君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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宮崎駿からの「訣別」の傑作
これまで数多くの白眉を通して、長年にわたって「人間の業の深さに嫌悪しながらも、共に生きること」を描いてきた宮崎駿がついに、世界の崩壊を示唆し、「もはや、共に生きることはできないけれど、それでも人間の生活は続くのだから、君たちはどう生きるか、ひとりひとりで考えなさい」と訣別を表現した傑作、と読み取りました。
物語としては、人間の業によって崩壊する世界を暗喩しながら、母を喪った悲しみを形象化していくことの苛烈さをミクロの視点で描きつつ、そうした苛烈さをも内包する命がつながっていくマクロ的な輪廻観を、どこか冷ややかに対置させています。
ナウシカやシータやアシタカが目指したように、世界とそこに生きる人たちが呼応して、共に生きたかった。けど、クシャナやムスカやジコ坊や堀越二郎のような抗いがたい業によって秩序だった世界はほどなく滅んでしまう。せめて、キキやサンや千尋やポニョのように、ひとりひとりがよく考えて、連綿とつながっていく「命の営み」だけはどうか絶やさずに。
そういった根底にあるストーリー(とわたしが勝手に読み取った)以外は宮崎駿の好き放題。普通の作家なら、コンテの段階で配給やプロデューサーに「わけわからん」をはじかれること請け合いだろう。メタファーや実験的表現、あるいは過去作品や古今東西の芸術に対するオマージュがてんこ盛りで、そもそも観客に何らかの解釈することすら許さない、ある種の難解さは、さながらピカソがキュビズムで世界に問いかけたかのよう(知らんけど)。
ちなみに、自身が創造してきた世界をだれかに引き継ぎたかったけど無理だったという、宮崎駿の諦念的な自己投影が、危ういバランスで石を支えている大叔父さんにほのかに込められていると解釈するのは深読みが過ぎるだろうか。
ありがとうございました。
最初に氏の作品に触れたのが、NHKで放映された「未来少年コナン」。大学生のクセに子どものアニメなんか観て、と親にたしなめられながらも、その柔らかい線や元気いっぱいで屈託のない冒険活劇に夢中になってしまいました。他のアニメ作品にはない独特の美しさがあるように思えたのです。
氏の作品の魅力は何なのだろうと思うと・・いろいろありますが、一番芯にあるのが「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。以前NHKが「崖の上のポニョ」の創作に密着していましたが、最初に確固としたストーリーがあるわけではなくて、一枚の絵を出発点に、呻吟しながらなにものかを生み出してゆく姿がとても印象的でした。
黄泉の国、死後の世界・・後講釈でいろいろ分析されることも多い氏の作品ですが、生み出されたものは合理的に説明できるものばかりでないのは、今回も過去作品も同じで、その本質と魅力はやはり「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。
それが、観る者の心の奥底の干からびた部分に、いのちを吹き込み、どこかを癒やしてくれる。だから賛否両論というのが、実は私にはよく理解できません。長年おつきあいしてきた者として本作を観て、氏の集大成であるのは多分間違いないと思いました。
最初のオリジナル原作作品「風の谷のナウシカ」の上映は確かミニシアター系の上映だった記憶が・・・。その後も欠かさず、氏の新作が出るたびに、劇場に足を運び、結婚し、娘が生まれ、その娘もジブリ大ファンとなって育ち、先月式をあげ巣立ちました。
今回が本当に最後になるのかはわかりませんが、ご年齢からしてそうなることを想定しながら創作されたのだと推察します。まだ早いかもですが、「ほんとに長い間お世話になりました。」宮崎監督並びにジブリの皆様には、そう申し上げたいです。
「ジブリって昔の方が良かったよね」そうかな?
周りからはあまりいい噂を聞きませんでした。「意味が分かんなかった」「途中で寝ちゃった」など、マイナスな評価を聞いていて、あまり過度な期待をもたず、鑑賞しました。確かに、一見すると意図が伝わりにくいところもありましたし、分かりやすいストーリーではありませんでした。でも自分にとっては、この含みのある表現だったからこそ、より見た価値を得られた気がします。
今年で83歳になる宮崎駿さんにとって、今回が最後の作品になる可能性は高いです。「ジブリは昔の方が良かったよね」なんて言葉をチラホラと耳にすることがあります。宮崎駿さんは高齢でもう楽しい映画を作れなくなったのでしょうか?
