君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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まさかのベックリン❗️
始まってすぐは、動画の動きに違和感を感じてしまいました。
過剰な人物や物の線の動きが、気になってしまった。
もう少しケレン味?省略の快感の様なものが、以前のジブリには、あった筈だと。
動きの過剰さに比べて、背景の密度の無さも気になってしまいました。
もっと緻密さや、世界観を脳内に想起する様な背景だった気がして、薄っぺらい感じがしてしまいました。
大邸宅も、離れの洋館や森、キーポイントの塔も、位置関係がぼんやりしていて、距離感が掴めなかったです。
良作の映画は、何と無くそういう舞台構造が、イメージしやすいモノだと思ってます。
自動車と人物の等身等も、以前の心地よいディフォルメから、微妙にズレてきている気がしてしまい、気になってノイズになってました。
そういう粗を感じてしまって、序盤に宮﨑駿氏の老いからかと思い、少し悲しく見てました。
話に非日常が増え始め、
彼岸?下の国?に入り込んですぐ、まさかの死の島!ベックリンの死の島のオマージュ?で、
びっくり‼️まさかジブリ映画に?
リドリースコットが、エイリアン・コヴェナントで引用した時は、苦笑いしましたが、まさか宮﨑駿が!っとビックリしてしまいました。
そこから先は、なんだか素直に見てしまいました。何も考えず唯々イメージを飲み込む感じで。
私は、千と千尋より本作が好きです。
宮﨑氏の説教臭さを感じる事なく、本作は見れました。
トトロの時の、私の心の琴線に触れるまででは無いですが、とてもシンプルな咀嚼することないイメージの羅列に、ある種の清さを感じました。
巨匠の終末作、黒澤明の「夢」の様な感じもありますが、それよりももっと腹を割った感じがしました。
宮﨑駿自主映画として、好きです。
なんかまとまらない文章、失礼しました。
勢いで、書いてしまいました。
後、宣伝しないとかの仕掛けは、プロデューサーの思いつきなので、どうでも良いですわ。
これで引退せずに、最後に超絶娯楽大作作ってくれたら、カッコイイかな。
パンダコパンダみたいな。
ダイイングメッセージ
どうやら、この映画は宮崎駿さんのダイイングメッセージのようだ。
消えていく自身、去りゆく自身の思いのたけを次世代に託しているのが見てとれる。
ことを成し遂げた巨匠が行き着く先は皆、これなんだな...
大林宣彦然り
黒澤明然り
そして宮崎駿もまた然り
やはり彼らの根っこには戦争があって、戦争を繰り返しては行けないという思いも何処かにあるんだと思う。
奇しくも、今、世界では戦争が勃発して····
歴史は繰り返すというか、人間の愚かさというか
そういったものがあることを彼らは見透かし、己の次世代へ伝えるべきmissionとして作品を残しているのだと思います。
正直、面白い作品かと言われれば、個人的にそこまでは面白くはない。だが中々含蓄のある作品ではある。
観ておくべき作品であることは間違いない。
これじゃないジブリの集大成を裏考察してみました 謎が分からなかった人は参考にして下さい
これじゃないジブリの集大成
エンターテイメント性のある冒険活劇を妄想してワクワクで映画館に脚を運んだのに、全てが想像の真逆を行ってました。純粋に面白さを追求し老若男女が楽しめる作品を目指してもらいたかったから本当に残念でなりません。
内容はファンタジー冒険活劇ではなくオカルトホラーです。
※一日経ったので他で説かれてなかった自分なりの解釈を裏考察として記しておきます
裏考察なので他でやってる物は省きます。アオサギ、ペリカン、インコなど象徴的に鳥が出てきます。これは天を支配する者達、天使の意味合いが強いでしょう。鳥は日本では太陽に住む鳥、八咫烏を始めとする天孫族を意味し、それが住まう場所を鳥居と言うわけですが、神社は神道、そのトップは天皇陛下です。
