「そこまでするか宮崎駿」君たちはどう生きるか MP0さんの映画レビュー(感想・評価)
そこまでするか宮崎駿
さすが宮崎駿という作品の映像美で良作だと思います。
しかし近年では他の監督も映像美にはかなり迫っており、宮崎駿らしさ、ジブリらしさは既にある物語の再創作というウォルト・ディズニーを彷彿とさせた魅力に翳りを感じます。
この作品そのものに説教臭さはそれ程ありませんが、手放しで絶賛するのにはやや難解な作品だというのが個人的な総評です。
尚、タイトルにした「そこまでするか」はパンフレットは後日販売として、劇場で公開初日は買うことができない点です。
事前の宣伝なしに続いて徹底的に内容(ネタバレ)から鑑賞予定者を遠ざける事に徹している点を考えると早めに観に行くのが良いと思います。
恐らくジブリと宮崎駿でもなければおいそれと同じような方法は取れなかったでしょうけど、昨年末に『THE FIRST SLAM DUNK』でも近い情報非公開主義によって成功した例からネタバレの致命的であるというのを作り手側がとても強く意識しているのだと思います。
ジブリ作品らしい演出といえば名脇役の存在ですが、『もののけ姫』ならこだま、『千と千尋の神隠し』で言えば湯婆婆やカオナシですが、今作はワラワラと七人の婆やが愛らしいです。
以降はネタバレ含みます。
一言で表現するなら本作は宮澤駿(少年)版の『不思議の国のアリス』また『七人の小人』、
作品タイトル『君たちはどう生きるか』は作中に眞人が母からの贈り物として手にした吉野源三郎の同名書籍にちなみ、家の周りの森の中にある本好きだったという大叔父が建てた不思議の塔がその伏線と考えられます。
不思議の世界は幾つかの世界で構成されていて、死後の世界(地獄や極楽)と生前の世界など時間軸も無茶苦茶な各世界には青鷺のライバルであるペリカンや色とりどりのインコが暮らしています。
こうした物語のアウトラインを振り返るといつものジブリの描くファンタジー風ですが、難解さと最初に表現したのは眞人が転校先の学校でケンカをしてボロボロになって帰る途中で大きな石を掴み、自らの右側頭部を打ち付け大量の血を流し父母、使用人の婆やたち家族全員が心配するシーン。
父親は「誰にやられた?」とイジメだと判断し、学校に抗議。しかし眞人は転んだと言い張ります。
ケンカやイジメと親の気を引きたいなら泥だらけになった服だけでもいいのに、頭を縫うほどの自傷行為をするのは破滅願望なのか、自らをあまり大切にしていない印象を受けます。
その一方で身重で行方不明になった継母が行方不明になると危険を顧みず森や不思議の塔に向かい青鷺たちと戦い、救い出そうとします。
眞人は口数は少なく、落ち着いた口ぶりですがやっている事はかなり無鉄砲。子どもの先のことを考えないで感情のまま突き進む姿を描こうとするにしては大人びています。
主人公に共感するというより物語(宿命)に翻弄されながら、生きる意味を探そうとする経済的には恵まれている家庭環境の子供の親離れ(乳離れ)がタイトルに込めた意味という点では実に様々な風刺(皮肉?)もあるでしょうか。
最後は無事に現実の世界に帰ってきて喜び合いますが、時間軸は数年後に一気に、弟が幼稚園児くらいまで成長し、この家を家族四人で去る日に飛びます。
そこに見送る婆やたち使用人の姿はなく、がらんとした部屋の様子と合わさり物語を閉じる余韻に引き込まれます。
物語の起伏がないわけではないですが割と淡々としていて、大叔父とのやり取りも心象描写中心で、パンフレットなしに答え合わせできずモヤモヤさせられる点は賛否分かれる作品かと思います。
このある意味でチグハグさを抱えながらも一つの作品をなんだかよく分からないけど完成させてしまう情熱は本当に凄まじいと思います。
宮崎駿(82)の年齢を考えると前作『風去りぬ』から10年。本作が最後の作品にするつもりはないのかもしれませんが、どうにも個人的にはスッキリはしない作品でした。
このため殆ど事前に宣伝や公開情報がなかったら逆に物語の破綻によって宣伝のし様がなく、パンフレットもスケジュールが間に合わなかった説を個人的には推したいと思います。