君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全2097件中、41~60件目を表示
アオサギ、特殊詐欺、フィッシングサギ
久しぶりの映画館鑑賞となりました。映画館は北陸初のIMAXシアターも増え、各スクリーンの扉も新しくなっていた・・・まるで別世界に迷い込んでしまった感覚に陥りましたが、映画そのものも別世界に。所々宮崎駿作品らしいというか、過去作へのセルフオマージュを散りばめられたような映像・演出部分(特に湯バーバ)にほっこり。ちいかわまで登場・・・笑笑
アオサギ、ペリカン、インコという鳥の世界。神隠しに遭った少女といい、生と死の狭間を彷徨う姿が生き方を問うかのような不可思議な感覚にさせてくれた。特に積み木なんてアイテムが考えさせられるのです。
ただ、ストーリーはキリコとヒミが現われた時点で読めてしまうのが残念なところでもあるし、グロテスクさも現実と不思議世界の対比で中途半端になってる気がしました。ドロドロの血とこぼれそうなジャムの色が似通っていたりして・・・
久しぶりの宮崎作品を観ただけで涙を流してしまいましたが、冒頭の火災シーンで輪島の朝市通りを思い出したり、キリコ(能登の祭りの切籠)やヒミ(氷見市)という名前が追い打ちをかけてきました。さらには落ちてきた塔とかで震災を思い出さずにはいられなかった。公開当時に観ていればそんな感情は湧かなかっただろうに・・・
戦争を扱った部分はあったけど、悲惨な被害は敢えて(?)描かず、少年眞人の複雑な感情中心だったと感じた。叔母さんからお母さんへと変化する夏子への想い。火災で死ぬことがわかっていても生きることの意味。もしかして大空襲や原爆被害についても予知していたかのような眞人の表情が気になるところ。なにしろ大伯父の顔がアインシュタインに似ていたし・・・
君たちはどう生きるか?で、君たちって誰?
はい。良く私のやんちゃ&妄想レビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画って毀誉褒貶が激しいですね。モーゼの十戒か!わからない。つまらない。そんな意見もあります。 それでもいいんです。リリースした瞬間から受け手のものですから、それでもいいんです。でもね・・・ちと、もったいない。私達があんなに愛した宮崎駿を一刀両断で切り捨てていいのでしょうか?
さてと・・・やや個人的な話しです。この映画は鳥が沢山出てきますね?鳥マニアの私はたまりません!
インコ
特にセキセイインコ。可愛い。大好き。動画でお喋りインコを見ちゃう。沢山。そして知能も高い。(ジャングル大帝レオでもライオンキングでも知性の象徴です)
でもね・・・インコって最大の特徴はモノマネじゃないですか?私はアニメーターさんと解釈しました。先輩の技術を真似て、一流のアニメーターさんに成長するのではないでしょうか?
ペリカン
嘴の袋が印象的ですね。これはメディアの象徴ではないでしょうか?クリエイターの作品をガンガン食べて育つ。そして消費する。私達もペリカンかもしれません。
アオサギ
敵なのか、味方なのか中々正体が判然としません。宥めたりすかしたり褒めたり貶したり。
正体は鈴木敏夫プロデューサーです。眞人(まひと)を不思議な世界に導いた張本人ですから。
プロデューサーって大変な仕事。主には予算管理。アニメって映画公開まで一円も儲かりません。つまりスポンサーを探すのが一番大事。ただねスポンサーの意向を聴かないとダメです。具体的に言うとジブリの映画に出て来る調理シーン。美味しそうですね。はい大手食品メーカーがスポンサーです。
天才肌のアーチスト宮崎駿はなんども衝突したはずです。(この辺りは実写映画のハケンアニメでも触れられいます。)
最大の敵であり最大の味方。
映画は終盤に、昔、忽然と消えた大伯父が登場します。主人公の眞人(まひと)と対峙します。不安定な積み木を毎日積み上げています。それはアニメの作画そのもの。
やや混乱。眞人は宮崎駿本人だと思っていたからね。
この方は手塚治虫?高畑勲?いや違う。宮崎駿本人です。
宮崎駿は本質的にはアニメーター。自分で全部描きたい人。では主人公の眞人は誰?
私は息子の吾郎さんの長男と解釈しました。2008年生まれなので現在、14歳か15歳ですね。つまり宮崎駿にとって孫にあたります。
多分ですが宮崎駿は息子の吾郎をアニメ業界に入れた事に色々思うところがあるのでしょう。すぐに叩かれるしね。
宮崎家の一族は駿が超有名人なんで色々あったのでしょう。せめて孫には自由に生きて欲しい。
アニメ業界は華やかな世界じゃないよ。暗い森を分入って、塔にはいる。そこは魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界でもあるよ。
そんな願いが込められています。なんならジブリがなくなってもいい。
そう感じました。
余談ですが京アニの放火事件のあと京アニの映画を観に行ったんですよ。
こんなに美しい絵を描くアニメーターさんが不憫で切なくてね・・・胸がいっぱいになりました。ふと気づくと周りの方々も泣いています。泣く場面でもないのにね・・・
エンドロールにはジブリゆかりの制作会社がいっぱい。熱い熱い。
やっぱりアニメは絵が命。そんな事を思いました。
前半の30分は盟友、高畑勲に捧げられています。火垂るの墓みたいだしね。
そんな宮崎駿のメッセージ。しっかり受け取りました。
日本には手塚治虫と宮崎駿がいる‼️
いやね大谷さんとTONIKAKUさんも誇らしいんですけどね・・・
一応ですが個人的な意見ですよ。
お付き合い頂きありがとうございました。
PS 色々考えているうちに評価が上がりました。そんな映画も有って良いよね!
