君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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「自分を写す鏡」であり「風の時代」を象徴する作品 ~じっくり考察あり~
2回見ました。
●●「本作は自分を写す鏡」
岡田斗司夫さん曰く
「本作品は自分を写す鏡」
であり、自分もしっくりくる作品評です。
「内容が難しい」と感じるとしたら、普段から物事を難しく考える癖が付いている。
「内容が分かった」と感じるとしたら、普段から物事をシンプルにとらえている。
「つまらない」と感じるとしたら、「こういう展開、物語だったら面白さを感じる」という枠組みを無意識のうちに、自分の中に設定しており、それに合致しなかったから。
「面白い」と感じるとしたら、様々な事柄に対して、自ら面白さを見出してしまうから。
また
「この作品はエンタメではなくアート」
とも述べておられました。
ですので、エンタメを求めて映画を見た人からすると、物足りなさを感じ「駄作」という評価になるのかもしれません。
一方、先入観なく映画をありのまま見て感じ取ろうとする人は、十人十色のものを感じたうえで「これはこれで面白い」という評価になるのかなと思います。
その意味で、万人受けする映画ではないという評価も妥当かもしれません。
●●作品から受け取ったメッセージ
・現実を受け入れる
・運命を受け入れる
・自分の意識をありのまま反映したものが世界の姿
・自分の意識・内面ときちんと向き合う
・誰もが自分の中に、悪意、闇を抱えており、それを認めて受け入れる
・世界を良いものにするか悪いものにするかは自分次第
・人間には自由意思があるので自由に決めていい
・さあ、君たちはどう生きる?
●●感想
面白かったですし、考察自体も楽しいです。
「風の時代」を象徴するスピリチュアルな作品だと感じました。
●●シーンごとの考察1
○火事で母が亡くなる夢から目が覚めて、ベッドで涙する眞人
○亡き母からの贈り物「君たちはどう生きるか」を読んで涙する眞人
→亡き母を忘れられず、継母・夏子を受け入れられなかったが、小説を読むことで、実母からのメッセージを受け取り、夏子を母として受け入れようと心境が変化。
→だからこそ、行方不明になった夏子を探しに行き、必死に連れ戻そうとした。
○人間を食べようとするペリカン
(眞人は青鷺の羽根を持っていたから無事だった)
○わらわらを食べるペリカン
○目の前で力尽きようとするペリカンが語る下の世界の状況
→下の世界は、食べ物を得るにも事欠くありさま
→どこまで飛んでも、同じ地点に戻ってしまう無限ループな世界
→ペリカンは飛行能力すら失われつつあり、種の衰退、忍び寄る滅びさえ予感させるような絶望的状況
○殺生を許されていないため、漁ができず、キリコが捕った巨大魚のおすそ分けを待つ半透明人間たち
○狭い石造りの巣に、押し込められるように暮らす多数のインコたち
○インコ大王のお付きインコ「(果物がなる木々を見て)ここは楽園か~?(涙)」
→支配する側の大叔父だけが、天国のような生活をしており、支配される?側の大多数の生き物は、いつも苦しい生活をしている。
○宇宙から飛来した隕石
→宇宙には高度に発達した文明、高次の存在(宇宙人)がいることのメタファー
○「石」との契約
→新たな世界を創造できるようになる。
○「石」
・宇宙からやって来た
・意識を持つ
・世界を新たに創造する力を持つ
・契約を交わした人間に対し「世界創造の石」を与え、その人間はこれを使うことで、新たな世界を創造できるようになる
・その石は、最初は、善悪、陰陽などの色に染まっていない(性質や属性が何もない)
・石には意思が宿る
・創造主の意識・意思が、そのまっさらな「世界創造の石」に、ありのままインプットされ、その石はそれをそのまま世界の姿としてアウトプット…世界を物理的に形作る
○大叔父
・「石」と契約を交わした下の世界の創造主
・争いも愚かさもない、みんな豊かで幸せに生きる世界を作りたかった
・ところが、大叔父が住む領域だけは楽園になったが、ペリカンやインコなど他の生き物が住む領域は、とても生きづらい地獄のような世界になってしまった
・というのも、創造主たる大叔父の意識の中に悪意が含まれており、それがそのまま下の世界にも反映されたから
・それが地獄と言われる下の世界の姿だった
