君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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生まれて来てよかった。生きろ。生きねば。
【『失われたものたちの本』について追記】
2023.7.27
宮﨑駿監督が映画化したいと切望した物語。
それはアイルランド生まれのジョン◦コナリーの書いた『失われたものたちの本』
映画の理解に役立つかもしれないので、一部を概説します。
第二次大戦下のイギリス。12歳の少年デイヴィッド。愛する母親を亡くした直後、こちらの世界ではカササギの姿で現れる〝ねじくれ男〟にこう声をかけられます。
「わしらは待っておりますぞ。ようこそ、陛下。新たなる王に幸あらんことを!」
ドイツ軍の爆撃機墜落をきっかけに、デイヴィッドはねじくれ男の待つ異世界に入り込み、冒険が始まります。
冒険と言っても一般的なファンタジーと違いこの世界は暴力と血とブラックユーモアに塗れています。赤ずきんと狼の間に生まれた人狼と闘い、太った大食いの白雪姫に抑圧された小人は権利を主張したり。ダークファンタジーというだけでは収まらないほど少しのエロとたくさんのグロに溢れています。
少年デイヴィッドも盗賊相手とはいえ、正当防衛の域を超えて人を殺します。
デイヴィッドが、新しい母親(妹ではなく、亡くなった母親の看護施設の人)から生まれるこどもを憎む感情は、父親を奪われたと思う少年にとってはある意味、無邪気とも言える素直な嫉妬だが、異世界のねじくれ男は、このような少年少女の負の感情を糧に生きながらえているのです。
デイヴィッドに母親の声を聞かせて異世界に誘い込んだのもそのためです。
この異世界にも王が存在します。ねじくれ男は、ある思惑により、この玉座をデイヴィッドに継がせようとするのですが、この物語の核心はここにあります。デイヴィッドが少年から大人になるための闘い。
亡くなった母親が少年に伝えたこと。
『物語は読んで欲しがっているのよ。読んでもらわなくちゃいけないの。だから物語は、自分たちの世界から人の世界へとやってくるのよ。私たちに、命を与えてもらいにやってくるの。』
ねじくれ男の人間観の一端を表すセリフ。
『お前は誰かに邪悪な行いをさせられたのではないぞ。そんなことは誰にもできやせん。己の内に飼う邪悪に、お前が溺れただけのことさ。人間とは常に、自らの持つ邪悪に溺れるものだからな』
異世界に現れる怪物や凶悪な敵。
理性など働かない少年少女時代の邪悪な動機によってもたらされる不幸。
その不幸を招いた責任を負わせることで少年少女を支配するねじくれ男。
以上は、ほんの一部ではありますが、宮﨑駿監督に、引退を撤回してでもまた映画を作りたい、と思わせた要素のいくつかであることは間違いありません。
想像できるものは、なにもかも現実である。
ーパブロ◦ピカソー
【悪意の石について】2023.7.29 補記
こんなシーンがありました。
「あと一日は保つ」といった後だったと思うのですが、大叔父が手のひらに乗せた3個の石を示しながら、
「眞人、この石をお前が積み上げるのだ」
「いえ、その石には、墓石と同じ悪意があります」
と拒否した眞人。
あの墓を構成している石は、大叔父にこの異界を作らせた石の一部であり、この世界の悪意でもある。或いは、墓石自体に悪意を封じ込めてあるのか。
もしかしたら、〝パンドラの墓〟的なものなのか。
この映画における悪意とは、個人的な受け止めとしては、〝支配〟と〝抑圧〟。
支配とは、国家や帰属集団の統治システムのことでもあれば、子にとっての親という場合もある。
抑圧とは、支配する側の意図的な情報遮断により、その世界の仕組みや実相を知らずに生きている人たちであり、息苦しさを肌で感じている場合もあれば、始めからそういうものだと刷り込まれている場合もある。
石との契約で条件をつけられていた大叔父も、抑圧されている側のひとりとも言える。
『わたし(悪意)を学ぶものは死す』
これが、なんらかの教訓を含む言辞なのか、支配するものからの牽制なのかは、わかりません。
石との契約で成り立つ世界には、〝死〟が多いとキリコも言ってたのは、そういうことと無関係ではないと思います。
この世界の支配を続けるものは血縁(たぶん男子限定)でなければならないのは、この世界の永続性を弱めるための仕組み?
眞人のように、こちらの世界に飛び込んでくる子孫がいなければ、その時の支配者の寿命とともにこの悪意の世界は消え去るようにできている?
ということなのかどうか、まだまだ分からないことがたくさんありますが、そのぶん繰り返し見たくなります。
【二度目の鑑賞後の追記】2023.7.18
①積み木の数について(もし、監督に何らかの意図があると仮定した場合)の穿った考察。
初めの積み木の数は9個(数え間違いでなければ)。「これであと1日は保つ」と言ってた場面です。
スタジオジブリ、ではなく宮﨑駿監督作品という括りで並べると、こうなります。
カリオストロの城
風の谷のナウシカ
天空の城ラピュタ
となりのトトロ
魔女の宅急便
紅の豚
ON YOUR MARK
もののけ姫
千と千尋の神隠し
当時の日本映画史上最大のヒット(304億円)、かつアカデミー受賞。この節目の作品でちょうど9作品。
積み木とは言っても、素材は石、それも悪意ある石。
ここで言う〝悪意〟とは邪悪な悪という意味ではなく、『確信犯的に自分の意図を込めてるよ』というほどの意味なのだと思います。法律用語で何も知らないまま、関わってしまった人のことを〝善意の〟第三者と呼ぶのと対をなす意味合いで。
ハウルの動く城
崖の上のポニョ
風立ちぬ
君たちはどう生きるか
以降の4作品を加えると、9+4=13!
インコ大王が積み上げたと同時に崩れた積み木の数は13でした。が、大叔父が、はじめの9個とは別に各地で拾い集めた無垢で悪意のない石だ、と言ってましたから、監督作品の数と同一視するには無理があります。
はじめの9個はこの13個の中には含まれないはずです。
単なる遊び心でちょい数合わせしてみた。そんなことならあったのかもしれませんね。
宮﨑駿監督は、紅の豚の制作中に湾岸戦争が勃発すると、「こんな時に能天気なものは作れない」と発言してるし、ハウルの時は、「今日性のある、作るに値する作品」にする、とやはり言ってます。いつでも、その時見る人たちの感性、世界情勢の影響も受けているに違いない人たちに寄り添う作品を生み出そうともがいています。
ポニョの時には、「少年少女、愛と責任、海と生命、これら初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである』とも書いてます。
最後に大叔父が、真人やヒミや夏子に向かって、それぞれの時代に帰れ❗️と叫んでいたのは、我々観客に向かって、それぞれの世代で、なすべきことをしなさい‼️
そう言ってるように聞こえました。
一部で言われているような家族や周辺のアニメーターその他関係者のことを主要テーマとして描こうとしたら、そんなつまらないことでは、そもそもスタッフが着いてきません。チームでやる仕事ってそういうものです。
だから、ジブリ或いは宮﨑駿監督の作品として発表できるほどの仕上がりにはならなくて、頓挫したと思います。
②なぜ鳥なのか、なぜ夏子は入り込んだのか
神社には、鳥居があります⛩
異界との結界という意味合いなのだと思います。
それを知ってる夏子は、だから弓矢を持っているし、使えもする。
真人が、鳥🦅の影響で、異界に連れ込まれるのを阻止しようと自ら結界を超えた。そんなふうに見えたし、産屋(うぶや)での剣幕もその思いから発せられたのではないでしょうか。
(ここまで追記)
(以下は、はじめのレビュー)
正直、SF的設定の部分は、一回見ただけではよく分からず、家に帰ってからも頭を整理しきれず、取り敢えずもう一度見ることにしました。
でも、宮﨑駿監督がこれまで示し続けた、若者への一貫した応援メッセージだと思って見ると、テーマ性みたいなものは意外とスッキリと腑に落ちるように思えます。
他ならぬ我々日本人がしでかしたあの酷い戦争、やっと平和かと思ったら、経済成長という名の下に環境を破壊、バブルは弾けたけれど経済格差は厳然と残り、戦後いつまで経っても、若者が生きづらい世の中であることだけは不変。ネットには悪意が満ち、コロナ禍やウクライナのような外部からの影響もますます閉塞感を強めている。