考察をたくさん読んで解釈するしかない
宮崎駿監督作品と言うから、無条件でIMAXでの鑑賞を決めた。
スタジオジブリ作品ではあるが、エンドロールに名を連ねる他のアニメーション会社の多さがジブリの弱体化を物語っている。
近年、スタジオジブリでは千と千尋の神隠し以降、ヒット作品と言う作品は無いと思う。
息子の宮崎吾朗が映画を作っても、父のような才能には恵まれず、酷評され、スタジオジブリの後継問題と後継者不足が浮き彫りになった。
ジブリスタジオでアニメーターをしていた人々は別のアニメーション会社を立ち上げたり、移籍したりして、巣立って行った。
残ったのは、血を分けた息子と宮崎駿監督作品とそれに群がり、まだスタジオは健在だと嘯く関係者のみ。
宮崎駿が築き上げた城は、世界はもはや空前の灯火だと言うのに、跡を継ぐものがいない。
結局、ジブリスタジオは近年では父親である宮崎駿の作品を振り返る美術館や展示会で生きながらえている。
果たして、大衆娯楽的な映画を作ることができないジブリスタジオがこの先、どうやって生きていくのか。
息子は自分の生きる世界で生き抜くことができるのか。
今作は宮崎駿の自伝的作品だと考察されている方がいて、なるほどと唸ってしまった。
そう言われたら、物語のストーリーがしっくり来る。
以下、考察を参考にしたキャラクターの解釈
⚫︎マヒト
宮崎吾朗
⚫︎マヒトのパパ
宮崎駿(父としての顔)
⚫︎青鷺
鈴木敏夫かな?と思ったけど高畑勲説もあり
⚫︎大叔父
宮崎駿(監督としての顔)
⚫︎インコ
映画関係者とか視聴者
⚫︎ペリカン
メディア
⚫︎婆ちゃん達
古馴染みのアニメーター
女性キャラ達が誰だろう?
母は庵野監督とか?
妹の身重の監督は米林監督?
公式のパンフレットがしばらく発売されないそうなので、答え合わせまで時間が掛かるみたい。
それもジブリの思惑通りなのか。
とは言え、宮崎駿監督作品で育ったので劇場公開初日に鑑賞できて嬉しかった。
監督が世に作品を生み出してくれたから、確かにジブリ作品は私の魂の一部になっている。
監督のような森にはなれないけど、細木くらいにはなれるように生きていきたい。
私は好きな作品です。
昨日から公開なのをうっかり忘れていて、午前中に定期検診を入れてました。昨日、日テレで宣伝してるのを見て「しまった!唯一映画館で観られる朝イチ上映は?」と調べてみると…
大迫力音響『Dolby Atmos』を最大画面、追加料金なし!の謳い文句が!
なんということでしょう!映像の匠、人は彼をジブリの魔術師と呼ぶ、そんな宮崎駿監督の技を10年ぶりに感じられる土曜の朝。(加藤みどりさん風に)
前置き・枕はこれくらいにして、一応『枕』に韻を踏んでみるとまさにビフォア・アフターではないですが、観る前の気持ちと観終わった後の気持ちがこれほど劇的に変わるとは思ってもみませんでした。
前情報があまりにないことと、急に観ることになったせいで予習不足は否めず、このままでは赤点必至なので、封切り日のまだ少ないレビュー40件くらいを見てからの鑑賞。『宮崎駿も終わりだ』『訳わからん』『駄作』みたいな書込みが多かったせいでハードルをくるぶしくらいに落としての鑑賞。
いえいえ、確かに難解で子供向けではありませんが(他のジブリ作品も大人向けのもの、結構多いですよね!)米津玄師さんのエンディング曲が流れた時には涙が出てきてました。もしかして本当に宮崎監督作品の見納め?という感情だけではないと思いますが、娘、孫まで3世代の情操教育を担ってくれたジブリ作品から宮崎監督が足を洗う(もっといい表現ないものでしょうか?)ことの寂しさをひしひしと感じたことは間違いありません!
正直1回目ではまだまだ消化不良ではありますが、これから何度か観直すごとに理解を深めながら感動も重ねていくことになると思います。
本編に触れるなら『ハウルの動く城』『千と千尋の神隠し』『となりのトトロ』『崖の上のポニョ』『魔女の宅急便』『思い出のマーニー(宮崎監督作品ではありませんが)』他、たくさんのジブリ作品のオマージュ、おばあちゃん軍団は湯婆婆やポニョの施設のお年寄りみたいですし、特に青鷺のおじさんはほぼカルシファーのキャラですよね。
強いて言うなら舞台を日本の戦中・戦後においた理由は今ひとつわかりませんが『風立ちぬ』も同じく宮崎監督の思い入れが大きいのでしょうね。ハウルとソフィのごとく眞人とお母さんのお互いを想う気持ちが痛いほど響いてきましたし、どなたか書かれていましたが積み木の数と宮崎作品の数、宮崎監督が離れたあとの『ぼくたち』はどう生きるか、が深く深く響いてきます。
あとは言うまでもなくジブリ作品特有の美しすぎる映像と久石譲さんの美しい旋律、声優をつとめられた皆さんの素晴らしさに感動です。宮崎駿監督作品をBlu-rayBOX(高かった!)で買って毎週、孫とトトロ鑑賞にいそしむ(ガンバレルーヤのまひるさんのごとくセリフを暗記してしまいそうです!)お年寄りとしては「いいものを観せていただきました!美味しゅうございました。(岸朝子さん?)」が率直な感想です。さあ2回目でもっと深掘りしなきゃ!
