人間を食べる設定もすごく好き。インコ殴ったあの骨なんの骨?鎖壊せるとか強すぎ笑
•インコの王様が自分で積み木を雑に積んだのに最後で急にビビるのは(え?)となった。
•最後ヒミと別れるシーンとアオサギが去るシーンで「友達」というのがとても印象に残ったシーンだった。
•飯テロは他の作品に比べると微妙だった。真人が鼻までジャムを付けるのは美味しそうだった!
これから何回も見て少しずつ理解していこうと思った!
どうしちまったんだいパヤオ?
予告も何もないので、何もわからないままワクワクして視聴しました。
道中はなんとなくどういう結末にもっていくんだろうと考えながら見てましたが、2時間しかないのに全く内容が煮詰まらず、これ大丈夫?もう終わり近づいてない?って不安になりながら見てたら、急に全てを投げ出したかのように終わって、2年後とかいってエンディングロール流れて、頭が?でいっぱいでした。
この映画は内容が薄っぺらい上に全部丸投げして視聴者に自分で考えろみたいなエヴァの悪いとこだけを取ってつけたかのような最悪な映画でした。
エヴァはごちゃごちゃすぎて収集つかないけど、何となく綺麗に終わったから余韻が凄く映画として楽しめた。
普通理解しきれなかったらもう一度見たいとなるはずが、全く見たいと思わなかった。
完全に無からスタートだからこそ見れたものの、もう一度見たいかと言われたら、あまりの内容のなさにつまらなすぎて見れないと思う。
そう考えると星1以下かもしれない。
今の僕の理解力のなさ、感性がおかしいのかもしれないという希望をかけての星2です。
作品としてのみ語るならば
ジブリ作品は好きですが、背景事情で物語を語るほどは知らないので。
戦争を描くかと思えば火事で拍子抜けしましたが「母の死」への後悔と死への誘惑を断ち切って、新しい家族を受けていれて生きるかどうか、という物語として見ました。
(母そっくりの後妻は意味不明。似せなくても成り立つのになぜ?父親の選択へのキモさが勝り、不快感がノイズ。)
慣れない場所を家とすることへの抵抗から、不思議な鳥と曰くつきの塔に魅せられる。新しい人間関係からの逃避の自傷が痛々しい。
「死」に近いところへ誘われる子どもを引き戻す愛ある叱咤としての矢。祝福されるか不安な子を産むことへの不安から体調を崩し閉じこもった後妻。心配だから現実逃避の遊びに付いてきてくれる世話人の優しさ。あの世からの誘惑に攻撃的に抗うも興味津々で近づき、様子のおかしい母とは呼べない人を救いに行けず、まずは死んだはずの母を探しに行ってしまう子ども。
「塔」へ行ってからは、子どもが人の死を理解するためのプロセスを描いた絵本のような解釈で楽しみました。
(PRの名誉あるメインなのに)ちょっとキモい青鷺に途中からはクスッと笑わせられました。当初は塔へガンガン誘ってきたくせに「行かない方がいい」ってどの口が言っているのか?とツッコミ。
母親まがいのものを作って見せてくるくだりも、VRなんかで死者を再現しようとする技術のことを考えたり。
大叔父の概念が壊さないように守っていた綺麗なはずの「あの世」。確かに幼い頃って誰か絶対的に偉い人が1人いて、全部コントロールしてるものかと思っていた時があったなあと思いつつ。
囚われた鳥たちのことを思えば、解放したれよ…と哀れに思いつつ、食べようとする武器がリアルすぎてまたノイズ。あの役に立たない王様はなんだ。一回あの場所に入れてたんだからまたコソコソ入らなくても。謎。
火で死んだ母親が、実は火を自由自在に扱えていて、もし苦しんでいなかったのなら、そしてあの世でも楽しく暮らせていたならと願う心に共感しました。
どんな遊びや夢でも、必ず現実に戻る時は来るものですが、そこに浸るより、自分で現実に戻ることを選べた方がいいし、新しい形の家族と現実を生きた方がいいと、そういう結びは良かったと思います。
焼け野原ってセリフがあったので、その後の東京大空襲→それでも生きる!を描くと思ったら戦争をモノローグだけで終わらせてスパンっと終わったので、ちょっぴり不完全燃焼。
ただ何回も見るかと聞かれたらうーん…という感じです。私は時間をかけて自分なりに「人の死」を乗り越えてしまっているので、この物語は必要ないみたいです。
