君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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異世界ファンタジーなのに心が踊らない
ところどころに、ハッとさせられるような美しさや、躍動感のある動きがあり、さすがに、アニメーションとしての完成度は高いと思う。
しかし、その割には、展開がモタついているし、疑問に感じることが多すぎて、なかなか物語に入り込むことができなかった。
まず、主人公が、何を考えているのかがよく分からない。
自分の頭を傷つけたのは、単に学校に行きたくなかったからなのか、それとも、何か他に理由があったのだろうか?
特に危害を加えられた訳でもないのに、どうして、始めからアオサギを敵視して、木刀や弓矢で傷つけようとしたのだろうか?
例え実の母親に似ていたとしても、会ったばかりの義理の母親になる女性に、どうして、それほど執着するのだろうか?
主人公が追い求めているのが、義理の母親なのか、本当の母親なのかが曖昧だし、実際、物語の途中で、助け出そうとする対象も入れ替わるため、なかなか感情移入ができないのである。
その義理の母親にしても、どうして、あの世界に行って、その上、元の世界に帰りたがらないのかが分からないし、ラストの手のひらを返したかのような行動にも違和感がある。
あの世界で出会う少女が、神隠しにあっていた時の主人公の母親であるということは、早い時期から察しがつくのだが、どうして火を操れるのかについての説明はないし、いつ、主人公が自分の息子だと気付いたのかも不明である。
極めつけは、主人公の御先祖様が管理しているあの世界で、あれは、隕石(宇宙人?)によって作り出された異次元の世界という解釈で合っているのだろうか?
それにしても、13個の悪意のない石を積み重ねることによって美しく平和な世界が作られるというのもよく分からないし、それこそ、悪意の塊のようなオウムやペリカンだらけのあの世界が、理想的な世界ということなのだろうか?
あの世界には、人間の生まれる前の姿であるワラワラもいたが、あの世界がなくなったら、人間はもう生まれてこないということなのだろうか?
何よりも、御先祖様の跡を継いであの世界の「主」となることよりも、殺し合いや奪い合いが蔓延する現実の世界(戦時中という時代設定はそのためか?)に戻ることを選んだ、主人公の決断の理由が今一つ納得できず、心にも響かない。
ある意味、悪意のある「人間という存在」を受け入れたのだと解釈することもできるのだが、その先の、悪意を乗り越えて理想的な世界を作っていこうという決意が感じられないのは、物足りないとしか言いようがない。
タイトルと、それと同じ題名の書物も、この映画に活かされているとは思えない。
冒険活劇としても、オウムに囚われた少女を、主人公とアオサギが追跡するくだりなどは、面白くなりそうな気配があったのだが、どこか不完全燃焼のまま終わってしまった感がある。
老齢の監督に、「カリオストロの城」や「ラピュタ」の再現を期待してはいけないのかもしれないが、もう少し「ワクワク」や「ドキドキ」があってもよかったのではないかと、残念に思ってしまった。
あなたは何故生きるのか
君たちはどう生きるか
裏庭の異世界は、単純な原風景の描写(書き写し)ではなく、作中の人々がその中で自分の時間、空間を持ちながら世界を生きるための礎に見える
生き急がなくてはいけない時代が来て、自分の中に培ったものを手にして時代と向き合う。積み重ねたものが崩れ去ったときにも、ありきたりでも、お互いを思う気持ちがあり、眼は未来を見ている
難解とか良いとか悪いとかの前に
まず最初に言っておきますと、自分、ジブリマニアではありません。もっと言うと「千と千尋〜」以降、この作品を観るまでジブリの作品観てません。
なので、ジブリファンからすると、恐らく「こいつ何言ってんだ」ところがあると思いますので、ご了承下さいね。
評価は極端に分かれる、という記事をこの作品に関してはよく目にしていましたし、頑なに作品の内容を公にしないため、観る前にこちらが勝手に色んなイメージを抱いていました。
「トンがってる作品なのかも?時間軸がわざとメチャメチャになっててわかりづらくしてるとか?老害垂れ流し?2001年みたいに説明とか全部なくて解釈は全て観客に丸投げ?」などなどです。
で、実際観たのですが、先ずは宮崎駿監督の「この作品を作り、世に出すのなら、自分の最高の作品にしたい、ならばそのために、自分も命を削って頑張るから、携わる周りのスタッフも役者も精一杯の力を貸してくれ」と言う圧倒的な思いの強さがワンシーン、ワンシーンから溢れんばかりに伝わって来ます…正直怖いくらいです。
だって、これアニメーターさんが描いてるんでしょ?CG使ってないんでしょ?もう、その筆のチカラが凄い。
こんな妥協のなあ完成度の高いものを観られるだけで幸せでした。
目に入ってくるそれぞれのシーンの圧倒的な情報量の多さにも驚きました。
今までのジブリ作品へのオマージュとか、メッセージとか色々あるんだろうな(観てないからわからないけど)。
ワンシーンワンシーンのこだわりの強さは、畑は違うけどトムクルーズのそれと似てるかも?
