君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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ありがとう宮崎駿
もうすごい、アクセル全開!
宮崎駿の頭のなかをいまの最高のアニメ技術を駆使して再現しましたという映画でした。
序盤は丁寧に丁寧に物語が進んでいくんです。風景も美しいし、一人ひとりの所作がきめ細かく作られている。じわりじわり異変が起きる。
途中から不可思議な世界に突入して、訳分からない展開が続き、どんどん要素が足し算されて、もう観客置きざりです笑
わけがわからない。
だけど、それでいいんだと思います。だれかを感動させようとか、伝えたいメッセージがあるんだとか、そういうことじゃない。創作しながら産み出されたものがすべて。いまの宮崎駿、そしてホントに最後の作品だと覚悟した宮崎駿のすべてが詰まってます。こんな作品、商業映画じゃ止められる、きっと。だけど、日本最高のクリエイターが晩年に思い切りエゴでわがままで、整合性が取れてないだろう作品を作ってもいいじゃない。むしろそんな作品を見せてくれてありがたいと思えた。
上映前からドキドキが止まらなくて、またジブリの新作が観れるなんて夢みたいで。奇跡だなと。
映像はめちゃくちゃハイクオリティ。この10年でアニメのレベルはバカみたいに上がっていて、心配はあったものの、杞憂だった。ジブリのほうがすごいじゃんと思っていたら、エンドロールでびっくり。アニメ制作会社やアニメクリエイターのトップオブトップや集結しているんですね。
これは宮崎駿の集大成であるとともに、日本アニメの集大成なんだなと。
とにかく完成させてくれたことに感謝。宮崎駿という存在に感謝。これから何度も観る映画を残してくれてありがとう。
何を書いてもネタバレにさせるプロモーション
えーと、とりあえずコペル君はでてきませんでした。
映画のタイトルはミスリードを誘います。
あ、だからサギの絵が書いてあったのか。
内容は
千と千尋みたいなこの世でない何処か
ハウルの動く城みたいな魔法描写
紅の豚のオマージュみたいな乗り物の群れ
もののけ姫に出てくるような可愛いナニカ
風立ちぬのような戦争描写
カリオストロの城の悪役のようにサーベルを構える悪役
ラピュタのように崩壊する建物
思い出のマーニーを目の仇にしたような古びた建物の存在
ルパン三世1のタイムマシンに気をつけろのような江戸時代末期に現れるどこでもドア兼タイムマシンのベースとなる卵形の何か
となりのトトロのように母を探して行方不明になる子供
崖の上のポニョみたいに子供を守るおばあちゃん軍団
雀の戸締りみたいな自分探しの要素まであるなあ
集大成なんだろうな
監督の
宮さんの文芸映画
宮崎監督の文芸映画です。
ファンタジーに迷い込んだ少年(ジブリのファンタジー作品が好きな観衆)に対して、
現実はこうも脆く残酷だが、それでも君は現実を生きるのかね?
という問いかけ構造になっています。
それに対して「友達を作ります」と答え、現実を生きることを選択して映画は終わります。
最後にアオサギが「どうせすぐに忘れちまうさ。あばよ、友達。」というセリフが出てきますが、私にはこれが宮さんからのメッセージに思えました。
ラストで東京に戻ることになったと挿入されていたシーンは、ストーリー全体を通してみると不可解なシーンです。
私の解釈としては、眞人少年をジブリ好きな観衆と置き換えたとき、東京に戻るとはすなわち現実に戻ることを意味していると思います。
どんなお話にも終わりがあって、その続きに現実があることを映像で見せている点はさすが宮崎監督だと思いました。
加えて、インコが現実世界に出てくると実態がリアルになって糞まで描き込んでいる部分についても、現実は汚いこともあるしファンタジーみたいにきれいじゃないよ。という意思表示のようにも感じられます。
映像美はさすがジブリアニメといった作風ですが、
キャラクターに多くを語らせない行間を読ませる脚本のため、
観る人によって意味不明な状況に陥るでしょう。
減点した部分は、地獄に迷い込んでから大叔父に会うまでが駆け足で進行し、若干説明不足に感じました。
ただし、作品を通してタイトルに帰着する脚本の全体構成はさすがの一言です。
このテーマだと事前に宣伝しない今回のプロモーションは正解だったと思います。
ちゃんとタイトル通り宮さんに説教されたので、個人的には満足ですが、ストーリーが若干の説明不足でペース配分が悪いなと感じる部分があったため4/5点としました。
答え、分かりました
感想→全く意味がわからない。とりあえず、過去のジブリ作品を彷彿とさせるシーンがあって良かったな。
ですが、映画というもの、必ず作者のメッセージが込められてるはずだと思い、考えました。
家に帰り、我が家のアレクサに日本のアニメーション映画の神様は?と聞いたところ、宮﨑駿と答えました。
あの宮﨑駿が「君たちはどう生きるか」と聞いてきたんですから、答えが用意されてないはずがないでしょう。
私がたどり着いた答えは「戦争」です。
あの不思議な国での真人の体験は、全部、戦争をメタしたものです。
根拠はありません。
戦争のバックグラウンドがあるのに不思議の国にいる間は全くその表現が出てこないということと、普通の世界に戻ったら戦争が終わったのでそうじゃないかと思いました。
意味が分からなすぎて、そうだと自分に言い聞かせて今日は寝ます。
本当に駿さんの作品か?