お子さんにとって怖いシーンもあるようですが、上記したような「人の死」を見せる目的なら語り継がれる作品になるのかも。
それはまた別のお話…って感じですかね。
久しぶりに展開も何もわからないワクワクを味わえたので0.5追加です。
押井守っぽい
死んだ母ちゃんに対する後悔と新しい母ちゃんとのわだかまりを乗り越えるお話し。
それをファンタジーになんかそれっぽい用語を使う事で凄く難解に見せてる。多分もっと色々込めてる思い(皮肉も含め)もあるんだけど考えるのも面倒臭い。
でもハイクオリティな映像と構成で見ていて楽しいのが素晴らしい。
あと、イメージイラストのカッコいい鳥は出てこない、サギだけに。
情けの星1.5
継母のマタニティハイと精神的不安定さが気持ち悪い。
アオサギ男は生理的に無理。おばあちゃんたちのデザインも気味悪いし、父親の高圧的な態度にも拒否反応。
そんな中、主人公は強靭な精神で問題に立ち向かうのだが、その源になっているものが不明で感情移入できず、おいてけぼり。
ジブリのオーバーリアクションも拍車がかかり引くレベル。そんな血出たら死ぬわ。
タダでさえわけわからんストーリーなのに声優が下手くそで考えることを放棄した。
とりあえず妊婦の部屋に残り2本のタバコの箱を置くな。
予備知識なし
ひさびさのジブリの新作なので、IMAXで鑑賞。マルチバースのような展開は、難解。
ただ徐々に作品世界に惹き込まれていくが、今どきの直球映画に慣れてしまったためか、だいぶ複雜。わかりやすくいえばわかりにくい作品だった。再度鑑賞の機会があれば変わるかもしれないが、初見はそんな感じでした。
もしかしたら私の期待値が高すぎたのかもしれません。
「母の不在」への直面とその超克。
劇場公開時に観た時には、「さてどんな出来栄えだろうか…」という心持ちで劇場に足を運んだこともあって、十分に本作の素晴らしさを享受しきれなかった感じがした。再鑑賞できないままBlu-ray発売となり、やっとの2度目。作画の素晴らしさ、散りばめられたシンボル的な表現、そして何より宮﨑駿が過去作でも繰り返してきた「母の不在」のモチーフを初めて正面から取り扱ったこと。心を打つ要素は多岐にわたる。
主人公の名前が「眞人(まひと)」というところから既に意味深で、真(まこと)の人であるとはどういうことなのか?という含みが感じられる。戦時中、母の死を契機として自分の周りの世界が受け入れ難いものになっていく。「母の不在」→「世界の拒絶」という構図がまず示される。継母になる人を受け入れられず、転校先の学校からの拒絶と、拒否の意思表示としての自傷を経て、継母が塔の奥へ隠れるところまで至ってから、青サギのいざないによっていよいよ“向こう側”へ踏み込んでいく。塔はその“向こう側”へのポータルになっているのだが、この“向こう側”は完全なる「彼岸」というよりは、「中間」(『チベット死者の書』の言葉を借りれば“バルド”となるか)のように私には感じられ、私たちの合意的現実が生まれる一歩手前の領域という感じだ。青サギ・ペリカン・インコといった鳥たちが多数出てくるのは、鳥は古くから地上界と天上界の橋渡しをするものの象徴なので、まさに中間の存在と言って良い。
ちなみに継母が“向こう側”に隠れたのは、眞人の継母になること(合わせて勝一の後妻になること)を心から受け入れられずに現実世界から退避したということ。ただこの行動が入り口となって、結局はこの母子がきちんと親子になるためのイニシエーションが展開されることになったようにも見えるのがポイントだ。その遥か昔に、大伯父も現実世界から退避して塔の奥に引き籠っているが、「悪意のない純粋な世界を作りたい」というのがその動機であるようだ。ピュアでなどあり得ない現実世界を受け入れられない彼は、クライマックスで眞人に自分の仕事を引き継ぐよう迫る。しかし、眞人は拒否し、現実世界に回帰することを選択する。それは、“向こう側”で様々に経験したことが眞人を変え、受け入れ切れなかった現実世界を受け止める準備が整ったからだと言える。眞人も継母も現実世界に戻り、文字通り「家族」となって終幕を迎える。
