君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全1335件中、381~400件目を表示
まだわからん。
原作?のタイトルの説教くささや、漫画の絵が苦手すぎてブームの時も特に手に取ることもなく。
ジブリがアニメ化すると発表した時も、なんでまた、と思ったもの。
今般のPR戦略にまんまと踊らされ初日に鑑賞してみたら、千ちひ風味やハウル風味の、普通の宮崎ワールド。
今はまだわからんけどこれからジワジワくるのかな。
しらんけど。
エンドロールの声優陣が何を演じていたのか気になりパンフレットでも買ってみようと思ったが、どうやらしばらく販売はないらしい。
徹底しとる。
原作?原案にこれまで一切ふれておらず、これから手に取ることもないだろうから、どんな風に関連してたのか内容くらいは知りたいので、そっちについてはwikiでも見に行きます。
決めつけは視野を狭くする
いつものようにエンタメな映画と決めつけて観に行ったので、置いてけぼりになってしまった。
この映画はアートとして観るべきだ。
今作はこういう作品だと説明がない、いかようにも解釈が出来る。
これってどうなんだをそれぞれ持ち帰って解釈出来る。
そこが今作面白いところだと感じた。
監督曰く表層世界だけでなく深層世界を見つめるべきらしいです。
世界観で殴られる。やっぱり宮崎映画が好き!
始まった瞬間から引き込まれる、細部まで描き込まれた世界。そこに生きる人々の息吹まで感じられる、生きた人間そのものの動きや仕草や表情。
眞人が大急ぎで階段を登る時の動き、まさに子供が急いでいる時の動きで感激した。そして慌てているからこその無表情。並のクリエイターだとあそこは焦った表情にしてしまうと思うんだけど、あそこを無表情にするのすごい。
そして圧倒的に練り込まれ作り込まれた世界。世界観で殴られるファンタジー。これぞ宮崎駿。巷では色々言われているようですが、いいんですよ別にストーリーや設定の全部が全部説明されてなくたって。だって映画だから。エンタメじゃなくて芸術だから。思い返せばナウシカだってラピュタだってもののけ姫だって千と千尋だって、よく分かんない部分たくさんあるんですよ。でも良いものは良い!その世界に没入し、夢中になる。世界観で殴られ黙らされる、それが心地良い。やっぱり宮崎映画が大好きです!
それにしてもあのキャラの声が菅田将暉さんだったとは、エンドロール見るまで(というか見ても確信得られないくらい)全く分からなかった…すごいです。
父と同じ歳で…
「さぁわたしはどう生きたいの?」
映画館で観終わった後の感想です。
今、分からないことは直ぐに答えを出せて
ググッただけなのに
分かったように勘違いしてしまう事が多いから
今回の宮崎さんの映画は、
やっと自由に作れた作品なのかなと感じました。
宮崎さんは私の父と同じ歳で
父は仕事ばかりして、自由を感じる間もなく
車椅子生活で、
話すことも出来ません。
だからこそ最後にこんな風に自由に作りたいものを作れたのかな?と感じられる作品を見終わって
何だか胸がいっぱいになりました。
なんでも答えを人に求めず
生き方くらい自分で考えなさい!
と言われているようでした。
良い、悪いという評価を付けるというより
どう感じたか?