で、作品の内容としては、前記した、どんなとんがったものぶつけてくるのかな、って、構えてましたが、僕が観た
限りでは、凄く優しい映画でした。
「よく来たね、まぁ座りなよ。色々悩んでるんだって?うんうん、私がね、今君たちに伝えたいことは、こういう内容だよ。少しでもチカラになれたかな」
そんな風に言われてるような感じがしました。
考えすぎず、その世界観をそのまま受け止めて浸っているのが僕的には良い見方なのかな、と思いました、
そして、そう思いつつ作品が終了し、エンドロールが出て米津玄師の曲が掛かった途端に何故だかわかりませんが、大号泣しました。
もう、嗚咽クラスでした。50過ぎの仕事帰りのおじさんが映画館で嗚咽です。恥ずかしい…!
で、後、この作品でもう一つ凄いな、と思ったのが
いわゆるキムタク、木村拓哉さんの声優と言うか、役者としての上手さ。
どちらかと言うと僕は木村拓哉さんは、アンチでしたが、表現力の高さに、ほんと、今までごめんなさいって言うくらい感銘を受けました。
菅田将暉さんは、なんか、らしいなって言う配役で、こちらも楽しめたし、事前情報がないため、エンドロールで気づく驚きもこの作品の良さかも。
あまり構えずに楽しんで欲しいです。
僕的には凄く良い作品でした。
恐らくもう一回観ます。
創造の世界と僕
非情に抽象的な映画だと思うし、個別の要素だけ追っているととっちらかっていると言えてしまうのかもしれない。
賛否あるレビューを呼んでいて、「自分と他者の世界に折り合いをきちんとつけられている人には、もしかしたらあまり響かない映画なのかもな」と思った。
本来、レビューというのは作品の魅力を伝えるために書くものだと思う。けれど、僕は誰かがこの映画から何を受け取ったのか知りたいと思ってレビューを探していたし、僕がこの映画に参っているのは簡単には言語化できない熱量と感情をぶつけらたからだと思うので、以下には個人として「感じて想ったこと」を書いていきたいと思う。
映画の内容に触れているので、観ていない人にはお勧めしない。是非大人は内容を調べずに映画館に行って、殴られてくらくらしたり、怒ったりしてほしいと思う。
前提として、僕は特にジブリの熱心なファンというわけではない。
子どもの頃から宮﨑駿作品に触れてきて、漫画版のナウシカもジブリ映画も幾度となく見てきたし、好きだったけれど、年を重ねるにつれてなんとなく徐々に遠のいてしまった。最後に見た作品はゲド戦記か、ハウルだっただろうか、といった程度だ。
今回見に行こうと思ったのも、SNSで「宮﨑駿監督の作品が公開される」という話が流れてきて、「監督お幾つだっけ」と検索して、なんとなく気が向いたからという以外に理由もない。
結果、素晴らしかったし、映画館で観ることができて良かったと思う。
けれど、レビューするのは本当に難しい。
キャラクターが良かったのか、と問われると首を捻らざるを得ない。僕にとっては登場人物たちはあまりにも生生しすぎて、おいそれと愛しづらい。掛け合いは楽しかったが、入れ込んだ人物は特にいない。
ではストーリーか、と問われるとこれも素直に頷けない。2時間という時間で繰り広げられる世界はあまりにも濃厚で、唐突で、ストーリーラインだけを追っていては主人公の気持ちの変化についていくのも大変だ。
では、美術や音楽が良かったのか、と問われると唸ってしまう。間違いなくそれらは素晴らしかったと思うし、感情や息遣いが感じられる動画は凄まじかった。けれど、それはこの感動の直接的な理由じゃない。
どうして自分がこの映画を素晴らしいと感じたのか、と振り返ってみると、いくつか思うことがあるが、一つは映画を見る前の下地として、これまで子どもの頃から当たり前のようにそこにあった、「ジブリ作品という想像の世界」と僕との関係があったからなのだと思う。
物語の前半や下の世界の幻想的な光景は、奇妙な冒険譚だ。美しく不可思議で、子どもの頃いつかどこかで触れた物語や映画を思い出しては、懐かしくなった。「あぁ、こんな気持ちでページをめくっていたことがあるな」と童心を思い出しては、くすりとし、純粋に宮﨑駿ワールドツアーを楽しんでいた。この物語は何処に転がっていくのだろうと思いながら。