本当にひどい映画だと感じました。びっくりしました。
もう少し落ち着いた頃に観る予定だったのですが、賛否の声が多かったので気になり、公開から1週間のタイミングで観ました。
観る前までは、なんだかんだ言っても監督の作品は好きなので、自分なりに何か感じることができて観てよかったとなるだろうと思っていました。
でも実際は本当に2時間が苦痛に感じ、なぜ貴重な時間とお金を払ってこれを見なければならなかったのだろう...と後悔しました。
それぞれのシーンは、すごく意味ありげな演出ばかりでした。「こうあるべき」や「これを伝えたい」というような何か制作意図はあるものの、それをお客さんに届ける努力が1mmもないように感じられました。それが「分かる人だけ分かればよい」というような傲慢な態度として伝わってきて、すごく窮屈な印象でした。事前に宣伝をしなかったのもそのような態度で公開に臨んだからでは?と疑ってしまったくらいでした。そもそも比喩が多く場面のつながりが飛躍しすぎていて全く意味がわかりません。映画ではなく、尖った美大生の卒業課題を見せられているような錯覚を覚えました(ある意味監督にとっては卒業課題なのでしょうが)。その一方で無理やりコミカルなシーンを挟んだり、かわいいキャラクターを違和感のある形で登場させたり、変な小技でお茶を濁そうとしていたのも寒かったです。100人くらい入る劇場でしたが、1人もそういうシーンに反応してないのでは...というくらい皆冷め切っているように感じました。
監督の今までの作品はすごく好きでした。
でもそれとこの作品の映画としての評価は別だと思います。結構混同されてる方多そうですが。
宮崎駿監督が少年時代に読んだ本に感動して 現代社会、若者たちに問題提起する作品!
君たちはどう生きるか?
アニメーションの中だと真人の亡くなった
お母さんが遺した本を少年である真人が
発見した場面が、題材となった小説になぞらえた部分だと思いました。
真人が幻の世界に入り込み、亡くなったお母さんに会うことが出来なくても、屋敷のばあやに似た人型の木が御守りの代わりになり
積み木をひとつひとつ重ねるように新しいお母さん夏子や、これから生まれてくる生命、
お父さんと共に生きて欲しいと思えるストーリーでした。
青鷺は、人が亡くなることの悲しさ
ペリカンや、同じものの集まるところは、
今までのジブリ作品と重なるシーン
集大成だと思いました。
君たちはどう生きるか?
自分が世界の中心ではない
自分が世界の1部だと言う視点で世の中を見る
新しい発見をする
問題を解くのに答え自体ではなく
答えを導き出す後押しすること
世の中の生産性、まだまだ解決出来ていないことをこれから生きていく人たちに
自分がその1人となる可能性があることを
示すようなメッセージ性を感じました。
補足、感想が難しいのでまとまらなくて
乱文ですみません。
後半30分ほとんどの観客が振り落とされる
題名から説教くさくなると予想されていた宮崎駿の最新作。
実際は、忠実に跡を継いで欲しいという思いと若者が自らの意思で選択するべきという思いの両方が描かれていて、駿の中で葛藤があったように思えた。
物語の終盤はかなり抽象的な表現が多く、また墓や石といった単語が説明なしに使われるため理解が難しいと感じた。
作画に関しては流石の一言に尽きる。
家屋の崩落や獣の大群、炎の描写などまさに宮崎駿の集大成であった。
その一方でエンディングに米津玄師を起用するなどこれまでにない新しい試みもあり、今後のジブリの展望に期待したいと感じた。
宮崎監督の頑固さの極み
正直意味不明で支離滅裂。
訳分からない夢を見た感じ。
鑑賞中に寝てしまったかと思った。
『風立ちぬ』鑑賞時も主役の声優の配役や効果音を人の声にした事でも感じたが、お金を払って観に来る観客の事を考えてるのか疑問に思う。
映画は芸術的な側面もあると思うがエンターテイメントである以上お客さんあっての物だと思う。
ジブリの看板で一部の映画通の人達だけが満足できる作品を作るのは青サギだ!