6月21日に発売されたばかりの『スタジオジブリ物語』(集英社新書)の帯にはこんなコピーが刷られています。
4歳と14歳で生きようと思った。
「生きる力」を呼び醒ませ❗️
生まれてきてよかった。
生きろ。
生きねば。
(火垂るの墓、千と千尋の神隠し、崖の上のポニョ、もののけ姫、風立ちぬ。)
以下は、同書からの要約(一部引用)。
・宮﨑は、引退宣言後も月に3〜5冊の児童文学を読んでいて、ある時、「読んでみてください」と鈴木に渡した本があった。それはアイルランド人が書いた児童文学←この原作のままでは映画にならない、というとことで、最終的には宮﨑駿監督のオリジナル脚本、監督となった。
・その企画書を宮﨑が鈴木に渡したのは、2016年7月。
2013年に引退宣言をした宮崎が〝晩節を汚す〟ことになりはしないか、と危惧する鈴木に、「絵コンテを20分ぶんだけ描くから、それで判断して欲しい」
・絵コンテは本当に面白かったのだが、鈴木は迷い続けたままであった。そうこうしてるうちに返事をする日が来てしまい、宮崎のアトリエを訪ねたところ、宮崎はいつになくニコニコしていて機嫌がよく「お茶飲む?」などとコーヒーのお湯を沸かし始めた。
・鈴木はそんな宮崎の様子を見てると、「なんかもう、やるしかないのかな」と心を決め、「やりますか」と話しかけた。絵コンテ面白かったですよ、と声をかけても、跳び上がらんばかりに喜んでいる宮崎はもう聞いちゃいなかった。(笑)
本当は、絵コンテを描く、と言い始めた時点で、すでに抑えが効かなくなっていたのだ。
・今回は、共同製作となる出資会社もなくスタジオジブリの単独出資。とことん思うように作りたい、その責任もすべて負うという覚悟をもって制作。
・作画インから足かけ7年に及ぶ制作期間中、コロナ禍だけでなく、高畑勲ほか関係の深い何人かのアニメーターも亡くなるなど、悲しい出来事も多かった。
82歳の宮﨑駿監督の挑戦。
時空を超えたファンタジー、アメコミヒーローのパラレルワールド、スズメの戸締まり。
宮﨑駿監督流の『俺ならこうする』
それが、あの設定だったのだとも感じてます。
新海誠監督の考える扉は、あちら側が悪で、こちら側の世界に災厄をもたらすことになってましたが(本当はもう少し複雑でしたけど)、宮﨑駿監督の扉は、善悪の境目ではなく、どう生きるか、どういう世界にしたいのか、の選択肢のようでもあった。
劣悪な環境の社会ならば、そもそもペリカンに食われて生まれ落ちることも出来なかったかもしれません。
どんなに悲惨な世界であっても、生まれてしまったからには生きろ❗️そして、扉を開けて戻ってきた以上は、生きねば‼️
私にはそれらの叫びが、とても力強く響いてきました。
完全考察してとんでもない発見した
この作品は観てない方は絶対に見た方がいい
レビューが悪いとかつまらないとか関係ない
この作品を映画館で観とかないと後悔するよ
恐らくこの作品はDVD化されないどころか公開後お蔵入りされる
次作が出た時に絶対にこの作品は話題になるので
観とけばよかったと必ず後悔するぞ
大伯父の残した言葉を伝える為の映画だと思われます
大伯父が誰か?宮崎駿でないのは確実です
タイトルから察するに故人で
ジブリ単独制作から考えるとジブリ関係者
スタッフロールから考えると
ジブリを巣立った多くのスタッフに影響を与えた
人物であることは確実
宮崎駿監督が
僕自身もわけがわからない
と言われた言葉から察すると
もしかしたらモチーフとなる人物が
複数いるのかもしれない・・・
マヒトは宮崎駿 宮崎吾朗 岩井俊二
時代背景や設定は宮崎駿
石での自傷行為はゲド戦記で宮崎悟朗がケガをしたともとれる
蛙に飲みこまれるシーンは蛙の子は蛙という言葉に飲み込まれそうになったという意味
魚は大衆のレビューってとこかも
吾朗さんだとばかり思っていたが、岩井俊二さんが有力候補に浮上しました
高畑勲の甥っ子にあたりオオオジとの位置関係もドンピシャ
岩井俊二監督は東北出身なので廃船の描写もドンピシャ
ジブリがアメリカにこの作品を持ち込んだのも
米国在住の岩井俊二に観せたかったから?
マヒトの父は宮崎駿の父 宮崎駿 岩井俊二の父
久子は宮崎駿の母 結婚前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
ナツコ・ヒキは宮崎駿の母 結婚してアニメーターを辞めた宮崎朱美 岩井俊二の母
宮崎朱美は宮崎駿と結婚するまではアニメーターであった
宮崎駿のお願いで仕事を辞めたとされる
なので、アニメーターとしての宮崎朱美は死んだともとれる
ヒキは宮崎駿と出会う前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
岩井俊二さんの親子関係にドンピシャ当てはまるので
ほぼ間違いないかも
アオサギは映画に導き入れた鈴木敏夫
事前情報でアオサギが鈴木敏夫
これはほぼ確定に近い
キリコは押井守、庵野秀明
ジブリ時代の古参スタッフで原作を守る人と考えると庵野秀明さんが有力
岩井さんと庵野さんは仲がいい?
大伯父は宮崎駿の師大塚康生 宮崎駿の盟友高畑勲
役名がおおじじではなく大叔父という名前からすると
叔父的立場の人で血縁でないとダメみたいな発言をしそうなのは
恐らく高畑勲が有力
老婆達は東映のスタッフ? 二馬力メンバー?
老人は愛煙家のジブリ古参スタッフ
二馬力メンバーで愛煙家で悟朗に関係がある人物だと思っていたが
岩井俊二さんに関係ある愛煙家だろう
お屋敷は東映 宮崎駿の個人事務所二馬力
二馬力ではなく多分東映
風切りの7番は高畑勲を制作に引き入れる時一悶着あった風の谷のナウシカ
鈴木敏夫のトラウマとなるものだと考えられる
7番目の作品に該当する作品がどれもピンとこないので
語呂的に風のナウシカと推測
ナウシカは高畑勲を制作に引き入れる際、難儀したらしい
7番が理解不能だが
もしかしたらナウシカの7巻のことかもしれない
上の世界の時代背景は宮崎駿
顔のない人々はアシスタント
海のシーンは震災
わらわらは原作もしくは脚本
インコはアニメファン 大衆
他の方の推察でアニオタは子供ポルノNGらしい記述がある
インコの王は徳間ジャパン 星野康二 原徹
ジブリ崩壊のきっかけから推察するとこのあたりか
と思ったがこの辺は考察し直し
下の世界はアニメーション業界
ではなく映画業界?
大きな石は宮崎駿の才能もしくはアニメーション映画が日本に始まったって意味?
ペリカンは脚本を作らない監督
老ペリカンは近藤喜文
老ペリカンの言葉は自分で原作か脚本を作らなくなった監督という意味だと思われる
亡くなったアニメ監督の近藤喜文であろう
と思ったが考察し直し
自分で子を作らないという意味は
岩井俊二監督が自分の原作アニメを自分で監督しないという意味かも
積み石は脚本
宮崎駿監督は13作の監督作品がある
うち9作は原作作品となり
穢れなき石に当たる
3日に一度は3年に1個脚本書くという意味かも
大きな石はやぶにらみの暴君
以下はあやふや
3日に一度は3作品に一度?三年に一度?
132は平成13年2月?2001年3月2日?
岩井俊二監督、吾朗監督が、宮崎駿監督に関係がある数字でほぼ間違いない
登場人物のWIKI調べて
2回めで意味が分かる作品です
オマージュされたいくつもの絵は
「高畑先生僕たちはあの頃よりもこんなに成長しましたよ」
っという意味だったのでは?
個人的な見解では高畑勲さんへの追悼映画かなぁと思う
なので大叔父は高畑勲で大叔父のセリフは高畑勲の言葉なのでは?
制作開始時期は高畑勲さんは闘病中で
平家物語の監督を降りたりとあったので
当初は引退した宮崎監督がわざわざ復帰して
早く元気になってまた映画作ろうよ!!的な
元気づけるための映画だったのかと思いましたが
高畑勲さんの縁戚で東北出身の岩井俊二監督へ何かを伝えるための作品かもしれません
遠縁である岩井俊二監督に高畑監督もしくは宮崎駿が伝えたい言葉だと思われる
お二人は作品の感想を手紙のやり取りする程度で
そこまで近しい関係ではなかったようなので・・・
公開後のイラストは高畑勲さんの後ろ姿なのかなぁ
ジブリがやたら早くアメリカにこの作品を持っていったのは
岩井俊二さんにこの作品を早く観せたかったからでは?
