君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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人生観揺さぶられる映画
人生観ガンガン揺さぶられました。この映画に感想やストーリー性を求めてはいけません。難しい事は抜きにただ宮崎駿ワールドにどっぷりはまって、感性で感じて下さい。タイトルは「君たちはどう生きるか」ですが、その答えは映画の中には無く、最後に宮崎駿から観客に託されたのだと思います。賛否両論あるという事は、それだけ価値ある作品の証拠だと思います。私は支持が高いだけの映画はあまり見たいと思いません。この映画の価値が分かるのは、頭の良し悪しではなく、感受性の強さです。宮崎駿はやはり天才でした。あなたはこの映画から、何を感じますか?
もう積み上がり始めた積み木をどうするのか
今まで映画レビューというものをしたことはなかったが、この作品のレビューをしないわけにはいかないと感じた。今だからこそ考えなければならないメッセージが詰まっていた。
時代は第二次世界大戦真っ只中、主人公・眞人は特需に沸く工場長の息子で、疎開先にて不思議なアオサギに出会う。
アオサギに導かれるままにやってきた世界は、ペリカンやインコが練り歩く一種の「気味の悪い」世界だった…
この世界、千と千尋~を思わせる人外の世界と見せかけて、その実は戦争をそのまま体現した世界である。
刷り込みと教育によって均質化されたペリカンやインコは戦争を生きる大衆の象徴だ。長引く戦争の中、彼らは「敵を倒す」大義名分すら忘れ、ただ生きるために空を飛び、人を食べる。そして未来に生まれるはずの子供たち(わらわら)は人知れず殺される。この殺人を続けるペリカンに罪の意識はない。ただ今日を生きるのに必死になった結果なのだ。
彼らの中では新たに生まれる子供は新たな兵士であり、兵士が兵士を育てるループが始まってしまっていた。
こうした戦争の世界の最上階では大叔父様が石を積んでいた。最上階は緑あふれる世界。兵士のインコはこの世界を見て「ここは天国なのでしょうか」と涙を流した。そう、人々の対立の中、なんとか均衡を保って生まれた平和は、最早兵士たちには縁遠いものとなっていた。
石とは恐らく兵器、産業の象徴だ。技術を如何に平和のためを思って積みあげていっても、発展した産業はやがて不安定になり、崩れた時には大惨事が起こる。大叔父様は為政者として、何とかこの均衡を一日でも長く保てるよう、今日も石を積むのである。
だが、大叔父様の寿命ももう長くない。積み上げてきた平和ももう崩れそうだ。故に眞人にその未来を託したいと願い出る。
眞人はこの申し出を一度断っていた。理由は、彼にとって石は木のように新たな命を芽吹くものではなく、冷たい悪意の塊であったからだ。それに対して大叔父様は「それを知っている君にこそ託したい」と言った。
大叔父様の考え方は、現在、私たちの世界にて最も正しいと思える平和の築き方だ。産業や兵器は、悪意を持って発展させればすぐに崩れて戦争の種を撒いてしまう。だが一方でそれらの技術は人の生活を豊かにするためにも必要である。故にその悪性を理解した人間が、そうした種を撒かないように細心の注意を払いながら平和を築かなければならない。
だが、本当にそうだろうか?この問いかけこそが、宮崎駿がこの作品を通じて伝えたかったメッセージそのものだと感じた。一見正しいように思える為政者の在り方。だが、その結果大叔父様はバランスの悪い世界を築き、世界はいよいよ崩れそうになってしまったではないか。真なる平和を築くためには、根本的に異なる考え方で世界を作らなければならないのではないか。
眞人が大叔父様からの申し出を断った理由は、自分が石を積んでも、また同じことが繰り返されるだけだと分かっていたからだ。仮に新たに積まれる石がそれ単体では悪意のないものでも、積みあがる世界には、積み上げた人の意図が反映されてしまう。どれだけ善の気持ちを持っていたとしても、その意図に悪性が無いと誰が言えるだろうか。
映画は、積みあがった石を兵隊長が崩し、世界が崩壊することで終わりを迎える。そして、第二次世界大戦が終わった後の世界が描かれることはない。
すなわち、宮崎駿には分からなかったのである。真なる平和な世界というものがどう築かれるものなのか、ということが。だからこそ彼は「君たちはどう生きるか」という表題をつけた。自分には分からなかった「平和な世界を築く」ことを、未来ある若人に託したのである。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって久しい。米中対立は過去類を見ないほど悪化している。世界を何十回と破滅させるだけの核兵器が製造されてしまった。石はもうすでに積み上がり始めているのである。私たちはこの世界をどう生きればいいのだろうか。今一度根本的な部分から考えなければならないのではないか。