以上が、物語全体の流れと大枠の構造であるが、「訳が分からない」という反応がかなりあるようだ。それは、過去の宮﨑駿の作品と比して、親切な説明を排し、ユング心理学で「元型」と呼ばれるような次元でのシンボリックな表現の積み重ねで物語ろうとしているからに他ならない。眠っている時に見た夢の意味が分からなくて悶々としたり、その意味を考えないでいられなかったり…そんな夢見のあとのような気分で、この作品鑑賞後にあれやこれやと反芻して思いを巡らせるのが正しいような気がする。
これは恐らく、大衆向けの娯楽作品を狙ったというより、宮﨑駿個人が自らの内に疼くテーマを掘り下げるために撮った、極めてパーソナルな作品だろうと思われる。こんな作品も大いに歓迎したい。キャリアの終盤にこんな作品を作ったっていいだろう。もう十分過ぎるほどにアニメ製作者として、大衆に貢献してきたのだから。
少々分かりにくいかもしれないが、豊かなイマジネーションの海に揺蕩うことを楽しむことさえできれば、素晴らしい鑑賞体験になるはず。変にジャッジしようとせず、作品世界に浸ってみることをおすすめする。
不条理なこの世界でどう生きるか
メッセージを極限まで抑えたポスターと、公開前の無きに等しい広告宣伝。宮崎監督のファン層は余計に興奮を掻き立てられただろうが、そのほかの多くの映画好きは冷静だった。そして公開後のロングランと、賛否両論乱れ飛ぶレビュー、宮崎監督の制作の真意を図ろうとする批評の数々。
本作の評価が大きくわかれる要因のひとつが、メッセージの不明瞭さかもしれない。誰がみても明快なストーリーとは言えない、複数の論点が重層的に入れ込まれている。一回観ただけでは、あのシーンはどういう意味が込められているのか、わからないものもあるし、複数回観てもわからないものもある。宮崎監督に尋ねても明快な答えが得られないものもあるかもしれない。映画も、小説も、音楽も、制作者が世に出した時点から作品自体がひとり歩きしていく。本作も公開後、宮崎駿監督の手を離れて観客の手に委ねられたと捉えれば、どう読み取るかは観客の自由。解釈に正解も誤りもない。
本作の大きなテーマのひとつが、「異界とのつながり」だ。
眞人は側頭部に自ら大きな傷を負うことで、異界への扉が開かれる。
異界の媒介者である、青サギもキリコにも傷がある。先に異界に迷い込んだ、夏子も心と体に傷を負っているよう。傷によって誘われるものとは、たんなる幻覚世界か、それともマルチバースの世界か。
異界の創造主である大叔父は、不条理にまみれた「この世」に嫌気をさし、予定調和の世界を創ろうとしている。しかし、そこはすべての生き物にとっての楽園ではなく、老ペリカンの嘆きのように、閉ざされた環境で他者のいのちの犠牲のもとに成立しており、その犠牲の社会構造は「この世」と何ら変わらない。
異界に理想郷を作ろうとした大叔父。現実世界の理不尽さに嫌悪感を感じつつも、「上の世界」に「母親」の夏子と父のもとに戻り、不条理な現世で生きていくことを決めた眞人。
石などの非・人間の存在も魅力的な役割を担っている。
眞人を「下の世界」に導くのは、傷をつけた大きな石だし、石の塔の主である大叔父が「下の世界」を創ってきた源は穢されていない石だ。夏子は石で覆われた産屋のなかの石でできたベットに横たわっている。夏子を救わんとする眞人とヒミの侵入に、石は負の応答をする。そして「上の世界」に戻った眞人が「下の世界」を覚えていられる訳は、ポケットに入っていた、穢されていない石の存在である。
石や、鳥たち(童話で擬人化されやすい哺乳類たちではない)、そして火などの非・人間が行為主体としていききと描かれている。人間が自然を支配する構造ができあがってくる近代以降、不可視化されてきた非・人間の存在を蘇生させるところは宮崎監督の真骨頂といえる。
製作委員会方式によらず、宮崎監督が本当に作りたいものを、作りたい人だけで作った貴重な作品。
君たちは何がやりたいのか
同名小説が劇中に影響を与えるような形に宮崎監督が変えて作った作品。
うーん正直全くついていけなかった。
最初から、何を言っているのか分からない。伏線となるような事を振りまくって、回収しきらないからモヤモヤする。