私は今回の作品を見て、それは違うと思いました。今回、確かに分かりにくいところもありました。でもただ難解なのではなく、全てが何かに置き換えられるものでした。それが何なのかは人によって違うと思います。明確に描かない分、どんな解釈も許されるし、得られる物も一人ひとり違ってくると思います。一人ひとりが考えられる「解釈の隙間」をあえて残してくれて、それでいて重くならないように、ポップな「ジブリらしさ」も残してくれている、そんな素敵な作品です。今までたくさんの作品を創ってきた宮崎駿さんだからこそ出せる味だと思います。「あれってどういう意味だったんだろう?」と考えて考えて、自分でたどり着いた答えが、この映画を見た価値なのではないかと思います。
私事ですが、一番何回も見たジブリ作品はトトロです。一番好きなのはラピュタです。一番感動したのは千と千尋です。本作「君たちはどう生きるか」は自分にとって、一番真剣に向き合えた映画となりました。
やっぱりジブリは大好きです。
君たちは死や喪失をどう乗り越えるか
死や喪失に対し「はい!これが苦しいんです!」という明確な主張はありませんでしたが、序盤の主人公の説明できないような行動から、苦しみや喪失感が伝わってきました。
私たちも、身近な人を喪ったり、世の中の不条理や悪意に遭遇したりと、そういった苦しみが誰しもあると思います。
失意といっても色々です。ちょっと「いいな」と思った好意、幼かった頃の、感受性が強い時の、密かな思い。でも、それが思いもよらない形で無惨に裏切られた(と思ったり)、 小さなプライドを守るにはあまりに心にさざ波が立ちすぎる事件が起こるときもある。
と、若くてきれいな義母を主人公が横目でちらっと見た視線から感じました。詳しくは本編。
でもこの映画を極彩色の世界を主人公と一緒に駆け抜ければ、一生懸命になる自分に爽快感があったり、ひそかな思いを暗い恥の感覚としてではなく別の面から捉えることができ、新しい自分になっている事に気づくと思います。
それは何かというと、主人公が意図せずお婆さん・キリコさんたちやアオサギと関わったように、人は当初「この人と」とは思っていなかった人たちと一緒に世界を懸命に生きていく、と思います。大変な目に遭った時、今現在だけの姿や見た目にとらわれず、心の全ての感覚を使って人を判断することを学んでいくのだと。
見る時によってつど姿を変えるアオサギ、キリコさんなどが、そんなメッセージを送ってくれている気がしました。
以下、ネタバレあり
①アオサギ
・物語のトリックスター(予測できない動きで物語を進展させる人物)のような、鍵となる人物。最初はトラウマの引き金を連呼して刺激してくるなど、とんでもなく邪悪で、人の心の聖域にずかずかと入ってくる人物に見えます。しかし油断ならない相手ながらも、物語後半ではその飛行力が必要になってくる人物。
→現実世界でもそういう人たちと協働しないといけない時がありますよね。憎い、嫌い、じゃ割り切れない。相手の力が必要。
②キリコ
・使用人たちの一人のおばあちゃん。はっきりした態度で一際きわだっています。最初は矢と引き換えにタバコをねだるなど、「裏取引を持ちかける」ずるい人物だけのように見えましたが、精神世界のアナザーワールドでは、持ち前の気性のしっかりしたところを生かして主人公を救ってくれ、命を慈むような思いがけぬ優しさを見せる人物。
→ 物語中盤で、主人公がおばあちゃんたちの人形に囲まれながら呟くシーンがあります。
「おばあちゃんたち、ごめんね」と。
なんでごめんね、なのかなと最初は思ったのですが、おばあちゃんたちは最初は戦争中の薄暗い雰囲気の中で、卑しさ、得体のしれなさ、醜さ、平凡さとともに描かれていました。
だから主人公も「所詮自分とは関係ない知らない人たち」「賤しいつまらない人たち」と見下げ、距離を取りたいと思っていたと推測します。
そして、そんな自分の先入観や心の氷に気づき、謝罪したのでは?と思われます。
なんてったって、異世界のアナザーワールドで守ってもらった後に見たおばあちゃんたちの人形には、醜さはなく、慈しみや安心感に満ちていましたから。最初と全然印象が違います。
不条理な悪意にさらされることのある世の中で、おばあちゃんたちは本当に「護ってくれる」よき身内だと本能的に主人公は察知したのだと思うのです。
このあたりから主人公が望みのために闘っていく、という転換点が始まったと思います。
もっと踏み込むと、「君たちはどう生きるか」という生き方の智慧がさりげなく描かれているようになりません。ーー先入観を排し、かつ過去や背景を考慮し、相手のよさに目を向けながら、包括的に理解しようとしていくうちに人間の本質が見えてくる。そうすると、自分の中のここは安全という身内や仲間が決まるので、外の世界に向かっていける、体当たりできるようになるーー主人公も後半では、「警戒すべきもの」と「安心できるもの」とがちゃんと識別できるようになっていました。積み木のあたりで、大叔父の提案を断るのって、こういうところにつながってくると思うのです… 例えば、の解釈ですが。
