君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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タイトルと中身のギャップ
いや、最高でした。これまでのジブリ映画で一番好きかもと思った。トト...
いや、最高でした。これまでのジブリ映画で一番好きかもと思った。トトロ、ラピュタ、魔女、、とジブリ映画と共に育った世代ですが、2023年にもなって、こんなどえらい新作を観られるなんて思ってなかった。のっけから動きの全部がすごかった。随所随所に、天才の反射神経を感じる瞬間、動き、エピソードが散りばめられてて、この映画のどこにどこまで宮崎さんが関わっているのかなんて知らないけど、すごすぎた。天才たちがいる、、と思った。興奮しっぱなしで二時間半がたった。階段をのぼる、という動きひとつとっても、その人の気持ちが伝わってくる。わざわざアニメーション映画で作る意味ってこういうことだよなあ、、セリフより、画面の動き全部で、今どういう状況でどういう気持ちなのか、この先どういう展開の予感なのかが全部伝わってきてすごかった。ファンタジー世界をアニメーション映画で見せてもらえる醍醐味がすごかった。次から次に別の扉が開きまくって、今何してる途中だっけ!?っていうのは常にあって、でもこれこれこれだよっていう気持ち。まみれてこんがらかって気づいたら別のドアから戻っている感じ、、骨格は古き良きいくつもの物語たちを踏襲しつつ、具体的な細部や動きがサイケでハートフルでとにかく本当に最高でした。映画館でまだ見たい!
駿の集大成
映画館にて鑑賞
最近のジブリ映画には期待してなかったので見にいくつもりはなかったが、あまりに話題になっていたので気になって鑑賞した。
今作は今までのジブリと違い、全編にわたり暗い雰囲気に包まれている。
ジブリでは明るい世界観が多いし、暗い世界でも懸命に生きようとする主人公が多い。
冒頭の空襲の火災のシーンはアニメでしか表現できないリアルさがあり素晴らしかった。
また新居へ引っ越した後の不安感などもおどろおどろしい雰囲気で表現できていて良かった。
また出会ってすぐに母親になる、弟を妊娠してる宣言をし、お腹を触らせる夏子さんは気味悪い。
母親になることを認めれない気持ちが自傷行為へとつながる。
ただ青サギとのやり取りから物語が進行していく
初めて青サギがしゃべるシーンは衝撃だがマヒトは全く驚いてない事に違和感を感じる。
夢の中の話という設定なのか?
建物の中に導かれるまでは非常に良かった。
ただその後地下に行ってからは本当に悪夢を見てるようなイメージだ
とりあえず全てが荒唐無稽で意味がわからない。
またコダマを連想させるワラワラやナウシカみたいな森、ラピュタ、カリオストロを連想させるオウムの帝国、城
オウムに支配されてる世界
なんでオウム?
ある意味で今までの集大成のような映画となっている
また出てくる大叔父さんが宮崎駿のモデルなのだろう
マヒトも駿だが、吾郎や米林の役割も有るのだろうか?
世界を維持していた13個の積み木は今まで作った13本の作品を意識しているのだろう
その世界の運営(ジブリの運営)を譲ろうとするが断られてしまう、大王(鈴木p)がその様を見て怒り出す。そしてその世界は滅びていく。
これはジブリの世界を暗に表しているのではないだろうか。
そして現実に帰ってきて母親とも仲直りし大円団となるがストーリーの展開的にはおもしろくない
2度3度見に行こうとは全く思わない
宮崎駿作品は絵に関しては素晴らしいが
肝心のストーリーが訳わからなくて何を言いたいのかわからない事が多い
特にハウルすぎてから
イラストレーターとしては素晴らしいが
誰か舵取り役の人が必要だろう
それがプロデューサーや監督だ思うが
ジブリはアニメ界に大きな功績を果たしたが、今や知名度だけでもう崩壊するだけの帝国となっているだろう。
今後日テレと手を組むことでどう変わるのか気になるところである
映像はこれぞといった感じ
これぞ宮崎駿監督という映像の連続なのだが。
内容はタイトル通りなんだけど、別世界への扉を「アリスと不思議の国」のごとく描く。またその世界が多重構造で独創的な構成のため、馴染むまでの過程が上映時間に見合ってない様に感じた。
映像のみでも楽しめる作品にはなってるんだけど、別世界の構図や鳥(青鷺やペリカン、インコ)を使うことへのこだわりといった点などをいつもなら力技で押し切るんだけど、今回はその押し切る力が弱く感じた。
そんなことはない
いろんな感想があっていい!
