君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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賛否が分かれるのも理解できるが、宮崎監督が培ったあらゆるアニメ表現を詰め込んだ映像を劇場で観る意義は、十二分すぎるほどある一作
ほとんど事前の情報公開もしないという異例の広告戦略であるにも関わらず、『風立ちぬ』(2013)以来10年ぶりの宮崎駿監督の最新作ということで、公開直前から急激に注目を集めた本作。興行的には好調のようですが、実際鑑賞した人の意見は結構明確に賛否が分かれています。
確かに『風立ちぬ』との連続性を感じさせるような舞台設定の前半はわかりやすい物語性を帯びていたんだけど、中盤以降の、まさに宮崎アニメ的、としか言いようのない異世界との境界線がたち現れた途端、成長譚とファンタジーが入り混じった物語にモードチェンジします。
作品世界や物語の筋を理解するための様々な要素をごろっと提示するものの、それらの関連性や構造についての説明はかなり抑制的であるため、多くの観客が初見では意味がわからなくて混乱する、あるいは煙に巻かれたような気分になるのも、ある意味しかたないかも。
表題にはあまり引っ張られず、宮崎駿監督の最新作、ということを念頭に入れて鑑賞した方が、展開を受け入れられやすいかも知れません。
食べ物描写、水の表現など、宮崎監督のアニメ作品の独自表現がもはや名人芸の域に達していて、それをスクリーンでつぶさに観察できる、というだけでも劇場に足を運ぶ意義は十二分にあります。公開当初は発売してなかったパンフレットもようやく売店に並ぶようになったので、その意味でも今から鑑賞するのがおすすめ。
宮崎駿の哲学書
宮崎駿はアニメーション監督である。
哲学者は文章で語るが、監督はアニメーションで自分の哲学を語る。
そういう映画だと思う。
だから、新海誠監督の映画のようなエンタメを期待して観た人には総すかんなのだろう。
哲学を辞書で引くと「世界や人生の究極の根本原理を客観的、理性的に追求する学問」とある。
そのままではないか。
この作品を宮崎駿の自伝であり、自分の人生、作品を見つめ直したものだ、と評する人が多いが、ある意味その通りだとも言えるし、そうでは無いとも言える。
そもそも、監督は一旦引退したものの、描くべきものが見つかったとして、この映画を作った。
今まで、生と死、なんとか道を切り開いて生きていく事を主題に作品を作って来た監督の(最後に)描くべきものが自伝というのはどう考えてもおかしい。
自作品のオマージュまで次々と挿入するのもありえない。
では何故、見方によってはそのようにも見える映画を創ったのか。
想像ではあるが、戦後、死に物狂いで生き、血眼で働き(たまたま宮崎駿はアニメーション製作を仕事とした)、この生きづらい世の中をなんとか生きてきた自分の生き様をさらけ出そうと思ったのではないか。
一つのケーススタディとして、或いはメタファーとして。
後半の幻想世界の描写は混沌としていて、物語の秩序も欠いている。
ある意味見方次第でどうにでも取れるように作られている。
死の世界なのか、生まれる前の世界なのか、夢なのか現実なのか、その境界は無く、観るものがどのようにも解釈できるようになっている。
人間は大きな矛盾を抱え生きている。
宮崎監督自身も子供は外で遊ぶべきだというのが自論でありながら、映画館や家で観るアニメーション映画を作っている。
また、氏は戦車や戦闘機の機械や造形を好むが、これが人を殺す兵器だという事にも嗜好性の矛盾を感じていたことも有名な話だ。
(風立ちぬ、はその事も主題の一つにしている)
人間は生きているだけで環境破壊をしているし、生きるために戦争をして他者を殺す。
そうした矛盾を抱えながらも生きていかなければならない。
宮崎監督は戦後なんとか歯を食いしばり生きて来た自分をさらけ出しつつ、生きづらい現代に、むしろ絶望的ともいえる今、未来に、
大きな矛盾を抱えながらもなんとか生きていかなければならない、子供達や若者に、
家族や仲間と力を合わせて生き抜いていく責任を問うているのではないか。
米津玄師と宮崎監督が何度もセッションをし、完成させたという主題歌の題名は「地球」ではなく「地球儀」。
人間が作った地球のミニチュアだ。人間が自分でクルクル回せる地球だ。
この主題歌がこの映画の主題を端的に表していると思う。
「君たちはどう生きるか」というタイトルは自分をさらけ出した上で、「こう生きろ」と決めつけるのでは無く「自分で考えろ」、という宮崎駿からの挑戦状と受け取った。
2023.7.22 チネチッタ川崎
問い:この映画は、何を問いたいのか?
