君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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人生観揺さぶられる映画
人生観ガンガン揺さぶられました。この映画に感想やストーリー性を求めてはいけません。難しい事は抜きにただ宮崎駿ワールドにどっぷりはまって、感性で感じて下さい。タイトルは「君たちはどう生きるか」ですが、その答えは映画の中には無く、最後に宮崎駿から観客に託されたのだと思います。賛否両論あるという事は、それだけ価値ある作品の証拠だと思います。私は支持が高いだけの映画はあまり見たいと思いません。この映画の価値が分かるのは、頭の良し悪しではなく、感受性の強さです。宮崎駿はやはり天才でした。あなたはこの映画から、何を感じますか?
産後に映画館で観た初の映画。
産前に観るのとでは感想が違ったかも…
5ヶ月の息子を育児中の私には、母を理想化する少年の眼差しが痛すぎた。
空襲で火の粉が落ちてくる中走る場面は、忠実に再現しようとゆう気持ちを痛いほど感じました。
描写が悲惨でも美しいです。
賛否分かれますが。
もう積み上がり始めた積み木をどうするのか
今まで映画レビューというものをしたことはなかったが、この作品のレビューをしないわけにはいかないと感じた。今だからこそ考えなければならないメッセージが詰まっていた。
時代は第二次世界大戦真っ只中、主人公・眞人は特需に沸く工場長の息子で、疎開先にて不思議なアオサギに出会う。
アオサギに導かれるままにやってきた世界は、ペリカンやインコが練り歩く一種の「気味の悪い」世界だった…
この世界、千と千尋~を思わせる人外の世界と見せかけて、その実は戦争をそのまま体現した世界である。
刷り込みと教育によって均質化されたペリカンやインコは戦争を生きる大衆の象徴だ。長引く戦争の中、彼らは「敵を倒す」大義名分すら忘れ、ただ生きるために空を飛び、人を食べる。そして未来に生まれるはずの子供たち(わらわら)は人知れず殺される。この殺人を続けるペリカンに罪の意識はない。ただ今日を生きるのに必死になった結果なのだ。
彼らの中では新たに生まれる子供は新たな兵士であり、兵士が兵士を育てるループが始まってしまっていた。
こうした戦争の世界の最上階では大叔父様が石を積んでいた。最上階は緑あふれる世界。兵士のインコはこの世界を見て「ここは天国なのでしょうか」と涙を流した。そう、人々の対立の中、なんとか均衡を保って生まれた平和は、最早兵士たちには縁遠いものとなっていた。
石とは恐らく兵器、産業の象徴だ。技術を如何に平和のためを思って積みあげていっても、発展した産業はやがて不安定になり、崩れた時には大惨事が起こる。大叔父様は為政者として、何とかこの均衡を一日でも長く保てるよう、今日も石を積むのである。
だが、大叔父様の寿命ももう長くない。積み上げてきた平和ももう崩れそうだ。故に眞人にその未来を託したいと願い出る。
眞人はこの申し出を一度断っていた。理由は、彼にとって石は木のように新たな命を芽吹くものではなく、冷たい悪意の塊であったからだ。それに対して大叔父様は「それを知っている君にこそ託したい」と言った。
大叔父様の考え方は、現在、私たちの世界にて最も正しいと思える平和の築き方だ。産業や兵器は、悪意を持って発展させればすぐに崩れて戦争の種を撒いてしまう。だが一方でそれらの技術は人の生活を豊かにするためにも必要である。故にその悪性を理解した人間が、そうした種を撒かないように細心の注意を払いながら平和を築かなければならない。
だが、本当にそうだろうか?この問いかけこそが、宮崎駿がこの作品を通じて伝えたかったメッセージそのものだと感じた。一見正しいように思える為政者の在り方。だが、その結果大叔父様はバランスの悪い世界を築き、世界はいよいよ崩れそうになってしまったではないか。真なる平和を築くためには、根本的に異なる考え方で世界を作らなければならないのではないか。
