君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全2097件中、241~260件目を表示
美しい日本式アニメだけど
無広告戦略にダマサレタ。思索的な映画、もちろん有っていい作家映画なれど、たしかにこの内容を広告していたらここまでの集客は無かっただろう。悪い映画とは思わなかったがやられた感を引きずる。
宮崎駿からの最終ヒント&エール
「あの宮崎駿がここまでやるってよっぽどだよ」というのが率直な感想です。
これまでの作品とは違いストレート。
分かる奴に分かれば良いというスタイルは封印し、宮崎駿という人間の思想や世界観をシンプルに表してる気がしました。
ストーリーやエンタメとしての完成度は二の次で、とにかく馬鹿にも伝わるものをと恥を忍んで、または監督自身が馬鹿になりプライドを捨てて作ってくださったんだと思います。
“考える頭を奪われ、決められた使命通りに、ただ生きているわけではない。
善意と悪意、真実と嘘、科学と自然、強さと弱さ、男と女、俗欲、正義、愛…
このカオスな世界で、どう生きるかを考え選択できるのが今世の人間。
今の過ちも君たちなら修正できるから決して諦めるな。”
…と、そんな励ましをもらえた気がしました。
ナウシカが驕り高ぶる人類への警告なら「君たちはどう生きるか」は鼓舞激励に近い気がします。
ポニョやハウルなど宮崎作品は自分にとって難解なものが多く、理解できない悔しさから「気取ってんじゃねーぞ」と思ったこともありますが、今回の作品からは監督の焦りや葛藤、矛盾などの人間臭さい部分と、これまでにない優しさ=譲歩が感じられ、初めて泣くことができました。
諸々を次世代に託したのかなと。
天才が柵から解放され自由になったあとこそ真骨頂だと思います。
耳をすませばの「磨くとかえってつまらないものになってしまう石なんだ」「荒々しくて、率直で、未完成で、聖司のバイオリンのようだ」という台詞が何故か頭に浮かんできました。
80代でこのような作品を作られるなんて、ただただ凄いとしか言いようがありません。
完成度は捨てて「未」を許容したであろう監督の変化から「美」と、本来なら未と反するはずの「完」を感じ、宮崎駿の生き様そのものが作品なんだと気付かされました。
妥協を許さない完璧主義の監督がここまでしたのは、きっと次世代アニメーターたちのためでもありますよね。
残された時間の中で監督がやりたかったことがこれだったのかと思うと感謝の気持ちしかありません。
このような作品を残してくださり本当にありがとうございました。
宮崎駿の集大成
まず映画が始まってすぐその映像美に圧倒させられます。オープニングとしては最高の始まり方だったのではないでしょうか。あのシーンでまず私は涙してしまいました。あれほど切なく切羽詰まる描き方は今までなかったと思います。
さて、本編ですがテーマはやはり生と死なのでしょうか。生まれること、母親とは、命とは、死とは、あの世とは…そんな色々な命に纏わるテーマを扱ってるように思えました。ただもっと他にもメッセージ性が込められていて、受け止め方が違うのがこの映画の醍醐味だと思います。
その上で最後、さぁ君たちはどう生きるのか、この苦しい世界でどう生きるのかと問いかけてくる映画でした。
たくさんの生き物が世界にはいて、その中でたった1つの自分。
一度見ただけでは分からないところも何度も見直したいと思える作品です。やはり宮崎駿は唯一無二で、代わりになる人は誰も居ないとそう感じさせる素晴らしい作品でした。
ただこの映画には今までのジブリ作品を彷彿とさせるシーンがそこかしこにあります。それを見つけるだけでもとても楽しめる映画でした。
手書きの素晴らしさを再認識させられる見事な映画です。
ただ、最後の曲だけは今までのジブリらしくなくて好きにはなれませんでした。
好き嫌いがはっきりわかれる映画ですが、私はとても好きでした。また何度も見に行くつもりです。
新しい映像遺産かも知れない
ここで皆さんが色々解説されてて、ごちゃごちゃした自分の頭の中身が整理されたり、逆にまた捻る羽目になったりして実に味わい深い作品になっております。
自分もせいぜい時代設定くらいで、ほぼ下調べなしで鑑賞に臨みましたが、とりあえず気構えとして「2001年宇宙の旅」を見るような、話の筋を追って楽しむようなことをすると混乱するだろうな、という覚悟はしておきました。結果どなたか評論家の方のご意見にもあったように、これは宮崎駿という人の創作の源泉をそのまま映像化したものだ、と自分も感じております。
これから夏休みに入ってきますが、多くの方が指摘されているように小学生くらいのお子様が見ても退屈してしまうだろう心配は大方正解だと思います。ただ、そういう子供さん達も5年、10年したあとで、なにかのきっかけでこの作品に会った時に、発想や創造力の一助になる可能性は充分に秘めた力を持った作品に違いないと感じました。
良くも悪くも真の評価はこれからされるのだろう、と思っています。
私にとってはこの程度もネタバレ。
1回じゃ分からない部分あるけど、問題なし。私は好き。風立ちぬが好きな人には難しくないかと。いや難しいんだけども。もう1回は観たいかなぁ。「君たちはどう生きるか」より「失われたものたちの本」という小説の影響があるそうですね(薄い)。どんな小説か興味を持ったのですが、レビューに怖い、というワードがよく出てくるので読むのは止めました。でも考えさせられる内容とのこと。この映画は怖くはないけど少し暗い?いやちょーっと何となーく怖い雰囲気もあるか?期待したファンタジーとは種類が違うけど、難しいけど、分かりにくいけど!深すぎて好き!
