君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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ジブリ最高の名作
日本人の日常生活から物語ははじまり、やがてファンタジーの世界へ、そして現実の世界に戻る。主人公が抱えたトラウマや苛立ち、葛藤がファンタジーの世界での登場人物との関わりやぶつかりを経て解消され昇華される。人生や世の中の問題…生と死、老い、友情、恋愛、成長、退行、愚かさ、勇気、挑戦、弱さ、天地創造とは、性的マイノリティー、人間性、権力欲、優しさ、強さ、絆などの数々が盛り込まれ、その答えを言葉ではなく、映像で示している。なので、その人の感性により、感じ取れる人、何も感じない人に分かれるし、感じ取れる人でもその分量は異なってくる。そして、宮崎駿が伝えたい「君たちはどう生きるか」を映画を通して映像で伝えているメッセージは、自分で考えること、前を向いて生きること、正直であること、人と本音でぶつかりあうことにより物事の進展がある、自分の短所を認めることが自分を成長させる、人の死の悲しみを感じることは悪いことではないがそれに囚われすぎずに眼の前に居る人間(登場人物の夏子、おばあさんたち、アオサギ…)も見ること、大事な人が亡くなって悲しい気持ちは大事だが、今眼の前にいる人間に心を開いていくことにより、いまを生きることが出来る、亡くなった人のことも忘れる必要はない、時間は一方向に向かって進んでいるばかりではなく、現在から過去へと進んだり、ある点からある点へと飛び越えたりするものであるので、時間軸に囚われずに「今」に存在すること…などを感じ取ったが他にもまだまだ気がつかないメッセージが作品の中に込められていると思う。そして、「君たちはどう生きるか」には、学校に通うべき年齢の主人公にとっての学校生活がほとんど出てこない。学校生活を送らずとも成長は出来る、だから学校生活にこだわる必要はない、老人や大人からも生きることについて学んだり、安心を与えられたりすることがある、という現代の不登校の子供たちへのメッセージも込められていると思った。
宮崎駿監督は天才であると確信させられる映画である。
ディズニーとの縁が深い宮崎駿監督ならではだが、お屋敷の使用人の老女たちは、白雪姫の七人の小人のように主人公たちを助け、主人公の母親のヒミは白雪姫と似ている髪型、服装をしているなど、ディズニーとのつながりが深い宮崎駿監督ならではのディズニーへの恩返しのような一面も感じられた。
悲しさと寂しさ ジブリの集大成 そして終焉
途中から、あ、これは宮﨑駿の自叙伝的な感じ?と思って観ていました。
最後らへんの13個の石のくだりでやっと確信。
スタジオジブリと宮﨑駿の終焉を感じ涙。
スタジオジブリと宮﨑駿は新しい物はもう創らないんだなと受け取りました。
(てか、宮﨑駿監督って言っても他の方に自由にやらせていた感がありました。駿感があんまりなかった。でもアオサギのキモいシルエットは駿(絶対にそう)。)
とてもシンプルなエンドロールにクレジットされた方々をみてさらに涙が溢れました。
(なんか、爺さんの生前葬を関係者で執り行ったみたいな。さしずめ、我々、観客は参列者か、、、。)
米津玄師の曲はさらっとしていて耳に残らない、が、またそれが何も残さない感じで泣ける。
宮﨑駿ありがとう、そして、さようなら。
てか、なんで宮崎から宮﨑に変えたの?
今までのジブリ作品に、影響を受けた王と鳥を混ぜ混ぜ、死ぬ間際の走馬灯のよう(語彙)
話の内容や登場人物に、多くのメタファーがあると感じました。
小2の子供と夏休みにもう一回観る。
過去のジブリ作品をしらない純粋な子供の感想を聞いてみたい。
タイトルなし(ネタバレ)
キムタクの声が聞こえた。木村佳乃も分かった。柴咲コウかなーと思ったら柴咲コウだった。菅田将暉はわからんかった。
キムタクの声やっぱいいなー。パパナイスキャラだった。
事前情報ないと声優だれかなーって考えられていいな。
鳥モチーフだったのはなんでだらう
インコたち怖かったな。でもアホっぽくて可愛くもある。
コンセプトはよくわからなかったし真人のキャラ設定よくわからなかったけどけどジブリって毎回そうだなって思い返した。
真人の母親思いの好青年だったり喧嘩っ早かったり遠慮なくアオサギ踏みつけたりでメチャクチャな感じが少年っぽくて好き。
登場人物がどう生きてるのかとか結局わからなかったけど私は明日からもとりあえずヲタ活をして生きる。
リタラシーと共感性が試される大傑作
日本アニメ文化を昇華した巨匠のメッセージ性の高い大傑作でした。
ある程度リテラシーや知的素養が無いと作品を完全に消化することは難しい作品だと想いますが、宮崎監督のおそらく最後の作品になることを踏まえれば視聴者はこれを正しく受け止める必要があります。
物語の最初はシリアスな雰囲気で主人公の眞人は空襲の炎で母親を失いますが、疎開先で不思議なアオサギに導かれて異世界に迷い込みます。そこから不思議の国のアリス的な展開で家族のアバター(若いころの姿)などと交流して最終的には、それぞれが深い「理解・共感」と自己肯定にたどり着き、自分の世界に帰っていくという展開で物語が進むにつ入れて明るくポジティブな展開になっていきます。
最後も感動的でまったく無駄のないエンディングでした。象徴的・心象的な表現も多いので理解できないと文句を言っている人が多いですが、ゴミのような異世界転生物が流行っているアニメ業界に対する正統派のアンチテーゼと言える作品でもあります。
アニメーション(作画)のレベルは全盛期にはおよびませんが、そこらへんは全く問題ありません。
「周りの人々を理解することによって世界の見え方が変わる」という素晴らしい映画でした
エンディングからが物語の始まり
「君たちはどう生きるか」のコペルと同じ年代の眞人を主人公に、宮崎駿のメッセージが伝わる。
戦時中の資産家と庶民とか都会と田舎の格差や、亡くなった奥さんの後添えに妹と一緒になる事が当時は普通にあったのだ、など今の若い人には多少わかりにくい点があるかもしれない。
しかしながら「今頃軍は大慌てだよ」と語る父は軍需産業で肥え太り、学校へ寄付し得意気なことなど、主人公・眞人の心情やこの時代の状況が早い段階で画面から伝わるのは流石。
母が遺した古い本「君たちはどう生きるか」を読み進み涙する眞人を抱きしめたい気持ちになりながらテンポよく話は進む。
後半、存分に宮崎ワールドのイマジネーションが広がる。
塔に続く道や森はもののけの、異世界は風の谷のようでもあり迷宮は千尋っぽく、死の国の海に浮かぶ船団は紅の豚を思わせるし、火はカルシファ、木の骨組みを壊す大佐はカリオストロの時計塔(^^)数々の作品をオマージュしながらキャラクターが躍動。その中で、様々なことを吸収していく眞人の成長。
命が生まれる、命を頂く、メタファーが描かれるこの世界とあちらの世界。。。
ラスト。私は全てはエンディングの後に始まるのだ、と受け止めた。
眞人は母の遺した「君たちはどう生きるか」を支えに成長するだろう。戦争で利益を上げた父やその価値観とどう向き合って行くか、noblesse obligeを彼なりに消化して平和な未来を生きる友が持てるだろうか、と想像が膨らむ。
そうして、さて私はどう生きようか、どう歩けばこの世界が誰もが生きやすい世になるだろうか、と宮崎駿から宿題をもらった気分だ。全体に語り過ぎないところがすごく雄弁。たくさんの人に伝わるといいなあ。
(ストーリーまとめ追記)わからないけど楽しい
みなさんのレビューみて評価の低さにびっくり
一度観ただけじゃわからないのって
私の中では普通だし
考察YouTubeを観たりもう一度鑑賞して
楽しみたいと思える作品でした。
ただ、どんぐり共和国で今後人気出そうなキャラは
あんまりいないかなぁ?