作中の塔は天から降りてきた力を建物でおおったといい、その力を操れるのは大叔父。彼は世界のバランスを保つために墓石の積み木を毎日少し動かして世界の崩壊を食い止めている。大叔父とは今上天皇(当時なので昭和天皇)その人に他ならないでしょう。国民と世界の安寧を願い祈るお仕事をされている方はこの世にただ一人です。
神との契約でこの力は血族の男子に継がれています。地位と名誉と血脈。主人公の眞人はそれを受け継ぐ皇太子。しかし自らの悪意で下々の者に怒りの矛先が向かうよう自らの頭に拾った石で傷を負わせた悪意をもって自分には崇高な祭司の御子の資格無しと断りました。
そこに後ろからやってきたインコ大王、王の下に王を作ったのは大叔父である天皇は別格だという意味でしょうね。そして欲にまみれる後続の権力者達を表現しているんでしょう。ロートシルトとかロックなんたらとか……世界を牛耳ったつもりになってる方々。それがやってきて積み木を適当に積み上げて壊してしまう。このような人達に世界を託したら一時と保たずに崩壊する。それを説いてるんだと思います。
塔とはタロットの大アルカナの一枚で正位置でも逆位置でも凶。破滅のカードです。いずれは崩れる13個の積み木の塔は大きな世界と象徴的な建物のひな形として存在し、その崩れそうなバランスが世界の均衡をうまく表現しています。13の積み木は小アルカナ、私達が親しんでいるトランプの1から13であり世界の構成要素。
そして御子としての主人公も夏子の子もこの塔の中で生まれる特別な血脈の子孫である事を知らせていますよね。神の契約なので他の魂とは分けて表現されていると思います。戦争や経済的な計略で沢山の人が死んでいく。鳥が人の命を間引く。折角現世に向かって飛んでいく魂をペリカンが食べてしまう事で表現しているのかも知れません。自然界も強者が弱者を捕食するので、大差はないと考えての事かも知れませんが、あの世でもそんな事になってるのかと想像すると落胆しますね。
そして最後に大叔父の威光は継承されず、皇統が失われ塔は崩壊。近い将来そうなるかもしれないですが、その先にある欲にまみれた支配者達の易しくない超監視社会の中で君たちはどう生きるか……ああ考えたくない世の中です。
最後の希望は清き積み木の記憶を絶やさず、アオサギやキリコ達多くの友達を作り意識を共有し世界へ伝播させる力、それは愛の力とか言うと痒いけど、隣人を愛し世界が繋がる心が邪を払うと信じて、主人公の眞人が進むと決めた道なのでしょうね。ああ本当に良いテーマなんですが。娯楽性は殆どない作品でした。
※2日経ったので更なる深読みを記しておきますね
主人公の眞人は大叔父との言い合いの中で、その仕組みにも悪意が含まれていると言ってましたよね。これは積み木に対する思いなのか、大叔父の生き方に対するものか、はたまた皇統に対するものなのか……少なくとも現状の皇室のあり方を完全なる善とは認めていないのかもしれません……議論は尽くされぬままインコ大王が力を手にして壊してしまったので後は分からないですが、これからの神無き世を私たちはどう生きるか。作品全体を通してそれを問われているように私は思いました。
※3日経ったので多くの人が分からないと言ってる夏子の出産の謎について記します 今回で最後の追記です
作中の出産は塔の中で神の御子を迎える神事になっています。なので、血脈の男子を迎えるのはこの場所でなくてはならず、眞人の出産も弟の出産も同じように神事になっていたのです。神聖な石室の中で神社の紙垂のようなものがぐるぐる回っていますが、あの輪の中が神界へと通じているのでしょう。紙垂は現世と神の世界を分ける境を示す物です。石室は御船代(契約の箱、失われたアーク)として存在しているのでしょう。そしてそれに直接触れることができるのもまた神の御子だけです。ここで神の御霊が宿るのでしょう。そういう神事の場所です。石室に入ることのできる人間は神の御子のみ。夏子には神の御子が宿っているため入れますし、眞人は神の御子なので入れますが、ヒミ(ヒサコ)は入ることができません。入ることを拒否したのは、自分の愛する旦那の子を孕んだ妹の夏子の子が見たくないからという感情的な理由ではないんです。入れないんです。ヒミが薄情な者だからではありません。
