君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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こつこつと積み上げた人の魂
10年ぶりの監督映画と言うことで、画力があって物語も紡げる人の人生をのせた映画でした。
隣で見ている美術系の娘の中にも、この映画と共通する意識があることに何度も驚かされました。
やはり描いて紡ぐ人たちはすごいなぁ、奥底でつながっているのかもしれないなぁと思いました。
監督の背負われているものを、私は見せていただいてありがたいなと思いました。
次に観たときに何を感じるだろう
ジブリ作品が好きで、宮崎駿監督最後の作品になるのか?と思い期待して鑑賞。
義母となる人がいきなり「弟か妹よ」と自分の腹に触らせるのに嫌悪感を持ってしまい、その感覚に左右されて純粋に作品にのめり込まなかった気がし、他の方のレビューを見て、深く味わわないまま観終えてしまったようで、もったいないことしたのかなと思った。
なんとなく、ジブリならではの美しい景色や、希望が持てるストーリーを期待してしまっていた。
花や空、草原、水面、そういうきれいなものを観て、さすが集大成と思いたかった。
でも、宮崎駿が描きたいのはアレだったのだ。
戦争を経験した人にとって戦争は、何十年経とうと、一生涯刻み込まれた強烈なネガティブでしかない出来事なんだなと改めて思わされた。
過去の作品も、初見では良さがわからずに「絵は綺麗だったけど…」と思って、2回目3回目にこんな良い話だったのかと思えたことがあったから、この作品もそうなるのかな。
同名小説は題を借りただけ、だと思ってたからまさか登場するとは思ってなくて、もう一度読みたいと思った。
わらわら、かわいいんだけど、もののけ姫のこだまみたいにオリジナリティーが感じられたらよかったのにと思ったが、生命のもとと考えたらあれくらいシンプルなかたちになるのかな。
声優さんが誰一人違和感感じず観られたのが良かった。
木村拓哉さんと小林薫さん以外は誰だかわからず、エンドロールを楽しみに見た。
火野正平さんは誰の声だったんだろう?大叔父さん?
宮崎駿監督作品でなければ、つまんなかったよくわからなかったと決めつけて、二度と観ないんだろうから、そういう意味でも、これまで宮崎駿監督が作り上げてきたもののすごさを感じる。
子供たちは、トイレに立つことはあったが、席を後にすることはなかった。
映画館の私の周りには母親に連れられた子供たちが、たくさん座っていた。夏休みに入ったためだろうし、席が出口に近かったことも関係していたのだろう。
映画の内容は、導入部と展開部の二つに分かれていた。導入部は戦争中の現実の世界。展開部は、宮崎駿の空想の世界。導入部は、映画「風立ちぬ」の続編かと思わせた。風立ちぬの時は、半藤一利さんとの対談をまとめた「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」が出たことを思い出す。さぞかし、宮崎さんは半藤さんに、この映画を見せたかっただろう。少し間に合わなかった。宮崎さんが唯一、当時の戦闘機で描けると言っていた「風防」がたくさん出てくる。お父様の思い出。
後半の展開部は、宮崎さんの頭の中の世界。これまでのジブリにでてきた映像が連続する。前半と後半をつないでいるのが、疎開先の敷地のはずれの母方の大叔父が関連する塔。この塔は、外観も書籍に埋もれた内景も映画「薔薇の名前」に出てきた塔を思わせた。後半に入って行くときに、一本の真紅のバラが気になった。
後半は、確かに子供さんたちには、ついて行くのが難しかったかもしれない。でも、私たちの耳に馴染んでいる名優たちの声が聞こえてくる。私にとっては、何よりも、一枚の絵が出発になっているように見えた。宮崎さんが、まだお若い頃、私たちも大変尊敬している堀田善衛さんと司馬遼太郎さんのお二人から、書生として話を聞く形をとった「時代の風音」という本を残している。本当に、ヨーロッパのことを勉強されていたのだ。後半、出てきたドアは、パリ・シャンゼリゼ劇場のそれに似ていた。
