「これから創作活動に関わる若い人達へ向けた宮﨑駿のささやかな、しかし熱烈な思いを感じ、涙涙」君たちはどう生きるか Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
これから創作活動に関わる若い人達へ向けた宮﨑駿のささやかな、しかし熱烈な思いを感じ、涙涙
宮﨑駿監督(本作より宮崎が宮﨑に変わった様)による2023年製作(124分、G)の日本映画。配給:東宝。
前評判は今ひとつと聞いていたが、大きく感動し、年はとったものの宮﨑駿のイマジネーションって凄いと改めて思った。そして、今までの宮崎アニメにあまりなかった渾身のメッセージに涙が溢れてきた。凄い映画だ。
出だしの母親が火災で亡くなる臨場感は、お見事である。階段を駆け上がる主人公牧眞人のスピード感と走って向かっていった先の燃え盛る炎拡大の凄まじさ、そしてアッサリとすぐ次のエピソードに進むテンポの良さに感心。
そして、眞人疎開先の日本家屋の造形や内装の美しさ、取り囲む自然の緑や光そして水の豊かさに圧倒された。細かい細部まで、今まで以上に美しく描き込まれており、美術監督武重洋ニら宮崎アニメの美を支えて来た方々に大いなる敬意を覚えた。
学校でいじめられ、自分で頭を石で叩き出血する主人公。その理由は自分には良く分からなかったが、悪意の象徴と本人は言っていた。父の行動を予測しいじめた奴らへの復讐を意図したものなのだろうか、母亡き後すぐに結婚し学校に息子をダットサンで送りつける父の行動への怒りが自分に向かったものなのか、それとも、家でも学校でも孤独で楽しくないイライラからの暴発的自虐行為なのか?
謎の怪しい存在である青サギを射ろうと弓矢を作る眞人。最初、全く上手く飛ばなかったが、青サギの羽を付けることによって、目の覚めるような速さと重量感で矢は放たれる。この予想の遥か上を行くスピード感の凄さが、宮崎映画の大きな特長で、それが相変わらず健在と感嘆させられた。
母の手書き文章が書き込まれた「君たちはどう生きるか」を読みながら、涙を流す眞人。その涙の水々しい表現がどのアニメと比べても、宮崎駿アニメは1番上手と思う。そして、少年の成長のための冒険の始まりの導入としても、とても上手い本の利用とも思った。
大叔父の建てた洋館(恐ろしい数の書籍があふれる内部造形も凄い)に入った眞人と青サギ転じたサギ男(声は菅田将暉)は、老婆キリコと共に泥土の中へ沈んで行き、下の世界へ行く。この時、落ちていく真下が波が打ち寄せる海岸であるという映像に、息を呑んだ。何という素晴らしいイマジネーション。何より絵になるじゃないかと。宮﨑駿創作のイメージ凄いと思ったが、構図的にはエヴァンゲリオンの絵に関わってきた作画監督本田雄によるものかもしれない。降りたった場所が浅瀬で、そこでの足もとでの海水の揺らぎが何とも美しかった。
ここで出合う若かれし時代のキリコ(声は柴咲コウ)。その意思の強い頼りになる強い女性像が、宮崎アニメの常連キャラクター(ナウシカのクシャナ、ラピタのドーラ、もののけ姫のエボシ御前、千と千尋のリン、等)を思い出し、何とも懐かしく感じた。そして今回も、大魚解体の鮮やかな包丁捌きなど、とても魅力的であった。
魚解体時に集まった多くのワラワラ。その造形が何ともユニークで可愛いが、お腹が膨れて丸くなり、1匹、2匹と空に飛んでいく。それが数えられない程の数になり大空を覆う様になる。その美しい映像に、そのイマジネーションの見事さに、もの凄く感動してしまった。
しかし、そこにペリカンが現れて、かなり多くが食べられてしまう。ワラワラが空を飛べるのは本当に久しぶりとか言われており、どうしても自分は、多くの若いアニメーターの方々をイメージしてしまった。日頃の収入は乏しく、大きな仕事が入っても今度はハードすぎる仕事で心身を痛めてしまう存在を。ワラワラを食うしかなかったと言って死ぬ老ペリカンは、多くの若いアニメーターをすり潰してしまったという宮﨑監督自身の懺悔の様に聞こえた。