ここでもう一つタロットの話をしましょう。広く知られているタロットカードはライダー版と言いますが、もう一つマルセイユ版のタロットが存在します。マルセイユ版タロットカードでは塔のカードは神の家と呼びます。きっと神の御子は神の家で産むものという事なのでしょう。巨匠がそんなマイナーなカードをネタにするだろうか?と皆さんは疑問に思うかも知れませんね。塔のカードと神の家のカードは大枠で同じ意味を持ちますし。でも神の家には一生懸命に築き上げてきたものが壊されるという塔の象徴的な意味の他に、神の家独自の解釈があり、それが神の意志によってもたらされた人生の選択という意味なんです。これって君たちはどう生きるかと何だか重なりませんか?神の家のカードには破滅だけでなく前向きに考えられる希望が有るんですよね。それは神から与えられた人生の岐路だった訳です。
という訳で、あの塔と呼ばれていた建物は実は神の家という激レアカードから着想を得ているだろうと私は推察しています。眞人はきっと破滅の中で希望的選択をしたのです。作中の最後に太平洋戦争が終わった後の世界が描かれている事がその証拠なのでしょう。そして志有る者達が、一人一人が清く正しく美しく世界を紡いでいくのでしょう。いつか忘れてしまう聖なる心を受け継いで行くのでしょう。この重いタイトルに(戦争へと傾いていく)時代が追いついたという鈴木敏夫さんの言葉と共に僕達はどう生きるか一人一人ちゃんと考えなきゃいけないのでしょうね。ここまで読んでくれてありがとうございました。
結局何を伝えたいのか
宮さん、お疲れ様でした。いままで本当にありがとう!
宮崎駿に自伝でしたね。まあ、最後の作品だろうから、さもありなん、って感じ。
それ自体は悪くないのです。作画も良かったし、最後もわかりやすいし、色んな過去作のオマージュが楽しめましたね。
覚えている限りでは、「しまい波だ」とキリコさんが言って、お〜未来少年コナン。崩れる橋桁や塔の外を登るところは、お〜天空の城ラピュタ。あの塔が崩れるのは読めていたので、いつ眞人と母親で「バルス」って言うのかドキドキしていました。
ラスト、青鷺から「普通は忘れるだよ」って、千と千尋の神隠し、でしたね。空にトビケラが飛んでいましたし、他にも探せば色々あったでしょ。
最後に言いたかったのは、大叔父が駿で、青鷺が高畑勲。インコの隊長が鈴木敏夫ですかね。駿は「早く引退したいよ〜」って言っているのに、インコ隊長は「そんな積み木遊びにスタジオジブリは翻弄されたくない!」と反対していましたね。高畑青鷺はパヤオから「友達だ」と言われてビックリ。なかなか笑えるシーンでした。
と、まあ楽しめる作品ですが、凄い!とか、面白い!って作品かと言われると、、、、
あとは岡田斗司夫の解説動画を観て、何か気が変われば再視聴しますが、、、、
とは言え「宮崎駿さん、いままで名作をありがとう!」という気持ちは確かです。
宮崎駿が最後に言いたかったこと
場面、状況が目まぐるしく変わるので子供には難解な映画です
今までのジブリ作品のオマージュも満載でジブリ飯も健在
そして内容は?
宮崎駿が生きた時代は果たして幸せな世界だったのか?
そして私が引退した後をみんな頼むぞ!という強いメッセージを感じました
この映画は予告編を作りにくいのは確かですね?
どこを切り取るかで映画の印象もかなり変わる
後半のファンタジー色を濃くしても、期待を外すことになるし、子供には前半はキツイでしょうね?