空想の世界から戻ったあと、主人公は少年に成長する。私たちが中学に入学する頃に、岩波少年文庫で読んだ吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のコペル君と同じように。
私の席の周りの子供たちは、確かにトイレに立つことはあったが、最後まで席を後にすることはなかった。きっと、この映画のことを大人になってから、思い出すに違いない。宮崎駿は、あの子供たちのためにこそ、この映画を作ったのだ。
傑作である。
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書店に、長いこと見なかった「時代の風音」(朝日文庫)が並んでいた。増刷されたようで、大変うれしかった。(2023.10.01)
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この映画が、オスカーの前哨戦の一つであるニューヨーク映画批評家協会賞のアニメ映画賞を受賞した。台湾や韓国での評判も聞こえてくるし、遠からず中国でも受け入れられるだろう。宮崎駿は、少なくとも半分は子供たちのために、この映画を作ったはずだ。私たちが、小学校の後半から中学校にかけて、吉野源三郎の書いた「君たちはどう生きるか」のコぺル君に親しんだように。(2023.12.02)
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本作は、第81回ゴールデン・グローブ賞のアニメーション作品賞を受賞した。さあ、次は、いよいよアカデミー賞だ!(2024.01.08)
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この映画が、第96回アカデミー賞の長編アニメーション映画賞にノミネートされたことが伝えられた。我が国でも、より多くの人たちにこの映画を観ていただきたいと思う。前宣伝が一切なかったとか、難しいとかの評判に惑わされることなく、この素晴らしい映画を楽しんでほしい。今からでも、遅くない!(2024.01.23)
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アカデミー賞の受賞、おめでとうございます!
皆さん、今からでも決して遅くないので、劇場に足を運んで、この映画を見てください!
前評判とか、人が言ったことにとらわれることなく。
詳しい事情がわからない外国で、これだけ評価されたことが、何よりの証拠です。
素晴らしい映画ですから。
(2024.03.11)
ちょっと違う…というか、よく分からん💦
ハウルで感じた違和感を濃厚にした感じ
映画の楽しみ方として、その世界に没入する、まるで自分がその世界に入り込んだかのように楽しむという側面があるでしょう。
ジブリの圧倒的な細やかな描写で、紅の豚の世界に、もののけ姫の世界に、千と千尋の世界に入り込んで楽しんでいました。
転機としてハウルの動く城があったと思います。扉と回転するスイッチを切り替えて行ったり来たりすることで、複雑な世界を同時に成立させよう試みていたように見えます。もののけ姫の没入感を求めて映画館に行ったので、その変化の激しさに戸惑いを感じた記憶があります。
今回の君たちなぜ生きるのかはハウルの試みをより過激に、過去の作品の回想を散りばめながら試みたのでしょうか。複数の世界をジャンプされるので難しい、頭を使うという感想に繋がるように思いました。自然に没入できる映画ではなかったですが、2時間頭を使う体験を楽しめました。
十分楽しめるけど、深く味わうのは難しい
