君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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何も考えずに,ただ挿絵鑑賞気分で観るなら0.5点❗️
あらすじ: 戦争時代で,庶民の煩悩を知らず、郊外の大豪邸で美人継母と大金持ちお父さんと暮らすお坊ちゃんの憂鬱な気持ちから生み出した夢の中の冒険物語。
・ストーリー:夢の中の話だから,全くロジックがない,話は繋がらない。夢だから,頑張って理解しようとし無駄だ
・パフォーマンス:セリフは意味深いに聞こえるけど、実は薄っぺらで何も意味がない。
主人公は無知な薄情の少年だけど,いつも意味もなく凛々しい主人公面している。
・絵:3D効果があり,自然の景色が綺麗,でもジブリのシリーズして特に突破がない
宮崎さんいままでありがとう、そしてお疲れ様
老マエストロは如何にして心配するのをやめて幻想を愛するようになったか。 これ宣伝しなかったんじゃなくて出来なかったんじゃ…💦
姿を消した継母を探すため異世界へと足を踏み入れた少年の冒険を描くファンタジーアニメ。
監督/脚本/原作は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、巨匠・宮崎駿。
主人公・眞人を導く青サギ/サギ男を演じるのは『帝一の國』『銀魂』シリーズの菅田将暉。
眞人が住む屋敷に仕えるばあやの一人、キリコを演じるのは『ガリレオ』シリーズや『名探偵コナン』シリーズの柴咲コウ。
眞人の父、勝一を演じるのは『ハウルの動く城』『マスカレード』シリーズの木村拓哉。
異世界の権力者、インコ大王を演じるのは『風立ちぬ』『シン・ゴジラ』の國村隼。
1937年に発表された吉野源三郎の同名小説から影響を受けて制作された作品であり、作中でもその小説が登場するものの、直接的な繋がりがある訳ではない。
この同名小説は既読だが、もうあんまり覚えてないなぁ…。
前作『風立ちぬ』から10年。
長編作品からの引退を表明していた宮崎駿監督がついにカムバックっ!!
それだけでも大事件なのに、今回はその上、公開まで一切の宣伝もしないし情報も明かさないという異例の体制が取られた。
夏の超大作として封切られるというのに、話の内容はおろか出演者すらわからない。こんな事は後にも先にも今回だけだろう。この五里霧中感を楽しむという意味でも、今すぐ劇場に駆けつけなければならないのですっ!!
という訳で、早速初日に劇場鑑賞。
最速鑑賞組の「意味がわからない」という旨の報告をネットで目にしていたものの、まぁそこまでではないだろうとたかを括っていたのだが…。
これマジかっ!!??
上映終了後の劇場内の、水を打ったような静けさ。
今目の前で起こったことを、誰一人として飲み込めていなかった。
もちろん宮崎駿監督作品が一筋縄ではいかないことくらい百も承知なのだが、まさかここまでハイブロウなものを提示してくるとは…。
やっぱりこの人頭おかしい…😵💫
情報が溢れかえっている現代だからこそ、あえて宣伝しないことが宣伝になる、とは鈴木敏夫プロデューサーの言。
言いたい事はわかるし、まぁ確かにその通りかもな、なんて鑑賞前は思っていたのだが、いやこれ鈴木さんも売り出し方がわからなかっただけなんじゃ…💦
一緒に観に行った友人はかなりのご立腹だったし、おそらく世間的にもこの作品はめちゃくちゃ叩かれるだろう。
とは言え、自分としてはこの映画を嫌いにはなれない。というかかなり好き❤️
口が裂けても「めっちゃ面白かった!」とは言えないし、人にオススメもできない。
脚本は支離滅裂だし、キャラクターの行動原理も意味不明。ウェルメイドな作劇とは天と地ほども差がある、奇妙すぎる怪作。
しかし、その奇妙さが自分の頭にへばりついて離れないのです。
映画にしろ漫画にしろ、ほとんどの観客は明快なストーリーラインを好む。
Aという点、Bという点、C、D、Eという点があり、それを直線で結んでゆく事で物語を作り上げる。洋邦問わず、大衆に受け入れられる物語は大体こういう作りになっている。
しかし本来、物語というのはもっと漠然としたものだったと思うのです。
アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが編纂した「ボルヘス怪奇譚集」(1955)。これはボルヘスが世界各国の怪奇譚を蒐集し、それを再編集・再解釈したものなのですが、どの物語も唐突であやふやなものばかり。しかしボルヘスは「物語の精髄は本書の小品のうちにある」と断言しています。
思うに、物語には点と点を繋ぐことによって成立する直線的なものの他に、円と円の連なりによって成立しているものもあるのではないでしょうか。というか、その”円”の物語こそがプリミティブなものであり、”線”の物語はその派生系、もっと言ってしまえば商品になるように加工された”インダストリアル”なものであると、私は考えています。
Aという円があり、またBという円がある。AとBの円は2点で交わっている。そこにさらにCという円が、AとBのそれぞれと2点で交わるようにして描かれる。そしてさらにDという円が…。
このように成り立つ物語は、直線的ではない分無駄が多く、一見しただけでは意味がわからない。
しかし、このような円と円の交わり合う部分の外側、無駄に見える部分に宿るものこそが人間の持つ原初的な想像力、言い換えれば「物語の精髄」なのではないでしょうか?