ハウルの動く城辺りから、ジブリ作品には付いていけないようになったのは年のせいなのか?
今回の作品は、千と千尋やハウルの動く城を連想させるような雰囲気でありながら、どなたかも言っていたように、何が言いたいのかよくわからないような、内容が薄いような感じでした。
観ていて、吾朗さんの作品のような感じがしていて、エンドロールにお名前を見つけてやっぱりと感じてました。ただ、大伯父が主人公に継がせたいと言っていたセリフの中に、後を継がせるのが心配な駿さんの親心も入っているような、そんな感想を抱きました。
なんと言ったら良いのか??
ジブリ作品を映画館で観たのは「もののけ姫」以来です。以降は、ほぼテレビですね。
青鷺のイラスト以外、一切情報無しでの公開でやはり興味惹かれ鑑賞しました。
感想と言うか、「君たちはどう生きるか」の本読んだ事ないので、何とも言いようが無いのですが、また、本とは関係無い物語でもあるらしいのですが、真っ先に思ったのが、「タイトルと内容そこまで関係ある?」って事です。
内容を簡単に説明すると「母を亡くし田舎に疎開した主人公が、関係がギクシャクしてる継母が謎の異世界に迷い込んだので、それを助けに行く。そこで異世界を継げと言われるが、嫌と答えインコ将軍が暴走、異世界崩壊。現実世界に戻りおしまい。」
うーん、青鷺が「来るのを待っていた」とか意味深に言ったりしてますが、あんまり関係ないし。
そもそも継母なんで、異世界行った、連れて行かれた?
つわりの際、主人公に「お前など嫌いだ」と言いますが、そこまで関係悪い描写無かったと思うんですが。部屋に入るタブーも何故?
また異世界と言うか、あの世の世界のような中、宇宙の石とかの契約とか?
宮崎駿監督の崇高な考えを読み取れていないのかも知れませんが。(苦笑)正直??でした。
映像とかね、その辺は流石の域ですので言う事無いんですが、期待値上げ過ぎない方が良い内容かと。
イラストの青鷺ね、シリアス風で何か重要キャラかと思っていたんですが、ギャグ要員キャラとか!オッサンだし(笑)
最後もビックリするくらいアッサリ終わるし。「え、終わり!」って感じです。
宮崎駿監督最後の作品と言う事と、思いのままに作った作品と言うので、少し尖った内容かと思いましたが、作品全体として、「ポニョ」とか「ハウル」とか「千と千尋」などと同じ雰囲気で、失礼ですが、そこまで情報隠す程の内容かと。普通にジブリ新作公開で良かったんじゃ?
何ていうか、邪推して考えてしまいますが、引退した宮崎駿監督が、やっぱりまた作りたいとか言い出して、高齢だしゆっくり作ってよ、で時間が掛かり、予算ないから宣伝しないよ。ってのが事の真相かと。
最後の集大成とか、そんなつもり監督には無くて普通に作っただけとか?
もう一本くらい新作作るんじゃないですか?
不思議な世界観
全く予備知識なく鑑賞。
戦争末期が舞台で、田舎に疎開した少年と家族の物語り。初めは風立ちぬ的な展開かと思ったら,途中から千と千尋的な世界観に。美しい映像と不思議な世界を眺めている中で、自分の想いに気がつき、家族の関係に蟠っていた少年の心が溶けていく様が見事に描かれていて、あっという間の2時間でした。
声優陣もなんとも豪華。菅田将暉、あいみょん、木村佳乃、小林薫などなど。主題歌は米津玄師と、これだけ豪華で全く宣伝しないとは、なんとも贅沢な映画でした。
太平洋戦争中の財閥のお坊っちゃん
公開から半年以上経って、アカデミー賞国際長編アニメ賞受賞後のシネコン再上映のラストギリギリの月曜日にはじめて鑑賞しました。
貸切でした。
リアルなホームシアターでした。
アカデミー賞受賞は功労賞的な受賞だと薄々感じておりました。
焼夷弾降り注ぐ空襲で入院中の母親を失くした少年が父親とまるで古河庭園のような西洋建築の豪邸の母親の実家に疎開してくる。鷺沼駅につくとそこには母親の実妹夏子がいて、お腹には父親の子供がすでにいることを峰不二子並の超美人の本人から手をお腹に導かれて、告られる。
ガーン!