考察
火で母を亡くした主人公
→父が夏子(母の妹)と再婚
=夏子のことが好きだがお母さんと言えない☆母親と言えない繊細な心のバランス
→母の屋敷へ引き取られる
→その屋敷が変!
変①しゃべるアオサギ
→やっつけるために、身の回りのものを使って応戦しようとする
=自分の力で、自分で考えて応戦する
変②変な建物
→宇宙からやってきたらしい
=変化はどこからともなく突然やってくる
変③夏子がいなくなる
→夏子を探しにいく(その前に、「君たちはどう考えるか」を読んで泣いている)
=世界はみんな繋がっていること、人には自分のことを決める力があることを知った
→変な世界に入り込む
→変な世界の変なこと
→変①殺すことを許されない人がいる
変②これを学んだら死ぬと書いてある門がある
変③おばあちゃんが若返っている
変④若返ったおばあちゃんが火を使ってかっこいい
変⑤地上に飛んでいって人間に生まれ変わる可愛い妖怪?がいる
変⑥変な少女ひみ(実の母の子の姿)が火を使う
変⑦可愛い妖怪をペリカンが食べにくる。そのペリカンをひみが焼く
=食物連鎖を表現しているのか?☆世界の繊細なバランス
→アオサギと共に夏子を探しに冒険!アオサギは嫌なやつ?
→インコが大量繁殖!大繁栄!人も食べちゃう
=可愛いインコも、進化次第で人をも食べる存在になる
→インコに襲われたけど、ひみに救われる
→ひみに連れられて、寝屋(夏子の元)へ
→石が夏子に何かしようとしている雰囲気!真人たすけようとする
→真人を助けようとする夏子、「あんた嫌い!」
→言葉の裏の愛を感じた真人「夏子、お母さん!!」
=夏子のことを初めてお母さんと言う決意をする
→大叔父から、この世界を告げと言われる
=世界は積み木遊びのようなもの
=さまざまな文化、思考、人種・・・などの組み合わせ。
=組み合わせ次第で、天国にも地獄にもなる
=だから、平和で穏やかな世界を目指しても、バランスがとても難しい。この世界 を平和にするもしないもお前次第と言ってくる。
→真人、勝手にお前次第とか言うなやって顔
→真人は、現実世界に戻って友達を作ると言う
=現実世界に友達がいなかった。友達のいる世界がほしい。
=「君たちはどう生きるか」は友達がいること前提の話。
=真人は友達が欲しくて泣いたのではないか?
→結局、大叔父が作り出した、変テコインコに石の世界は滅ぼされ、真人と夏子は現 実世界へ帰る
→アオサギと別れ際、「お前は友達だ」と告げる
=アオサギを友達だと自分で決めた。友達のいる世界が生まれた。
=だから、タイトルの絵がアオサギ
答え:どんな変な世界であっても、どんなに苦しい世界であっても、誰が友達か、誰が母親か、を決めるのは自分次第。自分で考えて、自分で決めることが幸せをつかむ。
みんな世界を作る石の一つ。でも、誰かに勝手に積み上げられたくはない。
この映画を見て何を考えたんだ?
お前は、どう考える?
人の意見に惑わされんなよ?
前評判のバイアスかけて見にくるんじゃねえよ!(だから、事前告知なしだ)
誰かのレビュー見てくるんじゃねえ!
「君たちはどう生きるか」って本読んだか?
お前らどう思った?
俺は、友達がいないんだ
コペル君には友達がいて、羨ましい!ムカつく!泣けてくる!
なんだこの本、友達ありきじゃねえか!?
友達ってなんだ?
俺が、友達って言ったら友達なんだ!