宮崎駿は残りの時間で何をするんだろう
君達はどう生きるか
なんかよく分かりませんが、内容は伏せておかないといけない雰囲気です
どこかに書いてあったのかな
映画にはなんの表示もないけど・・・
なので、ネタバレはやめときます
これはタイトルが省かれていますね
僕はこう生きた
さて、君はどう生きるかな
引退した宮崎駿が、10年振りに製作したのは
自伝の締めの部分でした
主人公の生家は、まんま宮崎駿の実家です
子供の頃の懐かしいエピソードが散りばめられている
戦闘機の部品などを作っていた大金持ちだったようです
なのでジブリは空関係の作品が多いのかと納得しました
不思議世界は自分の生涯の比喩でしょう
業界のいい事悪い事などなどの表の顔
それとは別に
内面の母への思い
これは現役の男性は外には出せないプライベートな部分
でも、意外に巣くっている物は大きかったりする
ラストシーンは
泡沫(うたかた)のような人生を終えて去っていくようで寂しい終わり方です
さて、これから何が待っているのやら
人生100年時代
まだまだあるようで
健康年齢はとても短いし
あした死んでもおかしくは無い歳でもある
ひと仕事終えた偉大なクリエイターと一緒には出来ないけれど
自分の人生を思う
なんにもしてないから、ずっとあがき続けていくんだろうな
そして知らないうちに死んでたりするんでしょう
後悔もあるだろうけれど、納得のいく人生を終えようとしている者の心情はいかばかりや
王さまは裸だ
何故解らない事を楽しまないのか
眞人が自己と向き合い成長していく、過程を緻密に描いた神がかり的な内容と私は捉えた。
ユングの集合的無意識に象徴されるようなキャラクターに挑み、協力し、乗り越えていく。
それが芸術作品のような書き込みの背景美術にくわえて、圧巻の生命体や自然物の有機的な動きで生理的感覚に訴えてくる。石ですら生きている。
ミレーやマグリットといった絵画のオマージュや、監督の今までの作品なども次々と出てきて、目を離す隙がない。
どれだけ膨大な時間を使って仕上げているのだろうと思っていたら、エンドロールに名だたるアニメーターやアニメスタジオが作画協力などで並んでいて鳥肌がたった。
これは…と思い2度目はIMAXで観た。
アニメーションの語源anima(魂)を感じた。
本当に現代に届けて下さった事に感謝したい。
ありがとう、宮崎駿監督(;_;)
色々な映像。
2次大戦時での背景から始まり、
異世界、現実界とエピソードを変えながら進んでいく作品。今までのジブリさくひん、例えばここは千と千尋、あ、ここはポニョ、え、風立ちぬ……とシーンが盛り沢山
映像がとても良くて、テンポもいい。
さすがジブリ!
そして話の進め方がモロ宮崎監督。
……色々受け取り方は違うと思うけど、
題名どうりの素直な見方なら、君は主人公かその父さんか母かその妹かサギかペリカン、インコ、おばあちゃん、大叔父…………
いったい誰のように生きるか?と、といただしながら語っていく話だと思いました。
歴代ジブリ宮崎作品の場面を要所で入れているところはとてもよかった。
ストーリーは可もなく負荷もなく、
派手なところもないのですが、
もし鑑賞するなら劇場のほうがいいです。
tvだとかなり受け取り方が良くないと思います。
これが宮崎駿の映画
初期のジブリが好きな私は、千と千尋の神隠しやハウルは最初は受け付けませんでした。理解できんと。
初期のナウシカやラピュタのようなシンプルでわかりやすい王道物語が好きです。
ただ千と千尋もハウルも何回か見るにつれて面白くなってきました。
いろんな解釈が出来るし、何年が経って見返すとまた違う感想になる。ジブリにしても映画や物語ってそういうものかと最近は思えるようになりました。
歳を取るとはこういうことなのかな。
今作も若い頃みてたら、なんじゃこりゃ?意味がわからん!となってたでしょう。
しかし引退撤回した宮崎駿の新作が見れることや、内容も集大成的で本当にこれが最後なんだろうなということも相まってぐっと来るものがあります。
小学生の時初めてナウシカを観て夜眠れなかったときの感動を思い出しました。
理解しにくいところも多々ありますがそこは見た人それぞれが独自に解釈すればいいし、それでこそこういったレビューを見たり書いたりする楽しみが増してまだ余韻に浸ってます。
これを見た感想を発信したく初めてレビューを書きました。そういう衝動に駆られる映画でした。
タイトルなし(ネタバレ)
あらすじ無いのでネタバレで
母と呼べるまでのお話?