青鷺は可愛くないしね
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ここから追記
2回目鑑賞後 自分なりのストーリーまとめ
難しい考察はナシの簡単なストーリーです
(2回みただけですのでミスには寛大でお願いします)
主人公 眞人は空襲により、入院中の母を亡くす
死体はみつからず、、
一年後、父と疎開するが疎開先には
新しい母 ナツコ
ナツコは、眞人の母の妹であり地方の裕福な家庭のお嬢様
お腹には新しい命が宿っている
疎開先のお屋敷には沢山の老婆やがいて
眞人の父のお土産の食料に喜ぶものの、眞人にはあまり
関心を示さず
父は、財力で周りに圧力をかけるタイプの人間で
眞人は新しい学校でも、都会から来た金持ちとして反感をかい、喧嘩をふっかけられる
喧嘩の帰り道にマヒトは自分の頭に自分で石で打ち付け
大怪我をさせる(学校に行きたくないから?)
怪我を知った父は、さらに財力や力によって学校に圧力をかける。老婆やや、ナツコは献身的に眞人を看病するも
眞人は孤独感に苛まされ誰にも心をひらけない
新しい家で頻繁に姿を見せていた青鷺が
いつからか、眞人の夢の中の出来事
空襲の中、母を呼び叫ぶシーンを真似するようになる
眞人の夢や意識が青鷺とリンクし、
母に会いたいなら付いてくるように誘惑される
つわりの中、森へ消えるナツコを目撃し
一旦は見送るも
部屋で母が自分に贈ってくれた
『君たちはどう生きるか』をみつけ、読み耽る中
帰らないナツコが心配になり探しにいく
そっけなくあたっていたナツコに対して
ここで初めて『心配』の感情が湧いてくる
ついてきたキリコ老婆ゃと一緒に屋敷に入り
青鷺と再会し、
謎の主(大叔父)が青鷺に、ナツコのもとへ眞人を案内するようにと言い渡し
地下の世界に沈んでいくとそこには
若く逞しいキリコさんが。
キリコはこの世のものではない者たちが沢山いる世界で
魚を捕り、捌き
亡霊のような人たちと、ワラワラという命の源のような妖精?に食べ物を与えてる
ワラワラが熟し、空に上がり新しい命に生まれ変わろうとする時にペリカンがワラワラを食べようとし、
火を操るヒミ様に焼き殺される
ペリカンは死に際に、
この海には食料がない、ワラワラを食べなければ生きのこれない、しかしそのせいで焼き殺される
と話す 食物連鎖のバランスが崩れてきている示唆
キリコと別れ青鷺とナツコを探す
そこでヒミと再会し、自分の母だと気づく
産屋にいるナツコと再会するが
そこで初めて帰れ!とナツコに拒否され
『ナツコかあさん!』と叫ぶ眞人
眞人に母さんと呼ばれて正気を取り戻すナツコだが
力つきて、眞人もヒミも倒れる
目を覚ました眞人は大叔父と会い
この世界の危ういバランスが今にも崩れそうだと知らされる。この世界を保つ後継者になって欲しいと言われ
自分も、ナツコのお腹の子もそのためにこの世界に呼ばれた事に気づく
しかし、眞人には
世界のバランスより、目の前の大切な人の命を守る事が先決であると言い、
ナツコとヒミを助けに戻る
世界を自分のものにしたいインコ大王に阻止されながらも
ヒミと再会し、再び大叔父の元へ
大叔父は3日に一度積み木を積み上げ自分なりの良きバランスで争いのない世界を作り上げろと眞人に言うが
眞人は拒否
それを聞いていたインコ大王が積み木ごと破壊し
世界が崩れ落ちていく。
青鷺の力を借りながら
元の世界のドアへと辿り着き
ナツコとも再会し、それぞれにもとの世界へと戻る
ヒミは、自分が火災で死ぬと知りながらも
火って素敵、あなたを産む
と言い残し。。。
元の世界に戻りインコの世界のものは普通のインコへ
塔は崩れ落ち ペリカンはこの世に放たれる
この世ではインコはフンをするので皆
糞まみれになりながらも笑顔で再会を喜び合う
そう、この世は汚いことも沢山あるが
だからこそ美しいのだ
数年後、戦争は終わりこの街を去る
汚くも、美しく
残酷であり、尊いこの世界を眞人は生きる
それが世界のバランスなのかもしれない
眞人の中にも自分で怪我をしながら言わない狡さと
命懸けで義母とお腹の子を助けに行く正義があったように
善と悪
美しいだけの世界などないのだ
それでも平和を願い、幸せを願い生きる事を
忘れてはいけない
君たちはどう生きるか
との問いに戻る
以上
レビューというよりは
自分のためのストーリーのまとめでした
『わからない』という意見が先行してしまっている事がとても残念に思います
私もわかってないところ沢山あるけど
今までの宮崎駿作品だってわからないところ沢山あったのにこの作品ばかり指摘されることに疑問
わかるより、感じろ。です。
傑作!