内容としても場面も急に変わる事が多々あるから、今誰が何をしているのかさっぱりわからない。
ただ、バケモノのデザインは流石というレベル。子供が見たらトラウマになるレベル。
自分達がこんな難しい映画作れるんだぞ!っていう自慢を永遠に見せられている感じがした。
観客に分からせようとする気が感じられなかった。
本当のジブリファンは、宮崎監督が再び作品を作ったというだけで感涙かもしれませんが、話題だから見に行こうかなと思うレベルなら、見る予定の映画を変える事も検討してもいいと思います。
少なくとも自分の脳みそでは、内容が理解できませんでした。
老人の妄想か、はたまた 僕らの世界が間違っていて、本当の世界の姿はこうなのか
この映画を、事前の先入観一切ナシに鑑賞することができて、こんなに幸せな事はないと思っています。
晩年の談志落語のイリュージョンや、黒沢映画の果て
最盛期を過ぎて、下手になった、晩節を汚したと謳われるようなこれらの作品群を
退化と捉えるか
進化と捉えるか
それによって、作品の評価が180°変わるのですね。
この作品は、正にそんな作品でした。
事前情報も作品のリードラインも一切ないなか
観客は、主人公が自傷するあたりで動揺しますよね。
理解できない、これまで語られたことのなかった物語に対して
自分自身の価値観を、判断を迫られるのです。
それこそが正に「君たちはどう生きるのか」という事でしょう。
このよく出来た、主人公たり得るに相応しい
母を失い、被害者と正義感の同居する
お行儀の良い、しかしひとりになった途端に涙をこぼすような
完全無欠な観客の感情移入のお手本のような少年が
まったく正義なだけでも完全無欠の主人公でもなく、むしろ悪とエゴにも満ちあふれた
ひとりの人間であることに混乱するのですね。
大衆は、桃太郎は鬼も退治しましたがバイクを盗んでガラスも割りましたでは、物語の主人公としては困るのです。
大衆が勝手に求める完全無欠の虚像として、物語の主人公も、政治家も、テレビのタレントも
そうあって貰わなくては困るのですね。困るから、たかが女優が不倫しただけです炎上したりするのですよね。
しかし、桃太郎にだって女優にだってそんな一面があるのです。だって、人間ですから。
この時点で、この物語は、そんな子供向けの単純な作品ではなく
大人向けの、善悪も矛盾も孕んだ、人間を描いた作品であることがわかります。
わからない人は、ここで置いてゆかれます。
こここそが、これまで宮崎駿氏が超えられなかった、アニメーション故の境界線なのですね。
これまでの作品で、例えば、父親像でいえば
優しいだけのダメな父親、社会的に力を持つも人格的に難ある父親、
家族の前に居られない存在感のない父親、
それらがすべて、観客に理解されなかった果ての、今回の父親像こそが
ようやく、人間なのだと感じられました。
社会的に力を持ち、成功者でもある反面、子供からしたら気持ちが理解されることのない
しかし愛すべき愛情に満ちあふれた、このエゴの塊のような父親像こそが、まさに人間であり、
僕の貴方の身近にいそうなリアルな父親、、この境地なのだと思われます。
アニメーションの絵柄に守られた境界線を越えて
ダメで立派なひとりの人間としての
父親像をようやく、宮崎駿氏は描いたのだと思いました。
世界は矛盾に満ちている。
あんたなんか大嫌いということは、大好きという事ですし
友達でも仲間でもないという事は、互いに対等な立場と言うことなのですね。
これらの、一見、矛盾ともとれる感情が入り混じり、境界線なく、裏返り、一体化したものこそが
人間そのものですよね。
立川談志は弟子に「一人前になる修行とは、矛盾に耐える事だ」(=矛盾を受け容れられるようになることだ)と説いたそうですね。
そう、途中までは、宮崎映画に期待する自分の過去の先入観が邪魔をするのですよ
ああ、手描きに似たこの表現は良いなぁ、このキャラクターはまるで※※のようだ、
このシーンはまるで未来少年のようだ、ルパンのようだ、いや、アリエッティだって入っている
ハウルだって、ポニョだって、千尋だって入っている。いやこれは駿流のゲド戦記か? エヴァンゲリオンなのか?? OnYourMarkのセルフカバーか?
