君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全763件中、1~20件目を表示
………どゆこと?
誰もが事前情報無しで鑑賞したことでしょう。それにより初見のインパクトは爆発的でした。
冒頭のシーンから「これ戦争モノ?」と感じたり、青鷺が着ぐるみおじさんだったり、パパがキムタクだったり。
………でもそれだけでした。
母の死。突然の父の再婚。継母とお腹の子。主人公のマヒトが目まぐるしく変わる環境に感情移入はしました。
喋る青鷺に連れられて「塔の向こう」に行くというストーリーはいい。
でもなんで継母が「塔の向こう」で出産したかったの?
なんで継母は誰にも言わずに一人で行ったの?誰かに操られてたの?
そもそも「塔の向こう」は"死後の世界"に似た場所でいいの?
「塔の向こう」の住人はどういう人達なの?
喋るインコや、火を使うヒミーはどういう存在なの?
おばあちゃんズ、もといキリコさんは前は向こうにいたの?
あの活発なキリコさんだけなんで一人で漁をして暮らしていたの?過去の姿なの?
継母の顔が似てたのは母の妹だから?
その妹とパパは浮気してたの?
積み木が崩れて世界が滅んだから何?現実世界も崩壊するの?
それに立ち向かうストーリーとかじゃないの?
お母さんの遺した「君たちはどう生きるか」は関係無いの?
プロローグからエピローグまで終始「?」マークが頭に浮かんで映画を観たのは初めてです。
なんというか…「庵野秀明の真似した駿」な印象の今作でした。
説明するしないに関わらず全体的に抑揚が無さすぎて退屈。久石譲さんの音楽に頼りすぎでは?米津玄師は無罪。
ワラワラとか、血まみれのペリカンといい、特に伏線でもないキャラクターや場面が多すぎたと思う。もうちょい添削したら見やすくなる。
ジブリ系ファンタジーは戦前戦後より、ラピュタみたいな外国だったり、ポニョみたいな現代でやって欲しかった。
というかこれ「メアリと魔女の花」の二番煎じ。
視聴者置き去り系ファンタジーはもうこりごりだったのにな。
追記)
何よりエンディングが尻切れすぎる。
「あれから二年経って東京に帰ることになった〜」の一言で締めるのにビックリした。
ラピュタで例えるなら、崩壊するラピュタをシータとパズーが眺めてると突然ナレーションが入る。
「その後…僕とシータは海賊のおばさん達に見つけてもらって地上へと帰った──」
で、君をのせて♪が流れ始めたようなものです。カタルシスがムスカと共に滅んじゃったよ。
塔の残骸を眺めて何かを思い出しそうになる、とか。
家を出る時、再び軒下を横切った青鷺が「じゃあな、トモダチ」と喋って何かを思い出しそうになる、とか。
忘れてしまったとはいえ、話の畳み方が不完全燃焼です。
本当に全体的によくわからなかったので誰かの考察とかを見た方がいいかもです。
それか同名のあの本を読むとか。全く関係ないらしいけど。
以下せめてもの鑑賞ポイント
・四足歩行マヒト
・キムタク声のパパ
・若干サイコ味ある継母
・ジブリ系おばあちゃんズ
・喋ると思った青鷺(菅田将暉?)
・病み上がりに弓矢クラフト、青羽を添えて
・10秒で書けるマスコットキャラ
・トトロと同じ動きの炎魔法
・随所に見れらるジブリ過去作を彷彿させる場面
・「二年後、戦争が終わって東京に帰ることになった」……完。
↓どうぞ気軽にコメントや感想を呟いてください。
本当に本当の引退作品 としての一つの解釈
幾度となく引退表明を公表してきた宮﨑駿ですが、いよいよ今回が本当の引退作品になるようです。
ある日空から《アニメーション》が降ってきた。
《宮﨑駿》は《アニメーション》に魅入られ、《アニメーション》を使って《スタジオジブリ》を作った。
《宮﨑駿》はその世界に心酔して行き、狂人となった。
《宮﨑駿》は《スタジオジブリ》で世界を創造し、新たに生まれる子どもたちを現実世界に送り出していった。
《鈴木敏夫》は《宮﨑駿》の血縁者の《宮﨑吾郎(眞人)》をこの《アニメーション》の世界に連れてきた。
《宮﨑駿》が作り出した世界(地獄)を《宮﨑吾郎》は目の当たりにする。
その世界(地獄)は子どもを食い物にする《大人達(インコやペリカン)》に満ちていた。幾人か作った世界を理解し、子どもたちを送り出してくれる大人も居たが、
子どもの為に作った世界は大人達に奉り上げられるばかり。
《宮﨑駿》は己の終わりを悟り、《宮﨑吾郎》にこの世界を引き継ぐ事を勧める。
《宮﨑駿》からこの世界を引き継ぐ事が出来るのは血縁者だけだ。
《宮﨑駿》は《積み木(この作品)》を作る事でほんのわずかこの世界が終わる事を延ばした。
《積み木(作品)》を定期的に積み上げれば、《スタジオジブリ》の世界は続くらしい。
しかし《宮﨑吾郎》が拒むまもなく《どっかの偉いインコ》によって《スタジオジブリ》の世界は崩壊を迎えた。
《宮﨑駿》のいない世界で、
《宮﨑吾郎よ(眞人よ)》『君たちはどう生きるか』
そんな話だったと思います。
そう解釈すると、宮﨑駿が《スタジオジブリ》が崩壊する様を作品で表現した事に、本当にこれが最後の作品なのだと感じました。一つの歴史が幕を閉じる場に立ち合い、劇場で一人泣きました。
宮崎監督の本音と遺言
大叔父は宮崎監督。
石の世界は宮崎監督の創作世界そのもの。
その世界は悪意ある墓石の積み木の塔である。
つまり金と欲にまみれていると監督は自認している。
しかし後悔してるわけではない。
眞人に渡す13個の悪意なき積み木は彼のこれまでの作品数。
監督は、純粋な人間になら跡を任せてもいいと思っているが、眞人ですら悪意の証を持っているわけで、つまり監督の跡を継げる人間なんていない。
だから自分の代で世界が終わるのを受け入れている。
これを裏切りだと非難するインコ大王とは鈴木敏夫プロデューサー。
鈴木Pはこの世界をなんとしても存続させたい。
しかし私利私欲だけではなくスタジオジブリ王国ならぬインコ王国のため。
結果、鈴木Pことインコ大王は自分で積み木の塔を積みなおすが見事に失敗し塔は崩れる。
それはスタジオジブリ王国の終焉であり宮崎監督の世界の崩壊。
石の世界は消え去り、眞人は現実を生きていく。
石の世界の記憶は現実では維持出来ないので最終的には忘れる。
タイトルである「君たちはどう生きるか」というのは宮崎監督=僕に対しての意味。
僕(宮崎監督)はファンタジーに生きた。
しかし君たちは僕のことはそのうち忘れていいから現実を生きなさい。