最高でした。少し長文になってしまいますが、感想と解説、、というほどのものでもないですがそれを少し吐き出させてもらおうと思います。
まず、第一に本当に面白かった。ストーリーが全く分からなくても美しく躍動感のある映像が私たちを楽しませてくれる。前半は好奇心を煽り、「もっとよく見せろ!」と叫びたくなります。それが中盤になると一変、何もかもを曝け出した素晴らしい冒険の数々が押し寄せてくる。説教くささは殆どありません。私たちに一瞬の休む隙も与えず、まるで急上昇と急降下を繰り返すジェットコースターのように楽しませてくれます。
そして第二に本作の前半から中盤に渡る本筋でもある眞人と母親について。この映画の前半から中盤における本筋は簡単に言ってしまえば主人公の眞人が実の母の死を受容し供養して、夏子お母さんの愛情を受け止めるという話です。夏子お母さんは最初に会った時から主人公に一心に愛情を注いでいます。眞人のことを愛する姉の子供で自分の子供とも捉えている。これは前半の夏子を注意深く観ていれば確かなことで寝顔を愛おしそうに見つめていたり(眞人を憎んでいたり嫉妬していたら寝顔を見てあんなに愛おしそうな表情はできない)、わざわざ食事を作ってあげている(悪阻で寝込んだ後のご飯が美味しくないのは夏子が今まではご飯を作ってくれていたから、父親を好いているだけの女であれば眞人と同じ食事を共有したくないので二人で外で食事をするはず)。その後塔の中に入りますが最初、塔に入った第一の目的は母親が本当に死んでいることを確かめるためでした。しかし、母親がどろどろに溶ける姿を見て母親が死んだという事実を受け止めます。そこからは目的がお父さんの好きな人(夏子お母さん)を探すことに変わりますが依然として実の母親に対する気持ちは残っている。しかし、ヒミに殺されたペリカンと話し、ペリカンを土に埋めることで母親の供養をして母の死を乗り越えます。その後、ヒミに連れられて夏子お母さんと会いますが、夏子は眞人に「大嫌い」と言います。しかし眞人は髪を振り乱し、鬼のような形相を曝け出した本心でも夏子が眞人のことを大切に思っているということに気づき夏子を母として受け入れます。
最後に本作の設定や中盤から後半に渡る本筋である宮崎駿と宮崎吾朗について。まず、この大叔父様というのは宮崎駿を、眞人は宮崎駿の息子、宮崎吾朗を、そしてこの塔はスタジオジブリを暗喩しています。大叔父様は塔を作りその中で自分の創作世界を必死に守っていますがこれに限界を感じ、血縁である次世代の有望な若者である眞人にこれを継いでくれと頼みます。しかし無情にもこれを断られ自分の創作世界の核である積み木をインコの王様(スタジオジブリの人間)に壊されます。大叔父様にとっては塔の中こそが世界の全てで「積み木が崩れると世界が壊れる」なんて言いますがそんなことは全くなくただの脅しに過ぎなかった。塔を出ると眞人が隠喩するものは一転、我々観客に移り変わり、宮崎駿とともに崩れ去った塔からはたくさんのスタジオジブリの人間が飛び出して私たちに糞を引っ掛けて多大な迷惑をかけてきます。それでも大衆はインコ(スタジオジブリの人たちの作品)を見て綺麗ねという。しかも最後には宮崎駿が私達に積み木を渡してきて「そのうち俺を忘れることはわかってる、しかしどうか俺のこと忘れないでくれ」と言ってくる。誠に勝手で滑稽で面白い。
最後の本筋がわからないと話が終わったのにダラダラと続いているように感じるかもしれませんが、実際には終盤は宮崎駿の悪あがきが見れて非常に痛快です。
母の愛に救われるファンタジー
他人の感想を耳にする前に観たくて、公開3日目に映画館で鑑賞。タイトルから想像した説教くささは微塵もなく、母への思慕が溢れるシンプルな映画でした。以下に雑感を5つに分けて記します。
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1. 全開すぎる母への想い
実母が結核で幼少期不在だった体験が「となりのトトロ」で描かれているのは有名。ナウシカの母性溢れるスーパーマンぶりも、母への敬愛と論じられている。男であれば、無意識に女性像に母が反映されているもの。宮﨑映画の女性キャラに同じ傾向があっても不思議じゃない。そてにしても、本作は母への想いが溢れすぎている。
①空襲の中、母がいる病院に向かう冒頭のシーン。風景が溶け、前方に視点が集中する。逃げ惑う群衆、自身が爆撃されるリスク、行っても何も出来ない無力さなんてお構いなしに、ただただ母の身を案じる少年(牧眞人)の視線がとても印象的。
② 疎開先で案内された自分の部屋で、直ぐに寝落ちする眞人。表面上矍鑠としていても、慣れない環境で、知らない人たちと初対面すれば気疲れして当然。自分も幼少期、親戚に気疲れしていた。
③母がメッセージを遺した図書「君たちはどう生きるか」を読み涙する眞人。母の言葉に感じる愛と、もう会えない現実への絶望。
その他、シーンを挙げるときりがないが、尤も印象的なのは最終盤の扉のシーン。
④崩壊する塔から脱出するため、ヒミ(母)に連れられて扉が並ぶ場所に向かう。扉はそれぞれ、異なる時代に繋がっている。ヒミが神隠しにあった時代へ戻ろうとすると、眞人が問いかける「その扉でいいの」(初見なので台詞はウル覚え)。眞人の真意は「お母さんは、空襲で死んでしまうんだから、その時代に行って、自分を救わなくていいの? あるいは未来に行って生き延びなくていいの?」。しかし、塔は崩壊するので時代を選べるのは1度きり。もしヒミが自分の少女時代に戻らなければ、眞人が生まれた事実さえなくなってしまう可能性もある。だからヒミは迷わない。「だって、眞人のお母さんになれるなんて、素敵でしょ」。この場面には、宮﨑監督の母に対する理想像?あるいは実母への絶対的な信頼がある。母は空襲に焼かれる運命が知っていても、自分を産むことを優先するにに違いない! 母は自らの命より、息子の誕生を優先してくれるに違いない! ヒミがこの台詞を、一瞬の逡巡もなく、一切の衒いも重々しさもなく語る事に感動した。あいみょんの手柄か、監督の演出か分からないが、素っ気なければ素っ気ない程、胸に沁みる台詞回しに感じた。
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2. 映画「メッセージ」との相似
未来を知る母の決断が印象的な映画に「メッセージ」(Arrival)がある。言語学者ルイーズは、異星人の言語体系を解読する事で、自分自身が時を越えた記憶を獲得する。つまり、生まれた直後から死ぬ直前までの体験を、現在と同じ様に体感できる。そして、今隣にいる共同研究者と結婚し離婚する事、生まれた娘が不治の病で若くして死んでしまう事を知る。それでも彼女は、彼と結婚し娘を身籠る。この映画を見た時、自分はそこまで強くいられるだろうか慄いた。当然彼女は、娘の病を知った以降の辛さを、産む前から知っていた筈。それでも、その娘を産めるだろうか? 早逝する運命を知った上で、娘を明るく育てられるだろうか? でもルイーズが出産を断念すれば、娘が存在した事実すら無くなってしまう。ならば、自分も娘を歴史に刻むために産む勇気を持てるだろうか?