→だから、どれだけ楽園を作りたいと願い苦心しても、それが叶うことはなかった。自分の悪意も一緒に世界の形になってしまうので。
→大叔父自身も、自分の内面にある何かしらの悪意が原因で、地獄のような世界になってしまっていることを自覚しながらも、その悪意がなんであるか掴みきれておらず、これ以上どうにも改善できないことに、もどかしさのようなものを感じている
→スピリチュアルで言えば、「『統合』の必要性は理解しながらも、自分の中に潜んでいる統合すべきネガティブな感情・波動をとらえることができていない」状態
(※悪や闇は排除すべきものではなく、誰しも自分の内にそれがあり、自分の中の闇と光を「統合」することで、抑圧的で不安や苦しみに満ちた現実から、自由で喜びや豊かさに満ちた現実になっていく)
○眞人「この積み木は、悪意に満ちた「石」でできている。木じゃない。」
大叔父「その通り。それを分かる君にこそ、後を継いでもらいたい。」
○生き物(人間)を殺すための刃物を研磨機(石)で研ぐインコ
○研磨機の土台は木製
→石にはそれを利用する者の意思が宿る。つまり、石を使う者に悪意があれば、そこに悪意が宿るということのメタファー
→木は植物であり精霊が宿るので、利用する者の意思が宿ることはない、ということのメタファー(木の精霊は描かれていない)
→大叔父は、自分の血を引き、かつ、若いのでまだ悪意を抱いていないであろう眞人に、創造主の地位を継いでもらい、地獄のようなこの世界を楽園のような世界にして欲しかった。
→スピリチュアルで言えば、大叔父は、自分自身の「統合」をあきらめて、まだ意識が分離していない(=統合されている)であろう眞人に、下の世界を託そうとした
○大叔父が暮らす楽園ではばたく小さなインコを見て「ご先祖様~」とつぶやくお付きインコ
→大叔父が小さなインコをどこかの時代から連れてきて、喋るインコへと進化させた
→大叔父の人間不信ここに極まれり
○眞人「この傷は自分の悪意のしるしです。」
と自身で付けた頭の傷を大叔父に示し、やんわりと後継ぎをお断り。
→眞人は、自分にも悪意があることを公言できるくらいに、自分自身でそれを認め受け入れることができた
→スピリチュアルでいうネガティブ、闇を「統合」した瞬間
→また、血縁、家柄などに束縛されない自由意思の発露
■■大叔父の悪意とは?
○「愚かな鳥よ」と青鷺に言い放った心
→他の存在を蔑み、差別し、自分のほうが優位な存在であるとみなすその心
→軽蔑や優越感は、「相手は間違っていて劣った存在だが、それと比べて、自分は正しく優れている」という自己肯定感を歪んだ形で感じたいという心理の表れ
→「どうせ自分なんて…」という劣等感や無価値観、自己否定や自分を卑下する心理の裏返しでもある
→差別は、「自分は清いが、相手は汚れている」という一方的な決め付けであり、嫌なもの不快なものは排除したいという穢れ意識の表れ
→親族以外の人間を招き入れないのも穢れ意識の表れ
→「鳥は下等」とみなすその意識が、「世界創造の石」に宿り、鳥たち他の生き物が生活していくには大変な環境、地獄のような世界として姿を現すことになった。
→創造主たる大叔父は、地獄になっている原因がそこにあることに気付いていない。自分の内にある何らかの悪意に原因があるということまでは認識しているのだが…。
○元の世界から突然行方不明になった心の内
→人間同士の争い、愚かさ、醜さを目にした際に自分が感じる苦しみから逃れたいがために、現実から目を背け、他人を寄せ付けず、自分だけの世界に閉じこもった
→大叔父が感じていた苦しみとは、ケガや飢えや病気などの身体的なものではなく、自分の心の中の動きであり、そこから目を背けるということは、自分自身と向き合っていないということ
→すなわち、自分の中の悪意と向き合えていないということ
●●青鷺(あおさぎ)
眞人のもう一人の自分、または
眞人の意識・魂の一部
→多分見る人によって、どうにでも解釈できる存在です。
→終盤、インコもペリカンもインコ大王も、鳥たちはみな眞人が元々いた世界に来て、鳥の姿になった(戻った?)のに、ふと気づくと、青鷺の姿だけ消えていた。
①ジブリ関係者の擬鳥人化
②別の時代から来た青い鷺
③眞人のご先祖様
④眞人の守護霊
⑤眞人のそのときどきの意識・心を投影した存在
⑥眞人の分身・魂の一部
⑦大叔父の分身
⑧ヒミの分身
⑨天使、天狗のような高次元の存在
⑩宇宙人
⑪宇宙から飛来した隕石の意識のかけら
⑫「世界創造の石」そのもの
⑬集合的無意識・超意識・宇宙意識
⑭その他
どれが近いと思いますか?