眞人が大叔父様からの申し出を断った理由は、自分が石を積んでも、また同じことが繰り返されるだけだと分かっていたからだ。仮に新たに積まれる石がそれ単体では悪意のないものでも、積みあがる世界には、積み上げた人の意図が反映されてしまう。どれだけ善の気持ちを持っていたとしても、その意図に悪性が無いと誰が言えるだろうか。
映画は、積みあがった石を兵隊長が崩し、世界が崩壊することで終わりを迎える。そして、第二次世界大戦が終わった後の世界が描かれることはない。
すなわち、宮崎駿には分からなかったのである。真なる平和な世界というものがどう築かれるものなのか、ということが。だからこそ彼は「君たちはどう生きるか」という表題をつけた。自分には分からなかった「平和な世界を築く」ことを、未来ある若人に託したのである。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって久しい。米中対立は過去類を見ないほど悪化している。世界を何十回と破滅させるだけの核兵器が製造されてしまった。石はもうすでに積み上がり始めているのである。私たちはこの世界をどう生きればいいのだろうか。今一度根本的な部分から考えなければならないのではないか。
宮崎駿は残りの時間で何をするんだろう
君達はどう生きるか
なんかよく分かりませんが、内容は伏せておかないといけない雰囲気です
どこかに書いてあったのかな
映画にはなんの表示もないけど・・・
なので、ネタバレはやめときます
これはタイトルが省かれていますね
僕はこう生きた
さて、君はどう生きるかな
引退した宮崎駿が、10年振りに製作したのは
自伝の締めの部分でした
主人公の生家は、まんま宮崎駿の実家です
子供の頃の懐かしいエピソードが散りばめられている
戦闘機の部品などを作っていた大金持ちだったようです
なのでジブリは空関係の作品が多いのかと納得しました
不思議世界は自分の生涯の比喩でしょう
業界のいい事悪い事などなどの表の顔
それとは別に
内面の母への思い
これは現役の男性は外には出せないプライベートな部分
でも、意外に巣くっている物は大きかったりする
ラストシーンは
泡沫(うたかた)のような人生を終えて去っていくようで寂しい終わり方です
さて、これから何が待っているのやら
人生100年時代
まだまだあるようで
健康年齢はとても短いし
あした死んでもおかしくは無い歳でもある
ひと仕事終えた偉大なクリエイターと一緒には出来ないけれど
自分の人生を思う
なんにもしてないから、ずっとあがき続けていくんだろうな
そして知らないうちに死んでたりするんでしょう
後悔もあるだろうけれど、納得のいく人生を終えようとしている者の心情はいかばかりや
野生の思考による高畑勲越え
まさにブリコラージュの映画。
部分と部分のいい箇所を繋ぎ合わせた野生の構造。
宮崎駿の最後の長編映画で最も期待した事。それは終生のライバルであった高畑勲超えである。近代合理主義の権化でもある高畑作品の完璧な構造と作品性。それを超えるには、対極にある野生の思考しかないと、辿り着いた着いた作風だと感じる。
元来、全体を決めずに、漫画を連載する様に徐々に絵コンテを積み重ねる宮崎作品。もともとブリコラージュの様な作風が、さらに拍車がかかっているのは、いつもの鈴木敏夫の手綱が無い状態で本作が描かれていると感じる。観る側を想定した、いわゆるエンタメ要素を含んだその手綱が、今回は何故か見受けられない。
その手綱からの解放によって、高畑越えを実現させたかったのではないか。
神話はブリコラージュで作られたと言うが、まさにそれを狙ったのではないか。
鈴木敏夫のそんな考えが伺える。
本作を理解できなかった私には、高畑越えが出来たかどうかの判断は出来ない。
しかし40年弱ジブリのファンであった私は、好きか嫌いかの前に、宮崎駿の最後の問い掛けを解き、受け入れたい気持ちである。
君たちはどう生きるか・・・??