大傑作とは正直言いがたいけど、人の細かい動きの描写は流石に宮崎駿だと感心しました♪
自己陶酔な駄作を、プロモーションの力で強引に動員した映画
ジブリの新作に飢えていた当方としては、いそいそと期待して観に行ったのだが。。。
いやあ、これは稀にみる駄作だった。
作り手たちは本当にこの作品が良いと自信をもって公開したの? 宮崎さん、そうなの? (頼むから、こりゃダメだと思っていたけど興行的に引き返せなかったのよ、と言ってくれ!)
画や音などパーツは素晴らしいが、肝心の物語が破綻してないか?何を言いたかったのかよくわからない。わざとらしいというか、小手先というか。人物描写にも違和感いっぱい、引っ掛かりまくり。全然、心が動かなかった。
中身のない映画だから、奇抜な宣伝無しのシークレットなスタイルで「どんなんだろう?」という興味の魅き方をしなければ動員できる自信がなかったのでは?と訝しく思う。大物俳優を声優にズラッと並べた点も然り。
この映画を2回観た人は一体どれだけいるのか?ぜひこの数値を確認してほしい。圧倒的に少ないと思う。
なんか騙されて観に行かされた感がある。ジブリがこういうことするのが悲しい。。
映画が終わって照明が付いたとき、周りも放心状態だったよ。
大好きなジブリ。
慢心せず、小手先に逃げず、前衛的にならず。初心に戻ってエンターティメントな映画を作ってほしい。
広告を打たないのは戦略ではなく誠実さ故。
まず観終わった感想がレビュータイトルだった。
今回の新作に関して、広告を出していないのは新しいマーケティング戦略なのかと思っていたが違った。
この映画は世界の、そして監督自身の「世間が思い浮かべる宮崎駿」からの脱却のための作品であり、色んなしがらみを背負って作品作りをしてきた監督の自己との対話のためのものだった。
宮崎監督作品といえば、多くのスポンサーが集まり、否が応でも色んなものが金で雁字搦めになる。
この映画は、巨額が動く宮崎駿に集まる罪深いもの達(罪という言葉が作品のテーマの一つだと感じた)に対する、もう旨みはないし作らせないという宣告であり、そんな者たちを利用しながら映画を作ってきた監督自身の罪と向き合う為の作品だと感じた。
出てくる登場人物は皆醜さを持っており、宮崎駿作品に出てくる理想化された人物像とは一線を画す。
これは恐らく、アニメ制作に携わる中で出会った者達のメタファーであり、また監督自身なのだと思う。
しかし、罪を背負い醜くても、せめて誠実でありたいという監督の思いが作品全体から溢れており、私は涙した。
映像の素晴らしさは筆舌に尽くし難く、アニメーターとして生きた宮崎駿の生き様がこれでもかと伝わってくる。
また、色んなところ過去作のセルフオマージュがされており、金に迎合した作品も自身そのものであるという力強い宣言に思えた。
この作品では「石」が重要な役割を担う。
これは「意思」、つまり我々観客ではないだろうか。
観客を楽しませるのが映画だという矜持を宮崎作品からは常に感じるが、前述した理由で、今回の作品は鑑賞者に向けられたものではなくなっている。
作品内で「石」の怒りに触れる場面が何度か出てくる。
監督は今回の作品が、今までの作品のように多くの人に愛され評価されるものでない事を分かっている。
中には鑑賞後怒り出す者さえいるのを理解しているのだ。
そういう作品であるのに、大々的に広告を打って鑑賞者を焚き付けるのは筋が通らない。故の現状ではないだろうか。
宮崎駿にとって「石」(観客)とは作品作りの根源であり、死神であり、束縛であり、しかし確かに尊ぶべきものなのだと思う。
しかし、そんな石を最終的に断ち切った。
これはつまり、自身の作品作りとの訣別を意味する。
どんなに罪を背負っていると感じていても、作品と向き合い、観客を楽しませる事に情熱を注いだ、アニメーターとしての誠実さを貫き通した宮崎駿の遺作としてこれ以上のものはないと思う。
この映画を見る事ができて本当に良かった。
表現の次元が違いすぎて終始圧倒された。
宮崎駿監督、ありがとうございました。
さようなら。
どうか末長くお元気でいて下さい。
集大成とかで評価する人って、、、
僕はこう生きた、じゃあ君はどう生きるか
と言われてもそれは老害なんじゃないかと思ってしまう令和5年。老兵はただ去るのみ。
歌手が過去に発表した自分の作品を今の自分が再録してベストアルバムだしてそれが作品として評価されるのか?評価する人いるのか?