自分は⑤⑥がしっくりくる感じですかねー。
そのときそのときの眞人の意識を投影して振る舞う存在かなと。
お話が進んでくると、的確なアドバイスをするなど、スピリチュアルで言う守護霊やハイヤーセルフのような振る舞いもするようになります。
○青鷺「助けて眞人。お母さんが助けを求めてる。」
→眞人が無意識のうちに「お母さんに会いたい」という実母に抱いていた未練・願望が、青鷺を介して、そういうセリフとなって現れた。
○「本当は、夏子なんていなくなればいいと思ってるだろ?」
→「君たちはどう生きるか」を読んで涙し、夏子を母として受け入れると決めた眞人に、その覚悟を問うてきた
○「お前の心臓を食らってやる」
→眞人が青鷺に敵対意識を、なんならコロしてやろうという意思を持っていたので、その意識をそのまま鏡のように、青鷺が示す敵対姿勢として写し出した
○「隠れろ」
→だんだんと青鷺を信頼するようになっていったので、彼もそれに呼応して、的確な助言をするように
○「じゃあな友達」
→「青鷺も友達だ」と偽りのない心を叫んだので、その友好意識がそのまま投影され、爽やかグッバイに
●●シーンごとの考察2
○悪意が反映された下の世界の崩壊
→現実世界においても、闇側が作った様々な支配体制・ピラミッド構造がこれから崩壊していくことのメタファー
○下の世界にいた人間は、みな元の時代に戻る
→それぞれの自由意思で、それぞれ歩む道を決める。
○ヒミ「あたし、火、平気だよ。それに、あなたを生むなんて素敵じゃない。」と元の時代に戻ることを決め、眞人もそれを尊重する。
→自由意思の尊重
→火事で亡くなる世界線のまま?
→それとも、火耐性がついたから大丈夫?
→あるいは、火を自由に扱えたのは、下の世界のときだけで、元の時代に戻って火に触れたら、普通にやけどする?
○下の世界で生きること自体に苦労していたインコとペリカンも、眞人と同じ世界に来る(戻る?)ことで、みな自由に伸び伸びと羽ばたいていった。インコ大王も来た。
→これから眞人も自由に生きていく明るい未来を暗示
○「みんな友達だ!!!」
→人間とも、鳥とも、青鷺とも、みんなと仲良く生きていくという決意表明
→「愚かな鳥よ」と他の存在を蔑み、その意識が原因で、地獄のような世界を創造してしまった大叔父との対比
→でも、大叔父も最後の最後で「眞人、行け。元の世界へ戻れー」と眞人の意思を尊重して、その背中を押してくれたんですよね。
→自分が作った世界が崩壊を迎え、命も尽きてしまうかもしれない瞬間だったのに、子孫の幸せを心の底から願ってくれた。
そんな大叔父も含め
「きっと、この眞人なら、みんなと協力して、みんな豊かで幸せに暮らせる世界を作る…!」
そんな期待を胸に抱かずにはいられない。
そして、物語はエンディングを迎える…
…君たちは、君たち自身の世界に戻って来たよ・・
さあ、君たちはどう生きる?