以上が最終的に仲間になる①アオサギや②キリコから私が受け取ったメッセージです。
まとめると、
・死や喪失、失意を乗り越えて生きていかなくちゃいけない
・そのためには、身近な人たちとの新しい関係をしっかり認めて築いていきながら、今を一生懸命駆け抜ける営みの連続によって、仲間を得て、不条理な悪意を退け、自分の望みを明確にし、生活の中での立ち位置を確立していくしかない
そういうことを、象徴的に繰り広げられる色彩豊かなファンタジーの中に凝縮させたのではないかなと思いました。
極彩色の世界を、説明のつかない出来事のなかを一生懸命駆け抜ける主人公と伴走させてもらい、まとめて自分自身を振り返ったような気持ちでした。言葉にならないで感じてきた思いーーしいていえば、自分の学生時代の鬱積、絶望、そして憧れを、その後の社会人時代でどう闘い、どう昇華していったか、という自分自身の物語をも、映画の中にかいま見た気がしました。
おーって感動しながら観て最後は心がスッキリ
「難しかったね〜」と両脇の座席のカップルさんの正直な感想。そうだよねー展開が早くてなんで!なんで!と思っているうちに終了。
60代のおばちゃんとしては、ジブリアニメを何回も何回もリアル映画館で観てきた人としては、ありがとうー!宮崎監督😍この作品を作ってくれてと感動して涙が出そうになった。作っている時の監督はすごーく楽しかったと思う。過去に作ったあのシーンこのシーンを再度研磨して観せてくれる。ジブリアニメの各シーンが目に浮かぶ。そして終了となってあーしあわせだったと思う。そしてやっぱり頑張ろうと単純に感動する🥹
先程の若いカップルさんたちが『わからないからもう一回観よう〜』と話し合っていたー宮崎駿監督、大成功ですよ🥹わからなくてもいいのですよね🙂
良質なファンタジーです。
僕の結論を先に、申し上げます。良質なファンタジーです。
人それぞれ色々な捉え方があって、難しく考える人もいれば、僕のように単純に楽しめる人もいる。相変わらず、丁寧な(執拗な?)手書きの作画で嘗てのウォルト・ディズニーを彷彿とさせるというか、凌駕している。CG全盛のこの時代に、これだけで宮崎駿さん(先生って書きたいけど、あえて、さんで。)のやりたい通りにやり抜いた感じが伝わりますし、制作年月の長さ、傾けた情熱、考えただけで胸が熱くなります。
僕は宮崎駿作品のすべてが好きなわけではありません。この作品は好きな方に入ります。細かな内容に触れるとネタバレになってしまうので触れませんが、一寸、不思議な国のアリスの世界に近いような、不思議な感じのするファンタジーです。万人受けを狙っていないからこそ、賛否両論が沸き起こるのでしょう。僕としては、是非、お子さんにもみていただきたいし、率直に感想を聞きたい。大人だと、小難しい理屈を並べて評価しがちですが、お子さんであれば、見たまんまの感想を抱くのではないだろうか、と思います。
僕と宮崎駿作品の出会いは、”パンダコパンダ”でした。小学生の時、ゴジラ映画を見に行って同時上映作品だった。失礼ながら当時の僕からしたら、付録のようなもの。でも、水面に浮かぶ舟を漕ぐパンダを水の中から描いたシーンがずっと心に残りました。その後、”未来少年コナン”、”風の谷のナウシカ”、”天空の城ラピュタ”…天空の城ラピュタは、一番のお気に入りです。血沸き肉躍る冒険活劇にして、ちょっと考えさせられる内容。ルパン三世は、テレビ第二シーズンの、”死の翼アルバトロス”と”さらば愛しきルパンよ”。
宮崎駿さん。”風立ちぬ”で色々な批判に晒されて、一度は、長編アニメを撮らないとおっしゃいました。でも、もう吹っ切れたというか、もう気にしていらっしゃいませんよね。思いっきりやっちゃってください。僕は受け止めました。贅沢言いますと、僕の好みの話ですが、理屈抜きに楽しめる、血沸き、肉躍る冒険活劇も、また観たいです。
説明しがたい、でも伝えたくなる映画
1週間前に観ましたが、いまだに何度も思い返してしまいます。
まず、一切の宣伝なしという戦略によって得られたわくわく感、その体験に感謝です。
そして映画。現実と夢、精神世界が入り混じり、つじつまなど考える暇もなく圧倒的な世界観に引き込まれました。青サギ以外にも鳥がかなり出てきますが、人間の欲望の塊を代わりに演じてくれてるような不気味さと滑稽さがあり、それも鳥肌ものでした。
駿さんの過去作の要素が散りばめられていますが、これはもう上質なシャレと受け取って大いに楽しませてもらいました。
今作は過去作と比較して、私小説のようにスケールが小さくなったとも取れますが、私は今のこの不穏な世の中で、個人の心の中を問いかけることの重要性が突きつけられたように思います。人によって感じ方は様々だと思いますが、見るたびに視点を変えて何度でも味わえる唯一無二の作品と思えました。
最後のシーンが静かに終わり、エンドロールで米津さんの曲が流れた瞬間、スイッチが入ったように涙が出て、そこから止まりませんでした。なんだこの天才たちは!とてつもなく温かい大きな力を受け取った気持ちで、素晴らしい作品を観たという感動が溢れ出る、そんな映画でした。