頭で考えて観ると
楽しめないかもしれないですね。
私はもう一度観に行こうと思っています。
観る度ジワジワ好きになる
4回目を観ました。
前回まで分からなかったシーンの理解が進み、理解と同時にそれは宮﨑監督から自身へのメッセージでもあると気付きハッとさせられました。ホントに良く出来た映画だと感動しています。
1回観てあとはネット上の他人の考察を摘まんで理解した気になる、または理解出来ずつまらなかったで終わるのは本当に勿体ないです。自分の眼で、自分の耳で、自分の心で受け取り、感じ、考えてほしい、と強く願い生み出された作品であり、そのため暫し作品と自身に向き合う時間を要するからです。よって、勉強が好きでない方や感受性が豊かでない方は意味ワカラナイ、で終わるのが自然の摂理であり、万人ウケしないのを当然承知で世に放ったのは、世界から認められる宮﨑監督だからこその潔さです。
ただ、フレームは非常にわかりやすく冒険を通し成長する話なので、いちいち理由を求める大人よりも子どもの方が、すんなり受け入れることが出来るかもしれません。その子どもたちも数年後、何かのタイミングで監督のメッセージに気付く時が来るのでしょう。この点がまさに、宮﨑監督の真骨頂だと思います。実際、小学校低学年くらいの姉弟が、お母さんに嬉しそうに感想を話しながら映画館を後にしていましたよ。
宮﨑監督の頭の良さと優しさと才能、鈴木Pのバランス感覚、作画・美術等制作者のプライド、キャストの秀逸な選択とパフォーマンス、自己主張を削ぎ落とし極限まで澄んだ音楽。とにかくじっくり観れば観るほど、全てに迫力があることに気付きます。宮﨑監督の作品の中で1番好きかも。これまでの作品と違い、期限や予算、制作委員会の意向などの制限無しに天才が生み出した作品なのだから、そう感じるのは必然かもしれません。
************************
以下は2回目を観た後の感想です。観る回数による受け止めの変化のご参考になれば幸いです。↓↓
公開初日に観た初回は、事前情報の無さと本編の情報量の多さのため情報処理が追い付かず「宮﨑監督の集大成にして駿ワールド全開、バイタリティが過ぎる82歳、これは次回作もあるかも。だけど、なかなか難解な内容だったな」と、素晴らしい出来であることは解るものの、何だかモヤモヤした気持ちになりました。
モヤモヤを解消しようと、題名の著書を読んだ上で2回目を観たところ、1回目よりもかなり良い印象に変わりました。その理由は3つ。1つは大筋を知っているため台詞やアニメーションの細部にまで注目する余裕ができ、かなり高度なジブリクオリティに気付くことが出来たこと、次に、著書を読んだ主人公の心に何が生まれたかの気付きを得たこと、もう1つは私たちが慣れ親しんでいるジブリ映画との「この次は私のお気に入りのあのシーン!」「このセリフが好きなんだよね!」といったふれあい方が出来て安心したためだと思います。
他の宮﨑監督作品と一緒で、何度観ても新たな気付きやワクワクがある、また観たくなるような素晴らしい作品です。1回観て「よく分からなかった」で終わってしまうのは大変勿体ないと思います。少なくとも2回は観られることをおすすめします。
なお、勿論アニメーションは冒頭の炎の迫力や全ての鳥(インコ除くw)の動き、水の表現など、やはりジブリはアニメーション界のダントツ最高峰だなぁと、しみじみ感じることのできるクオリティでした。
この映画の良さは分かる人が分かればいい
ジブリの良さって"美しさ"と"気味悪さ"が混在した独特の世界観と人によって捉えられ方が違うシーンが多く、正解が与えられないところだと思うんですよね。それが過去作品の中で1番感じられた映画でした。
一言で紹介するとしたら、宮崎駿監督が"1人の少年の生き方を描くからみんなで考察し合ってね!"って感じの映画ですね笑
私のこの映画の好きなところは、始めはアオサギが冷徹で不気味、この世のものとは思えない様子で描かれていましたよね。
そこから、まひとと戦ったシーンをきっかけにだんだん打ち解けて人間味がどんどん溢れて色んな表情がでてきます。最終的にまひととアオサギがお互いに認め合っているところがすごく好きです。私はアオサギが1番人間味があって魅力的なキャラクターだなと感じました。
私はこの映画の醍醐味が"内容を理解できない人、強く嫌う人、すごく好きな人"と完全に別れるところだと思うんです。