更にこの下世界で新たに出会う火を自在に扱う少女がヒミ(声はあいみょん)で、実は火災により亡くなった母久子の少女時代の姿らしい。この時空を超えた設定がなかなか魅力的で、彼女の力も借りて、母の妹でもある義母夏子と再会する。鬼の様な形相で「あなたなんか、大っ嫌い」とまで言われてしまうが、この世界で揉まれてきたことでか、ずっと懐かず夏子さんと読んでいたのに、ここで夏子母さんと呼べ、夏子の実姉息子の義母としての苦しみを救うことが出来た。
そう、この物語は少年の成長の物語。そして、この少年は多分創作を目指す多くの若者であり、宮﨑駿自身の経験の反映が色濃く出ている。青サギは、その道の先導役であり先輩で弓矢作りの様に創作を刺激する存在。そして、一緒に活動してくれる大切な友でもある。まあ鼻の特徴から宮崎にとっては高畑勲のイメージで(2018年に亡くなった彼への宮崎なりの感謝の表明と感じた)、未来の創作者にとっては互いに刺激し合える大切な仲間なのであろう(高畑葬儀で、宮崎は5年上の彼との出会いは、雨上がりのバス停と言っていた。サツキのトトロとの出会いは実は高畑との出会いだった)。
主人公が下世界で出会うのが大伯父(声は火野正平)。彼は、13個の積み石を積み上げることで、世界のバランスを何とか保っていると言っている(On your mark含め本作で宮崎監督映画は13)ので、勿論宮崎駿の自画像なのだろう。空に浮かぶ巨石(宮崎が愛した多くの欧州の物語達の象徴か?)に導かれ、汚れた上の現実の世界と接点を持たずに創り挙げて来たこの世界(やはりジブリのことを言ってると思える)を、血の繋がった人間に継承したいと言う。新生宮﨑駿によるかつての自分(宮崎駿)の創作姿勢や組織運営に対する痛烈な自己批判と自分は感じ、感動を覚えた。
未来の創作者である主人公牧眞人は、大伯父の継承依頼を断る。汚れて破壊に向かってるかもしれないが上の現実社会で、この世界で得られた青サギやヒミの様な友人と共に、歩んで行きたいと。積み石は、不安定な状況を嫌った権力者インコ大王により破壊され、それにより下世界は大崩壊に至る。インコ大王は創作者の想いや志しを十分に汲み取れないプロデューサーやスポンサーを象徴している様に思える(下世界をジブリと見れば、鈴木敏夫や協賛企業お偉方の姿なのだろうか?)。
自分はこの大崩壊の凄まじい映像表現に、崩れる世界のある種の美しさに圧倒されてしまった。幸いに、眞人・夏子及び青サギ、そして戻る世界は別だがヒミ、そして多勢のインコ達(ジブリで働いていた多くの人間がイメージされる)は、この世界を何とか脱出する。
眞人のポケットの中には、キリコの木製人形と下世界で得た悪意を有する石を携えて。石携帯は大叔父の創造する意思(いし)の継承の表れか。過去の自分のあり方は否定したが、新たな現実社会に立脚した誰かの物真似では無い、人間の善意と悪意の両面を描いた集団創造への宮﨑駿の期待の大きさを感じた。
元の世界で戻った主人公は、新たに生まれた弟も伴い東京に向かう。書籍「君たちはどう生きるか」の携帯は勿論だが、ポケットの中には青サギには忘れてしまうと言われてもいたが、持ち帰った“石”が入っている様に思えた。自分の創作活動のかけらが僅かでもどこかで役立てば嬉しいという、ジブリを飛び出したアニメーター達に、ひいてはこれから創作活動に関わる若い人達への宮﨑駿のささやかなしかし熱烈な思いを、聴き取った気がした。