高畑勲という師匠を指針を失って初めて、宮崎駿氏の見失った羅針盤は、内面に向かうのか、弟子筋に向かうのか、外側に向かうのか?
それとも、未だに悪魔のようなプロデューサーの庇護下から出られないでいるのか?
遠い昔に読んだ、ナルニア国物語や色々な児童文学も入っているのか。アリエッティもマーニーも入っているのか?
けど、、考えてみればアタリマエなんですが
すべて逆で、これまでのそれらの要素すべてが、宮崎駿だったんですよね。
宮崎駿の感性が、其れ其れの作品に散りばめられていただけ
元はすべて、宮崎駿なのだから
この映画にも、これまでの映画にも
其れらが息づいているのは 当然なのですね。
それを僕らが勝手にジブリ映画の要素だと錯覚していただけなんですね。
繰り返しになりますが、僕はこの映画を、先入観なしに観られて、本当にありがたいと思いました。
君たちはどう生きるか? ということは、君たちは、この映画をどう見たか? ということですよね。
この映画を面白く見られた人は、面白い人生を歩むのでしょう。
私もそのひとりであり得たことを、心より感謝いたします。
ひとは物語は世界は単純な善悪では語りきれず
この矛盾に満ちた、説明できないものが
ひとであり、世界であり、宇宙なのですね。
私の好きな作家で野田秀樹氏がいますが、正にこの時期に上演された
「兎、波を走る」でも、もはや人類に新しい物語はないのかも知れないと語られていましたし
また同じく、私の好きな作家で松尾スズキ氏の言葉で
「宇宙は見えるとこまでしかない」にも代表されますが
人がヒトたり得る感知感応できる世界は、
結局、人が認知できる世界までしかないのですね。
それは庵野秀明氏が「シンヱヴァンゲリヲン」や「シン仮面ライダー」で渇望した
己の中にない、未だ見ぬ外宇宙の元素を渇望するその衝動にも似ています。
方向性が違うだけで、その境地に辿り着いた巨匠達は、その飢(カツ)エに飢えて
爪を掻きむしりながら、やがて辿り着く境地があるのですね。
それもそのはず
宇宙や世界が無限に広くとも、それを構成される
原子や素粒子といった要素は、その宇宙や世界を構成するものでしかなく
人もまた、人がヒトたり得る世界の中のもので構成されているのです。
宮崎駿が、立川談志が、黒澤明が、宮沢賢治が辿り着いた果ては
もはや狭くも無限に広い宇宙のなかで
語り尽くされた物語の数々を構成する
「人間そのもの」なのですね。
もはや多くを語りますまい。
私の敬愛する、宮沢賢治のこの一説をお借りして、この作品のレビューとしたいと思いました。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
以上、宮崎駿氏の心情を、私なりに最上級で表現をしたつもりです。ご査収ください。よろしくお願いします。
じゃあな友達
これを見る前に色々なレビューを見た。
曰く
宮崎駿の自伝的アニメである。
主人公は宮崎駿の幼いころで、おじさんは今の宮崎駿。
アニメ界にバトンを渡す。
主人公は吾郎さんか?
自己陶酔のナルシズム映画
何度も何度も観ないとわからない。
等々・・色んな人が色んな感じ方を書いていた。
僕は、違うと思う、絶対に違うと思う!
そんな自己陶酔の、気持ち悪いアニメなんかじゃない。
アニメ界へのメッセージなんてありゃしない。
もちろん自分の息子に対するメッセージだってありゃしない。
単純にこの映画を見ている我々に対する、直線的でナイフに刺されているような
メッセージの塊だった!