難しかった!というのも現実と別の世界を行き来するので、いつも観るジブリ映画を想像していくと混乱する。でもストーリーの構成としてはファンタジー系だということを理解して観に行けば、十分楽しめるはず。ただ、深い部分まで理解するのは本当に難しい。私はあまり映画通ではないので、後から色んな人の考察を読んで「なるほど…」と理解する感じだった。監督の生い立ちや“君たちはどう生きるか(吉野源三郎)”を知らない状態で観た1回目で低い評価をするのは早計かも。この映画をただのファンタジー映画として評価するのは野暮なのかも…という印象。
大好きな作品がまたひとつ増えました。
★5つ以上。君たちはどう生きるか
何一つ欠けの無い★5つ。
宮崎作品の表現・色彩には今回も驚かされましたが、物語り自体もまさにタイトル通り「君たちはどう生きるか」
で、全編通して何一つ不要なものは無いと思えるほど素晴らしい内容でした。
監督はもちろん、それ以外の人達の想いもそこに詰め込まれているように感じました。
今後も観続けたいです。今回、私の心の中に★5つこの作品を通して与えて頂きましたが映画のタイトル通り、どう生きていくかを考え、今後作品を観たときに★5つ以上を心に得られるように生きて行こうと思わせてくれました。
子供にも観させようと思いますが、今は少し観ただけでは理解出来ないだろうと感じたので今後タイミングをみて、こんな作品があるよと伝えようと思います。
内容に関しては場面場面の全てに意味がありすぎて、観て1日では書ききれないので時間を作ってレビューして行きたいです。
祖先の視点、母の視点、まひと視点、鳥達の視点、宮崎さんの視点、映画を観る人自身の視点、色んなものが詰まっていて、それを不思議な世界観でうまく表現されているように感じます。
かけがえのないもの、美しいもの、世界的にも乗り越えなければいけない様々な課題。胸がアツくなる世界観でした。
この映画は先人の想いや未来の人・動物に想いを馳せてみると、いかに壮大で心に響く作品かを感じ取れると思います。
そして、私自身・映画を観る方々、どう生きるかを今後も、真剣に考えて行けたらきっと更に感動が増して行く素晴らしい作品だと思いました。感謝です。
多彩なメタファーを含みながら美しくファンタジックに進行する深みのある作品。
宣伝を派手にしないビッグネームの新作だったので驚きました。きっとシンプルな冒険物語として楽しく観るだけの作品では恐らくないのだろうな、いやむしろ、そうであって欲しいな…!と思いながら劇場に足を運びました。
色んなメタファーを含んだままファンタジックに展開していく作品で、それぞれが何の暗喩なのかを考えながら、結局それと同時に映像の美しさや新しい表現に引き込まれるように観ていました。
それぞれの登場人物が何の暗喩なのかを紐解いて整理すれば、この映画に込められた宮崎駿監督の思いがよりくっきりみえてきそうな気がして、その時にまたもうひとつグッとくるんだろうなというのが鑑賞直後の今の気持ちです。
そもそも死へと向かう自分達の並行世界として生へ向かう世界が存在しているという死生観自体がファンタジックで素敵だなと思いました。直人と母が世界線を越えて接触し、再び別のドアへと旅立つシーンが、個人的にすごく感動しました。そんな風な事があったら、そんな仕組みでこの世界ができていたら、とても素敵だなぁと。
なんだか最近、すっかりお金、ステータス、欲で動く大人の世界についつい違和感を覚えなくなってしまっていた、自分もあのインコ達のようだなぁと。でもあのインコ達、悪意を感じないんですよね。
神は神の意図を持ってこの世界を作り、バランスを保っている。一方でそれに問いかけを投げかけながら作り上げてきたこれまでの人間社会。その構図が限界を迎えつつあり大きく変革の時を迎えているいま、僕たちは何を考え、どんなシステムを作り上げていくべきなのか。個人としてどのように生きていくべきなのか。そんな問題提起をあらためて受けたような気持ちになりました。
一筋の思いが裏に確固として通ったようなジブリ作品を観ることが出来た!という気持ち。色んなレビューを見てみたいです。
これが監督の吉野さんへの応えだ!