とんでもなく好きな作品
線で絵を描いて動きを作るのがアニメーション。最高のアニメーターが集結したのだろう。オープニングから度肝を抜かれ涙が出た。
マヒトが四つん這いになって駆け上がる階段の肌触り。火事の火の粉を物ともせぬ疾走。夏子が輪タクから降りるときの下駄と地面のあの感覚。肉体を写しとったような夏子の官能性…。古い家の描写に唸り、サギの完璧な身のこなしを堪能しているうちに、7人の小人婆さん登場で、ファンタジー感全開。で、もう、ここからが凄すぎる。
一見無抵抗な従順さの中に、決して自己の領域を踏み外さない“距離感”を感じさせるマヒト。自分の頭を石で割るような悪魔的な少年は、最初から矛盾を内包していた。
魚の内臓、ペリカンの埋葬、わらわらを通して、命は土に還っていずれまた新しい命が生まれる土壌となることが描かれる。それを受け入れた上で、「じゃあこの与えられた命をどのように生きよう?」って考えるのが人間。
自分の弱さが過ちを犯させたことを正面から見つめ、より良く生きたいという思いの中から、新しい自信を汲み出していくことを学んだコペルくん。
マヒトもまた自分の悪意を見つめ、ラストに自発的に生き方を選んだ。
ストーリーは解釈がいろいろだろうけど、私は自分なりに腑に落ちたから大満足。
宮崎駿(なぜか今回は宮﨑だった)は、なんかこう、わかりやすく話をまとめてしまうようなことは決してしないよね。
わからなくても面白い
噂の映画を
たった今観に行ってきました
私はすごく面白かった
レビューを色々と見てたら
わけがわからないという
レビューが多かったけども
わけがわからないとは私は全く感じなかった
ストーリーもシンプルで
表現は美しい
造形や配置は自然にあるものにすごく近く無駄なものがない
他の誰にも造られないだろう
この表現は何かで感じたことがあると思ったらフェリーニだった
フェリーニよりもはるかにエンタメかな
子供には2時間は長いけど
その時々のシチュエーションはキャラも魅力的で子供にも楽しめるかもしれない
特に小さい子供には
わからないといって面白くないと言ってる人は多い
私はわからなくても面白い
どんな意味があるのかとか知らないし
知ろうとも思わない
わからない音楽や
わからない映画や
小説とか前はいっぱいあった気がする
自身の心が動く時に
意味や解釈を伴っていなければカタルシスを得られない時代になったのかな
間違いなく傑作
見応えのある素晴らしい映画
意味が分かれば意味分かる
おそらく宮崎駿の最終作品
100年200年たっても名前が上がるような監督と同じ時代に生きてた事や
子供の時から大人になった後も充分アニメ映画を楽しませてくれた事に感謝。
今回は分かりやすいラピュタとは違って一般人に向けて作られていないという印象
では誰に向けて作ったのだろうか?