単純にこんな面白い話は観たことがない。
僕は宮崎駿の最高傑作は?と聞かれたら「君たちはどう生きるか」と言う。
まず、一番はやっぱり宮崎アニメに独特の風の捉え方だ。
目に見えないものを、目に見える様に感じ表現する。
それは「大丈夫水面に重い風が見える」と言っていたナウシカの頃から何も変わっていない。
メカ等は宮崎駿の世界の一部ではあるが全てではないので出なくてもいい。
ただ、世界観はそのままで、宮崎駿の世界にどっぷり浸れる。
どこか「千と千尋の神隠し」のような世界へのアクセスであり。
どこか「もののけ姫」のようであり。
ポニョよりメッセージ色が豊かではっきりしていた。
各箇所に宮崎アニメの傑作が散りばめられていて集大成と言える。
次に作品にあるメッセージ。
宮崎駿は昔のインタビューで
「何度も宮崎さんのアニメを見ています」と言われ。
「それはいけない、こんなアニメなんて一回観たらいいんだ、あとは野山に出て自然に触れなさい」と言ってたそうだ。
それがそのままこのアニメに出ている。
気持ちの悪いアオサギ(僕の捉え方だと宮崎駿)
が別の世界に主人公(僕の捉え方だと観客)を誘う。
その世界に行って、母の妹で後妻の女性を「お母さま」と言えるだけ成長を果たす。
そして、その世界で「石(意志?)を積み上げてほしい」と言われる。
だけど主人公は言う「それは死んだ石だ、墓場の石だ、私は帰る」と
そう有って欲しい、こんな世界(アニメ)にいるんじゃなくて、野山に出て自然と触れ合って欲しいと言っていた、宮崎駿のメッセージがそこにあると思う。
それでも石ころくらいはこの世界から持ち帰って欲しい、
すぐに忘れても構わないし、多分すぐに忘れるだろう。
そして最後に「じゃあな、友達」と見てくれた我々に友達と仰ってくださっている。
その瞬間、僕は涙が止まらなくなった。。
本当にいい映画だった。
「ありがとう、友達、沢山の映画をありがとう」と言いたい。
考えすぎないで、単純な気持ちで見てほしい、
スリルあり、謎アリ、成長アリ、切ないメッセージありの、いつもの宮崎アニメだった。
※ちょっと主人公に対するレビューが多いので追加で書きます。
多くの方が言われているのは、主人公に感情移入が出来ない。
主人公がお金持ち。
主人公が何考えているかわからない。
主人公に魅力がない・・・等々。
えっとですね、今回の主人公はかなり人間的でありながら、凛々しくて、
とても魅力的なキャラクターだと思っています。
そもそも、これまでの宮崎アニメの特徴でもありますが、
男の主人公や登場人物は無口の場合が多いです(もちろん妙に饒舌な脇役のおじいさんとかは除きます)
もののけ姫のアシタカや、千と千尋のハク。
宮崎駿原作じゃなくてもハウルとかもあまり話しません。
パズーは話したけど、それほど饒舌というわけではない。
それは、彼らは感情移入する存在というよりも、凛々しく憧れる存在として書かれているからだと思っています。
そして、今回の主人公。
彼は自傷を行うほどどこかナイーブな一面もありながら、
時代背景からも男は男らしく成らねばならん、というのを無理して体現し、寡黙で凛々しく行動します。
彼は他の主人公に見られる超人のようなキャラでもありながら、
ナイーブな内面を隠す弱い人間なのです。
だから、凄い共感を覚えるし、とても感情移入が出来ると思っています。
今回の主人公を、他の絶賛されていた宮崎アニメと比べてみてください。
いつもの主人公ですよ。
そして、それでいながらどこかとても弱くて人間臭い主人公なのです。
山本有三・吉野源三郎