期待せずに
今までの培(ツチカ)って来た業績が無いと,語る事が赦(ユル)されない重たいタイトル…。
巧(ウマ)い具合に解り易く伝えられる言葉が今一見当たらない⁈という処…。
こんなタイトル自体は、そんじゃ其所(ソコ)らの人には恐れ多くてそうは簡単に言ってはいけない!&世の中?若(モ)しくは世間様に認められている程の何と云(イ)えば当て嵌まるのかは定かでは無いが、例えば『称号』?(私が勝手に宮崎駿の地位を表現する為に作ったモノの事)を与えられた人にしか付けられないと思わせたタイトルだと私は思う。ソレが赦(ユル)される“宮崎駿”が語る作品に面白味を感じ取れた事は強く言いたい感じ。
やたらと眼にした“意味分からん⁈"風な言葉を頻繁に見た様な気がした…&何処かの誰かのレビューを参考にさせて貰った中で、あまり良く知らん所でも有るが,息子<宮崎吾郎>への世代交代と言えば確かに話は全ては話が丸く収まる気がしたのも確かで有り…。
映画作品のシナリオの中で(アニメーションは特に)意味を問い正したら,面白いものも詰まらんモノに換えてしまう様な気がしてしまうんだが如何(イカガ)なもので有ろうか?
私自身の独断の意見なのだが(そりゃそうだ!こうやって語る事自体が,語る事で飯を食っている様な所謂(イワユル)プロの評論家な訳でも無い事を踏まえた上で悪しからず…)、別に只単に独りの映画好きが身の程知らず?で勝手に語ってるだけで有り。
声優陣は<顔を揃える訳も無い,有り得ん錚々(ソウソウ)たるメンバー>の中のストーリーの中の設定で、話題になる箇所も一杯有って全てを取り上げていたら私は特にだが,寝てる暇?は無くなってしまう処なので、あの積み木を世の中に喩(タト)えたシナリオは素晴らしいモノだと思えた処…。
感じた後のもの
キャラクターに魅力がありませんでした
ストーリーを理解できるできない以前の問題として、登場するキャラクターに魅力がありませんでした。
特に主人公の眞人。
時代設定上、多少は仕方ないのかもしれませんが、感情や表情の揺れ幅が少なすぎて、何を考えて行動してるのかが伝わりません。
また全編を通じて一切変化も成長もなく、ただひたすら義母を探し続ける姿は、与えられた命令を実行するアンドロイドかロボットのよう。
同級生との喧嘩のあとに、側頭部を石で自傷するシーンは、おびただしい出血量に見合うだけの動機も怒りも痛みも感じられず、その行動とそれをした眞人自身に大きな恐怖を感じました。
そしてヒミ。いや、この場合はヒミ役のあいみょんと言うべきでしょうか。
棒読みなのはもちろん、声そのものにも大して魅力がなく、ヒミが喋るたびに違和感がハンパなく仕事をしてくれました。
ジブリが職業としての声優さんを使わないことについては呆れや諦めを通り越して、もはや悟りの境地なのですが、逆に出演者として世界に自分の無力さを晒してまで得るメリットって何かあるんでしょうか?といつも疑問に感じています。
あいみょんにとって、今後、この作品が円盤化され、テレビ放送されるたびに、視聴者から笑われ晒し者にされる黒歴史がデジタルタトゥーのように永遠に刻まれてしまったわけで、本人や所属事務所に代わって共感性羞恥に苛まれています。
最後に、その他のほぼ全てのキャラクター。
「はじめまして」の場合、一般世界ではまずは自らを名乗り、自己紹介や状況説明から入ってお互いの距離間を少しづつ近付けていくと思うのですが、ほぼ全てのシーンでそれがありません。
眞人に出会った時に名乗ることもなくいきなり指示を出し、唐突に行動と判断を迫ってきます。尺の都合なのでしょうか、キャラクター同士の自然な距離感など完全に無視されています。エヴァのシンジくんならとっくに逃げ出してるところですが、それでも眞人くんはノーダメージで次々と受け入れ、時にガン無視し、右から左にさばいていきます。さすがアンドロイド、迷いも後悔も1ミリもありません。
ここまで書いてきて、他の方のコメントで「宮崎駿さんの夢の中を覗いているようだ」とおっしゃってたことが腑に落ちた気がしました。確かに夢の中の登場人物はお互いがお互いのことを知っていますから名乗り、説明する必要などありません。
とはいえ、ココは夢の中ではなく一介の映画作品に過ぎません。描かれない限り、キャラクターの名前も性格も行動の意味も動機も魅力も何もかも伝わりません。
このキャラクターが勝手にわちゃわちゃ動いている感じが、総じて全主要キャラクターの「モブキャラ感」「NPC(ノンプレイヤーキャラクター)感」に通じています。観客を無視して勝手に進むのです。ストーリーもキャラクター同士の関係性も。
そして、全てのキャラクターに言え、かつ魅力を致命的に失わせていることは、
【誰も悩まず、変わらず、成長しない】
【作者からのキャラクター愛を1ミリも感じない】
ということです。
どうしてこうなった?