ヒミは自分の早逝、ルイーズは娘の早逝、抱える十字架は少し違うが、待ち受ける運命を知っていても、愛する子を産むことに迷わない母に、これ以上無い強さを感じた。
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3. 「世界」を滅ぼし、メンターから卒業する映画
幼少期に胸を踊らせた「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」は、世界が英雄に救われる映画でした。ナウシカに至っては、人間の肺を腐らせる腐海の生き物すら救おうとしてました。しかし、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」で主題は家族や少女の内面に移り、「紅の豚」「ハウルの動く城」も戦争の陰をあるが、主題は主人公の内面でした。最期に世界を救ったのは、人間が自然や神を凌駕する室町時代を描いた「もののけ姫」。世界的評価を得た「千と千尋の神隠し」も、少女が異世界で成長するファンタジーで、現実世界は危機に晒されていませんでした。
本作も基本、宇宙から飛来した塔の中でおきるドタバタであり、外部で影響を受けたのは、旧家の4名(大叔父、母姉妹、息子)と女中1名だけ。やはり、現実世界は救われるどころか無変化なまま。一方、塔内に広がる「世界」は完全に崩壊。鳥人間?が息づく「世界」の崩壊は、ラピュタなる最終兵器を葬るのとは大きく異なる。初見直後は意図を計りかねていましたが、2023年12月16日放送された監督への密着ドキュメンタリーを観てよく分かりました。
主人公を塔に誘うアオサギは"鈴木敏夫"P、塔と伴に崩壊する大伯父は故"高畑勲"監督の象徴でした。高畑氏は東映映画入社時から宮﨑監督の先輩で、組合運動からアニメ製作まで伴にした同志。高畑氏が演出で、宮﨑氏がスッタフとして原画や場面設定を担当する作品も多い。ジブリ以降は監督としてスタッフを取り合うライバルにもなったが、知識も豊富で思慮深い高畑氏は頼れる先輩(メンター)であり続けたよう。だからこそ、2018年に高畑氏が亡くなった心の穴は小さくなかった。「君どう」の製作には、高畑氏に未だ依存している自分を振り払う意図があり、大伯父を塔の崩壊と伴に消し去る事は、高畑氏からの精神的卒業の宣言だったそうです。
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4. 何故父はスノッブか?
初見で感じた違和感の1つが、父・勝一の人物像。深手を負った息子を守ろうと動く等、決して悪く父親ではない。ただ、自己肯定感や溢れる自信を内に秘めないスノッブ(俗物根性)さも香る。疎開先も父の職業も、宮﨑監督の実人生と同じ設定。なので、実際のお父様の性格をそのまま反映している?とも思ってました。
しかし、TV放送時にデータ放送に掲載された「企画意図」で違和感が晴ました。企画段階の粗筋は「エディプス・コンプレックス(Ödipuskomplex)に陥った主人公が、幾重の扉に隠された母を救い出す物語」。Ödipuskomplexは、幼い子供が母に異性として惹かれ、父を敵対視する感情。つまり、眞人が母への愛情の裏返しに、父・勝一にそこはかとない嫌悪感を抱くように描かれるのが、そもそもの企画に沿った表現。宮﨑監督の実父がどんな人だったか、駿少年が父にどんな感情を抱いていたのかは別として、本作の勝一はスノッブに描かれるべき存在だったようです。
ただ本作が複雑なのは、母が2人登場する処。正確に言えば、実母には2形態(亡くなる迄の大人なヒサコ, 少女なヒミ)ある。なので、眞人が異性として惹かれた母とはどの母か? 戦火の中、駆けつけようとした病院に居た病弱なヒサコなのか? 塔で出会った強いヒミなのか? 姉にソックリな叔母であり継母になる夏子なのか? どの母も「好き」だから、降りかかる困難に立ち向かえた物語にも感じました。
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5.「わらわら」とは何か?
下の世界で出会う「わらわら」は生まれる前の命であり、浮上してペリカンに運ばれた先で生まれると説明される。しかし、この世界が塔の一部であれば、積石がぶった斬られた時点で一緒に崩壊する筈。塔の世界の住人がインコであるなら、わらわらの大半はインコとして生まれるのか? それとも、生命誕生の象徴として描かれているなら、下の世界は塔の一部ではなく、地球全体の生命の源なのか? 個人的には、我々の世界と禍々しい塔が繋がっていては欲しくはないので、わらわらから生まれるのはインコばかりと考えた方が、心が休まる。
宮崎駿監督が作りたかった映画をみられる幸せ!!!