宣伝なしで正解
私が劇場でジブリを観るのはポニョ以来で、久々の宮崎駿作品ということで楽しみにしていました。それに加えて、ポスター以外の宣伝は一切やっていないことにも驚きました。これはまっさらな状態で見れるチャンスだと考え、公開後も含めて事前情報をシャットアウトして観に行きました。
全体的に宮崎駿らしい世界観で、過去のジブリ作品の要素が沢山詰め込まれていました。私は独自性を持った作品が好みなので、いつも彼の独特な表現に圧倒されてきました。今回も「これはジブリだ!」と思えるテイストになっており、ずっと眺めていられる安心感がありました。また、登場人物は「あっ、これ見たことがある!」というものが多く、同伴した母も千と千尋に出てきたキャラみたいだったと言っていました。
ストーリーは複雑であまり理解できなかったですが、命の大切さや生きる素晴らしさが込められていました。ここから宮崎駿は、今作を観て自分で考えて行動する重要性を伝えようとしている印象を受けました。特に、私のような若者に世界のバランスが崩れそうな時代を支える役割を担ってほしいメッセージ性を感じ取りました。
初めは宣伝なしで大丈夫かなと心配でしたが、観終わった後は予告出さなくて正解だったと実感しました。もし、この内容で公開前に情報を明かしていたら、退屈そうに見えてスルーしていたかもしれません。そう思えるぐらい、この判断を下したジブリの人々に納得できました。
情報過多の時代になかなか体験できない貴重な経験ができるので、この機会にぜひ映画館へ足を運んでみてください。
事前情報0で観た
米津さんが曲を担当している以外事前情報なしの状態で観ました。
開始3秒くらいで“この時代の話か・・・“と正直がっかりしました。
しかし、想像した内容とは異なりこれまでのジブリ作品を彷彿とさせるシーンが盛り込まれた世界観、声優もジブリに携わった事のある方も登場し胸に込み上げるものがありました。
大伯父のセリフ「3日に一個積み上げればいい(※正確には違うかも)」は宮崎駿監督が3年に1度作品を作っていたから、という考察を読んで改めて感動しました。
「君たちはどう生きるか」というセリフ、宮崎駿監督は作品を通しこれまで私たちに監督としての人生を見せてくれていたように感じますし、大伯父のように跡を引き継ぐものが必要だと感じているのかも知れません。エンドロールでは新しい宮崎作品を観れるのはこれで本当に最後かもしれないという想いに苛まれ自然と涙が出ました。
パンフレットが発売したらまた観に行きたいと思います。
それまで色々な方の考察も読みたいと思います。
喪失と受容、命が糧で共生している世界、死生観
めっちゃネタバレしているので、まだ見ていない人は
読まないでください。
生きるとは、命を糧にして他の犠牲の上に生きている、それを日頃意識しているでしょうか。
私はもう人生の折り返し地点を過ぎているので時々己の死や死後を思います…
生きているということは死ぬ存在でもあるという事です。
そして人は他の存在に依存して生きています。
火事から救い出したいと思っていた母を救うこともできず、母にソックリな叔母を母としてその実家の屋敷に移り住む。大好きな母と似ていてでも他人で少しなまめかしくて、手を取られてお腹を触らせられて義母というより、母に似た他人としか思えません。
また叔母が父に後妻に入ると言うよりも…叔母の屋敷に父と入るのは…主人公マヒト目線で見ていると…まるで父を引き込み招き入れた女主の牙城に囲われる様な感覚に陥ります。
マヒトは坊っちゃんのくせに、大勢にボコられた後に自分で大きな傷を作るくらいの知恵があります。奴等と共に行動をしなくて良いという特権を生み出す引きこもりがマヒト。
そう、ここは、
トトロのサツキが…一人っ子の男の子で、
母は生還せず病より酷い火事で亡くなってしまった世界線。
サツキの様に饒舌ではなく、カンタの様にあれやこれや用事を言いつけられたりする田舎の農家の子でもない。おまけに唯一の頼るべき父親の一番は今や後妻になる叔母。
そう、主人公の少年の冒頭目覚めた顔は、アシタカに似た目をしていると思ったけれど…つまりは拠り所を得ていない一人ぼっちの目をしている。(本当は愛され守られているのに。)
パズーのように動くと思ったけど、自律していても、生かされている事に気づいていない目をしている。
多分昔宮崎駿は、女の子のために千と千尋を作ったと言っていたけれど、男の子のためには既にラピュタがあると言っていたけれど、
人との繋がりの中で生きる事を描くために、人との繋がりを拒否して生きている所からスタートさせなくてはいけないと感じて描いた作品なのかもしれません。
火垂るの墓は絶望で終わることにより人に気付きを与えるのですが、宮崎駿は絶望というエンディングではなく、
希望と他者への理解や慈しみを掴み取る冒険活劇を感じてほしかったのではないでしょうか。