アート作品の解釈力を問われてる
木村拓哉さん(目を閉じればハウル)でてきたー!
主人公アシタカに似てるなー!
ハウルみたいな、千と千尋みたいな、西洋のお家可愛いー!
ジブリ好きからすると、その作画、世界観で感動が最初訪れました!
岡田斗司夫さんのYouTubeで『ギリギリ90点』『アート作品』と聞いていたので、その前提で観に行きました
話が進むにつれて案の定、訳がわからなくなってきて少し眠くなり、、いや、いかん!起きたい!と自分を鼓舞しながら観ました
全てがマヒト目線の世界だったと考えると、夏子さんの言動、大叔父の印象、お母さんはどこかに居る、などがすこーしだけ分かるような、気がします。(気がしただけ)
ラストの傷、自分でつけたと、自分の罪を告白したシーンはよかったな、マヒト成長したな、と思えました
作りたいものを作った、それだけだ
前作は関東大震災、今回は世界大戦と、史実を絡めながらの導入部。
前半は「もののけ姫」系のリアル路線で進行し、
後半は「ハウルの動く城」系異世界での展開といったところ。
主人公マヒトもどこかしらアシタカの雰囲気がある。
歴代の宮崎作品のオマージュを活かしつつも、「こういう設定の物語」と考えればそれほど難解ではないと思う。
ジブリおなじみバアちゃんズ、今回は数で来た(笑)
解散した制作部の穴埋めはジブリ卒業生スタジオポノックの協力もあり、作り込みに関しては文句なし。
ポノックの新作も楽しみだ。
短いエピローグ、
弟が誕生しているが、マヒトに似ず、どことなくインコ顔のように見えたのは気のせいだろうか?
パヤオを知らない人にはおすすめできない
宮﨑駿監督の集大成…でもまだまだ観たい!
途中まで、あんまり…という印象でしたが、最後まで観て、やっぱり観て良かった!という感想に変わりました。ネタバレして詳しく書くか迷いましたが、止めておきます。
宮崎駿監督最後の作品、というような触れ込みでしたが、たしかに今までの宮崎アニメの名シーン名キャラクターを彷彿とさせる場面も多く、それでいて絵の綺麗さ動きの滑らかさはどんどん進化していて美しかったです。場面転換が多くわかりにくいところもあり、黒澤明監督の「夢」みたいだなとも思い、炎の描写のあまりの美しさに、同じ金と手間を掛けるなら「ナウシカの続編を作ってくれたらよかったに」と思ったりもしましたが、最後まで観ると、しっかり娯楽作品に仕上がっており感動しました。
正直「ラピュタ」とどっちが好きかと言われたら100%ラピュタですが、ああいう娯楽超大作は若い時しか作れないと思います。今作もヒロインは可愛かったし、とにかく宮崎監督が好きなことを詰め込んだみたいな感じがしてとても嬉しい後味でした。
詰め込み過ぎ、端折りすぎでわかりにくい、という批判があるのも理解はできます。最高の宮崎アニメか?と言われたら、私的にはラピュタ、ナウシカ、トトロの後にはなりますが、十分面白い作品だったとは思います。宮崎監督の新作を劇場で見る機会がもうないかも?と思うと、是非劇場でご覧になった方がよいかと思います。個人的にはもっともっと、紅の豚みたいに、好きなことを詰め込んだ映画を撮ってもらいたいと思っています!