■ [一回目] 2023年7月18日
どこがどうとか、何がどうとか説明できないんだけど…
映像だけに関しては装飾のディテールや、
主人公以外のキャラクターが面白くて興味深くて、
ひとつひとつに注目させられつつ、冒険要素も入っているので、
自然にワクワクさせられて魅入ってしまった。
老若男女がそれぞれに楽しめる娯楽としても正統派だし、
ジブリの何かを考えさせようとする小難しさ作用も働いているし、
非常に面白い作品でした!
いろんな人の感想を聞きたい。
きっと、バラバラで楽しいはず!!
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■ [二回目] 2023年10月4日
知り合いの美容師さんが4回も観てるということで、
触発されて、2回目の鑑賞。
視覚的な映像的な感想は言えるのだけど、
何を感じたか、何を考えたか、何を得たか、を説明するのは難しいね。
ただ、きちんと生きよう、みたいな、
何となく前向きになっている自分がいます。
歳を重ねた結果
極めてなにか、お金を払って見に来ているお客さんに対する侮辱を感じます
宮崎駿監督は素晴らしいんです。良いんです。
クリエイターだから。そういうもんだと。
ただ傲慢さを感じるんですよ。
宮崎駿監督に文句があるんじゃなくて、
ファンタジーなのに何のフリも説明もないから、
「は?ナニコレ?」になってお客さんをほったらかしにしてるのが
あまりにもお客さんを舐めてるというか、
見てて酷いなと思ったし、強く傲慢さを感じました。
こういうことをやるってことは、
「宮崎駿監督」や「ジブリ」の名前にあぐらをかいているようにしか思えなかったです。
どうせお客さん来るんでしょ?と。
プロデュースする側に対し、極めてなにか、
お金を払って見に来ているお客さんに対する侮辱を感じます。
宮崎駿監督に関しては、多分もうなに作っても同じようになるのかなと思うのですが、でもそれで良いんです。クリエイターだから。そういうもんだと。
機に臨んでは「右顧左眄するなかれ」
…というのが、本作に込められたメッセージだったのではないでしょうか。
そう思えました。評論子には。
一見するとアオサギのようにも見えるけれども、中身までもアオサギであるとは限らない。否、全くの別物であることも多いだろう。
また、俄かには理解しがたい摩訶不思議な事態に遭遇することもあるだろう。
しかし、そういう「見てくれ」や困難には惑わされず、母(継母)の命を繋ぐという自分の目的(価値観、使命)を肌で感じるなら、周囲に右顧左眄することなく、困難を乗り越えて、大道を突き進めと…。
「子供」から「大人」へと脱皮しようとしている少年に贈るには、まさに相応しいメッセージを、いかにもアニメーションらしい豊かな表現を駆使して活写したと、評論子には思われました。
当初は鑑賞の予定になかった作品なのですが、私が入っている映画サークルで、一本の映画について語る会の「お題作品」として取り上げられたことから、鑑賞しました。
アニメ作品はあまり観ない評論子なので、ジブリ(宮崎駿監督)の作品という思い入れは一切なしの、ただ評論子が感じたままのレビューということで、ご理解下さい。
ジブリ(宮崎駿監督)の作品としては一知半解の部分がもしあったとすれば、その点は、平にご容赦をお願いします。
メッセージ性の高さということでは、秀作と評して良いように思います。評論子は。
タイトルなし(ネタバレ)
この作品は、宮崎駿というアニメーション監督に関心があるかないかで評価が分かれるのではないかと思う。
映画の脚本としては、正直あまり良い出来ではないと思う。