観客が製作者に寄り添うのは違う気がする。
自己満足な作品を作った上にキムタクや菅田将暉やあいみょんを起用して客集めもするのはちょっと違う気がするし、作中のシーンも過去作で観た事ある表現も多く、新鮮さも感じられなかった。
初心に立ち返ってもっとシンプルなエンターテイメント作品を作って欲しい。
秘密の塔と女たち
2025.5.3 追記です。
2025.5.2 に放送された「金曜ロードショー」の録画を字幕を付けて観ました。
CMがあるからなのか、理由は分かりかねますが、テレビモニターでの鑑賞が向いている作品だと思いました。映画館で観た時よりも、面白いと思ってしまいました。
『風立ちぬ』(2013年)、『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)、『崖の上のポニョ』(2008年)、『ハウルの動く城』(2004年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『もののけ姫』(1997年)、『魔女の宅急便』(1989年)、『となりのトトロ』(1988年)で見たことがあるようなシーンも多くありました。
古代遺跡の描写がリアルですし、戦闘機の風防が沢山登場するシーンや勝一(声:木村拓哉)が300円も学校に寄付するなど、眞人の家族が特別であったことがわかります。
青サギ(声:菅田将暉)は何だったのでしょう。結果的に眞人にとっては大事な存在になりました。
ヒミが透明なカプセルで運ばれる場面と、7人のばあやの存在が、まるで『白雪姫』でした。ヒミのエプロン姿は『ふしぎの国のアリス』の主人公アリスの格好のようでした。ヒサコの子ども時代、名前がヒミであることも氣になります。プリンセス(姫)と卑弥呼をミックスした源氏名なのでしょうか。
夏子(声:木村佳乃)を連れ戻そうとする眞人が、綾波レイを連れ戻そうとする碇シンジが登場する『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)を彷彿とさせます。眞人にとっての夏子という存在は、いったい何だろうと考えてみると、母の妹であり父の妻でもあるので、恋心を抱いてはいけない相手でしたが、ずっと一緒にいたかったから自ら石で頭に傷を付けたのだと思います。
キリコの頭の傷と同じ位置である理由は何でしょうか。
眞人がワラワラを初めて見た時に、キリコが人間の子どもになるものだよと教えてくれました。塔の中の上空に向っていく沢山の白い生命の源。キリコがワラワラを管理する係?そっち(エッチ)の方向で考えてみても面白いかもしれません。
数年前ですが、セキセイインコのオスを家で預かっていたことがあり、1羽だけでメスがいないものですから、本能なのか股間を強くこすりつけて自慰行為をして傷が出来てしまうので可哀想でした。もし眞人がキリコと同一人物だとしたら、ワラワラを管理するというのは自慰行為を意味しているとも考えられます。
そしてペリカンが理性で、理性の排除つまり性欲を搔き立てる存在ヒミ、それは母に似た夏子であるということでしょうか。
『天空の城ラピュタ』のシータとパズーの二人が抱き合っているシーンは、男と女の関係ということだと宮崎駿監督がおっしゃっていたそうなので、もしかしたら眞人とヒミ(ヒサコ)の二人も、やってしまっている作品なのかもしれませんww
母ヒサコが行方不明だった謎の一年間は、塔の中で眞人に寄り添ってくれていたのでしょう。『ドラえもん』の作者が実はドラえもんだったという話に似ています。ヒミが眞人を救ったのか、眞人がヒミを救ったのか、夏子とヒサコ両方を眞人が現実世界に戻したのか、なんだか ややこしいです。
・ー・ー・ー・ 更新前のレビュー ・ー・ー・ー・
約三十年前、魔女の宅急便を映画館で観た時を思い出しました。別に感動もなく、たいして面白く感じなかった感覚を。しかしその後魔女の宅急便のサウンドトラックはヘビロテしたし、キャラクターグッズも宝物になるほどジワジワ好きになったのです。
きっとこの作品もそのように後からドンドン好きさが増す予感がします。となりのトトロもスルメ効果というのか観るたびに好きになりましたし、風立ちぬもそうでした。
ジブリ映画は意味とか考察とか関係なく、セリフが好きとか、このシーンが好きとか、そういった楽しみ方で良いと思います。
あの頃、好きだった女性を、今見ない方が良いと言われているような作品だった。
「君たちはどう生きるか」を見てきた。
学生時代、ナウシカのロードショーの初日に見に行った。当時はアニメは子供の見るものだったので、午前中と言うこともあり大人は僕一人だった。ガリバー状態と言うか、巨神兵状態だった。
そして今日、上記の映画をロードショー初日に見に行った。
あの頃、好きだった女性を、今見ない方が良いと言われているような作品だった。
例えるなら、黒澤明の「夢」のような、
井上陽水のUNITED COVER2のような、
スターウォーズepi1のような、
あなたの青春は終わったんだよ!と告げられているような作品だった。
そうだよ、僕も歳を取ったんだよ。永遠の巨人なんかは存在しないんだよ。黒澤明と同年代の人は同じ感情を味わったのだろう。
彼も、老いる普通の人だったんだ。
僕はこの事実を受け止めるにはもう少し時間がいる。
映像のワクワク感は凄いが話は面白くない
主人公の母親が亡くなり、母親の妹なつこが母親代わりになる。
疎開先の学校にも、新しい母親にも、新しい屋敷の世話人にも馴染めずストレスが溜まる。
母親代わりのなつこが甘えさせてくれると思って自傷するも失敗。
そんな中、身重のなつこが森の中の塔にフラフラと誘い込まれるのを見て主人公は助けに行く決意をする。
塔の中には実は宇宙から来た巨大な石があり、その中には異世界が広がっていた。
なつこを探して旅をする主人公。
サギ男やキリコ(疎開先の世話役のばあさんの若い頃の姿)ヒミ(母親の若い頃の姿)と一緒に墓の主を避けたり海を超えたりワラワラが人として生まれ変わるのを見届けたりインコやペリカンに襲われたりしながら冒険する。
塔の中の世界の管理者は主人公の祖先で、主人公に世界の管理を引き継ぎたい。
主人公は拒否。管理者は元の世界に戻ってどう生きるか主人公に問う。友だちを作りますと答える。
インコの王様は管理者になりたかったが、管理の要となる善意の石でできた積み木を切ってしまう。