親父やるじゃねぇか。
手回しがよすぎやしないか。
夕方帰って来た父親と夏子さんは熱い抱擁に接吻。のぞき見ていたのを見つからないように自分の部屋に戻るシーンは少年の罪悪感と羞恥心を描く。塞ぎ込むのも無理はない。古い母屋には7人のお手伝いのお婆さん。まるで白雪姫と7人の小人。父親は広大な敷地に工場を建てて、戦闘機の部品を作って軍に収めているようだ。戦況の悪化を知っていて、さらに需給が見込めるとあからさまに喜んでいる。三菱?岩崎家か?その庭園には大きなアオサギがいて、喋りかけてくる。くちばしの中に酒飲みオヤジの真っ赤なデカ鼻から繋がったいやらしい歯肉に白い頑丈そうな歯がみえる。三木のり平が頭に浮かぶ。アオサギは大人になったもうひとりの眞人の意識だったのか。
正直に言いますと、見終わって、なんだかよくわからないストーリーで、支離滅裂とさえ思ってしまいました。
オープニングの設定からは母親を失くしたばかりで、その傷も癒えないうちにおばさんを新しい母親として受け入れなければならず、疎開先の学校でも周りと反りがあわないから、いぢめられて、1日で不登校。おまけに自分の側頭部を石で傷つけて結構な流血。自作自演の登校拒否の偽装工作。アオサギは何者か?下の世界ではペリカンがいっぱいいるイギリスの海岸みたいな風景、オバQやゴマちゃんみたいな白い生き物。杉山とく子みたいなお手伝いのおばちゃんがキリコっていう男勝りの女船乗りに大変身。ヒミっていう火をあやつり、ペリカンを追っ払うのが夏子おばさんの姉たから、死んだ母親だよなぁ。夏子おばさんより小柄でかわいい系だった。さらにインコの軍隊を率いる帝国の王様が大叔父。
そんなにしてまで新しいお母さんの夏子を探して連れて帰らなきゃいけないのか? 実の母親に会いたくて仕方ないはずなのに? どっちなのよって思ってしまいました。
母親が成長した眞人に宛てた一冊の本の内容も知らないし、わからないので·····
トトロ、魔女の宅急便は何回も観ていますし、好きなんだけど。だんだん難解になりますなぁ。
これは宮崎駿監督の幼少期の実話に基づく自伝的ファンタジーなんでしょうね。
父親のほうはあまり好きじゃなくて、母親の家系のほうが誇らしかったんでしょう。
おそらく自分を偽って生きることや自戒が綯い交ぜになって、辛かったんでしょうね。
財閥のお坊ちゃんのはなしだから、カンケーないっていえば、カンケーないし、まぁいいか。
生きて、自分の役目を果たすべき。より良く生きるべき
最後まで見て、タイトルに「生きる」という言葉が入っている意味が少しわかったような気がする。自分も含めた生き物は「命を頂いて」生きている面があって、だからこそより良く生きなければならないのだと感じた。この世に生を受けるということは、そういう使命を背負うことでもあるし、生きて果たす役目を受け継ぐことでもある、というようなことがテーマなのかもしれない。
不思議な世界に引き込まれて、キリコやヒミにピンチを助けてもらったりする因果も、「だからこそよりよく生きなければならない」という命の尊さを表しているような気がする。
引き込まれた不思議な世界での体験は、展開として面白く、楽しめた。ここで戦う相手にも事情があるというところが複雑で、単純な悪ではないのが、この映画の見どころなのだと思う。
ラストでヒミと別れるところは泣けた。ヒミは眞人のために、継ぐ人を生むためにつらい運命に戻るわけで、深い愛に涙が出た。
なぜ久子が塔に向かったのかとか、ペリカンに押されて入った墓が何なのかとか、回収できないところもあるが、不思議な世界とは、そういうものなのかもしれない。
宮崎駿の終活ノート
映画というの大前提として面白くなければなりません。
楽しいのか、興奮するのか、泣けるのか、恐怖するのか。
ジャンルは何でもいいですけど、各々のジャンルに応じた映画としての面白さを担保されていなければ、それは駄作です。
監督からのメッセージや考察することの面白さというのは、あくまで映画を楽しく観るオマケの存在でなければなりません。
決してそちらがメインになって出張ってはいけません。
普通に鑑賞して面白く、何度も観るうちに隠された監督からのメッセージに気づき、さらに作品を考察して作品に深みを感じて、楽しむ。
それこそが素晴らしい映画なのです。
かつての宮崎駿作品はメッセージや考察なんか抜きに鑑賞しても楽しく、考察するとより楽しく観賞できる素晴らしい作品ばかりでした。
ナウシカも、ラピュタも、魔女の宅急便も、もののけ姫も……。
その観点からすれば、「君たちはどう生きるか」は紛うことなき駄作と言えます。
この映画の面白いところ、宮崎駿のメッセージ性とか考察とか抜きにして語れます?
純粋に物語として面白いですか?
絶対にそんな人はいません。
今この映画を絶賛している人は「宮崎駿」の最終作だからとやたら考察し、評価している人たちばかりです。
考察ありきの作品は駄作です。
物語中に出てくるオブジェクトは、ほとんどが意味を成していません。
考察すれば意味があるのはわかりますよ?