このプリミティブな物語性を追求したものこそが”幻想文学”というジャンル。
幻想文学において、プロットに穴があるとか物語に整合性がないとか、そんなことは関係ない。作者の持つ豊かな想像力をどれだけ具現化出来るか、それこそが全てである。
初期の宮崎駿は、点と点を繋いでいくという”インダストリアル”な物語の名手だった。『カリオストロの城』や『天空の城ラピュタ』はその最たる例である。
ウェルメイドな語り手であった宮崎監督だが、『千と千尋の神隠し』辺りから物語の整合性を放棄し始め、その作品群はより幻想文学としての色合いを濃くしていく。
現代幻想文学の旗手、村上春樹は物語を作ることをロールプレイングゲームに例えています。
ゲームを作る自分と、そのゲームをプレイする自分。物語を書くというのはその両方が同時に存在する事なのだと。つまり自分で物語を作っているのにも拘らず、その物語がどのようなストーリーを展開していくのかはわからない、自動筆記のような状態にあるのだというのです。
現代日本を代表する作家という事で、海外メディアでは度々その類似性が指摘されている宮崎・村上の両者だが、確かに今作は村上作品の風合いにひどく似ている。
本作は純然たる幻想文学であり、おそらく脚本的な面白さはハナから一切考えられていない。
それよりも重視されているのは、監督の頭の中にある想像を出来る限りそのままの形で具現化するという事。
おそらくは監督本人でも理解しきれていない、イメージの本流をそのまま観客に提示すると言うほとんど実験映画のようなことを行っているように思います。
物語のコントロールが自分の手から離れている状態で作り出されたのが、少年・宮崎駿(ゲームのプレイヤー)と老人・宮崎駿(ゲームのクリエイター)の対話劇であるというのは何とも面白い。
後継者には血の繋がりが必要だというのはなんとも生々しい独白でありが、それを自分自身に否定させることにより、これまで築き上げてきた世界と心中する。
まるで三島や太宰のような正直な独白。それを幻想文学の形式で描き切ったのだから恐れ入る。
小手先のテクニックや頭で考えたロジックではない、物語の語り手として約60年も活躍し続けてきたという経験が成せる技を堪能させていただきました。
幻想文学の面白さというのは、世の中にイマイチ浸透していない。一流のエンターテイナーである宮崎駿は当然その事を理解している。なので、これまでの宮崎監督作品では、どれだけ意味のわからん物語であっても、必ず最後には観客が喜ぶお土産が用意されていた。
最も作家性が強く出ており、一部では宮崎駿の”遺書”であるとすら言われていた『風立ちぬ』ですら、最後は大衆が喜ぶようなベタなオチがつけられていた。
しかし、今回はそのエンターテイメント性をすっかり放棄。理解不能な脳内世界を作り上げ、観客をその中に放り込んだ挙句、お土産を手渡しすることもなく、ドンっと突き放すことで物語空間から締め出してしまう。
この態度に腹を立てる観客も少なからずいるのだろう。
今回、美味しいお土産はない。
しかし鑑賞後にポケットを探ってみると、あるんですよ。無機質でゴツゴツした石が。
最初は「なんじゃこのゴミは?」なんて思うんですが、それを手のひらでこねくり回しながらじっくり観察していると、なにかが違って見えてくる。
ただの汚い石かと思ったけど、なんか結構面白い色してるじゃん。
ここはトゲトゲしていて危ないけどここはスベスベしていて気持ちいいな。
ここの傷はなんだか人間の顔みたいで面白い。
あっ、ここの隙間から見えるガラスの結晶はキラキラしていてとってもキレイだ…。
人によってはただの汚い石ころ。人によっては綺麗な小石。みんながみんな楽しめる映画ではないけれど、観測する人間によってその表情を変える。
そんな映画を目指して作られたのだと思うし、その試みは成功していると思うのです。
宮崎駿最高傑作!!…とは決して言いませんが、何度も繰り返し観たくなるような、まぁとにかく凄まじくクセのある映画なのです。