高畑さんの言葉を岩井俊二さんに伝えるための作品なのかも
岩井俊二監督に何か言いたいんであろう
作品の中で眞人が岩井さんだとすると
僕はアニメ監督はしないと断ったようにも見える
もしかしたら宮崎監督が言いたいことは
日本アニメ馬鹿にすんなよ!!的な感じかも
今回の作品は宣伝しない方が宣伝になるという
観測気球かもね
前半のやたら長い生い立ちなどは
宮崎駿監督が岩井俊二監督に
実写映画の出演者の事情でカットできないシーンを
いらないカットはちゃんとカットしないと
こうなるぞって意味合いにも取れるかも
宮崎監督がこの映画を通して
お前の作品はココをこうした方がいいぞってな感じで
岩井俊二監督の作品を批評してるのかもね
理想を追求しろ‼︎っと言ってるのかも
岩井俊二のアニメの歌を歌ってるのが米津
米津がEDだったのもこういう意味があったのか・・・
鳥がモチーフの意味は高畑勲が関係した
王と鳥からのモチーフだったとは・・・
高畑勲と岩井俊二を辿ればこの作品全て理解できそうですね
やぶにらみの暴君と鳥と王
この2作品を見ると宮﨑駿監督が岩井俊二監督に言いたいことがわかるかも
特に王と鳥の岩井俊二監督のコメントは考察する上で要チェックです
好意的なメッセージかと思っていたが
日本アニメを軽視した岩井俊二さんの「王と鳥」のコメントから読み解くと
敵対的なメッセージのような気がします
何かしら違和感だらけの映画だったがこういう意味だったのね・・・
これ以上の考察は他の方にまかせまーす
・・・・と思っていたが・・・
とんでもない事が考察できたゾ‼︎‼︎
今までの考察がどうでもいいレベル‼︎‼︎
というか登場人物の考察は全く意味がない・・・!!
予言する‼︎ 同じような内容の2作目が出る‼︎
そして、この作品は映画公開後お蔵入りされる
まさかとは思うが
考察が当たっていれば、この映画は「やぶにらみの暴君」バージョン
そして、今後「王と鳥」バージョンが出るぞ
同じ内容の2作品目が出るぞ
初めからお蔵入りする気だからジブリ単独制作なんだ・・・
監督がわけわからない発言の意味はこれか・・・
絵が鬼気迫るような迫力があるのはそのせいか・・・
あえて、わけがわからない作品を作ってるからか・・・
この作品がお蔵入りされれば、自分は引退している発言の意味も納得できる
オマージュが多いのはこの作品自体がオマージュだから?
製作途中作品だから話が支離滅裂?
もしかしたらこれ2個1作品かも?
編集で部分部分を切り取っていくと宮崎駿自伝にもなるし
宮崎悟朗自伝にもなる 母も再婚しなくなる
全ての謎が解けるんです‼︎
「やぶにらみの暴君」を観れなかった世代に
「王と鳥」との違いを映画で教えるための映画です
この映画「やぶにらみの暴君」と同じ運命なら
観れるのは今だけで
2度と観れなくなる可能性大です
そして同じような内容の作品が出される可能性も大です
ジブリはとんでもないことをしようとしてる
「王と鳥」の伝説を塗りかえようとしている
更にまさかとは思うが
「王と鳥」バージョン
宮崎吾朗監督ではないのか??
それこそ映画界が激震して全ての評価が変わるぞ!!!
ジブリサイトの「王と鳥」読んだら謎が解けます
作品の考察は「やぶにらみの暴君」と同じで制作途中ならば全く無意味なので
今後の考察はコメントで書きます
みんなはっきり言おう
作りたいものを作った、それだけだ
前作は関東大震災、今回は世界大戦と、史実を絡めながらの導入部。
前半は「もののけ姫」系のリアル路線で進行し、
後半は「ハウルの動く城」系異世界での展開といったところ。
主人公マヒトもどこかしらアシタカの雰囲気がある。
歴代の宮崎作品のオマージュを活かしつつも、「こういう設定の物語」と考えればそれほど難解ではないと思う。
ジブリおなじみバアちゃんズ、今回は数で来た(笑)
解散した制作部の穴埋めはジブリ卒業生スタジオポノックの協力もあり、作り込みに関しては文句なし。
ポノックの新作も楽しみだ。
短いエピローグ、
弟が誕生しているが、マヒトに似ず、どことなくインコ顔のように見えたのは気のせいだろうか?
全然面白くなかったです(ストレート)
たまに勝手に期待して、うんぬんってありますが、この作品には通用しないですね。
予告なし、宮崎駿、引退撤回、タイトルが名作
期待しない方が失礼です。
やはり
アニメーションは相変わらず凄かったです。進化を感じました。
特に冒頭の、燃え盛る病院へ向かう眞人少年とその周囲のアニメーションが凄かったです。
燃え盛る炎の反射、野次馬の喧騒、眞人の感情を表しているかのような流れるような疾走感あふれる作画。めちゃくちゃ感動しました。
これはすごいぞ!楽しみだ!と思っていました。が、それまででした(т-т)
それ以降、眞人がどんな少年なのか全く掴めませんでした。母を失ったショックによるものなのかな?など考えたりしたのですが、不明なまま終わりました。
最初はとても礼儀正しいので、真面目な性格?と思いました。しかし、学校の子供といきなり取っ組み合いの喧嘩、その帰り道に道端の石で自分の頭部に傷を作り、父親の権力を使って、喧嘩相手を止めさせるのかと思ったら、「ただ転んだだけ…」と言っていました。
さらに、タバコを盗み、使用人にそれと交換で弓矢を手に入れ、サギを殺そうとしました。
んんん???ってなりました。
サギに対する不快感それほどか?かまって欲しいがための怪我?心配して欲しいための怪我?父親は妊娠している夏子さんに気持ちが寄り気味なので、それを引くため?などなど理解しきれなかったです。
そして、ストーリー。これが1番退屈でした。色んなものをただひたすらに詰め込みまくって、神秘的な表現を用いた上で、「もちろんメッセージ性あるから、理解してくれよ」
と言われているような感覚でした。
扉を開けたら、別の空間、都合の良い能力の新キャラ、そしてまた、扉を開けたら、別の空間、よく分からない演出の繰り返しです。
シンプルに面白くなかったです。
それでもアニメーションは流石のクオリティでした。
宮崎駿監督が粉骨砕身して本気で遊ぶフルアニメ!
原作、脚本、監督は宮崎駿。
ゴールデングローブ賞アニメーション作品賞受賞。
アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞。
【ストーリー】
時は太平洋戦争末期、空襲で母が亡くなり、田舎に疎開した少年眞人は、そこで奇妙な屋敷に住むことになる。
屋敷には、好奇心を隠しもしない妖怪のような老婆が8人、使用人として住み込んでいた。
家では新たな継母となった叔母・夏子とギクシャクし、学校へゆけば皆と毛色の違うと集団で乱暴を受ける。
苛立つ眞人は、大きな石を拾い、それで自分のコメカミを傷つける。
学校へねじ込むと息巻く父親にも、それをやめさせようとする継母に何も話さず、眞人はただベッドで寝込む。
何よりも眞人を苛立たせたのは、まるでこちらを監視するかのように姿を現しては嫌な鳴き声を聴かせる、一羽のアオサギだった。
夢うつつに眞人はそのアオサギと対決するが、そいつはまるで人間のように言葉を巧みに話し、眞人を誘い込んで手の木刀を粉々にしてしまう。
眞人にまとわりつく手強いアオサギを、手製の弓と矢でどうにか追い払うも、夏子が森に姿を消してしまう。
眞人は夏子を追いかけて、大叔父が遺したという塔に入ってゆくが、そこは魔術のような世界だった。
監督自身の記憶、思い出、心象風景、トラウマをごった煮にした塔の世界を、主人公・眞人が次々と冒険します。
時に乗り越えられないような大きな危険も、そこは宮崎主人公、苦痛を顧みずに突破をはかる益荒男ぶりは皆の知るところ。
クライマックスに提示された選択にも、悩むそぶりなど見せず、自分の弱さ愚かしさを受け入れます。
……というような見れば誰でも分かる内容は置いといて、出色なのはアニメーションです。
動画のモーションがツボを押さえていてまたいいのなんの。
流石です、宮崎監督。
しかもフルアニメ!