つまりファンへの遺言でした。
きっと人生の折々にこの”問いかけ”を思い出す
宮崎駿やジブリの映画として最高傑作かどうか。そんなことはどうでもいい。私の心を捉えたのは随所で過去作の記憶が蘇ってきたこと。あの生い茂る草木のトンネルを潜り抜ける場面、王蟲の殻のような戦闘機の天窓を持ち運ぶ場面にハッとさせられつつ、冒頭で母を喪うというくだりではなぜか高畑勲の「火垂るの墓」すら思いおこした。ただし本作では母の亡骸は描かれないし、日本が戦争へと突き進む時代を背景に、あくまで飛翔感あふれるファンタジーの構造を貫く。その世界で、眞人は死の香り漂う不条理な世界を生き抜きながら、自らの意志で決断を重ね、”真の人”として成長を遂げていくのである。着想を与えた同名小説も、日本が戦争へ向かう時代に、社会を見つめ、友を得て、自分の頭で考えることの重要性を青少年へ訴えた。物語は異なるがエッセンスは似ている。映画が終わっても問いかけは続く。この先、人生の折々に本作の記憶が蘇ってきそうな気がする。
【”お前の手で、争いのない世を作れ。と大叔父は僕に言った。”不寛容で争いの絶えない現代社会に宮崎監督が問いかけた尊崇なメッセージが琴線に響く。ジブリの思想の集大成的な作品であると思った作品でもある。】
■今作の主人公、マヒトは第二次世界大戦中に病院勤務していた母を失う。
そして、一年後母の妹と父が結ばれたのを機に、父の軍需工場がある田舎の
豪邸に引っ越す。そこには、母とそっくりの夏子が待っていた。
だが、マヒトは夏子を母と認める事には抵抗があるようだし、学校でも級友から”軍需工場”の金持の子とみなされているのか、疎外感を抱えている。
マヒトは、故に常にキッとした顔を崩さないが笑顔はない。
◆感想
・序盤は「風立ちぬ」の風合を感じさせつつ、田舎の豪邸に仕えるお婆さん達(含む、老いた”キリコ”)の表情は「ハウルの動く城」の荒れ地の魔女を思い出させる。
更に、アオサギやオウムたちとの絡みのシーンは宮崎監督の初期ファンタジックな作品群が脳裏を過るのである。
・今作は、マヒトが且つては頭が良く大量の読書をしていた大叔父が、世界の均衡を保つために空から落ちて来た”塔”の内部にある異世界で、若き”キリコ”や”ヒミ”と出会う辺りからシーンの切り替えが早くなり、時間軸も1944年ではないためやや戸惑うが、キチンと観ていれば混乱する事は無い。
・マヒトはある日忽然と消えた夏子を探すために、異世界に入り込み様々な経験をする。
それは”キリコ”と小舟で海に出て魚を取り、二人で捌いたり、人語を喋るアオサギに、自分で作ったアオサギの羽で作った弓矢を射て、アオサギの嘴に穴を開けたりする。
ー 私はこの一連のシーンから、過去の宮崎監督の諸作品を思い出したし、マヒトの成長譚であり、彼が世界の不条理、悪意を知って行く過程であろうと思いながら、観賞した。-
・マヒトは”キリコ””ヒミ”そして仲違いの溶けたアオサギの協力の元、妊娠した夏子が石に囲まれた産屋で臥せっている所を見つけ、初めて夏子を”母”と呼ぶが、マヒトが産屋に入ったこと自体が禁忌を犯した事とみなされ、”オウムの王”が率いるオウムたちに執拗に狙われる。
ー 産屋のシーン等は、”穢れ”を連想させるし、マヒトが自ら頭を傷つけ血を流した行為との関係性も脳裏に浮かぶ。ー
■マヒトは”オウムの王”が追う中、世界の均衡を保って来た大叔父と異世界で出会う。
大叔父はマヒトに、”自分の跡継ぎにならないか。”と問うが、マヒトはそれを拒否する。
大叔父は、
”お前の手で、争いのない世を作れ。”
と言い、マヒトと”キリコ”は1944年に戻り、自分の母である事が明らかになった”ヒミ”もマヒトを抱きしめた後に、元の世界に別の窓から戻る。
ー 大叔父が、□〇▽の”石”で辛うじて世界の均衡を保っていた事は、観ていて容易に分かる。だが、それを支えきれなくなっていたので、第二次世界大戦が勃発したのであろう。-
<今作は、一人の孤独なる少年が異世界で経験した数々の事により、世の不条理を学びつつ成長していく姿を描いた作品である。
元の世界に戻ったマヒトは、赤ちゃんを無事出産した夏子と父と共に”世界の不条理、悪意と対峙し、争いの無い世を作って行くのだろう。”と思いながら劇場を後にした。
今作は宮崎監督の集大成的な位置づけとして観ても良いし、現況下の世界の状況を鑑みながら観るのも良い、多様な見方を許容する作品であると思う。>
■追記 2023年7月17日
多くの方が今作に対して”分からない”という視点で困惑したレビューを上げられていますが、レビューを上げていない方から多くの共感を戴いている事に対し、感謝申し上げます。
今作は拙レビューにも記載した通り、多様な観方が出来る作品であり、尚且つ宮崎監督が現況下の世界情勢に警句を発した作品であると、私は思います。
更に言えば、宮崎監督の作品は常に、自然の類稀なる描写の中で、人間の善性を表した作品でありました。
私は、今作はその点についてはブレが無い作品だと思っています。
わけわからん
ストーリーも出演者も謎で、宮崎駿監督作品、というだけだが、それがまた興味をひくわけで、公開初日の朝一で最寄りの劇場に行ってきた。
ストーリーは・・・第二次世界大戦中に主人公の少年は火事で母を亡くし、父が再婚し、継母が妊娠し・・・てな話。
ネタバレ禁止なのだろうからこの先はやめときます。
感想は、難しくて訳わからなかった。
絵は綺麗。声優も有名俳優や女優なども使ってて超豪華。音楽は久石譲。
・・・そうなんだけど、君たちはどう生きるか、の題との繋がりが理解できず、面白いかと言われれば、そうでもなく。
家政婦さんが婆さんばかりで興味も湧かず、青サギが魅力的ならまだ救いがあるのだが、そうでもなく、自分には合わなかった。
追記
予想通り、手厳しいコメントが来ましたので、教養のなさを反省し、評価を2から➕0.5の2.5に修正します。
メッチャ面白い。2回以上観たい。
簡単に言えば千と千尋の男の子版に思えましたね。この映画は一回観て一通り理解してからの2回目以降がもっと楽しめてハマりそうだなと思いました。※千と千尋がそうだった。
いやー宮崎監督やってくれました!
もう傑作の新作は観られないと思っていたので。
大満足。
キャスト観て超豪華!!
でも誰1人気づかなかった。
キムタクは誰だった?
滝沢カレンは??(笑)
パンフレットがまた発売されてなく買えず残念。
暫く待ちます。
ところで、新しいお母さんは何故森に入っていたのかな?