ただ一つ気になったのは、今作の画的なつまらなさ。
これまでの宮崎駿なら、主人公が迷い込む異世界にはもっと観客の心を躍らせるような猛烈で激しい作画の嵐が吹き荒れていたはず。しかし、今回はそれが一切なかった。
荒海を越える展開の静けさといったら、これが本当に『ポニョ』で気狂いじみた津波を描いた人の作品か?と疑問に思ったほど。
今作の画的な盛り上がりの少なさは意図していたことなのか、それとも年齢的な衰えによるものなのか、そこのところがわからない。
御年82歳。年齢を考えれば今作が宮崎駿の長編最終作になる可能性は高いが、今回の画のパワーの弱さの原因をはっきりさせるためにも、監督にはまだまだアニメを作り続けて貰いたい。
というか、せっかくここに来て純幻想文学作家というさらに新しいステージに登ったのに、今作が最後になるのは勿体無さすぎる。
頼むからまだまだ、出来れば100までやり続けて下さい…🙏
※駿老人が駿少年に手渡した積み石の数は13個。
『未来少年コナン』から『君たちはどう生きるか』まで、宮崎駿の監督作品は全部で13個。
この数が一致するのはただの偶然?それとも意識的に行った事なのだろうか…。
真実は監督本人のみが知る。
何をどう楽しめばよかったのか分からない
宮崎さんにもジブリにもあまり詳しくない人間です。
正直ほとんど理解できず、見終わったあとも何だこれ?という感想だけが残ってもやもやしています。
伝えたいことは何となく分かりますが、世界観も背景もあまりにも説明不足でした。さらに登場人物の行動原理もよく分からないのでずっと置いてけぼりにされているような感覚でした。(母親を火事でなくしそれをトラウマに抱えているにしては火を全く恐れない、いきなり異世界に連れて行かれてもここはどこ?とすら聞こうとしない)
いっそ最初から理解しようとせず、そういうものと割り切った方が楽しめたかな?という感じです。とにかく何も分からず終わってしまったので、ジブリ等に詳しい方に解説して頂きたいなと思いました。
カットごとに観れば
ジブリだなぁ。
新海誠が急に星を追う子どもを作ってどうした?となった感じと同じ感覚だった。
ダラダラ感が強くて2回ほど意識が飛びかけた。
宮崎駿からのメッセージを受信したことがあまりないので、深いところはよく分からない。
久石譲が救いかと思っていたがインパクトに残る感じはなかった気がする。
キャストもあんまりな感じ。
原作ぽいのがヨーロッパの話らしいのに、舞台を日本にしたから無理ぽい感じなのだろうか。
題名の本を作中に出した意味がそれほど関連してなかった気もする。
賛否両論なようだが、自分には分からなかった。
君たち(観客たち)はどう生きるか?つまり、早く私の作品なんて卒業しなさいという事
君たち(観客たち)はどう生きるか?つまり、早く私の作品なんて卒業しなさいという事
子どもの頃、強烈な内容の映画を見てその日の夜にその映画の内容が若干改変された変な夢を見た時みたいな、とにかくそんな内容だった・・・・・
まず作画は流石ジブリの圧巻クオリティ。これは保証します!新海誠監督の透明感や進撃の巨人のような派手さには欠けるも(そもそもアクションでは無いので)、ワンシーンワンシーンの”情報量の厚さ”、そして次から次へと新鮮で楽しませてくれる動作の数々やキャラクターの数々は熟成されたジブリの唯一無二な領域と言えるでしょう。
しかし、これは皆さん一致の意見でしょうが『わけがわからない』。
舞台は戦時中ニッポンで空襲?の火事で母を亡くした少年が主人公。そこから疎開先での微妙な人間関係とか不思議な塔の存在だとか、この辺までついて行けてた。
唯一の絵的な情報だったアオサギも早めに登場し、「ほら見るからに重要そうなアオサギさんですよ!ほらほら!」と言わんがばかりにチラチラと登場回数を重ねて煽られていた頃は気分最高だった。
昨今流行りのアニメのどこか十代青春的なワクワク感とは違う、純粋な冒険活劇的ワクワク感。コレだよコレ忘れていたよアニメの王ジブリのこのワクワク感!