一人は寂しい
だから、誰が母親ってことも誰が友達ってことも俺が決める
って声が聞こえてくる映画だった。
ありがとうございました。
最初に氏の作品に触れたのが、NHKで放映された「未来少年コナン」。大学生のクセに子どものアニメなんか観て、と親にたしなめられながらも、その柔らかい線や元気いっぱいで屈託のない冒険活劇に夢中になってしまいました。他のアニメ作品にはない独特の美しさがあるように思えたのです。
氏の作品の魅力は何なのだろうと思うと・・いろいろありますが、一番芯にあるのが「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。以前NHKが「崖の上のポニョ」の創作に密着していましたが、最初に確固としたストーリーがあるわけではなくて、一枚の絵を出発点に、呻吟しながらなにものかを生み出してゆく姿がとても印象的でした。
黄泉の国、死後の世界・・後講釈でいろいろ分析されることも多い氏の作品ですが、生み出されたものは合理的に説明できるものばかりでないのは、今回も過去作品も同じで、その本質と魅力はやはり「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。
それが、観る者の心の奥底の干からびた部分に、いのちを吹き込み、どこかを癒やしてくれる。だから賛否両論というのが、実は私にはよく理解できません。長年おつきあいしてきた者として本作を観て、氏の集大成であるのは多分間違いないと思いました。
最初のオリジナル原作作品「風の谷のナウシカ」の上映は確かミニシアター系の上映だった記憶が・・・。その後も欠かさず、氏の新作が出るたびに、劇場に足を運び、結婚し、娘が生まれ、その娘もジブリ大ファンとなって育ち、先月式をあげ巣立ちました。
今回が本当に最後になるのかはわかりませんが、ご年齢からしてそうなることを想定しながら創作されたのだと推察します。まだ早いかもですが、「ほんとに長い間お世話になりました。」宮崎監督並びにジブリの皆様には、そう申し上げたいです。
良かったと思います
なんだかんだジブリを映画館で観るのは初めてでこれが最初で最後かもしれないと思い事前知識ゼロで観てきました。
観終わった直後の後味は正直悪く、宮崎駿さんが自分が書きたい物を書いたって感じで新海誠さん対極の存在という印象でしたが後から振り返り考えが一転したのでまとめてみたいと思います。
〈あくまで1意見なのでその点ご留意いただければと思います〉
まず個人的に気になったのは今作は何とも言えない不快感を感じる描写がかなり多く、中々今まで見た映画でない経験だと感じました。
例)
→死んだ奥さんの妹と結婚する無神経な父親、
→甥の手を無理やり取り自分の腹に当て「子供がいるの」と宣言する新しい母親、
→主人公の荷物に群がるお婆さん達、
→その後のカエルのシーンもそうでしたが
→個人的にはアオサギが主人公の真似か「オカーサン!オカーサン!」と鳴くシーンが特に衝撃的でした。
一言でまとめると「無神経」。
そしてその不快感が途中から感じなくなったのはいつからだろうと考えるとあちら側の世界に向かってからと気づき見方が一気に変わりました。
制作した、あちら側の世界はインコやデカい生物などおじいさんが作った世界だから初見で意味などは分からないと感じます。
そして主人公に継いで自分の世界を作れと言うシーンでは「悪意で自分で自分を石で傷つけた」と断ります。石で自分を傷つけることで学校へ行かなくて済むのもそうですが新しい母親への悪意があったことを本人も自覚している。
それに気づけたなら尚更この世界に留まればいいとおじいさんに説得されるも断る。
色んな人の悪意に晒されるであろう現実に戻り、友達を作り共に生きる事を選択する主人公。
といった意味では個人的にはこの作品は良かったと思います。
制作、そして人生に対する宮崎駿さんの姿勢なども含まれてるように思いますが個人的には不快感の正体を突き止められた気がしたので以上とさせていただきます。
今までのジブリ作品の面影がある分、「こういうのが描くのが好きなのですね」と分かって面白かったです。
ジブリ作品だけど小さいお子さん連れは辞めといた方がいいと思います。私だったらトラウマになりそう。
また原作無視な所も相変わらずかと思いました。
お前いいやつだな、が響いた
男の子をもつ母として涙がこぼれました。
さすが宮崎駿の書く男の子ですねと思いました。
お母さんとの別れを受け止めきれず、
新しいそっくりのお母さんに抵抗がありつつも、
お腹を触らされてぎょっとする。
疲れて部屋で寝てしまったときの寝顔の可愛さはまだまだ子供なんだなぁと。
素朴さと生真面目さと素っ気なさがちゃんと男子。
夏子さんを助けに行くのも偉いです。
久子さんをダシにされ、罠だと分かっていても足を踏み入れて確かめに行く。そうして真実を自分で見つけていかないと進めない。と宮崎駿は言いたいのかな?なんて思いました。
産屋に入った新しいお母さんの「あなたなんか嫌い」お母さんもお母さんしようと一生懸命だったのに。ちゃんと心を砕いて新しい息子と向き合おうとしてたんですもんね……からのお母さん呼び、泣けました。
もともと私は頭の中がとっ散らかっているからか?