セキセイインコ達が包丁を持っていてもどこか可愛らしいというか、悪ではなく、彼らなりの生きる為に行動している様に感じます。
なんだかどこにも悪人はいない、そして、大オジはまるで石に支配されて生きているまるで隠れたところで人を操作している様な気になっている引きこもりの王の様に見えました。
私にはとてもシンプルな映画に見えたのですが、
人によって感じ方は違うのですね。
難解と思う人とはこれまでの生き方がちがうのかな…と思いました。
母は死んだことを苦しんでいなかった、そう思えた事がマヒトにとって大切で、とても母親の存在と最期が子どもにはかけがえのないものだということを感じます。
少なくとも宮崎駿の世代にとってはとても大事でした。親を親ガチャと言われる時代には意味が通じない映画なのかもしれません。
米津が主題歌じゃなければ劇場には来なかったかもしれません。でもとても面白かったです。
いまの私がみるべき映画だった
今私は2ヶ月前に初めて出産したばかりだ。
とても応援された気持ちになってしまった。
宮崎駿が作ってきた世界は今までとても美しく可愛く強かったが、本当はこんなに不穏で気持ち悪いものだったんだよって提示し続ける。
そのなかでいつも以上に可愛く描かれる、白いわらわらは赤ちゃんの産まれる前の姿だと思った。妊娠初期のとても小さい頃とか。産むまでの葛藤がペリカンに見えた。食べてしまうペリカンにも悩みや正義がある。
いつもなら母性で包んでくれた、母は協力してくれるが少年というかただの人のようだし、完璧なものであるべきとか外から主張するインコはいるけれど、主人公は傷ついていても自分とは違う変な友達がいてそれでいいと言う。そして完全なる世界を変える力はなくたって、みんなその白い欠片は持っているのだ。過去の分岐を変える必要はないと母とババアは言う。
世界と母性と無垢さを美しく書いてきた人が、そうじゃなくてもいいって言うときに、可愛さや綺麗さを残してよかった、美化ではないのしたのは子宮と胎児だけなのかもなぁ。(あの庭は子宮で痛みは陣痛だろう)
現実に戻ったら、外部から小言を言うインコはとても小さく可愛くなっていた。禁忌なあの部屋は生まれる前の生命をいじることだろうか。
次の世代を産む人を励ます映画だった。
いや、まぁ、こう見えちゃったけど、別にそうじゃなくてもよくて、エンドロールで泣いていた私は勇気をもらったので感謝をどこかに書いておかなければとアカウントを作った。
私たちは、なぜ生まれ、どう生きるのか、━忘れていた魂の記憶を思い出させる、真の天才による世界で永遠に語り継がれる偉作
観終わって、子供たちの未来のために、自分にできることを精一杯やろう、と思う━。それが、宮崎監督からの問い、「君たちはどう生きるのか」に対する答えである。本作は、表面的な感想、評論、批評を、一切受けつけない。語る者は、監督からの問いに対する、自分なりの答えを見出し、表現してから語るべき作品だと思った。
これまでの宮崎作品のエッセンスが凝縮された集大成であるばかりでなく、今まであまり明確にされてこなかった重要なコンセプトが表現されている。それは、時空を超えたいのちのつながり(縁生)であり、生まれ変わり(誕生と死の循環・輪廻転生)であり、異次元世界(あの世・常世)と現実世界(この世・現世)が、力動的に共振・協働している関係の世界観である。
「君たちは『なぜ』生まれてくるのか」━。この問いに対する答えがあって、初めて、「『どう』生きるのか」、が出てくる。本作は、なぜ、悲惨なこの世に、それでも君は、自ら願って生まれてくるのか、が問われる(あの世は、ある意味、安定しているにもかかわらず)。その答えもまた、宮崎監督は描いている。本作は、私たちが忘れてしまった、なぜ生まれてきたのか、どう生きるのかを思い出させてくれる━いや、観た者が、それを思い出してくれることを願って生み出された作品だと言っても過言ではないのかもしれない。
プラトンによれば、私たちの魂は、生まれてくる前、レイテの泉の水を飲み、すべての記憶(あの世の記憶、過去世の体験と智慧)を忘却して生まれてくるという。しかし、この世にあるイデア(真実・永遠の真理)のかけらに出会うと、魂が震え(感動と呼ぶ)、求めるようになり、忘れていた記憶を少しずつ思い出す(想起する)ようになる━。本作の主人公もまた、忘れた魂の記憶を思い出す、試練の旅に出る。
なぜ、悪は存在するのか。悪の必然と意味もまた、語られる。あらゆるいのちとの共生、自然界の見えるいのちも、見えない異界のいのちも、すべてつながり生かされ、それぞれの役割を果たしている。無駄なもの、不必要なものなど何一つなく、秘められたいのちの可能性を開花し、謳歌し、すべてがダイナミックに調和し共生する世界のあり様を、宮崎監督の世界観とすれば、それは未来からやってきたヴィジョンであり、古代からあった永遠の真理であろう。だから、本作は、これから永く、世界で観られ、語り継がれるだろう。その必然と意味、力が、本作にはある。
宮崎駿は、日本の自然と文化に育まれた、間違いなく真の天才━genius:ダイモン・守護神と協働する「聖なる狂気」の人━である。