キャラクターがとんでもなくかわいいので、あれを公開前に出さない戦略、いいと思います。あれだけを見にもう一度行きたいです(行きました)
それから画面の表現力が尋常じゃないです。
きれいなだけでなく、伝わってくる情報、感情が多すぎて、
気持ちが動きすぎて、どうしたらいいかわからなくなります。
それがなんなのか考えることも楽しいです。
ストーリーも私は大好きでした。
別の世界、新たな視点から世界を見て、今はまりこんでいた世界を抜け出すというような。
でも難しくなくて、ものすごく楽しいし、上滑りの部分は全くないです。
最後にはぼろぼろ泣いていました。
天才の宮崎駿監督とそれをリスペクトして支えるスタッフの方々。
こんな映画を作って下さって感謝したいです。
私は過去作と比べてもかなりこの映画が好きです。
以下ネタバレです。
完全に地獄めぐりとか、ダンテ神曲のイメージで見ました。下は死者の国です。大叔父はそれを司る石と契約して、その国をより良いものに作り変える権利を得、その国の王になった。親族も王族の扱いです。けれど、連れてきた鳥は増えすぎ、飢え、全く上手くいっているようにみえない。悪意の石。世界が崩壊することを恐れているのは大叔父だけで、石はそれも想定内、どうせ人間なんてできるはずないと思っているようにみえました。壊れたら、元の地獄に戻るのかな?
夏子は眞人を守るため、後継者を産むために、自ら死者の国に行きます。眞人が迎えに来たとき、強く帰りなさいと言っていました。夏子は若いキリコや久子にも驚いていなかったので、多少事情を知っていたんじゃないでしょうか。久子と夏子には何の遺恨もないようにみえたし、久子が死んでしまい、眞人を現世に残すために後継者を産むと考えると、姉が死んですぐに義兄との子供を妊娠した理由も納得できます。ラストシーン、産まれた子供はやはり男の子でした(久子や夏子が後継者候補になっていないことを考えると、男でないといけない?)現世では勢いのある単純な(無神経な)雰囲気の眞人の父は初めから終わりまで部外者なのが、皮肉です。
もうひとつ、眞人は前半夏子を嫌い、むくれていたのに、母からの本を見つけたとたんに、ガラッと雰囲気が変わります。あれは秘密書的なものじゃなかったのかなと想像しました。夏子さんは好きで森に入ったんじゃないと思う、とまで言っていたし。
ラストシーンで眞人が石を触るシーンも良かったです。お母さんの娘時代に会えて、あなたを産めるなんて最高って言われて、火に苦しんで亡くなったんじゃないってわかって、良かったね。
全部完全に妄想です。
何の情報もなく映画を観るって、本当に新鮮な体験でした!
メタ的に見るとシンジブリスタジオ
最後に13個の石を積み上げられず世界を壊してしまったのはジブリを王国化してしまったプロデューサーかな?さえずるインコをうまくさばきながら宮崎に苦言を伝えているのが当時の裏側だったのでは?
7人のお婆さんたちはジブリを支え続けた女性アニメーターたちかな?キリコは保田さん?宮崎を癒やしてくれる人であり、かなり強いお守りだったのだろう。
最後に世界を受け継がなかったのは庵野たち次の世代の監督たちかな?外の世界で生きていくという宣言はシン・エヴァそのもの。
初日と次の日に連続で観たレビュー(多少のネタバレあり)
★①初回鑑賞後のネタバレ無しレビュー★
(基本、ネタバレ無し)
この映画、事前情報通り、確かに【冒険活劇ファンタジー】ではある
最初から最後まで、夢か現か分からない表現や展開
普通の建物、普通の人々でさえ“普通ではない違和感”を感じるのは、主人公の心の内面を表現しているのか
いや、全てが夢まぼろしの世界観だったのかもしれない・・
“あの世界”は黄泉の国なのか、業苦の果てなのか
全てにおいて、イマジネーションの渦であり、観念的
たぶん、創造された宮﨑さん自身も、訳が分からない部分が沢山にあるんじゃないのかな
少年の“選択”による“結果”??
世界を変えるのは、それぞれの考えや行動??
これは、宮﨑さんの遺言か・・
いや、宮﨑さんは元気なら、100歳でも作品を創り続ける人だと確信はしてますが(^^)
・・全ては観てのお楽しみ・・
そんな体験ができる映画は、これが最初で最後かもしれませんよ!(> _ <)
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★②二回目鑑賞後の感想と考察★
(多少ネタバレあり)
<睡眠中の夢>
(この映画は、宮﨑さんの見た夢だ! 夢の中の物語なんだ!)
本日、二回目の観賞の序盤で、モヤモヤ感じていたことがいっきに鮮明になり、確信できた気がした
【宮崎さんの見た夢】というのは、後述する【宮崎さんの幼少期】をある程度知っているからの表現であり、一般的には【睡眠中の夢】を基軸の一つとして描いた作品といえるのだろう
(映画の中での)現実描写なのに、【現実味の無さ】【不思議さや不気味さ】という違和感。通常にはなさそうな人々の行動、節目節目に入る【目を覚ます描写】
また、観ている側が【夢を思い出そうとすればするほど忘れていく】かのごとく、いま観ている場面の前の場面がおぼろげになっていくような仕組まれた演出
これらだけではないけれども、【夢】を連想する表現や演出が沢山に盛り込まれていると感じる
<宮崎さんの幼少期>
【風立ちぬ】の序盤の二郎の幼少期と本編の印象がかぶって感じるのは、宮﨑さん自身の経験がどちらの作品にも大いに入っており、それを感じるからだと思う
そこが多分、鈴木プロデューサーが言うところの【宮崎さんの自伝的映画】なのだろう
【鬱屈した主人公】を描くのも、宮﨑さんの作品では初めてであるが、これも自身の幼少期の鬱屈した経験を、初めて映画の中に込めた(込められた)のだろう(※鬱屈した主人公は、影のあるハウルや、世間知らずだった千尋、業を背負ったアシタカとは違う)
ただ、宮﨑さんの生い立ち、幼少期から青年期の事を詳しく知らない人にとっては、当然ながらその印象にはならないので、【隠された基軸】ということになるんでしょうね
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僕の考察ですが、今回の映画は【睡眠中の夢】と【宮崎さんの鬱屈した幼少期(青年期も?)】という二つの基軸が、物語の大きな軸となっていると思います
その分、テーマ性がぼやけたのかなとも感じるけれども・・ そこは宮﨑さんのこと! 狙ってぼやかされたのではないかと思いますね