そんな観光気分で観ていたから、後半の展開には正直面食らった。
母を探して訪れた場所で、いきなり現れた老人に「お前がこの世界の継承者になれ」だなんて唐突に言われて頷く奴がいるだろうか? 確かにこの世界は美しい。素晴らしく美しいが、眞人は来訪者に過ぎない。眞人には眞人の世界がある。当然断る。当たり前だ。
けれど、一方で「あぁ、それではこの夢のように美しい世界はなくなってしまうのか」と惜しむ僕がいて、同時に監督のお年を思い出して猛烈に寂しくて堪らなくなってしまった。監督が創り上げた、この想像を絶する魅力的な世界も、多分同じだ。
そう思った瞬間に、物語と現実の境界がたわんだようになって、ダイレクトに感情をぶん殴られてしまった。幼いころから監督が手掛けた作品に慣れ親しんで、積み上げてきた思い出や感情があったからこそ、失われて行こうとしているものを突き付けられ、直面させられた時の動揺が激しかった。
「この美しい幻想の世界を継いで欲しい」「引き継げる者はいない」「あるいは理解されない」といった悲痛な絶望と、それに対する理解か受容、或いは諦念を経ての「小石一つ分位は継いでもらえるだろう」があまりにも美しすぎた。小石を持ち返った眞人が家族たちの元に帰り、有り触れた幸せとあたたかな希望に包まれているのが残酷で、悲しくて、そしてやっぱり美しいと思った。
どんなに美しい創造の世界も、永遠はない。創造主がいなくなれば必ず終わりが来る。作品は終わることはなくても、宇宙の膨張はそこで止まる。人は永遠を生きることはできないし、誰かの心を生きることもできないから、似たような世界を作っても、きっとこの監督が作るのと同じものにはならないし、同じものには出会えないんだろう。これは創り上げた人によって見せてもらっていた夢だから、観客は物語の中に飛び込んで続きを見ることは決してできない。
あまりにもあっさりと、ふつりと物語を終えられてしまったことで、その寂しさが余計に強化されてダメだった。
正直、終わった瞬間はあまりに唐突に物語から放り出され、置き去りにされて、感想が「は?」という怒りに近い感情になってしまっていた。けれど、これが眞人ひとりの物語として綺麗に緩やかに閉じられていたら、僕は観客席とスクリーンの距離を超えるほどに心を揺さぶられて、スタッフロールで寂しさと美しさに往復ビンタされながら呆然と泣くようなことはなかっただろうとも思う。
この映画は生きていくことと死にゆくことそのものでもあったと思うし、いろんな哀しみや絶望や醜さを内包しつつも、世界は生きるに値する。そしてそんな素晴らしい世界にもどれだけ名残惜しくても別れの時が来る、出会いと別れを重ねて色んな影響を受け合いながら人の営みは続いていく、という普遍的なことが描かれていたように思う。
当たり前のこと、と言ってしまえばそうかもしれないが、全力でそれを駆け抜けてきた人間にそれを2時間に濃縮して、あんなやりかたでぶん殴られたら、当たるところに当たった人は泣くと思う。漬物石を胸に落とされたようなえげつない衝撃だった。「大して力のない小石」の殺傷性を些か軽視しすぎだと思う。あんなもん全部引き受けようとしたら、受け手の個が死滅して廃人になるだろう。
話がそれたが、僕がこの映画が素晴らしいと思った理由は大体上記のような理由からだと思う。僕は故あって人の生と死に立ち会う機会が多いのだが、この映画は生命としても、人と人との関係性としても、物語が創りあげる世界としても、生と死とそれに纏わる人の心がこれでもかという程詰め込まれ、生生しく、力強く描かれていると思った。物語が閉じられた直後の、「ちょっと待て」「戻って来い」と理不尽に吠えたくなるようなあの感情までもが、既知の人との突然の別れに遭遇した時のそれに酷似していたように思う。
けれど、この映画が僕の心に嵌った理由は、もうちょっと別の個人的な特性によるものだ。