賛否分かれますが。
産む生まれるということ
わけはわからないけど、なぜか満足感
観終わって映画館を出るときに感じた感覚は、知識ゼロで行った美術館の企画展を見終わったときのものに似ていた。
ストーリーはあって、テーマもあったように思うが、色々と描かれていたメタファーはわからないしキャラクターの性格がころころ変わってしまって一貫性がなく、大量に描かれた動物達が何のために登場したのか、門の中にあったあの墓は何だったのか、結局アオサギやなつこさんは何がしたかったのか全く意味がわからなかった。だが、いちいち描写が美しかったり、キャラクターの動かし方、いわゆるジブリ的な走り方や服の動きが好きだったりといった、内容とは関係のないアニメーションの技巧的なことやスクリーンを眺めていて飽きなかったという圧倒的な美といったことに対して満足感が得られたと言うのが1番自分の感想を表せていると思う。
ワクワクした、感動した、面白かった、
といったエンターテイメント性は無しに等しいが、観てよかったなという充実感だけは感じられた作品。
今後、何度か見る機会があればまた見え方も違ってくるかも知れない。
安心して観て大丈夫
何度も寝てしまった(泣)
サギとインコの神隠し(中略)
【タイトル】君たちはどう生きるか
【脳内変換】シン 火垂るの坂の となりの崖の上の城の 思い出の姫と サギとインコの神隠し を追うこども
帰りのエレベーターで若い女の子たちが「良かったね〜♪♪♪」と言っているのを聞いて、少なくともこんな陰湿なレビューを書く人間はお呼びでない作品なんだな、と実感した次第です。
というわけで、以下本作がお好きな方には大変不快なレビューとなります事をお断りしておきます🙇♂️
鑑賞後の第一印象は「疲れた…」の一言です。
元々上映時間が長い作品ですが、苦痛に感じるほど長かった…
スタジオジブリ作品らしく、素晴らしいアニメーションと美味しそうな食事シーン、幻想的な風景描写と、ファンなら各シーンで既視感を覚える画が随所に登場し、思わずにやけてしまいます。
ただ、ストーリーまでその辺ごちゃまぜした上に新しい展開を足そうとしたのか、過去作+他監督某作をまぜて煮込んだ上澄みでなく底の方をすくった作品、という印象を持ちました。
上澄みの方+αなら今までにない新しい味だったのかもしれませんが、煮込んだ鍋の底にある◯◯ガラとか香辛料の葉やら実やらを皿に盛り付けたようで、「知ってる味はするし、高そうな材料使ってるけど、この料理何…?」という感じです。
悪い意味で先の見えない展開、わからない人はついてこないでいいと言わんばかりの描写、でもジブリの作画はすごいでしょ?と。
ただ、その辺を気にしなければジブリらしさ満載のジブリファン待望、吾郎監督じゃない駿監督作品のファンタジーです。(ただし作画のみ)
大衆に迎合するようなエンターテイメント作品ではく、宮「﨑」駿 監督のやりたい事を詰め込んだ芸術作品なのでしょう。
ナウシカ、ラピュタの頃の感動をまた味わいたい一心でずっとジブリ作品を追っていましたが、いい加減卒業します。
今まで本当にありがとうございました🥲
この作品をどう見るのか?
戦争時代という冒頭の始まりから、その時代背景とその時代に失ってしまった母親。
なんだか、色んな要素がふんだんに詰め込まれるているパラレルワールド感に頭の中が混乱していた。
主人公の眞人が義母に心開けずにいる中で、その義母が行く不明になってしまう。
その義母を探す為に冒険に出る事になる。
背景などがどこかトトロやラピュタ、ハウルなどを思わせるようなシーンが組み込まれるているなと、思った。
ストーリーとしては、とても難解であります。
この作品は、原作を読んで、それを基にしているという感じよりもその作品からインスパイアされた作品だと思った。
他の人のレビューを参考に考察すると、異世界の世界は、(宮崎駿)の過去の栄光の中の世界である。
ただ、その世界が今にも無くなるのを前にして、残された人達は、どう出来るのか?
その問いかけは、少し傲慢さを伺えるのかもしれない。
自分と同じ事が、それ以上のものが作れるのか?