何しろ、舞台背景や、主人公の少年の家族になぜあのような役割が課せられているか、大叔父さんがなぜ世界を守っているのか、少年が冒険しているこの世界が、現実世界とどう関連しているのか、といったところの説明がほぼない。あえて言えば、大叔父さんについては、あの世界に迷い込んだ結果、持てる知識を元に世界をまもる役目を務めることになったのかもしれない、位は読み取れるけど。
ただ、この映画はそんなことはどうでも良いと言わんばかりの宮崎駿の妄想大爆発の映画なのだと思う。70歳を過ぎた老人が(今はもう82歳だ)、これだけの妄想力を発揮して少年少女の大冒険活劇を描ききることができているのがすごい、と思う。もう、自分の好きなものをひとつの映画にできる限り押し込みました! それのどこが悪い! といわんばかりの豪腕さ。 これだけ自由に好きなものを作れるというのは、他のアニメ関係者はうらやましいと思うかもしれないな。
とにかく大冒険だ。意外とおとなしいなと思っていたのは最初の30分くらいまでだった。徐々に徐々に別世界を紛れ込ませて、最終的には世界を守るための大冒険にまで発展する。見始めたときはとてもそんなことになるとは思わなかった。
そんな大冒険を通して、主人公の少年は元の世界で強く生きることを決意し、ヒロインの少女である少年の母親も(ややこしいが全くその通りだ)、母親としての役割を全うするため、元の世界に帰って行く(このあたりが原作本に対する宮崎駿なりの感想なのだと思うが、宮崎駿自身の、少年少女に対する思いでもあるだろう)。
お約束のように少年と少女が走りながら抱き合うシーンも登場すれば、ヒロインの少女が手に顔を埋めて泣くシーンも登場する。これであと飛行機による空中戦やら戦車による地上戦が入ればまさに全部入り、という作品になっただろう。恐らくそのあたりは前作である程度やったからすっきりしたんだと思う。
随所にカリオストロの城やナウシカ、ラピュタ、それ以降の宮崎作品を彷彿とさせるシーンが登場するので、宮崎駿という監督に関心があり、作品を見てきた人たちはそれだけでも楽しいだろうし、その上でこれだけ妄想を大爆発させられたら、それだけで満足できてしまうのではないかと思う。
反面、宮崎駿という存在自体には大して関心がない映画好きの人や、話題の作品だし、宮崎作品はいくつも見ているけど、あまたいる映画監督の一人、くらいの関心しかない人がこの映画を見た場合、なんだかよく判らない、ということになってしまうのではないだろうか。それは仕方がないことだと思う。
鑑賞動機:もう大して興味もないけどこの時期は夏休み向け作品が大部分だしなあ。10割
もはや動機がない。
過去の作品を連想させるシーンがたくさんあるなあ、
とか。
仮に裏の意味があるとしても、それに対してさして心動かされないし。
あまり掘り下げたらいけなさそうな別の方向性では興味を惹かれなくもないけど。
煮え切らない感想しか出てこない…。
カオス
脳内カオス
どんな感想を持ったらいいのかわからない。
というのが鑑賞直後の感情。
なるべく情報を入れずに、「賛否両論、しかも極端」ということだけ知ってる状態でいざ。
「とは言ってもジブリだし、感動屋の私はきっと何か感じたり泣いちゃったりするんだろうな〜」と思ってたけど…
いやはや、涙全く出ず。
うう〜〜ん。あれ〜???
もしかしたら数日経って咀嚼できるのかもしれないけど、鑑賞直後の今は全く飲み込めてない。
絵はすごい。
後から見たら声優もすごい。
んーータイトルとの乖離?
いや駿さんは存分にその想いを込めているのかもしれないけど、うう〜ん。
男性女性で見方変わるかもしれないなぁ。
と思ったのは、とにかく父が不快だったこと。
亡き妻のそっくりの妹が妊娠て…えぇ…最悪…キモ…
金持ちのオラつきで息子をむしろ傷付けてたり…
度々不快になったし、それが何かに消化されたり回収されたりするわけでもなく、ただただ不快なままだったのが一番のマイナスポイントかもしれない。
駿さんが生きた時代は普通だったのかもしれない?