僕は現実の世界で常々生きづらさを感じている人間だ。別に困窮しているわけじゃなし、災禍に遭っているわけでもない。人間関係にも困っていない。けれど、どれだけ仕事で充実を感じても、家族や友人と笑い合っていても、子どもの頃からずっと息苦しかった。誰と居ても寂しくなるばかりで、ひとりになりたかった。一番心が解放されて生きていると感じられるのは、想像の世界に触れているときだった。人間生きるのに向いてないなぁと思ったことは数知れない。現実の余暇に想像の世界の空気を吸うのではなく、現実を生きるために想像の世界での息継ぎを必要とする僕は、果たして現実を生きていると言えるんだろうか、なんて思春期のような自己問答が頭を過ったこともある。そういう意味では僕は、創造の世界を『呼吸のできる場所』にすると同時に『死の世界』として位置付けていたのだと思う。
だから眞人を通じて見た映画に、勝手ながら想像の世界と自分の関係を投影してしまった。まならない現実世界に辟易し、能面のような顔で硬い声をしていた眞人が、死の世界に潜って冒険することで活力を取り戻していく。幻想的な死の世界での冒険を通じて、初めて自分の気持ちとの折り合い方や、他者への優しさを見せるようになっていく。その姿に、創造の世界に何度も救われてきた僕のこれまでを思い出した。
現実でない場所で眞人が掴んだものは決して幻想じゃないだろう。
僕にとっても、想像の世界への訪問は、感情の柔らかさや、誰かに優しくすることとや、人間として大事なものを忘れずにいるために、思い出させてもらうために必要なことだった。だったら僕と創造の世界との関係も、そんなに悪いものじゃないんじゃないか、後ろめたく思わなくてもいいんじゃないかと、そんな風に思った。
僕は人の心を理解するのが苦手だし、宮﨑監督やスタジオジブリのことも良く知らないから、きっと監督が表現したかったことは僕が感じたのとは全然別の事なんだろうと思っている。この映画が監督とジブリの栄枯の話だと説く論を見て、成程なとも思っている。
だとすれば、あまりにも剥き出し過ぎて受け付けない人もいるんだろう。
けれど、僕個人は人が生まれてから死ぬまでの心を明暗すべてぶち込んだようなこの映画が美しいと感じたし、宝物のような小石をたくさん握りしめて生き続けていく人生は結構上等なんじゃないかと、そう思えた。そう思わせてくれたこの映画と、幼いころ僕を手招いて心から自由になれる世界に連れていってくれた人たちに、心から感謝したいと思う。
できることなら、もっとずっと、この監督の生み出す世界の続きが見たい。
ひとまずは、昔見てきた作品や、これまで見逃して来た作品を改めて観てみようと思っている。
ストーリーが…
あの世とこの世の概念を信じているかで理解できる世界観
塔の世界はあの世(天国と地獄)
現世がこの世
塔の先にある河を渡っていたのが三途の川と考えると合点がいく点が多い。
ここの者たちはほとんど死んでいると言う話からも指し示していると思われる(今までの作品でここまではっきり世界観を明言したことがないのでびっくり)
既にこの段階であの世の概念が頭にない人、信じていない人は置いてけぼりかもですね。
今いる所を下と表現したり、ペリカンがここは地獄と表現し、インコ大王が上に行き部下が、「ここは極楽」と言うことから、インコやペリカンは地獄の者達、ヒミはその番人的な立場?そして大叔父は神の存在と思われる。
地獄から昇天?していく可愛いキャラ(名前を覚えてないが、グッズが売れそうな可愛いキャラ)が生まれると言う表現から、この世界観においては輪廻転生は一度地獄(したから)登る世界観なのだなと勝手に憶測。
それでも全員が転生できない(ペリカンに食べられる)や、腹一杯食べさせてあげてよかった言うあたりは、あの世はあの世、この世はこの世で大変な世界という暗示に思える。
塔の中は時間の概念を超越。だから死んだはずの少女時代のヒミ(自分の母親)に会って、最後別れる時に扉を選んで時間を選んでいる。
塔が崩壊してもこの世界が崩壊していないことを考えるとあの世の何番地区程度の存在か?
何故、主人公は塔の中に誘われたのか?