少年の成長
公開当時に「千と千尋の神隠し」を観終えたときと似た感覚で観終えました。
ただ、その経験があったおかげか、私が歳を重ねて多少理解力を増やすことができたせいか、展開を純粋に楽しめました。
ラピュタを思わせる塔の様子、ポニョ?って感じの白い妖精、美味しそうなスープやパン等、既視感にあふれていましたが、そこも集大成ならばこそだったでしょうか。
個人的には、アオサギが池に降りたち翼をたたむ、実物と違わない描写が目に止まりました。
また、少し前のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」にあった「時間て過ぎていくものじゃなくて」てセリフを思い出しました。
あんな回廊があったら、ほんの一瞬で良いから少し以前につながる扉を覗いてみたい。
感傷を失った散文詩のようなもの
自分の頭の中にある思想やアイディアというものは、
そのまま世に出しても、そうそう他人には受け入れられないですよね。
だから味付けをして、食べやすくする。
その過程で言いたかった事の本質は変容してしまったりするのですが、
それに気づかない振りをして、他人に見せるための「加工」を施すわけです。
自分で文章、詩、映像を作る人なら、お分かりいただける感覚かと思います。
この映画は、そういった義務感から半ば解放されたものに思えます。
今描きたいもの、表現したい素材だけで作られたコラージュのようなものでしょう
功成り名遂げた者だけに許される「贅沢」であり、ある種の「おままごと」です。
人は誰かのために生きている。人は社会とは無縁ではない。
庵野監督が「自分が世の中に役に立つのはこれしかないから」と言っていたように
「スタジオの皆を食わせなければ」「次を作るために当てなければ」
こういった制約は時としてクリエイターの作りたいものを歪めてしまうけれど、
その葛藤と矛盾の中でもがき苦しみながら産み出したものだから、価値があるし、人の心を打つのだとおもいます。
優秀なアニメーターを引き抜いて、何年も従事させて、出てきたものが「自分にすらよくわかってない何か」だという事実に、「老境」の絶望を私は見ました。
メタ的に見れば、これほど怖いものはありません。
ホラー映画だと考えれば、正しく一級品と言えるでしょう。
あれは宮崎駿作品とは言え無い
世界観や、あらすじ、登場人物の背景は宮崎駿が作ったんでしょう。でも、作品全体をまとめあげる作業はしてないと感じました。人物の表情が死んでるのはあらすじからその場にふさわしい表情を読みとる想像力が欠けてるからでしょう。パンにジャムを塗り過ぎるのは良い食事が何か知らないからでしょう。美味しいと台詞を吐き、美味しそうに食べない。口の周りにジャムを付けすぎてあまつさえそれを拭き取った。相手が母と知って思春期の少年があんなハグをするのか?継母はあんな矢を射れる判断力や経験があったのか?何故あの世界を知っていたのか、何故帰りたく無いと言ったのか、何故妊婦は無条件に保護されるのか、門の先には何があったのか、巨大な船は遺体を埋葬出来るほど土の層があったのか、婆の人形、キリコは持ち込まれたから、いいとして、他の婆の人形はどこから調達したのか、数えるのが難しいほど納得出来ないまとまりの無い行動、回収されない伏線を残した。
宮崎駿は昔、「嘘のレベル感」と言う話をした。(殴って血を吹いても、次のカットで全快出来るギャグマンガであるとか。)あの世界の嘘のレベル感は、塔の中と外で分けられているかと思ったが、蛙の大量発生や人語を話してしまう青サギなどで十分に分けられていない。
鉄則や、大事にして来た丁寧な仕事を投げ出し、過去作から劣化流用した表現が散見される本作が宮崎駿本人の作だと本当に言うのであれば、もう今後の作品に期待する事は何もありません。
ご老体が最近よく見る明け方の夢
……をそのまま映像化したんだよこれ。だって実家に零戦のキャノピーが置いてあったって半藤一利との対談集で読んだし。
過去に見たことあるようなキャラの総出演といい、少しづつ自身を投影したような主人公や大叔父といい、REM睡眠中に見た記憶の断片をそのまま商業映画に載せちまったとしか思えん。スタッフも?マークの中、帝王の言いつけ通り制作したんだろうなぁ。色んな解釈がなされてるようだけど、ご本人の夢の映像化だから考えるだけ無駄な気が。(まあ考えてみれば千と千尋もポニョもようわからん映画ではあったが)
我々中高年はそれでも表現の端々に共感を得ることもできるが、ものすごく楽しみで目を輝かせてた親子連れが終わって出て来る時の表情を見て、何だか罪なことするなぁと思ったのが結論。お父さんが解説に苦労するので家族で見に行っちゃいかん映画。
難しい
通常スクリーンで鑑賞。
★3つになったのは、
ストーリーが難解
声の役者の力不足
前情報が何もないのが裏目に出てる
主人公の年令と思考・行動がミスマッチに感じ違和感
あたりでしょうか。
知人からは現実の話だよね。と聞きましたが、全然ファンタジーですよね?