そんなおかしな時代のことも知ってほしかった?
それも含めて「君たちはどう生きるか」なのか?
失敗作。だけどエネルギッシュ
レビューを確認して、観るか悩んでましたが結果、観てよかったです。
ジブリファンでもなんでも無いですが、今までの宮崎さんの作品のひとこまひとこまを感じることができる映画でした。
まるで、自身の人生、今までの作品の紹介の後、タイトル通りの内容を私たちに問いかけているかのような物語に感じました。
つれはつまらなかったと言っていたので見方、考え方によってはそう感じる人もいると思います。
とても考えさせられました。
構造は漫画版「ナウシカ」+もう一つの視点( 母への恋心、足りない父の愛情、弟誕生の不安)
●最初の印象 演出面
なんだかんだでハウル以来の劇場でまともに見た宮崎監督作品。
サイレンから始まる冒頭は、日常の終わりを告げ、
非日常の世界に我々を誘うのに効果的だった。
その後の火事の現場へと駆けていく描写は圧巻。
少年の不安と焦燥、消火に奔走する人、逃げる惑う人の混沌を
見事に表現していて素晴らしい表現だと魅了された。
キリコさんの巧みな船さばきで風をとらえる動きも素晴らしかった。
しかし、宮崎監督のこだわりである細かい動きの描写は、
丁寧だと思いつつ、時にくどく感じてしまったのも事実。
・燃える病院に駆けつけようと、下駄を脱ごうとして脱げない演出は細かいが、
母の生死が危うい場面では、むしろ下駄ごと家に上がってしまってもいいし、
着替えなんてしないまま飛び出した方が主人公の焦りが伝わるような気がする。
(家を継ぐ長男としての自覚がそうさせなかったのかもしれないが)
・主人公眞人と夏子らが神隠しにあい、閉鎖された塔に父親が向かうシーンでも
大げさなぐらい装備を身に着け、チョコレートまで懐に入れる細かい描写だが
二人を一刻も早く見つけ出したいのならば、刀をガッとつかんで飛び出す方が
男らしくかっこいいのではと思ってしまった。
・おばあちゃんたちの初登場シーンで届いたカバンに群がって
うごめいているシーンはおぞましいほどの気持ち悪さを感じて、
何か裏があるのかと勘ぐってしまった。
最近のジブリ作品の傾向でもあるが、なにか全てのものを丁寧に描こうとして
(とくに水や涙、血、ジャムといった液体の描写がドロドロしていて苦手なのだが、
「紅の豚」の頃ような透き通ったきれいなサラサラな水が見れないのは残念。)
作画的に演出的にも効果的な省略、いい意味での手抜きができていない気がする。
物語上重要ではないがアクセントとなる演出は目立たずさりげなくするべきで
全ての細かい演出が目立ちすぎるとかえって意味があるのではと考えすぎて
物語を追うことへの弊害になってしまうのではないだろうか。
逆に監督のこだわり?かもしれないが、
主人公の家庭事情を説明しない傾向があり
母が死んでから疎開したかと思うと、突然父が母の妹と再婚して
お腹には赤ちゃんまでいるという流れなので、
急において行かれた感がいなめなかった。
最初に少しでも父の仕事、再婚など諸事情に触れてほしかった。
●画面の印象 キャラクターと背景
メインである「青サギ」は、かなり不気味な登場の仕方で印象に残り良かった。
(あとで菅田将暉が演じていると知り、いい意味で驚いた)
ただ全体的に鳥のキャラが多く、鳥の何を考えているのかわからない不気味さを
効果的に使えている反面、かわいらしいマスコットキャラがいないのが物足りない。
ワラワラにしても、ジブリ的ではないデザインで違和感を感じてしまった。
全体的には多くの人が指摘されているように既視感があり、
どこか宮崎監督のオムニバス作品を観ているかのような印象を持った。
和風な外観に洋風な内装、神秘的で荘厳な森、西洋の田舎といった背景も
ジブリが築き上げてきたビジュアルだと思うが、
日本が舞台ならもっと昭和的な背景や
もう少し見たことがない新しいビジュアルが見てみたかった。