おそらくは本当のアニメ関係者や業界人へ向けて作った遺言じゃないだろうかと思えた。
エンドロールに総務部や財務部の名前まで出しているのもそういう事だろう 関係者や業界の人の為に向けて作られているのが強い。
・不思議な世界を産み出した大叔父は宮崎駿または高畑勲だろう
世界を作り続けて来たが業界自体に限界を感じ
次の担い手に自分の世界を次いで貰いたかったが
次の世代に全てを任せる事に決めた 完全引退宣言
不思議な世界に繋がる塔の声が聞こえるのは『血筋を引いた人』だけ
・血筋を引くのは少年 つまり宮崎駿や高畑勲の弟子筋
少年は戦闘機を見て美しいと言ったりしているので、宮崎駿本人も投影されている気もするが
自傷したりしていたり言葉数の少なさも庵野秀明を色濃く連想させるが
ジブリを引き継ぐ事はせず 自分の世界を進む事を選んだ
・アオサギは鈴木俊夫そのものだろう
人を誘い込んで 騙して 嘘ばかりつく冷酷なプロデューサーだが
そういう人間も綺麗事だけじゃない業界では必要であり、友人だと言うこと
近年 鈴木俊夫は 庵野秀明にべったりでなんとか取り込もうと必死だった所も共通している
・不思議な世界の中で浮かび上がる事を夢を見てるが実際は地獄を見せられているペリカンは堕ちたアニメーターやアニメ製作関係者だろう
(彼らも本来はまっとうな事をしたかったが、純真無垢なホワホワ?を食い物にしないと生きていけない)
ペリカン達は【俺たちは作られた】と嘆いているが
『我を学ぶ者は死ぬ』という代物に殺到していた
宮崎駿のインタビューでも言っているが
『アニメ製作は自分や他人を傷つけ、磨り減らす。
私も若い才能を何人も潰してきた』と言っている
ペリカン達はアニメ制作をしたい!と望んでしまった人達の成功を掴めなかった多くの人達だろう
アニメの世界に縛られながら 本望でも無いことをさせられ続けている
・インコはアニオタやその界隈か
不思議な世界(アニメの世界)にインコをたくさん連れてきたのは大叔父だが増えすぎてしまったという。
増えすぎたインコは 世界を製作者から奪って自分達の都合の良いものに変えようとしており これは2次創作作家やアニメ全体の業界も含んでいると思う。
『インコは子供を食べられない』というのは
いわゆる萌え豚と呼ばれる界隈でも唯一 手を出していけない物は法に触れる児童ポルノなので、インコがそういう界隈のメタファーなのはほぼ間違いないかとは思う。
正しく言えばアニメという【技法】を愛している訳ではなく、自分の性処理や疑似恋愛の欲求を満たすための創作、キャラクターや作品をポルノや都合の良い話に改変し消費する界隈の人達。
・キリコさんはおそらく宮崎駿と二人三脚だったジブリの名物女性スタッフだった人だろうと思うが
分からなかったのは母親とナツコ母が どういう事のメタファーだったのか良く分からなかった
少し話がそれるが【京アニ事件とペリカンの死因】が酷似している。
純真なホワホワ(少年少女)を食い物としているペリカン(アニメ製作者)は火に焼かれて死ぬ。
これだけでは、かなり辛辣なメッセージに見えるが
病院で新しい命(作品)を身ごもっていたであろう母親も火に焼かれて死んでいる。
火で巻かれて死ぬことより産み出せることが素敵だと別れ際に母親は言う
宮崎駿はいわゆる商業アニメを毛嫌いしているものの、当事者達の物を作りたいという気持ちや気概は否定しきれなかったのではないかと見えた。
京アニ事件の犠牲者にはアニメ会のベテラン、ジブリに縁深いアニメーターも亡くなっているのだ。
●この映画はストーリーラインがグニャグニャしており どこが本筋なのか不明。
明確なメッセージがあるわけじゃなく
今のアニメ業界を投影・比喩・描写した パッチワーク的なポエム作品なんじゃないかと思う
業界関係者達に
僕達が好きだった業界はこんなになっちゃったけど、どうすんの?
殺しあいながら犠牲を出してやってくの?
やってくんだね? 頑張ってね!