簡単なカタルシスに流れてない
感じた後のもの
あっちとこっち
あっちは死んじゃった人がいく世界
こっちは生きてる人がいる世界
そんなどっちの世界にもある悪意
誰しもが持っている自分の中にある悪意
嫉妬や憎しみそして戦争。
そんな悪意が紡いだ
あっちとこっちの世界
火事にあったお母さん
出産のため病気になったお母さんの妹さん
そして大きな傷を負った主人公
あっちとこっちは隣り合わせ
悪意のない世界を目指して知る
家族や友達そして
生きることの大切さ
さぁ
僕たちはどう生きるか
産む生まれるということ
完全考察してとんでもない発見した
この作品は観てない方は絶対に見た方がいい
レビューが悪いとかつまらないとか関係ない
この作品を映画館で観とかないと後悔するよ
恐らくこの作品はDVD化されないどころか公開後お蔵入りされる
次作が出た時に絶対にこの作品は話題になるので
観とけばよかったと必ず後悔するぞ
大伯父の残した言葉を伝える為の映画だと思われます
大伯父が誰か?宮崎駿でないのは確実です
タイトルから察するに故人で
ジブリ単独制作から考えるとジブリ関係者
スタッフロールから考えると
ジブリを巣立った多くのスタッフに影響を与えた
人物であることは確実
宮崎駿監督が
僕自身もわけがわからない
と言われた言葉から察すると
もしかしたらモチーフとなる人物が
複数いるのかもしれない・・・
マヒトは宮崎駿 宮崎吾朗 岩井俊二
時代背景や設定は宮崎駿
石での自傷行為はゲド戦記で宮崎悟朗がケガをしたともとれる
蛙に飲みこまれるシーンは蛙の子は蛙という言葉に飲み込まれそうになったという意味
魚は大衆のレビューってとこかも
吾朗さんだとばかり思っていたが、岩井俊二さんが有力候補に浮上しました
高畑勲の甥っ子にあたりオオオジとの位置関係もドンピシャ
岩井俊二監督は東北出身なので廃船の描写もドンピシャ
ジブリがアメリカにこの作品を持ち込んだのも
米国在住の岩井俊二に観せたかったから?
マヒトの父は宮崎駿の父 宮崎駿 岩井俊二の父
久子は宮崎駿の母 結婚前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
ナツコ・ヒキは宮崎駿の母 結婚してアニメーターを辞めた宮崎朱美 岩井俊二の母
宮崎朱美は宮崎駿と結婚するまではアニメーターであった
宮崎駿のお願いで仕事を辞めたとされる
なので、アニメーターとしての宮崎朱美は死んだともとれる
ヒキは宮崎駿と出会う前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
岩井俊二さんの親子関係にドンピシャ当てはまるので
ほぼ間違いないかも
アオサギは映画に導き入れた鈴木敏夫
事前情報でアオサギが鈴木敏夫
これはほぼ確定に近い
キリコは押井守、庵野秀明
ジブリ時代の古参スタッフで原作を守る人と考えると庵野秀明さんが有力
岩井さんと庵野さんは仲がいい?
大伯父は宮崎駿の師大塚康生 宮崎駿の盟友高畑勲
役名がおおじじではなく大叔父という名前からすると
叔父的立場の人で血縁でないとダメみたいな発言をしそうなのは
恐らく高畑勲が有力
老婆達は東映のスタッフ? 二馬力メンバー?
老人は愛煙家のジブリ古参スタッフ
二馬力メンバーで愛煙家で悟朗に関係がある人物だと思っていたが
岩井俊二さんに関係ある愛煙家だろう
お屋敷は東映 宮崎駿の個人事務所二馬力
二馬力ではなく多分東映
風切りの7番は高畑勲を制作に引き入れる時一悶着あった風の谷のナウシカ
鈴木敏夫のトラウマとなるものだと考えられる
7番目の作品に該当する作品がどれもピンとこないので
語呂的に風のナウシカと推測
ナウシカは高畑勲を制作に引き入れる際、難儀したらしい
7番が理解不能だが
もしかしたらナウシカの7巻のことかもしれない
上の世界の時代背景は宮崎駿
顔のない人々はアシスタント
海のシーンは震災
わらわらは原作もしくは脚本
インコはアニメファン 大衆
他の方の推察でアニオタは子供ポルノNGらしい記述がある
インコの王は徳間ジャパン 星野康二 原徹
ジブリ崩壊のきっかけから推察するとこのあたりか
と思ったがこの辺は考察し直し
下の世界はアニメーション業界
ではなく映画業界?
