君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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やはり私はジブリが苦手だ
全く広告をしないことが逆に広告になっていた本作。予告編や他の方のレビューも観てないので内容について事前知識は無く、「賛否両論らしい」というのは風の噂に聞いている状態でした。多少覚悟を持っての鑑賞になります。
結論ですが、私の感想は「否」です。
ジブリらしい圧倒的な作画と幻想的な世界観には引き込まれるものがありましたが、逆に言えばそれ以外の部分は微妙に感じましたね。
ストーリー構成が支離滅裂だったり、取ってつけたような設定や展開があったり、声優の演技が下手過ぎて耳障りだったりして、正直全然楽しめませんでした。私はこの映画が苦手です。
自分の理解力がないから楽しめなかったのかと思い、色んな方のレビューを漁ってみました。「主人公の眞人は若き日の宮崎駿である」みたいな考察が主流のようですが、私は全然ピンときません。
私は、作り手の顔が透けて見えるような描写が嫌いです。だから最近の映画によく見かける、作り手の歪んだポリコレ思想が透けて見える描写には嫌悪感を抱きます。作者とは切り離して作品は作品として楽しみたい。本作を絶賛しているレビュアーは宮崎駿の半生や過去作にまで話を広げて賞賛する方ばかりで、「この映画単体で観てどこが面白かったのか」について言及している人は極めて少ない。映画に描かれてなければ一般教養でもない、裏にある作者の生い立ちやら思想信条やらを慮って観ないと楽しめない作品は、面白い映画とは私は思えません。
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第二次世界大戦中の物語。空襲によって母親を喪い、母親の生家がある田舎に引っ越してきた牧眞人。父親は母の妹であるナツコと再婚し、ナツコのお腹には赤ちゃんを宿していた。母を亡くした喪失感から抜け出せず、新しい家庭での生活になかなか馴染めずにいた眞人の前に、喋るアオサギが現れる。アオサギは屋敷の近くに立つ塔に眞人を誘うのだった。
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最初はまだ良かったんですが、塔の世界に入ってからが分かり辛く、ストーリーについていけずに置いていかれた感じがありました。私が頭悪いだけかと思いましたが、他の方のレビューを見ても「分からなかった」という方が多いように感じます。
どうにか分からなかった部分を補完しようと、映画レビュアーの方の考察などを拝見し、何となく本作への理解は深めることができました。しかしだからといって本作の評価が高くなるかと言えばそんなことは無く、「難解でつまらない映画」という印象だったのが、「単につまらない映画」という印象に変わっただけでした。
私は別に考察が嫌いなわけじゃないんです。でもそれは、考察しなくても面白いのが前提で、考察することでより楽しめるのが良いんです。本作のように難解でつまらなくて、楽しむために考察が前提となっている作品は苦手です。しかも考察したところで出てくるのが「宮崎駿の半自伝的映画だった」なんですよ。宮崎駿のファンでも何でもない私からすれば、オッサンの半生なんて興味ありませんし、それを描きたいなら分かり辛い比喩的なファンタジー描写じゃなくて直接的に描いてくれた方が面白かった気がします。あと、一部のファンが「この作品を楽しめなかった人には読解力がない(意訳)」というレビューをしているのも気に食わないです。
考察要素や難解な内容や宮崎駿の自伝的描写について、そういう要素を入れるなとは言うつもりはありません。しかしそれでもその要素を入れたいなら、映画としてしっかり楽しめる内容にした上で入れてほしかったというのが本音です。本作は製作委員会方式を取らずに宮崎駿が自由に製作した映画とのことだったので、彼の作家性が悪い方向に出てしまったのではないかと邪推します。