ストーリーでは目的としては主人公を新たな塔の主=あの世の何番地の責任者にならないか?と打診している。そこは自分の好きな世界が作れるという甘い?打診がある。
しかしそれを主人公は断る。そして友達を作ると。
そして大叔父はそれに対して、火の海になる世界なのに=戦時中なのでその名の通り(監督としてはこの世の未来を予見している?)になるのにと、現世では良いことが起きないことを指摘して、それなら理想の世界を作ってほうが良いと言う。
それを主人公は断る。それがタイトル「君たちはどう生きるか?」への宮崎監督なりの答えなのだと思うし、これこそが監督が我々に問いたい部分ではないか?と考える。
この世はろくな事は起きない、しかし理想の世界に閉じこもっているのではなく、リアルな世界(宮崎監督的には友達)で生きていこうと。
ネット、ゲーム、アニメなどで自分の世界に閉じこもっている感じがする世代へのメッセージなのかもしれないと受け取った。勝手に。
そう考えると理想の世界=あの世=ネットやゲームや、アニメとすると割と強烈な意味になってくる。
そして友達=リアルな繋がりとすると、叔母さんと最初仲違いしているが、お互い本音をぶつけて、最後和解すると言うのは、メッセージと合う部分がある。
リアルは嫌なことあるけど、ぶつかり合いながらも前に進んでいくと。
どちらにしても、個人的にはここ最近のファンタジー世界観の宮崎監督作品の中で最も丁寧な説明があり、飽きさせない演出、さらに綺麗な作画と初期とは違う最高傑作と個人的には感じる。
監督もご自身で意味がわからないと言うのは、(私も観ていてわからない部分もありますが、)世代として死後の世界などを意識していると、理屈ではない概念もあると思うので、そういう意味ではその通り、理解できない部分があって当然かと。
控えめに言っても私は最高でした。
誤字が多かったので修正。7月15日 10時56分
悪くはないとは思うものの
90年代までのジブリ作品に愛着があるのでそれ以降の作品はいまいち、だけど本当に最後の作品かもしれないし事前情報全くなしで映画観る機会もうないだろうからと初日朝イチで観に行ってきてモヤっとしながら帰宅。
主人公はかわいいし(直球美少年)作画ももちろん素晴らしい、過去作品思い起こさせる要素も色々ある。のに「楽しい」「おもしろい」になかなか結び付かず。距離があるまま始まって終わってしまった感じ。千と千尋やハウルみたいな華やかさも起伏も少なめ
テーマはそこまで難解ではないと思うものの意図のわからない描写はあり、でもそれを読み解きたいというほど興味も持てなかったのが正直なところ。
終わり方もどう受け止めるべきなのか分からず…鳥好きなんでそこは嬉しい…?かどうかも分からない(立ち位置的に)、という評価が難しい作品でした。
ファミリー向きではないのは確かですね
マーケティングの勝利
事前情報をシャットアウトしての公開は、宮﨑駿の復帰作だからこそ成立するマーケティング手法ですね。じゃあ映画の中身がそれに伴っているかと言うと、正直言ってあんまり関係なく、単純にファンタジーものとして楽しめました。じゃあ、ファンタジーものとしてどうかと言うと、正直言って過去の宮﨑作品の既視感たっぷりの内容でした。しかし、後半の異世界篇から段々と世界観や誰が何をしたいのかの方向性が分かりにくくなって迷走気味なのが残念。この体験が主人公の少年にどのような影響を与えたのかもよくわからず、パッツンと切ったような幕切れも唐突です。宮﨑駿ファンには悪いけど、監督の心境とか、なんかのメタファーがあるかもしれないけど、ピンときませんでした。役者では、菅田将暉がビックリのキャスティング、全然気がつきませんでした。
家族全員で楽しみにしていたのに・・・
経済的にとても苦しい生活をしていますが、大好きなジブリの最新作ということで、なけなしの金をはたいて家族みんなで見に行きました。
結果、意味不明すぎてまったく楽しめず、あまりのつまらなさに子供たちも言葉少なに帰路につきました。泣きたくなりました。
これこれこういう映画なので、こういう人たちには向いてませんよ、という事前情報がやっぱり欲しかった。82歳になった宮崎駿の最期のメッセージともいえる作品ですから、よく考えれば予測できたのでしょうが、それにしてもあまりに不親切だと思います。
魅力的なキャラクターが皆無、という点も致命的だと思います。せめて、ストーリーはなんだか良く分からなかったけど、あのキャラクターは面白かった、気に入った、くらいのことが持ち帰れればよかったのですが、残念ながらそんな要素もひとつもありませんでした。
初期~中期の宮崎駿作品が好きな方、特にお子さんと一緒に見に行こうと思っている方には、まったくおすすめできません。
内容が意味不明というだけでなく、過去作品を連想させるような要素も盛りだくさんですので、アート鑑賞のように、込められたメッセージや作者自身も意識していないような深層心理にまで、あれこれ思いを馳せながら作品をしゃぶり尽くすのがお好きな方には、最高の映画かもしれませんね。
咀嚼し続けたい
そもそも 、すべての創作物は、受け取る側の期待により幾らでも個の感じる価値が変わる。
人間は あくまで個人の記憶に過ぎないそれまでの経験を 無意識に世界共通の 善悪 や 常識 や 望みだと思い込んで、なにかを観たり読んだりする。
人生の長短に関わらず、実は勝手に自分が求め期待しているものに対して、その至極個人的な欲が満たされなかった時の落胆をレビューという形にするのも、まあ自由だろうとは思う。
意識が高いや低いの話ではなく、こうした場がある以上致し方ない。
ただ、ジブリは子供が喜び誰もが理解出来るものでなければならない、と決まっていたか?