「君たちはどう生きるか」吉野源三郎作ですが、初めは山本有三先生が関わった作品。有三は病気になり、吉野源三郎さんに依頼したようです。山本有三ファンとしては封切りの日から3回見ました、、この本は息子小6の時に塾の先生からいただきました。小6には難しいだろうと思いましたが読んでました。映画の中で、君たちはどう生きるかをめくるシーンがあり、初版のみ山本有三の名前が出ている話が裏付けされました。瞬きしてはだめ。しっかり見て欲しい。どのシーンも瞬きはダメ。全部よし。一回では理解できないかしら。「サバカン」の時みたいに.6回観たらわかるかな。本当に楽しみです。近代文学を児童文学に繋げた作品を、オリジナルではありますが、「君たちはどう生きるか」と名付けてくれて、スタジオジブリと宮崎駿さんに感謝です。何回みてもわからなかくても、あたりまえとおもい、私はまだまだ、見に行きますよ。東京にて、息子32と見ました。20年前にいただいた本が映画になった。嬉しくて嬉しくて、まだまだ、みたりないかんじ。山本有三と、吉野源三郎の連盟のべーじが、なにより、楽しみな私です。皆様も、よろしければー。
考察以前の破綻映画
事前情報なしということでタイトルから「パヤオの説教映画か~」と思いつつも楽しみに見に行きました。結果、見せられたのはチャチな児童向け映画でした。
あらすじからメタファーだ自伝だと言っている人がいますが、そういう人はあらすじだけ読んで感想書けばいいんじゃないでしょうか。映画はあらすじだけではなく、作画・演技・脚本など細部に神が宿ると思いますが、この映画は人物描写からストーリー展開から整合性までクソです。誰とどのキャラを重ねていようが、そのキャラそのものや周辺の描写、ストーリーが駄目ならそれは評価するポイントには全くならないでしょう。
主人公は空襲で失った母を忘れられず、度々そのことを夢に見るなどの描写が序盤繰り返されます。そして、父は母の妹、ナツコと再婚することになるのですが、主人公は新しい母に微妙な感情を抱いています。
そして、失踪したナツコを探して異世界に飛び込みます。そこで主人公は少女の姿をした亡き母に出会います。特に正体が隠されているでもなく、初対面でナツコを「妹」と呼んだことで主人公にも母であることは分かっています。本人も空襲で死ぬ記憶もある様子。が、かなりの間行動をともにするにも関わらず、この2人の間の掘り下げは全くありません。別れのシーンになってようやく多少それっぽい話をする程度。序盤の描写は何だったんだよ。というか、少女の姿をした亡き母と出会ってほぼノーリアクションはないだろ…
そしてジブリお馴染みのいい感じの姉御枠ですが、お屋敷のお手伝いをしているオバアの若い頃が当てられています。…が、こちらも特に若い頃の描写があるとか2つの世界の繋がりを伝えるとかでもなく、特に脈絡のない繋がりで特に意味無し。
ナツコですが、異世界では産屋でちょっと会っただけです。が、異世界から帰ってくるときには手を繋いで仲良しになっています。「ナツコ母さん!」って言ったから仲良しになったのかな?雑すぎます。
そして、ストーリーですが、主人公の行った世界は人間の命が生まれる場所で赤ん坊はこの世界からやってきます。そこを統べているのが主人公のご先祖ですが、世界は崩壊の危機を迎えており、主人公への継承を望んでいます。そして、終盤にご先祖と主人公が対面し、継承するか否かの決断のその時…乱入したインコ大王(強キャラだけどモブ)が癇癪を起こして世界を破壊します。結果、なし崩し的に主人公は元の世界に帰還して終わりです。なんだこれ?
というかこの世界崩壊したら赤ん坊生まれないんじゃないの?なくなっても何も困らない世界だったのかよ。メチャクチャな幕引きでした。
最も印象に残ったのは、序盤の空襲シーンでの群衆と炎の描写の素晴らしさでした。音楽は悪くはなかったですが、「この曲といえばこの作品!」というような印象的な曲もBGMも特にありませんでした。
謎めいた雰囲気の少女、姉御肌の強い女性、ちょっとキモいけどコミカルなキャラ、美味しそうな食事などガワはジブリですが、内容は歴代と比べるべくもありません。
宮崎駿監督の遺作になるかもしれないこの作品があまりにも酷い出来でとても残念で悲しいです。(内容は酷いけど)セルフオマージュあるから素晴らしい!はもはや監督への愚弄でしょう…
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