あとこれはジブリ作品の多くに共通する不満点なんですが、プロ声優はほとんど起用せず、タレント声優を使っているため、キャラクターによっては演技が壊滅的に酷いです。特にヒミを演じるあいみょんの演技は聞くに堪えないレベルの棒読み演技で、映画鑑賞のノイズになっていました。宮崎駿監督は声優のわざとらしい演技が嫌いだからプロ声優を起用しないというのは有名ですが、その結果がこの耳障りな棒読み演技なら本末転倒です。
普通の人にはオススメしにくい映画でした。宮崎駿の妄信的ファンの方、考察ジャンキーの方には超オススメです。
単純につまらない映画でした。
充実した2時間
ジブリ節全開の映像美、過去のジブリ映画の名シーンを彷彿とさせる印象的なシーンの数々。改めて、宮崎駿の作品は何気ない仕草ひとつひとつにに本当にこだわりを感じるなあとしみじみ思った。CGを駆使したり光の描写にこだわったり枚数で攻めたり、美しい映像を売りにしたアニメ映画は今では星の数ほどあるけど、ジブリだからこそ・ジブリにしかできないが徹底されてて非常に満足できた。
ストーリーも、最近の宮崎駿作品の中では非常にテーマが分かりやすく、自分の中で噛み砕きやすい内容だと思う。泣くことはなかったけど、鼻の奥がツーンとなる瞬間は何度もあった。
思うに、この作品が「何が言いたいのか分からない」と賛否両論なのは、合理性のある脚本ほど賞賛される現在の風潮にそぐわない作品だからではないかな。巧妙な伏線を張り巡らしてそれを回収する脚本が素晴らしい。全ての描写は、壮大かつ納得感のあるラストのために存在すべき。そういう考えの人には全く合わない作品なので観に行くだけ無駄。あとは、正解の解釈が存在せず、観た人が抱いた思いに委ねる作品だから、感想や解釈に正解ばかりを求めてしまう現代の若者向きではない。この辺は過去のジブリ作品もみんなそうだと思うけど、昔の作品は考察され尽くして「この作品はこう視聴するのが正しい」みたいな定説が確立してるから、それに従って観ればいいからね。
断片的な描写から自分なりに色々考察してそれに満足できる人、瞬間瞬間の映像美や登場人物の行動に楽しみや感動を見出せる人、映画全体としての整合性を必ずしも重視しない人におすすめ。
母と子の愛と絆の物語
これは母と眞人との愛と絆と成長の物語に感じた。
母が亡くなり(兄は戦争に?)、知らない土地に引っ越し、新しい家族とも学校でも上手く馴染めず、自暴自棄になっていた眞人がふと見つけた亡き母が贈った「君たちはどう生きるか」
この本を読んで眞人は自分本位の考えから周りの世界に目を向けるきっかけになったように思う。
それからの眞人は夏子を助ける為(本を読む前の眞人では考えられない覚悟が感じられる)、様々な冒険をし、そこで生命の神秘、世界の在り方、青サギ、キリコ、ヒミとの出会い、最後は大叔父の作った歪んだ平和の独りよがりの世界ではなく、例え醜い争いがあっても、誰もが生命に満ち溢れた世界を選んだ。
そして自分も母を亡くし人生に絶望しこの世界に逃避してきたヒミもまた眞人に出会い、自分がこんな素敵な子を産むことを知り、生きることに前向きになっていく。(眞人とのことは大叔父に聞いたっぽい) この2人が時空と時を超えて、若い頃のヒミが眞人に影響され、死ぬと分かっていても眞人を産むために生きる。眞人もまたヒミ(母)から生命と愛と本(知恵)を贈られ生きる力をもらう。この不思議な繋がりがとても素敵で泣いた。
そしてエンディングの米津玄師の地球儀を聴いてまた泣いた。
令和のゲド戦記
冒頭の10分は圧巻の一言。宮崎駿のすばらしさがとても出ていたと感じた。
ufoの協力の作画は素晴らしく飽きることがなかった。
しかし脚本は全然ダメ。説明もなく、行動原理が義母を連れて帰るぐらいしかなかった。
特に夏子の拒絶は「なぜ?」と感じた人も少なくなかったと思う。(私は自分の中で解決できたが.......)