というただの遺言だと思う
結局高畑宮崎が目指した 創作物によって人間を成長させる という生涯のテーマは果たしきれなかったと考えると少し切ないが
消費娯楽ではなく創作の道を志す 君達に託したとも言える
後は制作時期がコロナだったのも大きいと思われる。
コロナは戦争そのものだと良く言われるが ガラリと変わった価値観や社会の先で、これからの人達はどう生きていくのだろうという宮崎駿の単純な疑問がタイトルになっている。
戦争が終わり現実に返されて映画は終わる
※アニメ視聴者を現実に帰らせて終わらせる という終わり方は高畑勲イズムだが、庵野秀明も最後のエヴァで継承していた。宮崎駿もそれに倣ったのだと思える
ーーーー
作品の感想
◆私的な考えを言うならば 宮崎駿 本人の総括は風立ちぬで完成していたにも関わらず
今作を作った理由は やり残したこと=先輩が認めてくれる作品を作りきれてなかった点にあると感じる。
表の話に裏の設定をつけるのではなく
裏に話のラインを引いて、それを隠すように表にストーリーを乗せる、この形は高畑勲の傑作【かぐや姫】を強く意識している。
かぐや姫は水彩画のような手法が凄いと言われることが多いが、全くもってソコではない。
それは綺麗な包み紙を見て【凄い綺麗な作品だね】と中身を見ていないに等しい。
かぐや姫のアイデアは並の作家では指の先すら届かないウルトラCのアイデアだった。
(高畑監督がかぐや姫で何をやろうとしていたかは、別のレビューを読んでいただきたい)
後輩の宮崎駿は高畑の遺作となった かぐや姫で作家としての文学的力量とアーティストとしての姿勢にコンプレックスを植え付けられたはずだ。
魔女の宅急便で高畑から叱責を受けた後は明らかに作風は変わり、かぐや姫の後 高畑が亡くなってからは更に文学やアートとして深みを持たせたアニメに傾倒していっているのも明らかだった。
宮崎駿も見た目だけの作品を作る人間ではないのだが、高畑にはとうとう認めてもらえないままお別れすることになってしまった。
そんな彼が最後にやりたかったのが亡くなった先輩が喜びそうな作品、先輩にまたあーだこーだ言われそうな文学的・芸術的なアプローチに挑戦したという事が実に泣ける師弟愛なのである。
大人であれば好き嫌いは別に楽しむことは出きる
子供は大人になった時に見返して楽しめれば良い
渇望、そして消化不良
「風立ちぬ」(13)から10年の渇望感!事前情報がなくてもあっても、きっと多くの人が劇場に押し寄せたに違いありません。パンフレット発売まで先送りとは驚きましたが(汗;)。関東大震災からの復興をモチーフに描かれた前作と似ているのかなと思いきや途中から「えっ、そっち系?」という展開でした(笑)。そこの分野は宮崎監督の得意技なので、「よし、きたぞ!」という感じでした。といっても過去のエンタメ作品にあったようなグイグイと冒険に出かけていく感じとは違って、心の奥へ潜っていくような感触でした(個人的な感覚です)。ある種の成長譚には通過儀礼が描かれることが多いと聞いたことがありますが、今作でもそれらしき描写があったように感じましたが、正直なところ、消化不良でした(汗;)。たくさんの登場人物間の関係性や様々なキャラクターに当てられたメタファーの意味するところがよくわかりませんでした。「君たちはどう解するか」という夏休みの宿題ですか?(苦笑)
このレビュー書きたくて会員登録しました。
映画館で宮崎駿監督作品を観ることができた。
よく分からない、監督の老いを感じる、万人受けしない...色んな意見をお見かけしますが、満員近い映画館のスクリーンでこの作品を観ることができて私はとても満足です。祝日最後に滑り込んで正解だったなと思います。
宮﨑駿監督作品を最後に映画館で観たのは20年以上前で、5歳の時に観た『千と千尋の神隠し』以来でした(当時は立ち見販売もされていたけどそれすら埋まるほど人気だったのを覚えています...次の回待つ間にセレビィ観た記憶ある)。
コロナになる以前から足を運ぶことが全くなくなった映画館。観に行こうと思ったのはTwitterで見かけた映画のポスター・事前情報が全くない・宮﨑駿監督作品という3点に魅力を感じたからです。正直、チケット買う時には「今ってこんな高いんかい」とか思っていましたが、見終えたあとは「もう一回映画館へ観に来たい」という気持ちでいっぱいでした。
この映画が伝えたいことは何なのか、自分なりに解釈できたので満足です。でも、あまり深く考えなくてもこの作品の見所・魅力・好きなところはたくさん見つけられるかと思います。良いアニメーションです。
評価が分かれているのをみると、人により求める部分が違うんだな...という感想を持ちます。そりゃそう、確かになと思います。
私個人としては何より、青サギポスターとタイトル以外何も知らない状態でこの映画を映画館のスクリーンで観られた...という一連のことが、映画という思い出において一生のものになるだろうと感じています。
お盆に帰省した際には、20年前に『千と千尋』を観た地元の映画館へ、母と姉と共に観に行こうかと思います(上映されていると信じて)。映画館で観られる内に、堪能したいです。
タイトルの意味は?