ただストーリー上意味がない「異物」でしかないのです。
船の墓は? 墓の主は? 迷うと出られなくなる庭の設定は必要か? わざわざ積み木の数を13個とした意味は? 住民が鳥ばかりで、尚且つまんま鳥なのとファンシーな鳥と分けた意味は?
考察すれば意味は通りますが、ストーリー上では意味が全くありません。
監督の伝えたいメッセージを表現するうえで必要なのはわかりますが、これらを出したいのなら物語上で何らかの意味を持たせるべきなのです。
ジブリ映画には必ずある、ハイライト的なシーンが無い。
内容の面白さはともかく、ジブリ映画には漏れなく印象に残るシーンというのがあります。
ナウシカやラピュタは言わずもがな、駿作品ではないゲド戦記やコクリコ坂ですらタイトルを聞けば何となくシーンが思い浮かぶかと思います。
ですがこの映画にはそんなシーンは無いです。
このシーンが印象的!ってシーンありましたか?
自分には思いつきません。
米津玄師は反則だということが今作でよくわかりました。
映画を観ているときはツマンナ過ぎてイライラしてましたが、スタッフロールが流れ出すと「あれ? なんかいい映画だったんじゃね?」と錯覚しました。
全ては米津玄師の歌が素晴らしすぎるからなのです。
この映画の価値はスタッフロールに集約されています。
というか、わざわざこんな回りくどい作品なんか作らず、ストレートに宮崎駿の人生を映画化したり、スタジオジブリの歩みを映画化した方が絶対おもしろかったでしょ。
今から作り直して?
この世界観を感じる
盛りだくさんのセルフオマージュ
81歳でこの作品作るバイタリティ
観終わったあとじわじわと感動しました
母が亡くなってから父が叔母とすぐに結婚は
眞人の気持ちを考えると辛いですが
この頃は普通だったと思うのと
生きるために人は強くいなくてはいけなかった
命はこうして今日に繋がっているのだなと思いました
大叔父様が守ってきた世界を継がなかった眞人
悪意でいっぱいのこの世でも
人間の可能性、素晴らしさを信じたい
そんなメッセージを感じました
ヒミがやさしい眞人に出会うために元の世界に戻るラスト
ジブリに出てくる女の子はまっすぐな瞳で芯がある
その強さに、やはり感動する
現実を生きる私たちはこんな摩訶不思議な世界はなく
残酷で汚い心を持つ人間と共存する世界で生きるか
命を終わらせるかの2択しかないんですよね
残りの人生の生き方、考え方を問いかけられた終わり方は
ノマドランドのようでした
小説は読んだことがないので読んだらまた違う解釈になるかもしれないです
事前情報の少ない今回の作品
私は本当に正解だったと思います
このキャラクターがなんて名前で
キーを握るとかそんなことしなくていい
どいつが仲間で敵なんだとか
先入観なく作品に出会い浸る
本来映画とはこう出会うべきなのかもしれない
この宮崎駿監督の世界観をただ受け止める
この世界で知能を与えられた人間は
その頭で考えて生きていくべきなのだと私は思いました
見る者を選ぶ映画だが名作
端的に言うと見る者を選ぶ映画。
映画に単純なエンタメだけを求める人には向かないかも知れない。また子供向きでもない。
壮大なファンタジーの世界観で魅了するナウシカやラピュタ、可愛い子供向けのキャラで魅了するトトロやポニョとは全く異なる。
勿論そう言った要素もない訳ではないのだが、例えば、クリストファー・ノーランやデヴィッド・リンチの作風が面白いと思うタイプの人には名作だと思う。個人的にはツボの作品であった。
つまり、時間軸を行ったり来たりできる設定、抽象的なセリフ・描写を鑑賞中に自分の脳内で組み立てて1つのストーリーやイメージを作り出せる人にはこの上なく面白い作品で、何回も見返したくなる作品なのだと思う。
物語の展開やメタファーの散りばめ方は、千と千尋やもののけ姫に最も近いものを感じるが、あちらは本作よりもよりストレートな展開の作品である。
ここからは、本作のテーマやストーリーについての個人的な解釈ですが、ずばり本作のテーマは文明対自然というジブリ作品の一貫したテーマに加え、輪廻転生、死生観を感じさせる作品であった。文明という言葉の中には戦争や争いと言ったことを当然含む。
まず、文明対自然についてだが自然保護のテーマ、自然に生命が宿るアニミズム的な発想はジブリ作品が一貫して描いてきたものだ。トトロあたり迄は単純な自然保護であったのに対し、複雑性を帯びてきた最初の作品がもののけ姫で、あの作品では最後にアシタカはタタラ場でサンは森で別々に生活するが共に生きようということになった。初めて文明の存在を肯定しないまでも認可し共生するとした作品であった。
本作では、石が文明の象徴(人類の象徴)で 、木が自然の象徴として描かれています。石が悪意があり、木には無いと話していた。そして、最後は悪意のない石を並べることも拒否し、自分の世界へ戻るという結末となっている。