ほんの少しでもいいから説明をいれたほうがいい。アニメより文字で書いたほうが、表現がわかりやすいのは致命的だと思う。
bgmもずっと暗いピアノ調で眠気を加速させており、久石さんはアップテンポな曲のほうが似合っているなとも思った。
"宮崎駿が作った作品"という眼鏡を外すと間違いなく凡作を下回る作品と揶揄されていたことだろう。
これがゴローの作品であったらとんでもないことだった。もし宮崎駿以外がつくっていたら非難の嵐。宮崎駿が作っているからこそ伏線を探し、考察をする。
だが考察を重ねたところで考察前提の映画を楽しめる人は少数。
映画館を出たタイミングで「あれはどういうことだろう?」と考察する"自分"を楽しんでいるだけで、面白い面白くないという評価すらできず、宮崎駿自身「自分でもよくわからない」という始末。
映画を見た後"面白かった"という言葉が出てこず、考察という自分が考えた創作を組み込むことでしか映画として楽しめないのは駄作という言葉以外見つからない。
個人的にはゲド戦記と同列だった。
映画としてなら☆0.5 私自身は考察が好きなので☆4.1
見渡すと泣いていたのは私だけ。でも間違いなく集大成。
嫌いになりたいけれど嫌いになりきれない。
受け入れられないけれど受け入れないといけない。
自分だっていつも正しいわけじゃない。
弱いまま清濁飲み込んで生きていく、絶望の中の希望が描かれていると思いました。
大叔父様は宮崎駿自身で、自身が作ったアニメの世界を無理に後継させず、別れることを受け入れ、若い世代に汚く理不尽な世界の中で自分自身の物語を紡ぐことを期待する…そんな遺書のようなメッセージを感じ、終演後は寂しさに浸ってしまいました。
残された私たちは目の前の積み木を積み上げていくしかない。
明日から頑張ろうと思える作品です。
最近流行りの過剰に綺麗なorグロい表現はありません。また、おとぎの世界で繰り広げられる事象については時系列の繋がりや物体の意味はほとんど説明されず、考察中は考察しがいのない演出となっています。ジブリ飯もほとんどでてきません。事前にCMを出さなかったことや声優が分からないこととも合わせて商業主義からの脱却を図ったのかなと思ってます。
メッセージ一本で通そうとする、監督とプロデューサーの本気を感じました。
最高傑作
もののけ姫
カリオストロ
トトロ
ラピュタ
耳をすませば
千と千尋...など
他にもあったかもしれないが観たことあるような背景や雰囲気やシーン を何回も何回も感じました
そして
何より宮崎駿監督が今まで嫌がっていた最新の映像CGなどまさに新時代のコンピューターによる映像美が本来の宮崎駿アニメとフュージョンしてました
ストーリーもたまりません あと あのシークレットも 1回目で気づけるかな~
これが引退作品なんてあり得ない 考えられない
私には今までの宮崎駿アニメと新しい宮崎駿アニメが合体した最高傑作に感じました
本当の宮崎駿アニメの始まり だとも思いました
監督!引退に大反対です 次回作楽しみにしてます
あなたの一番好きなことをやめないでください
今日連続3回観ました
『生きろ』という宮崎駿からのメッセージ
映画を鑑賞してから一晩が経ち、自分なりの考えが少しまとまったためレビューします。
ここでのレビューを見ると様々な意見がありますね。これこそがまさに『君たちはどう生きるか』なんだと思います。
宣伝無し、あらすじなどの前情報無しで大衆に作品を見せる戦略はとても面白い試みだと思いました。
私が鑑賞した上で感じたポイントは以下の2点です。
・眞人少年の成長と、大叔父は宮崎駿
・作中登場する鳥は現代社会の暗喩と隠されたメッセージ
まず、眞人少年は冒頭で母を火災でなくすことで、現実逃避します。
東京という現実から田舎に疎開することになり、東京育ちの眞人少年はその中で古い塔やアオサギという幻想を発見します。
次第に幻想に惹かれていく眞人は、学校という現実から逃避するため、あるいは塔の中へ入るために喧嘩で怪我をしたように見せかけ石で頭を打ち、転んだだけだと嘘をつきます。
父親からすると喧嘩で怪我をしたと思うのは当然。そんな学校(現実)は行かなくていいと父親に言わせるための行動だったのでしょう。
大叔父が作った幻想の世界に入った後、新しい生き物が登場します。
一つは白い体に黒い点で構成された生き物で、幻想から現実へ登っていく、紙とペンを暗喩。