新しいものはなかったし心も動かない。
序盤数分以降は眠気が襲ってくる。
ジブリ・駿原理主義者だけがこの作品を礼賛しそうな風味が漂う。
それはそれで作家性がでていいのだけど、それなら前もってこんな作品ですよと宣伝すべき。
出ないと冒険活劇、ジュブナイル好きな人の期待をまるで裏切るし、それを承知で映画館に足を運ばせた罪は重い。なぜならぼくは!、貴重な時間で!、インディジョーンズを見たかったのにこちらを優先したからだ。
ぼくは!インディジョーンズがみたかったのに!
何を伝えたいのかが分かるかどうかで満足度が変わるのではないだろうか
個人的な解釈による感想です。
冒頭で主人公マヒトの母親が火事で亡くなるところから始まります。新しい母親はナツコという名前です。
劇中で、マヒトはナツコのことを「お母さん」ではなく、「お父さんの好きな人」と言います。このことからマヒトは、火事で亡くなった母親にまだ執着があり、ナツコを母親と認めることができない葛藤を伝えたいのかなと感じました。
塔の中で出会ったヒミは、マヒトの火事で亡くなった母親に当たる人物であることが判明します。マヒトとヒミが抱き合ったところが印象に残りました。
最後にマヒトとナツコは、無事に元の世界に帰ることができたので、晴れやかな気分になりました。
積み石の場面は、残念ながら何を伝えたいのか、解明が難しいです。
ジブリの世界観は、よく出ていて、とても引き込まれました。
追記 積み石の場面は、今置かれている現状を打破してほしいという宮崎駿監督のメッセージが込められているのではないかと後から感じました。
鳥ばっかり
ストーリーは難解だが、宮崎駿ワールドが広がる作品!
【あらすじ】
主人公の眞人は戦争で母を失う。母方の実家へ疎開するが、屋敷の近くには青サギの 住む塔が建っていた。眞人はこの塔の中から続く、不思議な世界へと導かれていく…。
【感想】
公開初日に行きましたが、レビューできていませんでした。
ジブリ映画…しかも宮崎駿の作品を映画館で観るのはかなり久しぶりで、期待感が高かったです!
今作は予告を一切やらないというマーケティングをしており、あらすじやキャラクターなど何の前知識もありませんでした。
このマーケティングのおかげでまっさらな気持ちで映画を楽しめました!
