「観たい度✕鑑賞後の満足度◎ 『千と千尋の神隠し』を傑作足らしめた宮崎駿マジックはやや薄らいだように思うが何故か感動した。ある意味集大成かな。『風立ちぬ』がスワン・ソングに成らなくて良かった。」君たちはどう生きるか もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
観たい度✕鑑賞後の満足度◎ 『千と千尋の神隠し』を傑作足らしめた宮崎駿マジックはやや薄らいだように思うが何故か感動した。ある意味集大成かな。『風立ちぬ』がスワン・ソングに成らなくて良かった。
①初めは全く観る気は無かった。題名を見て萎えた。“ほっとけよ。余計なお世話。こちとら結構(60余年)生きてるし、今更説教たらしい話は聞きたくねェ”という気になったから。
ところが海外の試写で絶賛されているという記事を読み、遅まきながら観る気に。舶来ものに弱いねェ、昭和の人間だわ。
②アニメ映画好きの方には悪いが、もともとアニメ映画って基本荒唐無稽な話が多い。
宮崎駿の作品もオリジナルものは殆んどが摩訶不思議な世界の話ばかり。
理屈が通らねェ、とか、何のこっちゃ、とか、意味わかんねェ、とか思う前に映画の中に引き入れてしまう魔力というかマジックがあるのが宮崎駿ワールドだろう(私はそれほど熱心なファンではないけれど)。
③本作も太平洋戦争中の日本が舞台なので、最初は『風立ちぬ』路線かなと思ったが(現代の子供や若い子達はどう受け取るだろう、とそちらの方が気になった。と書きながら私も“♪戦争が終わって僕らは生まれた。戦争を知らない子供たちィ~さァ~♪”の世代ではありますが)、湯婆ン婆ァのミニ版みたいなのがゾロゾロ出てきたくらいから『千と千尋』路線かとボンヤリ思っていたら、アオサギが喋りだしてから一気に『千と千尋』少年バージョンに突入。
姿を消した夏子さんを追いかけてヨコハマ、じゃなくていよいよ摩訶不思議ワールドに足を踏み入れてしまう。
ちなみに、ここ奈良でも一時サギの姿は全く見なくなった。農薬の影響だったろうけど。水がキレイになったのか、ここ十数年来やっと姿を見かけるようになって毎日でも見かけます。大体がシラサギでゴイサギが時々。アオサギは見ないなァ。
ところでサギはペリカン科なんだと。
④結局、こちら路線の映画なのね、というお馴染み感というか安心感というか。
宮崎駿映画群のどこかで観たな、という既視感てんこ盛りだし、色んな世界に通じるドアなんて、今はやりのマルチバースを持ち出さなくても「うる星やつら」等々結構手垢のついた設定だし、石に神性や心性を持たすのも『2001年宇宙の旅』のモノリスから古墳の石室、や世界各地の巨石文明の跡、パワーストーンまで既に馴染み深い世界である。
⑤ただ、脈絡のなさは『千と千尋』の比ではない。
目まぐるしい展開の合間に頭をよぎる疑問の数々:
なぜ真人は本能的にアオサギを敵みたいに思ったのか?
アオサギは真人の大伯父の使いであることは前半でほぼ分かるが何故に池の鯉やガマガエルまで?
夏子さんは何故矢を放った?
しかもその後しばらくしてから何故一人で森に入った?
真人は何故に夏子さんが自分の意思で森に入ったのではないと分かったの?
私は『千と千尋』は映画館で連続四回観て、その後DVDでも何回も観ているが絵解きが目的ではなくて「あの」世界に浸りたかったから。
本作はそんなに浸りたいとは思わないので、万人向きで作ったのでないのかも。
⑥真人が足を踏み入れた世界は大伯父が作ったようだが:
何故「ポワン」ちゃん(本当の名前、忘れちゃった)が熟して上の世界に行って人間になるようにした?
なのに何故「ポワン」ちゃんを食べるペリカンを放置している?
そのペリカンを退治する役目のヒナちゃんは大伯父の親戚らしいけど…なんか回りくどくね?等々
ここで立ち止まって真剣に考えては行けません。はい、そこで脱落…
次々とやってくるイマジネーションの波にただ身を任せていなければ…上に書いたように凡人のイマジネーションの範囲のようなものも多いけど、そこはあまりにも突飛なら更についてこれない人が増えると忖度したか…
⑦大伯父さんは本を沢山読む博学の人でそのうち頭がおかしくなって失踪した、と言われているけれども、博識の結果きっと平和・博愛を望む人になったのだろう。
だが時は幕末を経て明治維新から海外の列強の仲間入りを目指す富国強兵の時代、変人と思われても不思議ではない。
確かに大伯父が作った世界は平和には違いないがやや歪で博愛精神は有るのかどうか…
ヒナちゃんはこの世界では禁忌であるのを分かりながら真人を夏子さんに会いに行かせて(ここは夏子さんの深層心理が表面化し、それを理解した真人が初めて夏子さんを“お母さん”と呼ぶ重要なシーンであるが)結局捕まっちゃうし。
ヒナちゃんは真人の世界では真人のお母さんで、でも火の女神(だから「火姫」)だから冒頭の火事で死んだわけでなく違う世界へ行っただけ(妹に“男”を譲るため?)
夏子さんが大伯父の作った世界で子供を生みたいというのもよく分からないし…
⑧この解釈はマルチバースの世界に近いけれど、石の塔は全ての世界にあって各世界で石の何らかの意思・意図を反映している?…
⑨大伯父は自分の作った平和で博愛に満ちた(?)世界を維持する為に真人を呼んだわけだが、真人は結局夏子さんを連れて自分の世界へ戻っていくことを選ぶ。大伯父に「憎しみと怒りに満ちて、いずれ火の海になる世界だぞ」と言われながらも。
これが本作で宮崎駿が言いたかったことかも知れない。
⑩『千と千尋』では異世界から元の世界に戻った時は千尋のかの地での記憶は消えていたが紙留めだけは現実の世界に帰っても付いていたという意味深なラストで終わっている(だから余韻が深くいつまでも心に残る)が、本作では1947年の真人は異世界のことをまだ覚えているのかどうか。
宮崎駿は四人になった一家の姿を描くだけてそこまでは描かない。
追記:ところでラストクレジットに流れる歌が良いね。米津玄師という人とか(最近の邦楽、聴かないもん😅)。プロフィール見たら背ェ高ッ!
『シン・ウルトラマン』の主題歌は心に残らなかったけれど、この歌は良い。
荒唐無稽を納得させやすいのがアニメ映画なので、多少の飛躍がないと「じゃあ実写でいいじゃん」とか言われちゃうという。
感覚が合えば、年齢問わず楽しめるのもいいところです。