・・ちなみに
今日現在、スタジオジブリ公式Twitterなど出て回っている画像も【ブラフ】だったりすること(笑)も含めて、ぜひ劇場での【初体験】、楽しんでください(^.^)
そして僕は、ニュースや報道の中にある【宮崎駿の集大成】だとは思っていないことを、追加で申し上げておきますm(__)m
とてもよかった。
とてもよかった。
友人と見た後、それぞれが映画の余韻に浸って会話が途切れがちになった。
*ここからネタバレあり
まず、車を引かせて主人公を迎えに来た義母の姿を見て驚いた。
宮崎駿の母親の顔に、実によく似ているのである。
彼女は実の母親の妹であり姿もそっくりなので、主人公と宮崎駿が妖しく溶け合っていく。
そしてアオサギ。
最初にアオサギが喋るシーンでゾクッとした。
「お母さん」
しわがれた声で主人公の心の叫びを揶揄する姿は悪魔的である。
屋敷の造形も素晴らしい。
あちらの世界に行っても、ファンタジーなのに現実感がある。薄っぺらくない。作り物感がない。
宮崎駿は風立ちぬから死後の世界を描き出しているが、今作はその傾向がより強まったと見ていいだろう。
死の気配が漂うその世界は静謐であり、恐ろしいが美しい。
ファンタジーの世界なので説明のつかない現象がおこるが、われわれの世界だって説明のつかないことだらけである。気にすることはないのだ。
ラストもよかった。ヒミが病院で焼け死ぬことになっても、あなたを生めるから構わないと言って母親の少女時代に帰って行く。
男は80代になっても母親からあなたを生んでよかったと言ってもらいたいのだと思った。
義母でもあちらの世界に行けるのに、父親である木村拓哉は、助けたくても行くことができず、社会的な問題でしか主人公と関われないのは、将来父親になる自分には悲しいことである。
友人とは、義母があちらの世界に入り込んでしまったのは、あちらから呼ばれたこともあるだろうが、戦争ばかりの世界で子供を産みたくないと自分から望んで行ったのかもしれないねと話し合った。
有意義で楽しい時間だった。
宮崎駿による宮崎アニメ
宮崎駿全部乗せ
生前葬だと思えば明るくていいな
誰も宮崎駿にはなれないし、ならなくてもいい
たとえ世の中が地獄でも、戦後日本はそのようにして始まっているし
観終わって時間が経つごとに、本当に死ぬんだな宮崎駿、という実感がひたひた押し寄せて来た
劇場で初めてラピュタを観た日から、私の人生をちょっと、だいぶ狂わせてくれてありがとう
(ナーバスになる前の所感)
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内容については後日書こうかと思ってますが、さっき思いついて黙ってられなかった部分
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セキセイインコはもしかして、ネット民のメタファーなのかな?
息子にとっては具体的な暴力を意味するが父(駿)にとっては単にやかましくてウンコを引っかけてくる程度の存在でしかない。
それなら現実にはあり得ない赤い羽色のがいたり、あっち側でかわいくなく描かれている(ここ重要)のも納得。
ペリカンは、現代の日本人ないしオールドスクールなアニメファンてとこかな。。
メフィストフェレス役の青サギは鈴木敏夫プロデューサーで、塔はジブリのスタジオ。
うんそれ、入ったらどえらい目に遭うよ、知ってる。
Twitterでペリカンはジブリのアニメーターだと書いてる人がいて確かに!と思った。でも動画のアレクサンドラ・ワエラエフさんは健在だったよ。
以下、内容についてメモ(ネタバレ)
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・大叔父、父、主人公は宮崎駿のようであり、また主人公に吾郎さんを投影してるように見える部分もある
・疎開先で駿と吾郎さんを思わせるキャラクターが出会って友人になる、みたいな話にもできたはずだが、そうはせずに同一キャラクターの中に両者の要素を感じる。
・父と息子を同一視してる?としたらキモいし、メッセージとも矛盾してくる
・もっとキモいのは母との関係
・靴の並び、継母と自分との間に父が割って入る。露骨なエディプス的欲望
・その一方で、ちゃんとお別れを言えなかった実母と再会して、恋人のように大冒険する
・きっかけは母の遺した表題の本。
・彼女は「王国」の崩壊を涙で見送ってくれる
・父は死の商人だし無神経で信用ならない男(キムタクゥ!)だが、息子も青サギを撃退するため武器の開発に血道を上げる。父と子の相似形。
・兵器(アニメ)製造にかまけて息子の屈折に無頓着な父は吾郎さんから見た父、駿?
・話は破綻してても構造は残る(冒頭にアクション、終盤にカタストロフィがあるとか)
・いびつではあるけど、意外と筋通ってるなと思ってしまった。宮崎駿のフィルモグラフィとか、ナウシカの原作とか、ネタが揃ってないと意味わからんとは思うけど
・作画的には服のしわ、人物のフォルムなど、絵がシャープ。冒頭の火災からトップギア
・バリバリもう1本くらい作れそうな現役感あったけど、それは本田雄氏ならびに最高の原画スタッフによる画面のおかげかも
・血だのジャムだの表情だの、やたらドロっと過剰で「おかしな」ところが駿で、ジブリらしからぬリアルなところは手が回らなかったのかなーと想像
あとは雑感
・この十数年、吾郎さんや若手を苦しめてきた「ジブリらしさ」とは何だったのか→児童文学や少女マンガを原作にファンタジックな少年少女の出会い?→結局は宮崎駿個人の芸風であって、その王国も間もなく崩壊する。それを継承する必要などないというメッセージなのかな
・若い世代や息子に向けた謝罪と贖罪であり、観客への長年の支持に対する感謝とお別れ(生前葬)
・観客が宮崎駿に期待するものはもはや宮崎駿も作らない、人がその人らしくいられる時間は意外と短いが、個人的にはかえってほのかな希望を感じた
・この先、日本が火の海に包まれることは駿の中では確定事項(新しい戦後)
・エンドロール、製作に吾郎さんの名前を見た時はちょっとホロっと来た。なんだよジブリアニメの主人公かよ(だよ)。
・財務、経理みたいなクレジットがあったのは今まで記憶にないけど、鈴木Pをめぐる醜聞の影響?
・あっちの世界でキリコさんが古代魚をさばく前の死者たち、服が東南アジアっぽく見えたのは向こうの戦死者という示唆なのかな?