謎がとけなかった。
遅いことなどないのかも知れない。 再び現れた監督の深いメッセージは生死のなかの愛に満ちたエールだ。
燃えあがる火の海をかけぬけるのは
大切な人がそこにいるから。
しかし知る、永遠の命などないこと。
哀しみを抱いたままの心。
選ぶ余地もなく変わる人生への不安や戸惑い。
それでもそこで生きていく。
ーーーーー
身の回りに次々と溢れかえる事象を、監督はあえてたくさんの登場人物やその不可思議な言動や空間に表現したように感じた。
単純なようでとても複雑で、柔らかくやさしいようで恐ろしく厳しくて、慣れようとすれば変化して、追いつけばもう離れている。
進化したかのようにみえ退化もし、悲しき争いの教訓は未だ生かされず。
目にしたものをそのまま信じた時代はいつしか遠ざかり、複雑な情報が瞬く間に入れ替わり混沌としているこの世界をそのままに。
この世の厳しい先を深く静かにみつめながら積木を持つ手は幾度も人知れずためらいに震えたはずだ。
しかし監督はあえて振り切った。
それが自分の役割りだと知っているから。
未来への時間をつくりだせる「君たち」に向けて、人を知りものを知ることで考えて歩む意味を伝えるために。
胸がじんとする。
目の底に圧がかかる。
眞人はほかならぬ〝君〟(私)の迷える姿なのかも知れない。
戸惑い、もがき、一喜一憂を繰り返しながらも「君」たちは、傍に離さない〝希望〟と〝意志〟を持つことで前に進める。
未来とはその先にしかない。
うらやましいくらいにまだ続く時間は「君たち」が持つ特権なんだよと。
先を行った人々に見守られ過去から未来へと繋がっている尊い今を、その時々の役割を感じとり、あたまとからだとこころで道を拓くために…君たちは、どう生きるか。
受け止める側のじぶんのあり方を問われた貴重な時間が、帰り道のくっきりした夏の空をなんだか少し滲ませた。
私には眞人ほどの時間はない。
その深い呼吸のあと、監督よりいくらか年上である故郷の両親があたまに浮かんだ。
自分に起きている流れのすべてを受け止めひたすら明るく穏やかな母と、1日でも母より長く生き母を守り通すことを決めているようにみえる病ある真面目な父のことを。
私はどう生きるか、この先の未来を。
何度も問いながら自分らしく生きていきたい。
そんなことを思った。
⚫︎⚫︎追記⚫︎⚫︎
グレシャムの法則さんの追記を読後の追記です。(7月27日)
眞人の足元に落ちた本、それを読んで泣いているシーン。
なぜ、あのタイミングであれだけのカットだったか。
タイトルにしているのに、なぜ?とあっけなく感じるくらいのシーンは〝あえて〟なのだろう。
監督は「君たち」の元へさらりと、そして強烈な愛に満ちた魂を込めてそれを送り込んだのだ。
人が持つ邪悪さを自己に見つけ翻弄されるだろう「君たち」が〝「君たち」自身によって〟気づき、それに命をあたえ乗り越えるための鍵にするために。
タイトルそんなに関係ないんじゃない?のもやもや感が少なからずあったなら、不気味にそびえ立つあの塔が音をたて崩れたときのようになにかが形を変え、まわりの空気を新たにすることがいつかあるだろう。
駆り立てられる思いを表すのに、遅いことなどないのかも知れない。
監督の背中が私たちの前を歩きながら、そう思わせてくれた。
修正、追記、再追記、評価変更済み
遊園地を期待して見るとがっかりかもしれないが美術館を期待するなら大満足
タイトル通りエンタメ性には欠けるがアート性はたっぷりの作品。見る人を選びます。
ややこしい話だったので自分用のメモ。
思い出のマーニー+千と千尋の神隠し+宮崎駿の創作観 といった感じ。
母親の喪失や新しい母親を受け入れることができない拒否感、また父親への不信感、環境の変化に対する疎外感。
それらから救い出してくれる物語の数々(母親からのメッセージ付きの原題の本もその一つ。実家にあった本を読みながら、親もこれを読んでいたんだなあと感じる経験は少なくない人にあるのでは?)
塔は物語の世界そのもの。
その中に入り込んで自分と向き合い、自分のルーツを知る。世界の理不尽や循環を知る。
そうして成長する。
現実逃避のように異世界にのめり込み自分の先祖やルーツを知り、現実に向き合い直すといった構成は思い出のマーニーに既視感を感じる(宮崎駿の作品ではないが)
異世界に迷い込み世界の理不尽を知る。またその異世界のアニメーションの奇妙さや目の離せなさは千と千尋の神隠しを感じる。
喪失やそこから逃避した先にある幻想的な世界という構成は村上春樹の作品群に類似しているところもあって、個人的には好みの構成。
今回、上の単純なストーリーをややこしくさせているのは、このストーリーに重ねるようにして描かれた大叔父のエピソード。
マザコンみ溢れる主人公に宮崎駿は自身を重ねているのかと思いきや、宮崎駿自身はどちらかというと大叔父にこそ自分を重ねているよう。
ある日突然現れて自分を魅了した物語の世界。
そこにのめり込み、自分で世界を作る側になった。
数々ある物語から真に納得する悪意のない13個の積み木は自分のこれまでの作品のこと?
それが崩れて世界が壊れるのは自身の引退を意味しており、宮崎駿自身は後継者を望んでいる。
しかし主人公すら後継者にはなり得ない。ただ主人公は自分で別の積み木を見つけて持ち帰った。
我を学ぶ者は死す:自分の真似をしているようではインコやペリカンのような何も生み出せない、人を食うだけの、群れをなすだけの人間になってしまうぞ?という意味?(ここはいまいち違う解釈がありそうな気がする。)
ジブリという塔が崩れて、現実世界に戻り、そこで主人公は自分の道を生きる。
まるでシンエヴァのエンディングを見ているよう。また映画館から帰る鑑賞者自身にも重なるよう。
青鷺はおそらく青い鳥にかけているように思う。
幸福の青い鳥なんて言われているが、それは全部嘘なのでは?物語なんて虚構なのでは?
それを承知で友達になれたら良いよねって感じの。
主人公は無事友達になった。
まだまだ完全には咀嚼できないような気がします。また金曜ロードショーとかでやってたら見ます。
正直やり放題すぎて鑑賞者を置いてけぼりにしていると思います。あくまで鑑賞者ってのは黙って座っておけば楽しませてもらえるもの、なんて楽チンなものではないんだなあと痛感して、それはそれで気持ちいいですねー。
追記
・インコは人間のマネをすることから模倣者のイメージ?
・どれだけ考えてもなぜ夏子が塔に入って行ったのかを説明することは不可能に思える。あくまで主人公の動機付けとして物語を駆動するための都合の良さを感じてしまう。
・千と千尋の湯屋は、風俗やスタジオジブリ、また八百万の神を癒す場としてのイメージを融合させていた。それと同様に今回の君たち〜の塔は、物語の世界(宮崎駿のこれまでの作品群)と、現実逃避先としての居場所と、出産から死までの循環、といった複数イメージをシームレスに融合させたはっきりとした輪郭を持たない存在として出来上がっている。
これは一対一対応で教科書的にメタファーを作り上げているディズニー作品とは根本的に違う仕様。
・宮崎駿が自分自身を曝け出した結果、母親は子を産むことを最大の幸福とするべきである、とまで思わせてくる様な狂気的な女性の神格化があるように思う。昨今の映画や社会の流れに逆らっているようなキモさがあるが、これをどう評価するべきか難しいところ。フェリーニの8 1/2とかも個人的には大好きなので、キモさも全て受け入れて評価したいところだが、世界的な評価は果たしてどうなるんでしょうか?気になる
完全考察してとんでもない発見した
この作品は観てない方は絶対に見た方がいい
レビューが悪いとかつまらないとか関係ない
この作品を映画館で観とかないと後悔するよ
恐らくこの作品はDVD化されないどころか公開後お蔵入りされる
次作が出た時に絶対にこの作品は話題になるので
観とけばよかったと必ず後悔するぞ
大伯父の残した言葉を伝える為の映画だと思われます
大伯父が誰か?宮崎駿でないのは確実です
タイトルから察するに故人で
ジブリ単独制作から考えるとジブリ関係者
スタッフロールから考えると
ジブリを巣立った多くのスタッフに影響を与えた
人物であることは確実
宮崎駿監督が
僕自身もわけがわからない
と言われた言葉から察すると
もしかしたらモチーフとなる人物が
複数いるのかもしれない・・・
マヒトは宮崎駿 宮崎吾朗 岩井俊二
時代背景や設定は宮崎駿
石での自傷行為はゲド戦記で宮崎悟朗がケガをしたともとれる
蛙に飲みこまれるシーンは蛙の子は蛙という言葉に飲み込まれそうになったという意味
魚は大衆のレビューってとこかも
吾朗さんだとばかり思っていたが、岩井俊二さんが有力候補に浮上しました
高畑勲の甥っ子にあたりオオオジとの位置関係もドンピシャ
岩井俊二監督は東北出身なので廃船の描写もドンピシャ
ジブリがアメリカにこの作品を持ち込んだのも
米国在住の岩井俊二に観せたかったから?
