「きっとみんな忘れているから、ジブリが描くことに意味がある」君たちはどう生きるか yyrさんの映画レビュー(感想・評価)
きっとみんな忘れているから、ジブリが描くことに意味がある
一言で言えば、「あの頃は良かったなあ」を具現化し、全ての人へ今とこれからを問いてくる映画だと思う。
ほとんどの場面は様々なジブリ作品が内包する薄気味悪さを凝縮させて根底に広げた感じ。それをすべてひっくるめて、ラストと主題歌で浄化してくれる。
主人公が出会うあらゆる「場所」は、前述のように薄気味悪さが常にある。それは多分、社会的なものでもあり個々人が持つものでもある、理不尽さだったり悪意だったり怖さだったり。それらが渦巻く世界で、主人公だけが浮いている、特別である。それは、主人公がもつ、子どもらしさ所以じゃないかと思う。
「子どもらしい」とは、良くも悪くも使われる。純粋無垢を意味することもあれば、それゆえの残酷さを示す場合もある。それでもなお、主人公は「子どもらしく」、等身大で、純粋無垢で、真っすぐである。当初は産みのお母さんへの思いもありナツコさんのことをお母さんだと受け入れられず(この年代なら当たり前だと思う)、他人行儀であり、「お父さんの好きな人」と話していた。一方お父さんに対しても、熱血すぎるところをちょっと疎ましくも思っていて、でも全力で注がれている愛情をちゃんと分かっていて。だからキリコさんに「嫌いでしょ」と言われたようにナツコさんを好ましく思ってなかったとしても、絶対に助けたかったのかなと思う。親を助けたい、役に立ちたいという子どもの時に抱く背伸びした気持ちもあれば、火事の時にお母さんを助けられなかったからかもしれない。どちらにせよ、その一心な想いと子どもらしさを持っていたから、あんな世界でも常に前に進み続けられたんだと思う。
要所要所の主人公の行動に対して、なんでそんなことするの!?って思えた人は大人なんだと思う。好奇心の赴くままに突撃したり、自分で工夫して道具を完成させたり、怖いくらい怖いものしらずだったり、迷惑かけられたのに死にゆく間際の話を聞いて同情したり、その場で出会った人をちゃんと信じられたり。そういった子どもらしさを、多くの人が幼い頃持っていたはず。例えば、ある日隕石が落ちてきたら、この水面の下にもう一つの世界があったなら。もしも魔法が使えたら、突然誰かを助けるヒーローになれたなら。走り回って冒険した場所があったり、秘密基地を作ったり、あの日拾った宝物があって、夢中になれるなにかがあって。こどもの時の世界とか、あのときの自分だけの「ともだち」とか、夢とか希望とか、透き通った心とか。それらはいつか忘れてしまう、思い出の中に消えて行く、そうして大人になっていく。
そういった「あの頃」を忘れてしまった大人に、あの頃の良さをすくい上げて存分に目の前に広げたうえで、「それでは、君たちはどう生きるか」と聞いてくる。私はこれを、子どもだからこその世界を数々描いてきたジブリが、宮崎駿が手がけたことに、計り知れない良さを感じている。
加えて、映画の最後で、主題歌「地球儀」が響かなかった方は、ここで再度歌詞を見ながら聞いてみてほしい。映画の場面や上記の想いが丁寧に切り取られていることに気づけるのではないかと思う。