なんて盛り上がれたのは最初の一時間まで。
その後はカオスな世界観が繰り広げられ、主に鳥がメインの異世界でのお話が展開されていく。上記の通りこの時点で尺が半分ほど使われており、ようやくの異世界冒険活劇の始まりなのだ(笑)。そして肝心の展開も千と千尋のような驚きと成長に満ちたモノでは無く、淡々と進んでいく。
剣や血を匂わせる狂気な描写は宮崎作品初期を思わせるけど、かと言ってそこまでアクションに特化している訳でもない。
冒険活劇、家族愛的なしんみり系、そのどちらにも振り切れないままボワ~っとした描写が続き、実母なんだが義母なんだか分からないお母さん(後に義母と判明)を助けにいく。ここ紛らわしいんですが、最初に溶けちゃったのが本物かあさんで、産屋に居るのは義母かあさんなんですよね。
で、最後も無事帰ってその後東京に帰る事も示唆されてあっさり終了。
まさかまさかの大博打で駄目な方だったとは~~~とエンドロール中に頭を抱えてしまいました(笑)。
まずどこに感情を置けば良いのか分からないんです。戦時中が舞台なのであの頃のニッポン人として観れば良い・・という訳でもなく本筋はとんでも異世界ですし。なら家族愛的な部分も、どちらかと言うとカオスな鳥たちの世界が強烈過ぎて霞む。最後父親や義母との再会もあんまりだったしね。
でももっと深く考えると、本作はただの興行的な作品を域を超えた、宮崎駿というジブリ作品を生み出してきた人物の最後の作品だからこそのメッセージ性が籠められた作品だったのかもしれません。
そもそもタイトルの【君たちはどう生きるか】これは作中では本が少し登場した程度で同名のセリフが流れるわけでもなく、本が少し関係している以上の意味が無いように思えます。
しかし、このタイトルが実は本を参考にしてますよというカモフラージュで、本当は観客、それ以上に宮崎駿の熱心なファン達に向けられていたのだとしたら!!???
アニメなんていつまで観てんの。これは現実じゃないよ。ただの娯楽、嘘なの。
もう自分の人生、
現実を見よう?
君たちはどう生きていくの?
これから。
だから【君たちはどう生きるか】
そんなメタ的な最後のメッセージが籠められていた可能性も有ると考えたら、なんだか凄まじい作品に思えてきました(笑)。
だからこその意味不明な展開の数々で、ある意味意図的に観客達を幻滅させる。意図的なクソ映画(言っちゃった)。観客を、ファンを目覚めさせる。
最初は宮崎駿の人生をなぞり、戦闘機とか強気少女とか宮ちゃんの好きな要素を詰め込んだ最高のオ7ニー映画に仕上げ、そのフィナーレを支離滅裂な展開にして観客にとどめを刺す。
そんな”宮崎駿卒業映画”が、この【君たちはどう生きるか】だったのです!!!!!!