また、文明の象徴としては、戦争や争いが含まれる。冒頭太平洋戦争下を舞台とした場面と母の死から始まる点や大叔父の争いのない世界を作れというセリフからも表現されている。
次に輪廻転生や死生観という点では、天国と地獄の行ききの表現や、ワラワラが人間として生まれる過程などに加え、メタファーという点で、実母の妹であり継母である夏子との仲を取り持ち眞人を救ったのが"火"術を操るヒミであり"火"事で死亡した若き日の実母であったことにも表現されている。
このメタファーの手法や救出劇の展開は、千尋を救ったハクが擬人化した過去にも千尋を救った川であった千と千尋に類似している。
本作が素晴らしいと感じるのは、千と千尋同様に、霊が愛をもって助けてくれたこと、眞人や夏子に対する愛、母の愛を感じるので感動するのではないかと思う。
そして、最後の場面、眞人を産む為に火事で死ぬとわかっていながら、ヒミは元の世界に戻っていくのである。
そして、眞人の母が大きくなった眞人に向け残した本が吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」だったのであり、この本が夏子の捜索や塔と塔の中の時空世界に誘い、名前の通りまっすぐに生きることを教えてくれるのである。
本作は要約するとそういう作品である。
「罪悪」を扱った妥協のない作品
罪悪に敏感な人と鈍感な人がいます。
あるいは、人生のある時期に罪悪に敏感になることがあります。
この映画では、罪悪に敏感になった人たちが塔の中に迷い込んでいきました。
分かりやすい「殺生」という罪悪から、自己攻撃の罪悪、そして、善を追求する中に潜む巧妙な罪悪(墓と同じ石に象徴される)へと、塔の中では自己反省が深まっていきます。
善い人間、正しい人間であろうとすると、積み木の危ういバランスの中を生きるしかありません。人間はどうしても悪を犯すものだから。そして、自分の悪を隠すために、塔の中に隠れるしかありません。
インコたちは自分が唯一心を開ける相手として塔の主が飼っていたものでしょうか。
それでも最終的には、このインコによって塔は破壊されます。
「正しさ」の王国が実は積み木のようにもろい基盤であったと知るとき、何かが始まるのだと思います。
深くて妥協のないすごい作品でした。
文七元結や紺屋高尾と一緒で…
タイトルに縛られちゃうと、なんだこりゃ?になる。タイトルはたまたまあの時代に流行った本から借りただけ(ぶっちゃけ「われら少国民」でも構わん)
内容は、あるジブリ作品(ネタばれになるから書かない^^)をバックボーンにして、そそこにジブリ作品のあちこちから部品としてはめた宮崎カラー全開の映画だなと思った。MCU総出演のジブリ版かな?予告も流さず、パンフレットも作らず、うまくやったなと。世間は賛否両論だが、自分はプラス評価。これはあれから、あれはそれから、と元ネタを探しながら見るのも一興か。
タイトルが全てを物語っている
最初のシーンから圧倒された。千尋からポニョからジブリでは登場人物が走る場面が今までにもあったが、一人称視点で描かれたのは初めて見た。街ゆく人は歪み、対して目指す病院の燃え盛る情景は鮮明に目に映る。事前情報の全くない状態でどんなものだろうと考えていたら最初のあの場面で一気に物語に没入させられた。
「ジブリ世界」に行く前、まひとは喧嘩で負け、自分で自分の頭に傷をつけた。彼はどう話したとしても父親が「自分でつけた傷」だと信じず騒ぐであろうとわかった上でそうしたのだ。その傷こそ彼の「弱さ」、「汚さ」の証左であり、大叔父の提案を「自分は汚れているから」と断った所に繋がってくる。
また、ジブリ世界では同じく頭部に傷を持つキリコが登場するが、彼女はその傷について戦ってつけられた傷だとしていて、「強さ」、「勇猛さ」の象徴となっているキリコの傷と、「弱さ」「汚さ」の象徴となっているまひとの傷で対比がされている。
そしてアオサギとは嘘をつかないまひととつくアオサギで対比されている。だが、先述した通り嘘はついていないが「弱さ」が見えるまひとに、アオサギは「弱虫」と煽っている。そしてその後にタイトルの元となった「君たちはどう生きるか」を読んだまひと。まひとはこの本の読前と読後で明らかに行動が変わっている。
この作品はまひとの成長を描いていて、作中で成長したまひとは「弱さ」の象徴である傷を受け入れて、「弱さ」を抱えながら人として現実で生きていくことを選んだ。そんな、1人のまだ青い少年が一人の人として生きていこうとするまでの成長を、一つの例示として描いたのだ。そして、それがタイトルにつながってくる。
「この少年はこのようにしてこの現実で生きていくことを選びました。
さあ、君達はどう生きるか」
「魂の物語」として素晴らしい
宮崎 駿監督の「君たちはどう生きるか」を息子(小5)と観てきました。上映中息子が何度か横から「おもろない」「つまんない」と囁いてくるのを、「まあ、まあ」と宥めつつの観賞でした。