そんな風に聞こえてしまう。
それは、自分がいなくなってしまうという寂しさからくるものかもしれないです。
そんな要素を踏まえながらもこの作品を自分にとってどう観るのか?
それがこの作品をさらに楽しむ為の課題かもしれない。
全体的に難しい。
けども、最後の何気なく終わるシーンは、好きでした。
意見が分かれるのは分かる。けど・・・。
鈴木敏夫プロデューサーの「いままでいろいろな情報を出しすぎていて、観る方の興味を削いでしまっていたのかもしれないと思ったんです。最初は通り一辺倒の宣伝だけでもしようかなと思っていたのですが、一切宣伝しなかったらどうなるのか興味があった。これだけ情報化された時代に、情報がないことが、エンターテインメントになると思ったんです。」との意向がある以上、情報が入り込んでしまう前に観たかったので急いで(それでも公開から6日も経っちゃったけど)。
映画自体の内容はさておき。
これまで宮﨑駿監督が作ってきた映画のエッセンスが、あちらにもこちらにも散りばめられていて、これまでの宮﨑映画の回顧録のような感じがした。
その上で、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか」に込められた意図を自分なりに酌むと、”(監督である)僕はこう生きてきた。で、「(観ている)君たちはどう生きるのか」”と問われていると感じた。
拡大解釈なのかもしれないけど。
監督の”こう生きてきた”の部分が、これまで監督(やジブリの方々も共通して持っている?)が映画に込めてきた”反戦の思い”や”危うい世界を変えていきたい”という根底の部分を作品を通して表してきたことならば、その意思を受け取って受け継いでいってほしい、との願いが”大おじ”の言葉そのものだったのかもしれない、と思う。そして、主人公の牧眞人(ここでは監督自身の分身)は、”大おじ”とは違う方法でそれを達成したい、とも。
までも、色々と詰め込み過ぎたので、内容の1つ1つを理解するには膨大な時間が必要な気がする。その意味で、この映画自体の意見(賛否)が分かれるのかな、と思う。
『君たちはどう生きるか』の批判者について考えてみた
『君たちはどう生きるか』で言っておきたいこと二つ、三つ。
否定的な意見が多い理由について。
やってることは、宮崎駿のフィルモグラフィーにおいて、『千と千尋…』の頃から同じ、テーマ的にも映像・演出的にも、詰め込めるだけ詰め込んだ「全部乗っけ」の作品。
この作品だけが酷評されるのはおかしい。
でも、この作品が批判される理由は、よくわかる。
作品内容ではない、観る者に原因がある。
なお、私はそんなにまで、ムキになってかばう程のジブリファンではない。
むしろ、ラナやシータやクラリスを苛める、宮崎駿のいじわるロリコンっぷりが嫌いだった。
ロリコンはロリコンを嫌う。
スタンド使いはスタンド使いと引かれ合うとは逆の標語ですね。
さて、…『千と千尋』以降の、『ハウル』『ポニョ』『風立ちぬ』には、全方位に向かって喜怒哀楽を満足させようとしてくる、宮崎駿のスキゾっぷりがあった。
入れるテーマ、モノは全て入れてある闇鍋カオス状態みたいな内容だった。
でも、ちゃんと面白かった!
では、『君たちはどう生きるか』はどうか?