自分はジブリ大好き!でもなく、どちらかと言えば米津氏の主題歌を聴きに行ったクチだ。
結論、主題歌よりも映画そのものに印象が強く残った。また観ようと考えるのはそれが理由。
もっと噛み砕いて味わってもう一口飲み込みたい。子供が喜ばないだろう人間の臭みみたいなものが、あたしには嬉しかった。
だって当たり前に自分も狡くて逃げて情けなくてあちこち傷だらけの臭みたっぷりの人間だからだ。夢見させて欲しいんじゃないのよ、突きつけられたいし頭ガツン、ってなりたいし うーわ、やな自分そのもの見てるわ、ってそれから考えたいのよ。そういうのを受け取るヤツも居るんです。多分監督は昔からそれは表現してきたと思う。子供の無垢さや愛だけではなく。
中島みゆきは 歌は世に出した時点で受け取った人のもの、と昔言っていた。
sionは 自分の歌に蹴飛ばされたり抱きしめられたりする、って言っていた。
己の為の表現ならば、大抵の表現者がそうだろう。なのにエンタメって大変だよね、他者を喜ばせなきゃ総スカン喰らうから。これが画家なら難解でも無責任に持ち上げられたりするのに。
でもいい。あたしは このジブリならばむしろ好きだ。うーわ、うーわって思いながら明日からまた生きる。
言い足りないので追記
映画は楽しくなければならなかったか?
耳と眼を塞ぎたくなるような痛みは表現してはならないのか?
ホラー系はその恐怖を 楽しむ ものだろうが、それ以外の人間の醜さや愚かさは表現してはならないのか?もっと言えば 救いをどこかに入れ込んでくれなきゃ気が済まないのか。
なんか若さのみの恋愛と似ている。
最初はあんなに優しかったのに!あんなにかっこよかったのに!どうして?どうして変わっちゃったのよおぉ!っていうやつに。
愛せなきゃ別れなさいよ、嫌悪しかないなら離れて行けばいいじゃないのとあたしは思う。求めてばかりでも構わないのが観客なんだろうかね。
思い通り期待通りにはならんのですよ、対ジブリも 対だれか も 対己の人生も。人間関係なんて、面倒臭くないもんなんか一つもない。だから解ろうと必死になる互いがなによりステキなんであって、
そしてだからこそ、生きることは面白いんだ。
監督が実はどうだこうだ、んなもんどうでもいいかな。
この映画が自分にとって良しか悪しか、それだけなのだ。
こんな80歳を目指したい
ナウシカの原作を思い出してください。
駿監督の原点は万人受けする作家ではないはず。
その才能が故、商業的成功に導く手腕だってある。
でも、映画や作品てそんなことばかりじゃないはず。
ある一人の作家の頭の中をコレだけ長い時間を通して触れられてこんな素晴らしい体験はなかったと言いたいです。
映像業界の末端にいる者として、尊敬と感謝でいっぱいです。
俺はこう作ってきた、君たちはコレからどう作る(生きる)?