でも内容がクソなのに、流石はジブリの圧倒的な作画力とキャラクター達の生きている迫力が伝わってくる演技と描写が、やっぱり情報量が厚くてな~んか心に残っちゃうんですよね。支離滅裂だったのに何か深く残っている、不思議な感覚なんです。かあちゃんがどっちがどっちか分かんなくなる変な幻覚みたいな描写ですとか、おばあちゃん達の人形ですとか、なんかこっちがフワフワしてくるような子どもの頃の変な勘違いを、脳みその誤作動を再現されてるような描写は流石ジブリとしか言いようがない(これ伝わってるかな)。
宮崎駿のジブリ作品最後の作品という補正以上に、何か人の心に残す不思議なサブリミナル効果のようなものを発揮している、後の世になってから評価がされそうな作品でした。
でも敢えて言おう。カスであると。
宮崎駿の内なる世界
分かりやすいのは最初の30分ぐらいで、後は夢の話を見ているよう。
どこまでが現実でどこまでが夢なのか。
つまらなくはないけど退屈と言えば退屈かも。
人の夢の話ってそういうものじゃない?
宮崎駿あるあるもたくさんあるけど、それ以上の説明不足で進行する。
いらないと思うようなシーンも山ほどあるし、気になるところも山ほどある。
でも、何度も観ようとは思わないなぁ。
鳥がたくさん出てくるけど、鳥も監督の分身なのかな?
鳥=人の言葉を喋るけど人とコミュニケーションは取れない
みたいな。
考察好きとか鳥が好きならどうぞ。
ずっと作品を追ってきてよかった。
感想は十人十色になると思う。ジブリコアファンか否かで想いが変わる点は多数の方が抱かれる感想だと思う。自分用メモ。この作品をみるかどうかの参考にはなりません。
これは自分のためのレビューだから、記録みたいな気持ちで書こうと思う。
まず、全体的にエンターテイメントとかじゃなくて、宮崎氏&ジブリの歴史?みたいだなと思った。ジブリ作品を何度も観て、鈴木氏、高畑氏、吾郎氏あたりの人間関係を知っていると、「これはあれかな」「このシーンはあの作品からかな」「この人は高畑さんをイメージしてるのかな」とか思う場面が多いと思う。私はそう感じた。そこまで詳しいわけじゃないので、このぐらいのファンレベルで意見が分かれそう。
私は小さい頃ナウシカを観て、ラピュタ、トトロはどうだったか、魔女の宅急便からは公開されたらすぐに観に行くジブリファン。最初のトトロの画面で「ああ、ジブリの新作や…」とうるっとするくらい好き。ナウシカ、ラピュタ、魔女の宅急便、ハウルが好き。トトロも好きだけど、トトロは何度も観返すよりも、グッズが可愛い。
宮崎監督作品以外のジブリも多数見たけど、やっぱり宮崎監督監督脚本が一番好き。
荷物に群がるのが湯婆を彷彿とさせる。=千と千尋辺りから作品を売らねばならなくなってきたオマージュ?
主人公がそのお婆さんたちの人形に守られているのは、ジブリを経営していくにあたり、やはり知名度とお金は必要だったということ?過去の作品に守られているという意味もあるのかな。
「もう会えないかとおもった!」ソフィの台詞とそっくり!
森が風で揺れるのはトトロ?茂みに入っていくのもトトロかな。
鳥の足跡はハウルの足跡に似てる気がする。
お父さんが木村拓哉氏で継母が木村佳乃さん?木村苗字揃えたとかそれは偶然ですか?w
波がうねる、魚の描写=ポニョ?
色々意味を持たせて見ようとすると、ジブリ探しみたいで楽しい。カラフルなインコ。でも実際は包丁持ってクリエイターを食らいつくす。カラフルで可愛いから騙されて無数にジブリ城に取り込んでしまった?ナチスっぽい危うい描写だった気がするw
外に出たら普通の可愛いカラフルなインコ。でも糞をしていくのは頑張って生きてるクリエーター陣をああやって汚したのかな?とか。積み木=今までの作品&美術館やファンや本当に想ってくれる人たちで辛うじてバランスを保ってる?ペリカンはコウノトリかな?ジャムトースト=ラピュタから始まったジブリ飯感?キリコさんは高畑さんかな?青サギが鈴木さんかな。感想書いてる間によくわからなくなってきたので、制作していた監督はそれは意味がわからなくなるだろう、と思った
最後に積み木も崩れてハウルのごとく塔が崩れる。ジブリの終焉(良い意味で、ひとまずのピリオド)と開放?