筋が通っているか否かは気になりませんでした。
夢の中、ファンタジー。どなたかが不思議の国のアリスと書いてましたが次々と美しい絵が出てきて楽しかったです。青鷺といい老婆といい、気味悪いという印象からちゃんと愛らしく感じられました。
観終わった後はぽーっとしてました。
時間があれば2回目も観にいきたいです。
老人の妄想か、はたまた 僕らの世界が間違っていて、本当の世界の姿はこうなのか
この映画を、事前の先入観一切ナシに鑑賞することができて、こんなに幸せな事はないと思っています。
晩年の談志落語のイリュージョンや、黒沢映画の果て
最盛期を過ぎて、下手になった、晩節を汚したと謳われるようなこれらの作品群を
退化と捉えるか
進化と捉えるか
それによって、作品の評価が180°変わるのですね。
この作品は、正にそんな作品でした。
事前情報も作品のリードラインも一切ないなか
観客は、主人公が自傷するあたりで動揺しますよね。
理解できない、これまで語られたことのなかった物語に対して
自分自身の価値観を、判断を迫られるのです。
それこそが正に「君たちはどう生きるのか」という事でしょう。
このよく出来た、主人公たり得るに相応しい
母を失い、被害者と正義感の同居する
お行儀の良い、しかしひとりになった途端に涙をこぼすような
完全無欠な観客の感情移入のお手本のような少年が
まったく正義なだけでも完全無欠の主人公でもなく、むしろ悪とエゴにも満ちあふれた
ひとりの人間であることに混乱するのですね。
大衆は、桃太郎は鬼も退治しましたがバイクを盗んでガラスも割りましたでは、物語の主人公としては困るのです。
大衆が勝手に求める完全無欠の虚像として、物語の主人公も、政治家も、テレビのタレントも
そうあって貰わなくては困るのですね。困るから、たかが女優が不倫しただけです炎上したりするのですよね。
しかし、桃太郎にだって女優にだってそんな一面があるのです。だって、人間ですから。
この時点で、この物語は、そんな子供向けの単純な作品ではなく
大人向けの、善悪も矛盾も孕んだ、人間を描いた作品であることがわかります。
わからない人は、ここで置いてゆかれます。
こここそが、これまで宮崎駿氏が超えられなかった、アニメーション故の境界線なのですね。
これまでの作品で、例えば、父親像でいえば
優しいだけのダメな父親、社会的に力を持つも人格的に難ある父親、
家族の前に居られない存在感のない父親、
それらがすべて、観客に理解されなかった果ての、今回の父親像こそが
ようやく、人間なのだと感じられました。
社会的に力を持ち、成功者でもある反面、子供からしたら気持ちが理解されることのない
しかし愛すべき愛情に満ちあふれた、このエゴの塊のような父親像こそが、まさに人間であり、
僕の貴方の身近にいそうなリアルな父親、、この境地なのだと思われます。
アニメーションの絵柄に守られた境界線を越えて
ダメで立派なひとりの人間としての
父親像をようやく、宮崎駿氏は描いたのだと思いました。
世界は矛盾に満ちている。
あんたなんか大嫌いということは、大好きという事ですし
友達でも仲間でもないという事は、互いに対等な立場と言うことなのですね。
これらの、一見、矛盾ともとれる感情が入り混じり、境界線なく、裏返り、一体化したものこそが
人間そのものですよね。
立川談志は弟子に「一人前になる修行とは、矛盾に耐える事だ」(=矛盾を受け容れられるようになることだ)と説いたそうですね。
そう、途中までは、宮崎映画に期待する自分の過去の先入観が邪魔をするのですよ
ああ、手描きに似たこの表現は良いなぁ、このキャラクターはまるで※※のようだ、
このシーンはまるで未来少年のようだ、ルパンのようだ、いや、アリエッティだって入っている
ハウルだって、ポニョだって、千尋だって入っている。いやこれは駿流のゲド戦記か? エヴァンゲリオンなのか?? OnYourMarkのセルフカバーか?