大きな石は宮崎駿の才能もしくはアニメーション映画が日本に始まったって意味?
ペリカンは脚本を作らない監督
老ペリカンは近藤喜文
老ペリカンの言葉は自分で原作か脚本を作らなくなった監督という意味だと思われる
亡くなったアニメ監督の近藤喜文であろう
と思ったが考察し直し
自分で子を作らないという意味は
岩井俊二監督が自分の原作アニメを自分で監督しないという意味かも
積み石は脚本
宮崎駿監督は13作の監督作品がある
うち9作は原作作品となり
穢れなき石に当たる
3日に一度は3年に1個脚本書くという意味かも
大きな石はやぶにらみの暴君
以下はあやふや
3日に一度は3作品に一度?三年に一度?
132は平成13年2月?2001年3月2日?
岩井俊二監督、吾朗監督が、宮崎駿監督に関係がある数字でほぼ間違いない
登場人物のWIKI調べて
2回めで意味が分かる作品です
オマージュされたいくつもの絵は
「高畑先生僕たちはあの頃よりもこんなに成長しましたよ」
っという意味だったのでは?
個人的な見解では高畑勲さんへの追悼映画かなぁと思う
なので大叔父は高畑勲で大叔父のセリフは高畑勲の言葉なのでは?
制作開始時期は高畑勲さんは闘病中で
平家物語の監督を降りたりとあったので
当初は引退した宮崎監督がわざわざ復帰して
早く元気になってまた映画作ろうよ!!的な
元気づけるための映画だったのかと思いましたが
高畑勲さんの縁戚で東北出身の岩井俊二監督へ何かを伝えるための作品かもしれません
遠縁である岩井俊二監督に高畑監督もしくは宮崎駿が伝えたい言葉だと思われる
お二人は作品の感想を手紙のやり取りする程度で
そこまで近しい関係ではなかったようなので・・・
公開後のイラストは高畑勲さんの後ろ姿なのかなぁ
ジブリがやたら早くアメリカにこの作品を持っていったのは
岩井俊二さんにこの作品を早く観せたかったからでは?
高畑さんの言葉を岩井俊二さんに伝えるための作品なのかも
岩井俊二監督に何か言いたいんであろう
作品の中で眞人が岩井さんだとすると
僕はアニメ監督はしないと断ったようにも見える
もしかしたら宮崎監督が言いたいことは
日本アニメ馬鹿にすんなよ!!的な感じかも
今回の作品は宣伝しない方が宣伝になるという
観測気球かもね
前半のやたら長い生い立ちなどは
宮崎駿監督が岩井俊二監督に
実写映画の出演者の事情でカットできないシーンを
いらないカットはちゃんとカットしないと
こうなるぞって意味合いにも取れるかも
宮崎監督がこの映画を通して
お前の作品はココをこうした方がいいぞってな感じで
岩井俊二監督の作品を批評してるのかもね
理想を追求しろ‼︎っと言ってるのかも
岩井俊二のアニメの歌を歌ってるのが米津
米津がEDだったのもこういう意味があったのか・・・
鳥がモチーフの意味は高畑勲が関係した
王と鳥からのモチーフだったとは・・・
高畑勲と岩井俊二を辿ればこの作品全て理解できそうですね
やぶにらみの暴君と鳥と王
この2作品を見ると宮﨑駿監督が岩井俊二監督に言いたいことがわかるかも
特に王と鳥の岩井俊二監督のコメントは考察する上で要チェックです
好意的なメッセージかと思っていたが
日本アニメを軽視した岩井俊二さんの「王と鳥」のコメントから読み解くと
敵対的なメッセージのような気がします
何かしら違和感だらけの映画だったがこういう意味だったのね・・・
これ以上の考察は他の方にまかせまーす
・・・・と思っていたが・・・
とんでもない事が考察できたゾ‼︎‼︎
今までの考察がどうでもいいレベル‼︎‼︎
というか登場人物の考察は全く意味がない・・・!!