見る人によって受け取り方が変わるもの
宮﨑駿監督作品・ジブリという枠組みを一度頭から追い出して、なんの事前情報も入れず、なんの偏見ももたずスクリーンに映し出される絵、音、メッセージをそのまま受け取る…そのような姿勢で観てほしい作品です。楽しいおもしろいだけが"愉しむ"ことではありません。本作は口を開けていれば楽しませてくれるエンタメ的な映画ではなく、観る側の感性や経験によって受け取り方が変わる抽象画に近い作品だと思いました。
舞台は戦時中、主人公は裕福な家に生まれ育った少年・眞人(マヒト)。戦火で入院中の母親を亡くしますが、まもなく母と顔が瓜二つ・すでに父の子を身ごもった「母の妹」が新しい母親として現れます。たった1人の母を失った悲しみに向き合う暇もなく周りの親切な大人たちによってみるみるうちに環境が整えられていき、不自由など何もない生活が与えられます。まずこのような立場に置かれた時、あなたならどうしますか?何も気にせず与えられるものを享受する、非行に走る、親に反抗する…人によって違うでしょうが、眞人はとても物分かりのいい少年です。周りの親切な大人たちが自分のためを思って環境を整えてくれたことを知っているし、戦中ではわがままを言えないことを理解している。自分自身の気持ちは「あの日」に置いてきたまま、淡々と毎日を過ごします。まだ幼い少年でありながら、そのような"大人の"振る舞いができる子なのです。
表面上は問題ないように見えても、アオサギを執拗に追いかけ回したり、転校先の同級生とうまくいかなかった帰りに自分の頭を石で傷つけて流血しながら帰るなど、彼なりの世界への反抗・感情の発露がとても生々しく、息を飲みました。
眞人の本当の心を置いてきぼりにしたまま、物語は進みます。義理の母を探して迷い込んだ不思議な世界に翻弄され、時に誰かの手を借りながらついに義理の母を見つけますが「出ていけ、あなたなんて大嫌い」と突き放されてしまいます。あなたならどうしますか?必死にここまできたのに、と怒りますか?じゃあいいよ、と引き返しますか?眞人はこれまで自分の『お母さんへの気持ち』をずっと仕舞い込んできました。突き放されたことで、仕舞い込んでいた本当の気持ちが涙とともに溢れ出します。その瞬間に自我が息を吹き返し、現実を受け入れるための一歩を踏み出すことができたのです。
宮﨑駿監督は、母君とご自身の関係でしばしば苦しんだというようなことを語っているようですね。私自身にもそのような経験があり、眞人の抱える感情がとても他人事と思えず鑑賞後になぜか涙が止まりませんでした。眞人がした不思議な世界での旅は、自分の気持ちを探す旅、自身と向き合うために必要な経験だったのではと思いました。理解できない世界を受け入れ、その上で自分がどうしたいか考えることで、自身を閉じ込めていた堅い殻をやぶり自由になるということなのではないかと。
したがって、本作から私が受け取ったメッセージは『君たちはどう生きるか』、まさにそれでした。
楽しいおもしろい作品が"神" "最高"と称される世の中に、どのカテゴリーにも属さない作品を投じることができるのは、これまで"神"と称される作品群を世に送り出してきた宮﨑監督にしかできないことなんじゃないかと思います。
本作は、いいか悪いか、おもしろいかおもしろくないか、傑作か駄作か。二元的な捉え方では捉えきれないと感じます。物事に正解などありません。判断する人・時・場面によって異なる最適解があるだけです。宮﨑監督が生きてこられた80余年の間に何度も"常識"が塗り替えられ、正しさなんてどこにもない、すべては自分と向き合うことから始まる。と悟ったからこその作品なのではないでしょうか。これまで成し遂げてきた宮﨑監督にしかできない"仕事"、そして共に歩まれたスタッフの皆さますべてに、心からの敬意を表します。
(追記)
はじめに何の偏見もなしに〜と書きましたが、私は宮﨑さんの「決して人間の思い通りにならない自然」の描き方がとても好きで、幼い頃から宮﨑アニメを観て育った自分にとっては今作でもその部分が変わらず感じられたことがとても嬉しかったです。ジブリが好きだったのに今作は面白くなかったと感じた方は、ご自分がなぜジブリアニメが好きだったのか、幼い頃を思い出したり、あるいは自分の心に問いかけたりして理由を探してみると、どうして楽しめなかったのか・好きな部分はあったかなど、新たな発見があって『こんな作品があってもいいかな』と思えるかもしれません。
この作品の評価は、作家宮﨑駿の死後に定まる
--
80歳を超えた宮﨑さんには、新たに何が見えているのだろう?