ペリカンはそれを食べる(物語を消費している)人々を暗喩。昔は食べ物を食べていたのに今は消費することしかできない。
眞人はここで自然界の食物連鎖を学ぶ。
パンのシーンでの母の子を思う愛情。
幻想世界でのナツコの言葉の裏に隠された家族を思う気持ち。
など冒険を通じて生きることの意味を見出し、
現実世界で生きたいと思うようなった眞人。
終盤登場する大叔父は、この幻想の世界を継がないかと眞人を誘います。
家族を守りたい、現実で生きたい眞人はこの誘いを断ります。幻想との訣別、現実と向き合う、もう現実から逃げないという強い意志が感じられます。
これは、自分のように幻想に取り憑かれないで現実を『生きろ』という宮崎駿監督からのメッセージなのではないでしょうか。
この作品はまさに少年の成長物語であり、今まで宮崎駿監督が制作してきた『少年少女の冒険活劇』です。
また、13個の積み木を3年に一回積みなさいと言うセリフがあるが、この前のシーンで大叔父は全ての積み木を積んでいました。
(つまり39年、ジブリは今年創立39年目です)
また、13という数字は宮崎駿が監督した映画作品とも重なります。
幻想の世界で今までの作品のオマージュが出てくることから、大叔父は宮崎駿やジブリであると言えます。
もう一点は、作中に登場する鳥には、それぞれ現代社会に存在するあるものを象徴しているということです。
アオサギは悪意や嘘の象徴
ペリカンは必死に生きる家族の姿(生物としての本来の姿)
セキセイインコは扇動される一般大衆
言い換えると、
フェイクニュースを伝えるメディアや悪意のある人たち
信念を持ち自分らしく生きる人たち
思考停止で何も考えずに騙される人たちあるいは、何も考えず頭ごなしに否定する人
あなたはこの中のどれですか?と宮崎駿監督は投げかけています。
アオサギは生物である青鷺そのものの姿と人のような姿を持つが、これは嘘偽りのないものに擬態した悪意が内包されていることの比喩。
ペリカンは、嘘偽りのない真の姿。
セキセイインコは人間のように振る舞っているが、思考停止しているその姿は醜い。(みんな目がイっちゃってるのは思考停止の比喩?)
作中鍛冶屋の家に入る前のシーン、アオサギがセキセイインコを誘導する姿はまさに嘘が大衆を煽動している現代への暗喩なのだと感じました。
また、セキセイインコについては様々な考察ができると思う。
ジブリや宮崎駿作品を思考停止で崇めるファンの暗喩ではないか。
自分たちの意見以外は認めない。自分が崇めるものは崇高なんだという考えは愚かで醜い。
お前たちは何もわかっちゃいないんだという皮肉のようにもみえる。
作中登場するセキセイインコのなんでも群がって食べて無くしてしまうその習性はまさに、『自分たち以外』にマウントをとったり誹謗中傷で排除する現代人(SNS)そのものだと思います。
細かいところの考察はまだできていませんが、
様々な考察ができる本作を、ただ説明不足やつまらないで終わらせないでほしい。
この映画は、自分で考え、自分で『生きろ』という宮崎駿監督からのメッセージなのです。
足跡を結ぶ、桁違いのイメージと表現力
世界観に目が向きがちだが、宮崎駿の凄さは脚本・構成・編集の巧みさにあると思う。無駄がなく、テンポよく話を進めていく力。一切の冗長さがないから、物語が激しく展開してもどこまでもわかりやすい。濁りやノイズのないストーリーテリング。世界の映画史上、最高峰の才能である理由。エンタメ作家としての比類なき力。
その手法で日本映画の最高峰に辿り着いた後、宮崎駿は構造的な物語づくりから、豊かなイメージや表現の追求へとシフトしていく。主観としては「ハウル」あたりからか。明らかに作風は変化し、心情的・観念的なイメージづくりが目立ってきた。
その方向性が無骨に発露したのが「ポニョ」。あれだけわかりやすい作品を作ってきた監督が、意味不明で観念的な、物語よりも表現を重視した作品を仕上げてきた。ちとおかしくなったのかな、なんて思いもしたが、いま思えば明らかに作品の比重が変化していた。失敗作とは言わずとも、まだ仕上がってなかったのだなと今になれば思える早すぎたカルト作品だ。
そして本作である。
ネタバレ厳禁ともあるが、そもそもバレて困るネタがあるような話ではない。少年の単なる成長物語。「千と千尋」と内容は大して変わらない。