マヒトの父は宮崎駿の父 宮崎駿 岩井俊二の父
久子は宮崎駿の母 結婚前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
ナツコ・ヒキは宮崎駿の母 結婚してアニメーターを辞めた宮崎朱美 岩井俊二の母
宮崎朱美は宮崎駿と結婚するまではアニメーターであった
宮崎駿のお願いで仕事を辞めたとされる
なので、アニメーターとしての宮崎朱美は死んだともとれる
ヒキは宮崎駿と出会う前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
岩井俊二さんの親子関係にドンピシャ当てはまるので
ほぼ間違いないかも
アオサギは映画に導き入れた鈴木敏夫
事前情報でアオサギが鈴木敏夫
これはほぼ確定に近い
キリコは押井守、庵野秀明
ジブリ時代の古参スタッフで原作を守る人と考えると庵野秀明さんが有力
岩井さんと庵野さんは仲がいい?
大伯父は宮崎駿の師大塚康生 宮崎駿の盟友高畑勲
役名がおおじじではなく大叔父という名前からすると
叔父的立場の人で血縁でないとダメみたいな発言をしそうなのは
恐らく高畑勲が有力
老婆達は東映のスタッフ? 二馬力メンバー?
老人は愛煙家のジブリ古参スタッフ
二馬力メンバーで愛煙家で悟朗に関係がある人物だと思っていたが
岩井俊二さんに関係ある愛煙家だろう
お屋敷は東映 宮崎駿の個人事務所二馬力
二馬力ではなく多分東映
風切りの7番は高畑勲を制作に引き入れる時一悶着あった風の谷のナウシカ
鈴木敏夫のトラウマとなるものだと考えられる
7番目の作品に該当する作品がどれもピンとこないので
語呂的に風のナウシカと推測
ナウシカは高畑勲を制作に引き入れる際、難儀したらしい
7番が理解不能だが
もしかしたらナウシカの7巻のことかもしれない
上の世界の時代背景は宮崎駿
顔のない人々はアシスタント
海のシーンは震災
わらわらは原作もしくは脚本
インコはアニメファン 大衆
他の方の推察でアニオタは子供ポルノNGらしい記述がある
インコの王は徳間ジャパン 星野康二 原徹
ジブリ崩壊のきっかけから推察するとこのあたりか
と思ったがこの辺は考察し直し
下の世界はアニメーション業界
ではなく映画業界?
大きな石は宮崎駿の才能もしくはアニメーション映画が日本に始まったって意味?
ペリカンは脚本を作らない監督
老ペリカンは近藤喜文
老ペリカンの言葉は自分で原作か脚本を作らなくなった監督という意味だと思われる
亡くなったアニメ監督の近藤喜文であろう
と思ったが考察し直し
自分で子を作らないという意味は
岩井俊二監督が自分の原作アニメを自分で監督しないという意味かも
積み石は脚本
宮崎駿監督は13作の監督作品がある
うち9作は原作作品となり
穢れなき石に当たる
3日に一度は3年に1個脚本書くという意味かも
大きな石はやぶにらみの暴君
以下はあやふや
3日に一度は3作品に一度?三年に一度?
132は平成13年2月?2001年3月2日?
岩井俊二監督、吾朗監督が、宮崎駿監督に関係がある数字でほぼ間違いない
登場人物のWIKI調べて
2回めで意味が分かる作品です
オマージュされたいくつもの絵は
「高畑先生僕たちはあの頃よりもこんなに成長しましたよ」
っという意味だったのでは?
個人的な見解では高畑勲さんへの追悼映画かなぁと思う
なので大叔父は高畑勲で大叔父のセリフは高畑勲の言葉なのでは?
制作開始時期は高畑勲さんは闘病中で
平家物語の監督を降りたりとあったので
当初は引退した宮崎監督がわざわざ復帰して
早く元気になってまた映画作ろうよ!!的な
元気づけるための映画だったのかと思いましたが
高畑勲さんの縁戚で東北出身の岩井俊二監督へ何かを伝えるための作品かもしれません
遠縁である岩井俊二監督に高畑監督もしくは宮崎駿が伝えたい言葉だと思われる
お二人は作品の感想を手紙のやり取りする程度で
そこまで近しい関係ではなかったようなので・・・
公開後のイラストは高畑勲さんの後ろ姿なのかなぁ
ジブリがやたら早くアメリカにこの作品を持っていったのは
岩井俊二さんにこの作品を早く観せたかったからでは?
高畑さんの言葉を岩井俊二さんに伝えるための作品なのかも
岩井俊二監督に何か言いたいんであろう
作品の中で眞人が岩井さんだとすると
僕はアニメ監督はしないと断ったようにも見える
もしかしたら宮崎監督が言いたいことは
日本アニメ馬鹿にすんなよ!!的な感じかも
今回の作品は宣伝しない方が宣伝になるという
観測気球かもね
前半のやたら長い生い立ちなどは
宮崎駿監督が岩井俊二監督に
実写映画の出演者の事情でカットできないシーンを
いらないカットはちゃんとカットしないと
こうなるぞって意味合いにも取れるかも
宮崎監督がこの映画を通して
お前の作品はココをこうした方がいいぞってな感じで
岩井俊二監督の作品を批評してるのかもね
理想を追求しろ‼︎っと言ってるのかも
岩井俊二のアニメの歌を歌ってるのが米津
米津がEDだったのもこういう意味があったのか・・・
鳥がモチーフの意味は高畑勲が関係した
王と鳥からのモチーフだったとは・・・
高畑勲と岩井俊二を辿ればこの作品全て理解できそうですね
やぶにらみの暴君と鳥と王
この2作品を見ると宮﨑駿監督が岩井俊二監督に言いたいことがわかるかも
特に王と鳥の岩井俊二監督のコメントは考察する上で要チェックです
好意的なメッセージかと思っていたが
日本アニメを軽視した岩井俊二さんの「王と鳥」のコメントから読み解くと
敵対的なメッセージのような気がします
何かしら違和感だらけの映画だったがこういう意味だったのね・・・
これ以上の考察は他の方にまかせまーす
・・・・と思っていたが・・・
とんでもない事が考察できたゾ‼︎‼︎
今までの考察がどうでもいいレベル‼︎‼︎
というか登場人物の考察は全く意味がない・・・!!