監督宮﨑駿、原作宮﨑駿、脚本宮﨑駿、プロデューサー鈴木敏夫、作画監督本田雄、美術監督武重洋二、色彩設計沼畑富美子、 高柳加奈子、撮影監督奥井敦、撮影藪田順二、編集瀬山武司 、松原理恵 、白石あかね、音楽久石譲、主題歌米津玄師、音響演出笠松広司、整音笠松広司、アフレコ演出木村絵理子、助監督片山一良、制作スタジオジブリ星野康二 、宮崎吾朗 、中島清文。
出演
山時聡真眞人、菅田将暉青サギ/サギ男、柴咲コウキリコ、あいみょんヒミ、木村佳乃夏子、木村拓哉勝一、竹下景子いずみ、風吹ジュンうたこ、阿川佐和子えりこ、滝沢カレンワラワラ、大竹しのぶあいこ、國村隼インコ大王、小林薫老ペリカン、火野正平大伯父、上原奈美、西村喜代子、綿貫竜之介、柳生拓哉、画大、飯塚三の介、川崎勇人、鈴木一希、土居正明、重田未来人、井下宜久、岡森建太。
コメント&フォローありがとうございました。私もフォローさせていただきますねー。
今作はコンディション悪くて寝てしまったので、また機会があったらじっくり見たいです。Kazu Annさんのレビューで予習します😀
「セーラー服と機関銃」にもコメントありがとうございました。
なすお館長さんが発信動画で、キリコの部屋でハンガーに掛けてあったワンピースに着目し、大叔父と深い関係性があったと考察していた。確かに、意味ありげに、やけに丁寧にその描写にワンシーンを使っていたことを思い出した。成る程、コノ考察は、多分当たっていると思いました。
さらに、キリコの部屋には子供のものが置かれていた描写があったそう。こちらは残念ながら覚えてませんが、もう一度見る機会があったら是非確かめたいと思っています。
ジブリも宮崎駿監督以外は採算取れないからと制作会社を解体してしまって、鈴木敏夫プロデューサーが言っていた通りに会社としての延命には失敗しましたね。
それでも『おかみさんは小学生』の高坂希太郎監督など、作品の影響力で次世代の才能を継いでゆけたのは、アニメ界としても収穫でした。
この作品も、画面づくりは過去最高のクオリティで、宮崎駿健在也を印象づけてくれました。
コメント、有難うございます。
このサイト以外でも多くの方々がこの映画の解説をされていて、本サイトレビューに加えてそれらも読んで見て、楽しんでおります。
その中で、山田玲司さんやなすお館長さんは、青サギは手塚治虫と解説されています。確かに、飛べなくなった時に虫の様に羽をバタバタとさせる表現等はそうなのかとも思いましたが、最後のセリフ「あばよ、友達」と自分的にはどうにもうまく整合性が取れないでいます。
創作者と宮﨑がみなしていないと思えるジブリ鈴木敏夫プロデューサーでは無いことは、なすお館長さんと同意見ですが、皆様は青サギのことをどう思われていますか?
こんにちは。
鮮やかなでわかりやすい考察に感嘆しています。監督の若いアニメーターに対する懺悔に至っては頷き唸りました。そして、監督のイメージを更新…イマジネーションの匠の技の深さをまた味わいたくなりました。
いやあ、あまりに完璧な解説なので、もう数行読むごとに『なるほど!』と感嘆していました。自分は鑑賞後はまったく理解できず、識者の評論を見て『ああ、そういうことだったのか』とようやく理解できたのですが、それでもここまで深く掘り下げたレビューは初めて見ました。このレビューを見てもう一度映画館に足を運びたくなってしまいました。
コメントありがとうございます。
若いアニメーターへの懺悔、という部分。それもまた宮﨑駿監督の思いのひとつなのか、と深く感じ入りました。
こちらのレビューで触れられている様々なことも含め、監督が何を思い何を伝えたかったのか。それを想像するための映画。もちろん80年を超える人生においてはその時々の思いも違うわけで、ストーリーや設定が合理的に説明できない部分があるのは当然なのかもしれません。
伏線を回収できる人生なんてあるわけがない。そんなふうに思いました。