宮崎アニメの中で考えると、ハウルの動く城に雰囲気が似てるように思えました。
絵は素晴らしく、童話の絵本かと思えした。
ただ、次々と世界がとんで行くのに思考が追い付かない。
その他、声が有名俳優さんがたくさん出てくる割に下手くそ(誰かは書きませんが、前情報が無い様なやり方するなら、もっと純粋に本職声優さんや、昔の宮崎監督らしく何処から連れてきたんだろうみたいなはまり役を何故器用出来なかったんだろう)。
前情報が無いって事は、本編は誰もが物語の本題を押さえられる位の解りやすさにして欲しい、原作を読めば(未読です)解るのか知りませんが、映画として物語が成立していないと、と思うのは私だけでしょうか。
主人公の年令と思考のギャップがある事や、自傷行為をした理由などがいくつか思い当たるもその中のどれかわわかりませんでした。
この尺の中に収めるのに無理がある?
故に、勝手に推測すると、
晩年の宮崎監督は自身の描きたい物語と絵を描いて、年齢的にも丸くなってしまった為、細かい事は制作側に一任したら制作側の政治的理由などで物語のクオリティなど気にせず、どんどんダメな方に行ってしまった。
的な?
すみません、あくまで私の勝手な想像ですが。
素晴らしい所と、疑問ばかりの点と両極端が存在する作品という印象でした。
個人的に大満足
賛否両論あるので映画館での鑑賞を悩んでいたのですが、誘われて観てきました。
結果、個人的にはとことん『ジブリ』で、でも流行も取り入れつつ、限られた予算と体力の中で魅せてくれた今作に大変満足しています。
自分の場合、考察や解説は昨今YouTubeを見れば鋭い人たちがたくさん動画を上げてくれているので、まず難しいことは考えずに純粋に世界観を楽しむつもりで挑みましたが、子どもの頃に初めて映画館でジブリ作品を観た時の気持ちに戻れた気がしました。
「分からない」「理解できない」という意見が少なくないかと思いますが、無理に分かろうとする必要もなく、ただその雰囲気、宮崎駿ワールドを味わうという楽しみ方もありなのではないでしょうか。
咀嚼するためにあと5回は映画館に足を運びたいです。
広告が無いの凄いし良いね
広告が入るとどうしてもこの作品はこうやって見るものなんですよ、ってガイドラインが見えちゃってそこから外れたものには疑問や大人の事情を感じて考える邪魔になるのでタイトルの問いかけについてだけ考えられるのはありがたい。
ジブリと宮崎駿ってだけでワンビジュアルの公開のみなのに全国の映画館の1番広い部屋と回数で流してもらえて興行収益もガッツリあがるんだから客呼ぶために打つ広告にお金出す必要なんてナイナイ。こんな凄いことが出来るところまでスタジオが成長したのだから邪魔されずに届けたいものを作れば良いと思うよ。
内容は別に感動はしなかったんだけど最初の火事のシーンの表現を見れただけでも十分すぎるくらい良かったし、ジブリアニメは見ていて楽しい。それと感情表現が出すだけのものじゃなかったのがアニメとして新鮮でした。アニメだと描けるから無言の痛みも絵に起こせるけどありきたりな傷付き表現じゃなかったので良い意味で既存のアニメっぽさが無かった様に思う。
心の傷は深いほどさわりたく無いし自分だけの痛みだと思いたいから周りにも自分にも触れさせずにいると愚鈍になるわなーみたいな。
あの時代じゃあの子の経験よりも酷い別離や境遇の人はわんさか居るんだけど、周りに対して気付いたり配慮したり出来ないくらいの余裕の無さとか、別の事に追い立てられる必要のない甘えられる環境の中で鬱屈してつい親の力を自分の力のように使ってしまう生活の余裕に対して捌け口をつくるしか発散出来ない状況であのままいったら金と力を持ったしょうもない大人になったろうな。
息子のために自分でも無意識に気持ちよく権力を使ってしまうお父さんの一抹の悪意やエゴイズムが悪い方向に加速して引き継がれそう。
ラストは冥界行をして生まれ直す話なだけに最後は浄化されてかなりスッキリしました。