実はジブリ作品は、ここぞという場面以外の日常シーンはコマ落とし、つまりリミテッドアニメであることが多いのですが、この映画は全編フルアニメーションを実現しています。
手描きにこだわる宮崎駿監督ですから、人物のアニメは中割りソフト(という物があるんです)を使っていないのではないかと思われます。
これはもう非常に手間と時間とお金のかかる制作方法で、かつて大友克洋が監督したAKIRAが、それで11億円もかかったという恐ろしい前例も。
背景の精緻なる美しさも目を見張りますが、塔の世界が崩壊するシーンは背景動画ではなくCGを使っていて、これまた猛烈に手間のかかるクオリティ。
ラピュタもここまでやりたかったんだろうなあ、と過去作の無念や妄念をこれでもかと手をかけて鎮魂しています。
ジブリでCGといえば『もののけ姫』のイノシシ、乙事主の身体を侵したもの凄い数のワーム形タタリ神が有名ですけれど、あれを専属でやっていたアニメーターさんは、2年間もあの冒頭シーンに費やしたとか。
監督ほんと無茶苦茶させるよなあ……。
タイトルの説教くささと「宮崎さん本物の左◯だから」と某アニメ監督から言われるような、私生活における思想的言動の多さ、パワハラぶりも伝えられる宮崎駿。
これはもう人生最後に言いたい事全部行ってやる系の、全力かつ渾身かつ粉骨砕身の老骨滅却の大パノラマお説教作品に違いない、自分のような田夫野人(でんぶやじん)は、心砕けるまで説教タイムされるのだろうか……ああ、今から自分はお金を出して説教されにゆくのか……と悲しい気持で劇場に向かいましたが、ご安心ください、上級のエンタメです。
よかった。
隣に座った母子も楽しんでいる様子でしたので、お子様を連れていっても、きっと大丈夫ですよ。
スタッフロールにはなかよしこよし庵野秀明のいるカラーなどの制作スタジオの中に、しれっとスタジオ地図も混ざっていました。
宮崎監督、細田守監督に、ちゃんとごめんなさいしましたか?
ちゃんとしないと、没後に非道が伝えられて、ジャニー宮崎とか言われちゃいますよ(言いすぎ!)。
いやあ、面白かったですよ。
尻込みしましたが、見てよかった。
二の足を踏んでいる方はぜひぜひどうぞ。
この世は一つであることを連想させる作品!
この作品は、宮崎監督の中にある創造の炎が散りばめられていて、見応えがとてもありました。とはいえ、私たちの生きている3次元の世界では、少々ストーリー無視なところがあるかもしれません。それでもあらすじはあります。少年の母が亡くなり、家族が引っ越して、父がその母の妹と結婚します。引っ越しした屋敷の周辺で、少年が青鷺に導かれ地獄と天国の世界を冒険するというものです。それでもかなりの抽象度ですから、見る人によってはまごつくのでしょう。それが、この作品の評価を下げているような気がします。地獄の世界、天国の世界、現実の世界を行き来する登場人物たちを見ていると、それぞれの主張が勝手に動いて言っているのですから、分離感は否めません。それでもジブリファンにとっては、10年ぶりの宮崎監督作品ですから、それぞれのシーンにリスペクトを感じないはずがありません。七人の使用人のお婆さんたちの動きを見ていると、かつてのジブリ作品を彷彿とさせてくれます。また、人間が現実世界に生まれる途中で、ペリカンが食べてしまって生まれないというシーンは、魂を食べているようで怖い表現だと思いました。さらに、主人公の少年に世界平和を託す異世界を創造する大叔父のセリフもかなり唐突ですが、監督の世界観の必然的な表現なのでしょう。海外でどうして高い評価なのかを考えますと、宮崎監督のこれまでの実績なのだと思います。あと、この作品にしかけられた東洋思想的(仏教)な生死感の秀逸さなのかもしれません。いずれにしても、宮崎監督の世界観をダイジェストで見ているような感覚に、感謝しかありませんでした。
私(宮﨑駿)はこう生きた。さて君たちは?
第81回ゴールデン・グローブ賞作品賞受賞作。
第47回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞受賞作。
通常スクリーンで鑑賞。
吉野源三郎氏の同題小説は読了済み。
なんの先入観も持たずに映画を観たのは今回が初めてかもしれない。前代未聞の宣伝手法を取った本作だが、それは情報が氾濫する現代社会にひとつの楔を打ち込んだかの如く、世間の話題をかっさらっていたのがある意味痛快だった。ネームバリューだけで客を呼ぶことが出来るすごさも痛感させられた。
監督の自伝的要素を含みながら主人公が世の中や己自身に向き合い成長していく、かなり王道なストーリーが展開する。
物語の前半と後半で印象が変わり、少々散漫な印象を受けたものの、ジブリらしさ全開の独創的なファンタジーだった。
内容について詳しくは語らないが、監督のキャリアの集大成的な作品であることは間違いが無く、とても面白かった。
「私はこう生きた。さて、君たちはこれからをどう生きるんだい?」と監督から問い掛けられているような気がした。
一時代を築いた人物なだけに、その問い掛けは真に迫っていると云うか、とてつもない重みを伴っているように思う。
つまりそれは、ひとつの時代の終わりをも意味しているわけで(おそらく本作が本当の引退作だろう)大変寂しい。
最高傑作ではないかもしれないが、引退を撤回して本作をつくったクリエイターとしての心意気が伝わる力作であることは間違い無い。お疲れ様でした。ありがとうございます。
[追記(2023/10/05)]
本作で監督は引退されると思っていたので上記末文のようなことを書いたが、ご本人は全く引退する気が無いらしいと云うネットの記事を読み、衰えぬ創作意欲に感服すると共に、まだ新作が観られるのかと云う喜びに震えている。
※修正(2025/05/24)
ボンボン
戦争が始まって3年目のプロローグに始まり、4年目に訪れた転機からの少年の成長と変化をみせる話。
千と千尋の神隠しの主人公を男の子に置き換えて、以降の抽象的なつくりのジブリ作品をミックスした様な感じですかね…。
正直私は千と千尋の面白さもそれ程良く解らないんです…。
それにしてもやっぱり俳優として上手い人が声優として上手いかは別だと改めて実感した。
ネタバレ表記にしておいてもあまりにもなネタバレは一応避けたいのでこの程度で。
君たちはどう考察するか
タイトルのもとになった原作小説は未読だったが、スタジオジブリが「まっさらな状態で映画を観てほしい」と言うので、言われた通りの状態で鑑賞した。
主人公の眞人(まひと)は第二次大戦中に母を亡くし、疎開先で父の再婚相手であり母方の叔母でもある身重のなつ子と暮らすことになる。転校先でいじめられ、義母の存在も受け入れられず、母が亡くなる時の悲しい記憶とともに鬱屈とした思いを抱えて暮らす眞人だが、ある日姿を消した義母を探すうち、怪しいアオサギに誘われて敷地内の謎の洋館から異世界へと旅をすることになる。
大人の目でこのタイトルだけ見ると説教臭そうに見えるが、そんな傾向はほとんどなかった。端的に言えば少年が未知の経験をする中で成長し、自分の中に生きる実母の愛を確認して、義母を家族として受容するまでの心の彷徨と義母側の葛藤をファンタジーで表現したものだと、個人的には解釈した。
ファンタジーのシークエンスに入るまでが結構長い。映像や想像上のキャラクターは、宮崎駿が過去に関わった作品のセルフオマージュがふんだんに詰め込まれているように見えた。おばあちゃんたちや疎開先の建築物の描写、ワラワラ、遠景で眞人を探す父親が銭形警部に見えたりもした(笑)。子供が異世界でなんやかんや揉まれて成長するという話の大筋自体も既視感がある。
異世界でのステージがどんどん転換してゆくのだが、説明はほぼない。大おじの洋館の床に沈んで、ペリカンがいっぱい出てきて、船を漕ぐお姉さんが出てきて、なんかインコがいっぱい出てきて、ここはインコの国でどうのこうの、となってきたあたりで、設定の意味を考えるのをやめた。
この説明のなさ、考察好きな人にはたまらないのかもしれない。私も考察を楽しいと思うことはあるが、それも本筋のストーリーの面白さと、情報量が適切であるかどうかによる。物語がたまらなく面白ければ、意味深な情報の洪水も考えてみようというエネルギーが湧いてくる。