この世とあの世のあいだにある世界は確実に近づき親しみのある形で見えているのだろうか?
すでに老いた人たちにとって、未来に生まれてくる子どもたちは本当に希望なのかあるいはぼんやりとした絶望なのか?
宮﨑さんは引き潮の砂浜に城を作っては壊し
そしてまた新しい城を作る
その時にしかできない閃きと感性と新しい素材で作りはじめては、完成する頃には「これではない」とどこかで悟ってしまう
だから哀しい
でも刹那に見た夢だからこそ作品は美しい
滅びの予感の中でまた新しい光を放つ
今はそれがどんな形であれ、われわれは作家宮﨑駿の新作を見ることができたということを寿げばよい
新たな作品が生まれたのだ
そしてこの作品の評価は、作家宮﨑駿の死後に定まる
これは同時代の私たちに向けたメッセージだったのか、まだ生まれてもいない未来の人々に向けた問いかけだったのか?
いずれ彼の旅を辿る中でわかるだろう
--
見終わって隣のヤングな男の子3名が意味わからない…と頭を抱えていた
わからないまま持ち帰ればいいのだ
すぐにわからなくてもやがてじわじわとえも言われぬ滋味を感じられるかも知れない
他人と共感できる言葉を探す必要はない
自分だけでその味を密かに噛みしめればいいのだ
映画はSNSのネタでもなくコミュニケーションツールでもない
個人的な経験なんだもん
面白かったです
塔の向こうの世界にはいくつもの扉があって、扉ごとに違う時間や別の世界に繋がっている。
その扉の向こうに、主人公の眞人君やお母さんや大叔父さんなどと、時代の違うさまざまな人が集まっている。
まるで、近年でアメリカンコミックなどを中心に流行りの、世界が絡まり合ったマルチバースですよね?
先月封切られたばかりのザ・フラッシュなどは時間を超えられるヒーローでした。
よくもまぁ、宮崎駿監督の年齢で、こんな最近の流行を取り入れたような若い世界観を作れますよね。
しかも、物語の元になる主人公の生まれ育った元の世界は戦時中の日本。
若い人にはなかなか描けない世界だと思います。
若さを持った80過ぎの老人って、最強ですね。
最初に戦争の場面から始まったときには、普通に戦争のアニメかと思いました。
それに、屋敷で働くお婆さんがまたたくさん。
千と千尋の神隠しに出てきた湯婆婆とか、ハウルの動く城なんか主人公がお婆さんになっちゃうでしょ?
ジブリ作品って、皺くちゃでどこかちょっと不気味な、お婆さんのキャラクターが結構存在感があると思うんです。
今回はお婆さんがたくさん出てくるのに、顔の大きさやおできがあったり、「皺くちゃで個性がある外見」がひとりひとりに個性的で、存在感があったように思います。
不思議なお話で、理解できない部分もあったけど、なかなかに面白かったと思います。
というか、ネットニュースの記事ではスラダン方式で爆死して、観客が少ないって情報だったと思うのですけれど。
劇場内はほぼ満席でしたよ?