あえて言うなればそんな「大したことない話」をここまで豊かなイメージと想像力、そして表現に落とし込んでみせた手腕。細かいところがよくわからないが、そもそも説明する気すらないように見える。しかし目の前に展開するイメージと映像表現は、他の作品に比類しない圧倒的なもの(「2001年宇宙の旅」を思い起こすような感触)。「ポニョ」では形になっていなかった、未到の映像表現の塊がここにある。「わかる/わからない」なんて土俵にそもそもいない。
自身の過去作の表現をオマージュ的に取り上げながら、映像作家としての圧倒的な力量の差を関係者に見せつけて。これまでの足跡を見事に一つの形にまとめてみせて。これで引退作と言うならあまりに憎らしくて格好いい。ストーリーテラーだけでなく、映像表現者としても、映画史の最高峰にいたんだ。この偏屈じじいは。
まずは自身の目で
わからない、つまらないという理由での低評価がとても多く見受けられますが、どれだけ現代に対して問題意識を持って生きているかによって評価が大きく別れる作品なのだと思います。
その問題意識というのも、環境問題や災害、戦争などといった表面的に見える問題ではなく、作中にも出てくる本『君たちはどう生きるか』でも描かれているレベルでの、もう誰にもどうすることもできないのではないのかというところまで歪み、絡み合ってしまっているこの人間社会そのものに対しての危機感を持っているかどうかということであり
それを宮崎駿というフィルターを通し、整理し、ファンタジーという形に訳すことによって、これからの世界を担っていく10代の若人たちに感覚的に伝えることを目的とした作品となっているので、もう既にこの社会の歪みに飲み込まれきってしまっている我々大人のほとんどには、そもそも理解することすら難しいのかもしれません。
とにもかくにも、誰か他人の意見に惑わされることなく、まずは一度ご覧になることをお勧めします。
事前情報も広告/トレーラー等、一切無しの狙いが、痛いほどに分かってしまった、フツーにフツーの宮崎ファンタジー
言い遺したいことがいっぱいアッテナ
宮崎駿の集大成なのでしょう。
過去作品へのセルフオマージュ(と言ったら大げさかもですが)が随所にあって、走馬灯のよう。
大まかに少年の成長物語らしい、というのは分かりました。
時代設定にしても人物設定にしても、必然性があってそうしたんだろうが、何のためなのか、何がしたくて何が言いたいのか掴めない。
アオサギを筆頭として、多すぎる老婆とか、キャラ変するキリコ、妊娠中の継母ナツコ、消えたおじ、とか何かのメタファーらしき存在がたくさんあるけど、何の比喩なのか良くわかりません。したがって彼らのパートのエピソードも同様によく分からない。
で、同一ストーリー上の話として全体の整合性を考えて読み解こうとするのでわけわからなくなるのかも、と思った。
宮崎駿は第一線の職業人としても人としても経験が長いので、思うことや言いたいこと(言い遺したいこと)がたくさんあって、それを集大成として全部、宮崎駿の個人的な表現でぶち込んだために、それぞれのキャラクターやエピソードが分かりにくく、とっちらかったのかも。
つぎはぎで一貫性がないので、ひとつのストーリーの上で動く一本の映画、というよりは「誰それのパート」としてオムニバスみたいに見たら良いか。
考えてみたら人の日常は必ずしも連続線上にあるわけではなく、ひとつひとつ脈絡があるようなないような出来事が集まり積み重なってできているので、案外これがリアルに近いのかも知れない。
それと、制作に時間を掛けすぎたのでは、とも思う。
7年の間に、日本のアニメ界では名作がたくさん生まれている。それらを見てきた観客の目も進化しているはず。なまじ長く時間を掛けたために、他作品を意識してあれこれ取り込んで修正して、それで冗長になったり散漫になったりしていないだろうか。
アニメーションはさすがで、「未来少年コナン」からの宮崎アニメ健在と思いました。
未整理感と、不快表現の多さ
タイトルの感じからして、エンタメでないことは覚悟して公開初日に一人で観に行った。
純文学的で救いが無くても、まあ最後の作品になるだろうし…という心構え。
だが、出てきたのはエンタメでもなく純文でもなく観念的・観想的な作品。
ハウルをさらに観念的に研ぎ澄ましたスーパーハウルだと感じた。
テーマは、ジブリ作品『ゲド戦記』のように「唐突に言葉で説明してくれる」ので、むしろわかりやすい。
演出として、いちいち目を塞ぎたくなるような、鑑賞者を不快にさせる「汚い表現」がくどいほど定期的に挿入されるのも、「(新世界の神になるより)こういった生と死の臭気や腐気、そして無神経さや嘘がまみれる現実を大事にします」という、『君たちはどう生きるか』へのアンサーであるとわかる。