予言する‼︎ 同じような内容の2作目が出る‼︎
そして、この作品は映画公開後お蔵入りされる
まさかとは思うが
考察が当たっていれば、この映画は「やぶにらみの暴君」バージョン
そして、今後「王と鳥」バージョンが出るぞ
同じ内容の2作品目が出るぞ
初めからお蔵入りする気だからジブリ単独制作なんだ・・・
監督がわけわからない発言の意味はこれか・・・
絵が鬼気迫るような迫力があるのはそのせいか・・・
あえて、わけがわからない作品を作ってるからか・・・
この作品がお蔵入りされれば、自分は引退している発言の意味も納得できる
オマージュが多いのはこの作品自体がオマージュだから?
製作途中作品だから話が支離滅裂?
もしかしたらこれ2個1作品かも?
編集で部分部分を切り取っていくと宮崎駿自伝にもなるし
宮崎悟朗自伝にもなる 母も再婚しなくなる
全ての謎が解けるんです‼︎
「やぶにらみの暴君」を観れなかった世代に
「王と鳥」との違いを映画で教えるための映画です
この映画「やぶにらみの暴君」と同じ運命なら
観れるのは今だけで
2度と観れなくなる可能性大です
そして同じような内容の作品が出される可能性も大です
ジブリはとんでもないことをしようとしてる
「王と鳥」の伝説を塗りかえようとしている
更にまさかとは思うが
「王と鳥」バージョン
宮崎吾朗監督ではないのか??
それこそ映画界が激震して全ての評価が変わるぞ!!!
ジブリサイトの「王と鳥」読んだら謎が解けます
作品の考察は「やぶにらみの暴君」と同じで制作途中ならば全く無意味なので
今後の考察はコメントで書きます
作りたいものを作った、それだけだ
前作は関東大震災、今回は世界大戦と、史実を絡めながらの導入部。
前半は「もののけ姫」系のリアル路線で進行し、
後半は「ハウルの動く城」系異世界での展開といったところ。
主人公マヒトもどこかしらアシタカの雰囲気がある。
歴代の宮崎作品のオマージュを活かしつつも、「こういう設定の物語」と考えればそれほど難解ではないと思う。
ジブリおなじみバアちゃんズ、今回は数で来た(笑)
解散した制作部の穴埋めはジブリ卒業生スタジオポノックの協力もあり、作り込みに関しては文句なし。
ポノックの新作も楽しみだ。
短いエピローグ、
弟が誕生しているが、マヒトに似ず、どことなくインコ顔のように見えたのは気のせいだろうか?
全然面白くなかったです(ストレート)
たまに勝手に期待して、うんぬんってありますが、この作品には通用しないですね。
予告なし、宮崎駿、引退撤回、タイトルが名作
期待しない方が失礼です。
やはり
アニメーションは相変わらず凄かったです。進化を感じました。
特に冒頭の、燃え盛る病院へ向かう眞人少年とその周囲のアニメーションが凄かったです。
燃え盛る炎の反射、野次馬の喧騒、眞人の感情を表しているかのような流れるような疾走感あふれる作画。めちゃくちゃ感動しました。
これはすごいぞ!楽しみだ!と思っていました。が、それまででした(т-т)
それ以降、眞人がどんな少年なのか全く掴めませんでした。母を失ったショックによるものなのかな?など考えたりしたのですが、不明なまま終わりました。
最初はとても礼儀正しいので、真面目な性格?と思いました。しかし、学校の子供といきなり取っ組み合いの喧嘩、その帰り道に道端の石で自分の頭部に傷を作り、父親の権力を使って、喧嘩相手を止めさせるのかと思ったら、「ただ転んだだけ…」と言っていました。
さらに、タバコを盗み、使用人にそれと交換で弓矢を手に入れ、サギを殺そうとしました。
んんん???ってなりました。
サギに対する不快感それほどか?かまって欲しいがための怪我?心配して欲しいための怪我?父親は妊娠している夏子さんに気持ちが寄り気味なので、それを引くため?などなど理解しきれなかったです。
そして、ストーリー。これが1番退屈でした。色んなものをただひたすらに詰め込みまくって、神秘的な表現を用いた上で、「もちろんメッセージ性あるから、理解してくれよ」
と言われているような感覚でした。
扉を開けたら、別の空間、都合の良い能力の新キャラ、そしてまた、扉を開けたら、別の空間、よく分からない演出の繰り返しです。
シンプルに面白くなかったです。
それでもアニメーションは流石のクオリティでした。
宮崎駿監督が粉骨砕身して本気で遊ぶフルアニメ!
原作、脚本、監督は宮崎駿。
ゴールデングローブ賞アニメーション作品賞受賞。
アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞。
【ストーリー】
時は太平洋戦争末期、空襲で母が亡くなり、田舎に疎開した少年眞人は、そこで奇妙な屋敷に住むことになる。
屋敷には、好奇心を隠しもしない妖怪のような老婆が8人、使用人として住み込んでいた。
家では新たな継母となった叔母・夏子とギクシャクし、学校へゆけば皆と毛色の違うと集団で乱暴を受ける。
苛立つ眞人は、大きな石を拾い、それで自分のコメカミを傷つける。
学校へねじ込むと息巻く父親にも、それをやめさせようとする継母に何も話さず、眞人はただベッドで寝込む。
何よりも眞人を苛立たせたのは、まるでこちらを監視するかのように姿を現しては嫌な鳴き声を聴かせる、一羽のアオサギだった。
夢うつつに眞人はそのアオサギと対決するが、そいつはまるで人間のように言葉を巧みに話し、眞人を誘い込んで手の木刀を粉々にしてしまう。
眞人にまとわりつく手強いアオサギを、手製の弓と矢でどうにか追い払うも、夏子が森に姿を消してしまう。
眞人は夏子を追いかけて、大叔父が遺したという塔に入ってゆくが、そこは魔術のような世界だった。
監督自身の記憶、思い出、心象風景、トラウマをごった煮にした塔の世界を、主人公・眞人が次々と冒険します。
時に乗り越えられないような大きな危険も、そこは宮崎主人公、苦痛を顧みずに突破をはかる益荒男ぶりは皆の知るところ。
クライマックスに提示された選択にも、悩むそぶりなど見せず、自分の弱さ愚かしさを受け入れます。
……というような見れば誰でも分かる内容は置いといて、出色なのはアニメーションです。
動画のモーションがツボを押さえていてまたいいのなんの。
流石です、宮崎監督。
しかもフルアニメ!