自分の中や外からくる悪意を冷静に見て対処する余裕は何処から生まれるのかと考えると友達をつくって視野を広げるって答えは具体策で、自己完結から他者と協調への王道ストーリーから外れずに強い作品になるって凄い。
あとはクリエイターに関わらず影響された環境や作品、人や師みたいなものに対しても影響は受けるけれどもどの経験を選んで身にするか引き継ぐかは本人の自由にしろって意志を感じたり。特に自己発信するタイプのクリエイターなんて色々な表現の影響は作品に顕著に出るし手法やイデオロギーは引き継げてもそれで作るものの作家性の核は自分から出力するものでしかないからコピーとか作れないし作るなよって。
ヒミ姉妹とばあちゃん'sが白雪姫と7人の小人なことだけは分かるんだけどなんでそうなのかが最後まで分からなかった。ディズニーの白雪姫がアニメ制作の道に入る出発点とかそういう事?
宮崎駿は普段どれだけおばあちゃんを見ているのか。そんなイメージ全く無いけどおばあちゃん観察しすぎだし好きすぎ。婆ちゃんにはもはや女の理想が詰まってるの?
ダークファンタジーの中にあるメッセージ
原作未読です。
戦時中、母親を亡くした主人公が異世界へ迷い込む…ストーリーの大筋は「不思議の国のアリス」や「パンズラビリンス」感がありました。
後からいろんな方の考察を読むと、「なるほどそういうことだったのか」と気付かされることばかりですが、観た後の素直な感想等々書きます。
異世界へ迷い込むあたりで観客は置いてけぼりをくらう可能性大ですが、私は「不思議の国のアリス」を観るような感覚に切り替えました。眞人はアリス、青鷺はうさぎ…
そう思って観るとダークファンタジー感ありますが、これまでのジブリの俗っぽいキャラポジ(トトロ、コダマ、カオナシ的な)はいません。これまでのジブリ作品は、親しみやすく特徴あるキャラクター、分かりやすいストーリー展開とテーマ(その中にも細々としたメッセージ性はありましたが)があるから大衆受け要素があり、いろんな世代に受け入れられていましたが、今回は違います。今回の作品にそこを求めたら、評価は低くなると思います。だから、賛否両論なのかと…
「風立ちぬ」の時同様、宮崎駿監督の描きたいものを描いたんだなと思いました。
そして、「風立ちぬ」よりもはるかに難解…
・異世界は眞人の深層心理が作ったもの?受け入れ難い現実から逃げるため?
・失踪していた眞人の母(ヒミ)が笑顔で現実世界に戻ってきたのは、異世界で眞人(自分の息子)に出会ったことを覚えていたから?
・異世界での冒険を通して成長した眞人、現実世界に戻って現実を受け止めて生きていく…なんか千尋みたい
・大叔父様の服とか雰囲気、ナウシカの大ババ様みたい。
・異世界で魔法陣のなかで呪文を唱えてるようなキリコ、ハウルみたい。
・いろんな世界に通じる扉…ハウルの城にもそんな扉あったような。
・地下の異世界でヨットを漕ぐ黒い亡霊たち…紅の豚にでてくる飛行機の墓場みたいな、千と千尋の街にでてくる黒い人みたいな。
セルフオマージュ?に感じるシーンがありました。
セルフオマージュが勘違いでなければ、眞人は宮崎駿のこれまでの作品の中を冒険していたのか。
難解!分からない。笑
なので、みなさんの考察を読ませていただきます!
そのうえて、2回目を観たい。
2回目観たいと思うのだから、私の中では面白い作品でした。
2回目を観たら、また評価変わりそうです。
あと、作画とかで気になったのが
・もはや主人公が階段を駆け上る、一気に降りるのはお家芸なのか。今回も冒頭火事のシーンで階段の作画がすごかった。
・火の粉が光る演出がジブリとしては新鮮。制作協力のクレジットに、鬼滅の刃とかのufotableが。その影響?
・アオサギに歯が生え、鼻が見えてきて、顔がでてくる…ちょっとずつ変化していく姿、不気味でよかった。
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