本作は映像的には十分楽しいのだが、インコたちと終盤に登場した大おじとの関係などを見る頃には、お腹にいっぱい溜まった未消化の謎情報を消化するモチベーションがなくなっていた。オマージュ要素が先行して、大きく驚かされるような展開のダイナミックさや新しさがほぼなかったせいだろうか。
洋館の地下以降はあの世で、なつ子はつわりも重くて出産にあたり実は生死の境をさまよっていたのであの異世界の奥の方にいて、わだかまりのあったなつ子と眞人の関係を亡くなった実母=ヒミが取り持ったのかな、程度のことは考えた(ヒミの立ち回りを見てちょっと「TENET」のニールを思い出した。全然違うんだろうけど)。
あと、後継指名しようとした大おじは宮崎駿自身だったりして……とか。
本作の事前プロモーションなしもびっくりしたが(「THE FIRST SLAM DUNK」はキャラ設定などの予備知識は原作から得られた)、前売券もなし(これはディズニーもそうだが)、パンフレットに至ってはなんと後日発売という、ビッグネームだから出来るある意味超強気というか、何か別の事情や思惑があるのかよくわからないアプローチ(宮崎氏は前宣伝しないで大丈夫かと心配していたというのを記事で読んで笑った)。興行的には、初動でどれだけ稼げるかにかかっている気がする。評価が広がったら、人を選ぶ内容なのでちょっと厳しいか。
おかげで、本当にまっさらな状態でスクリーンの前に座るというなかなか貴重な体験を出来たことはよかった。
母亡き少年の成長物語
事前に明かされていたのは変な鳥が描かれた一枚のポスターだけ。内容やストーリー、声優は全てベールに包まれたまま公開に至り、しかも引退表明を撤回し、10年ぶりに監督・脚本を宮崎駿が手掛けるというのだから、公開前から期待値は高まった。
昨年公開された『スラムダンク』も内容が明かされないまま公開し、大ヒットを続けているが、これほどまで秘密主義ではなかった。よって、製作者の意図も鑑みて、あまりネタバレにならないようにレビューする。
本作のモチーフとなった、戦前に書かれた、題名と同名の小説『君はどう生きるか』は、数年前に漫画化され大ヒットした。その書籍は既読だが、これが戦前に書かれたものとは、思えない内容だった。現代に通じる思春期の悩みや葛藤をテーマにし、一歩ずつ大人への階段を登っていく少年の揺れ動く心情に、叔父さんのノートに綴られた言葉が染み渡っていく内容だった。
本作を一言で言えば、戦争によって母を失った少年が、母亡きトラウマから、再び歩み出そうとする物語。いろんな場面において、是々非々の判断をしていくのは結局は自分なんだということ。たとえ人を偽る事はできても、自分は偽ることはできないこと。そんな人としての生き方についてをテーマにしながらも、あの原作を、宮崎駿ならではの描写とストーリーによって、観る者をエンタメ性の高いファンタジーの世界へと導いてくれる。
しかしながら、この作品は賛否は分かれるだろうと思う。内容的に難しく、テーマが重すぎる。様々なジブリらしいキャラクターの登場はあったものの、容姿は変われどこれまでの二番煎じな感じは否めなかった。また、戦中の日本から始まり、和洋折衷の年代も関係なしの舞台が、次から次へと繰り出され、展開も慌ただしいので、小さな子供まで楽しめる作品とは言い難く、これまでのジブリ作品としては、異彩を放つ内容だ。
そして、そして…、本作の最大のサプライズは、ラストのクレジット・ロールにあった。声の出演者として映し出された名前を見て、「エッ!」と驚かされたのは、自分だけではなかったと思う。
インコの宴。
戦争中のある一家の話。
ただ者ではない鳥(青サギ)とその一家の息子が出会う事で始まるストーリー。
駿!駿?駿ちゃん!?何かストーリー分かりづらいし、終始眠いし、どうしよ!って感じでした(笑)久々に最初から最後まで寝落ちしそうだった!(笑)
平日にも関わらずいつもより鑑賞客多め!
そっかやっぱ駿作品が皆好きなんだな!と実感しました。
私の中で唯一の救いは一家の新ママがアニメキャラの割にいがいとセクシーで色気があり何と言ってもセクシーで色気がありました!
声優さんと主題歌側に力いれすぎじゃないかな!?(笑)
これから創作活動に関わる若い人達へ向けた宮﨑駿のささやかな、しかし熱烈な思いを感じ、涙涙
宮﨑駿監督(本作より宮崎が宮﨑に変わった様)による2023年製作(124分、G)の日本映画。配給:東宝。
前評判は今ひとつと聞いていたが、大きく感動し、年はとったものの宮﨑駿のイマジネーションって凄いと改めて思った。そして、今までの宮崎アニメにあまりなかった渾身のメッセージに涙が溢れてきた。凄い映画だ。
出だしの母親が火災で亡くなる臨場感は、お見事である。階段を駆け上がる主人公牧眞人のスピード感と走って向かっていった先の燃え盛る炎拡大の凄まじさ、そしてアッサリとすぐ次のエピソードに進むテンポの良さに感心。
そして、眞人疎開先の日本家屋の造形や内装の美しさ、取り囲む自然の緑や光そして水の豊かさに圧倒された。細かい細部まで、今まで以上に美しく描き込まれており、美術監督武重洋ニら宮崎アニメの美を支えて来た方々に大いなる敬意を覚えた。
学校でいじめられ、自分で頭を石で叩き出血する主人公。その理由は自分には良く分からなかったが、悪意の象徴と本人は言っていた。父の行動を予測しいじめた奴らへの復讐を意図したものなのだろうか、母亡き後すぐに結婚し学校に息子をダットサンで送りつける父の行動への怒りが自分に向かったものなのか、それとも、家でも学校でも孤独で楽しくないイライラからの暴発的自虐行為なのか?
謎の怪しい存在である青サギを射ろうと弓矢を作る眞人。最初、全く上手く飛ばなかったが、青サギの羽を付けることによって、目の覚めるような速さと重量感で矢は放たれる。この予想の遥か上を行くスピード感の凄さが、宮崎映画の大きな特長で、それが相変わらず健在と感嘆させられた。
母の手書き文章が書き込まれた「君たちはどう生きるか」を読みながら、涙を流す眞人。その涙の水々しい表現がどのアニメと比べても、宮崎駿アニメは1番上手と思う。そして、少年の成長のための冒険の始まりの導入としても、とても上手い本の利用とも思った。
大叔父の建てた洋館(恐ろしい数の書籍があふれる内部造形も凄い)に入った眞人と青サギ転じたサギ男(声は菅田将暉)は、老婆キリコと共に泥土の中へ沈んで行き、下の世界へ行く。この時、落ちていく真下が波が打ち寄せる海岸であるという映像に、息を呑んだ。何という素晴らしいイマジネーション。何より絵になるじゃないかと。宮﨑駿創作のイメージ凄いと思ったが、構図的にはエヴァンゲリオンの絵に関わってきた作画監督本田雄によるものかもしれない。降りたった場所が浅瀬で、そこでの足もとでの海水の揺らぎが何とも美しかった。
ここで出合う若かれし時代のキリコ(声は柴咲コウ)。その意思の強い頼りになる強い女性像が、宮崎アニメの常連キャラクター(ナウシカのクシャナ、ラピタのドーラ、もののけ姫のエボシ御前、千と千尋のリン、等)を思い出し、何とも懐かしく感じた。そして今回も、大魚解体の鮮やかな包丁捌きなど、とても魅力的であった。
魚解体時に集まった多くのワラワラ。その造形が何ともユニークで可愛いが、お腹が膨れて丸くなり、1匹、2匹と空に飛んでいく。それが数えられない程の数になり大空を覆う様になる。その美しい映像に、そのイマジネーションの見事さに、もの凄く感動してしまった。
しかし、そこにペリカンが現れて、かなり多くが食べられてしまう。ワラワラが空を飛べるのは本当に久しぶりとか言われており、どうしても自分は、多くの若いアニメーターの方々をイメージしてしまった。日頃の収入は乏しく、大きな仕事が入っても今度はハードすぎる仕事で心身を痛めてしまう存在を。ワラワラを食うしかなかったと言って死ぬ老ペリカンは、多くの若いアニメーターをすり潰してしまったという宮﨑監督自身の懺悔の様に聞こえた。
更にこの下世界で新たに出会う火を自在に扱う少女がヒミ(声はあいみょん)で、実は火災により亡くなった母久子の少女時代の姿らしい。この時空を超えた設定がなかなか魅力的で、彼女の力も借りて、母の妹でもある義母夏子と再会する。鬼の様な形相で「あなたなんか、大っ嫌い」とまで言われてしまうが、この世界で揉まれてきたことでか、ずっと懐かず夏子さんと読んでいたのに、ここで夏子母さんと呼べ、夏子の実姉息子の義母としての苦しみを救うことが出来た。