実はジブリ作品は、ここぞという場面以外の日常シーンはコマ落とし、つまりリミテッドアニメであることが多いのですが、この映画は全編フルアニメーションを実現しています。
手描きにこだわる宮崎駿監督ですから、人物のアニメは中割りソフト(という物があるんです)を使っていないのではないかと思われます。
これはもう非常に手間と時間とお金のかかる制作方法で、かつて大友克洋が監督したAKIRAが、それで11億円もかかったという恐ろしい前例も。
背景の精緻なる美しさも目を見張りますが、塔の世界が崩壊するシーンは背景動画ではなくCGを使っていて、これまた猛烈に手間のかかるクオリティ。
ラピュタもここまでやりたかったんだろうなあ、と過去作の無念や妄念をこれでもかと手をかけて鎮魂しています。
ジブリでCGといえば『もののけ姫』のイノシシ、乙事主の身体を侵したもの凄い数のワーム形タタリ神が有名ですけれど、あれを専属でやっていたアニメーターさんは、2年間もあの冒頭シーンに費やしたとか。
監督ほんと無茶苦茶させるよなあ……。
タイトルの説教くささと「宮崎さん本物の左◯だから」と某アニメ監督から言われるような、私生活における思想的言動の多さ、パワハラぶりも伝えられる宮崎駿。
これはもう人生最後に言いたい事全部行ってやる系の、全力かつ渾身かつ粉骨砕身の老骨滅却の大パノラマお説教作品に違いない、自分のような田夫野人(でんぶやじん)は、心砕けるまで説教タイムされるのだろうか……ああ、今から自分はお金を出して説教されにゆくのか……と悲しい気持で劇場に向かいましたが、ご安心ください、上級のエンタメです。
よかった。
隣に座った母子も楽しんでいる様子でしたので、お子様を連れていっても、きっと大丈夫ですよ。
スタッフロールにはなかよしこよし庵野秀明のいるカラーなどの制作スタジオの中に、しれっとスタジオ地図も混ざっていました。
宮崎監督、細田守監督に、ちゃんとごめんなさいしましたか?
ちゃんとしないと、没後に非道が伝えられて、ジャニー宮崎とか言われちゃいますよ(言いすぎ!)。
いやあ、面白かったですよ。
尻込みしましたが、見てよかった。
二の足を踏んでいる方はぜひぜひどうぞ。
この世は一つであることを連想させる作品!
この作品は、宮崎監督の中にある創造の炎が散りばめられていて、見応えがとてもありました。とはいえ、私たちの生きている3次元の世界では、少々ストーリー無視なところがあるかもしれません。それでもあらすじはあります。少年の母が亡くなり、家族が引っ越して、父がその母の妹と結婚します。引っ越しした屋敷の周辺で、少年が青鷺に導かれ地獄と天国の世界を冒険するというものです。それでもかなりの抽象度ですから、見る人によってはまごつくのでしょう。それが、この作品の評価を下げているような気がします。地獄の世界、天国の世界、現実の世界を行き来する登場人物たちを見ていると、それぞれの主張が勝手に動いて言っているのですから、分離感は否めません。それでもジブリファンにとっては、10年ぶりの宮崎監督作品ですから、それぞれのシーンにリスペクトを感じないはずがありません。七人の使用人のお婆さんたちの動きを見ていると、かつてのジブリ作品を彷彿とさせてくれます。また、人間が現実世界に生まれる途中で、ペリカンが食べてしまって生まれないというシーンは、魂を食べているようで怖い表現だと思いました。さらに、主人公の少年に世界平和を託す異世界を創造する大叔父のセリフもかなり唐突ですが、監督の世界観の必然的な表現なのでしょう。海外でどうして高い評価なのかを考えますと、宮崎監督のこれまでの実績なのだと思います。あと、この作品にしかけられた東洋思想的(仏教)な生死感の秀逸さなのかもしれません。いずれにしても、宮崎監督の世界観をダイジェストで見ているような感覚に、感謝しかありませんでした。
私(宮﨑駿)はこう生きた。さて君たちは?
第81回ゴールデン・グローブ賞作品賞受賞作。
第47回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞受賞作。
通常スクリーンで鑑賞。
吉野源三郎氏の同題小説は読了済み。
なんの先入観も持たずに映画を観たのは今回が初めてかもしれない。前代未聞の宣伝手法を取った本作だが、それは情報が氾濫する現代社会にひとつの楔を打ち込んだかの如く、世間の話題をかっさらっていたのがある意味痛快だった。ネームバリューだけで客を呼ぶことが出来るすごさも痛感させられた。
監督の自伝的要素を含みながら主人公が世の中や己自身に向き合い成長していく、かなり王道なストーリーが展開する。
物語の前半と後半で印象が変わり、少々散漫な印象を受けたものの、ジブリらしさ全開の独創的なファンタジーだった。
内容について詳しくは語らないが、監督のキャリアの集大成的な作品であることは間違いが無く、とても面白かった。
「私はこう生きた。さて、君たちはこれからをどう生きるんだい?」と監督から問い掛けられているような気がした。
一時代を築いた人物なだけに、その問い掛けは真に迫っていると云うか、とてつもない重みを伴っているように思う。
つまりそれは、ひとつの時代の終わりをも意味しているわけで(おそらく本作が本当の引退作だろう)大変寂しい。
最高傑作ではないかもしれないが、引退を撤回して本作をつくったクリエイターとしての心意気が伝わる力作であることは間違い無い。お疲れ様でした。ありがとうございます。
[追記(2023/10/05)]
本作で監督は引退されると思っていたので上記末文のようなことを書いたが、ご本人は全く引退する気が無いらしいと云うネットの記事を読み、衰えぬ創作意欲に感服すると共に、まだ新作が観られるのかと云う喜びに震えている。
※修正(2025/05/24)
ボンボン
戦争が始まって3年目のプロローグに始まり、4年目に訪れた転機からの少年の成長と変化をみせる話。
千と千尋の神隠しの主人公を男の子に置き換えて、以降の抽象的なつくりのジブリ作品をミックスした様な感じですかね…。
正直私は千と千尋の面白さもそれ程良く解らないんです…。
それにしてもやっぱり俳優として上手い人が声優として上手いかは別だと改めて実感した。
ネタバレ表記にしておいてもあまりにもなネタバレは一応避けたいのでこの程度で。
君たちはどう考察するか
タイトルのもとになった原作小説は未読だったが、スタジオジブリが「まっさらな状態で映画を観てほしい」と言うので、言われた通りの状態で鑑賞した。
主人公の眞人(まひと)は第二次大戦中に母を亡くし、疎開先で父の再婚相手であり母方の叔母でもある身重のなつ子と暮らすことになる。転校先でいじめられ、義母の存在も受け入れられず、母が亡くなる時の悲しい記憶とともに鬱屈とした思いを抱えて暮らす眞人だが、ある日姿を消した義母を探すうち、怪しいアオサギに誘われて敷地内の謎の洋館から異世界へと旅をすることになる。
大人の目でこのタイトルだけ見ると説教臭そうに見えるが、そんな傾向はほとんどなかった。端的に言えば少年が未知の経験をする中で成長し、自分の中に生きる実母の愛を確認して、義母を家族として受容するまでの心の彷徨と義母側の葛藤をファンタジーで表現したものだと、個人的には解釈した。
ファンタジーのシークエンスに入るまでが結構長い。映像や想像上のキャラクターは、宮崎駿が過去に関わった作品のセルフオマージュがふんだんに詰め込まれているように見えた。おばあちゃんたちや疎開先の建築物の描写、ワラワラ、遠景で眞人を探す父親が銭形警部に見えたりもした(笑)。子供が異世界でなんやかんや揉まれて成長するという話の大筋自体も既視感がある。
異世界でのステージがどんどん転換してゆくのだが、説明はほぼない。大おじの洋館の床に沈んで、ペリカンがいっぱい出てきて、船を漕ぐお姉さんが出てきて、なんかインコがいっぱい出てきて、ここはインコの国でどうのこうの、となってきたあたりで、設定の意味を考えるのをやめた。
この説明のなさ、考察好きな人にはたまらないのかもしれない。私も考察を楽しいと思うことはあるが、それも本筋のストーリーの面白さと、情報量が適切であるかどうかによる。物語がたまらなく面白ければ、意味深な情報の洪水も考えてみようというエネルギーが湧いてくる。
本作は映像的には十分楽しいのだが、インコたちと終盤に登場した大おじとの関係などを見る頃には、お腹にいっぱい溜まった未消化の謎情報を消化するモチベーションがなくなっていた。オマージュ要素が先行して、大きく驚かされるような展開のダイナミックさや新しさがほぼなかったせいだろうか。
洋館の地下以降はあの世で、なつ子はつわりも重くて出産にあたり実は生死の境をさまよっていたのであの異世界の奥の方にいて、わだかまりのあったなつ子と眞人の関係を亡くなった実母=ヒミが取り持ったのかな、程度のことは考えた(ヒミの立ち回りを見てちょっと「TENET」のニールを思い出した。全然違うんだろうけど)。
あと、後継指名しようとした大おじは宮崎駿自身だったりして……とか。
本作の事前プロモーションなしもびっくりしたが(「THE FIRST SLAM DUNK」はキャラ設定などの予備知識は原作から得られた)、前売券もなし(これはディズニーもそうだが)、パンフレットに至ってはなんと後日発売という、ビッグネームだから出来るある意味超強気というか、何か別の事情や思惑があるのかよくわからないアプローチ(宮崎氏は前宣伝しないで大丈夫かと心配していたというのを記事で読んで笑った)。興行的には、初動でどれだけ稼げるかにかかっている気がする。評価が広がったら、人を選ぶ内容なのでちょっと厳しいか。
おかげで、本当にまっさらな状態でスクリーンの前に座るというなかなか貴重な体験を出来たことはよかった。
インコの宴。
戦争中のある一家の話。
ただ者ではない鳥(青サギ)とその一家の息子が出会う事で始まるストーリー。
駿!駿?駿ちゃん!?何かストーリー分かりづらいし、終始眠いし、どうしよ!って感じでした(笑)久々に最初から最後まで寝落ちしそうだった!(笑)
平日にも関わらずいつもより鑑賞客多め!