すると世界は崩壊し、主人公はなつこと和解し、母親はもとの時間軸に戻る。
2年後、仲の良さそうな主人公一家が東京に戻るため出発するシーンで終了。
所々に昔のジブリで見たことあるシーンが散りばめられていた。
足をバタバタさせて靴を脱ぎ捨てるシーン海の見える建物の外壁をよじ登るシーン
コダマみたいな白くてかわいい生き物がワラワラ集まってくるシーン
木のトンネルをかがんで進むシーン
謎の岩が爆発して祟り神の触腕みたいになるシーン
ハウルの動く城の入口っぽいドアが一瞬映るシーン
他にもたくさんあると思う
ジブリっぽい映像が怒涛のように沢山楽しめる作品ではある。
主人公が母親を失って精神的に不安定になるが、異世界を冒険して立ち直り、新しい環境に適応して現実を生きていくというのが主軸だろうが、主人公が自分の気持ちを語らないしずっと真顔だし周りの人が君はこう思ってるんだろと言うまでどういう心境なのかわからない。
前半のテンポが悪い。なかなか話が始まらない。
クライマックスも千と千尋とかのような爽快感や感動はあまりない
宮崎駿の集大成がこれと言われると映像は納得だがそれ以外はうーん…という感じ。
天才老監督の心は少年のように自由に羽ばたく
ファンタジーを自由に操る姿は80歳を超えても創作意欲は溢れ、
創作するアニメーションの世界には老いも畏れも関係ない。
心は自由だと、私たちに希望と勇気をくれる。
「君たちはどう生きるか」
なんとも宮崎駿作品らしからぬ剛直球のタイトル。
いったいどんなものを見せてくれるのか?と期待が膨らむ。
《戦争を語らずに世界を語る」
《不自由を語らず、自由に生きる》
母を火災で亡くした11歳の少年・眞人が主人公。
戦時中1940年。
父親の田舎へ疎開する。
父親は早くも母の妹・夏子と再婚。
夏子のお腹には赤ちゃんがいる。
少年には酷な環境だ。
が、疎開した屋敷には、皺くちゃでも、元気な“ばあさま“が
置物のように7人もいて、なんともユーモラスなのだ。
家の裏手には寂れた開かずの洋館がある。
その昔、空から落ちて来たという洋館には、
行方不明になった大伯父が住むという言い伝えがある。
物語りは、予想以上にファンタジーでした。
話をすると青サギをバディに、空から襲ってくるペリカン。
インコの兵隊が、インコ帝国を築いている地下世界(死者世界)、
死者の国には、
キリコ(海使い)
ヒミ(火を操る少女)
が、童話のような家を構えている。
火そして石。
石を操る羊洋館の主でもある大伯父。
死者の世界にどっぷりハマって、ファンタジーが炸裂して
帰ってこれないのでは?
とあんまりにも大風呂敷を広げた世界観を杞憂しましたが、
夏子を取り返すために、青サギ、
ヒミ(実は母親のヒサコの化身)の力もあって、
死者の世界から、
「後を継げ‼️」そう頼む大伯父を振り切って
眞人は、夏子と共に、
《戦火と悪と混沌》の現生を選ぶ。
戦え!!
勝ちとれ‼️
というメッセージか?
汚く理不尽な現実を、
それでもへこたれずに
生き抜け!!
生き抜いてくれ!!
老監督は大勢な創作意欲を示し、
その生き様で手本を示してくれている。
本当に大切なこと
作中のストーリー展開を気にしていては、何も始まらないと思える作品でした。亡き母のあと、新しいお母さんになる夏子さんが突然森の中へ。その夏子さんの行方と亡き母が森で待っていると言う青鷺の言葉を受けて眞人も森へ。そこは生と死が隣り合わせの異次元の世界。でも、予想もつかない出来事って人生の中でも何度も突き当たる。右に行くか左に行くか?近道するか遠回りするか?前進するか後退するか?そんな選択の連続です。時には自分の意志とは真逆の行動を取ったりすることも。明日どうなるかもわからないこの世界の中で、その瞬間瞬間の判断を誤らずに大切な物を守って行く。みんなが生きて行ける、豊かで美しい世界を造っていく為に、本当に大切な物は何なのかを見極める心を持って生きて行って欲しい。だから、君たちはどう生きるか?って問われたのかなと僕はそう受け取りました。それを作中では夏子さんやヒミ、キリコ、青鷺、ペリカン、インコ大王、ワラワラらを通してジブリ作品らしく伝えてくれている。やはり宮崎駿監督作品。素晴らしい映画でした。
宮崎監督の最後の作品とのこと。自らの作品へのオマージュと、これからの世界を築いていく後進への期待とで詰まった作品かもしれない。そんな気がしました。
前の作品で一区切りついたと思っていた訳ですが
新作が出来たからには観ない訳には ・_・イカン
…などと、思い詰めて観に行くつもりは無いですが
やはり今までの作品鑑賞とは違った気分がします。
さあ鑑賞。
第2次世界大戦中のリアルなお話。…と思わせて
少年が異世界に行ってしまうお話でした。
母親が入院している病院が火事に。 大変だ。
どうやら母は亡くなってしまったらしい。
母の妹(叔母)と父が結婚する事に。 …展開早くないですか
叔母のお腹には弟か妹がいるらしい …手も早くないですか
母の実家の洋館には別館があり、アオサギが飛んできます。
アオサギに導かれて別館に消えた叔母。
叔母を追って洋館に立ち入る少年。(と湯婆婆みたいな老婆)
この辺りまでは、それなりに楽しく鑑賞。
若返った湯婆婆(みたいな)の一人と
火を操る若く美しい娘が登場。
どうやら異世界のようだ。
擬人化したペリカンやインコがいる。(…可愛くない ・-・;)
そして
この世界を創った男がいるらしい。
この辺りから、アタマに「?」が立ち始めます。
実は、火を操る少女は少年の母親。
この世界を創った男は、実は母親の大叔父で
世界を受け継ぐものを探しているという…。
ああ、そうか。
宮崎監督は
自分のこれまでの作品を自らオマージュしながら
この後に続く世界を後進に委ねようとしているのか
飛び立つ沢山の鳥は、若きこれからのクリエイター達
を示しているのだろうか
などと、そんな事を考えながら帰宅しました。
う~ん。
全くの的外れかも知れませんし,どうなのでしょう。
本当の所は誰にも分からないのかも知れません。
※同じタイトルの「本」を読むと
理解が進むのでしょうか… はて
◇余談
本編上映前の予告編
普通なら「入っている客層」をターゲットにして
また来てくれそうな作品の予告編を流すものと思うのですが、
今作では見事にバラバラでした… ・_・;
・ホラー作品(目を背けたのでタイトル不明 @_@)
・山田洋次監督作品(吉永小百合、大泉洋)
・トランスフォーマー
・クレしん (しんちゃんも3D!)