そう、この物語は少年の成長の物語。そして、この少年は多分創作を目指す多くの若者であり、宮﨑駿自身の経験の反映が色濃く出ている。青サギは、その道の先導役であり先輩で弓矢作りの様に創作を刺激する存在。そして、一緒に活動してくれる大切な友でもある。まあ鼻の特徴から宮崎にとっては高畑勲のイメージで(2018年に亡くなった彼への宮崎なりの感謝の表明と感じた)、未来の創作者にとっては互いに刺激し合える大切な仲間なのであろう(高畑葬儀で、宮崎は5年上の彼との出会いは、雨上がりのバス停と言っていた。サツキのトトロとの出会いは実は高畑との出会いだった)。
主人公が下世界で出会うのが大伯父(声は火野正平)。彼は、13個の積み石を積み上げることで、世界のバランスを何とか保っていると言っている(On your mark含め本作で宮崎監督映画は13)ので、勿論宮崎駿の自画像なのだろう。空に浮かぶ巨石(宮崎が愛した多くの欧州の物語達の象徴か?)に導かれ、汚れた上の現実の世界と接点を持たずに創り挙げて来たこの世界(やはりジブリのことを言ってると思える)を、血の繋がった人間に継承したいと言う。新生宮﨑駿によるかつての自分(宮崎駿)の創作姿勢や組織運営に対する痛烈な自己批判と自分は感じ、感動を覚えた。
未来の創作者である主人公牧眞人は、大伯父の継承依頼を断る。汚れて破壊に向かってるかもしれないが上の現実社会で、この世界で得られた青サギやヒミの様な友人と共に、歩んで行きたいと。積み石は、不安定な状況を嫌った権力者インコ大王により破壊され、それにより下世界は大崩壊に至る。インコ大王は創作者の想いや志しを十分に汲み取れないプロデューサーやスポンサーを象徴している様に思える(下世界をジブリと見れば、鈴木敏夫や協賛企業お偉方の姿なのだろうか?)。
自分はこの大崩壊の凄まじい映像表現に、崩れる世界のある種の美しさに圧倒されてしまった。幸いに、眞人・夏子及び青サギ、そして戻る世界は別だがヒミ、そして多勢のインコ達(ジブリで働いていた多くの人間がイメージされる)は、この世界を何とか脱出する。
眞人のポケットの中には、キリコの木製人形と下世界で得た悪意を有する石を携えて。石携帯は大叔父の創造する意思(いし)の継承の表れか。過去の自分のあり方は否定したが、新たな現実社会に立脚した誰かの物真似では無い、人間の善意と悪意の両面を描いた集団創造への宮﨑駿の期待の大きさを感じた。
元の世界で戻った主人公は、新たに生まれた弟も伴い東京に向かう。書籍「君たちはどう生きるか」の携帯は勿論だが、ポケットの中には青サギには忘れてしまうと言われてもいたが、持ち帰った“石”が入っている様に思えた。自分の創作活動のかけらが僅かでもどこかで役立てば嬉しいという、ジブリを飛び出したアニメーター達に、ひいてはこれから創作活動に関わる若い人達への宮﨑駿のささやかなしかし熱烈な思いを、聴き取った気がした。
監督宮﨑駿、原作宮﨑駿、脚本宮﨑駿、プロデューサー鈴木敏夫、作画監督本田雄、美術監督武重洋二、色彩設計沼畑富美子、 高柳加奈子、撮影監督奥井敦、撮影藪田順二、編集瀬山武司 、松原理恵 、白石あかね、音楽久石譲、主題歌米津玄師、音響演出笠松広司、整音笠松広司、アフレコ演出木村絵理子、助監督片山一良、制作スタジオジブリ星野康二 、宮崎吾朗 、中島清文。
出演
山時聡真眞人、菅田将暉青サギ/サギ男、柴咲コウキリコ、あいみょんヒミ、木村佳乃夏子、木村拓哉勝一、竹下景子いずみ、風吹ジュンうたこ、阿川佐和子えりこ、滝沢カレンワラワラ、大竹しのぶあいこ、國村隼インコ大王、小林薫老ペリカン、火野正平大伯父、上原奈美、西村喜代子、綿貫竜之介、柳生拓哉、画大、飯塚三の介、川崎勇人、鈴木一希、土居正明、重田未来人、井下宜久、岡森建太。
理解するため、もう一度観ます。
突然にポスター1枚だけが現れたあの日から。。
公開まで一切情報を出さず、プロモーションもなし。宮崎駿監督が引退を撤回し10年振りに送り出した本作。
そのタイトルが
「君たちは、どう生きるか」
手がかりはあの鳥のポスター。
鳥には詳しくないのだが、さぎ?ペリカン?のように見えた。
全身白羽、クチバシが黄色く長い。金色の目とそこから頭にかけて青いメッシュが入っている。そしてよく見ると、
クチバシの中に目。。
鳥の被り物?をかぶっている何か?。。
私は映画鑑賞する際はなるべく情報を入れずに観たい派。無料パンフがゲット出来ればその程度。みなさんのレビューも鑑賞後、自分のレビューをあげてから拝読するのだが。。。
こちらが取りにいかないのと、あちらが出してくれないのとでは訳がちがったw
何も情報が解禁されぬまま作品を鑑賞するなんてはじめてだ。
(なんとパンフも公開後からの販売だそうです!)
舞台は戦時中。病院の火事で入院中の母を失った眞人は、父の再婚相手なつこ(実母の妹!時代?戦時中?という事もあり、普通の恋愛結婚とかではなさそうです。。)のお屋敷に疎開する。なつこは妊娠しており、父も喜んでいる。ほぼ無言の眞人。。
そのお屋敷であのポスターの「鳥」と出会い、本の読み過ぎで頭のおかしくなった(と言われていた)大叔父がいなくなった建物へ、入っちゃダメだというおばあちゃんと一緒に入っていく。。。
ここからはもう難解なのだが、監督の死生観をみせているのかなぁ??
全ては監督の頭の中。例えばパズルを机の上に全部どばっと広げる。そんなごちゃごちゃな絵をみせられているようだ。
なので理解しずらいのは当たり前で、「わからない」「つまらない」では勿体なくないですか?
問われています。
「君たちは、どう生きるか」
お手伝いのおばあちゃん達。ポニョのあのおばあちゃんだったり、湯ばぁばだったり、海賊のママだったり。どこかで見た事のあるお顔。みんなが眞人を守ってくれた。
バルス!的な塔の崩壊や、海、水、火の描写、なんとも不思議な生物など、監督自らの過去作へのオマージュとみられる箇所も多く、集大成なんだなと思いました。
しかし、繰り返してしまうが、私には難解であり言葉にし難いです。
だからといって、わかりやすいか否かで、本作を良い悪いと判断しては勿体ない!
欲しい情報が容易く手に入る今の時代、自分で考える事を放棄している現代人への警告、、とまでは大袈裟か。。
そして、もしかしたら監督から次世代へむけたエールなんじゃないかなと。
自分で考えて、選択しろ!
積み木を重ねる事を拒否した眞人。
先人の重ねてきた物の中から、自分で選択することの意義。
巨大になり過ぎたジブリブランド。
必ず結果を求められ、本当に作りたい物が作り難くなっている後進へのエール。
絶対的な存在になった(なってしまった?)自らの引退作として送り出してきた本作で全て壊してきた!まっさらにした上で、さぁ、
「君たちは、どう生きるか」
冒頭の火事の中、眞人が走っているシーンから泣きそうだった。
描写が素晴らしかった。
ずっと意味がわからない
何を伝えたいのか
なぜわざわざ戦時中にしたのか
・
・
・
その他もろもろと疑問しかない2時間だった
作画はジブリの中でも1番良かったと思う。
特に火事の熱波が伝わってくるシーン。
あとは久石譲頼りの作品って感じでした。
塔が人体を表していたり、生命について表現されていたりしていたのはもちろん理解できましたが、正直なところ「だから何?」という感じです。
この作品をもって何を伝えたかったのか、まず何がテーマだったのか、、全く伝わりませんでした。
各所に散りばめられた表現に気づき、理解して「なるほど」となったとしても、作品全体は全く面白くないです。
老マエストロは如何にして心配するのをやめて幻想を愛するようになったか。 これ宣伝しなかったんじゃなくて出来なかったんじゃ…💦
姿を消した継母を探すため異世界へと足を踏み入れた少年、眞人の冒険を描くファンタジーアニメ。
監督/脚本/原作は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、巨匠・宮崎駿。
主人公・眞人を導く青サギ/サギ男を演じるのは『帝一の國』『銀魂』シリーズの菅田将暉。
眞人が住む屋敷に仕えるばあやの一人、キリコを演じるのは『ガリレオ』シリーズや『名探偵コナン』シリーズの柴咲コウ。
眞人の父、勝一を演じるのは『ハウルの動く城』『マスカレード』シリーズの木村拓哉。
異世界の権力者、インコ大王を演じるのは『風立ちぬ』『シン・ゴジラ』の國村隼。
👑受賞歴👑
第96回 アカデミー賞…長編アニメ映画賞!