主人公がキリコさんと作品のひとかけらを持っていたイメージから、高畑さんなのかなって思った。お婆さんの時のちょっと四角いお顔高畑さんみたいだもんねw
多数の数字が書かれたドアはジブリの歴史なのかな。作品分ドアがあったりして。
序盤の飛行機のパーツみたいなの?はメーヴェだと思った。魔女の宅急便感は見つけられず…原作者とモニョモニョあったからあまり載せてないのかな。紅の豚は…ジーナがいた場所のあのドームみたいなやつ。戦争背景なのは風立ちぬから?
こんな風に深く考えても宮崎氏は「いやいや、そんな意味ないっすよw」と言いそう。
そしてみんな忘れていく。私もジブリが大好きだけど、無くなる瞬間に思い出すとかじゃないと思う。宮崎氏がスタッフにどう説明して作業していたのかだけ真意を知りたいw普通の作品が最後の作品になるんじゃなくて、これを最後にもってきてくれたのだとしたら気持ちがいいなあ。最後という言葉は使いたくないけどね。
次見る時は一時停止しながらメモとりながらジブリが好きな人と見たいなあ
本作ほど他の方のレビューを読まない作品は初。
ナウシカの漫画買ったまま読んでないから読もうっと。あ、ユパさまに抱き着くようなシーンもあったよね。はーやめられないとまらない。
特異。
スタジオジブリの映画を見て、「うまく感想が言えない」という事自体が異常な出来事だよなと思った。
あの冒頭から、誰があのエンディングを予想出来るだろうか。
次に起こる展開の読めなさに、終始アドレナリンが出っぱなしでした。
友人に見た感想を求められたけど、何と答えて良いか分からなくて、「楽しかった!」と、あまりに語彙力の無い回答をしたけど、それが自分なりの正解なのかもしれない。
つまらなければ、一緒に見た友人と語る事も無かったと思うけど、映画を見終わった後、ひたすら2人で映画について語っていたのが事実。
個人的に、散りばめられたピースを探しに、また映画館に足を運んでしまうと思う。
ジブリ映画の集大成★
千と千尋の神隠し、トトロ、アリエッティ、風立ちぬ、火垂るの墓などなど、今までに観たジブリ映画のあらゆる場面や場所、人物を思い起こさせる映画だった。この映画の感想に答えはなく、それぞれがそれぞれの生きてきた道や価値観の中で考える内容や解釈がそれぞれに異なるのではないかと感じた。多様性を重んじる現代社会の中で、行く手を阻む人や場面はたくさんあって、そのような中でも、君たちはどう生きるのか、と、タイトル通りに問うている、そして、この映画を一緒に見た誰かと、それぞれの解釈を語り合いたくなる、観終わってすぐは「解釈が難しいな」と感じたけれど、すぐに様々な場面を切り取っては、あれこれと語りだしてしまいたくなる不思議な映画でした。
『おしまい』がないから、この映画は見た後何か残るのが正解
7/14〈鑑賞直後レビュー〉・内容はわからーんだけど、アニメーションはさすがすぎる。部屋に入ってきてお盆を机に置く女性の所作。ズボンをはく。節々のアニメーションはピカイチでした。
内容に関してはよくわからーんでしたので、これを読み解いていくのがしばらくの私のテーマになりそうです
7/24〈約一週間後レビュー〉・純文学的というかやはりエンタメ性は排除しているように感じる。といか意図してだろう。最後に『おしまい』『おわり』もなかったし。この映画は見た後何か残るのが正解で、映画館をでて、考え続けるのが正解なんだろう。だから映画が終わったらそこで『おしまい』じゃない。
深いテーマや思想がある創作を否定はしない、でもエンタメ性とテーマ性は両立できる。表層のエンタメ性と深層のテーマ性という構造の創作が良作という僕の思いからすると、表面的なエンタメ性、つまるところ物語の面白さは分からなかったので、うーん。
多くの人にとって物語を純粋に楽しむことができても、テーマや思想を読むことは簡単ではない。そういう営みももちろん知ることや考えることを放棄することは良くないだろう。
ぼくは宮崎さんの描く物語が観たかったかな
作画に統一性なし
何が嫌って、セキセイインコだけ他の映画からもってきたのかというくらい違和感ありまくりの作画だったこと。
ペリカンはジブリの世界なのに、インコはまったく別物。
その違和感が気持ち悪くて仕方がなかった。
内容的には、まるでエヴァンゲリオンみたく迷走したまま着地点を見失った状態で終わってしまい、観客は置いてきぼりをくらうパターン。
話を詰め切る前に見切り発車しちゃったのかな?