結論から言うとストーリーは難解で、この映画のメッセージやテーマもよく分からなかったです。「母の死からの克服」かと思いましたが、これが1番のテーマでもない気がします…。しかし、つまらない映画かと言われると、そんなことはありませんでした。
ジブリ特有の建造物の色使いや黒いスライムみたいなやつなど、「ジブリ映画を観てるなぁ」という気持ちになりました。
冒頭の火事で眞人が駆け出すシーンの躍動感もすごかったです。
鑑賞前はヒューマンドラマのようなジャンルかな?と思っていましたが、いざ鑑賞するとアドベンチャー色が強かったです。
青サギはイマジネーションフレンドかと思っていましたが、全然そんなことなかったです。笑
声優陣も豪華で、エンドロールで「え!この役の声、この人だったの!?」の連続でした。
久しぶりにジブリ映画・宮崎駿ワールドを楽しむことができました。
ジブリ映画や宮崎駿の映画が好きかどうかで評価が変わる映画かな?と思います。
【お気に入りのシーン】
冒頭の眞人が駆け出すシーン
ダメだ。
全く刺さりませんでした。
元々ジブリ作品は自ら進んで観たことがなく、今まで付き合いでいくつか嫌々観たくらいです。
しかし今回は宣伝ナシだったので、まんまとその策略にハマり初めて自らジブリ作品を観ようと思い観に行きました。
やっぱりダメだ。この独特の世界観。あの7人のお婆ちゃんキャラが出てきた時点で、一気に萎えた。こういうジブリ特有の雰囲気、かつ過去に見たことあるようなキャラ出すのやめてくれ。何かが違うんじゃないかと少しでも期待した私がバカだった。その後もジブリジブリしたキャラが色々出現。
話も何がなんだか。最終的に何を伝えたいのかもよくわからず。観終わった後には「クソつまらなかった」しか出てこなかった。やっぱり私にはジブリは合わない。
鼻息の粗いインコを大量に作り出した世代から受け取ったバトン
とにかく凄い映画でした。
冒頭の病院の火事のシーン、ヒミ様の火を使うシーン、涙が出そうなくらい圧倒される美しいシーン。アオサギの飛ぶ動き、着地して羽を畳む動き、など動きがとにかく素晴らしい。そして、絶対的な悪の無い世界。先人の努力をぶち壊した「愚鈍で凶暴な」インコたちですら「愛嬌があるもの」として描かれる。
そして理解できないシステムで回る世界。大量の鼻息の粗いインコたち。それらは、悪意の満ちた世界にしてしまわないように、善意から作られた微妙なバランスで作り上げた世界だった。それを引き継げと主人公は言われる。でも結局、彼は「積み木は」引き継がない(インコの王がぶち壊した、というのも、史実通り)。しかし「悪意の満ちた世界にしない」ということは、ちゃんと引き継いだ。そういうエンディングだろう。
そして映画を見た僕たちは、こう言われる気がする。
これが、私が先人から「引き継がなかったこと」「引き継ぎやってきたこと」だ。
君たちは、どうする?
キャラが弱い もう一度見たいかと言われると‥
事前情報一切なしで見てきました。
一応初日なのでネタバレなしでレビューします。
映像体験としては素晴らしかったですが、話がちんぷんかんぷんでした。
中盤までは結構ワクワクしてたのですが、それ以降会話が頭に入ってこなかったです。
かといってもう一度見たいかと言われると、キャラの心情表現が弱く、いまいち感情移入ができず、飽きてしまいそうなので、いいかなというのが正直な感想です。
分からせないなら、分からせないなりに、雰囲気をもっと全体として、維持してほしかったです。(あの入りで中盤以降コミカルなのが気になりました。)
ジブリに対して思い等が特にない人は無理して見に行かなくてもいいと思います。
ただ、フォローするようですが、映像体験としては良かったので星1ではなく、星2です。
一生懸命に生きよう
時間が合わなくて見れていなかったのだけれど、アカデミー賞の影響で上映が続いていたので遅ればせながら鑑賞しました。
なるほど、この内容だと評価が分かれるのも納得です。
「誰でも、人生には現世を嫌悪したい時もあり、そういう時に逃げ場を求めたくなる時もある。でも結局は現世で一生懸命に生きていくしかないのだよ」ということ。それが、流されるままに鑑賞した私の感じたことです。でもこの映画から感じることに正解はないように思います。
おそらく、この映画は「絵画」や「ダンス」を見るように感じるままに見てくれと、そういうことを映画全体で表現しているのだと思います。そこには論理とか辻褄のようなものがありません。私は肯定的にとらえましたが否定的な受け取りをする方もいるはずです。ですから、評価も分かれて当然。表現者「宮崎駿」ここにありですね。
ジブリからの卒業
一言で言うと、面白くないです。子供にも見せられません。
序盤の炎の描写はすごく良いですが、それだけ。
ゲド戦記とほぼ同レベルの作品というとわかっていただける方は多いかもしれません。違いとしては、巨匠の名の下に集った超優秀スタッフとスタジオのおかげで作画の崩壊は免れてます。
ジブリは一時期アニメ界を牽引しましたが、今は見る影もなく・・
高評価している方は、この映画の監督が宮崎吾朗でも同じ評価をするでしょうか?そこだけ問いたいです。意味がわからない方は、菊池寛の『形』と言う小説を青空文庫で読んでみてください。
宮崎監督が作ったんだから、深い意味があるとか、この映画は深いんだよ、わかる人にしかわからない。私はわかる側です。とかのたまう人たちがいるが、そんなことではなく、もう監督には一本のアニメ映画すらまともに作ることができないくらい衰え磨耗していることに気づいて欲しい。
もうこれ以上酷使してはいけない。あと一本撮れとか正気の沙汰ではない。
安心して欲しいのは、もうジブリがいなくとも現在のアニメ界は独り立ちできるようになっていること。
そういった意味では、この作品を見て良かったです。今の巷のアニメ作品がジブリを遥かに凌駕していることの証明になっているから。監督今まで本当にお疲れ様でした!