テーマはシンプルなのだが、「繋ぎが雑だから状況的にわかりにくくなっている」だけで、テーマ自体に複雑さや深度があるわけではない。
好意的に深読みすれば、シビアなバランスの積み木を組み上げて自世界を作り、たった数日を持たせるのに必死な創造主(クリエイター、アニメーター)になるよりも、現実を大事に生きます(旧ジブリ作品のような作り物の理想世界には憧れず、現実世界の物語を大事にします)ぐらいのものか。作中で主人公がそう決意する説得力、観客に共感が及ぶ要素は無かったと思うので、甘えた姿勢だと感じるが。
本作を構成する
・終始暗い
・主要人物たちが棒読み
・テンポが悪く間延びを感じる
・生理的に汚いと感じるものを強制的に何度も見せられる
・それがテーマ性だと強弁される
・その内容で、とにかく長い
という要素は、『実写版デビルマン』を実写版デビルマンたらしめる核である。
しかも本作は実写版デビルマンより各シーンの
・わけがわからない
度が高いので、実写版デビルマンの方がストーリーを追いやすくシーン解釈が容易なぶん、まだ易しいと言えなくもない。
なぜか、往年のクリエイターや晩年のクリエイターはこういう作品を作りがち。
「はっきりくっきりした作品なんて飽きた、つまらないじゃないですか」と言っては、毒にも薬にもならない抽象画のような作品を作る。
「大事なのはテーマでありコンセプトであり、新たな表現の可能性であり、枠組みを超えることであり、わかりやすさではない」――とまるで「老境の教科書」に書いてあるかのように画一的に言うものの、当然だがテーマやコンセプトなどはエンタメや純文的なものに乗せても「十分に伝わる」。それどころか、「むしろ伝導率はその方が高い」のは、「入門者の教科書」にも書いてある大前提である。
十分すぎるエンタメをしながら、深く厚いテーマを恐ろしい説得力をもって追体験・共感させてくれる傑作はメディアを問わず存在している。昨年の映画なら『トップガン・マーヴェリック』『RRR』と言えば、見た人の100%近くがわかってくれるだろう。アニメ映画の土俵でやっても、『スラムダンク』と言えば十分だ。
つまり、テーマやコンセプトに全振りするためにはっきりくっきりした作品であることを目指さなかった――という言は、達人の境地や至言ではない。後付けの、言い訳に近いものである。
結果、本作はリアルなのかファンタジーなのか、シリアスなのかコメディなのか不明瞭で、結局どの分野も及第点に届いていないゆえの鬱憤がある。こういった言に対して「カテゴリ分けして観られるような『安逸な』作品を作りたくなかった」と、芸術家を気取り出した“達人”たちは言って返すわけだが、だから老人は新人たちに駆逐され続ける。
また、リアル志向の問題をファンタジーで解決する気持ちの乗らなさは、作り手だけでなくユーザーにも答えが出ている内容だ。『竜とそばかすの姫』の評判を決定づけたあのラストの流れを、本作は全編級の長い尺でやったに近い。
本作は「失神や気絶→目覚め の場面転換」が非常に多く、テンポが悪い。
人間はそんなに都合良く失神できるとは思えないのだが、それは置いといて。
一番の問題はそれに伴う映画館内の静寂で、序盤過ぎには「(悪意ですらない)寝息がいっぱい聞こえてしまうこと」である。ずっと置いてきぼりで、共感できる人物や状況が無いのだから体験としては仕方ないのだが、「あ、やっぱりつまらないよね? これ」という空気が上映中に伝播する構造になってしまっている点が、誰にとっても得が無い。
私が観た初日の夜、スタッフロール終了後には3人ほどが勇んで拍手したが、満席である他全員は頑なにその拍手に乗らなかった。「よかった体験」にしようというムードに抗う迫力があった。「やっと終わった」「誰が拍手するものか」という無言の一体感は久しぶりだった。
また、私はツキがある方で、映画館の一番左端の席で観た。
壁にもたれかかって観ることができたのは、正直頻繁にため息をつきたくなる本作の鑑賞において、けっこうなコツだったと思う。あと、一人で来たことも。
もし若輩の頃にデートで来ていたら、身に降りかかった不幸に泣いていたかもしれない。情報秘匿からの生理的嫌悪感を催す映像をいっぱい見せられて、この後どうすんだよ、と。
以上、私の感想としては、
・本作は「十分にわかった」