作品に向き合う者、何かを生み出したい欲望に駆られる者としての根源の問いともとれました。
メッセージなんてない、自分で考えろってエールかもしれない。
最後だよ!やりたいことだけやっていいじゃん。
黒澤さんだってそうだった。キューブリックだってそうなはず。
宮崎監督、本当にありがとうございました。
まだ、わからない
かつて、ナウシカがマスクの世界を予見したように、
ポニョが津波の押し寄せる様を予見したように、
この映画が、この先の世界にいったいなにが、起こる事を予言しているのかは、まだわからない。
他の人のレビューを読むと、よくわからないと言う意見と、なにやら物凄い傑作だと言う意見に別れているし、
10代の自分だったら、友達とこの鳥は何の比喩か?とか考察に激論を戦わせる映画である事は間違いないが、
50代の今はわからない事は分からずとも、言いたい事はわかるくらいで楽しめた。
ただいい加減、気楽に見れるエンタメ映画を作ってもらえないだろうか^_^
今回は引退作でないらしいので、また次を楽しみにしよう
「Day Dayの情報だけ」
何時も以上の宮さん世界を堪能出来る作品
内容は、監督・原作・脚本を宮崎駿が仕切る。『君たちはどう生きるか』を本人の人生観と解釈でまとめ上げたファンタジーパラレル宮崎駿作品。印象的な台詞は、アオサギの『あばよっトモダチ!』です。友達の少なさと友達と呼ばれる存在の大切さを人生において素直に受け止める事の出来る今の状態を表しているようで印象的でした。印象的なシチュエーションでは、様々な年齢と立場で描かれるイマジナリー自分が混在する構成が面白かった。映画で語る言葉とは自分が一番聴きたい思いたい言葉なのかもしれません。その様な意味で、自ずからの全裸姿を嬉しくも怖く感じました。印象的なシーンでは、生と死・自由と束縛・罪と罰などのメタファーが多用されていた事が印象的でした。色とりどりなインコ🦜や白くふわふわ丸い奴や様々な時代や地方の船の列など、葛藤がカタルシスを昇華させていく様に感じ。しかし、倒れる塔の一斉に飛び立つインコ達には、一抹の寂しさも感じられる作品でした。死して屍拾うもの無しって割り切りもある様で混在している気持ちの表れが映像表現として素晴らしいと感じました。しかしっ!ジブリファンならずとも、夢のまた夢のお話は少し分かりづらく山が単調で睡魔が訪れる事もありました。数々の宮崎駿作品さながらまだ表層しか味わっておらず、この後発売されるパンフレットが楽しみで、何倍も深い所まで楽しめる事に期待してます。これからも手は動かさずとも少しでも面白い作品を作られる事を期待してます。そして、アニメーターという呪いを楽しめる一人のファンとして期待してます。
何度でも見たい作品
宮崎駿監督の精神性はますます高まっている。
感受性も更に研ぎ澄まされてきている。
随所でそう感じさせてくれる作品。
好みは色々あると思うが、私にはとても刺さった。
世界は危ういギリギリのところで持ち堪えているが、
この素晴らしくも醜い世界のために、
わしたち一人ひとりがどう責任を果たしていくことができるのか。
そう問いかけてくる作品でもあった。
宮崎作品の総決算として、今までの多くの作品のオマージュも盛り込んで楽しませてくれるサービス精神旺盛な作品でもありました。
この作品を届けてくださった宮崎駿監督や鈴木Pはじめ作品に関わった全ての皆様に、感謝申し上げます。
宮崎駿の遺言状、そして生前葬
初日に2回観た。1回目は純粋に圧倒された。
2回目はまるで子供時代のアルバムを
見るかのように懐かしめた。
だがこれは誰かのためになんてまるで作ってない。宮崎駿が今までの自分の全人生を、全存在を、映画にして、アニメーションにして、磨き上げ、輝いてる。渾身の右ストレート。
ジブリそのものを表現したような作品。
宮崎駿の生前葬みたいだった。
大叔父=駿。インコ王=鈴木敏夫。ペリカン=アニメーター。13の積み木=ジブリ作品。インコ=ジブリを欲する大衆。
宮崎駿は誰かに引き継ぎたかった。でも誰も引き継げなかった。だからこそ、走馬灯のようにこれまでのジブリ作品を至る所に散りばめて、最後にその世界の崩壊、つまりはジブリの終わりを描いたように思えた。だからこそ、もう宮崎駿監督の映画を観た子供の頃に感じたドキドキ、ワクワクはもう今後味わえないんだなっていう喪失感と寂しさを感じた。
そういえば、、と。どこかのドキュメントで語っていたのを思い出した。「自分が好きになった映画はストーリーで好きになったんじゃない。ワンショット観た瞬間に、これは素晴らしいって。」
面白い、面白くない、じゃない。尊い。
天才の才能にぶん殴られて、頭が痺れればいい。
美術館に行く、芸術を楽しむ気持ちで映画館に足を運んで貰いたい。
僕なりの解釈。何か読み解く材料になれば。
評価は賛否両論で意味がわからないという感想が多いですが、それほど意味不明という印象はなく、不思議の国のアリス的ファンタジーな世界の面白さは多分にありました。確かに冒険活劇というほどのエンタメではないけど、不思議な世界と現実の世界のゆるい繋がりの中で、冒険するアニメとしてはかなり完成されてて面白かった。
ただ自分なりの解釈も含めてなのでその辺りを少し書こうと思う。
まずは起きた出来事。
主人公があの世界に呼ばれた理由。それは後継の問題。世界が崩壊する前に主人公に跡を継がせたかったから。
またその世界は石が構築していた世界。叔父さんはその中に理想を作り出そうとしていた。
夏子さんがあの世界に行くのははっきりとはわからないが、主人公が跡を継ぐことと関係はあると思う。人質だったりお腹の子を後継にしたいとかで連れてこられたのかも。夏子の意思では無さそう。石の意思か?