・すみっこぐらし(3作目。 観ます♡)
etc
シニア層向けから就学前のお子さん向けまで。
「君たちは-」がどんな客層でも対応できるようにとの
そんな予告編のラインナップでした。
※子ども向けの作品なら、予告もアニメ作品が多いとか
あると思うのですが、違ったなぁ、と。
※この作品にどんな客層が入るのか全く予測不能
だったのかもしれませんね。 (と、真面目に考察)
◇最後に
大叔父さんを見ていて
未来少年コナンのラオ博士の最後のセリフが
アタマに浮かんで来ました。
” 君たちの時代が始まるのだ
素晴らしい未来を創っておくれ」
ビジュアル的には全く似ていない二人な訳ですが
何故か、脳裏から消えません。
◇大団円
宮崎監督のこれまでの活躍には「お疲れさまでした」と
感謝の気持ちしかありません。
今までの素晴らしい作品、ありがとうございました。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
80代の宮崎駿が引退してなおどうしても撮りたかった、「少年」版の『千と千尋の神隠し』。
あれだけあえて事前情報を伏せて公開した映画なので、一応ネタバレ扱いにするのが礼儀なのかな?
もう引退したと思っていた宮崎駿が、辛抱たまらなくなって撮り始めた最新作。
ほんとにコペルくんとおじさんの出てくる『君たちはどう生きるか』のアニメ化なのか。
ただひとつ明らかにされていた、アオサギとハシビロコウのあいの子のような謎生物はいったい何なのか。
まったく何の予備知識もなく観に行って、2時間、映画に正対して思った。
まずは、まごうことなき「宮崎駿」の映画だった。
それもいったん引退した監督が撮ったとは思えないくらいの、重量級の長編映画。
そこには、今まで宮崎が扱ってきたありとあらゆる要素がぎっしり組み込まれていた。
その意味では、宮崎駿という円熟した監督の晩年を飾る作品としては、じゅうぶんにご褒美感のある映画だった。
いっぽうで、面白かったのかといわれるとちょっと首をひねるところがある。
いや、マジで宮崎駿らしい映画だったし、思ったよりは辛気臭くも説教臭くもなかったし、思いがけないくらいの宮崎アニメ的なアクションとキャラクターにも満ちていたんだけど、なんとなく作りとしては諸要素がかみ合っていないというか、序破急のバランスを逸しているというか、物語としての緊密さを欠くというか、個人的にエンタメとしては消化不良感のいささか残る作品だったような。
― — — —
総じていうと、本作は少年版の『千と千尋の神隠し』だ。
異界に迷い込んだ「少年」が、奇妙な動物たちに囲まれて、「アオサギ」や「姉御」や「幼母」の助けを得て、「神」のごとき「大叔父」との邂逅ののち、「世界の理」の一端を体感したうえで、一定の成長とイタ・セクスアリスを経験して、現世へと帰還する。
そういう話だ。
物語の祖型としては、西洋における『冥界のオルフェ』や日本における『黄泉平坂(よもつひらさか)』の神話がベースになっているといってよい。
すなわち、「妻」のかわりに「喪われた母性」を地下の冥界へと探しに行って、それを連れ帰ろうとする「少年」の物語である。
異界へと入っていく描写は、コクトーの『オルフェ』を思わせるところがあるし、義母の寝所に入ったときに、「禁忌」に反応した御幣のような「紙」に襲われる陰陽道ふうの描写は、まさに「イザナミ・イザナギ」の神話を想起させる。
この大枠に、宮崎駿がこれまでに積み重ねてきた様々な要素が注ぎ込まれる。
まず冒頭は『風立ちぬ』や盟友・高畑勲の『火垂るの墓』のような、先の大戦における大火災の描写で幕を開ける。出だしから「乗った重みによる車体の沈み込み」や「高いところから下りたとき足に来る衝撃」といった、重力と身体性をめぐるネチネチとしたアニメーション描写が執念深く繰り返され、「ああ、俺いま宮崎アニメ観てる!!」という気分にさせてくれる。
疎開先に少年がやってくる描写は、少し『となりのトトロ』や『借りぐらしのアリエッティ』(宮崎は脚本参加)を思わせる。そこに「オールド・ダーク・ハウス」ものの怪談めいた話が出てきて、その「妖しさ」の象徴として登場するのが、謎めいたアオサギだ。ヒッチコックの『鳥』を意識しているのは間違いない。
今回、久方ぶりに「少年」を主人公としたことで、ある意味ファンが待ち望んでいたような「初期様式」への遡行が見られたのも確かだ。
西洋的な城や洋館、階段や壁を用いた垂直アクション、空中浮揚と重力のせめぎ合い、手に手を取って走る少年・少女といった、『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』といった「初期宮崎アニメの鉄板ネタ」が随所で見受けられ、個人的にはとても懐かしい感じがした。