それでもジブリというだけで客は入るんだろうな。
宮崎駿監督が少年時代に読んだ本に感動して 現代社会、若者たちに問題提起する作品!
君たちはどう生きるか?
アニメーションの中だと真人の亡くなった
お母さんが遺した本を少年である真人が
発見した場面が、題材となった小説になぞらえた部分だと思いました。
真人が幻の世界に入り込み、亡くなったお母さんに会うことが出来なくても、屋敷のばあやに似た人型の木が御守りの代わりになり
積み木をひとつひとつ重ねるように新しいお母さん夏子や、これから生まれてくる生命、
お父さんと共に生きて欲しいと思えるストーリーでした。
青鷺は、人が亡くなることの悲しさ
ペリカンや、同じものの集まるところは、
今までのジブリ作品と重なるシーン
集大成だと思いました。
君たちはどう生きるか?
自分が世界の中心ではない
自分が世界の1部だと言う視点で世の中を見る
新しい発見をする
問題を解くのに答え自体ではなく
答えを導き出す後押しすること
世の中の生産性、まだまだ解決出来ていないことをこれから生きていく人たちに
自分がその1人となる可能性があることを
示すようなメッセージ性を感じました。
補足、感想が難しいのでまとまらなくて
乱文ですみません。
スタジオジブリ&宮崎駿監督作品 これだけの情報だけで、観に行こうと...
スタジオジブリ&宮崎駿監督作品
これだけの情報だけで、観に行こうと思えるのが凄いよな。と思いながら、劇場へ足を運んだ。
ひと事で言ってしまえば
「よくわかんなかった」
でも、ふと思う。
今までの作品、自力でわかってた?私?
前宣伝で知るあれやこれや、インタビュー記事、そういういろんなものの助けを借りて、予備知識やら、鑑賞後の補足で、理解していたのかもしれない。
そう考えると、本作が特別わけがわからないわけでもないような、、
それでももちろん謎が残るもやもやはあり。
大伯父の積み石がもたずに訪れるはずの危機とは。
眞人が継がずにどうなったのか。
そもそも大伯父の前にも同じような人がいたのか。
義理の母はなぜあちらにいたのか。
なぜあの時代を舞台したのか。
etcetcetc.....
米津玄師さんの歌を聴きながらのエンドロール
だれがだれの声か、なんで書かないんだろう
そんななか。
これから眞人の母になる未来に向かって帰るひみと、母のいない未来に向かって帰る眞人が、それぞれドアを開けて、互いに別れをつげるあの瞬間、なんとも言えない気持ちになって、印象に残ったシーンだったな。
大荒れ確定な枠ではあるのだけど、どう採点するかすら悩む…。
今年239本目(合計890本目/今月(2023年7月度)25本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。
まず、本映画自体、かなり最近になって唐突に放映が決まったのか告知されたのか、ほとんど何の告知もないまま始まったという特殊な事情は考慮する必要はあります。
この手の映画で同じ趣旨なのはスラムダンクですが、この映画は内容の判断はあれどう考えてもバスケ映画としか解釈しようがなく(いきなり野球をするとかという判断はちょっと無理)、「それでも内容はだいたいこうなのだろう」という推測はできました。
一方でこちらの作品は本当に情報がなく、そもそも鳥のイラストがいきなり出てくるだけでそもそも「アニメなのか何なのか」すらわからないまま多くの方が予約されて見に行かれたのではなかろうかと思うのですが、当方が見に行ったときには最後までいた方が5割くらい(つまり、半分くらいの方が脱落していた)だったのが印象的なところです。
趣旨的にテーマが何なのか…ということを積極的に書きづらく、一方で、この監督さんの過去作品からすると、主にお子さんをターゲットにした作品が多いように思えますが、本作品に限って言うと、一般的なお子さんでは理解がかなり難しいのではなかろうか…というところです。リアル固有名詞こそあまり出ないものの、実際に参照されている事象に関してはそこそこの知識が要求されて、そこに映画独自のファンタジー要素が絡んでくるため、理解の難易度というか、「要求される深さ、幅」が読みづらく、またかつ、このタイプの映画の一般的な放映時間よりも2割増し程度で長いため、一回で理解しづらいという方も2度3度見るか…というと難しいところもあり(映画の鑑賞料金もあがりましたよね…)、こりゃどうか…というところです。