(レビューが過激すぎて消されたので、マイルドにしました)
わたしだけでしょうか。
沢山の高評価レビューありますが、
事実は違い、映画を見てほとんどの人が混乱していたように思えます。
エンドロールが終わり、あたりを見回しましたが、
笑顔の人は見つけられず、皆さん沈黙もしくは引き笑いでした。
監督自身、訳がわからないところがあるとコメントされているようですね。
(場をなごませる冗談でしょうが、納得のコメントです)
・異世界は創作の世界をさしている?
・塔はジブリ全体をさしている?
・石の数はジブリ作品数と関係している?
・主人公の境遇が監督の人生と酷似している?
etc.
細かな心理描写、数々のメタファー、旧作品のオマージュ、監督のバックボーン、
我々が気づけていない細かなメッセージが沢山詰め込まれているのは、いやでも分かります。
ですが、これらは映画が面白い面白くないとは、別のオプションで
結局のところ
話がよく分からないのであれば、こういった部分しか楽しむ事ができない。
私は大きな会場で見たのですが、
・序盤にかけては大興奮。
・中盤は世界観を受け入れる準備。
よくわからないが、こういうものなのだろうと。
・中盤〜終盤は、ポカーン。
創作の世界?の塔に入るまでが、一番おもしろいと感じたので、
中身を覗いてみるまでが一番楽しいんだな。
という、ひねくれた考えを持つまでに至りました。
これだけの人を集めて、訳の分からないものを見させられているあの状況は、とても馬鹿らしく。事故に巻き込まれたような気分。
最後に、
この映画は答えのない謎掛けのようでして、
それこそが制作者側の一番の悪意ではないでしょうか。
そこまでするか宮崎駿
さすが宮崎駿という作品の映像美で良作だと思います。
しかし近年では他の監督も映像美にはかなり迫っており、宮崎駿らしさ、ジブリらしさは既にある物語の再創作というウォルト・ディズニーを彷彿とさせた魅力に翳りを感じます。
この作品そのものに説教臭さはそれ程ありませんが、手放しで絶賛するのにはやや難解な作品だというのが個人的な総評です。
尚、タイトルにした「そこまでするか」はパンフレットは後日販売として、劇場で公開初日は買うことができない点です。
事前の宣伝なしに続いて徹底的に内容(ネタバレ)から鑑賞予定者を遠ざける事に徹している点を考えると早めに観に行くのが良いと思います。
恐らくジブリと宮崎駿でもなければおいそれと同じような方法は取れなかったでしょうけど、昨年末に『THE FIRST SLAM DUNK』でも近い情報非公開主義によって成功した例からネタバレの致命的であるというのを作り手側がとても強く意識しているのだと思います。
ジブリ作品らしい演出といえば名脇役の存在ですが、『もののけ姫』ならこだま、『千と千尋の神隠し』で言えば湯婆婆やカオナシですが、今作はワラワラと七人の婆やが愛らしいです。
以降はネタバレ含みます。
一言で表現するなら本作は宮澤駿(少年)版の『不思議の国のアリス』また『七人の小人』、
作品タイトル『君たちはどう生きるか』は作中に眞人が母からの贈り物として手にした吉野源三郎の同名書籍にちなみ、家の周りの森の中にある本好きだったという大叔父が建てた不思議の塔がその伏線と考えられます。
不思議の世界は幾つかの世界で構成されていて、死後の世界(地獄や極楽)と生前の世界など時間軸も無茶苦茶な各世界には青鷺のライバルであるペリカンや色とりどりのインコが暮らしています。