私の人生の中で"大好きと大嫌いは隣り合わせ"だと思っているのですが、(始めの印象が大嫌いな場合は良くも悪くも強い感情を抱いていて何かをきっかけに大好きになる可能性がある、普通や好き程度の場合は強い感情を抱いていないので転びにくい)正に映画の始めの部分は強く感情を揺さぶられる部分が多くうわ、この映画嫌いかもって思いました。ですが映画が終わったあとには"いやこの映画すっごい好きだわ"に変わっていました。この映画を見たあと、後ろに座っていたカップルの彼女が『私には難しくて全然分かんなかった』って言っていたんです。この映画が作り出すこの映画に対する個々の意見も含めて実に面白いです。
「君はどう生きるのか。」監督に突きつけられた気がしました。
美術館を回ったあとのように、芸術の力で考えさせられました。また、エンドロールで映画作成に携わったすべての人へ敬意を払う監督の心意気に込み上げるものがありました。
まさに宮崎監督から「君はどう生きるのか。」と言われたようでした。
「俺は地球と生き物たちと共に生きる。」と訴えられた。見てから何日も色んなシーンが蘇って、考えに浸っています。
正解なんてないと考えることをやめた現代人に、監督は混沌の中でもがむしゃらに正解を探る姿を提示してくれたようだ。
信仰・モラルによって防衛する常識人に、監督は信仰によって隠された矛盾を提示してくれたようだ。
しかも、芸術的に。
見終わって何日か、そんな感動がありました。
多様化・自由・国際化…地球に生きる私達が考えなければならない事がこんなにも渋滞してるんだと突きつけられたようでした。
そして、それらから逃げて来た自分,考える力を失いつつあった自分に向き合わせれた時間でした。
もう一つ。
久石譲先生のピアノに心をもっていかれました。
1音で感情の変化を生み出す音の力を感じました。
海の裂け目でメインテーマが流れた時、熱いものが込み上げてきて涙が止まりませんでした。
質の高いアニメーションと音楽。
しかし、それらは手段で…何を伝えるかに一直線な巨匠たちの気概に触れた時間でした。
もう一度映画館で見ます。
公開二日目に
僕たちはどう観たらいいのか
ジブリでいちばん好きなのはとなりのトトロ。ネコバスの行き先が「メイ」になるところで落涙必至。それ以外の作品には特に思い入れがない。なので正直、本作が意味するところを考えるのはめんどくさいだけでしかない。
宮崎駿のキャリアなのかジブリ作品群の投影なのかわからんけど、好意的に解釈しなければ、82歳の監督は認知症じゃないかと思ったほど(超失礼)。監督の作品づくりはシナリオが彼の頭の中にしかないというやり方だし、出来上がりを観た鈴木敏夫も宣伝に困って、事前情報を出さない手法を採ったのではないだろうか(暴論)。
仕事疲れもあって中盤はスクリーンを薄目で観つつも度々意識が違う場所へ飛ぶ始末(レビューを見たら寝た人多かったようで…)。それでも客は大入りだしオレ自身観てしまったわけで、あらためてハヤオ&ジブリのブランド力すごい。それははっきりわかった一作。
言葉にはしづらいが嫌いじゃない
映画館にて鑑賞しました。
自分の周囲にも鑑賞した人が多いのですが、その方々の評判が正直あまり良くなかったということもあり、若干ハードルが下がり気味だったのかもしれません。ですが、自分としてはそんなに悪くないな、と思いました。手放しに面白いとは思いませんが、映画としては好きです。
まずはやはり映像が素晴らしいですね。最初の火事のシーンから目を見張る作画でしたが、この作画のクオリティはやはりジブリだな、と感じました。キャラクターの動きにも彼らの感情や人間性を分からせるような動き、また動きだけを見ていて単純に面白いと思わせてくれる感じは流石ですね。
ストーリー部分については1度の鑑賞で全てを理解しようとするのは無理だなと鑑賞中に思いました。途中からがっつりファンタジーで宮崎監督ワールドを感じました。ストーリーを追うのではなく、なんとなくどんなことを描いているのかを重視して見ていたら、いつの間にか涙が出ていました。正直どのシーンで泣いたのかも思い出せないのですが苦笑。
ということでタイトルにも書いたとおりなのですが、分かりやすく面白い!というシーンがあるわけでもないですし、すごい面白い、とも言い難いのですが、不思議と嫌いじゃないなと思える映画でした。
またしばらく期間を空けて見てみたいと思います。
ジブリ過去作を見てきた人には最高のフルコース
生と死の間=「十三重の石の時空を超えた世界」=『黄泉の国』に迷い込んで
取り敢えずは、人の評価に惑わされず、余計な先入観など持たないままの素直な気持ちで受け止めることをお勧めしておきます。
やはり、宮崎ワールド=ジブリ感全開の素晴らしさだと感じました。
多くを語りだすとキリがないので、感じたことを並べる程度に納めておく事にしたいですが…..