予言する‼︎ 同じような内容の2作目が出る‼︎
そして、この作品は映画公開後お蔵入りされる
まさかとは思うが
考察が当たっていれば、この映画は「やぶにらみの暴君」バージョン
そして、今後「王と鳥」バージョンが出るぞ
同じ内容の2作品目が出るぞ
初めからお蔵入りする気だからジブリ単独制作なんだ・・・
監督がわけわからない発言の意味はこれか・・・
絵が鬼気迫るような迫力があるのはそのせいか・・・
あえて、わけがわからない作品を作ってるからか・・・
この作品がお蔵入りされれば、自分は引退している発言の意味も納得できる
オマージュが多いのはこの作品自体がオマージュだから?
製作途中作品だから話が支離滅裂?
もしかしたらこれ2個1作品かも?
編集で部分部分を切り取っていくと宮崎駿自伝にもなるし
宮崎悟朗自伝にもなる 母も再婚しなくなる
全ての謎が解けるんです‼︎
「やぶにらみの暴君」を観れなかった世代に
「王と鳥」との違いを映画で教えるための映画です
この映画「やぶにらみの暴君」と同じ運命なら
観れるのは今だけで
2度と観れなくなる可能性大です
そして同じような内容の作品が出される可能性も大です
ジブリはとんでもないことをしようとしてる
「王と鳥」の伝説を塗りかえようとしている
更にまさかとは思うが
「王と鳥」バージョン
宮崎吾朗監督ではないのか??
それこそ映画界が激震して全ての評価が変わるぞ!!!
ジブリサイトの「王と鳥」読んだら謎が解けます
作品の考察は「やぶにらみの暴君」と同じで制作途中ならば全く無意味なので
今後の考察はコメントで書きます
微笑みがえし
ベースは千と千尋+ハウルです。
ところどころに今までの作品の要素が入ってるあたり
キャンディーズの微笑みがえしのような作品です。
また、これでもかこれでもかと宮崎駿が押し寄せます。
「このモブどもが!俺こそが宮崎駿だぜ!」と言わんばかりの
何も考えずに飯だけ食べるインコのような有象無象の集まり。
「こんなことも言葉にしねーとわかんねーのかよ」と叱咤激励する
おっさん、今回はアオサギでしたが若人を導く先輩。
「やっぱ女性は少女とツンデレとばばあにかぎるな!」と監督が好きなタイプの女性。
未来少年コナンからの世代なので、あーこれこれ、これこそがジブリよと思いました。
おじいさんが監督からのメッセージなのでしょうがよくわかりませんでした。
何回も観たり考察出てくれば理解できそうです。
でも、オムニバス的だったので引退作品として
今まで作品観てくれてありがとうと感謝を送ってくれたのかもとは感じました。
そんな聖人君主みたいな監督は誰も望んでおらず他の方がレビューしてるように
「俺は好きに生きた、君たちも好きに生きろ、てか知らんがな」と
投げっぱなしジャーマンするような監督であってほしいです。
ということで、さっさと引退撤回して次作期待してます。
私にはまだ理解できない概念
「作り手」が抱える理想と現実のジレンマを
ヒシヒシと感じる映画だった。
私は「インコ」の立場なので明確に理解できなかったが、映画が好きなのでせめて「無害なインコ」でありたいとも思った。
いつも素人が好き勝手言ってごめんなさい。
大物レビューに惑わされずに実際に見た方がよい。あと、宮崎吾郎が不憫
某Youtuberのレビューやここのネタバレレビューを見て支離滅裂、意味不明という先入観を持った上で見に行きました。
最初から外れ映画を見るつもりで見に行きましたが大外れ。非常に面白かった。
はっきり言うと、岡田某氏もだれもまともにレビューできないだろうという内容で、レビューはあてにならないから実際に見た方がよい。