おばあちゃんの若いころは「きっぷのいい魔法の使える姉御」だとか、お母さんの若いころは「ヒロインオーラ全開のパイロキネシス美少女」だとか、「ロリババア」要素が唐突にぶっこまれて来るのも、『ラピュタ』とか『ハウルの動く城』で見られた宮崎駿の特殊性癖の一環だ。
少女として異界に生きる母親は、わかりやすく「不思議の国のアリス」の装いをまとって漫画チックな城内を闊歩し、トランプの兵隊と女王ならぬ、インコの兵隊と王様を蹴散らして、やがて産むはずの我が子を守り導く(ただし、母親役の泣き演技はひどかったなw)。
主人公の少年は、基本的に寡黙で、常に姿勢がよくて、頑固で、ひたむきだ。
よくいえば武士のような佇まいがあって、きりっとしたキャラクターにも思えるが、
悪く言うと、何を考えているのか今いちつかめない、軽くアスペっぽい感じのある少年だ。
もちろん、この少年には宮崎駿自身の少年時代が重ねられているのだろう。
ただ、少年キャラの「得体の知れない」感じは、少なくとも初期の『コナン』や『ラピュタ』には全くといってなかった要素で、むしろこの依怙地で人の言うことをあまり聞かない感じは、『崖の上のポニョ』の宗介に近い感じがあるように思う。
主人公の少年を異界に導き、反撥し合いながらも、やがて「友」となる「アオサギ」は、最初に変化したときのその風体から『千と千尋』のカエルみたいなキャラかと思ったのだが、ふたを開けてみればまさしく『未来少年コナン』のジムシーに近い、究極のバディ・キャラだった。
おそらく本作で一番の、愛されキャラではないだろうか。
アオサギというのは、実際になかなか面白い鳥で、人間に対して総じて警戒心が強い鳥種なのだが、その割に、水前寺公園や不忍池などで常駐している個体にはやたら人なつこいものもいて、釣り師に魚をねだったり、手から投げた餌をキャッチしたりと、飼い鳥のようになっている場合もある。住処として、神社や屋敷森や公園の林地の樹上に、かなり規模の大きいコロニーをつくるのも特徴で、要するに「妙に人と近いところで」「得体の知れない威圧感をかましながら」「結構貪欲かつ傲岸に生きている」。いかにも本作のマスコットキャラにはぴったりの選択ではないか。
建築空間の設定については、一定の法則性を感じる。
まず出てくるのは、紙のように戦火に燃える東京の木造家屋。
疎開先には、豪華な書院造の和洋折衷建築の母屋と、洋館の離れが立っていて、少年の部屋は洋館のほうにあてがわれている。さらにその後背に広がる森には、謎の(ちょっとサグラダファミリア風の)廃塔が呑まれている。
塔から通じている「異界」には、「魔女の隠れ処」や「西洋風の城」が立っていて、さらにその深奥部にはタルコフスキー的な哲学的空間が隠蔽され、海辺のあずまやに異界の神として君臨する「大叔父」が坐している。
つまり、少年の生活圏から離れて「幻想」へと近づくにつれて、世界の「西洋」度が増していく。おそらく宮崎駿のなかでは、少年にとっての異界(ファンタジー)の極限にあるのが「西洋のお城」なのだろう(だからこそ少年の心をもつルパンは城の壁面に挑むのだ)。
異界を象徴する「ペリカン」と「インコ」は、どちらも「日本の鳥ではない」のがポイントかもしれない。
疎開先で異界と現世を結ぶのは、日本にも西洋にも生息するアオサギで、完全に異界で暮らしているのはペリカンとインコという「完全な洋鳥」である。
インコはもともとオセアニアの鳥なので、ヨーロッパ的な文脈ではエキゾチックな博物学的興味を喚起する鳥でしかなく、「華美」を象徴する程度のイコノロジーしかない。一方で、ペリカンは自らの血で我が子を養うとされたことから「キリストの犠牲」の象徴と解されていた。
このイコノロジーが興味深いのは、本作ではペリカンが、無垢な精霊として宙に還ってゆく魂を「捕食して妨げる存在」として登場するからで、しかも実際に胸を「血まみれ」にした姿で一羽は出てくるので、つい深読みをしてみたくなる。
あのまるい精霊(ふわふわ? 忘れちゃったww)を浄化したうえで地上に返す「装置の機能」は、「賽の河原」を体現しており、そこの番人として捕食して数減らしをしているペリカンは、「無垢なる赤子の魂」の「敵」でもあり「守り手」でもあるという「鬼子母神」に近い存在といえるのではないか? みたいな。
― — — —
以上観てきたように、本作にはいろいろと宮崎駿ワールドの集大成的な部分があって、総じて面白い映画ではあったし、想像していた以上に活劇としても力が入っていたし、あまりえらそうな人生訓とか大所高所からの価値観の決めつけがなかったのもよかった。長年のファンとしては、まずは一安心といったところ。
正直言って、80を過ぎた老人がすべてを取り仕切って作った映画とは、とても思えないくらいの密度とボリュームがある。
とはいえ、凄く面白かったかといわれると、うーん、なんか回答に悩むなあ(笑)。
