「『生きろ』という宮崎駿からのメッセージ」君たちはどう生きるか バビロンさんの映画レビュー(感想・評価)
『生きろ』という宮崎駿からのメッセージ
映画を鑑賞してから一晩が経ち、自分なりの考えが少しまとまったためレビューします。
ここでのレビューを見ると様々な意見がありますね。これこそがまさに『君たちはどう生きるか』なんだと思います。
宣伝無し、あらすじなどの前情報無しで大衆に作品を見せる戦略はとても面白い試みだと思いました。
私が鑑賞した上で感じたポイントは以下の2点です。
・眞人少年の成長と、大叔父は宮崎駿
・作中登場する鳥は現代社会の暗喩と隠されたメッセージ
まず、眞人少年は冒頭で母を火災でなくすことで、現実逃避します。
東京という現実から田舎に疎開することになり、東京育ちの眞人少年はその中で古い塔やアオサギという幻想を発見します。
次第に幻想に惹かれていく眞人は、学校という現実から逃避するため、あるいは塔の中へ入るために喧嘩で怪我をしたように見せかけ石で頭を打ち、転んだだけだと嘘をつきます。
父親からすると喧嘩で怪我をしたと思うのは当然。そんな学校(現実)は行かなくていいと父親に言わせるための行動だったのでしょう。
大叔父が作った幻想の世界に入った後、新しい生き物が登場します。
一つは白い体に黒い点で構成された生き物で、幻想から現実へ登っていく、紙とペンを暗喩。
ペリカンはそれを食べる(物語を消費している)人々を暗喩。昔は食べ物を食べていたのに今は消費することしかできない。
眞人はここで自然界の食物連鎖を学ぶ。
パンのシーンでの母の子を思う愛情。
幻想世界でのナツコの言葉の裏に隠された家族を思う気持ち。
など冒険を通じて生きることの意味を見出し、
現実世界で生きたいと思うようなった眞人。
終盤登場する大叔父は、この幻想の世界を継がないかと眞人を誘います。
家族を守りたい、現実で生きたい眞人はこの誘いを断ります。幻想との訣別、現実と向き合う、もう現実から逃げないという強い意志が感じられます。
これは、自分のように幻想に取り憑かれないで現実を『生きろ』という宮崎駿監督からのメッセージなのではないでしょうか。
この作品はまさに少年の成長物語であり、今まで宮崎駿監督が制作してきた『少年少女の冒険活劇』です。
また、13個の積み木を3年に一回積みなさいと言うセリフがあるが、この前のシーンで大叔父は全ての積み木を積んでいました。
(つまり39年、ジブリは今年創立39年目です)
また、13という数字は宮崎駿が監督した映画作品とも重なります。
幻想の世界で今までの作品のオマージュが出てくることから、大叔父は宮崎駿やジブリであると言えます。
もう一点は、作中に登場する鳥には、それぞれ現代社会に存在するあるものを象徴しているということです。
アオサギは悪意や嘘の象徴
ペリカンは必死に生きる家族の姿(生物としての本来の姿)
セキセイインコは扇動される一般大衆
言い換えると、
フェイクニュースを伝えるメディアや悪意のある人たち
信念を持ち自分らしく生きる人たち
思考停止で何も考えずに騙される人たちあるいは、何も考えず頭ごなしに否定する人
あなたはこの中のどれですか?と宮崎駿監督は投げかけています。
アオサギは生物である青鷺そのものの姿と人のような姿を持つが、これは嘘偽りのないものに擬態した悪意が内包されていることの比喩。
ペリカンは、嘘偽りのない真の姿。
セキセイインコは人間のように振る舞っているが、思考停止しているその姿は醜い。(みんな目がイっちゃってるのは思考停止の比喩?)
作中鍛冶屋の家に入る前のシーン、アオサギがセキセイインコを誘導する姿はまさに嘘が大衆を煽動している現代への暗喩なのだと感じました。
また、セキセイインコについては様々な考察ができると思う。
ジブリや宮崎駿作品を思考停止で崇めるファンの暗喩ではないか。
自分たちの意見以外は認めない。自分が崇めるものは崇高なんだという考えは愚かで醜い。
お前たちは何もわかっちゃいないんだという皮肉のようにもみえる。
作中登場するセキセイインコのなんでも群がって食べて無くしてしまうその習性はまさに、『自分たち以外』にマウントをとったり誹謗中傷で排除する現代人(SNS)そのものだと思います。
細かいところの考察はまだできていませんが、
様々な考察ができる本作を、ただ説明不足やつまらないで終わらせないでほしい。
この映画は、自分で考え、自分で『生きろ』という宮崎駿監督からのメッセージなのです。