その違いは、鈴木敏夫プロデューサー主導の、宣伝なし・予備情報なし、の秘密戦略があった。
これにより、これまでの作品の豊富なスポンサーによるヒットを援護する宣伝がなくなった(今作において興行収入的には作戦成功)。
例えばテレビCMなどでの「ハウス食品は、スタジオジブリの新作『ハウルの動く城』を応援します」などがなくなり、つまり、その、CMなどで視聴者に印象付けられる、作品の一部紹介によって醸される【方向性】が一切なくなった。
ああ、これは、こんな話なんだ、と思わされることがなくなった。
⚪︎少女が迷い込む世界での成長
⚪︎おばあちゃんになっちゃった娘を愛してくれる魔法使い
⚪︎海の女王の娘が人間の男の子を好きになっちゃった
⚪︎空に憧れた青年が、航空機の設計士となり、病弱な奥さんとともに、戦争に突入していく
かように、まあ、見る者は、一行で語られるような話の方向性が、CMなど、もしくは作品紹介の数十秒の映像でナレーションとともに植え付けられる。
…だけども、そう言った事前情報がないことによって、映画を「誘導者」なしで観ることになり、自分の観点が進むべき、物語の方向性の道筋を、自ら探す訓練の出来てない者は戸惑ってしまい、つまらなく思えてしまう、のだろう。
いや、先程の一行概略以上に、「千と千尋」以降の宮崎アニメは、凄まじいギミック、サイドストーリー、色彩に彩られる。
そして今回、10年ぶりの宮崎駿の長編新作である。
SNSは、多くの問題をはらみつつも、熟成の時を迎えている。
ホームページ、ブログ、フェイスブックの時代からの意見者は高齢ともなり、批判はあまりしなくなっている。
良いとこを取り出した方が、残り少ない余生を楽しめるからだ。
でも、ツイッター、インスタなどの、比較的新しい、波及力のあるSNSでは、まだまだ、それを活用する者は「若い」「青い」、これは年齢のことではない、批評歴の浅さのことだ、そう言った人は、批判からはじめる。
批判できる自分に優越感を感じている側面もあろう。
巨匠にもの申しちゃう、しちゃえる自分、と言う優越感。
【10年ぶり】の宮崎アニメ新作は、その、恰好のマトになったとも言える。
わからないってことは、なかなか恥ずかしい側面もあるけど、わからないわからないと、それを根拠に批判できちゃう凄さ!
うらやましいほどの、それは「若さ」だ。
で、今回の宮崎駿の新作を見て、それぞれが下した判断こそが、「君たちはどう生きるか」なんだよなぁ。
さて、ちょっと作品内容に触れる話も書いておく。
大おじ様は、不思議な塔の中の世界を左右する、神のような存在であることに専念していた。
異世界に没頭していた。
だが、その世界は終わりを迎えようとしていて、次に、自分の血縁である若い主人公・眞人に、塔の中の世界の管理者を任せよう・移行しようとした。
これは、『エヴァンゲリオン』での、人類補完計画を推進した碇ゲンドウと、現実世界は辛く厳しいけど、そこに戻そう・戻ろうとするシンジ君と重なる。
宮崎駿監督は、この作品でも、まだまだ若く、貪欲で、昨今の流行りの作品に全方位で戦いを挑み、故に、こうしてエヴァも例外じゃなく取り込んでいる。
で、眞人も、シンジ君のように、ファンタジー世界で生きようとはせずに、家族で生きるに辛さもある…、戦争も激しくなる世界に戻って行く。
「君たちはどう生きるか」の答えを出すわけだ。
そして、ファンタジー世界で知り合う、若い頃の母親(不思議の国に迷い込んでいたエプロンドレスのアリスのような美少女)も、確実に死ぬ運命があるのに、【自分が亡き後の世界に希望を見い出し】、自分の現実・時代に戻っていく。
嗚呼、書いていてホロッとしてきた。
この、お母さんのパート、『想い出のマーニー』みたいだし、『まどか☆マギカ』みたいだし、
いや、これだけでなく、凄まじい数の既存作品に、宮崎駿は、若さをもってして、全方位に戦いを挑んでいる。
それは、「俺も、この程度なら同じふうにやれるんだぜ」ではなく、「俺なら、そのテーマをこう表現する、凄いだろ?」の、力を見せつけてきている。
宮崎監督、今作から、宮崎の「崎」の字を改名している。
ザキの右上の作りが「大」の字から、「立つ」の字になっている。
最初みたとき、なんか違和感を感じて、僕は、自分がゲシュタルト崩壊したのかと思っちゃいました。
しかし、これは、うげっ! 😵
新生・宮崎駿の爆誕を意味します。
この人、まだまだ、これから、やるんですよ。
なお、「千と千尋」以降の、混沌混濁した、とっ散らかされた、しっちゃかめっちゃかの宮崎作品ですが、
海外では大ヒットする可能性があります。
それは、海外版だと字幕になるからです。
難解と言いますか、庵野監督の「エヴァ」もそうですが、数々の読み解きを必要とする「千と千尋」以降の宮崎アニメですが、わりと細かいセリフで筋を通してはいるのです。
物語とセリフを詳細に考えていくと、なるほどと納得も出来るのです。
字幕は、その咀嚼により、記憶への定着が深い。
だから、海外での字幕での鑑賞で、評価が高まる可能性がある。
(追記)
と、ここで、新しい情報が入りました。
アメリカなどでは、海外のアニメの上映は、吹き替えが主流なんだそうです。
それじゃ、日本人が日本で鑑賞するのと、まあ、さして変わらない環境なんだね。
ありゃま、俺の終盤の主張が根本から覆された!