ここからは蛇足です。
いろいろと他の方のコメントで考察をお見受けし、それはそれとして自分にはない視点として楽しく拝読しています。
とはいえ、この作品が宮崎駿さんの自伝的なものだとしたら、自分を愛せていないし、それ以上に他者を愛せなかったのかなあと心配になってしまいました。余計なお世話ですみません。
僕ごときは5点以外つけられない
いろいろ不安がありました。
不安とは結局「面白くないのではないか」
ということだ。
ただ、50を過ぎた僕は宮崎作品にこれまで大いに
それこそシャレにならないほどに救われたのだ。
という自己の人生においての歴然たる事実は、
そんな不安をかえりみず映画館に足を運ぶことへの動機として
これ以上はないのものであり、僕は観に行くこととなった。
作品に関して。
雰囲気としてはハウルと千と千尋的。
全体的に意外ですが「ゲド戦記」だった。
まるでまさかの「ゲド戦記」に対する
アンサー又はオマージュとさえ感じるのは、
まさに遺言的な映画なのだからかもしれない。
それは吾朗に対してだけではなく、
生死を問わず、彼と親密な関係するクリエイター達への、
あの世とこの世の人宛の遺言のような。そんな気がした。
その遺言の宛先に一般の僕たちが含まれるのかと言えば微妙に思う。
結局、僕らは彼らの養分に過ぎないから。
でも、僕らがいなければ彼らは成り立たない。
変な意味でそんな残酷であるが当たり前な現実を、
この突き放し感が半端ない映画を目の当たりにして
むしろ僕は心地がよかった。
混沌の時代を生きる日本人として見て欲しい
久しく胸を打たれました。
シンプルにアニメーション作品としてのこれ以上ないクオリティで絵一枚一枚の暖かさや一々芸術的な表現、音、癒し有り、、何をとっても究極 リアルタイムで映画館でこの作品を見ることができて良かったと思います。一度自分の目で鑑賞してみて欲しいです。
初見で読み取れる考察のみでも心を打たれるメッセージ性、思考に訴えかけられ、見終わって暫く経った今もずっと作品のことを考えています。放映時間が一瞬に感じてしまいました。
確かに説明は少ないので脳死して観たい人にはオススメできませんが、今の私たちにはその、脳死しないということも必要でもあると訴えられている気すらします。制作が始まった頃には本来もっとシンプルな物語だったのではないでしょうか。ここ数年色々な世界の動きにより修正を重ねて生まれたのではないかとも感じるような、今見て感じるべき作品だとも思います。
作品の内容とは離れますが、現代は作中の頃に比べて便利で自由で平和な良い時代に感じる反面、辺鄙な世の中になったなあとも感じることが多々ある混沌の時代。失われたていく精神力、古き良き色々な物や文化、このまま脳死してたらもっとカオスになっていく気がする未来へのうっすらとした絶望感のような最近感じるなんとも言えない感じ、積み上げていかなければいけないもの、そういう目を逸らしそうな事をこの作品を見て改めて目を向けなきゃというような気持ちにもなりました。
暖かくて本当に素敵な作品でした。
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