そういった意味ではヒミもジブリ作品で見慣れた洋風なビジュアルよりも
和装が似合ったのではないだろうか。
●構造の考察 表面的には「千と千尋」だが中身は「ナウシカ」
神隠し、異世界といった面から見れば、すぐに「千と千尋」が思い浮かぶが、
全身に群がるカエルや、ペリカンがもみくちゃにしながら語り掛ける演出は
漫画版「ナウシカ」にも見られた演出だったのではっとした。
また主人公眞人が千尋のような等身大の怯える女の子と違うのは、
少しくらいの怪異や脅しには全く動じない男の子であること。
これは長男であり将来家を継ぐものとして気高さがなせることであって
ナウシカがもつ、風の谷を治めるジルの子である誇り高い姿や、
宮崎作品でよくみられる貴族や騎士、王族に見られる特徴である。
眞人の世話をするおばあちゃんたちが、ナウシカの城オジたちと考えれば
眞人=ナウシカも納得できる。
とくにラストシーンで主人公やインコ大王が大伯父と対峙する場面は
以下のように登場キャラを対応させると漫画版「ナウシカ」の
ラストシーンと一致していたことがわかる。
眞人 = ナウシカ
ヒミ = 森の人セルム
インコ大王 = ヴ王
青サギ = 道化
大伯父 = 墓所の主
そして漫画版ナウシカは墓所の主が理想とする世界を否定し、毒がなければ
生きていけないという事実を隠しながら、人々と生きていく選択をする。
同様に眞人も自分でつけた傷という嘘を抱えながら、
現実で生きていく選択をする。
●もう一つの視点 母への恋心
映画の後半で印象的だったのは大きな岩で封印された墓である。
まるで古墳の棺を納める石室なようなところに、夏子はとらわれている。
劇中「産屋」とも言われていたように、
日本神話における伊邪那美の出産を連想させる。
伊邪那美は火の神を生んでしまうことで焼かれて死んでしまう。
悲しんだ夫の伊弉諾は子である火の神を殺し、黄泉の国へ妻を探しに行く。
映画の主人公眞人は、死んだ母に会えると聞かされ、さらに神隠しにあった
母にそっくりな妹夏子を連れ戻すために地獄へ行くことになる。
日本神話では夫婦の関係が、映画では母子になっていると最初は思う。
ところが眞人が地獄で出会うのは少女の姿をした母(ヒミ)なのである。
夫婦とまではいかないまでも恋愛対象として成立する姿で母が登場している。
つまり主人公の隠された感情として、母親が恋愛対象にあったことがわかる。
子供が母親に恋愛感情を抱くのは特別なことではない、
将来ママと結婚するなんていうのはよくあることで、
これはまだ眞人が子供であるという証拠である。
●もう一つの視点 足りない父の愛情
そして、映画を観ていてもう一つ印象に残ったシーンがある。
それは夜中に目を覚ました眞人が階段から玄関を眺めていると
炎が噴き出してくる幻を見るシーンである。
その幻を見た後に玄関から入ってくる人物は眞人の父親で、
父は出迎えた夏子と口づけを交わしているようだった。
眞人にとって炎は母親を殺した忌まわしいものである。その象徴として父が現れ、
さらに母にそっくりな妹夏子までも妻として、赤ちゃんを身ごもらせている。
プレイボーイ?な「ハウル」の声をあてた木村拓哉が父親の声優だというのも
眞人にとって父は恋敵だったという暗示なのかもしれない。
では眞人にとって父親は絶対的に憎む相手かというとそんなことはない。
漫画版ナウシカは序盤に父を失うが、最終巻では母親に対しても言及している。
それは「母は私を愛さなかった」というものである。
これを映画に置き換えれば、眞人は母を失い、「父に愛されていない」となる。
●もう一つの視点 弟誕生への不安
眞人がそのように感じる原因は義理の母となる夏子と
生まれてくる子供の存在である。
父が別の家の女性ではなく、母の妹と再婚する理由は映画では描かれないが、
恋愛感情を抜きにすれば家と家のつながりを維持したかったためであろう。