一番気になった『13個の石の積み木』にまず触れておこうと思います。
劇中で重要な意味を持つ「十三重の石」ですが、これについて様々な解釈、意見が披露されているようです。
私見としては、古代から時間や方位などに使われている六十進法の、60の約数である12はそれらの基準の数として、月、時間、方位などに用いられ、この数は、十二因縁、十二支も意味します。
実は『十三重石塔』というものが国内だけでもかなりの数存在し、アジア各地に同様の塔が存在しているようです。
この建造物のもつ意味は、上記の12に対し「因縁を超えた」13という数、宇宙の摂理である十二支、十二か月を超えた十三という不思議な数に因んだというようにも解釈されており、この数が「時空を超えた黄泉の国」の象徴なのではないかと感じました。
逆に、時間の概念の数字として大きな役割を持つその12に対し、12より一つ多く素数である13は、その調和を乱すものとも考えられることがあるので、劇中のようにその「13個でバランスを保つ」行為に「危うい現世のバランスを保つ」意味を持たせているのではないかと。
周りにあった沢山の石のことを考えると、何らかの原因で崩壊してしまった、実は元の『十三重石塔』の破片、或いは残骸ということなのかもしれません。
作品内容についてはまず、戦争繋がりで、ある意味前作の姉妹編とまでは言えずとも、延長線上のテーマは感じます。
特に「夫(一族)が戦争で敵味方を問わず人の生死を左右することになる、兵器(だが”大空を飛ぶ物”という側面もある)製造に関わる仕事に就いており、その妻は何らかの因果で天に召される。」という類似点を持っていること。(あえて劇中で、ゼロ戦のキャノピー=風防ガラスを見せる描写もありました。)
ある意味、前作のお話の最後の部分からの続編的に、それを更に次を担う世代のストーリーへと繋げるかたちとして描いた、”発展形”的作品のように位置づけられるのではないかと。
そして、直接的な反戦という形で見せるよりは、「戦時下の人(身近な)の生と死」を描く事で問いかけてくるもの、何かを感じ取って欲しいのだろうと受け止めました。
それから、この映画のタイトルになっている本が途中で登場する前後で、主人公に変化が現れたように思いませんでしたか?
他作品にもみられる様に、今回は少女では無く少年の、(異世界での)冒険を通しての成長ドラマという基本は失われることなく、ストーリーの軸になっていると思います。
個人的には、その後の主人公が自らの意思で、惑わされる事なく、目的をつら抜いたこと=「どう生きるか?」の問いかけの答えに既になっている様に感じましたが。
途中、あの世界を“地獄”と呼んでいた箇所があります。
そのものズバリじゃないですが、元の生者の世界から“堕ちて”しまった者たち、これから生まれてくるものたちが交錯する、時空も超えた場所、所謂「黄泉の国」とかの解釈になるかと。
しかしそれはシチュエーション(状況設定上)の必要性からという側面が強く、空(宇宙)から飛来した『それ』は生と死の狭間の世界から、現実世界の(善悪の?)バランスを計る力を持ち得て、大叔父さんはその力を管理する番人として長年現世を保ってきたが、寿命を迎えるにあたって後継の必要性から“血筋の者”の誰かを求めたという背景と、それを理解した主人公が「以後もその力により(裏の)見えない世界からバランスを図る」道を選ぶのか?、それとも、実際に自らの行動でやって見せた様に、自ら(と周りの者たちと)の力を信じて現実世界の道を行くのか?
その選択は既に映画のラストで、作品タイトルへの答えとして示されていると思いました。
考え方によっては、他のSF 作品にもみられる設定としてある、「宇宙の何らかの意思からもたらされた(争い続ける人類を試すべく)超自然的テクノロジー」との解釈も出来るとは思いましたが、そちらに重きが置かれているかと考えると、そちらは微妙に思えました。
あと、世界観や登場キャラクターのインスピレーション的にすぐに思い浮かんだのは、
不思議の国のアリス
白雪姫=七人の小人
イエローサブマリン
などとか?
鎌倉物語の映画も思い出したかな?
あと、どなたかの指摘にあった「なぜ夏子があの世界で出産する事に?」については、主人公が対象にならないとしたら彼以外には彼女のお腹の子供が唯一の血筋=あの世界の後継者であり、主人公を追い返そうとするなつこの態度もそれを受け入れている故と解釈できる。
「父親の早い再婚」を不倫まがいに受け取った方も居られるようですが、そここそ終盤直前の“姉妹”のやり取りと、上記の事などから考えるに、「この時が来た場合の姉妹の取り決め(姉の願い)」=主人公の継母になるという約束事が存在していたのではないかと考える方が、むしろ自然かと。
観終わって、思いついた点について忘れぬうちに、雑駁ながら......
それから書き漏れたので追加しておきます。
題名が「君たち」と複数形になっている事についてですが、幼少期に既に向こうの世界に行って自分の未来も理解していた事で母が主人公の“その時が来たとき”の為に残しておいたと解釈される本の題名からきているという事。
そしてもう一つは、この作品を観た人々がこの主人公のとった選択、この作品の結末から受け止めるメッセージについて、「自身に投影して考えて欲しい」という事が込められているということは、言うまでもないと思いますが…..