凄いもの見た。
面白いかと言われれば微妙だけど、ともかく物凄い作品だと思った。
ずっと宮崎駿が見ている夢を見せられている気分というか。
作中、水と火がとても対照的に表現されていて、印象的だった。
水は、優しく、幻想的で、でも所詮は嘘で作られた紛い物を。
火は、厳しく、恐ろしいけれど、真実を、
それぞれ象徴していたように思う。
同時に、真実=死でもあることががっつり明言されていて、
とんでもないテーマだなと思った。(全然的外れな意見かもしれないけど。)
一番印象的だったのは、ラスト近くでアオサギが言った、
異世界での出来事を覚えている眞人に対して驚いたあと、
「でもいずれは忘れちまう。だけどそれでいいんだ」的な台詞。
それって、まんま私たち観客に向けた台詞だよね……。
いずれ忘れてもいい。全部理解してくれなくていい。
今だけでも感動してくれれば、
ちょっとだけでも考えてくれれば、それで充分だってことなんだろうか……。
おじいちゃん謹製。良く解らない、だがソレがイイ。(ンな訳ない)
宮崎駿氏、御年82歳。満を持しての公開に際し、PVもチラシも前情報皆無で14日金曜の公開まで、まさに蓋を開けなければ何もワカラナイ状況で観賞の時を迎えました。唯一の情報はタイトル『君たちはどう生きるか』は、1937年の吉野源三郎の小説から用いたとの事で、中身とタイトルの関係性を探るテーマでしょうか。
まず作品を観て思った事は、正直あまーり良好には思えません。生命の誕生と終焉のネイチャーファンタジーと解釈でき、いわゆる宮崎駿式『はたらく細胞』とでも言いましょうか。(←※追書きに訂正あり)
ただソコは題材にしただけで、ソコが解らなくても『お話』としての理解だけで充分事足りる筈です。当然ながら「根本までシッカリ味わうべき」と創り手や取り巻きが圧力をかけるのはNG、受け手の理解と感想に委ねるべきです。
ですので、説教全開・解らない観客が悪いのだ!的な創作者エゴ丸出しの作品を、自分は全否定してます。本作品はサスガにそんなお高い作品ではないので、自分の感想はそう云う訳で★3です。
一番ダメに思ったのはダレ気味のストーリー展開、設定。主要キャラの魅力もイマイチ、一昔前の古臭さすら感じます。真人は昭和の若造風情で、ヒロイン不在?ながらも中盤登場の『火娘』は微妙‥‥
そして相変わらずの婆ぁサン好きときたら。氏が昭和の御仁だから致し方ないとしても、原作を別の作家の良好なストーリーを扱った方が良かったかも知れません。
で、氏の声優嫌いは今更ですので『丸太上等』覚悟の上です。あの父親がキムタク? キャストの発表すらなかったので鑑賞中誰が誰やらですが、ソレこそが氏の狙いで、個人的には一番受け入れがたい、偏屈の最たる部分です。
そうは言うものの、アニメーターとしての動かす力・感性の鋭さ・芸の細かさは衰え知らずで、CGではない手描きの動きの自然さ・細やかさ・キレイさの演技には魅せられます。この辺りはまだまだ一目置かれる『職人魂』で、動画だけは刮目に値すると思います。
そして随所に、ジブリ・宮崎アニメならではのカオス『ワラワラ』感が展開されるほか、趣味の飛行機ネタ・船ネタ・軍や車ネタなど。加えて脇役のスットボケキャラは絵面をヒョウキンに盛り上げています。あとチョイグロも少々。しつこくてウザい演出が1点ありましたがソレは無視します。
結局、これぞまさに『ジャパニメという文化芸術』の真骨頂と言えるでしょう。
しかしながら肝心のお話がアレ‥‥ ハードほぼ満点、ソフト赤点スレスレ、でしょうか。
(パヤオサン、アニメで実写を追求したかったのかなぁ。。。)
以下余談ですが、氏は観賞者の満足や好評を一切期待してないかも知れません。観たきゃ観れば良い、別に観なくても良い、観客の評価なんて知らん、興行成績なんかドーでも良い、世間には興味ない、なーんて斜に構えてそうな。
加えて興行作品と言う認識も薄そうで、制作に7年もかけた事から自身の哲学を可視化したに過ぎないとか。息をする様にアニメを創った、意味も理由も目的もなく本能的に、縁側で茶をすするかの如く‥‥
ソレを『鑑賞者は○○しなければならない』的な内側の圧力を感じるならば、いわゆる信者サン以外には比較的敷居が高い作品です。
年齢的に次作は期待できませんし今度こそ名実ともに完全引退かと思います。ただしその際は自身の初期の原作のアニメ化を、庵野監督に託してはいかがかと‥‥w