終わった。
いまいち
うーん映像と絵は美しいしそのためだけに映画館で見る価値はあると思う。
テレビで見たら飽きてチャンネル変えるか寝てしまいそう。
個人的には開始1分で帰りたくなった(苦手な描写だったため)
ただ後半はいかにもジブリという感じでかわいらしい部分もあるしまぁまぁ良かったかなぁ。
これまでのいろんなネタの詰め合わせという感じで、ストーリーは正直まとまってない感じがしたので、これならこれまでの名作をひとつずつ楽しんだほうが良いかな、と個人的には感じた。
あんまり共感できるキャラクターがいなかったからかも。途中いきなり泣きだしたり、でもそこまでのストーリーが描かれていないので唐突になんでこの人泣いてるんだ!?みたいな…。
ちなみに私は明るい映画が好きで、暗いのは好まないので、ジブリは魔女宅やトトロ、耳すまあたりが好き。紅の豚や風立ちぬも好き。もののけ姫は飽きていつも途中で見るのをやめてしまう、というか暗くて血生臭くて無理。千と千尋もテレビでやっていたら見るしまぁ面白いとは思うけどあんまり好んでは見ない。あ、ハウルは好き。ラピュタも。
そんな感じなので、暗めのジブリもいけるぞって人には刺さるのかもしれない。
とんでもない怪作
???
事前情報皆無が良い方向に転ぶ(ただしそういうのが好きな人だけ)
万人にウケない。そういう意味でこれまでのジブリではない。
もうちょっというとハウル以前のジブリではない。
例えばこれと同じストーリーを宮崎駿ではなく若手が出したらどう言われるだろうか?
おそらく雰囲気映画、説明不足、視聴者おいてけぼりと言われるだろう。
もちろんそれは宮崎駿が出していてもそう言う人がいる。正直、私もそう思う。
あれは何の隠喩、あれは何のメタファー、あれは何の象徴。深読みすると面白い…。
そんなもん「知ったことか」です。見てて面白くなければ娯楽作品ではない。
で、そんな出だしから始まりましたが星4です。
これは面白い。笑えるシーンは少ないし、混乱するし、場面転換や世界観の急激な変更についていけない事もあるけど、これは面白い。
「あれ?今こうですよね?」「それは何?」「なんでこうなったの?」こんなのの連打です。
伏線回収はありません。隠喩されているけど解釈は人によって違っても良いものになっています。
宮崎駿の頭の中ではしっかりできているのでしょうが、それは演劇で言う舞台装置の裏側です。
「あの役者が空を飛んでいるのは実はワイヤーで釣られているからでね」そんなもん本編には関係のない話ですし無粋です。
そういう世界がある。そういう人がいる。そういう展開だ。
まるっと呑み込んで そのうえで自分の中でゆっくり消化できるならばこの映画はとても示唆に富んだ面白いものだと思います。
冒頭で述べた通り、絶対に万人にはウケません。
ジブリでいうなら、ポニョがダメな人にはおすすめしません。
わかっているストーリーの答え合わせしか認めない人には本当に理解不能だと思います。
知らないものを楽しめる人はこの世界観に翻弄されて楽しめるのではないしょうか。
もちろん、楽めるかどうかと分かるかどうかは別です。「わかる人」という表現はやめた方がいいでしょう。さっぱりわからん。
わかった気になっている人、が正しいと思いますし、その「わかった」が正解かどうかは永遠に答え合わせできないです。ただし自分の中で「わかった」気になれた人は この映画を一番楽しめている人ではないかと思います。
そして「自分はこう解釈した」と発表できる方は それだけで発信者でありクリエイターとして賞賛しますし、その解釈の正誤や 齟齬なんかどうでもいいです。
他人の解釈のアラ探しするくらいなら是非 あなたの感想をお伺いしたい。
あえてひとつだけ言うとすれば……。