高畑勲という師匠を指針を失って初めて、宮崎駿氏の見失った羅針盤は、内面に向かうのか、弟子筋に向かうのか、外側に向かうのか?
それとも、未だに悪魔のようなプロデューサーの庇護下から出られないでいるのか?
遠い昔に読んだ、ナルニア国物語や色々な児童文学も入っているのか。アリエッティもマーニーも入っているのか?
けど、、考えてみればアタリマエなんですが
すべて逆で、これまでのそれらの要素すべてが、宮崎駿だったんですよね。
宮崎駿の感性が、其れ其れの作品に散りばめられていただけ
元はすべて、宮崎駿なのだから
この映画にも、これまでの映画にも
其れらが息づいているのは 当然なのですね。
それを僕らが勝手にジブリ映画の要素だと錯覚していただけなんですね。
繰り返しになりますが、僕はこの映画を、先入観なしに観られて、本当にありがたいと思いました。
君たちはどう生きるか? ということは、君たちは、この映画をどう見たか? ということですよね。
この映画を面白く見られた人は、面白い人生を歩むのでしょう。
私もそのひとりであり得たことを、心より感謝いたします。
ひとは物語は世界は単純な善悪では語りきれず
この矛盾に満ちた、説明できないものが
ひとであり、世界であり、宇宙なのですね。
私の好きな作家で野田秀樹氏がいますが、正にこの時期に上演された
「兎、波を走る」でも、もはや人類に新しい物語はないのかも知れないと語られていましたし
また同じく、私の好きな作家で松尾スズキ氏の言葉で
「宇宙は見えるとこまでしかない」にも代表されますが
人がヒトたり得る感知感応できる世界は、
結局、人が認知できる世界までしかないのですね。
それは庵野秀明氏が「シンヱヴァンゲリヲン」や「シン仮面ライダー」で渇望した
己の中にない、未だ見ぬ外宇宙の元素を渇望するその衝動にも似ています。
方向性が違うだけで、その境地に辿り着いた巨匠達は、その飢(カツ)エに飢えて
爪を掻きむしりながら、やがて辿り着く境地があるのですね。
それもそのはず
宇宙や世界が無限に広くとも、それを構成される
原子や素粒子といった要素は、その宇宙や世界を構成するものでしかなく
人もまた、人がヒトたり得る世界の中のもので構成されているのです。
宮崎駿が、立川談志が、黒澤明が、宮沢賢治が辿り着いた果ては
もはや狭くも無限に広い宇宙のなかで
語り尽くされた物語の数々を構成する
「人間そのもの」なのですね。
もはや多くを語りますまい。
私の敬愛する、宮沢賢治のこの一説をお借りして、この作品のレビューとしたいと思いました。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
以上、宮崎駿氏の心情を、私なりに最上級で表現をしたつもりです。ご査収ください。よろしくお願いします。
この映画の良さは分かる人が分かればいい
ジブリの良さって"美しさ"と"気味悪さ"が混在した独特の世界観と人によって捉えられ方が違うシーンが多く、正解が与えられないところだと思うんですよね。それが過去作品の中で1番感じられた映画でした。
一言で紹介するとしたら、宮崎駿監督が"1人の少年の生き方を描くからみんなで考察し合ってね!"って感じの映画ですね笑
私のこの映画の好きなところは、始めはアオサギが冷徹で不気味、この世のものとは思えない様子で描かれていましたよね。
そこから、まひとと戦ったシーンをきっかけにだんだん打ち解けて人間味がどんどん溢れて色んな表情がでてきます。最終的にまひととアオサギがお互いに認め合っているところがすごく好きです。私はアオサギが1番人間味があって魅力的なキャラクターだなと感じました。
私はこの映画の醍醐味が"内容を理解できない人、強く嫌う人、すごく好きな人"と完全に別れるところだと思うんです。
私の人生の中で"大好きと大嫌いは隣り合わせ"だと思っているのですが、(始めの印象が大嫌いな場合は良くも悪くも強い感情を抱いていて何かをきっかけに大好きになる可能性がある、普通や好き程度の場合は強い感情を抱いていないので転びにくい)正に映画の始めの部分は強く感情を揺さぶられる部分が多くうわ、この映画嫌いかもって思いました。ですが映画が終わったあとには"いやこの映画すっごい好きだわ"に変わっていました。この映画を見たあと、後ろに座っていたカップルの彼女が『私には難しくて全然分かんなかった』って言っていたんです。この映画が作り出すこの映画に対する個々の意見も含めて実に面白いです。
老いたのは自分か宮﨑駿か
公開に先立って観た『千と千尋の神隠し』以来のジブリ作品『風立ちぬ』が望外だったため、期待に胸踊らせて満席の中を観に行った。
結果、レイトショーだったにせよあくびが止まらず、途中から早く終わらないかと念じ続ける様に。