異世界ファンタジーとしては、ナツコのアチラへ行った動機が不明でカタルシスもあまり感じられなかった コウノトリではなくペリカンなのですね、生命はまるでウミガメみたい
この世は微妙なバランスで保たれている、最後の母の言葉にはジーンときたけれども
宮崎吾朗作品みたいな退屈さ
宮崎作品のごった煮(オタク向け)
ファンサービスが多く、豪華声優陣、大人気歌手による主題歌とてんこ盛りな一品。
漫画版ナウシカとシュナの旅好きなオタクにはたまらないオタク向きな作品。
コンプレックスをようやく克服し、楽しく充実した老後を過ごすお爺ちゃんが、人生の総決算を映画を通して行っているため大変ごった煮である。
子供には少々長すぎる。
人は老年期になると、人生の総決算をする。宮崎監督は、映画を創作することで人生の総決算をしているようだった。
宮崎監督の作品は、監督のその時の状態がよくわかる。
正直、ポニョと風立ちぬは、監督の過去や母親へのコンプレックスを癒やすための作品としか思えず、あまり好きではなかったが、今作では、久しぶりにコンプレックスを作品として昇華してきた。
監督の中で、過去や母との関係に区切りがついたのだろう。
それでもきっと、未だに母親の夢を見るのだろうな。
珍しく、他の作品を連想させるシーンがとても多い。しかも、明らかに見る人が分かるようにやっている。ファンサービスだ。
そこに、変な説教臭さや、顕示欲は感じなかった。監督自身も楽しんでいることが伝わってきた。
監督が、前向きに、楽しく、息をするように、昔に思いを馳せながら、のびのびと創作しているなと感じられた作品だった。
あれが、自分の偉業を見せつけるためのものだとしたら、逆によくあそこまでささやかにやるなあ。
そして今作は、声優に人気俳優、主題歌も人気歌手と、宮崎監督がまるで普通の監督みたいなことができるようになっていることに驚いた。
この歳で、こんな方向転換ができるなんて、やっぱりとんでもない人だ。
内容に関しては、特に難解とは思わなかった。
今、漫画ナウシカと、シュナの旅を子供にも見せられるようにするならこう表現するんだなと分かる。
手を切り落とされてすすり泣いていた人食いや、蟲使いは、インコになった。
墓所は血を吹き出さなかった。
でも、やっぱりベースはここなんだな。
わかりやすい冒険活劇だけを創る人ではない。破壊と慈悲の混沌の人だ。
監督は、変わっていないなと、嬉しくなった。
しかし、他の作品ではカットしただろうシーンがいくつもあった。風立ちぬのような感じだ。今の宮崎監督はここを描くことに価値を感じるのだと興味深かった。まだ解明されていない老年期の特徴の1つなのかもしれない。
そんなわけで、お子様には少し長すぎるので、一緒に見た小学2年生は残り30分で飽きていた。
お子様には長すぎて、かと言って大人が求めるジブリとも違う。
オタク向けの宮崎映画だった。監督が戻ってきて、オタク向けの映画を作ってくれたのは素直に嬉しい。
個人的には、もののけ姫や千と千尋ほどの胸のヒリヒリや、ハウルほどのときめきも感じない。もう1度見れば、見えなかった細部は見えるかもしれないが、2度目の映画館には行かなくてもいいなと思う。
映画館に行くより、ナウシカを読んだほうが早そうだ。
気に入ったポイントは、インコの鼻息と、包丁を研ぐインコ。
駄目お父さんキムタク、素晴らしい説得力の火野正平。
意外と菅田将暉は滑舌が良くはないとわかったところだ。
いいごった煮だった。
「宮崎駿」という名前だけで、映画を評価してはならないと思う
映画の内容を一言で言えば、「アシタカが主人公の不思議の国のアリス」って感じ。
上記を面白そうだと思うなら、この映画を楽しめる人だと思う。
僕は楽しめなかった。
不思議世界が支離滅裂なのはアリスと同じだとして、アリスと違って主人公は華もないし、リアクションも薄いし、暗いし。
主人公のリアクションが薄いから、不思議体験の数々に、全然感情移入して驚けない。
結局「墓のぬし」ってなんだったんだ?
主人公は暗いし、登場人物は嫌な人ばかり。
後妻の母親なんて、「あなたなんか嫌いよ!」って、母親が子供に何言ってんの?