【追書き】他のレビュアーさんの多くに『アニメとジブリと私(駿氏自身)』の解釈があり、目からウロコが取れました。でもアニメ業界・ジブリにとってもソレは生命活動の輪廻のレールに乗ったものだと思います。
宮崎駿版「フェイブルマン」
「風立ちぬ」からまたさらに自身の話を掘り下げてくるとは思っていなかった。
事前情報が一切ないという上映形態は、公開当時の劇場に独特な雰囲気をもたらし、満席の客席全員が固唾を呑んで見守るという貴重な体験をすることができた。こんなことができるアニメ監督というのは今の日本では宮崎駿監督か庵野秀明監督くらいだろう。
低予算、小規模だから事前情報がなかったのか?という私の心配は冒頭数秒で吹き飛んだ。
絵が動いている!!!(当たり前だけど笑)
吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を幼少期に読んで感銘を受けた宮崎駿の自叙伝的な話になるという事前情報そのまんまの話になっていて驚いた。
本作の主人公 牧眞人は宮崎駿本人であり、戦時中に戦闘機部品の製造会社役員である父親と共に移った宇都宮での話がベースとなっている。
まずは自分のこと美少年に描き過ぎだろ!!笑という突っ込みはさておき、父親を木村拓哉にやらせるか〜といったところや、主人公を不思議な世界にいざなうサギ男を菅田将暉にやらせるか〜といったキャスティングも興味深かった。
また、やたらと色っぽい義理母は所作含めて渾身の作画、演技で凄まじいこだわりを感じた。「風立ちぬ」での教養ある人間の自然な所作をアニメーションで描き切るということをやっていたので、本作でも炸裂。
自分の父親をめぐる実母とその妹である義理母の関係性はハッキリとは描かれないのですが、考えようによってはいくらでもドロドロとしたドラマを生み出させる要素満載。本作は「風立ちぬ」に続いて完全に大人向けですよね。
(妹と父親の大人の関係は結構前からあって、終盤の義理母から主人公への拒絶反応は自分の恋人を姉に取られたと思っていたからとも受け取れる。)
2時間に収めるために尋常じゃないくらい早いペースでところどころ端折りながら進んでいくので着いていくのがやっと(私はそう感じました。)、ですが絵的な遊びも満載でハッキリとコメディに振り切ってるところもあっていいなと思ったのと、ここぞというドラマ的なキメ(久石譲のピアノサウンドでビシッとみせてくる)もちゃんとあったので最後まで飽きずに観れました。
終盤の展開は宮崎駿監督も自分で言ってるくらいわけわかんないのですが、やはり母親との再会、そして母親が死ぬということを知らされても主人公を産んで、そしてその時まで生きる為に帰っていくという選択をしたこと、火事で亡くなる母親はあの世界では火を操る存在であり、火事では苦しまないということがわかり、主人公へ救いがもたらされるということ。
そしてサギ男(青サギ)が最後に主人公に問いかける「その石のことはそのうち忘れると思うけど、そのまま持っておきな」というセリフ。
石とは主人公の罪であり、世界を構築する(バランスをとる)ためのパーツでもある。
新たな世界を構築することはなくなったが、その石をお守りとして持って、主人公は去っていきます。
庵野秀明にとって"それ"は槍であった。
宮崎駿監督にとっての"それ"は石だった。
という話だったのかなと思う。
タイトル「君たちはどう生きるか」じゃなくて良かったんじゃないかと思うんだけど笑
また、鈴木敏夫プロデューサーのラジオ「ジブリ汗まみれ」で本作に登場すらキャラクターにはモデルがいるようで、覗き屋のアオサギは鈴木敏夫プロデューサー(宮さんは否定しているそうですが)のようで、宮崎駿と鈴木敏夫の会話がそっくりそのまま再現されたかのようだということ(だとしたら主人公が何回も殺そうとしてるの怖くない?笑)
そしてそんな主人公とアオサギの喧嘩を止めるキリコはジブリで色彩監督を努めていた故・保田道代さん、そして高畑勲も登場したとのこと。("頭の良い人"ととして登場した有名な大叔父さんかな)
また、終盤のパートは鈴木敏夫が宮崎駿にもっと書けと引き伸ばした展開らしく、引退すると言ってるおじいちゃんをよくこんなに働かせるなと思うが笑 エヴァイマジナリーならぬ駿イマジナリーな世界は初号試写で宮崎駿本人が「わけがわからない」というくらい、かなりぶっ飛んだ世界笑
最後にどぎついの作ったなー。
全2097件中、241~260件目を表示