ただ、さすが有名監督さんということもあり、ビジュアル面に関してはとてもきれいだし(劇場版ヴァイオレット~を彷彿とさせる)、「大人であれば」趣旨はある程度(8割くらいか?)理解できるというところはあり、積極的な減点幅までは見出せないところです。
これまで考慮して以下のようにしています。
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(減点0.3/映画のチョイスの際に支障をきたす)
・ 多くの映画館は3日前予約(一部例があり)という事情もあり、特に今週(7月2週)は3連休という事情もあり、どこも映画館は混んでいる状況で予約も結構競争率が激しかったのですが、その中で、「あまりにもシークレット要素が多すぎる」映画は、映画のマーケッティング的には理解はできますが、映画のチョイス・予約の際に支障をきたしますので、最低限の情報は出してほしかった、というところです。
※ これが極端にひどすぎて「採点不能」等大荒れになったのが「それがいる森」「大怪獣のあとしまつ」だった。
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「銀河鉄道の夜」を見たときの感覚
本日 2回目鑑賞
ストーリー分ったうえなので咀嚼して見れた
やはりスルメ映画
話が分ったうえでも 始終 不安感に包まれた感じで物語は展開
異世界パートは 杉井ギサブロー 監督の「銀河鉄道の夜」(1985年)に通ずるものを感じた
モヤモヤ感、生と死、鳥、等々…
こんな80歳を目指したい
ナウシカの原作を思い出してください。
駿監督の原点は万人受けする作家ではないはず。
その才能が故、商業的成功に導く手腕だってある。
でも、映画や作品てそんなことばかりじゃないはず。
ある一人の作家の頭の中をコレだけ長い時間を通して触れられてこんな素晴らしい体験はなかったと言いたいです。
映像業界の末端にいる者として、尊敬と感謝でいっぱいです。
俺はこう作ってきた、君たちはコレからどう作る(生きる)?
作品に向き合う者、何かを生み出したい欲望に駆られる者としての根源の問いともとれました。
メッセージなんてない、自分で考えろってエールかもしれない。
最後だよ!やりたいことだけやっていいじゃん。
黒澤さんだってそうだった。キューブリックだってそうなはず。
宮崎監督、本当にありがとうございました。
宣伝しないというネタかな
この作品は正直な所 私は何も感じない
退屈な作品だと思うが
何かを感じる人もいるのだと思う
印象的には 「テネット」を観た時と同じ感覚
なにか難しく作ってやれば理解しようと
面白がるみたいな感じ
もしかしたら2回観たら印象は変わるかも
しれないが…
特に説教臭事もなく、何かを生み出す事もなく
負けず嫌いが興行成績を取り返す為に
事前情報を流さず、広告を打たないという事で
話題にさせて足を運ばせよう
内容を一方向ではなく、切り取られたものを
時間軸をズラして分かり辛くしよう!
そうすれは何度も足を運んでくれるだろう!
みたいな作戦な気がします…
結論は退屈な作品 だと思う
テネットの時も
俺はセンスあるから理解できるんだぜ!
みたいなのがわんさか湧いたけど
今回もそれな気がします
何となく過去のオマージュなのか
そんな無駄な妙に動く動画が意味不明で
作品や人物には関係なく俺こんな動画出来るんだぜ!
なだけで余計に意味不明にしている感がある
年寄りの年寄りによる、昔は昭和はこんな感じに
作っていたんだ! みたいなアナログな感覚で
力のかけ方や編集が今に合ってない
そして言えるのは、
いつも映画を観に来る層ではないので
マナーは最悪だという事だね
開始して15分は経とうとしても
平気でワラワラまだ入場してくるし
家で映画でも観てるかの様に席を立つのが
わらわら居るし…
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