そっかやっぱ駿作品が皆好きなんだな!と実感しました。
私の中で唯一の救いは一家の新ママがアニメキャラの割にいがいとセクシーで色気があり何と言ってもセクシーで色気がありました!
声優さんと主題歌側に力いれすぎじゃないかな!?(笑)
これから創作活動に関わる若い人達へ向けた宮﨑駿のささやかな、しかし熱烈な思いを感じ、涙涙
宮﨑駿監督(本作より宮崎が宮﨑に変わった様)による2023年製作(124分、G)の日本映画。配給:東宝。
前評判は今ひとつと聞いていたが、大きく感動し、年はとったものの宮﨑駿のイマジネーションって凄いと改めて思った。そして、今までの宮崎アニメにあまりなかった渾身のメッセージに涙が溢れてきた。凄い映画だ。
出だしの母親が火災で亡くなる臨場感は、お見事である。階段を駆け上がる主人公牧眞人のスピード感と走って向かっていった先の燃え盛る炎拡大の凄まじさ、そしてアッサリとすぐ次のエピソードに進むテンポの良さに感心。
そして、眞人疎開先の日本家屋の造形や内装の美しさ、取り囲む自然の緑や光そして水の豊かさに圧倒された。細かい細部まで、今まで以上に美しく描き込まれており、美術監督武重洋ニら宮崎アニメの美を支えて来た方々に大いなる敬意を覚えた。
学校でいじめられ、自分で頭を石で叩き出血する主人公。その理由は自分には良く分からなかったが、悪意の象徴と本人は言っていた。父の行動を予測しいじめた奴らへの復讐を意図したものなのだろうか、母亡き後すぐに結婚し学校に息子をダットサンで送りつける父の行動への怒りが自分に向かったものなのか、それとも、家でも学校でも孤独で楽しくないイライラからの暴発的自虐行為なのか?
謎の怪しい存在である青サギを射ろうと弓矢を作る眞人。最初、全く上手く飛ばなかったが、青サギの羽を付けることによって、目の覚めるような速さと重量感で矢は放たれる。この予想の遥か上を行くスピード感の凄さが、宮崎映画の大きな特長で、それが相変わらず健在と感嘆させられた。
母の手書き文章が書き込まれた「君たちはどう生きるか」を読みながら、涙を流す眞人。その涙の水々しい表現がどのアニメと比べても、宮崎駿アニメは1番上手と思う。そして、少年の成長のための冒険の始まりの導入としても、とても上手い本の利用とも思った。
大叔父の建てた洋館(恐ろしい数の書籍があふれる内部造形も凄い)に入った眞人と青サギ転じたサギ男(声は菅田将暉)は、老婆キリコと共に泥土の中へ沈んで行き、下の世界へ行く。この時、落ちていく真下が波が打ち寄せる海岸であるという映像に、息を呑んだ。何という素晴らしいイマジネーション。何より絵になるじゃないかと。宮﨑駿創作のイメージ凄いと思ったが、構図的にはエヴァンゲリオンの絵に関わってきた作画監督本田雄によるものかもしれない。降りたった場所が浅瀬で、そこでの足もとでの海水の揺らぎが何とも美しかった。
ここで出合う若かれし時代のキリコ(声は柴咲コウ)。その意思の強い頼りになる強い女性像が、宮崎アニメの常連キャラクター(ナウシカのクシャナ、ラピタのドーラ、もののけ姫のエボシ御前、千と千尋のリン、等)を思い出し、何とも懐かしく感じた。そして今回も、大魚解体の鮮やかな包丁捌きなど、とても魅力的であった。
魚解体時に集まった多くのワラワラ。その造形が何ともユニークで可愛いが、お腹が膨れて丸くなり、1匹、2匹と空に飛んでいく。それが数えられない程の数になり大空を覆う様になる。その美しい映像に、そのイマジネーションの見事さに、もの凄く感動してしまった。
しかし、そこにペリカンが現れて、かなり多くが食べられてしまう。ワラワラが空を飛べるのは本当に久しぶりとか言われており、どうしても自分は、多くの若いアニメーターの方々をイメージしてしまった。日頃の収入は乏しく、大きな仕事が入っても今度はハードすぎる仕事で心身を痛めてしまう存在を。ワラワラを食うしかなかったと言って死ぬ老ペリカンは、多くの若いアニメーターをすり潰してしまったという宮﨑監督自身の懺悔の様に聞こえた。
更にこの下世界で新たに出会う火を自在に扱う少女がヒミ(声はあいみょん)で、実は火災により亡くなった母久子の少女時代の姿らしい。この時空を超えた設定がなかなか魅力的で、彼女の力も借りて、母の妹でもある義母夏子と再会する。鬼の様な形相で「あなたなんか、大っ嫌い」とまで言われてしまうが、この世界で揉まれてきたことでか、ずっと懐かず夏子さんと読んでいたのに、ここで夏子母さんと呼べ、夏子の実姉息子の義母としての苦しみを救うことが出来た。
そう、この物語は少年の成長の物語。そして、この少年は多分創作を目指す多くの若者であり、宮﨑駿自身の経験の反映が色濃く出ている。青サギは、その道の先導役であり先輩で弓矢作りの様に創作を刺激する存在。そして、一緒に活動してくれる大切な友でもある。まあ鼻の特徴から宮崎にとっては高畑勲のイメージで(2018年に亡くなった彼への宮崎なりの感謝の表明と感じた)、未来の創作者にとっては互いに刺激し合える大切な仲間なのであろう(高畑葬儀で、宮崎は5年上の彼との出会いは、雨上がりのバス停と言っていた。サツキのトトロとの出会いは実は高畑との出会いだった)。
主人公が下世界で出会うのが大伯父(声は火野正平)。彼は、13個の積み石を積み上げることで、世界のバランスを何とか保っていると言っている(On your mark含め本作で宮崎監督映画は13)ので、勿論宮崎駿の自画像なのだろう。空に浮かぶ巨石(宮崎が愛した多くの欧州の物語達の象徴か?)に導かれ、汚れた上の現実の世界と接点を持たずに創り挙げて来たこの世界(やはりジブリのことを言ってると思える)を、血の繋がった人間に継承したいと言う。新生宮﨑駿によるかつての自分(宮崎駿)の創作姿勢や組織運営に対する痛烈な自己批判と自分は感じ、感動を覚えた。