さて、私個人の感想としては、一言で言い表すのは難しいですが、「自分の奥底で、深いところで、頷くものがあった。」です。
私はラピュタやトトロなど、同監督の初期の作品が大好きです。子供の頃に観たこれらの作品は、セリフを憶えるぐらい繰り返し観るほど私を魅了し、その後の私の人生に多大な影響を与えたと言っても過言ではありません。
それと共にもう1つ、私の人生に大きな影響を与えたものがあります。それは、心理学者の故河合隼雄さんの著作と、そこで紹介されていた様々な児童文学の作品です。河合隼雄さんの著作に「子供の本を読む」と「ファンタジーを読む」という2冊があります。河合隼雄さんは「心」と「体」とは別の領域として「魂」というものの存在を仮定して、人の在りようを考えた方ですが、上記の2冊の中で魂を描いている作品として様々な児童文学を紹介されています。そこにはジブリがアニメ化した作品が「ゲド戦記」も「床下の小人たち(ジブリでは借りぐらしのアリエッティですね)」も「思い出のマーニー」も紹介されていたはずですし、「耳をすませば」のパンフレットでスタッフの方の好きな、あるいはオススメの本として紹介されていた「トムは真夜中の庭で」もありましたので、ジブリとこうした児童文学の関係は密接と言えますし、河合隼雄さんがよいと思われた作品との共通性は否めないものがあります。実際、宮崎駿さんと河合隼雄さんは対談などもされていましたので親交があられたのかなとも(詳しく存じ上げませんが)思います。
私はこの河合隼雄さんの著作で児童文学における「魂」の描かれ方について慣れ親しんでいたためか、今回の「君たちはどう生きるか」は、とてもしっくりと「魂を描いた物語」として観ることができました。そこには、私の忘れられないいくつかの夢で見た景色があり、昔この世のものとは思えない美しい海辺に立った日に感じた風があり、深く感動した児童文学の世界があり、16歳で突然逝ってしまった友人がいた。そういう映画でした。「魂」の世界を描いているのですから、その領域で観なければ訳が分からないのは当たり前だし、難しかったりつまらなかったりしても当たり前かと思います。この映画は主人公の傷ついた魂が癒やされるまでの物語とも捉えられるし、映画全体のストーリーが、宮崎駿さんの魂のお話と捉えることも出来ると思いましたが、(ここで言う「魂」は、「心」とは異なります)この物語を映画という形で作ることを可能にした宮崎駿さんの才能や経済的条件、関わったクリエイターさん達の素晴らしい力、鈴木プロデューサーの理解など全てに拍手を贈りたい。
そもそも、魂のお話というのは、商業的な視点とは相容れない部分がある、ましてや尺も決められ、観客動員数も気にして作る映画などという媒体でそれを作るのはかなり難しいと思います。その難しさは、これまでのジブリ作品で随分感じたところです。魂の世界の出来事は、例えば今回の作品で出てくる石の数が13であることに、いろんな方がいろんな考察をされていますが、魂の世界でそれが13と決められる時、それは作り手が何かを意味して13と決めるのとは違って、魂が13でなければいけないと言ってくるようなものです。それはその魂の器である人でさえ、その理由がわからなかったりします。実際に宮崎駿さんが石の数に意味を持たせていらしたかはわかりませんが、魂の世界のことを例えて表現するならそういうことだと思います。また、魂の世界のことを商業的なものを意識して改変するということをわかりやすく言えば、誰しも不思議な夢ぐらいは見たことがあるかなと思いますが、その夢の中で例えば白い衣の老婆から石ころを渡されたとしますよね?その夢の体験が意味もわからないけど、深く感動して目覚めたら涙が出ていたとして(何らかの魂の体験)、それを作品にする時に、「老婆に石ころじゃ売れないよね」なんて、美しい少女に青く光る石を渡されるように変えてしまうことが、いかに魂の世界から離れてしまうかということだと思います。
そういうのが、「君たちはどう生きるか」には、だいぶ少なかった。それが素晴らしかったです。売れることを目的にしたら実現しなかったはずです。
ですので、この作品の中に出てくる物ごとや台詞を、こういう意味だと考えることはあまり意味がないのかも知れません。それより自分の中の魂の世界とリンク出来たら、深い体験になる映画ということかも知れませんね。
それでは、なんの意味があるの?と思うかも知れませんが、私は魂の物語として必然的に描かれたシーンが沢山見つけられたし、些細なシーンにも魂が癒やされていく過程で意味あるエピソードとして宮崎駿さんが描かれているのを感じましたので、とてもわかりやすく感銘を受けました。
これまでの作品で見たことがあると感じた数々の場面を、焼き直しと捉えた方は沢山あるかも知れませんが、
私にはそもそも宮崎駿さんの中には「君たちはどう生きるか」で描かれた魂の世界があり、これまでの作品にそこから切り取ったものを入れて来られたんだなと感じます。だから、全くそれは気になりませんでした。