こうした物語のアウトラインを振り返るといつものジブリの描くファンタジー風ですが、難解さと最初に表現したのは眞人が転校先の学校でケンカをしてボロボロになって帰る途中で大きな石を掴み、自らの右側頭部を打ち付け大量の血を流し父母、使用人の婆やたち家族全員が心配するシーン。
父親は「誰にやられた?」とイジメだと判断し、学校に抗議。しかし眞人は転んだと言い張ります。
ケンカやイジメと親の気を引きたいなら泥だらけになった服だけでもいいのに、頭を縫うほどの自傷行為をするのは破滅願望なのか、自らをあまり大切にしていない印象を受けます。
その一方で身重で行方不明になった継母が行方不明になると危険を顧みず森や不思議の塔に向かい青鷺たちと戦い、救い出そうとします。
眞人は口数は少なく、落ち着いた口ぶりですがやっている事はかなり無鉄砲。子どもの先のことを考えないで感情のまま突き進む姿を描こうとするにしては大人びています。
主人公に共感するというより物語(宿命)に翻弄されながら、生きる意味を探そうとする経済的には恵まれている家庭環境の子供の親離れ(乳離れ)がタイトルに込めた意味という点では実に様々な風刺(皮肉?)もあるでしょうか。
最後は無事に現実の世界に帰ってきて喜び合いますが、時間軸は数年後に一気に、弟が幼稚園児くらいまで成長し、この家を家族四人で去る日に飛びます。
そこに見送る婆やたち使用人の姿はなく、がらんとした部屋の様子と合わさり物語を閉じる余韻に引き込まれます。
物語の起伏がないわけではないですが割と淡々としていて、大叔父とのやり取りも心象描写中心で、パンフレットなしに答え合わせできずモヤモヤさせられる点は賛否分かれる作品かと思います。
このある意味でチグハグさを抱えながらも一つの作品をなんだかよく分からないけど完成させてしまう情熱は本当に凄まじいと思います。
宮崎駿(82)の年齢を考えると前作『風去りぬ』から10年。本作が最後の作品にするつもりはないのかもしれませんが、どうにも個人的にはスッキリはしない作品でした。
このため殆ど事前に宣伝や公開情報がなかったら逆に物語の破綻によって宣伝のし様がなく、パンフレットもスケジュールが間に合わなかった説を個人的には推したいと思います。
私はどう生きるか。
この世界でどう生きるか。そう投げかけられた気がしました。
ペリカンが亡くなるシーンがすごく印象的であった。
人間の赤ちゃんの卵を食べることで生きるペリカンは人間からしたらすごい悪役だけれど、それが食物連鎖というものであり、人間はあたかもその連鎖から外れているような気でいると感じるのは私だけだろうか。魚を捌くこともできない私は内臓が出てくるシーンをちゃんと見れなかったのが情けなく感じてしまった。
また大叔父の世界では食う食われる立場が逆転していたにも関わらず、人間を食うインコを嫌な奴だと捉えてしまう。
つまり私はどこまでも人間視点をやめられない。
悪意と感じるのも立場によるものではないか。
大叔父が作った世界が壊れても、現実世界は何一つ変わらなかったことから、真実や理想の世界に囚われすぎるとかえって自分の世界が脆くなるのかなと思った。今生きる世界は真っ白ではないかもしれないけど、その世界でどうやって生きるか。人生は心の持ちよう、解釈問題なのかなぁとも思った。
さぁ、私も今の母と向き合おう。
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