まず、出だしから異界に行くまでが、いかにも長い。
異界に行って、インコの城に入ってからは俄然テンポ感が良くなって愉しい映画になるが、そこまでの展開も間延びした印象が強い。で、ラストの大崩壊と現世への帰還のあたりは明らかに足早だ。ラスト付近のインコ大王も、一体なにがやりたかったのかイマイチよくわからない感じで、物語を急速に終わらせるために、「鉄砲玉」よろしく適当で便利な扱い方をされているような気がする。
それから、主人公の少年に感情移入するのがたいへんに難しい。
とくに、いきなり自分の頭を石で殴るシーンは非常にショッキングで、映画としてはこの少年を語るうえでたいへん重要な要素であることはわかるが、観客の少年への共感度は駄々下がりである。
久々に、ちょっとコナンやパズーに似たような少年キャラが出てきたので、心の中で愛でる気まんまんでいたのに、なんだこいつ、頭おかしいのかと(笑)。
宮崎駿という人は、キャリアの初期から「間違わない正しい子供」と「間違ってばかりの大人」の対比で、なにかと物語を構築する人だった。
その点、『ハイジ』や『赤毛のアン』や『火垂るの墓』など、「間違う子供」を描くことにためらいのなかった高畑勲とは、じつに対極的なスタンスといえる。
そもそも海外でだって、『トム・ソーヤの冒険』にせよ『大草原の小さな家』にせよ、大半の子供たちは「間違ってばかりの不完全な存在」として描かれているわけで、いかに宮崎駿の「間違わない子供」が特異なスタンスかがわかろうというものだ。
その「正しい子供」の極北にあるのが『千と千尋』の千尋だが、この法則が「崩れた」のが、先にも言ったように『崖の上のポニョ』の宗介で、それ以降の宮崎アニメでは、少なくとも少年は無謬の存在ではなくなった(『ゲド戦記』のころあった長男・吾朗との確執が遠因かもとか思ったりもする)。
『借りぐらしのアリエッティ』の病弱少年も、自分のサイズがアリエッティのそれに合わないことで性的懊悩を高まらせたあげくに、地下のこびとの住居にドールハウスをねじ込んで擬似レイプを果たす変態(何もない部屋にティッシュだけがある)で、最後は別のこびとにNTRされてざまあ、みたいな身もふたもないお話だったと記憶する。
あと、これまで「自然と文明」「田舎と都会」「墜ちてきた少女」など、「二つの異なる存在」の出逢いと衝突を描き続けてきた宮崎が、今回の作品を完全に閉じた「血族の物語」に仕上げているのは、「進化」とか呼んでいいものなのか。
母親を火事で亡くした子供と、あえて妻の妹を後妻に迎えた軍事産業社長の父親と、異界で少女として生き続ける母親と、姉の夫の種を宿した妹(少年の叔母)と、屋敷を守護する「式神」めいた老婆ズ(布団での老婆人形を並べる扱いがまさに陰陽道)と、ラスボスの超セカイ系大叔父。なんかちょっとイタい横溝正史みたいじゃないすか。
で、それが一緒くたにまとめて崩壊&救済されちゃうハッピーエンドって、『ポニョ』のPTAで世界の未来を決めましたエンドと同じくらい、「えええ、それでええのんかいな」感が個人的には強かったんだよね……。
と、まあくさしてはみましたが、宮崎駿ファンなら必見です。
平日昼に調布くんだりでもしっかり満席になってるのは、さすがとしかいいようがない。
なんだこりゃ
米津玄師は凄いなと
若者達よ しなやかに生きてゆけ
序盤のシーンが胸に迫る。
過去作品のワンシーンを思い起こさせてくれる映像にワクワクした。
スタジオジブリならではの温かみのある躍動感溢れた映像を、劇場で堪能出来た事に感謝。
やや難解な印象の作品でしたが、退出時に未だ幼いお子さん達の姿も見かけました。ジブリ作品故、かも知れませんね。
映画館での鑑賞
プロモーションがなかったのは
あえてやらなかったのではなく、
やりようがなかったんだろうなーと思える作品。
この破綻した映画のキャッチコピーは、鈴木Pも思いつかなかったんだろう。
登場人物たちの行動の動機がすべて曖昧なので、感情移入しようがない。
主人公の少年が、アオサギや異世界に一切驚かないのも、不自然すぎて、主人公が無感情に見える。
千尋は、異世界にいちいち驚いてたから、応援できた。
白いモフモフたちも、もはや、あざとく見えてしまう。
唯一のメインビジュアルのアオサギの行動に期待したが、絵的にインパクトがあっただけなんだと分かった。ヒミにすべきだったが、絵的に弱かったのだろう。
他の方のレビューにあるように、大叔父が駿さんなら、確かに息子は、金欲主義の平凡な人間として描かれているけど。
偉大な駿さんの作品だからといって、たくさんの人が共感できるストーリーでないなら、ぼくも含めたバカには何も伝わらないし、劇場公開したのはエゴでしかない。
全2097件中、41~60件目を表示