確かに君たちはどう生きるかで、なんで前宣伝を一切しなかったのか理由も見たら納得した。
人によって解釈は違うと思うが、明らかにこういう風な取り方ができる。
大叔父:宮崎駿
塔の異世界:ジブリ
セキセイインコ:ジブリスタッフ
真人:宮崎駿の子孫(吾郎ではない)
ナツコ、ヒメ:吾郎ではない宮崎駿の親族・子孫
真人の父親:宮崎家のパトロン。ナツコもヒメも父親の子を孕むので、一見父親の血が重要だと思わせつつ、大事なのは大叔父の血を引くナツコとヒメの血を受け継いでいるということが重要。
おばばたち:従順で支えてくれるジブリファン
ストーリ:
大叔父(宮崎駿)は降ってわいた隕石(才能)を具現化するクリエイターで後継者を探している。実子(吾郎)の存在はあやふや。血を引いた人物じゃないと隕石を守る塔(ジブリ)の管理はまかせられないと思っている。塔の世界は時間が入り乱れており、姪も姪孫も同年代になったり、リアルな年代の姪もいたりする(まだ後継者は見つかっていない。いつか見つかってくれればいい)。
塔の中の異世界の中にいる大叔父は生きているかどうかも怪しい(この「君たちはどう生きるか」というアニメ映画の監督としての宮崎駿)。常に後継者を求めている大叔父は、自分の子孫に手当たり次第、アオサギを飛ばしてこの映画を見せてジブリの後継者を目指させる(そのために作ったと言える)。だから真人は(嘘ついたり不登校になったりするけれど)出木杉くんみたいな意思が固そうなよくできる男の子という設定。
塔の中(アニメ業界)に踏み込んだ真人は、いろんな困難にぶつかりつつも、自分が宮崎駿の血統にあるということを認識して、ジブリスタッフからの試練にも耐え抜いてついに宮崎駿を継ぐことを目指してほしい、という宮崎駿の願望がそのまま出ている。
今あるジブリはなくなってしまってもいいと思っている。最後インコたちが野に放たれるのはそのメタファ。宮崎駿はそういう考えを持っているけれど、君たち(ジブリスタッフ)は(これから)どう生きるか?と言っている。
つまり、この作品は、まだ生まれてもいないかもしれない宮崎駿の子孫が見ることを想定し、君たち(この作品を見た宮崎駿の子孫たち)は、どう生きるか(宮崎駿のこの後継者になってほしいという意思を受け継いでくれないかという誘いを受けて受け入れるかどうか)、と問うている作品であり、かつ、今のジブリスタッフについて、吾郎は後継者足りえないからジブリはこのままつぶすんで、これからの人生はジブリ以外で過ごさないといけないけれど、それにあたって君たち(ジブリスタッフ)は、どう生きるか(他のスタジオでやっていけるか)。と問うている作品でもあるわけです。
つまり、(まだ生まれてもいないかもしれない)親族と内輪のスタッフに向けた作品なので、前宣伝とかする必要がないので、宣伝しなかった、と解釈できるわけです。
今は意味不明作品と言われるかもしれないが、数十年、100年たって実際に宮崎駿の子孫が有名アニメクリエイターになったときは、内容が全部一本の線につながって生きてくる作品であり、宮崎駿最後の作品としてはこれ以上ない一つのプログラム(クリエイター宮崎後継者プログラム)と言える、ある意味傑作。
前評判に踊らされず(踊らされたけれど)実際見に行ってよかった。面白かった。個人の妄想をたれ流せられない有名レビュアーのレビューを見ただけでは誤解するだけなので実際に足を運んでほしいと思います。
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