未来の創作者である主人公牧眞人は、大伯父の継承依頼を断る。汚れて破壊に向かってるかもしれないが上の現実社会で、この世界で得られた青サギやヒミの様な友人と共に、歩んで行きたいと。積み石は、不安定な状況を嫌った権力者インコ大王により破壊され、それにより下世界は大崩壊に至る。インコ大王は創作者の想いや志しを十分に汲み取れないプロデューサーやスポンサーを象徴している様に思える(下世界をジブリと見れば、鈴木敏夫や協賛企業お偉方の姿なのだろうか?)。
自分はこの大崩壊の凄まじい映像表現に、崩れる世界のある種の美しさに圧倒されてしまった。幸いに、眞人・夏子及び青サギ、そして戻る世界は別だがヒミ、そして多勢のインコ達(ジブリで働いていた多くの人間がイメージされる)は、この世界を何とか脱出する。
眞人のポケットの中には、キリコの木製人形と下世界で得た悪意を有する石を携えて。石携帯は大叔父の創造する意思(いし)の継承の表れか。過去の自分のあり方は否定したが、新たな現実社会に立脚した誰かの物真似では無い、人間の善意と悪意の両面を描いた集団創造への宮﨑駿の期待の大きさを感じた。
元の世界で戻った主人公は、新たに生まれた弟も伴い東京に向かう。書籍「君たちはどう生きるか」の携帯は勿論だが、ポケットの中には青サギには忘れてしまうと言われてもいたが、持ち帰った“石”が入っている様に思えた。自分の創作活動のかけらが僅かでもどこかで役立てば嬉しいという、ジブリを飛び出したアニメーター達に、ひいてはこれから創作活動に関わる若い人達への宮﨑駿のささやかなしかし熱烈な思いを、聴き取った気がした。
監督宮﨑駿、原作宮﨑駿、脚本宮﨑駿、プロデューサー鈴木敏夫、作画監督本田雄、美術監督武重洋二、色彩設計沼畑富美子、 高柳加奈子、撮影監督奥井敦、撮影藪田順二、編集瀬山武司 、松原理恵 、白石あかね、音楽久石譲、主題歌米津玄師、音響演出笠松広司、整音笠松広司、アフレコ演出木村絵理子、助監督片山一良、制作スタジオジブリ星野康二 、宮崎吾朗 、中島清文。
出演
山時聡真眞人、菅田将暉青サギ/サギ男、柴咲コウキリコ、あいみょんヒミ、木村佳乃夏子、木村拓哉勝一、竹下景子いずみ、風吹ジュンうたこ、阿川佐和子えりこ、滝沢カレンワラワラ、大竹しのぶあいこ、國村隼インコ大王、小林薫老ペリカン、火野正平大伯父、上原奈美、西村喜代子、綿貫竜之介、柳生拓哉、画大、飯塚三の介、川崎勇人、鈴木一希、土居正明、重田未来人、井下宜久、岡森建太。
理解するため、もう一度観ます。
突然にポスター1枚だけが現れたあの日から。。
公開まで一切情報を出さず、プロモーションもなし。宮崎駿監督が引退を撤回し10年振りに送り出した本作。
そのタイトルが
「君たちは、どう生きるか」
手がかりはあの鳥のポスター。
鳥には詳しくないのだが、さぎ?ペリカン?のように見えた。
全身白羽、クチバシが黄色く長い。金色の目とそこから頭にかけて青いメッシュが入っている。そしてよく見ると、
クチバシの中に目。。
鳥の被り物?をかぶっている何か?。。
私は映画鑑賞する際はなるべく情報を入れずに観たい派。無料パンフがゲット出来ればその程度。みなさんのレビューも鑑賞後、自分のレビューをあげてから拝読するのだが。。。
こちらが取りにいかないのと、あちらが出してくれないのとでは訳がちがったw
何も情報が解禁されぬまま作品を鑑賞するなんてはじめてだ。
(なんとパンフも公開後からの販売だそうです!)
舞台は戦時中。病院の火事で入院中の母を失った眞人は、父の再婚相手なつこ(実母の妹!時代?戦時中?という事もあり、普通の恋愛結婚とかではなさそうです。。)のお屋敷に疎開する。なつこは妊娠しており、父も喜んでいる。ほぼ無言の眞人。。
そのお屋敷であのポスターの「鳥」と出会い、本の読み過ぎで頭のおかしくなった(と言われていた)大叔父がいなくなった建物へ、入っちゃダメだというおばあちゃんと一緒に入っていく。。。
ここからはもう難解なのだが、監督の死生観をみせているのかなぁ??
全ては監督の頭の中。例えばパズルを机の上に全部どばっと広げる。そんなごちゃごちゃな絵をみせられているようだ。
なので理解しずらいのは当たり前で、「わからない」「つまらない」では勿体なくないですか?
問われています。
「君たちは、どう生きるか」
お手伝いのおばあちゃん達。ポニョのあのおばあちゃんだったり、湯ばぁばだったり、海賊のママだったり。どこかで見た事のあるお顔。みんなが眞人を守ってくれた。
バルス!的な塔の崩壊や、海、水、火の描写、なんとも不思議な生物など、監督自らの過去作へのオマージュとみられる箇所も多く、集大成なんだなと思いました。
しかし、繰り返してしまうが、私には難解であり言葉にし難いです。
だからといって、わかりやすいか否かで、本作を良い悪いと判断しては勿体ない!
欲しい情報が容易く手に入る今の時代、自分で考える事を放棄している現代人への警告、、とまでは大袈裟か。。
そして、もしかしたら監督から次世代へむけたエールなんじゃないかなと。
自分で考えて、選択しろ!
積み木を重ねる事を拒否した眞人。
先人の重ねてきた物の中から、自分で選択することの意義。
巨大になり過ぎたジブリブランド。
必ず結果を求められ、本当に作りたい物が作り難くなっている後進へのエール。
絶対的な存在になった(なってしまった?)自らの引退作として送り出してきた本作で全て壊してきた!まっさらにした上で、さぁ、
「君たちは、どう生きるか」
冒頭の火事の中、眞人が走っているシーンから泣きそうだった。
描写が素晴らしかった。
全763件中、1~20件目を表示

