今のところ今年のワースト2(ワースト1は『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』)といった評価。
前半はどうにか観られたけど、後半から「おつかいゲー」の如き敷かれたレールの上に沿った展開が続いてウンザリした。
ラストの選択なども誰だってそうするだろう、意外性のない、既視感にまみれたものだった。
監督は最近の作品を観てないんじゃないか、感性をアップデートできてないんじゃないか、という疑惑が終始ついて回った。
(それでも面白ければ口を閉ざしたろうけど、令和の時代においては古臭さ(もちろん悪い意味での)は否めない。)
作画にしても齢を食った今となってはそのカロリーの高さと味付けの濃さに胃もたれしてしまった。
やたら書き込まれてたりヌルヌル動いたりすればいいってもんじゃないな、、、というのが最近のアニメを観ての感想。
たとえば、規模は比べるべくもないが、『夏へのトンネル、さよならの出口』くらいのあっさりした画のほうが好み。
(このへん、写真の台頭によって絵画の主流が写実主義から抽象画へ移ってった傾向に似てるかも。)
百歩譲って芸術性は認めたとしても、娯楽性がサッパリだったのも評価を低くした一因。
(傑作は、まず娯楽性が来て、それから芸術性が来る、が信条なもので。)
エンドロールの米津玄師の歌も『シン・ウルトラマン』の「M八七」と違って1フレーズも記憶に残ってない。
(もっとも、これまで述べてきたように作品自体がひどくて余韻に浸るどころではなかったからかもしれない。)
あと、監督の生い立ちや人間関係などといったメタ情報を知っ“たら”楽しめる、という評価は論外。
(知らなくても楽しめるけど知ったらなお楽しめる、であればわかるが。)
物語を頭に入れた上で改めて観たらひっくり返るかも、という予感が残された一縷の望みだ。
絵だけは綺麗
きつねにつままれた様な展開
この世界観をどう受け止めるか
宮崎駿監督の中でもおそらく一番難解でグロテスクな作品ではないだろうか。
確かに心に焼き付く作品ではあるが、どのように受け止めて良いのか迷ってしまった。
決してエンターテイメント性がないわけではない。
『ナウシカ』や『ラピュタ』や『もののけ姫』などを彷彿とさせるような描写もあり、冒険ものとして、また異世界ものとしてワクワクさせられる部分もあった。
しかしどこか整合性が取れていないような違和感がずっと拭い去れない。
実はこの違和感は冒頭からずっとあった。
まるでデヴィッド・リンチの描く悪夢を観ているような感覚もあった。
日常の延長線上にある非日常的な光景。
まず主人公の眞人が口数が少なく、何を考えているのか分かりにくい。
彼は最愛の母親を空襲で亡くし、父親と共に田舎に疎開して来た。
父親が軍需産業で儲けていたこともあり、暮らしぶりは裕福なようだ。
礼儀正しく、物分かりが良さそうでもあるが、心にとても腹黒いものを抱えているようにも見える。
突然喋り出すアオサギに敵意を抱きながらも、アオサギが喋るという非日常な現象はすんなり受け入れているところや、拒絶感があるのか父親の再婚相手の夏子のことを「父親の好きな人」と言い続ける冷たさなど。
疎開先の同級生と喧嘩した後に、わざと石で頭をぶつけて大量に血を流し、父親には転んだのだと嘘をつく姿にも狂気を感じる。
感情をあまり表に出さないので忘れてしまいがちだが、眞人はまだまだ子供であり、母親の死を受け入れるには幼すぎたのかもしれない。
そう考えると、この映画にはいたるところに眞人の声にならない叫びが溢れているようにも感じた。
とにかく観ているこちら側も状況を整理出来ないまま、物語の展開に呑まれていく。
良く分からないまでも、この映画が死と密接に結び付いていることは良く分かった。
そして真に争いのない平和な世界を実現させようとすれば、大きな犠牲がつきものになってしまうことも。
この世界があり続ける限り、人はこれからも衝突し続けるだろう。
それでも人はこの世界を必要とし、苦しさの中で生きる意味を模索し続けるのだろう。
様々な考察が出来そうだし、おそらく隠されたメッセージもたくさんあるのだろう。
残念ながら理解が追い付かず、十分に楽しむことは出来なかった。
ただどれだけ難解でも本当に優れた作品は理屈抜きで凄いと思わせる何かがある。
まだ一度観ただけだが、この映画からはその凄みのようなものを感じることが出来なかった。
これが宮崎駿監督の集大成だとすれば何だかとても独りよがりに思えて寂しい気持ちになった。
亡くなった母親のダミーを見せるような悪意あるアオサギが、眞人の友達になっていく展開はとても良かったが。
「ジブリって昔の方が良かったよね」そうかな?