うがって考えるとそれは、
「誰かの意思で与えられた調和(平和)を受け身で生きていくのではなく、“友達”や“自分の周りに居てくれてる人々”と、自分たちの努力で築いていって欲しい。」という『平和への願い』の様に私には感じ取れましたが、皆さんは如何に解釈されたんでしょうかね?
ウクライナ問題や中国の台頭ほか、混迷を極める世界情勢の中で、この10年間の間に宮崎監督が抱かれた、特にこれからを担う世代へと向けられたメッセージであるかの様だと、強く感じました。
特に、毎年やって来る“終戦の日”がまた近づいてきたこの夏の時期に、という公開のタイミングも無縁では無いのでは?
悪戯な先入観や、妙な邪推を排除して、まっさらなご自身の心のままに受け止めて欲しい作品であると、願うばかりです。
あえて前宣伝や事前情報を排除された監督の意図も、けっして勿体ぶって隠し立てされてその効果を狙う様な、下衆な発想からのものなどではあり得ないでしょう、正に上記の願いゆえと理解しております。
結局また、書きすぎちゃいました……
最後にもう一つ、蛇足ながら。
事前に、「次回作はナウシカの続編では?」との説が流れていた様でしたが、あながちハズレでも無いようにも。
それは、映画版のナウシカはハッピーエンド的に変えられていましたが、宮崎氏の原作版は“主人公が拒否して終わる”という展開でした。
その点について、ナウシカで果たせなかった「元通りのエンディング」を今作で取る形でもって再現して、自身の最終作として締めくくっておきたかったのではないだろうか?
との考えも浮かんできましたが、如何でしょうかね?
まあ、監督ご本人に伺わないかぎり、その真相は分かりませんね……
いちばん自由な宮崎作品
ああ、宮崎監督は最後に「素の」映画を自由に創ったのだなと思いました。
宮崎監督の幻想でいっぱいの、とても美しい映画でした。
難解、賛否両論などと言われているようですが、『千と千尋』から『風立ちぬ』までの作品を観てきた鑑賞者からすれば、予想した通りの作品だったのではないでしょうか。
『千と千尋』あたりから、宮崎監督は物語の矛盾や破綻を次第に気にせず、常人離れした幻想的なイメージを映像にすること自体を主題にしたように思います。
この作品でも、メッセージを抽出することはできると思いますが、個々の出来事の意味づけは難しく、映画の中で十分に展開されるわけでもないので、議論にあまり意味はない気がします。
それよりは、個々の映像や言葉からふと受け取る感情自体を大切にするほうがよいのではないかと思いました。
個々の描写からは、宮崎監督の人間や自然に対する強い想いを感じます。
その点は、例えば庵野秀明監督の作品を観て「ああ、この人は本当は言うべきことなど何もないのだ」と痛感するのとは対照的です。
また、この作品にはとても多くの自作引用が含まれているので、後年、宮崎作品全体を語るとき、この『君たちは』に照らし合わせて他の作品も理解される、そういう素材になるのだと思います。
期待を裏切られたと酷評する人がいるのも当然です。
私はこの作品は、例えばフェリーニの『8 1/2』や、タルコフスキーの『ノスタルジア』と同様の作品として観るべきだと思います。
それらも、正直言って内容の正確な意味はよくわからず、定まったストーリーはないですが、映画芸術の到達点の一つとして語り継がれています。
芸術は結局、特異な才能の、いわば芸術の特殊階級が生み出すものなので、私たち大衆が即座に評価することは、そもそも無理があります。
たぶんこの作品も、長い時間をかけて評価が定まっていくのだと思います。
確かに『ラピュタ』や『トトロ』のような映画ではありませんが、人は成熟し、歳をとるので、いつまでもそれらと同じような作品を作っていたら、その方がおかしいと思います。
アニメで、日本でこのような作品が作られることは、もしかしたら二度とないかもしれません。
映画は予算も人も必要なので、世界的な評価を得たあとでなければ、こんな映画を好きに作ることはできないでしょう。
そして、そのような名声を得た監督であっても、創作の最晩年になって、このような作品に盛りきれないほどのイマジネーションを持つ監督は少ないでしょう。
それだけでも稀有な映画であり、宮﨑監督、本当にありがとうございましたと言いたいです。
全1335件中、381~400件目を表示