・その上で、「エンタメとしても純文としても打点が低い」と感じた=つまらなかった
・内容は「深くはなく、シンプル」に思った
・ただ「未整理状況のとっちらかりで、複雑に見えているだけ」に思った
というもの。
「わからなかったから、つまらなかったと言っている」とか、「まったく理解できないシーンがあったから、深いに違いないと思っている」とかではない。
複雑で奥深いというのは、一つの困難な目的を達するために合理的に各種装置が詰め込まれ、有機的な関係をもって稼働している秘密基地のようなものだろう。
対して本作は、自堕落な生活が堆積して足の踏み場もなくなった汚部屋のようなものだ。「現実で食って寝て折り合いつけて生活する」…というシンプルな目的が中心に在るのだが、洗濯や掃除やゴミ捨てをサボっても暮らせる、むしろこれがいいんだと居直ったせいで、足の踏み場や寝床を見つけることすら一苦労という状態。深くはない。ただ乱雑で、とっちらかって、見えにくくなっているだけだ。
宮崎監督の生い立ちを知った上で当てはめたり、登場キャラにメタ的に現実のジブリ関係者を当てはめないと「本当の意味はわからない」と言われるなら、私は「本当の意味はわからなかった人」で結構だ。
むしろ、前情報無しでニュートラルな映画勝負を仕掛けてきて、後出しでそういう「見方の注意」が出るなら、言い訳めいているというか邪道に感じる。そういう擁護・弁護が出る時点で、そういう「見方の注意(作り手からの見方のお願い)」が不要な凡百の作品に劣っている。そういう「見方の注意」がなくとも、人々を楽しませて深いものを訴えて涙させる作品はいくらでもある。
まさに、晩節を汚してしまった作品に思う。
ここまで鳥の糞好きで来られると、逆に最近は鳥の糞に触っていないのだろうなと思う。車のボンネットやウインドウ、オートバイのカバーにこびりついたアレを落とすときの、あの感触と臭い、手を洗わずにはいられない嫌な感じ、もう忘れてしまっていないか。
汚いという形而上のラベルを貼られただけの、思い出の中で綺麗にされている、実態を離れたイデア界の鳥の糞で話を構築してしまっていないか。「醜い外見のアオサギ、川辺の生物、臓腑、鳥の糞等々」を、頭の名で生み出した「汚いものという概念」にして、映像に入れ込んでしまっていないか。鳥の糞は、労働でにじみ出た匂い立つ汗や、人生の苦労が滲んだ醜い顔の皺とは違う。それら(千と千尋での次元)と違って鳥の糞は一周回っても美しくはならず、汚いのである。鳥は本能のまま無遠慮に糞を散らしているだけなので。
よって、「心理的物理的に腐臭あふれるこの世界で生きる」というアンサーは、そこまで共感を得られるものではない。
下水処理場や屠殺場の側で生きる覚悟を持つ自由もあれば、下水処理場や屠殺場を生活圏から隔離して見えなく・臭わなくして生活する自由もあるのだ。
産革期、ロンドンのテムズ川の大悪臭をロンドンの人々は「耐えられない」と下水を建設して生活圏を確保した。汚いもの、臭うものを生活圏から隔離することは貴賤問わず大勢の願いであり、その成果たる現代の暮らしを欺瞞かのように語る事こそ、独特の尖った思想だろう。
エンタメをかなぐり捨て、純文的にあってほしい繊細な積み重ねもファンタジーで放り投げ、極端な思想だけが見えてくる作品なので、情報を秘匿して公開するものではなかったと思う。
本作を基準にすれば、映像的にもテーマ的にも面白く深い映画はいくらでもあってしまうと感じた。
正に宮崎駿ワールド
見る人のことを考えていない作品
映画というものは映画館へ来訪する観客を楽しませたり、悲しませたり、笑わせたり、感動させたりするエンターテイメントだと思っていましたが、どの要素も皆無で、ただただ脈絡のないものを一方的にぶつけられる感覚です。支離滅裂で不快な内容が多く、残念ですがおすすめ出来るところが一つもありませんでした。
ジブリ作品はかれこれ30年くらい親しんできたので強い思い入れがありましたが、これはあまりに見る人のことを考えていない作品だと感じました。なぜこのようなものを出したのか?宮崎駿のエゴを修正できる人がまわりにいなかったのか?理解に苦しみます。作品の内容に対し、絵の綺麗さ、声優・歌の豪華さは凄いです。総じて、残念でなりません。
どう生きるか
先日、NHKテレビでこんな番組がありました
「哲学的街頭インタビュー」第一回「何のために生きていますか?」
この問いには比較的容易く答えられるのですが
"どう生きるか?"