周りからはあまりいい噂を聞きませんでした。「意味が分かんなかった」「途中で寝ちゃった」など、マイナスな評価を聞いていて、あまり過度な期待をもたず、鑑賞しました。確かに、一見すると意図が伝わりにくいところもありましたし、分かりやすいストーリーではありませんでした。でも自分にとっては、この含みのある表現だったからこそ、より見た価値を得られた気がします。
今年で83歳になる宮崎駿さんにとって、今回が最後の作品になる可能性は高いです。「ジブリは昔の方が良かったよね」なんて言葉をチラホラと耳にすることがあります。宮崎駿さんは高齢でもう楽しい映画を作れなくなったのでしょうか?
私は今回の作品を見て、それは違うと思いました。今回、確かに分かりにくいところもありました。でもただ難解なのではなく、全てが何かに置き換えられるものでした。それが何なのかは人によって違うと思います。明確に描かない分、どんな解釈も許されるし、得られる物も一人ひとり違ってくると思います。一人ひとりが考えられる「解釈の隙間」をあえて残してくれて、それでいて重くならないように、ポップな「ジブリらしさ」も残してくれている、そんな素敵な作品です。今までたくさんの作品を創ってきた宮崎駿さんだからこそ出せる味だと思います。「あれってどういう意味だったんだろう?」と考えて考えて、自分でたどり着いた答えが、この映画を見た価値なのではないかと思います。
私事ですが、一番何回も見たジブリ作品はトトロです。一番好きなのはラピュタです。一番感動したのは千と千尋です。本作「君たちはどう生きるか」は自分にとって、一番真剣に向き合えた映画となりました。
やっぱりジブリは大好きです。
タイトル
無意識の映像化、不条理の昇華と、万物との共生への覚醒
とても固い表現になりましたが、タイトル通りの感想で、大いなる感動を受けました。こんな映画はこれまでに見たことがありません。私的には史上最高傑作です。1回しか見ていませんが2回3回と見たときの新たな感動が予感されます。映像の美しさは言うまでもありません。手描き独特の静止画、動画の世界観がまた格別です。
矛盾や不条理が渦巻く世界でどう生きたらいいのか、というのが中心テーマだと思います。作者が常にこの問いを問い続けたこれまでの人生を、夢を見るように振り返り映像化した作品、と感じました。ということで「夢」というのは論理的な構成にはなり得ませんので、難解という評価もあるとは思います。ただ、見る側に「生き方」を問い続ける経験があったら、間違いなく深い感銘がもたらされることは確信できます。
私としては、この作品を見終えたときに、主人公やその他登場キャラと世界(もっといえば宇宙)との共生というイメージが湧いてきました。次に見たときはもっと別のイメージが湧いてくるかも知れません。そのときはまた投稿させていただきます(笑)。
普通に面白かったけど
冒険もので面白かった。
宮崎駿監督っぽさがあって映像も綺麗でよかった。
ひみがお母さんだとかきくこさん?とか隠してるのか隠してないのかは中途半端だったのが物足りなかったけど。
親子愛もテーマとして感じられてよかったです。
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