第81回 ゴールデングローブ賞…アニメ映画賞!
第77回 英国アカデミー賞…アニメ映画賞!
第49回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…アニメ映画賞!
第47回 日本アカデミー賞…最優秀アニメーション作品賞!
第15回 TAMA映画賞…特別賞!
1937年に発表された吉野源三郎の同名小説から影響を受けて制作された作品であり、作中でもその小説が登場するものの、直接的な繋がりがある訳ではない。
この同名小説は既読だが、もうあんまり覚えてないなぁ…。
前作『風立ちぬ』(2013)から10年。長編作品からの引退を表明していた宮崎駿監督がついにカムバックッ!!
それだけでも大事件なのに、今回はその上、公開まで一切の宣伝もしないし情報も明かさないという異例の体制が取られた。
夏の超大作として封切られるというのに、話の内容はおろか出演者すらわからない。こんな事は後にも先にも今作だけだろう。この五里霧中感を楽しむという意味でも、今すぐ劇場に駆けつけなければならないっ!!
という訳で、早速初日に劇場鑑賞。
最速鑑賞組の「意味がわからない」という旨の報告をネットで目にしていたものの、まぁそこまでではないだろうとたかを括っていたのだが…。
これマジかっ!!??
上映終了後の劇場内の、水を打ったような静けさ。
今目の前で起こったことを、誰一人として飲み込めていなかった。
もちろん宮崎駿監督作品が一筋縄ではいかないことくらい百も承知なのだが、まさかここまでハイブロウなものを提示してくるとは…。やっぱりこの人頭おかしい…😵💫
情報が溢れかえっている現代だからこそ、あえて宣伝しないことが宣伝になる、とは鈴木敏夫プロデューサーの言。
言いたい事はわかるし、まぁ確かにその通りかもな、なんて鑑賞前は思っていたのだが、いやこれ鈴木さんも売り出し方がわからなかっただけなんじゃ…💦
一緒に観に行った友人はかなりのご立腹だったし、おそらく世間的にもこの作品はめちゃくちゃ叩かれるだろう。
とは言え、自分としてはこの映画を嫌いにはなれない。というかかなり好き❤️
口が裂けても「めっちゃ面白かった!」とは言えないし、人にオススメもできない。
脚本は支離滅裂だし、キャラクターの行動原理も意味不明。ウェルメイドな作劇とは天と地ほども差がある、奇妙すぎる怪作。しかし、その奇妙さが自分の頭にへばりついて離れないのです。
映画にしろ漫画にしろ、ほとんどの観客は明快なストーリーラインを好む。
Aという点、Bという点、C、D、Eという点があり、それを直線で結んでゆく事で物語を作り上げる。洋邦問わず、大衆に受け入れられる物語は大体こういう作りになっている。
しかし本来、物語というのはもっと漠然としたものだったと思うのです。
アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが編纂した「ボルヘス怪奇譚集」(1955)。これはボルヘスが世界各国の怪奇譚を蒐集し、それを再編集・再解釈したものなのですが、どの物語も唐突であやふやなものばかり。しかしボルヘスは「物語の精髄は本書の小品のうちにある」と断言しています。
思うに、物語には点と点を繋ぐことによって成立する直線的なものの他に、円と円の連なりによって成立しているものもあるのではないでしょうか。というか、その”円”の物語こそがプリミティブなものであり、”線”の物語はその派生系、もっと言ってしまえば商品になるように加工された”インダストリアル”なものであると、私は考えています。
Aという円があり、またBという円がある。AとBの円は2点で交わっている。そこにさらにCという円が、AとBのそれぞれと2点で交わるようにして描かれる。そしてさらにDという円が…。
このように成り立つ物語は、直線的ではない分無駄が多く、一見しただけでは意味がわからない。
しかし、このような円と円の交わり合う部分の外側、無駄に見える部分に宿るものこそが人間の持つ原初的な想像力、言い換えれば「物語の精髄」なのではないでしょうか?
このプリミティブな物語性を追求したものこそが”幻想文学”というジャンル。
幻想文学において、プロットに穴があるとか物語に整合性がないとか、そんなことは関係ない。作者の持つ豊かな想像力をどれだけ具現化出来るか、それこそが全てである。
初期の宮崎駿は、点と点を繋いでいくという”インダストリアル”な物語の名手だった。『カリオストロの城』(1979)や『天空の城ラピュタ』(1986)はその最たる例である。
そんなウェルメイドな語り手であった宮崎監督だが、『千と千尋の神隠し』(2001)辺りから物語の整合性を放棄し始め、その作品群はより幻想文学としての色合いを濃くしていく。
なお、宮崎監督はドキュメンタリー『ポニョはこうして生まれた。』(2008)ではっきりと「ストーリーに興味がなくなった」と発言しており、物語を作る力がなくなったのではなく、意図的に物語を作らなくなったという点は強調しておきたい。
現代幻想文学の旗手、村上春樹は物語を作ることをロールプレイングゲームに例えています。
ゲームを作る自分と、そのゲームをプレイする自分。物語を書くというのはその両方が同時に存在する事なのだと。つまり自分で物語を作っているのにも拘らず、その物語がどのようなストーリーを展開していくのかはわからない、自動筆記のような状態にあるのだというのです。
現代日本を代表する作家という事で、海外メディアでは度々その類似性が指摘されている宮崎・村上の両者だが、確かに今作は村上作品の風合いにひどく似ている。
この映画は純然たる幻想文学であり、おそらく脚本的な面白さはハナから一切考えられていない。
それよりも重視されているのは、監督の頭の中にある想像を出来る限りそのままの形で具現化するという事。
おそらくは監督本人でも理解しきれていない、イメージの本流をそのまま観客に提示すると言うほとんど実験映画のようなことを行っているように思います。
物語のコントロールが自分の手から離れている状態で作り出されたのが、少年・宮崎駿(ゲームのプレイヤー)と老人・宮崎駿(ゲームのクリエイター)の対話劇であるというのは何とも面白い。
スタジオの後継者には血の繋がりが必要だというのはなんとも生々しい独白であるが、それを自分自身に否定させることにより、これまで築き上げてきた世界と心中する。まるで三島や太宰のような正直な独白を、幻想文学の形式で描き切ったのだから恐れ入る。
小手先のテクニックや頭で考えたロジックではない、物語の語り手として約60年も活躍し続けてきたという経験が成せる技を堪能させていただきました。
幻想文学の面白さというのは、世の中にイマイチ浸透していない。一流のエンターテイナーである宮崎駿は当然その事を理解している。なので、これまでの宮崎監督作品では、どれだけ意味のわからん物語であっても、必ず最後には観客が喜ぶお土産が用意されていた。
最も作家性が強く出ており、一部では宮崎駿の”遺書”であると言われていた『風立ちぬ』にすら、最後は大衆が喜ぶようなベタなオチがつけられていた。
しかし、今回はそのエンターテイメント性をすっかり放棄。理解不能な脳内世界を作り上げ、観客をその中に放り込んだ挙句、お土産を手渡しすることもなく、ドンっと突き放すことで物語空間から締め出してしまう。
この態度に腹を立てる観客も少なからずいるのだろう。
今回、美味しいお土産はない。
しかし鑑賞後にポケットを探ってみると、あるんですよ。無機質でゴツゴツした石が。
最初は「なんじゃこのゴミは?」なんて思うんですが、それを手のひらでこねくり回しながらじっくり観察していると、なにかが違って見えてくる。
ただの汚い石かと思ったけど、なんか結構面白い色してるじゃん。
ここはトゲトゲしていて危ないけどここはスベスベしていて気持ちいいな。
ここの傷はなんだか人間の顔みたいで面白い。
あっ、ここの隙間から見えるガラスの結晶はキラキラしていてとってもキレイだ…。
人によってはただの汚い石ころ。人によっては綺麗な小石。みんながみんな楽しめる映画ではないけれど、観測する人間によってその表情を変える。
そんな映画を目指して作られたのだと思うし、その試みは成功していると思うのです。
宮崎駿最高傑作!!…とは決して言いませんが、何度も繰り返し観たくなるような、まぁとにかく凄まじくクセのある映画なのです。
ただ一つ気になったのは、今作の画的なつまらなさ。