少年時代の思い出
この映画で描かれた事を細かくどうこう書こうと言う気にはならない。
鑑賞中に思った事は、この映画で描かれた事が自分が子供時代にみた夢の様だという事だった。もちろん具体的な記憶があるわけでは無いが、不思議と共感できるというか、納得できる内容だった。
この映画で描かれた内容が、宮崎駿という映像作家が創ってきたものの集大成である事は間違いないと思う。細かい内容の是非を問う人もいるかもしれないが、私は好きだ。評価が割れるのもよくわかる映画なのは間違い無い映画なので、簡単には他人に薦められないが私は好きだ。
そういう映画です。
【考察】本音で生きろ、という宮崎駿監督からのメッセージ
つまりはどんな物語?
→母を亡くし、また思春期で心のバランスが整っていないマヒトが、自らの心に潜り無意識の自我(青鷺)と共にトラウマ(死んだ母との別れにケジメがついてないこと、母の妹との確執)に対峙することで、その原因の理解と克服に取り込みそれを果すことで、人生の新たな一歩を踏み出す物語。
キャラクターは何を象徴している?
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マヒト=人、一個人
館=自らの心の砦、精神世界
母=母なる土壌、生への渇望
キリコ=心の守護者、防衛本能
青鷺=無意識の自我。理性で押さえ込んでも抑えられない無意識下の本音。
ペリカン=死への渇望。死をもたらすもの。
インコ=論理性。理性。
先祖=論理を超えた無意識にバランスをもたらす根本。
物語の展開をどう考察するか?
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▼序盤
マヒトは母の死に目に会えず、また遺体も見てないことで、母の死に対し心にケジメがついてない。
そこに母の妹が新たな母として入り込み、新たな家を提示される。(その瞬間、無意識下でそれを拒絶し助けを求める青鷺が現れる)
マヒトは現実から逃れるため自傷する。その瞬間、ウソの理性(賢しく生きる術)が心を支配しそれと青鷺の対立が暫し続くが、母が贈った「君たちはどう生きるか」を読み、清く本音で生きる尊さに感動する(この時点で有意識は本音で生きるマヒトになっている。
(妹は本心では望まない結婚と妊娠(それを語る際常に彼女の顔が緊張していることがそれを示唆している)、そしてマヒトとの不和により精神を病み自死を試み森に消える)
なので妹を助けに危険な場所(森)に迷いなく足を踏み入れが、無意識下では自己との対立が続いている。
そしてマヒトは自己の心の砦(館)と入る。
▼中盤
精神の底に降りたマヒトは最初に巨大な墓=「死」と対峙し危うく引き込まれてそうになるが、守護者であるキリコの存在に救われる。
(墓の外観がアルノルト・ベックリンの絵画「死の島」とそっくりなことがそれを示唆する)
キリコと共に心の中の生と死の生態系(ペリカンと白いやつ(名前忘れた)の食う食われるの関係。そしてペリカンは死を誘うものなので、成長期の身体が生に満ちた環境では彼にとってそこは地獄となるか?)
マヒトは、マヒトと青鷺の関係は無意識下の本音とウソ(表裏一体)という関係に気づき(嘘つきの青鷺は本音しか言わないというやりとり(矛盾)がこれを示唆する)、共に妹を探しより心の深みへ潜る。
▼終盤
インコ=論理の世界では無意識の本音は抑圧される。なのでインコはマヒトを食おうとする。それを母=生への渇望、が助ける。
母と共に確執の原因(妹)を取り除く(理性の砦から解放する)が、理性の攻撃に返り討ちに合う。
インコの王(理性の支配者)は祖先に母を差し出すことで、心の支配権を理性に委ねるよう迫る。(無意識下の生への渇望に従って生きるのではなく、理性で生きようとすることで)
マヒトと祖先が対峙する。
祖先は石の積み木(科学技術に基づくもの。自然科学的信奉の象徴か)で精神のバランスをとっている。
先祖はそれを受け継がせようとするがマヒトはそれを拒み、木の積み木(自然を土台とした精神)的なバランスを主張する。彼は母の贈った本によりそれに気づいた。それにより生まれた自傷行為への恥が、傷を見せるシーンで示唆される。
そこへ理性が積み木を一刀両断し精神のバランスが一気に崩壊する。それを脱出し、木の積み木的生き方を選んだ事、自らの心に母が生きていること(母は死ぬことが分かりつつ、マヒトを生む道を選んだことをマヒトが知ったこと)を通して、心の砦から確執の根本を取り去り(妹を救い出し)、マヒトは現実世界にもどる。
バランスを取り戻したマヒトから青鷺は去っていく。
その時アドバイスを残す。バランスはいつ崩れるか分からない。その時は守護者(自分の心を守る行為。キリコが象徴)と理性(石の積み木、自然科学)を思い出せと。
劇場版ポスターは青鷺が描かれる。
鋭い目で我々を見つめる彼は、「君たちは無意識の自己と対峙しているか?本音で生きているか?君たちはどう生きるか?」という、問いかけに思える。
エンディングテーマの地球儀。これは日本人だけへのメッセージでは無論なく、人類全ての人に対するメッセージという意味を感じる。
ジブリのモリモリお子様ランチ
”君たちはどう生きるか”を読了していた私としては、
「”君たちはどう生きるか”は本としては嫌いじゃないけど、
あーいう、哲学っぽい、説教臭い感じだったらイヤだな〜」と思いつつ劇場へ。
結果、とてもジブリらしいファンタジーでした。
予想外に鳥がたくさん出てきて、鳥好きの私としては大満足。
インコの足だけ、最初は「はぁ〜!?、そりゃないでしょ!」って思ったけど、
最後には「あぁ、そういうことだったのか」と自分の中で納得しました。
冒頭の、階段を走って上り下りするところとか、火の中を走るシーンは、
さすがジブリ、すごいな!と引き込まれました。
作画、演出、効果音、背景などなど、ジブリ作品を数々見てきた人なら
「あー、ここは○○(作品名)だわ〜」と感じるところが盛りだくさん!
いろんなジブリが詰まっています。
ジブリ好きな私にとっては「ジブリのお子様ランチ」という感じで
最高に楽しめました。
宮崎駿さん、もうかなりご高齢だし、
今度こそ本当に店じまいしちゃうのかな、と感じさせられもしました。
でも、まだまだ「やめるやめる詐欺」は続けて欲しい。
駿おじいちゃん、がんばって〜!