だいぶ前から宮崎駿さんは、魂の世界を描きたかったのではないでしょうか?でもそれは映画としてのエンターテイメントを考えたら難しかった、その葛藤の痕跡があり、思いに反して観客にわかる受ける形にしなくてはいけなかったという悲鳴が聴こえていたから、自分はハウルとポニョは違和感が強いということかなと、今回の作品から感じところです(あくまでも、個人的な感想です)。そのあたりの作品では、「人にしたいの?キャラにしたいの?」というのが掴めない登場人物や、これは何かを示すためにだけ描かれているような登場人物だなと感じたことがあり、違和感がありました。
今回はそうではなく、主人公が生きている現実世界での周囲の人達の、主人公に対する愛や思いやりが(それが正しいかそうでないかとは関係なく)きちんと受け取れました。魂の世界に引き込まれていく人が現実世界にちゃんとよい形で帰還するためには、ここをきちんと描かないといけないんだということをよくわかって作られていることに安心しました。千と千尋やハウルでの親の描かれ方ではなかったです。そして、親だって一人の人として苦しみ悩み生きている存在であることをこの映画の登場人物から感じ取ることも出来ました。理想の親を体現するキャラクターでも、現代的な親の何かを象徴させるための登場人物でもなかったです。
長々と書いていますので、鬱陶しく感じられる方もあるかも知れませんが、今回の本作を通して、魂の世界を描いた素晴らしい児童文学の作品に再び光が当てられるといいな、最近書店から消えつつある作品もあるので、そう思います。
もし、児童文学の中の魂のお話なんていうのに、なんぞや?と思い、興味を持たれる方があったら、是非河合隼雄さんの著作を読んでみられるとよいのではないかと思います。
1つだけ、「君たちはどう生きるか」に物足りなさを感じるとすれば、それは非凡な感じがしなかったということでしょうか?もし仮に私が魂の物語を作れと言われたら、勿論こんな完成度にはならないですが、ざっくり同じような構成で同じようなストーリー展開のものを作るだろうなと感じるところです。そのぐらい古典的でオーソドックスな「魂の物語」の雛形みたいなところがありました。ですがそれでも、これをアニメーションで作ったことの意味は大きいし、それは宮崎駿さんの晩年でしかなし得なかったかもしれないと思います。
そして、改めてアーシュラ・K・ル=グウィン(「ゲド戦記
」原作者)や、ミヒャエル・エンデ(「モモ」や「はてしない物語」作者)、フィリパ・ピアス(「トムは真夜中の庭で」作者)といった素晴らしい児童文学を生み出した方々の類まれなる才能に脱帽する次第です。これらの作品を読み、クリエイターとしてこんな素晴らしい作品を自らも生み出したいと願った純粋な監督の情熱が、「君たちはどう生きるか」から垣間見える気がしました。
ある種の方には共感を得られる感想だといいなと思います。
漫画「風の谷のナウシカ」から続く宮崎駿先生の「不完全な私たち人間への慈愛」の想いを受け止めた
かつて映画の「風の谷のナウシカ」のエンタメすぎるエンディングに非常に落胆をした者です。漫画の「風の谷のナウシカ」を愛読しています。だから漫画を読むたびに、宮崎先生の「ナウシカ」に込めたメッセージは一体いつ映画で発信されるのだろうとずっと気になっていました。昨日、まったく前情報なし期待無し(すいません・・・)で「君たちはどう生きるか」を観ました。鑑賞後、万感の思いで胸がいっぱいになりました。漫画「風の谷のナウシカ」が形を変えて、ここでつながったのだとすとんと腑に落ちました。宮崎先生、本当にありがとうございます。この不条理な世の中で決して善人でない私(少なくとも私)たちはこれからどう生きるか。深い問いかけに答えることはとても難しいです。しかし、前を向き地に足をつけて限られた一度の人生を歩んで行きたいと考えます。
原作・脚本・監督:宮崎駿(82)という意味
大ジブリファンというわけではありませんが思ったこと感じたことを書き留めたいと思い書きます。
公開から1週間たち、風の噂にて「訳のわからない映画だった。これを面白いという人は難しいものをわかっているふうに言いたいだけだ。」という評価を耳にし自分はどう感じるのだろうかと思い映画館に足を運びました。
結論から言うと面白かった。率直な感想です。映像、音楽、ストーリーどれをとっても大変感慨深いものでした。
映像、音楽はこれぞジブリと言わせんばかりの出来だったと誰もが言えるでしょう。
しかしストーリーはたしかに説明不足なものは多かった。
なぜそのような行動をしたのか、なぜその人なのか、あの世界はなんなのか等々疑問点を挙げれば色々出てくるでしょう。全てを説明できる人なんて宮崎駿さんしかいないのではないでしょうか。
私はそれらに考えを巡らせるのが面白かった。