これまでの宮崎駿なら、主人公が迷い込む異世界にはもっと観客の心を躍らせるような猛烈で激しい作画の嵐が吹き荒れていたはず。しかし、今回はそれが一切なかった。
荒海を越える展開の静けさといったら、これが本当に『ポニョ』(2008)で気狂いじみた津波を描いた人の作品か?と疑問に思ったほど。
今作の画的な盛り上がりの少なさは意図していたことなのか、それとも年齢的な衰えによるものなのか、そこのところがわからない。
御年82歳。年齢を考えれば今作が宮崎駿の長編最終作になる可能性は高いが、今回の画のパワーの弱さの原因をはっきりさせるためにも、監督にはまだまだアニメを作り続けて貰いたい。
というか、せっかくここに来て純幻想文学作家というさらに新しいステージに登ったのに、今作が最後になるのは勿体無さすぎる。
頼むからまだまだ、出来れば100までやり続けて下さい…🙏
※駿老人が駿少年に手渡した積み石の数は13個。
『未来少年コナン』から『君たちはどう生きるか』まで、宮崎駿の監督作品は全部で13個。
この数が一致するのはただの偶然?それとも意識的に行った事なのだろうか…。
真実は監督本人のみが知る。
※※ NHKで放送された「プロフェッショナル」では、大叔父は高畑勲であるとされていたが、やっぱりどう見てもこれは宮崎駿本人。
「本を読みすぎて頭がイっちゃった人」と劇中で述べられていたように、確かに最初は高畑勲をイメージして作っていたのだろうが、だんだんと今の自分と同一化しちゃったんだろう。
このドキュメンタリーを作ったディレクター・荒川格はジブリ御用達の人物だが、とにかく自分の中で設定した答えありきで映像を作る。彼のドキュメンタリーを鵜呑みにして、宮崎作品を読み解いてはいけない。
※※※2025年5月、「金曜ロードショー」にて3度目の鑑賞。
幾分冷静な目線で見直してみると、これ異世界に行かない方が面白い映画になったんじゃないか?とか、ちょっと思っちゃいました。
不思議なお屋敷には、江戸川乱歩の「幽霊塔」(1937)っぽさを凄く感じる。新装版は宮崎駿が口絵を担当しており、その中でこの小説の冒頭部分を絵コンテに起こしているのだが、それが物凄く良い出来で、やっぱりこの人天才だと改めて感心した。
ジブリの次回作は「幽霊塔」で良いんじゃないですか?宮崎駿に絵コンテを書かせれば、後は誰が監督をしてもかなり良い映画が出来ると思いますよ😁
共感出来ない、教訓さえない!
日本のみならず、世界でもその名を轟かせた大アニメ監督である宮崎駿さんが自身の引退を撤回し、長年の歳月をかけ作り上げた新作長編アニメーションです。
期待しないわけがないですね。ファンとしては指折り数えて今日のこの日を待ちました。
ただ事前の宣伝広告が一切なく、作品に関する情報が「君たちはどう生きるか」という題名以外は完全シークレットでしたから、実は不安のほうが先にたっていました。
題名からして、凄く説教くさい作品じゃなかろうかと(笑)。お前らは人生というモノが全く分かってない、・・・みたいなことを止め絵で延々と語られることを想像しました。
しかし、その想像は全くのハズレでした。映像美や躍動的な人物の動き、心理描写なんかは最高!いつもの宮崎ジブリアニメでした。これは流石と思いましたね。
ですが・・・ここからが問題。人物、特に主人公の行動や思想、嗜好などが随分と偏りがあって行動も突拍子がないのです。
もしかしたら宮崎駿監督自身を投影したからかもしれません。
彼自身も素晴らしい作品を生み出す人ではあるが、一個人として人格者で皆に愛される人かっていうとそうじゃないわけですよね。
作品中の主人公もなんかひねくれていて偏愛でマザコン気味の少年(失礼)で、周囲に敵意剥き出しにしてあわや暴走しそうになってる様はあまり好感もなく無論、共感できるものでもありませんでした。
その彼が何か得体の知れないファンタジーの世界に誘われるのですが、終始掴みどころがなく、題名になっている名著の様な明らかな教訓の提示もなく・・・これはいったいどこに心を寄り添わせるべきなのか、むしろ観客に気を遣わせる映画になっていました。
「となりのトトロ」を初公開時映画館で観たオールドファンとしちゃ本当に残念な作品となってしまいました。
「『スタンド・バイ・ミー』と『壊れかけのRadio』」
東京は警報級の豪雨で、GW後半の予定を変更して帰宅しました。疲れてうとうと眠って目が覚めて、夢うつつで映画を観ていました。主人公の眞人と同じように…
「この映画、こんなに優しい映画だった?」「宮﨑駿監督の自伝的映画、って言われてたよね!?」そんな話をしながら、金ローを観ていました。
11歳の眞人の姿に、『スタンド・バイ・ミー』の主人公ゴーディを思い出しました。幼馴染みの4人の少年、12歳の夏の日、列車に轢かれた少年の死体探しの旅。原作はスティーブン・キングの“The Body”(死体)。
4人は旅の途中焚き火を囲み、ゴーディは創作したファンタジックホラーを話します。友達から物語の続きを聞かれて、この先は無いことを上手く答えられず、その終わりではつまらないと言われてしまいます。
映画版の主人公は成長して作家になり、スティーブン・キングの少年時代のように描かれていました。
眞人が自由に空想していた異世界や、言葉にしたら壊れてしまいそうな心の奥に秘めた想いを、そのまま映画にした宮﨑駿監督。評価が分かれてしまったこの映画の、眞人とゴーディの姿が重なりました。
『君たちはどう生きるか』は、劇場で鑑賞した時には、★を多く付けられなかった作品です。
公開当時、頑なに“宣伝をしない宣伝”にも、この映画のタイトルにも、所謂あざとさを感じて身構えてしまったからだと思います。
『スタンド・バイ・ミー』と同じように、宮﨑駿監督の自伝的な回想だと思いながら観ていたら、全く違う感想になったのにと残念です。
映画館で観た時に、何となく好きになれなかった作品を、納得できなくて後付けの理屈で評価していたりします。
時間が経って地上波でもう一度観たら、こうして評価が変わることも、不思議なことにたまにあったりします。
TV地上波の映画放送は、SNSで感想をリアタイ共有できて、配信とは違う2回目の映画鑑賞の楽しみがあります。
「みんなとつながる映画館、金曜ロードショー」の枠は、いつまでも無くならないでほしいと願っています。
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2024年1月31日映画館で鑑賞
2025年5月2日地上波で鑑賞
5月2日★★★★★評価
5月2日レビュー投稿
5月4日レビュータイトル編集
長年のファン故のショック
宮崎駿監督の長編は最後に相応しい風立ちぬで綺麗に終わったと思っていたので、今作発表はびっくりしつつも初日昼から楽しみに観た。
結果、支離滅裂、という感想しか出てこなかった。そしてもう二度と見たくない。幼少期からディズニーよりジブリを見続けて育った私がこんな感情を抱いてしまう、その事実が信じられないほど悲しい。
ナウシカ、もののけ姫、紅の豚、風立ちぬで見てきたような(私は世間一般人気がある千と千尋やハウルなどのファンタジーは子供っぽくて好まない)宮崎駿監督しか描けない社会性の重いテーマやメッセージが何ひとつ伝わってこず、キャラクターも感情が乏しく魅力がなく、一人も好きになれるキャラクターがいなかった。気味の悪い老婆や鳥人間、次々現れる謎の能力者…視聴者を置いてけぼりにさせているとしか思えず入り込めなかった。勝手にしてくれと思ってしまった。他の肯定的なレビューにあるように過去のジブリ作品のオマージュなどは随所に感じたが、人物に焦点が合わず脈絡のない展開がずっと続くため気分が悪くなってくる。しかも2時間を超える。途中まだ終わらないのかと時計を確認してしまいそうだった。空腹で腹がなったが、隣席や背後かやも腹の音が聞こえた。とにかく面白くも可愛くもなく、何を伝えたいのかわからず拷問のような2時間だった。二度三度みれば謎が解けるかと聞かれてもそういう内容ではないような気がした。
タイトルに使うならそのまま説教映画を作ってくれた方が絶対良かった。宮崎駿監督にしか作れないはずだから。
こんな苦しいレビューを書かずにはいられないほど、長年のファンとしてのショックが大きくてまだ受け止めきれない。宮崎駿監督らしくない作品だった。
素晴らしい絵と世界観。けどよく分からん
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