もう一度、劇場で観たい作品です。
ジブリという文学
多くの方が指摘するように、本作品は純粋なSFとして鑑賞するにはやはり文脈に無理があります。一方、本作品を宮崎駿による何らかの表現として受け止めようとすれば、そこには豊かな体験があるように思います。
宮崎駿をゴール・D・ロジャーとすれば、最終作となる本作品こそがワンピースです。これまで長い間旅をしてきた我々は、そこから無理矢理にでも何かを得ようとすべきでしょう。
この映画は、受け取り手による広い解釈の余地と、巨匠・宮崎駿から世界への明確な問題提起を含んだ、まさに文学のような作品だと感じます。
この解釈の余地の広さを「何が起きているか分からない」と酷評するレビュワーもいれば、宮崎氏が純度100%の世界観に乗せたメッセージを受け取り「集大成」と太鼓判を押すレビュワーもいることでしょう。
近年、マンガ・アニメを問わず「分かりやすい」作品が好まれる傾向にあると思います。作品内で起こる出来事に対して鑑賞者は「考察」を行い、それに対する答えが作品の内外で「解説」される。この合理性が作品のクオリティとして評価される世の中で、例えばエヴァンゲリオンのように、超常現象を超常現象としてありのまま受け入れるような鑑賞態度は、流行りではないのかも知れません。
では、そんな「何が起きているか分からない」世界を通じて宮崎氏が伝えたかったメッセージは何か。本作品でたった一つ、この点にだけは解釈の余地は無いはずです。【君たちはどう生きるか】
前置きが長くなりましたが、以下、メッセージを解釈する上で中心となるポイントを2点ほど述べます。
①象徴である「石」について
本作品では「石」が象徴的なモチーフとして描かれます。マヒトの頭を傷付けた「石」は、自らを被害者たらしめんとする姑息な悪意の象徴であり、大叔父が世界を維持するツールとしてマヒトに初めに差し出した「石」は、"墓石と同じく"悪意に満ちたものでした。
「石」は死であり、悪である。そんな世界の中で、人を喰らって死を与えるインコ達は「石」造りの建物に住まい、命が誕生する"産屋"への立ち入りは禁忌とされます。この"産屋"という呼称は、出産を穢れとした現実の時代を彷彿とさせ、この風習の暴力性が「石」によって風刺されているようにも思えます。
差し出された「石」に悪意が満ちていることを見抜いたマヒトに対する、大叔父の「それが分かるマヒトにこそ跡を継いで欲しい」という旨の発言から、宮崎氏は世界が悪意のない形で保たれることを望んでおり、また恐らく現実は残念ながらそうでは無いと考えていることが読み取れるように思います。
②マヒト達の選択について
大叔父は積み木を積み上げることで世界を維持しており、その後継としてマヒトに目を付けます。物語終盤、大叔父はマヒトに対し、元の世界に戻るか、積み木(悪意に染まっていない石)を積み上げて世界を維持するか、という2択を迫り、マヒトは元の世界に戻る選択をします。この時、大叔父は「世界は崩壊に向かい、火に包まれるぞ」という旨の忠告をします。
また、マヒトの母であるヒミも、戻ればまた死ぬことになるというマヒトの制止を他所に、それでも元の世界に戻る選択をします。
マヒトとヒミという2人の選択は、破滅に向かっていると知りながら自らの物語から逸れることはできない、我々現代人の生き方や現代社会を象徴しているように思います。
この映画を観た私はどう生きるか、考えずにはいられません。
宮崎駿監督を改めてリスペクトできる映画
作品を鑑賞して改めて駿監督の凄さを体感出来た。
1つ目。人の動き。ラピュタの親方対長男のケンカシーンを彷彿とするような、所々の人の動き、鳥の動きの躍動感は、さすがハヤオワールドを感じました。夏子を助けに行くシーンなど、人の動きって誇張されてるけど感情が入るとこんなに情緒ある動きになるんだーと感心させられた。
2つ目。世界観。駿監督の頭の中ってどうなってるんだろうと思うシーンが目白押し。終始不思議な世界に入り込んでの話のため、シーンの移り変わりが激しく、頭が少し混乱しかける。こんなぶっ飛んだ世界観は、さすがハヤオワールド。
3つ目。ワンシーン、ワンシーンが凄く凄く手の込んだ作画となってる。夏子のお産室で寝てるシーン。天井を回る短冊の様な紙のシーン。描くのに途方もない時間がかかるんだろうな、、、スタッフ含めて作り上げるのにもの凄い歳月を費やしたんだろうな、と思わせる妥協なしの手の込んだシーンは、やはりさすがハヤオワールド。他にもそんなシーンが沢山。脱帽です!
最後にストーリーだけど、元の世界に戻ってからの余韻が凄く短くて、ストーリーを見る側が解釈し切れず、バッサリ終わった感があるので、作品全体に厚みが薄くなってしまった感があり、星は3.5。
やっぱり映画は楽しかったかどうかが一番大事ですよ!
予習が必要なのかな?君たちはどう見るか
タイトルと謎の鳥だけの絵で情報出さずの作品で気になって見に行きました
異世界を題材にするとは思ってもなかった(笑)
タイトルから暗い感じのジメジメしたものかなーと思ったので
しかもあの鳥はオッサンなんかーい😟
塔に入ってからの異世界のそれぞれの描写は
もちろんなにかの比喩だと思うけどすべてをピンとこなかった 何回も見ればわかるのかな〜
あの爺さんは宮崎駿さんでスタジオジブリや今までの作品を塔や積み木で表してます?
13個云々ってとこ作った作品の本数じゃん
君たちはどう生きるか ってスタッフ向け?(笑)
それともはやおさんがいなくなったジブリをどう見てくかって観客に伝えてる?
ファンタジー路線は全然いいけどそれにしては前半のリアル部分丁寧に描いてて少しダレました
というかなんで夏子はんは塔に入って出産することにしたの?
最後まで頭に?マークついててモヤモヤしてしまった
劇場に子どもいたけどちゃんと楽しめたんかな?(笑)
キムタクの声が池田秀一さん(シャア)っぽく聞こえた(笑)あんな感じだったっけ?
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