父は軍需工場で財を成し、母の実家もお屋敷をいくつも抱える上流である。
長男であった主人公は、跡継ぎとなるべく威厳をもって気高くあろとしているが、
母の死と、父の再婚、弟の誕生があって自分の将来に希望が見いだせなくなる。
そういえば墓の入り口の門はヴェルサイユ宮殿の門と同じだったと思う。
ヴェルサイユ宮殿では王妃の寝室において公開出産が行われたという。
これは子供のすり替えを防ぐためだが、
人々は同時に王の誕生を見守ることになる。
つまり眞人にとって弟が生まれれば、もう一人の王の誕生となり
それは自分の地位を揺るがすできごとと捉えていたのかもしれない。
だから自分の頭に石を打ち付けた。
これはミュンヒハウゼン症候群的な行いで、
自らを傷つけ周囲の関心を引き付けるのが目的があった。
最もひきつけたかったのが父親の愛情だったのだろうと思う。
もし仮に神隠しや、あちら側の世界が、そんな不安定な状態の眞人が
作り出したものだったとしたら、やはり夏子とお腹の中の子も神隠しにあったのは
二人にいなくなってほしいと眞人が心の奥底で思っていたからなのかもしれない。
●もう一人の自分の象徴 鳥
そんな主人公の心の中を見透かして現れたのが「青サギ」。
眞人は青サギを噓つきだとののしるが、それは自分も嘘をついているからである。
なんだかんだ助け合う二人はいつしか友達だと思える関係となる。
眞人が最後に語った「友人と生きていく」という言葉はもしかしたら
青サギ=嘘ということなのかもしれない。
青サギの次に現れるのは「ペリカン」。
ペリカンに手を焼いているのはキリコである。ペリカンは墓の門をこじ開けたり
ワラワラを食べたり、地獄から抜け出そうと高く高く飛び続けたという。
キリコに対しての情報は少ないが、お屋敷に詰めるおばあちゃんたちも
規律を求められる使用人の暮らしの中で、ちょっと覗いたり、食べたり、くすねたり
そんな願望や、自分の中のものがペリカンとなっていたのかもしれない。
最後に「インコ」の群れと「インコ大王」の登場である。
ノイシュバンシュタイン城をつくったルートヴィヒ2世をモデルにしているだろう
塔の主・大伯父は本の世界にのめりこみ、塔を築き、現世から姿を消してしまう。
その塔の中でインコたちは、ファンタジーの王国や騎士のように忠実でありながら
食べることに貪欲で、数が増えすぎてついに外の世界に出ようと考えている。
現実世界から逃避した大伯父にとって「インコ大王」は
本来は家を継いで当主としてみんなを引っ張っていかなければならない
自分自身の投影だったのかもしれない。
そう思える理由は「積み木」である。積み木は子供のおもちゃである。
大伯父はおおまじめに積み木を積み、世界の秩序を守っていると訴えているが
それは現実からの逃避である。
積み木は積み上げて遊んだら必ず崩して片付けなければならないものである。
積み木が崩れかけているのはそのためである。
だからインコ大王は怒った。こんな積み木遊びで世界を治められるはずがないと。
だから眞人は断った。積み木遊びはしない。子供の感情から卒業する。
すでに夏子を母親だと認めた、
かつての母への恋愛感情を捨て去り、
弟の誕生を祝福する。
現実世界で頭の傷という嘘を抱えて生きていく大人になるのだと。
●最後に
眞人が頭を自分で傷つけ、嘘を抱えるというコンセプトが非常に光った。
できればその方面で、家族間のエピソードがあればもっと共感できる
映画になったのではないかと思う。
こうして色々考えさせられる映画もたまにはいいと思うが、やっぱり自分は
漫画版「ナウシカ」や「シュナの旅」、「戦国魔城」なんかを
こねくりまわさず、そのままかっこよくアニメにしてほしいと思う一ファンです。
映画を観た後にあれこれ考えたことを、とりあえず書いてみました。
長文失礼しました。
エンタメじゃない
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