またあの世界は時間がずれており、ヒミは主人公の母親の子供の頃のもの。母親も1度神隠しに会っているのでその時期の母親と会っているということ。
またメタ的な読み方から。叔父さんはおそらく宮崎駿のメタファー。13個の石というのは宮崎駿監督作品のことだろう。同じ13作品ある。あそこの石は鈴木敏夫プロデューサーの暗喩か、世間そのものの圧力かも。血を分けたものに後継を譲れというのは、宮崎吾朗へ譲れという宮崎駿が抱く圧力のことを言ってるかもしれない。
途中の金のゲートのある墓に、我を学ぶものは死す、という言葉が書かれている。ここは宮崎駿を下手に真似するのはクリエイターとしては死ぬ、だから自分たちで自分たちのものを作り上げるしかない、という宮崎駿の考えを表していると思われる。
ペリカンはジブリのアニメーターのメタファか?宮崎駿の意思以外反映されないアニメーターの不自由さの象徴か。あるいは、ジブリだけではない全アニメーター、クリエイターへ向けた不自由さへの投げかけかもしれない。ペリカンは島から抜け出せない、自由に飛び立てないものの象徴になる。
宮崎駿作品の総まとめ。アニメーター宮崎駿が後世のクリエイターのために残した作品であると思える。
自分がしてきた事、アニメ作品を作り上げてきた事、それを受け継いでほしいか否かに対するアンサー。
そして、ストーリーを丁寧に描きながら全体としてまとめていく演出と場面転換の技術も併せて見せつけられた。クリエイターとしてのメッセージを見せつけられたというのが自分の印象。
また、純粋に物語としてもかなり面白い。
特にあの母親、ヒミの存在はかなり面白い。
最後に印象的だったのは、自分が死ぬ事を予言されつつも、あなたを産めるならとても素晴らしいと笑顔であっけらかんと言えるところ。どんなに悲劇が起ころうと産むことの素晴らしさを伝える場面に思える。純粋に子どもを産むという意味でもそうだし、作品を産むということにもつながるかもしれない。とても印象的なセリフでした。
そして母の死を受け入れていく主人公。受け入れる先にきっと自由がある。母親に縛られて生きていくか、自分の世界を自由に作っていくか。まさに、どう生きるかの問題。
面白かった。
宮崎論
うん、難しい。
うん、確かに多くの人が言うように、解釈しづらいシーンの連続ですよ、サギは何者?とか、あの人物は誰?何?とか。
まあ、一部は調べれば解る事も有るんですけど、例えば父の再婚相手が母の妹とか、戦時中は戦死者の兄弟と再婚するって普通に有ったそうです。
で、上に書いた理解の難しいシーンなんですが、たぶんアレってマヒトの精神内のお話、つまりは宮崎駿の心の中での出来事だと思うんです。
だとしたら理解出来無くて当たり前ですよ、個人のイメージなんだもん。ちゃんと意味は有るんだろうけどたぶん解んなくても良いと思うんです、マヒトの意志さえ汲み取れば良いと思うんです。
マヒトがイメージの世界に入った瞬間って、石で頭殴ったトコからですよね、作画にこだわる宮崎駿があんな不自然な大量出血ですよ、あれは心の出血なんじゃないでしょうか。
母の死、父の再婚、新しい母、戦争の道具を作る父の仕事、そして何よりずるい自分自身。
マヒトはそれら全てが許せず、それらと対峙する世界に入ったんじゃないでしょうか、言わば冒険です。
そうそう未来少年コナン以降の宮崎作品に登場する男性主人公って全て宮崎駿本人だと思うんですよ、コナンもパズーもトンボもアシタカも、ルパンですら。
無垢な少年が少女と出会い、少女は世界の秘密のカギを握っており、2人は冒険に出て、仲間の協力を得たりして、冒険の末世界の秘密を知り、決着を付ける、そして平和が訪れた故郷へ着地。
たぶん宮崎作品てコレなんですよ、少年は宮崎駿本人。
さて、今作で少女の正体が解りました。
やっぱ母だったんですよラナもクラリスもナウシカもサンも。
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