映画館で子供が見たらショック受けるよ。
毒親気味の父親、学校でのイジメ、欲深い老婆たち、支離滅裂な不思議世界
↑これはほんとに、あの子供たちに夢を与え続けてきた宮崎駿の作品なのだろうか。
この内容で無名の映画監督だったら、みんな底評価してると思う。
なぜなら、高評価の内容のほとんどが、「宮崎駿」ありきのものばかりだから。
でも、僕も宮崎駿ファンだからこそ、監督の名前だけで作品を評価するのは、かえって失礼だと思うので、今回はあえて底評価をつけさせてもらった。
人間だ
コナンカリ城をピークに面白くなくなり、これが遺作か。
抗鬱剤の効能を期待した
梅雨の移ろいがちな天候の下、
有名タレントが自死を選んだ7月であった。
『君たちはどう生きるか』
このぶっきらぼうな命題が事前情報なしで幕をあげると云うのが、私たちにとっては劇薬であり秘薬であった。
宇多田ヒカル、庵野秀明、こと宮崎駿に於いてはある種覚者としての機能が求められ、世間は向こう10年生き長らえる閃きを渇望している。
本作は「戦時中に母を亡くした主人公眞人が、異世界に迷い込んだ義母を救出するロードムービー」なのだが、恐らく観劇後2時間でこのあらすじを紡げる者は皆無であろう。
5分に1度、地球上の誰も見たことのない映像美が目まぐるしく展開され、説教臭さのない道祖神的な宗教観が全神経を奪っていく。
これらは碇ゲンドウがテレポートした時の痛快さを孕み、時にすずめの戸締りであり、時にインセプションであった。
義母を母と認めるに至る神隠しの中で、千と千尋と違ったのは髪飾りの匂わせで閉幕しなかった点。
眞人は異世界の記憶を有しているとメタ表現を用いて迄説明がなされ、自己選択によって現世に帰還した事が強くアピールされた。
思えば劇中では死人も魚を欲しており、兎角生死を選びたがる私たちから死の退路/進路を無意識に消し去ってくれる様な効能を感じた。
『君たちはどう生きるか』
観劇後のタイトルは生命力に満ち溢れていた。
俺の理解あってる?
公開当日に事前知識なしで、レイトショーにて鑑賞。
これって生死(精子)の話だよね?
結論から話すと、これは受精から出産までの話。
【生について】
1. 青鷺はコウノトリ(優しくいうと)
2. 真人はコウノトリに誘われ、7の羽を持って塔へ案内される
-> かえるやこいに煽られたのは射精のメタファー
-> 塔(意味深)に向かったのは受精までの過程
-> 7の羽は受精から着床するまでの期間を指している
3. 受精場所(卵管)を通じて、夏子さんのいる産屋(子宮)に向かう
-> これは着床までの道のりを描いている
-> 夏子さんに会って着床した
-> 夏子の不穏はつわりやホルモンバランスの乱れを意味している
4. 邪魔してくるとりの存在
-> 着床するまでの過酷さ、困難さを描いてた
5. インコ大王は陣痛
-> インコ大王と手下が向かった先の天国は羊水のある子宮内(赤ちゃん居心地いいよね、栄養(食材)もあって温かい環境)
-> インコ大王が石(胎盤)を壊したことで破水が起きた
6. 破水によって世界が崩壊
-> これによってそれぞれ扉を開いて現実世界に戻る(出産)
(補足)
扉は年代を示していて、時間軸は違うが出産の概念を示している
【死について】
1. 側頭部の自傷行為
これは自○のメタファー。慣れない環境、母親の死に対する絶望感からと察する。
2. 傷をつけたことの自認
最後自分が傷つけましたと自認。これは生と向き合い生きることを決意した。
(だから友達を作るとかの話をした)
【まとめ】
ぱやおは受精から出産までといった生まれるまでの過程を見せること、
加えて死に向き合い生きることを決意した真人を通して、
命の使い方、尊さを描きたかったんだと思う。
他のコメにあったような
今作はジブリの集大成だの、映像に力を入れているだけだのは違う気がした。
ぱやおは人生最後の作品として、生命の尊さを描いたんだね。
これは確かに広告打てないわ。それほどまでの話。
肌に合いませんでした
自分は作品のストーリー性やキャラクター造形にひかれるタイプなので、率直に言って本作は好みの作品ではありませんでした。なので低評価です。すみません。
絵はすごく丁寧でキレイでしたし、メタバース展開も面白く見ました。ただ、結果的に印象に残ったのは主人公のマザコンぶりで、相変わらず宮崎監督はお母さん大好きなんだなあと。空、海、鳥、魚、ワラワラ・・・ 描きたいものの、描きたいシーンだけを目いっぱい作品に詰め込んで、監督的には大満足の仕上がりだったのではないでしょうか。残念ながら自分は途中でついて行けなくなり、中盤で心理的ドロップアウトしました・・・
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