このキャラクターはこの人、こういう人達がモチーフなのかな?このシーンはこういう意味なのかな?など他高評価の方が書いてくださっている内容です。
ですが低評価の方達が言うようにこの作品がもしジブリの看板が無かったら?宮崎駿監督では無かったら?と言われると面白くないと感じるかもしれません。
今までのヒット作の様なわかりやすさや爽快さはないでしょう。
低評価の人と高評価の人の違いはスタジオジブリに関するちょっとした知識があるかないかやシーン1つ1つの意味を考えながら見ているかどうかによるのではないかと思います。
ですがシーンの意味を考えながら見る方が偉いとかいう話は全くなく、制作側の裏の意図?を読み取らなければいけない作品は興行的にもいかがなものかという意見なども同意できます。
しかしこれはジブリ作品なのです。宮崎駿監督(82歳)の作品なのです。
今まで何十年、何作品にもわたってどんな世代の誰が何回見ても一緒に様々な世界を楽しめる作品を作り続けた宮崎駿監督の最後になるかもしれない作品なのです。
暴論に聞こえるかもしれませんが最後くらい好き勝手やってもいいじゃない。わかる人にしかわからないメッセージが込められててもいいじゃない。映画と言っても所詮2時間程度です。詰め込める内容にも限りがあります。もっと面白おかしくわかりやすくしようとすれば宮崎駿さんならできたのではないでしょうか。
宮崎駿さんが伝えたかった、やりたかった「君たちはどう生きるか」をジブリ作品として作り上げたのが今作なのだと思いました。
宮崎駿さんの積み立てた積み木が私は大好きです。
ありがとうございました。本当にお疲れ様でした。
(もう1回くらい引退詐欺してもらえるのを期待してます)
遺言、確かに受け取った
舞台は戦前。主人公の真人は小学生の男の子。
父と一緒に引っ越した疎開先には、亡くなった母の妹(叔母)が義母として出迎えてくれる。真人は亡くなった母を忘れられずに、叔母が義母となり、しかもすでに妊娠している事実に戸惑いを拭えない。そんな中で田舎暮らしをしていたが、家の近くには先祖が建てた塔がありその入り口は異世界へ繋がっていて…というお話。
導入はともかく、異世界はいつも以上にファンタジー色の強いジブリ世界であり、深く考えずに頭を空っぽにしたほうが楽しめる系統の作品と思う。またストーリー自体はメタファーだらけで前後の繋がりがなく必然性のない展開が続くため童話、ともすれば神話を彷彿とさせる(筆者は「不思議の国のアリス」を思い出した)。まぁ、その辺りの細かい議論は考察班に託すとしよう。
今回の映画で受け取ったメッセージは一つだけ。クライマックスでの大きな石をバックにした大叔父様との言葉。
大叔父(妄想)
「君はこの積み木の塔に一つだけ積み木を足すことができる。それは世界のさらなる安定を齎すだろう」
大叔父(現実)
「君はここで積み木を組んで新しい塔を造るのだ」
言うまでもなく大叔父=宮崎駿なのだが、これは以下のメタファーと解釈した。
・石 =宮崎駿の意思
・積み木=宮崎駿の仕事あるいはアニメ制作手法
・異世界=ジブリあるいは既存のアニメ業界
これを有体に抽象化すると
大叔父「既存の仕組みに従って生きるのであれば、君は一つだけ何かを足すことができる(逆にそれしかできない)。ここで私の仕事を継承してほしい」
となる。結果的にいんこ大王=心無い悪意のある大人の手によって積み木は両断され異世界は崩壊へと至ってしまう。この辺りもこれまでの宮崎駿と世間の関わり方を示したメタファーなのであろう。相変わらず作家の主張が激しく前に出ているわけで、またくだらないものを作って…と感じると同時に「この爺さん、自分の正当な後継者が育たなくて寂しかったのかな」と思ったら泣けてきた。
翻って自分の人生を思い返すと、概ね既存の仕組みから大きく外れることなく生きており、日々「積み木を一つだけ足す」作業に没頭しているわけだ。社会の歯車とならざるをえない現実はどうしようもないとしても「他者の悪意に気づき、それを拒絶する感性」まで忘れてしまったときに、自己を見失ってバランスを崩してしまうのであろう。最後に真人と大叔父様のやり取りを掲載して筆をおくこととする。
真人 「それは積み木ではなく悪意に満ちた石だ」
大叔父「それに気づくことのできる君にこそ、お願いしたい」
真人 「ダメだ。僕は外の世界に帰る」
大叔父「外の世界はこれから焼け野原になる。それでもいいのか」
真人 「大丈夫。アオサギのような友達を作ってなんとかする」
内面の旅
これまでのジブリ作品は、何も考えずただスクリーンを眺めているだけみたいな人々も楽しめるような配慮がされていたけれど本作は違う。考えて、自分自身に問いかけてやっと伝わってくるものがある。恐らく低評価勢は前者。
過去作のオマージュが頻出しますがそこは好みでしょう。
-0.5はキャラクターの動きに手抜きを感じる部分があったので。
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