「【追記】真人(=監督)にとっての「戦争」とは」君たちはどう生きるか Makoto ed.さんの映画レビュー(感想・評価)
【追記】真人(=監督)にとっての「戦争」とは
まず男の子が主人公で、同世代の女の子が出てこないというのがドン引きである。
出てくるのは彼の母や義理の母が変身したものばかりで、彼女たちが真人を誘う。
彼らは真人を成長させているかといえば、そうには見えない。
甘やかしているだけではないだろうか。
普通の映画だったら「批判する異性」がいて、「真人は何にも分かってない!」と言われそうなものだが、彼に対する批判者はどこもいない。
しかも、主人公の真人は異界に入ったあと、一つも決断するところがない。迷路に行き詰まったかと思うと、母親やばあやなどが「こちらにおいで」と導く。これでは真人に共感しろと言っても無理な話だ。
しかも、このデウス・エクス・マキナ的な展開が延々と繰り返されるので退屈極まりない。
そして主人公は最初は嫌っていた継母を受け容れるというわけだが、これまた何の説明もない。呆れっぱなしで終わった。
はっきり言って宮崎駿監督の悪い面ばかりが出たような映画だ。
真人も甘やかされているが、宮崎監督も甘やかされている。いや、甘やかしという名のニグレクトだ。
まあ、えらくなりすぎて誰も鈴を付けに行かなくなったという点では黒澤明と一緒ではあるのだが、しかし、宮崎監督はそれを見ているはずなのだから、脚本を複数で書くなりして、黒澤の二の舞を避けることはできなかったのだろうか。
でもプロデューサーの鈴木氏も同罪で、これはとても商業映画にならないと思ったのだったら「宣伝しません」などと逃げるのではなくて、作り直しをさせるべきではなかったかとも思う。
さらに追記
真人の父は軍需工場で大儲けしているが、真人はそれをどう感じているのか、少しも描写がない。戦争では多くの若者──彼にとっての兄の世代だ──が死んでいる。でも、この田舎の里には敵の飛行機が一機もやってこない(航空機を作る軍需工場があるのに)
また母や義母の家は大邸宅で、地方の大財閥らしい。
父と母とは政路結婚なのだろう。それはいいとして、戦後の改革で財産が没収されているはずが、それも描写がない。普通だったら真人の父親は戦争協力者である。母親、義母の実家は農地解放ですかんぴんになっているだろう。でもそんなことはどこにもない。
宮崎駿は戦争を少しも悪く思っていないのではないか、とさえ思えてゾッとした。
さらに追記
真人の身の上はまったく宮崎監督と同じだった(ウィキペディア参照・父は航空関係の軍需工場の経営者。ただ終戦時は四歳だったので、そこが違う)。結局、駿少年にとって父は対立する存在ではなかったのだろう。そして母に対してはまったく甘える一方であったと。そういう意味では子どもが大人になっただけだったのか。