仕事で頭使ったあとの深夜映画で見に行くもんじゃありません。
猛暑で弱った体で行くもんでもありません。それなりにコンディション整えて「さあこい」って感じで見に行くと良いでしょう。
賛否両論
主人と、小学生の娘二人と観ました。
下の娘には退屈な二時間であった様です。(誰が観ても分かりやすい映画を好む主人も同じく。)
くすりと笑える&ワクワクする要素もあまり無いですし、説明が皆無なので小さい子供や低学年には不向きでしょうか…。
一方、上の娘は、何度も涙を流していていました。
「途中、吉野源三郎さんの原作とは、全く違うな…と思ったら、観終わった後、初めて吉野源三郎さんの君たちはどう生きるかを読み終わった時と感じたことが一緒だったからビックリした。
(娘は吉野源三郎さんの君たちはどう生きるかの大ファンで、去年、読書感想文も同作にして、この一年で何十回も読み返している経緯があります)
色々な思いで胸が苦しくて切ない…」
と。
間も無く思春期を迎える娘には心揺さぶられ、感じるものがあった様です。
この映画の感想を敢えて一言でまとめるなら、
「私は正直に自分軸で生きたい」
だそうです。
そして私の感想ですが…
多くは語りませんが、映画を観てこんなに泣いたのは、何年振りだろう。
映画としては、少し荒い部分が要所要所でありました。ですが、宮崎監督、最後の作品だとしたら、
個人的には、風立ちぬより相応しいと思えた作品でした。
(風立ちぬも素晴らしかったですが。)
またすぐ観たいです。
画面を見よ、まず絵を見よ
これはもう「画面を見よ、まず絵を見よ」な映画。物語の意味さがしに類することはいろいろ行われるだろうけど、あの老婆たちに『白雪姫』の「七人のコビト」が影を落としているのがあまりにも明らかなように、たぶん出典を見つけてゆくのはむしろ容易すぎるくらい。しかも過去の宮崎作品の記号がくりかえし利用されているのは、誰の目にも歴然。つまりそれらはこの映画では別に「暗号」でもなんでもなく、読み解くことを期待されていない。
そういうふうに絵が物語を伝達する器にすぎないものと理解することから離れて、まっすぐ画面に向き合うことができれば、これほど豊かなテクスチュアを持っているアニメーション作品も、そうはない。
水、風、木の匂い、泥と石の手触り、カエルの粘膜、血の味、火花の痛み、弓の弦の音、等々…。これはそういうものを「絵」だけで作り出して動かしていることのすごさに驚くべき映画ですね。
いい映画でした。
ファンタジーとしては良かった、でも内容がよく分からなかった
キャラの行動原理や感情が不明。
例えば主人公の義理の母が塔に入った理由が分からなかった。
あと、主人公の義母に対する感情も不明。
義母のことを好きなのか嫌いなのかが分からない。
後半ではお母さんと呼ぶようになる事から、母として愛しているという推測ができるが、その感情が、なぜ芽生えたのかが分からない。
青鷺と現実世界
火事で母を亡くした少年、眞人。
戦争が始まり4年。東京から地方の大きなお屋敷へ移住。そして父親と再婚した母の妹がいる。
そこには青鷺がいる。不思議なパラレルワールド。
風立ちぬで消化出来ずに創られたのでは。
自分が持っていた母親への投影。父親の姿。
高畑勲さんや吾朗への思いをキャラクターに被せて。
別世界から色々な話を持ってくる鈴木敏夫さん
っぽい青鷺。
彼らが世に出してきた13作品に対して、自分達は
こうしてきた。人はいずれは死ぬ。
現実世界は糞まみれの嫌な世界だけど。
君達は何か残せるのか?
残したきたのか?
どう生きる?と問われてる感じが。
集大成的な気持ちと別れのニュアンスを感じる
作品でした。
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