この問いはとても難しい
何のためにだったら今現在の自分のことを述べればいいのだけれども
どう生きるか? と言われると今だけを見ていてはいけない、もっと先を見据えて今何をすべきかと言うようなそんな感じで捉えてしまうからしっかりと真剣に物事を考えて道筋を立てて答えなければ
反射的な思考しか思いつかない私にはとても困難な仕事なのだ
どう生きるか?
綺麗事を言えばみんな笑顔でニコニコ出来たらなんてことを言えばいいのだろうけど誰の心にも届かないし聞いてくれもしないだろうな
立ちはだかる色々な困難を払いのけ自分の力で切り開く人もいるでしょうがどうもそれとも違う
どちらかと言えば川の水のように生きたい
今思い出したのですがこの川の水
私が二十歳そこそこの頃にそうありたいと思い願った生き方だった
長年同じことを思いつつ生きてきたのかととても驚いてます
そう川の水です
源流はヒョロチョロと土から産まれたてのか弱さで遮るものがあれば傍へ逸れて遠回りしてでも先へ進むその姿はとても力強く思います
そう、そうだったのです
私は川の水になりたかったのだった
まだまだ作りそう
感じれる組に入れた!よかった
宮崎駿監督の作品大好きジブリファンです。
勿論全ての作品がめちゃくちゃ好きなわけではなく、ラピュタ・ナウシカ・紅の豚・魔女宅・パンダコパンダと自分の好みには偏りがあります。
風立ちぬで少し遠く感じていたので、冒頭が自分には同じ感触がして(このレビューも賛否分かれていたので‥)不安になりましたが、観ているうちに、次の展開や隠された向こう側が気になる『千と千尋公開』で感じた冒険感と、それを上回る沢山のメッセージ(勝手な解釈ですが)掴めました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
見る人によって解釈が異なる映画ステキ
監督のこれまでの作品を随所で振り返らせてもらえて、自分は感じ取れる組に入れた!!自分には伝わった♪( ´▽`)おこがましいですがそんな嬉しさと胸いっぱいの文字に表せない五感の感想でありがとうと言いたい!言いたーい!!!
エンドロール見て、プロモ無しにまた感謝。気付かないで最後まで鑑賞できて良かった〜
歳を重ねて‥1分1秒を大切に、描きたい事詰め込めたのでしょうか
最後の宮崎作品で描かれる「悪意の主人公」と「強いヒロイン」
今作は、主人公の少年が自らに芽生えた「悪意」と向き合い、不条理な運命を受け入れるまでの物語だ。
映画冒頭、主人公の真人は火災で母を失う。そして傷ついた自分をよそに父はさっさと再婚するが、その相手・ナツコは母にそっくりな顔の女だった。そんな異物が家庭の中に紛れ込んでくるわ、おまけに転校先の小学校で酷いイジメを受けるわで、真人は逃げ場のない地獄に突き落とされたような日々をおくることになる。
真人をみていると、『もののけ姫』に登場する少年・アシタカを思い出す。映画がはじまっていきなり、アシタカは何の罪もないのに死に至る呪いを受ける。この点、真人とアシタカは似ている。一方、アシタカは呪いの元凶となる人物への憎悪を抑えることができたが、まだ幼い真人は湧き上がってくる憎悪に囚われる。
ナツコは真人の良き母となろうと懸命に振る舞うものの、真人は彼女を攻撃対象に定めてしまう。彼はナツコから何を言われても無言を突きとおし、素っ気ない態度をとりつづけた。ここまで他人へ残酷な悪意を向ける主人公というのは、宮崎監督作品では初めてではないだろうか。
だから今作は『もののけ姫』のアップデート版だと思った。再び少年に旅をさせて、遠回りをしながら自分を見つめなおす姿を描こうというのだ。ただ、その描写は『もののけ姫』のようなリアル路線ではなく、『崖の上のポニョ』や『ハウルの動く城』のようなファンタジー路線。パステルカラーの不思議生物がうじゃうじゃ出てくる愉快な世界だ。
そしてこの旅のなかでは、少年を勇気づける「強いヒロイン」も登場する。こんな抜群に可愛くて肝の据わったキャラをよく作り出せるなと毎回思う。
ちなみに今作は、宮崎監督が愛する児童文学『失われしものたちの本』(ジョン・コナリー)がベースとなっている。読めば映画の理解がさらに深まるはずだ。
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